思いつくまま

2002年8月31日〜9月10日
Scotland and London, Englnad
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目次 
●目的:No. 1 (485) ● 2002.08.31
●ハットン:No. 2 (486) ● 2002.08.31
●ロゼッタ・ストーンとは:No. 3 (487) ● 2002.08.31
●やっとイギリスへ:No. 4 (488) ● 2002.08.31
●イギリスの印象:No. 5 (489) ● 2002.09.01
●天気:No. 6 (490) ● 2002.09.01
●長い一日:No. 7 (491) ● 2002.09.01
●ギネスで乾杯:No. 8 (492) ● 2002.09.01
●古いホテル:No. 9 (493) ● 2002.09.01
●エディンバラの朝:No. 10 (494) ● 2002.09.02
●田舎がいい:No. 11 (495) ● 2002.09.02
●ビール:No. 12 (496) ● 2002.09.02
●けだるさと充実感:No. 13 (497) ● 2002.09.04
●別荘:No. 14 (498) ● 2002.09.04
●十分な人生:No. 15 (499) ● 2002.09.04
●スケッチ:No. 16 (500) ● 2002.09.05
●イギリスの気候:No. 17 (501) ● 2002.09.06
●優劣:No. 18 (502) ● 2002.09.06
●時の流れ:No. 19 (503) ● 2002.09.06
●奇遇:No. 20 (504) ● 2002.09.06
●たった20箇所:No. 21 (505) ● 2002.09.06
●充実したもの:No. 22 (506) ● 2002.09.06
●残された時間:No. 23 (507) ● 2002.09.06
●ロゼッタストーン解読:No. 24 (508) ● 2002.09.07
●いよいよ対面:No. 25 (509) ● 2002.09.07
●この世でいちばん人に見られた石:No. 26 (510) ● 2002.09.07
●大英博物館とは:No. 27 (511) ● 2002.09.07
●ヒエログリフ:No. 28 (512) ● 2002.09.07
●イギリスの情報:No. 29 (513) ● 2002.09.07
●大英博物館は巨大:No. 30 (514) ● 2002.09.07
●大英博物館の見方:No. 31 (515) ● 2002.09.08
●人の集積:No. 32 (516) ● 2002.09.08
●ロゼッタストーンの岩石鑑定:No. 33 (517) ● 2002.09.08
●思いを馳せる:No. 34 (518) ● 2002.09.08
●Reading Roomの意味:No. 35 (519) ● 2002.09.08
●最高の時間の記念に:No. 36 (520) ● 2002.09.08
●イギリス最後の夜に:No. 37 (521) ● 2002.09.08
●ロンドンの魅力:No. 38 (522) ● 2002.09.09
●知への旅:No. 39 (523) ● 2002.09.09
●自分自身へのたび:No. 40 (524) ● 2002.09.09
●忙しさは充実へ:No. 41 (525) ● 2002.09.09
●イギリス土産:No. 42 (526) ● 2002.09.09
●イギリス再訪は慎重に:No. 43 (527) ● 2002.09.10


●目的:No. 1 (485) ● 2002.08.31
これから、イギリスに向けて出発する。
明日朝早いので、今日は成田に泊まって、
明日出発する。
イギリスでの目標は、2つ。
ジェームス・ハットンの記述した不整合の露頭を見ること
大英博物館でロゼッタストーンを見ること
である。
そのほかにもいくつかしたいことがあるが、
上の二つが一番の目標である。
現場や現物を感じること、これが当面の私の地質哲学の目標である。
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●ハットン:No. 2 (486) ● 2002.08.31
ジェームス・ハットン(1726〜1797)は、18世紀のイギリスの地質学者である。
近代地質学の基礎を築いた。
スコットランドのエディンバラで生まれである。
彼が調べた地層で、不整合をみつけた現場を
今回見に行く。
最初の地質学的な考察がなされた地域。
そして、写真で何度もみいているけれど、
それを、現場で見てみたい。
現場主義である。
「ノウム・オルガヌム」(1620年)を著し、
科学に、精密な観察と実験をもちこんみ、実証主義を提唱した
ベーコンの国イギリスで、
実証主義的に地質学が構築したのは、
ハットンであった。
ハットンは、花崗岩の貫入や地層の不整合という現象を、
自分で、実証的に観察し、18世紀末に理論化したのである。

ハットンは、多くの事実と仮説を構築するに当たって、
論理的で、唯物論的な考え方をでおこなった。
ハットンは、ルネッサンス以後、
化石や鉱物、地層や岩石に関する断片的知識の蓄積を、
はじめて、科学的に地質学としてまとめた。
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●ロゼッタ・ストーンとは:No. 3 (487) ● 2002.08.31
ロゼッタ・ストーン(Rosetta Stone)。
これも今回の旅の重要な目的である。
ロンドンの大英博物館に、現在、保管されている。

ロゼッタ・ストーンは、高さが約114cm、厚さは28〜30cmほどの
黒っぽい玄武岩でできた板である。
碑文は、
エジプトのヒエログリフ(象形文字で神聖文字ともいう)
デモティック(民衆文字)、
ギリシア文字
の3種類で書かれている。
ヒエログリフの解読により、現代のエジプト学の基礎がきずかれたという

1799年、エジプト、ロゼッタ近郊で、フランス軍により発見された。
碑文の内容は、
エジプト王プトレマイオス5世をたたえる布告で、
紀元前196年に書かれたものである。
ヒエログリフの解読に、
イギリスのヤングとフランスのシャンポリオンが争った。
それに関する本を、現在、読んでいる。
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●やっとイギリスへ:No. 4 (488) ● 2002.08.31
さて、いよいよイギリスである。
一度は行きたいと思っていて、いってなかった国である。
中学校時代のシャーロックホームズから始まり、
ファイロファックスの手帳への憧れ、
クリスマスレクチャーへの感動、
ストーンヘッジ、ケルト人、
サッカーの宗主国、
ダーウィン、ニュートン、ホーキングを生んだ国、
藤原正彦「遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス」、
メールマガジンの読者の坂野さんまで、
さまざまな知的刺激をイギリスという国から受けてきた。
そして、今回は、地質の古典的露頭と大英博物館という、
自然と知の集積という両面を数日だが、見ることができる。
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●イギリスの印象:No. 5(489) ● 2002.09.01
イギリスに向かう。
今回は、博物館の平田氏と一緒である。
イギリスに降り立つ前の印象。
悠久の国、イギリス。
伝統と固執の国、イギリス。
などなど、であるが、実際に着くとどうなるか、
その感想が楽しみである。
現地で実感すること、それが、一番の印象であろう。
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●天気:No. 6(490) ● 2002.09.01
台風が韓国を通過したのに、
関東は快晴である。
今日も、暑い日である。
北海道は、曇りで、涼しそうである。
さて、イギリスは、霧だろうか。
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●長い一日:No.7 (491) ● 2002.09.01
海外に出かけるときは、
いつも長い一日を過ごす。
飛行時間の長さと、
時差による同日に着くというような不思議さである。
そして、着けば着いたで、時差ぼけである。
それでも出かけるのは、
それなりの楽しさ、知的好奇心が起こるからであろう。
さして、予期せぬこともいろいろ起こるのである。
そのときは嫌で不快な思いでも、
それも旅行での貴重な経験である。
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●ギネスで乾杯:No.8 (492) ● 2002.09.01
パブに入ってギネス ビールを、1パイン、頼む。
2£(ポンド)。
1£約200円
もちろんパブのテレビは、サッカーを流している。
思ったより、静かで、おとなしい感じがする。
古い町並み。
石造りの家々。
緑の公園。
古いものが尊ばれる国。
これが、イギリスだ。スコットランドだ。
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●古いホテル:No. 9 (495) ● 2002.09.01
ホテルは、古いが、中はきれいである。
4つ星のホテル。
部屋はきれいだが、シャワー、トイレは共同。
ただし、2回は、私たちだけ。
部屋は狭いが、天井が高い。
天井が高いと広々とした感じがする。
明日、写真を撮っておこう。
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●エディンバラの朝:No. 10 (496) ● 2002.09.02
朝は爽やかである。
きりりとした涼しさ、
朝日が、教会の塔に、まず当り、
そして家並みの屋根に当たりだす。
何百年も続いた光景であろう。
窓の下には、2階建てバスと
新車なのだが古風なタクシーが走り抜ける。
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●田舎がいい:No. 11 (497) ● 2002.09.02
スコットランドもエディンバラを外れれば、
そこは、田舎の農村地帯。
のどかな田園風景である。
どことなく、ほっとする形式である。
畑、緑、農家、私には、田舎がいい。
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●ビール:No. 12 (498) ● 2002.09.02
ビールを今日は2パイン飲んだ。
Pubで地元の人と話していると、
のどかな感じがする。
地元のビールを聞くと、
Bestという銘柄がDunberで作っているという。
Tennesitsというスコットランドのビールがあったが、
これはグラスゴーで作っているそうだ。
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●けだるさと充実感:No. 13 (497) ● 2002.09.04
筋肉痛がする。
一昨日のシッカ−・ポイントへの上り下り、
昨日のトレイルを歩いたためだろう。
しかし、けだるさの中に、充実感がある。
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●別荘:No. 14 (498) ● 2002.09.04
スコットランドの田舎は、なかなかいい。
どんな田舎にも、古い伝統があり、
それなりの情緒をもっている。
イギリス人も休日の別荘を望むらしく、
風光明媚なところには、
トレーラーハウスの別荘群があった。
日本人的な発想であって、驚いた。
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●十分な人生:No. 15 (499) ● 2002.09.04
どこの田舎も質素である。
一部の都会の金持ちたちが、
贅沢をしているのである。
金による快楽は、際限なく上昇する。
質素に、豊かに生きる方法を考えるべきである。
自分の心を満たすことは、
お金をかけなくても、できる。
逆に金では買えないもの、
たとえば集中、運動、汗、手間、労働、苦痛、疲労などを求める。
それらが、人生や生きることにおいて、貴重なものかもしれない。
ガーデニング、ハイキング、趣味としての農業、ジョギングなど
お金も、道具も、場所も問わず、
いつでも、どこでも、だれでも、いくらでも、できることである。
しかし、一回かぎりの行いでは、完結はしない。
何度も繰り返すこと、
それが、自分の心を満たすこと、
そして満足することにつながる。
心を満たすもの、それがあれば、それで十分な人生でないか。
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●スケッチ:No. 16 (500) ● 2002.09.05
昨日は、ジェームス・ハットンの
不整合の露頭スケッチの場所をみた。
どちらも、現実とはかなり違っていた。
写実的なスケッチとは、どんなものだろう。
写真のなかった時代、なにを写実としたのだろう。
必要なところだけを切り取り、
不要なものは、記さない。
このようなことは、現在でも当たり前におこなっている。
でも、それを「事実」や「生データ」として提示している。
「実物」や「現実」などの「なま」のものを、
「切り取る」こと、そして「記録」することは、
その行為をする時点で、すでに加工をしているのである。
写真ですら、構図、露出、シャッター速度などを決め、
そして、2次元の画像として、切り取っている。
だから、ハットンのスケッチを、間違っているなどと批判してはいけないのであろう。
彼が、何を記録し、何を観察し、何を伝えたかったか、
そして、それが伝わったかが、大切ではないだろうか。
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●イギリスの気候:No. 17 (501) ● 2002.09.06
寒い。
昨日から、今日にかけて、
曇って雨が降っているでうで、寒い。
北海道以上の寒さである。
イギリスは、夏は涼しいようである。
イギリスの冬は、北海道ほど寒くもなく、
雪も少ないそうである。
快適ではないか。
知的生産性の高さも、
このような快適性にも一因があるのではないか。
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●優劣:No. 18 (502) ● 2002.09.06
何世紀も前の人が、
今以上の精神性や努力、洞察をもって、
自然や真理と対峙してきたこと、
それは、非常に貴重で尊ぶべきことである。
さらに、時代さかのぼるほど、
人間が劣っているように思っているけれど、
実は、間違いである。
私以上の人間は、過去にいたるところにいた。
それは、ずーと昔、電気も、文字も、道具も、言葉もない時代から
そうであったかもしれない。
とすると、人類と他の生物種でも同じことが言えるはずである。
ということは、生命という範疇ではなく、
この世のありとあらゆるものに、
優劣はつけられないのか間も知れない。
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●時の流れ:No. 19 (503) ● 2002.09.06
北緯56度のエディンバラ。
北緯43度の江別。
北海道の方がずっと南にあるのに、
冬が寒いのは、大陸や海流の影響である。
でも、どこに住んでも、その地のよさや悪さはある。
旅人は、その瞬間的感想で、その町を評価するが、
何年、何十年、そこで暮らし、
子々孫々何百年そこで根をはること、
それを考えると、少々の悪さ、よさ、
そんなものは、時間の流れ中で、
消えていきそうな気がする。
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●奇遇:No. 20 (504) ● 2002.09.06
朝、Aurther's Seatの地質を見ていた。
すると、先のほうで、石を見ている人がいる。
近づくと、どうも女性のようだった。
もっと近づくと、日本人のようにも見える。
向こうの人もこちらに気づいて、近づいてくる。
なんと、知り合いであった。
先日、葬式で会ったばかりの金沢大学の田崎和江さんであった。
あって話す。
なんと次には、科学博物館の松原聡さんにあった。
エディンバラでおこなわれれていた、国際鉱物学会に出席していたのである。
まさかの奇遇だが、
会うかもしれないとは思っていた。
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●たった20箇所:No. 21 (505) ● 2002.09.06
あとどれくらい自分の学問的興味で
海外旅行ができるか考えた。
年1回は可能かもしれない。
とすると、定年まで、22年。
約20箇所を見ることが可能である。
たった20箇所である。
私がやりたい地質学の見学場所は、
あと20箇所しか残されていないのである。
何を見るべきか。
どのようなストーリーをその20箇所でつくるか。
よく考えるべきである。
残された時間は、無限ではなく有限で、
それは、思ったより少ないものである。
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●充実したもの:No. 22 (506) ● 2002.09.06
たとえばシッカー・ポイントで、
今回かけられる時間のすべてをつぎ込めば、
1週間は滞在できたはずである。
その1週間を、毎日、8時間、シッカー・ポイントに通うとすると、
56時間、シッカー・ポイントに接することができたはずである。
たぶん、スコットランドのどんな地質屋さんより、
シッカー・ポイントにいた人間になれるはずである。
そのような現場の見方をすると、
考えることも、違ってくるはずである。
そして、そこから生まれたアイデアは、
スコットランドの人より、充実して、ユニークなものができるかもしれない。
そこに、独創的な情報発信をできるかもしれない。
そのような現場の見方をすべきではないか。
そうすれば、私が一生でつくる地質のシナリオが、
より充実したものになるのではないだろうか。
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●残された時間:No. 23 (507) ● 2002.09.06
残された人生の時間は、誰にあっても有限である。
残された時間は、どれだけあるかは不明である。
でも、30歳代のときは感じなかった時間の有限さが、
40際代になるひしひしと感じる。
尽きるはずの時間と、自分が何がしたいかの競争である。
明日かもしれない終わりを、
70歳に設定して、人生設計しても意味あることなのだろうか。
あるとすると、残された時間を目標に向かって、
最優先で使う計画を立てるということである。
その計画が完成するかどうかもわからない。
でも、自分が計画に基づいて生きていく、
目標の邁進するという点においては、
大いに有効であろう。
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●ロゼッタストーン解読:No. 24 (508) ● 2002.09.07
レスリー・アドキンズ、ロイ・アドキンズ著「ロゼッタストーン解読」
(ISBN4-10-541601-4 C0020)
を読む。
今回イギリスで見るつもりのロゼッタストーンに書かれた文字の
解読にまつわる話である。
フランス人のジャン=フランソワ・シャンポリオンが解き明かしたのであるが、
そのライバルたちからの誹謗、中傷、妨害にあいながらも、
病気と貧困に打ち勝って、
1822年、31歳のとき、ヒエログリフの解読に成功した。
彼の熱意、彼の努力、そして弱音、人間としてのシャンポリオンがわかった。
そして、彼のエジプト学に対する情熱も伝わった。

ロゼッタストーン発見の経緯は、以下のようであった。
1979年7月19日、エジプトに遠征していたナポレオンは、
上エジプトの古代遺跡の科学的研究と正確な記録のために、2つの委員会をつくった。
その日、ロゼッタの北西数kmで、荒れ果てたラシッド要塞を
フランス軍が補強をしているとき、
「崩れかけた壁を取こわしているとき、
ドプールという名の兵士が、片面に碑文のある暗緑色の石版を発見した。
作業を監督していたピエール・フランソワ・ザビエル・ブシャール中尉は、
これは何か重要なものにちがいないと考え、
上官のミッシェル=アンジュ・ランクルに報告した。
ランクルが調べたところ、
三つの異なった文字で記された三つの碑文があることがわかった。
その一つがギリシア語であることは彼にもわかった。
もうひとつはヒエログリフで、残りは未知の文字だった。
ギリシア語の碑文を訳すと、
紀元前二〇四から一八〇年までエジプトを支配した
プトレマイオス五世エピファネスをたたえる、
紀元前一九六年三月二十七日という日付のある、
神官の布告であることがわかった。
三つの碑文は同一の内容を三つの異なる文字で記したものであって、
ヒエログリフ解読の鍵になるものと思われた。」
ロゼッタストーンは、高さ1.2m、重さ750kg。
23年の歳月をかけて、解読の競争がおこなわれた。

ロゼッタストーンが大英博物館にあるのは、次のような経緯からである。
ナポレオンが急遽フランスに戻り、全権を委任されたクレベール将軍は、
「イギリス軍とエジプトからのフランス軍の撤兵について交渉し、
合意が成立し、協定が調印された。」
18ヶ月におよぶ交渉で、
「学者たちはすべての記録と大部分の収集品を持ち帰ってよいことになったが、
しかし、イギリス側は貴重なロゼッタストーンをはじめ
重要なものを没収した。」
「ロゼッタストーンは最終的に、
一八〇二年末、大英博物館に保管された」

「質素な家や宮殿は生きているあいだしか使わないが、
墓は『永遠の家』だった。」

「古代エジプト人の書記が
自分たちの言葉は永遠に消えないと確信していたように、
シャンポリオンは古代エジプト人の格言、
「未来に向けて語るべし、
それは必ず聞かれん」
を信じていたのである。」
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●いよいよ対面:No. 25 (509) ● 2002.09.07
いよいよロゼッタストーンと対面である。
なんとなく、胸がときめく。
ほんの数百メートル先にそれは、存在するのに、
目にできるのは、まだ先である。
大英博物館の開館は10時だそうである。
さて、ロゼッタストーンという実物は、
何を語りかけてくれるのだろうか。
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●この世でいちばん人に見られた石:No. 26 (510) ● 2002.09.07
ロゼッタストーンを見た。
触りたかったが、ガラスのケースの中に収められていた。
写真も撮れなかった。
多くの人が次々と見に来て、
落ち着いて見れない。
でも、これは、多分200年間続いていることなのだろう。
なにせ、ロゼッタストーンは、1802年に、
ここ大英博物館で一般公開されて以来、
今日までずっと多くの人の目に触れてきたのである。
もしかすると、ロゼッタストーンは、
この世でいちばん多くの人に見られている石かもしれない。
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●大英博物館とは:No. 27 (511) ● 2002.09.07
大英博物館。
そこは、
人類の知的財産の集積所。
大英帝国が犯してきた略奪の戦利品。
人を圧倒する物量。
人に自分の存在を忘れさせる場所。
その膨大さに、くたくたになるところ。
大英博物館は、そんなところである。
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●ヒエログリフ:No. 28 (512) ● 2002.09.07
ヒエログリフは、絵文字のようなものである。
ヒエログリフは、ものの形を簡略化した線画で描いたようなものである。
その絵が何を表しているのかは、わからないものもある。
ヒエログリフは、表音文字でもあり、表意文字でもある。
絵が、表音文字とは面白い。
まるで、漢字が表意文字で、
漢字から表音文字の平かな、カタカナが生まれたようなものだ。
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●イギリスの情報:No. 29 (513) ● 2002.09.07
そういえば、イギリスについてよく知らなかった。
正式国名は、グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国。
イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドからなる。
それぞれ実質的な自治権をもっている。
総面積は24万4110km2(ちなみに日本は37万7873km2)。
人口は5964万7790人(ちなみに日本は31億2692万人)。
イギリスの人口密度は244人/km2(ちなみに日本は336人/km2)。
ロンドンが707万4265人(ちなみに東京都は1174万3189人)
宗教は英国国教会(人口の47%)、カトリック教徒(16%)、
長老派教会などのプロテスタントは、スコットランドを中心とする。

スコットランド。
総面積は、7万8790km2。
人口は511万9200人。
主都はエディンバラ(人口44万7600人)。
エディンバラは、イギリス屈指の工業・港湾都市である。
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●大英博物館は巨大:No. 30 (514) ● 2002.09.07
大英博物館は、巨大である。
なぜこれほど大きなものをつくったのだろうか。
建物も巨大である。
物量も巨大である。
人間がものを集めるという行為は、
これほどまでになるのか。
まだ、半分も見ていないのに、
圧倒される。
これほどの建物でも足りずに、
自然史を分離独立し、
図書館も分離独立させている。
大英博物館の「大」の文字は伊達ではなかった。
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●大英博物館の見方:No. 31 (515) ● 2002.09.08
ロンドンは、ほとんど見ていない。
ホテルの周辺へ夕食にいくだけ。
昨日も一日、大英博物館の中にいた。
今日も、そのつもり。
古本屋や土産物屋が博物館の前にあるので、
覗きにいくかもしれない。
展示物を見るだけが、大英博物館の見方ではない。
そこに流れる長い時間に浸ること、
それも、大英博物館の見方だろう。
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●人の集積:No. 32 (516) ● 2002.09.08
大英帝国が集めたもの、
それは、人かも知れない。
それを為した人。芸術家や職人。
それを為さしめた人。皇帝、王、貴族、支配者、神官、宗教家。
それに協力した人。市民、庶民、奴隷、下層に人々。
それを観る後世の人々。
解読する人、解析する人。
感動する人、味わう人、圧倒される人、たたずむ人。
観光する人。
学ぶ人。
老若男女。
過去の人、現在の人、未来の人。
そんな人と人の集積。
そんな人の知恵と知恵の衝突の集積がここにはある。
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●ロゼッタストーンの岩石鑑定:No. 33 (517) ● 2002.09.08
10時の博物館の開門まで10分ほど待つ。
Rosetta Stoneに駆けつけ、
いちばんで見学をする。
そして数枚写真を撮ると、
もう人だかりで、写真はゆっくりととれない。
ロゼッタストーンの岩石の観察を再度する。
ドレライトとそこに貫入する赤色の花崗岩と鑑定。
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●思いを馳せる:No. 34 (518) ● 2002.09.08
長い過去、見えない未来。
そんな狭間に現在がある。
私たちが味わえる時間とは、
なんと短く刹那的なのか。
少なく45億年の歳月は、地球は経てきた。
なのに私に与えられた時間は、
長くても100年。
そして私に残された時間は、せいぜい30年。
短ければ明日が終わりのときかもしれない。
そんな自分の時間をもっと増やす方法。
それは、思いを馳せることかもしれない。
思いを馳せることによって、
どんな過去にも、どんな未来に
行くことができる。
頭の中で、再現できる。
たとえそれは、仮想であっても、
そんな力を最大限に使って生きていこう。
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●Reading Roomの意味:No. 35 (519) ● 2002.09.08
大英博物館には、
長い人類の歴史が詰め込まれている。
それは、展示物だけではない。
ここReading Roomにも、人類の歴史が蓄積されている。
それは、Reading Roomのテーブル、書見台、椅子にも、
その蓄積が積み重ねられている。
このテーブルで何が書かれ、
この書見台にどんな本が置かれ、
この椅子にだれが座ったのか。
どれほどの知的資産が読まれ、
どれほどの知的資産が生まれ、
どれほどの知的資産が新たに付け加えられたのか。
150年にわたって
このReading Roomは公開されているのである。
このReading Roomこそ、
イギリスあるいは人類の知的活動の創造性を象徴しているのではないか。
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●最高の時間の記念に:No. 36 (520) ● 2002.09.08
そういえば、図書館で落ち着いて、
デスクワークをするなんて久しぶりだ。
空いた時間を、そこで使うことはあった。
でも、図書館で、調べものをして、
長い時間費やすということは、ついどなかったような気がする。
ということは、ここで費やした時間は、
日本でもなかなかできない、
貴重な時間の費やし方であったということである。
こんな機会が、どれだけ持てるかわからない。
しかし、ここ以上の体験ができるだろうか。
あれば、幸せなのだろうが。
今回はこれで終わりである。
名残惜しいが、
大英博物館のReading Rommを去る。
時間は、2002年9月8日日曜日午後5時18分(GMT)である。
イギリスで最高の時間を使った記念に・・・
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●イギリス最後の夜に:No. 37 (521) ● 2002.09.08
最後の夜である。
いつもと同じ時間が過ぎる。
イギリスでの10日間は、充実していた。
それは、日常からの開放ではなく、
強い知的刺激を受けた。
今後の私の糧にあるようなものであった。
地質学においても、
今まで、
よりより事実、
より最適な現象、
よりよい露頭、
より典型的な岩石、
など、よりよいものを求める旅であった。
しかし今回は、
人類の知的原点、
地質学の原点、
それを求めるたびであった。
それがイギリスであったから
このような充実した時間を過ごせたのか、
それともそれを求める旅というテーマが、
充実感を生んだのか。
わからない。
でも、今回の旅は、今後の旅の仕方を考え直すいい機会を作ってくれた。
そして、知というものにどう取り組むか、考えさせられた旅であった。
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●ロンドンの魅力:No. 38 (522) ● 2002.09.09
いよいよイギリスも最後である。
空は曇り、肌寒い天気である。
ロンドンらしい天気なのだろうか。
めまぐるしく変わる天気、それがロンドンという印象である。
でも、気候より、町のたたずまい。
そしてそこで行われた人々の知的営み。
それに、魅力を感じた。
とはいっても、ロンドンの町のホンの断片しか味わっていないのだが。
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●知への旅:No. 39 (523) ● 2002.09.09
海外に出かけることは、残された人生において、
そう回数があるわけではない。
まして、自分がアウトプットすることに役立つためにということになったら、
あと20年ほどしかない。
年に1度いけたとしても、20回のチャンスしかないのである。
それをどう活かすかは、大きな問題である。
あと20回の旅行である。
そこで、どう見聞を広げるか。
質を問う必要がある。
まず、考えるべき条件がいくつかあるだろう。
しかし、基本は、知への旅である。
それは、私のための知でもあり、私以外の人がなした知でもある。
そんな知への旅。
地質学の原点になったような現象の現場。
たとえば、ハットンの不整合、火山の現場、世界最古の岩石、K-T境界、V-C境界など。
世界でその地でしか見れないもの。
たとえば、恐竜の化石発掘現場、自然の景観、固有の生態など。
人類の知的営み
たとえば、個人とのコミュニケーション、国民性、民族、人類の知的遺産など。
そのような行かなければ見れないものを見るべきである。
それは、なにも海外だけではない。
日本でも見るべきものもいっぱいあるはず。
あるいは、2度、3度訪れて見るべきものもあるはず。
そんな、大事な地を探そう。
もしかしたら、残された時間や残されたチャンスを考えるころも、
知への旅かもしれない。
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●自分自身へのたび:No. 40 (524) ● 2002.09.09
知への旅で考えるべきこと。
それは、他人の知を真似することではないことである。
真似であれば、現地まで行く必要ない。
手近に得られる情報で十分であろう。
現場で、直接「感じる」こと。
それが、何を意味するかはまだよくわからない。
でも、真似とするという、了見の狭い考えではなく、
彼のようにその高みに上りたいという気持ちが沸くこと。
彼も努力してそこにたどり着いたのだから、
私も努力したいという気持ちが沸くこと。
こんな素晴らしいものがあったという感動。
こんな不思議なものがあるという好奇心。
そんなものに包まれる幸せを感じるべきであろう。
それらは、きっと今回のイギリスの旅で得られたものと、
同じような活力、モチベーション、エネルギーを私に与えてくれるであろう。
もしかして、知への旅とは、
自分を再発見すること、自分の能力を活用するための旅かもしれない。
当たり前の結論だが、知への旅、それは自分自身への旅なのだ。
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●忙しさは充実へ:No. 41 (525) ● 2002.09.09
朝食も食べた。
あと30分ほどで、出る。
名残惜しい感じと、
さあ、帰ってがんばろうという気持ちの両方がある。
帰れば、押し寄せる忙しさがあるだろう。
でも、それでも、それを好きで選んだ道である。
だから、忙しさも受け入れよう。
忙しさを受け入れることと、
それは充実への道のはずだ。
さあ、あと束の間だけども、
ロンドン、イギリスを楽しもう。
そういえば、家族への土産を買ってない。
そこにまで、気が回らなかったのだ。
それくらい、のめりこんでいたのだろう。
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●イギリス土産:No. 42 (526) ● 2002.09.09
イギリスは、いくつかの高級品しかない。
バーバーリ、ハローズなどなど。
あとは、私には、買うに値しないものである。
おもちゃも、中国製である。
だから、買わない。
日本で買うことにする。
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●イギリス再訪は慎重に:No. 43 (527) ● 2002.09.10
さて離陸。
イギリスのいやなところ、そしていいところの両方を見た。
なんとなく魅力を感じた。
強い目的意識を持って、来てみたい気がする。
夏だが、快適に過ごせた。
そして、時差ぼけも少なかった。
いい思い出の国であった。
また、来てみたい気がする。
しかし、再訪は、順番があるから、慎重に。
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