思いつくまま

No.0203 (2002年3月分)
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目次 
●車は贅沢品:No. 309● 2002.03.28
●忙中閑あり:No. 283● 2002.03.17
●万物流転:No. 282● 2002.03.15
●深まる春:No. 281● 2002.03.14
●干し草のなかの恐竜(上):No. 280● 2002.03.14
●藍色回廊殺人事件:No. 279● 2002.03.11
●笑って別れる:No. 278● 2002.03.10
●送別:No. 278● 2002.03.09
●非日常のありがたみ:No. 277● 2002.03.08
●生命の不思議:No. 276● 2002.03.06
●季節の移ろい:No. 275● 2002.03.05
●首尾一貫:No. 273● 2002.03.03
●ユタが愛した探偵:No. 272● 2002.03.02
●量子宇宙干渉機:No. 271● 2002.03.02
●梅見に行こう:No. 270● 2002.03.01


●車は贅沢品:No. 309● 2002.03.28

自宅へ帰ったら、引越しのダンボールが
すべて片付いているかと思ったら、
まだまだ、片付いてなかった。

今日は、車を買おうと思った。
なぜなら、車の生活が不自由だから。
でも、これは、一度便利さを味わうと、
不便には戻れない。

現在の生活。
それは、以前と比べれば、不便、不自由。
車は贅沢品。
でも、買ってしまおう。
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3月24日から27日は、北京地質巡検

3月18日から23日は、北帰行


●忙中閑あり:No. 283● 2002.03.17

明日は、引越しで、最後のどたばたと、
あいさつである。
忙しいが、子供らがうるさくて、いらいらしている。
まだ、すべきことあり、終わってない。
どうしようかと思っている。
なのに、ふとした隙間の時間、午後2時すぎに
このメモを書いている。

そして、一段落がついて、
長男と家内が買い物に、
次男は昼寝。
今、午後4時。
こんなことで、落ち着いていていのか。

まさに、忙中閑あり、である。
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●万物流転:No. 282● 2002.03.15

昨日、私の送別会があった。
多くの人が、参加してくれた。
惜しむ声を、まとめて聞いた訳である。

久々に酒を飲んだ。
そして、二日酔いで、午前中は調子がおかしかった。
同僚や後輩たちも、二日酔いの人が多数いた。

別れの杯を交わす。
人は、出会い、やがて別れる。
人の世の常とはいえ、
惜しまれるうちが花。
万物流転。
輪廻の輪の一つですら、
変化する。
命あるものは、変化するのは必定。
その変化は、人それぞれ。
しかし、望む変化こそ、
幸せとすべし。
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●深まる春:No. 281● 2002.03.14

ふと気付くと、春が深まっていた。

早朝、鶯の鳴き声を聞く。
梅が終わり、早咲きの河津桜もおわりかけ、
今は桜が咲きはじめている。

思うこと、感じることは多々あれど、
それを記するチャンスがない。
家にいるとき、
歩いている時、
人と話をしている時、
これを書きたいと思っても、
コンピュータの前にいるときしか書けない。

できることは、頭に刻み込み、
それをコンピュータの前で思い出すこと。
それができれば、苦労はないのだが。
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●干し草のなかの恐竜(上):No. 280● 2002.03.14

スティーヴン・ジェイ・グールド著「干し草のなかの恐竜(上)」
(ISBN4-15-208298-4 C0045)
を読んだ。
グールドのエッセイはハードだが面白い。
そして、欧米の知識人ならきっと面白いと思われる
言い回し、引用、比喩などが各所にちりばめられている。
それが、完全に理解できないのつらい。
でも、欧米人でも、完全に理解できないのかもしれない。
それほどの奥深さがあるから、面白いのかもしれない。

面白かったところ。
千年紀のはじまりについて。グールドは2000年派。
「人々が決着のつかない些末な問題をめぐって
喧々囂々の議論を戦わせたいのではにか。
それをしないと、その分のエネルギーを、
人殺しに発展しかねいないほんものの喧嘩に
つぎ込みかねないのではないか。
そうとでも考えないかぎり、
答えの出ない論争に明け暮れてきた歴史を
説明できそうにない」

テニソンの「イン・メモリアル」118節より
「時間が成し遂げたこの仕事すべてを沈思せよ」

「われわれのまわりに二元性あるいは二分法が
ありふれていることには、
おそらく理由がある。
むろん、自然が対を好むということもあるかもしれないが、
それ以上に、人間の頭が
二分法を好む構造になっているからなのではないか。」

「新しいアイデアが、
それまでとは別の観察方法を強いたのだ。
「観察が何かの役に立つすれば
何らかの見解を支持するか否定するからだ」」

斉一説と激変説の論争の重大な問題
「変化そのものの本質」について
「人間の文化、生物、物理的な世界は、
いずれも無限に変わることが可能で、
通常はそれとわからないほどの
小さな連続的変化を遂げているのだろうか(斉一説的観点)。
それとも、大半の種類や組織の特徴は
あくまでも構造の安定性であって、
変化が引き起こされるのは、
たいていは既存のシステムでは
対応しきれないような激変的な動乱をきっかけにした、
安定した状態から別の安定した状態への
急速な移行というまれな出来事に集約されるのだろうか」
「因果の本質」について
「大規模な変化も、
日々観察できる現象を引き起こしている原因と同じ、
突飛でなく予想どおりの結果を引き起こす
変化の単なる単なる拡張なのだろうか。
それとも、ときおりの激変が、
予測できない気まぐれな要因を
地球の歴史に持ち込むのだろうか」
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●藍色回廊殺人事件:No. 279● 2002.03.11

内田康夫著「藍色回廊殺人事件」
(ISBN4-06-273375-7 C0193)
を読んだ。
推理小説である。
徳島の吉野川を題材にした作品。
いつもの作品より、複雑で面白みにかけた。
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●笑って別れる:No. 278● 2002.03.10

今日は、メールの整理をした。
ClubGeoのNさんが尋ねてきたので、
午後はほとんどそれに費やした。
論文が今日もできなかった。
やるべきことが多すぎる。
そして、会っておくべき人もいる。
別に死別ではないので、
今後も会えるのだけれども、
別れを惜しむことも人の常。
でも、笑って別れることも必要。
彼女はまだ若いので、
将来の夢を語った。
それがいいのではないか。
それが、一番いい別れかもしれない。
そして、夏の再開を約してわかれた。
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●送別:No. 278● 2002.03.09

今日は、ClubGeoの最後の野外調査をした。
それと兼ねて、私の送別会をしてくれた。
ClubGeo以外のメンバーでも、
Fさん、Kさんが参加した。
そして、昼食中、Sさん、M君、Kさんも進学することを、
正式に報告した。

考えすぎかもしれないが、
女の子たちは、照れて、話しかけてこなかった。
Kさんからは、電車で別れ際、
送別をもらった。
メールでお礼を言っておこう。
<p>こんなかなにかの折の送別が、ありがたい。
わざわざ飲むため、飲みたいがため、
あるいは、自分らの自己満足のための送別はいらない。
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●非日常のありがたみ:No. 277● 2002.03.08

昨日から、12日まで自宅で一人。
寂しいような、のんびりしたような。
不思議な気分である。

昨日は、久しぶりにゆっくりと眠った。
時々、一人で寝られると非常に悠々とした気分になる。
一人が日常なら、それは当たり前の状態なのだが、
たまにあるから、ありがたいのであろう。

そんな非日常のありがたみを満喫しよう。
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●生命の不思議:No. 276● 2002.03.06

久しぶりに雨らしい雨で、雨靴を履いてしまった。
それにしても、暖かい。
上着を着て列車に乗ると汗ばむほどである。
そういえば、今日は啓蟄である。
これほどの陽気なら、虫も出てきそうである。

虫は変温動物とはいうけれど、
暖かければ、冬でも活動するし、
こんな寒い日にともっても、
陽だまりで暖かかったりすると
もそもそ蠢いている。
季節はずれの蚊やハエが家の中を飛んでいると、
ほんとうにこいつら変温動物かと思えることもある。

魚だって、危機が訪れば、動く。
植物だって、季節が巡れば、
花を咲かせ、葉を出し、種を落とす。

生命というのは不思議なものだ。
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●季節の移ろい:No. 275● 2002.03.05

昨日と今日、鶯の鳴き声を聞いた。
隣の梅は満開で、気の早い梅は散り、
時間は流れていく。

日常に埋没する自分にも
同じ時が流れているのに、
季節の移ろいのなんと規則正しいことか。
自分の感情や状況によって、
時間の流れるスピードが変化する。
しかし、季節の移ろいは、
時計ほどの正確さは無くとも、
狂うことも、止まること、壊れることもなく
動いている。

願わくは、私の時間も
季節の移ろいに取り残されないように。
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●人それぞれ:No. 274● 2002.03.04

今日は朝、曇っていたが、
昼前から、晴れてきた。
少し肌寒かったが、外に出るには、
いい天気である。
朝、曇っていたので、
梅を見に行くのを断念したのだが、
いけばよかったような天気だ。
でも、子供たちは、公園で、少し走り回ったので、いいとしよう。

子供が、毎日家にいるというのは、
いつもとは違うので、戸惑ってしまう。
子供を保育園に預けるために、
家内も働いている。
それが、我が家の日常だ。
他の家庭では、
子供が一日家にいるのが、日常ということもある。
人それぞれに、日常がある。

しかし、別の日常に転移すると、
それがある人にとっては、日常でも、
転移者には、非日常となる。
でも、それが、「日常化」すれば、日常となる。

では、「日常化」にようする時間とは、
どれくらいのものだろうか。
「日常化」にようする精神的消耗は、
いかほどのものなろうか。
そう、人それぞれ。
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●首尾一貫:No. 273● 2002.03.03

ひな祭り。
うちは男の子だから、なにもしない。
昨日、桜餅を食べた。
しかし、これはひな祭りとは関係がない。

私は、祭り好きである。
でも、あまり意味のない祭りはする気はない。
クリスマス、バレンタインデイ・・・
どうも、西洋の風習は馴染めず、
日本的なものは、すんなり入ってくる。
日本人だらかであろうか。

ひな祭りは、
身分制度を示しており、
民主主義の時代にはふさわしくないという人もいる。

好きでやる、嫌いだからやらない、
西洋風だから、東洋風だから、日本的だから、
封建的だから、民主的だから、・・・・・
主義主張に生きるものもよし。
首尾一貫していれば。
でも、首尾一貫が一番難しい。
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●ユタが愛した探偵:No. 272● 2002.03.02

内田康夫著「ユタが愛した探偵」
(ISBN4-19-850547-0 C0293)を読んだ。

沖縄のユタと琉球王朝、

日本と琉球との関係にふれた推理小説。

面白かった。
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●量子宇宙干渉機:No. 271● 2002.03.02

ジェイムズ・P・ホーガン著「量子宇宙干渉機」
(ISBN4-488-66319-2 C0197)を読んだ。

本格的SFである。
本編に必要なら、物理学すら構築する。
すごい才能である。

登場人物の中にサム・プニュンサクというタイの仏教哲学者があり、
彼の周辺で含蓄のある会話が多数なされる。
その中に以下のようなものがあった。

「意識は、人生が提供する混沌とした選択肢のなかで、
より良い未来へと進む方法を学ぶのだと。
簡単にいうと、社会というものは、
一定の制約に従ったりさまざまな基準を守ったりすることで、
長い目で見た場合にはかえって良いものとなって、
”悪”とは対照的な”善”という特性をもつようになる。
さまざまな宗派や哲学派が、
本質的には同じメッセージをことなったやりかたで説明してきた―たいていは、

なんらかのかたちで善悪を伝える”神々”という概念によって。
1千年ものあいだ、哲学者たちは、
道徳の規範を論理という土台から合理的に導き出そうとして、
失敗を重ねてきた。」

「きみはまだ若いからすべてを知っているわけではないだろうが、
話すぶんの二倍は耳をかたむけるべきだということはわかるはずだ。
だからこそ、神さまはわれわれに
ふたつの耳とひとつの口をあたえたのだろう?」

「憎むことをやめたら、人は他者のなかにみずからを見るでしょう。
そうなったとき、どうして他者を苦しめようとするする気になれますか? 
人びとは、何千年ものあいだ、人間の非道な行為を抑制するために、
恐怖や、暴力や、道理や、説得をもちいてきて
―すべて失敗に終わりました。
しかし、効果を発揮するには、
強大な警察も大がかりな法令も必要ありません。
同情の念さえあればいいのです。
他者の苦しみや恥辱を感じるときに、
どうして彼らを傷つけることができるでしょうか?」

「人びとが、なにかを手に入れるには
他人からなにかを奪わなければならないと考えるかわりに、
お互いに助け合うということ。
だれかが得点したからといって、
だれかが失点する必要はないのよね?」

「わたしたちが見ている世界は、
いかなる人間の理解力もおよばないプロセスによって支配されており、
人間の力の限界というものを思い知らされるばかりです。
私たちが体験することは、わたしたち自身の判断や行動に応じて、
なんとも複雑なわかりにくいかたちで決定されます。
ということは、しるしを読みとる方法さえわかれば、
より良い道すじを見つけられすはずなのです。
かれはまさに、まともな宗教がいわんとしていることにほかなりません。
そのような作用をあらわす手段としては、
”神”という概念も有効なものと思われます」

「なにかを理解したいと思うなら、
はじめから答えがどうだろうと気にしない
という決意をもとなければならないということだ(中略)
たとえば、ニュートン力学や近代天文学が受け入れられるためには、
人びとが、惑星の運行に神や天使がかかわっていて、
それを信じないものは地獄に落ちるのだ
という信念をそっくり捨てる必要があった」

含蓄のあることばである。
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●梅見に行こう:No. 270● 2002.03.01

懸案事項がひとつずつかたいずいていく。
それは、すべて、転進という、
時間の不連続が存在するためにです。
それに向けての、準備に没頭している。

そろそろ、ひな祭り。
我が家は男の子ばかりだから、
お祭りは無い。
でも、梅を見にいこう。
わが町は、梅で有名なのだが、
人手が多いので、
シーズンは敬遠していた。
でも、今年が最後なので、
家族で行こうと考えている。
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