思いつくまま

2002年8月
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目次 
●私の今年の夏休み:No. 484● 2002.08.31
●感情の生き物:No. 483● 2002.08.31
●母の来札:No. 482● 2002.08.30
●はじめまして数学 2:No. 481● 2002.08.27
●暦と数の話:No. 480● 2002.08.26
●ひと時の快適:No. 479● 2002.08.25
●スイートツインにて:No. 478● 2002.08.24
金沢篇(No. 469〜477)
山口篇(No. 450〜468)
●古風堂々数学者:No. 449● 2002.08.15
●隠喩:No. 448● 2002.08.14
●とにかく、晴れ:No. 447● 2002.08.14
●干し草の中の恐竜 下:No. 446● 2002.08.14
●カシミール3D入門:No. 445● 2002.08.14
●丸坊主:No. 444● 2002.08.13
●プロも知らない「新築」のコワサ教えます:No. 443● 2002.08.11
●教育の実践:No. 443● 2002.08.10
●安心は禁物:No. 442● 2002.08.09
●短い夏休み:No. 441● 2002.08.08
●北海道の夏:No. 440● 2002.08.07
●自分の体:No. 439● 2002.08.06
●疲れている朝は:No. 438● 2002.08.03
●家庭が和めばいい:No. 437● 2002.08.02
●夏休み:No. 436● 2002.08.02
●アポイ岳:No. 435● 2002.08.01


●私の今年の夏休み:No. 484● 2002.08.31

今日は、温泉から帰って、
すぐに、イギリスへ向けて出発である。
いろいろ夏休みに予定していたものは、
たくさんのものをやるつもりでいた。
8月7日に書いた「思いつくまま」で、
以下のような予定を立てた。
・地学教育学会:終了
・査読論文1件:済
・長期教育論文:第1校完成。投稿はまだ
・イギリス海外調査(8月31日〜9月10日):これから
・EPACSシンポジュウム:まだ。イギリス旅行中に準備しなければならない。
・地質哲学の論文:手付かず
気持ちの上では、すべてだめだった。
心残りの夏休みだった。

メールマガジンおよび講義がこれほど負担になるとは思わなかった。
でも、秋からもまだ、その状態はつづき、
来年は、新たに
学部の1年生へのゼミ、1コマ
北大の非常勤、1コマまたは2コマ
が加わる。
つまりは、ゆっくりしている暇がない。

これが定常状態だ。
とすると、その中で、論文を書いたり、
シンポなどを入れておかなければならない。
でも、その中で、自分のペースをつかむ必要がある。
まだまだ、なれない状態である。
日々是努力である。
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●感情の生き物:No. 483● 2002.08.31

非常に気に入った温泉である。
しかし、子供の食事のオーダーが予約してあったのに、
30分も遅れてでてきた。
すると、大人の食事も非常に不愉快になって、
この温泉自体の印象も非常に悪くなる。
なぜ、こんなことになったのか、
はっきりして欲しいものだ。

しかし、人間は感情の生き物であるとつくづく思う。
些細なことで、感情を害すると、
それが、 全体へ波及する。
子供は、その時点で、不満を言うが、
すぐに忘れてしまう。
大人も、理性としては、合理的に処理しようとする。
しかし、感情がなかなか納得しない。
困ったものだ。
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●母の来札:No. 482● 2002.08.30

母が、昨日来た。
こちらに来て、はじめての来札である。
わたしが不在にするから、来た。
でも、自宅で泊まるのは大変だから、
私がいる2日分は、近くの温泉に泊まりにいく。
長沼温泉と篠路の温泉でである。
長沼でも、28kmしか離れていない。
30分もかからずいけるのだ。
近くで定宿にしていようなところである。

母と長男を連れて、
大学にいって、研究室と食堂を見せた。
そこで、何人かの知人に会った。
でも、挨拶をしただけである。
これで思い残すことなく、出かけられる。
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●はじめまして数学 2:No. 481● 2002.08.27

吉田武著
「はじめまして数学 2」
(ISBN4344-00139-7 C0041)
を読んだ。
「はじめまして数学 1」 と連続している。
総ルビの面白い本である。
この本の魅力は、挿絵にもあるのかもしれない。
絵は大高郁子さんが書かれている。
また、前著の「虚数の情緒」は、
「中学生からの全方位独学法」という副題があった。
今回のキャッチコピーは、
「大人には無理でも
子供には分かる」
「子供に帰れば大名も分かる!
家族で楽しい!」
であった。
いい本である。
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●暦と数の話:No. 480● 2002.08.26

スティーブン・ジェイ・グールド著
「暦と数の話 グールド教授の2000年問題」
(ISBN4-15-208195-3 C0045)
を読んだ。
この本は、グールドが暦の2000年問題に関して 述べたものだが、
なぜ関心を持ったのかが、よくわかった。
サヴァンで日付曜日計算家の次男ジェシィが
いたからかもしれない。
ちなみに次男のイーサンは、ジャズギターリストである。
この問題は、決着のつけようがないとしている。
しかし、この本には、暦を越えた何かが存在する。

この本の献辞は
「当代随一の情熱的合理主義者にして
今千年紀最高の科学の代弁者
わが友カール・セーガンのすてきな思い出に本書を捧げる」

「1980年代半ばに癌で死んでいくはずだったところを生還したとき、
私は、今の世で生きる数ある喜びのうち二つだけをあげた。
『私はいろいろなことを考えた。
二人のわが子の成長をじっと見守るためだけにも
生きねばならないし、
来るべき新千年紀を目前にして
去らねばならないなんてむごすぎる』」

「当時の人々には、自分たちがあくせく働きながら生きている年が
0年なのか1ねんなのかなどかんがえたことも なかったわけだし、
10年代が9年か10年か、1世紀が99年か100年かなんてことにも
頓着していなかったのだ。
紀元前/紀元後という年代表記システムが発明されたのは
6世紀のことだったし、
ヨーロッパに普及したのはそれよりずっと後のことである。」

「私が暦の問題を愛してやまないのは、
人間が抱える癖のずべてが、
そこに縮図として表れているからである。」
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●ひと時の快適:No. 479● 2002.08.25

子供たちが5時に起きた。
そのため、眠たいがおきなければならなくなった。
体の節々が痛い。
風邪のようである。
新しい地に来たので、
今までと違うタイプの風邪の洗礼を受けているのであろう。
ホテルは、快適、眺めもいい。
天気はまたも曇り。
せいぜい、ひと時の快適を楽しんでいこう。
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●スイートツインにて:No. 478● 2002.08.24

茨戸(ばらと)のオテル・ド・レーゼン・サッポロに家族で来た。
新しくできたホテルである。
金沢から帰ってすぐだから、ちょっとハードである。
半額でもモニター宿泊だから、豪勢なスイートツインをとった。
眺めも2方向によく、部屋も広く、 なかなかすばらしい。
部屋の中にいるだけで十分楽しめる。
まあ、半額だからできる贅沢である。
二度とこれないかもしれない。
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●古風堂々数学者:No. 449● 2002.08.15

藤原正彦著「古風堂々数学者」
(ISBN4-06-210186-6 C0095)
を読んだ。
彼の最近の文章を集めたものだ。
彼が、重んじる武士道の精神、
国語の重要性、合理的でないが守るべきこと、
などなど、日本人が、日本が
失いつつあるものを、彼は孤軍奮闘をして
取り戻せと叫んでいる。
私も、大いに共感するところがある。

「千年後の 中学生用世界史年表の二十世紀欄にかかれるのは、
「二度の世界大戦が起こり核爆弾が投下された」
くらいのもので、
ひどい時代との印象 は免れ得ないであろう」

「少子化自体は、急激でない限り祝うべきことと思う。
問題は少子化をもたらしている原因のほうであろう」

「大学は産業界のためにあるのではない。
学問を守り抜くには
産業界などむしろ眼中にあってはならないとさえ言える。
そんな気概がないと産業に役に立たない多くの分野は
早晩切り捨てられてしまう」
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●隠喩:No. 448● 2002.08.14

言葉というのは、一人歩きするものである。
もともと違う意味なのに、
いまでは、まったく違った意味となっていることもある。
もともとの意味どおりの解釈を忘れていることすらある。
ひどい時には、もとの意味だと間違っている
とさえいわれることもある。

隠喩に関するエッセイが、
スチーヴン・ジェイ・グールド著の
エッセイ集「干し草の中の恐竜」(下巻)
(ISBN4-15-208299-2 C0045)の
「34章 三世代四つの隠喩」にでている。

グールドがギリシアにいたとき、
英語ではもったぶった言葉が、
その言葉が生まれたギリシアでは、
ごく普通の日常語として使われているという。
英語の停滞(スタシス)は、専門的で固有の使われ方をしている。
しかし、ギリシアで「スタシス」はバス停のことなのである。
バスが「止る」(バス・ストップ)のことなのである。
その他にもグールドは、さまざまな語源を見つけて楽しんでいる。

言葉は、生き物(これも隠喩)である。
そして、それぞれの国や民族の歴史を反映している。
もちろん、変化している。
ある時代には正しかった言葉やその使い方が、
後の時代では、誰も使わない
あるいは間違っているとさえいわれることもある。

でも、予期していない時、
突然、比喩の直喩ではなく隠喩がでてくると戸惑う。
何事にも、文脈の理解が必要であろう。
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●とにかく、晴れ:No. 447● 2002.08.14

今日は、久しぶりの晴れである。
快晴とまではいかないが、とにかく晴れである。
北海道は、本当に7月、8月の天候不順で、
晴れる日が非常に少ない。
そして雨か曇り、寒いと着ている。
最初のうちは、北海道は涼しくていいと楽しいんでいたが、
もはや、異常を感じるほどである。
でも、こんな晴れの日でも、
仕事に追われている私は、
ブラインドを半分閉めて、
キーボードとディスプレイに向かっている。
でも、とにかく、晴れである。
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●干し草の中の恐竜 下:No. 446● 2002.08.14

スチーヴン・ジェイ・グールド著「干し草の中の恐竜 下」
(ISBN4-15-208299-2 C0045)
を読んだ。
やはり、グールドは面白い。
そして、一徹に、同じことでも、何度も
間違っている人、社会に
警告や意見を発する。
それは、どんな権威や個人に対しても同じようにおこなう。
そして、教養とユーモアが彼の身上である。
抜書きしたいところが多数あったが、
多いので、省略する。
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●カシミール3D入門:No. 445● 2002.08.14

杉本智彦著「カシミール3D入門」
(ISBN4-408-00776-5 C2026)
を読んだ。
地図を3次元的に表示する機能をもっている。
そのほかにも各種の機能を持ている。
私のパソコンにもインストールしているのだが、
遅くて使いものにならない。
たぶん、何らの調整が必要なのだろうが、
今は、おこなっている余裕がない。
暇な時か、必要に迫られた時かに挑戦してみよう。
しかし、このような高機能ソフトが無料であること、
そして、国土地理院の数値地図が無料で添付されていることに驚く。
善意と趣味というのことだけで、ここまで達成できるのである。
素晴らしいことである。
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●丸坊主:No. 444● 2002.08.13

次男が、先日丸坊主になった。
長男も2歳の夏に丸坊主にした。
丸坊主にすると、
当然こととながら、まったく、見かけが変わる。
周りから見ると、まったく別人にみえる。
でも、本人はそのままである。
まして、2歳半の子供だから、
丸坊主だからと、なにか変わるわけでもない。
変わるのは、周りの見方である。

しかし、ある程度年齢がたつと、
自分自身を変えたいために、見かけをかえる。
あるいは、よくあるが、格好からからまず入る。
などと、中身ではなくい、表層を変えることによって、
中身を変えるきっかけにすることある。
あるいは、表層を変えることが、
もはや目的になっていることすらある。
ファッション、化粧、衣装などは、
もはや、中身とは連動せず、独自の世界を形成している。

長男は、丸坊主を気にしているが、今のところ不満はない。
次男は、丸坊主も不満も満足もなく、親だけが満足している。
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●プロも知らない「新築」のコワサ教えます:No. 443● 2002.08.11

船瀬俊介著「プロも知らない「新築」のコワサ教えます」
(ISBN4-8067-4537-5 C0077)
を読んだ。
配慮されてない、新築は怖い。
これは、前から気づいていたのが、
ここまで、データを示されると、その恐ろしさがよくわかる。
しかし、一方、ここまで、個人が気を配るのは、
不可能な気がする。
これを、職業とする人が必要である。
本当は、それが、建築のプロであるはずである。
でも、営利に走りすぎた企業は、そんなことを配慮しない。
これが、問題である。
わたしが、「木の城たいせつ」にひかれるは、
そこの配慮している、少ない企業であるかだ。

それと、この本で、ソーラーシステムについて書いてあったが、
これが、西壁で実用的で、採算が取れるという記述があった。
これは、北海道でも検討してみる価値はある。
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●教育の実践:No. 443● 2002.08.10

教育に関する論文を書いている。
教育とは、人間としての基礎的な教養を身につけることである。
それは、昔でいえば、読み書きそろばん、にあたるものである。
現在では、読み、書き、パソコン、 だろうが。
でも、それより重要なのは、人間としての 素養であろう。
そのようなものをリテラシー と呼ぶ。
わたしは、自然史に関するリテラシーの重要性と、
それを、教育で実践していくことの重要性、
その論文で述べている。
そして、本当に実践している。
実践していることの重要性をいくら、論文で書いても、
実践していなければ、机上の空論となる。
だから、実践を謳うからには、実践すべきである。
それが、ClubGeoである。
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●安心は禁物:No. 442● 2002.08.09

夏休みになって、仕事がやっとはかどってきた。
つまり、夏休みの時間の流れ方になれてきたということだ。
でも、残されている時間は長くない。
安心は禁物である。
どんな時でも、初心を忘れず、
精進あるのみ、である。
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●短い夏休み:No. 441● 2002.08.08

今朝は、涼しかった。
とっていも、毎朝涼しいので、
家を出るときは、上着を着用である。
昨夜来の雨はあがったが、
まだどんよりとしている。

アルバイトの人に来てもらっている。
もちろん仕事を手伝ってもらうのだが、
じつは、私がいままで、
ついつい面倒で後回ししていたことを、
アルバイトの人がくることによって、
整理を強制的にするということでもある。
これは、他の仕事が遅れることでもあるのだが、
懸案であったことが、
何とかこなせて、精神衛生上、非常にいいことである。
この時期に、一気に整理してしまうことである。
私の短い夏休みは、
北海道の夏のように慌しく過ぎていくようである。
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●北海道の夏:No. 440● 2002.08.07

夏休みは、休むのでしょうか。
そうではありません。
よく働き、そしてよく遊ぶのです。
北海道のような夏に快適な環境に住んでいる人は、
精一杯動き回るのです。
本州が暑いというニュースを聞くと、
非常の得したような気がします。
ですから、頑張るのです。
わたしは、
「とりあえず、夏休み」と
まわした仕事をこなすこと、
それです。

メモ代わりに書いておきましょう。
・長期教育(ClubGeo)についての論文:地学教育学会誌
 8月9日まで、できれば仕上げて、投稿
・地質哲学の論文:大学紀要
 8月27日まで、投稿は9月末。
・地学教育学会(8月18日発表、8.17〜8.21)
 8月16日まで、発表準備
・EPACSシンポジュウム(9月14日発表、9.13〜9.15)
 8月30日まで、発表準備
・イギリス海外調査(8月31日〜9月10日)
・査読論文1件
 8月中
ということになりました。
できるでしょうか。

まずは、頑張ることでしょう。
なにせ、北海道の夏は快適なのですから。
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●自分の体:No. 439● 2002.08.06

大学が完全に休み体制に入っている。
だから、そのときは、校内の整備が入る。
研究室の清掃。
電気整備のための停電。
ネットワーク関係の整備で、インターネットが使えない。
ということで、私も昨日人間ドックへ。
不摂生がたたって、あちこちに悪いところが出てきた。
そろそろ本格的治療や対処をしなければいけいない。
同じような生活をしていても、
大丈夫な人。
私より節制していても、悪くなる人。
これは、個人の属性の一つ。
自分の体は、自分で守るしかない。
うまく付き合うしかない。
これからは、医者がよいが続くのかも知れれない。
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●疲れている朝は:No. 438● 2002.08.03

曇って、風が強い朝。
肌寒く、疲れのためにけだるい朝。
子供は適応力が強く、回復力が強く、
一晩ぐっすり寝れば、リセットされて、元気に起きてくる。
大人は、それに対応するのに、また疲れる。
でも、今日は、それほど遠くないので、楽である。

少し走れば、家から近いところに、
温泉がたくさんある。
それを少しずつ、回るのもいいかも知れない。
でも、新しいものばかりとは限らない。
選ぶと時は慎重にしよう。
子供がいるときは、注意が必要。
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●家庭が和めばいい:No. 437● 2002.08.02

栗山に来ている。
久しぶりにバーベキューを食べた。
おいしかった。
子供が小さいと、火を使う料理ができないし、
外食も、ファミリーレストランくらいがいけるところだ。
でも、それでも十分である。
家庭以外で、食事をすること、
家族で何かをすること、
それが大切なのかも知れれない。
場は、いつもと違えばいいのだ。
家庭が和めばいいのだ。
いってみれば、そのために出かけたり、
食事をじたりするのだから。
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●夏休み:No. 436● 2002.08.02

昨日の午後、日高から帰ってきた。
夕方、自治会の花火大会。
朝、ラジオ体操。
今日の夕方は、家族で、久里浜に宿泊。
朝、1時間ほど、荷物の整理に、大学に来ている。
大学も、夏休み。
校舎は、開放されていない。
で、研究室も、あと1時間ほどで、
床のクリーニングが始まる。
何処も、夏休み。
私は、休む所がない。
でも、これも夏休み。
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●アポイ岳:No. 435● 2002.08.01
アポイ岳に上ったのは、何年前だろう。
800mほどの山なのに、
海抜ゼロメートルが上るので、
けっこうのぼったという感じがし、
そして高度感もある。
眺望もいい。
だからその印象が強く残っている。
今は、上る余裕がないので、眺めるだけ。
それも、石に興味をもって、
足元ばかり眺めている。
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