思いつくまま

2002年9月
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目次 
●新しいこと:No. 544● 2002.09.30
●ワークシェアーンリグ:No. 543● 2002.09.26
●ひとり:No. 542● 2002.09.25
●模様替え:No. 541● 2002.09.24
●家族とは:No. 540● 2002.09.24
●自然を肌で感じられる町:No. 539● 2002.09.23
●アインシュタインをトランクに乗せて:No. 538● 2002.09.21
●長男、4歳8ヶ月:No. 537● 2002.09.21
●秋の日には未来を:No. 536● 2002.09.19
●もう秋:No. 535● 2002.09.18
●いい天気よ、こい:No. 534● 2002.09.17
●日々是精進:No. 533● 2002.09.17
●脳の方程式 いち・たす・いち:No. 532● 2002.09.16
●海馬:No. 531● 2002.09.16
●はじめまして数学 3:No. 530● 2002.09.16
●大学で何を学ぶか:No. 529● 2002.09.16
●私の今年の夏休み(結果):No. 528● 2002.09.16
イギリス篇:No.485〜527


●新しいこと:No. 544● 2002.09.30

9月も、今日で最後である。
授業が始まって、また、忙しさにかまけているうちに
あっというまに9月が終わった。
そして、秋も急ぎ足に来ている。
いつもの忙しさなると、
少し、気が楽になったような気がする。
でも、ここの内容では四苦八苦しているのである。
しかし、これも、日常なのだ。
この忙しさのなかでも、
新しいことをはじめていかなくてはならない。

最近、考えているのは、自然史教育である。
北海道には13の一級河川がある。
そこの代表的な川原の石を、
ものではなく、情報として記録し、
それを現場におかない人にも伝える。
川の石と砂による、データベースの作成である。
これを市民のための自然史教育のために素材とすること。
そんな自然史教育をできないかと考えている。

この1週間で、デジカメによる
砂と石の撮影装置を自作した。
これは、室内用である。
似たようなものを買うと4万円近くするものである。
新しいものを自作、つまりつくる喜びを久々に感じた。

新しいタイプの研究をするとき
お金がなく、道具すらない時、
開発しながら目的を達成する喜びがそこにはある。
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●ワークシェアーンリグ:No. 543● 2002.09.26

ある架空のサービス業の会社の話。
リストラを決心した。
しかし、働いている人は皆仲間で、
首は切りたくない。
そこで、皆で考えた。
すべての社員は、給料を2分の1を、カットする。
その分、半分は休みとする。
半分の労力で、今までの仕事をこなすことにする。
その代わり、休みにアルバイトをしても良いとした。
その2分の1の給料のうち、
4分の1を会社のために、
あとの4分の1で、高齢者を雇う分にした。
高齢者は、一般職員の従来の給料を3分の1で雇います。
すると、数字の上では、職員数は、1.25倍にできる。
高齢者を、対人サービス用員にする。
すると今までの金を使わずに、
少なくとも今までの何倍ものサービスができるようになった。
高齢者は、障害者にも、高齢者にも、子供にも
誰にでも、充分な対処が可能であった。

勤務時間を全員、半分に減らし、給料も半分に減らすという考えは、
なにも、私のオリジナルではない。
北欧では、ワークシェアーンリグとして、
実施されているものである。
こんなことする会社はないかな。
やはり、誰かを犠牲にして、
他の人が助かろうという発想である。
もっと別の発想があっていいのだが。
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●ひとり:No. 542● 2002.09.25

ある人から頂いたメールにこんな言葉があった。
「一人でいるとすごく不安です、死ぬ事ではなく、生きてしまう事に
元気な時は、一人がいい、病気になったら二人以上がいい」
含蓄のある言葉である。
理想の死は、だれもが「ある日突然ぽっくりと」だと思う。
しかし、現実には、
寝たきり、痴呆など、
一人では生けていけなくなる老後も多いはずである。
それを考えると、
一人で、病気を乗り越えて生き永らえる時の不安が、
(多分本当は少しなんでしょうが)
よくわかる。
でも、元気ならば一人がいいかもしれない。
家族は、煩わしいことが多い。
多くの犠牲を払わなければならない。
時間、苦痛、体力、精神力。
そして、見返りは、少々の幸せと、もしもの時のための安心感。
ということは、この「少々の幸せ」や「安心感」は
非常に比重が大きいのであろう。
そうとも思わないと、効率が悪すぎる。
そして、家族を持っているということは、
ひとりの気楽さより、
その「少々の幸せ」や「安心感」を選んだことなのだ。
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●模様替え:No. 541● 2002.09.24

夏の終わり頃だろうか、
研究室の模様替えをした。
いままで、机が、窓をむいて、
部屋の窓がわの一番いいところにあった。
ところが、この配置だと、
窓を開けると、ディスプレイがまぶしくて見えない。
しかたなしに、ブラインドを閉めたままであった。
しかし、せっかく4階の眺めのいいところに いるのだから、
ブラインドを開けたいと考え、
思い切って、机の配置を換えた。
右手に窓を眺められるようにする。
この部屋は、西向きで、天気のいい日は、
素晴らしく西日が差すので、
午前中しか明けられない。
しかし、大学で私のはいっている棟が、
一番眺めがいいのである。
ベストは望めないにしても、 、
ベターになっている。
毎日、素晴らしい景色を楽しんでいる。
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●家族とは:No. 540● 2002.09.24

考えてみると、家族関係で一番深い付き合いは、
夫婦である。
子供とは、普通、20年ほどしか同居しない。
でも、夫婦は別れ限り、一生同居することになる。
それに、どちらかが倒れれば、
一切の面倒を見てもらうことになる。
そうなると、夫婦とは、
一身同体のような関係になっているわけである。
もちろん、こんな関係を維持するためには
多大な労力を払わなければならない。
でも、その多大な労力を払えば、
もう一人の「全く違った自分」を手に入れることができるのである。
煩わしさと、便宜さを考えると、プラスマイナスの計算は、
人それぞれの考えや、家族のあり方によるだろう。
私は、夫婦の計算は、プラスマイナスゼロだろうか。
でも、子供のプラスマイナスの少々のプラスで、
トータルはかろうじてプラスだろう。
と考えないと、
家族を維持している意味がないからである。
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●自然を肌で感じられる町:No. 539● 2002.09.23

秋は一気に来始めた。
北海道は季節の移り変わりは激しい。
特に、
夏から冬への変わり目としての秋。
冬から夏への変わり目としての春。
めまぐるしく変化する。

いつものように早朝に、
車で大学にきたのだが、
図書館の前の公園の木々が、
もう落ち葉を大量に落としていた。
もう秋の気配ではなく、
秋が深まっていくのが日に日に感じる。

北海道にいると、
季節が移ろうということを、
肌を通じて感じる。
自然を肌で感じられる町はいい。
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●アインシュタインをトランクに乗せて:No. 538● 2002.09.21

マイケル・パタニティ著「アインシュタインをトランクに乗せて」
(ISBN4-7879-1885-9 C0097)
を読んだ。

実話だが、小説のような不思議な本であった。
1955年4月18日、アルバート・アインシュタインは、
アメリカ、プリンストン病院で息を引き取った。
遺体の解剖を担当したのは
プリンストン大学のトマス・ハーヴェイであった。
ハーヴェイは、アインシュタインの脳をホルマリン漬けにして、
40年近く自宅に保存していた。
世間の非難を受けたが、研究目的としていたが、
彼自身は研究しなかった。
脳を何人かの研究者に分配はした。
そして、40年後、彼は脳を遺族である
アインシュタインの孫娘エヴァリンに返すために
アメリカの東から西に移動することになった。
その道中をドライバーとして同行したのが著者である。
状況が面白すぎる。
でも、あとは書く側の力量の問題であろう。
私は、あまり好まない書き方であった。

アインシュタインの死ぬ少し前の言葉。
「この世界での仕事は終わった」

友人ミケーレ・ベッソを失ったときのアインシュタインの言葉。
「彼は私よりひと足早く、この奇妙な世界に別れを告げた。
だがそんなことは、全く無意味だ。
我々確信に満ちた物理学者にとって、
過去、現在、未来の境目など、
しつこい幻影くらいのものでしかない」

アインシュタインの言葉。
「宗教のない科学は不具であり、科学を伴わない宗教は盲目だ」

アインシュタインの雑誌編集者への手紙。
「私の平和主義は本能的な感覚です。
人殺しは忌まわしいことであるがゆえに、
平和を望む感覚が私をとらえて離さないのです。
私のこうした姿勢は、理論か導きだされたものではなく、
あらゆる残虐と憎しみに対する
私の深い反感を下敷きにしているのです」

アインシュタインの1953年、ベルギー皇太后への手紙。
「齢を重ねてはじめて感じるのは、
自分がいまいる時間や場所へのはっきりとし手ごたえが、
少しずつ失われていくことです」
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●長男、4歳8ヶ月:No. 537● 2002.09.21

昨日、長男が、次男とふざけていて、
次男が鼻血をだした。
長男は僕がやったのじゃないという。
その後、昼間電気屋でもらった長い風船で遊んでいると、
室内の電灯にぶつけて、電灯が大きく歪んだ。
謝ったので、「いいよ」といったのだが、
突然、長男は自分の頭を、自分の手で殴りだした。
「僕は頭が悪いから、
いつもいつも怒られることばかりするんだ」
といいながら、殴りつづけている。
なだめても、
「僕が、いつも悪いことばかり考えるは
この頭が悪いからなんだ」
といって、泣いている。
こちらがショックだった。

いつもと変わらない、
いたずら、ふざけぐわいだとおもっていたが、
長男は、よっぽどショックだったのだろう。
長男には、非常に心に重く、のしかかったようだ。
夜中に、突然、夢を見て泣きだした。
子供は、その時はそれですんでも、
自分の頭で処理しきれないことがあると、
夜中に、頭が満杯になるらしい。

長男、4歳8ヶ月。
子供から親も考えさせられる。
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●秋の日には未来を:No. 536● 2002.09.19

昨日は、秋に気付いたと書いたが、
よく見ると、いたるところ、秋の兆しがある。

今朝は快晴であった。
このすがすがしさは、夏の朝のものではなく、
秋のものである。
木々の紅葉は進んでいる。
研究室からみえる木々も黄色ものが目立つようになった。
落ち葉を落とし始めているものもある。

さて、秋になると、
来年以降の研究計画を 考える時期でもある。
今年1年の反省と、 来年以降どう研究を進めていくか
考えねばならない。
こんな秋の日に、こんな将来の計を、と思うのだが、
こんな秋の日だから、こんな将来の計を考えるのである。
雨や風のぞっとする日に、
未来を考えるべきではない。
明るく晴れた日に考えるべきであろう。
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●もう秋:No. 535● 2002.09.18

ふと、気付くと、秋が忍び寄っている。
ななかまどの実が赤く色づいている。
木々の葉が、すこし黄色いものが見えるようになってきた。
北海道の夏は急ぎ足で過ぎていた。
これれからは、短い秋と、長い冬が来る。
心して、迎えよう。
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●いい天気よ、こい:No. 534● 2002.09.17

数日、快晴が続いた。
そして、今日は雨。
快晴の合間の雨はいいが、
雨ばかりはつらい。
今年の夏は雨がちで、寒かった。
せめて秋くらいは、いい天気が続いて欲しい。

さて、仕事あるいは研究かわからないが、
新しい展開が、いくつか始まるかもしれない。
となると、また仕事が増える。
やりたいことがあるのに、
時間がない。
今までやっていたことに、
キリをつけなければならないのかもしれないれない。
キャパシティ以上仕事は、
整理しないと、次へのステップがはじめられない。
少し考えよう。

いい天気が来ればいいのだが。
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●日々是精進:No. 533● 2002.09.17

イギリスの時差ぼけと、 エディンバラの咳のひどい風邪で、
寝不足であったのが、 昨夜、やっとなおり、今朝は熟睡できた。
10時間ほど眠った。
まさに快眠であった。

そのため、今日は9時頃に大学にきた。
すると、今日から授業が始まるので、
学生の登校の行列にぶつかった。
こんな時間に来るのも初めてなら、
こんな学生の行列にぶつかるのもはじめてである。
でも悪い気はしなかった。
体調のいいのと、若い連中の活気だろうか、
なんとなく、気分がいい。

さて、今日から定常業務の忙しさがはじまる。
日々是精進。
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●脳の方程式 いち・たす・いち:No. 532● 2002.09.16

中田力著「脳の方程式 いち・たす・いち」
(ISBN4-314-00900-4 C0040)
を読んだ。
非常に面白かった。
永久保存である。

「熱力学第二法則とは、
「放って置くと、
物事はすべて確率の高い状態に向かって進んでゆく」
という万物の基本原則
(中略)
これはまた、われわれの存在する宇宙が、
ある操作を何度も何度も繰り返しながら
存在する系であることを意味している」

「太陽のみが地球に富をもたらすエネルギーを
与えてくれる存在であり、
人間はその富を奪い合っているにすぎない」

「昼。太陽からの光が地球に到達する・
これは、エントロピーの低いエネルギーの獲得である。
夜。地球から、熱が宇宙に 逃げていく。
これは、エントロピーの高いエネルギーの放出である」

「地球に昼と夜が存在するからこそ、
人類は誕生したのである」

「シャノンは「ある系の持つ不秩序の程度をもって
その系の持つ情報量」と定めたのである。
これが、シャノンのエントロピーである。
情報革命が静かにその幕を開けた瞬間であった」

「何もしなければ時間とともに情報量が減少し、
内容が不確定なものへおt変化するのである」

「これは「目に見えるものがすぐに実体とは限らない」
という、21世紀の科学に共通した概念を示す良い例である。
そこには、脳がどう働くかも内在されている」

「科学界は数学界と法曹界との中間に位置する。
より基本数学に近い分野では、
数学同様に公理から順番に証明された事実を扱うこととなる 。
物理学などはそのよい例であある。
より法律に近い分野では法律に似通った手段を取る。
つまり、「憲法の制定」である。
医学はどちらかといえばこちらに近い」

「ヒトという種が他の哺乳類とは違った存在であるためには、
前頭前野の機能をを発揮しなければならないことである」

「フィネアル・ゲイジはこの「人間としての条件」が
どのようなものであると教えてくれたのだろうか?
「理性を持ち、感情を抑え、他人を敬い、
優しさを持った、責任感のある、
決断力に富んだ、思考能力を持つ哺乳類」である」

「人間は特別な教育を受けなくとも
自然と音声言語を獲得する。
サルは調音器官をもつがこの「言語獲得機能」を持たず、
歌を歌う鳥は調音器官も獲得能力も備えているが、
思考機能の発達が未熟なために高度な言語機能を持たない」

「一般的にいって、「母なる自然に逆らった人間の行為」は
悪い結果を招くことが多い」

「人間の叡智の集約は「人がどのように生きるべきか」
かに答えを出すべきための過程であり、
その最終目標は「人間の方程式」の完成ということができる」

「人類は量子哲学の感性をもって
その英知の集大成となすのである」

「「実存の科学をバックグランドに持たない哲学」と
「目標を与える哲学が欠如した物理学」とが
派生してくる結果をなった。
哲学が理論の学問である以上、
実存の資本理論たる物理学から離れることは許されない。
掃除に人間の叡智の最終目標が「人間の方程式」である以上、
哲学を忘れた物理学に意味をもたすことはできない」

「法律に憲法が存在するように、
科学にも憲法が存在する。
それは、母なる自然の基本法則である。
実在の物理学も脳の方程式も、
母なる自然の基本法則に違反する形では存在できない」

「「操作の反復性」は複雑系が複雑系であるための
重要な要素である」

「自然界に現れる形態のほとんどは自己形成により生まれてくる」

「ユニバーサリティとは「普遍性」と言う意味である。
「臨界点を示す系はすべてひとつの基礎理論で記述可能である」
というこの理論の基本概念を示すものとして名づけられた。
その最も重要な応用は「系の示す行動は、
系の微細単位 が示す行動の繰り返しである」
との記載である」

「脳理論は「すべての学問に精通した人たちだけに理解されること」
だけでは受け入れられない。
「すべての人に理解されること」を要求されている。
これが、進みすぎてしまった科学と人類の英知のが
最後に到達した学際性の条件でもある。
ある意味で、民主主義の結果でもある 」
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●海馬:No. 531● 2002.09.16

池谷祐二・糸井重里著「海馬」
(ISBN4-255-00154-5 C0095)
を読んだ。

これは、非常に勇気付けられる本であった。
それは、脳は一杯使っても大丈夫、
30歳過ぎても脳は成長するなどのと書かれているからである。

各章のまとめから
・新鮮な始点で世界をみることを意識すること
・脳の本質は、ものとものとをむすびつけること
・すっとパーをはずすと成長できる
・30歳過ぎてから頭はよくなる
・脳は疲れない
・脳は刺激がないことに耐えられない
・脳は見たいものしか見えない
・脳の成長は非常に早い
・海馬は増やせる
・旅は海馬を鍛える
・脳に逆らうことがクリエイティブ
・やり始めないと、やる気が出ない
・寝ることで記憶が整理される
・生命の危機が脳をはたらかせる
・センスは学べる
・予想以上に脳は伸びていく

「脳の能力とは、煎じ詰めれば情報の保存と情報の処理なんだ」

「脳が経験メモリーどうしの似た点を探すと、
「つながりの発見」が起こって、
急に爆発的に頭の働きがよくなっていく」

「脳の記憶の仕方にとって、
とっても大切な特色は「可塑性」のんです」

「海馬にとっていちばんの刺激になるのが、
まさに「空間の情報」のです」

「認識を豊富にしてネットワークを密にしていく」ということが
クリエイティブな仕事というものに近づいてくヒント」

「人生においてやりかけのことだけが募ってくると、
当然、誇りは生まれないだろうと思います。
誇りを生むには、
ちょっとでも完成したものを残しておく」
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●はじめまして数学 3:No. 530● 2002.09.16

吉田武著「はじめまして数学 3」
(ISBN4-344-00222-9 C0041)
を読んだ。

大分こなれてきた感じがする。
しかし、そのせいか、インパクトがだんだん少なくなってきた。
このような本は、何冊にも分けず
厚くても一冊にすべきなのだろう。
営利目的とは相反するかもしれないが、
学習するためには、
そのような決断も必要だろう。
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●大学で何を学ぶか:No. 529● 2002.09.16

加藤諦三著「大学で何を学ぶか」
(ISBN4-334-70132-9 C0137)
を読んだ。

昔読んだ本だ。
今は、この内容を、学生に教える立場だ。
さすがにいい言葉が、ちりばめられている。

「「泳げるようになるまでは水に入らない」という者は、
永久に泳げるようになれない」
まずは、やること。

「大学の時代は、与えられる時代ではなく、
獲得の時代だということを忘れてはいけない」

ケネディの言葉を引いている。
「アメリカの同胞諸君。
諸君の国が諸君のために何をなしうるかを問いたもうな。
諸君らが 国のために何をなしうるかを問いたまえ」
つまりは、大学で自分が何をするかを考えるべきである。

毛沢東の言葉。
「何かを成そうとする人間は、
金が無く、若くて、 かつ無名で無ければならない」
そして加藤氏はいう。
「もともと人生とは何もない。
人生を使って何をするか、
それによって、人生が大きくもなり、 小さくもなる。
もともと人生に意味があるわけでもなく、
無意味なわけでもない。
どう生かによって人生は無意味にもなるし、意味も持つ」

「すべての人は、自分の人生をただの一度も
あやまちをおかさないで生きて死ねるものではない」
「人間にできることはどこで立ち直るか、
それともさらに進路を歪めるかの選択だろう」
「人間の価値が問われるのそこなのだ。
創造性とか発想力とかを問題にする前に、
自分の心の中の反省を明日の生活に生かせるかどうか、
それができる人間こそ、価値あると思う」

「もし自分に価値があると思っているとしたら、
その、のぼせ上がった気持ちを素直に改め、
また、自分に価値がないと思っているならば、
その劣等感を捨てないかぎり、
そこか、ぎくしゃくした人生になるだろう」

「人間の価値観がかたよるということの恐ろしさを知ってほしい。
だからこそ、大学で、立ち止まって、
いままでとはちがった動機にもとづいて
行動してみることをすすめすのである 。
ほんとうの自分を見つけるために。」

「大学で学ぶうちにつかみとるものの一つとして、
僕は人生の正しい姿勢をあげておきたい。
自分は何をめざして生き、
どう生きていけば真の生き甲斐が得られるのか。
それを四年間問いつづけて行動しつづけてほしい」

ニーチェの言葉。
「ほとんどいかなる苦しみにも、
それに意味があれば耐えられる」
「よし!人生が無意味なら私はそれに一つの意味を与えよう。
自分の手で、生き甲斐ある人生を創ろう。
もう一度! と喜び迎えるような人生をつくろう」
加藤氏はいう
「自由とは自分にとって価値のあることに
自分をささげることができるということではないだろうか。
禁欲を学ぶこと、
それも自由への道であころことを知ってほしいのである」

「自ら最終的なものとして選択した結果にあやまりがあったら、
選択をしなおせばいいのである。
そのときははっきりと自分の失敗を認めて
選択し直す、ということである」

「見栄にふるまわされず、
かえってそれをふり捨てている人間は、
他人に対して点をかせきどうなどはほとんど思わず、
ただ自分の良心に対してだけ点をかせごうと思うものだ」

「必然性は教わることであるが、
可能性は学ぶことである」
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●私の今年の夏休み(結果):No. 528● 2002.09.16

私の夏休みのは以下のような結果だった。
・地学教育学会:終了
・査読論文1件:済
・長期教育論文:第1校完成。投稿はまだ
・イギリス海外調査(8月31日〜9月10日):終了
・EPACSシンポジュウム:済。終了
・地質哲学の論文:手付かず
忙しさだけが残り、
成果は少なかった。
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