思いつくまま

2008年04月
表紙へ

目次 
●伝えるのは難しい:No. 2482 2008.04.30
●99.9%は仮説:No. 2481 2008.04.30
●論文で混乱:No. 2480 2008.04.29
●99%は論理力1%は直観力:No. 2479 2008.04.29
●論理と直感:No. 2478 2008.04.28
●背信の科学者たち:No. 2477 2008.04.27
●素数に憑かれた人たち:No. 2476 2008.04.26
●仮の枠:No. 2475 2008.04.25
●わかること:No. 2474 2008.04.24
●回顧的ではなく:No. 2473 2008.04.23
●研究組織:No. 2472 2008.04.22
●楽しい一時:No. 2471 2008.04.21
●悩ましい問題:No. 2470 2008.04.18
●霧の中で:No. 2469 2008.04.17
●あわただしい日々:No. 2468 2008.04.16
●生を全うする:No. 2467 2008.04.15
●悩み:No. 2466 2008.04.14
●時間はどこで生まれるのか:No. 2465 2008.04.13
●還暦祝い:No. 2464 2008.04.13
●一人のネットワークから:No. 2463 2008.04.11
●最初の講義:No. 2462 2008.04.10
●快晴の春:No. 2461 2008.04.09
●春を感じる:No. 2460 2008.04.08
●いつ終わるともなく:No. 2459 2008.04.07
●新入生:No. 2458 2008.04.04
●合掌:No. 2457 2008.04.03
●新年度:No. 2456 2008.04.02



花。江別市文京台

●伝えるのは難しい:No. 2482 2008.04.30

今朝は曇りである。
それに気温も低く、風もあり肌寒い。
家内の風邪がなかなかよくならない。
子供は次男は元気で、
土、日曜日も、寒風の中を
外で薄着で遊びまわっている。
長男は出不精で、なおかつ体調が悪そうで、
自宅で遊んでいる。

講義の内容を土日曜日にうつらうつら考えていた。
疑問を解消する方法についてである。
疑問を解消できればいいが、
できない場合もある。
疑問には解のある場合とない場合があるし、
解があっても、回答者が解を知っている場合も
知らない場合もある。
そんなことを考えると、
質問者の解に対する、
満足度を考慮する必要があるだろう。
もしかすると、解を与えるより、
対処によっては、解を与えない場合の方が、
質問者に満足感を与えるのではないか
というのが内容である。
それを伝える方法に苦慮しているのである。
伝えるということは難しいものである。
目次へ


●99.9%は仮説:No. 2481 2008.04.30

竹内薫著「99.9%は仮説」
(ISBN4-334-03341-5 C0204)
を読んだ。
軽く読み流せる本である。
いいたいことは、タイトルどおりである。
ただ、科学者に対して、
倫理や科学哲学、科学史などを
しっかりと教育すべきという主張があった。
同感である。
科学の成果を出すための教育は熱心だが、
科学者になるための基礎素養として
そのような教育が必要だと思う。
目次へ


●論文で混乱:No. 2480 2008.04.29

今日は昭和の日で祝日だ。
天気が曇っているので肌寒い。
家内が風邪気味なので、外には出れない。
せいぜい買い物をするだけだろうか。

次の論文の構想がなかなかまとまらない。
5月に論文の申し込みがある。
それまでにまとめなければならない。
頭の中では、2つの構想が同時進行で蠢いていて、
混乱を起こしている。

一つは、地質学における時間に関する
考察をしようと考えている。
哲学では時間に関する考察は多数あり、
どれも読みきるのは大変だ。
しかし、私が行いたいのは、
地質学が時間をどのようにとらえ、
どのように観測し、
どのように扱っているのか
を考えていきたい。
そのためには、いくつかぜひ
読まなければならない文献がある。
そして、地質学のテクニックを再度復習し、
考えなければならない。
まずは、読み、考えることだ。

もうひとつの論文の材料である
データベースをどうするかにつていも悩んでいる。
データベース自体は構築しつつある。
それを教育に活かした実践もおこなってきた。
しかし、受信者が発信者になるというモデルケースを
いかに作り上げるかが課題となる。
その部分がまとまらない。

悩ましいものだ。
目次へ


●99%は論理力1%は直観力:No. 2479 2008.04.29

竹内薫著「99%は論理力1%は直観力」
(ISBN978-48284-1390-7 C0030)
を読んだ。
ハウツーものであった。
十分論理について書かれていない。
いくつか面白い観点もあった。
しかし、読むならベストセラーになった本を
読んだ方がいいのかもしれない。
目次へ



つくし。江別市文京台

●論理と直感:No. 2478 2008.04.28

今日は曇りで肌寒い。
先の週末からゴールデンウィークが始まったのだろうか。
大学は平常どおりの講義日である。
ただ、明日が休みになるので、
明後日の講義の準備を、今日しなければならない。
講義用の印刷物も今日の昼過ぎまでに
渡さなければならない。
それが、せわしなく感じる。

論理と直感は相反するものだろうか。
直感にも、条件反射的にうかぶもの、
2つの選択肢で答えを知らない時エイヤッと選ぶもの、
考え抜いているとき、
なぜだかわからないけれどこれだと感じるもの
などがありそうだ。
条件反射の背景には単純な論理があり、
それを繰り返しおこなうことで、
その論理を考えることなく、答えを出せるものであろう。
エイヤッと答えを出すものは、
論理などない確率で表せるものである。
しかし、問題は、最後の場合である。
もしかすると、そこに計り知れない論理が
潜んでいるのはないだろうか。
ものすごく複雑な内容を考えている時、
単純な論理的結論が見つからないことがある。
そこでもなんとなく
これがいいと思ってしまう場合である。
それは、論理的があるのかどうか、
結論が合っているのかどうかは不明である。
そのような直感が、もし統計的に有意に当たっている時、
その直感は、見えない論理を見つけているのかもしれない。
その結果は、人によって違っているだろう。
人によって、論理の訓練の差があるから、
その直感の精度には差ができるだろう。
それは、究極の条件反射とも言うべきものかもしれない。
もしそのようなものがあるとすると、
人間の脳が、コンピュータより
数段すぐれていることの証明ではないだろうか。
そんなことを考えた。
目次へ


●背信の科学者たち:No. 2477 2008.04.27

ウイリアム・ブロード、ニコラス・ウェイド著
「背信の科学者たち」
(ISBN4-06-257535-3 C0240)
を読んだ。
科学者たちの不正行為の実例を、
古くはプトレマイオスから、
ガリレオ、ニュートン、メンデルなどの巨人、
そして最近までの実例を挙げている。
ただ、実例をあげるだけではなく、
なぜそのような行為が起こるのかを論じている。
なかなか面白い内容であった。
現在固有の理由、
科学が本来抱えている問題、
明らかに個人の個性の問題まで
多様な様相ががあることがわかる。
なかなか結論が出ないもんだいである。
現在の研究者養成過程では、
専門性、先端を追うこと、
業績を出すことなどは教育するが、
科学の方法論や考え方、論理性、そして倫理感など、
研究者とて必要な部分の教育が
もれている気がする。
そのような教育こと必要なのかもしれない。
あるいは、別の方策として、
本書でも示されているが、
研究者をもっと減らすべきなのかもしれない。
大学では、教育に専念、もしくは重点をおいた
教員が多数いていいのではないだろうか。
そのような場で、研究成果を問われることなく、
趣味とはいわないが、好きな研究を自由な気分で、
好きなだけ行えばいいのではないだろか。
そんなことを考えた。
目次へ


●素数に憑かれた人たち:No. 2476 2008.04.26

ジョン・ダービーシャー著「素数に憑かれた人たち」
(ISBN4-8222-8204-X C3041)
を読んだ。
読むのに時間がかかったが、面白い本であった。
数学的な基礎からリーマン予想を説明してる。
かなりわかりやすく書かれている。
しかしとびとびに読んでいるので、
完全に理解していない。
熟読、精読すればわかりそうなレベルに書かれている。
また、リーマン予想に関連した研究者たちについても、
力を入れて書かれている。
だからタイトルに「憑かれた人たち」とあるのだろう。
ただし、これは日本語のタイトルであって、
英語は「ベルンハード・リーマンと偉大な未解決問題」
となっている。
目次へ



エゾエンゴサク。江別市文京台

●仮の枠:No. 2475 2008.04.25

今日は早朝が霧が出ていたが、
晴れた暖か日となった。
昨日の肌寒さがウソのようだ。

昨日、ゼミの学生が来て、いろいろ話をした。
その時、いろいろ考えさせられた。
大学とは、社会に出る前に過ごす場でもある。
最後の自由に方向転換できる場でもある。
大学という場で、将来自分が
どのような道に進みたいかを決定していく。
大学に入った時点で、
仮ではあるが、学部学科によって、
大枠がはめられる。
もちろん、そのあくまでも「仮」であって、
確固たる足かせではない。
学生は、大学で学び、友人に刺激を受け、
自分の目標を熟慮し、
出て行くはずの社会の現実を垣間見て、
「仮」の枠を何度も再考していくことになる。
その過程で、自分の希望が「仮」の枠の中に
なさそうだと気づくこともある。
その時、「仮」の枠が、大きな足かせに
なっていることがある。
学生は、その枠が「仮」であることを
ついつい忘れてしまっている。
「仮」であることを指摘してあげるのは、
教員としての役目でもあろう。
「仮」であることを示しながら、
自分が何がしたいか。
今までこの大学で得たことを
無駄にしない方法はないか、
今後、この大学でどう過ごすべきか。
そんなことも、よく考えるように伝えなかればならない。
自分の人生の重要決断であるから、
最終的に、それを決めるのは、本人の意思だ。
たとえ教員とて、その決断を覆すことはできない。
尊重してサポートしていくだけである。
目次へ



桜。江別市文京台

●わかること:No. 2474 2008.04.24

今日はどんよりとした曇った、
風も強く肌寒い日である。
まだ雨は降っていないが
降りそうな空模様である。
もし降れば、久しぶりの雨となりそうだ。

昨日は、「わかる」ということを考えさせられた。
講義の中で行ったレポートと
その感想を読みながら、
深く考えさせられたとか、
重要そうだと感じたとか、
深くて面白そうだとか、
実例が上げて説明欲しい(実例挙げていたのだが)とか、
などの感想があった。
重要性については感じたようだが、
本当に伝えたいことが、完全には伝わっていない
ということだろう。
これは教える側が重要だと思っていることが
聞く側にどの程度伝わっているかが
問題であることを
考えさせられるものであった。
もう一つ、文章を書きながら、
読む側と書く側の狭間の問題で起きた
ソーカル事件について考えていた。
読む側でも書く側でも、
わかっている範囲はいいとして、
背伸びをしている部分について
たとえ一線級の研究者でも、
ミスを犯すことについて考えていた。
書くときには、重要性を強調するために、
新しい知識を得て、それを修飾的に、
ときはそれを中心に議論を進めることがある。
本当にその論理、議論、知識は
正しいのだろう。
正確に理解しているのだろうか。
間違いなく伝えているのだろうか。
そんな恐れが至るとことにあるのを考えさせられた。
一般に、わからないことの大半は、
自分の能力不足、基礎力不足、知識不足と
思ってしまいがちだ。
しかし、もしかすると、そのわからないことの中には、
本当にわかっていないもの、あるいは間違ったものが
混じっていることもあるのだ。
もしそうなら、わからないことに
もっとこだわる必要があるはずだ。
つまり、わからないものに、
妥協しない勇気が必要だ。
そしてわかることだけで
議論し、発信することが重要だ。
心していこう。
目次へ



シラカバの花。江別市文京台

●回顧的ではなく:No. 2473 2008.04.23

今日も晴れで、今日も暖かい。
思い返すと、ここしばらく雨が降っていない。
まだ、残雪の水分が残っているし、
川も雪解けの水が多いが、
やはり雨が少ないのは、
農業や牧畜には不安な天候なのだろう。
天候と関係のない市民には晴れがいいのだが。

昨日、友人に連絡する必要があったので
メールアドレスを探したら不明になっていた。
そこで、電話で問い合わせた。
彼と私は、師を同じくするたった二人の門下生である。
師はもうすでに亡くなっている。
もちろん彼も私もさまざまな門下に属していたから、
師がいろいろいる。
そんな彼と、 お互いの近況などを聞きながら、
少々長話をした。
彼は正統派の学問を継続していて、
実績も上げている。
私は、同じ分野だが、傍流も傍流
だれもやっていないようなところを目指している。
彼は、私は本流から離れたのを寂しいといった。
目的地が違うのは、
それぞれが人生において
たどった道が違っていることを
反映しているのだろう。
彼と話しながら、懐かしさを感じながらも、
回顧に酔いしれるだけではいけないと思った。
ここ2、3週間の回顧的な交流の懐かしと、
新たな目標を忘れてはいけないとの思いも湧いた。
それぞれが自分の持っている人脈を
活かすことができればいいのだ。
そんなすべや目的は今のところ思い浮かばない。
だから今は、ただ自分の信じる道を進むしかない。
目次へ



ヤナギ。江別市文京台

●研究組織:No. 2472 2008.04.22

今朝も暖かい快晴の日だ。
毎日見てきたツツジが満開になり、
エゾエンゴサクが咲き出し、
早咲きの桜も花を開いた。
木々の新芽も一斉に芽吹きだした。
北国の春がはじまりだした。

ゴールデンウィークに行く場所を考えた。
もちろん私の調査も兼ねてである。
夕張を第一候補に考えたが、
宿泊施設が限られていることと
それらが料金が高いので、断念した。
夕張は別の機会にすることにした。
迷った末、ニセコに行くことにした。
ニセコにはペンション街があり
これからでも予約が可能かもしれないと思ったからだ。
まだ空いているか問い合わせたら、
連泊は無理だが、
別のところで1泊ずつなら予約ができた。
5月3日から5日まで、
2泊3日のニセコ行きとなった。
春満開のニセコで3日間過ごすことにした。

先日の研究所への訪問が
かなりインパクトがあった。
過去に研究所時代の夢を見た。
そして、人間の幸せとはなにかについて考えた。
研究者として先端の仕事をし続けていくのは、
いろいろな意味で能力を必要とする。
研究遂行能力があるのは前提だが、
常に与えられるプレッシャーに対して
めげることなく、励みとできるぐらいの
精神力も必要となる。
その精神力を定年まで維持し続けなければならない。
組織やグループが大きくなると、
中心的研究者は、
研究費の獲得や組織維持に
多くの労力を割かなければならない。
そのため、研究時間がへっていく。
多くの研究成果をだすために、
有能な若手研究者が必要となり、
有能な研究者が集まり、成果もでる。
そして組織は大きくなり資金がさらに投入できる・・・・
という循環に入り、研究組織は大きくなっていく。
これが発展中の研究組織の一般的構図であろう。
研究の動機があるいは好奇心が
個人のレベルで本当に満たされているのだろうか。
大きな装置、資金を用いておこなう研究に
満足感を得ているのだろうか。
自分がもともと興味を持ったときの
初心や好奇心を忘れはいないどうろか。
がむしゃらに走り続けることによる
精神的疲労がないだろうか。
自分自身のことを考えると、
その真っ只中にいると、そんなことを感じることがなく、
ただ、現在の仕事に興味を向け、
いいデータ、いい成果をだすことに追われ、
そしてできたことに満足していた。
しかし、今思い返すと、
自然に対する直接的な好奇心を
どこかに置き去りにしていたような気がする。
それは、現在の自分が最先端の研究に
従事していない後ろめたさから
そのような気分になっているのだろうか。
本当のところは、わからない。
だが、現在の自分が選んだ
「一人で自然と向き合って、
自分が感じることを大切にし
自然を考える」
という現在の道を進むしかないのだろう。
目次へ



枝垂桜。鳥取県倉吉市打吹公園

●楽しい一時:No. 2471 2008.04.21

今朝は暖かい春の日だ。
寝過ごして、いつもより1時間半も遅く家を出た。
珍しく家族と一緒の朝食となった。
歩いていくと大学と高校の通学時間にあたり、
にぎやかな道中となった。

土曜日から日曜日にかけて
昔世話になった研究所の同窓会があった。
この春退官した先生を囲んで、
研究所の大学院生や
世話になった学生が集まったものだ。
先生の退官と、定年になった秘書の人や
まだ働いている秘書の人、
下宿の大家さんであり研究所の事務をされていた人など、
懐かしい人ばかりが集まった。
集まったもの11名、お祝いに呼んだ人5名の
総勢16名の会となった。
温泉街に繰り出し、最後は先生と一緒にホテルで
3時頃まで語り明かした。
楽しい一時となった。
20年ぶりくらいに顔を合わす人もたくさんいた。
時間があまりなかったが、
研究所も少し見せてもらい、
最新の実験装置も見せてもらった。
帰る前に最後に変貌する町をみにいった。

そんな楽しみの疲れで、 今朝は起きるのが遅かった。
目次へ



花。江別市文京台

●悩ましい問題:No. 2470 2008.04.18

今朝は薄曇である。
花曇というのだろうか。
暖かい朝であった。
春らしい気候になってきた。

昨日は学部の新任者のための歓迎会があった。
新しい人の経歴を紹介された。
同じフロアーにおられる方もいたが、
どこに所属している人が不明であった。
しかし、これからは顔と所属がわかったので、
挨拶しやすくなる。

同席した学科の同僚と、
専門ゼミの内容について議論した。
我が学科の学生は教員採用試験を
受けるのが目標でもあるので、
なかなか卒業研究に専念できない人も含まれる。
一方、教員志望でない人も入る。
すると卒業研究は大学の締めくくりとして
重要な位置づけとなる。
やり方を工夫しなければならない。
悩ましいものである。
目次へ



雫と新芽。江別市文京台

●霧の中で:No. 2469 2008.04.17

今朝は霧が深く、
植物には雫がたくさん付いていた。
幻想的な景色となった。
霧のために少々冷え込んだが、
これから晴れてくるのだろうか。

昨日退官記念の幹事の先輩から
鳥取での集まりの最終案内があった。
懐かしい友人が集まる。
互いに近況を知り、
今までのこと、これからのことを
語り合ってきたいものだ。

昨日、2年生の実習がはじめてあった。
Student Assitantを使っての授業となった。
昨年度は教員が4名付いておこなっていたものを
今年はSAをつけてはじめた。
先輩が指導的に働きかけていくので
かなり活発に議論が進んでいた。
これが上手くいくかどうかは
今後の我々の指導とSAの対処による。
目次へ



花。江別市文京台

●あわただしい日々:No. 2468 2008.04.16

今日も、晴れだ。
昨日に続いて、暖かい日になりそうだ。
あちこちで花が咲き始めてきた。
ゴールデンウィークが目前に迫ってきた。
その計画を考えている人も多いだろう。
我が家は未定である。
日帰りで人のあまりいないところに出かけようか。

今週は飲み会が2つある。
明日が学部の新任教員の歓迎会、
週末が鳥取で退官祝いである。
あわただしい日々になりそうだ。

先週の木曜日から講義がはじまったから、
今日で講義が一巡する。
最初のスタートをしたことになるが、
今日私の担当の講義が2つある。
1講目と5講目である。
昨年もやった講義だが、
形式が変わるところあるので、
初めてのことも多い。
目次へ



つくし。江別市文京台

●生を全うする:No. 2467 2008.04.15

今日は、晴れだ。
気持ちのより快晴の日だ。
春めいてきた。
春の植物もあちこちで芽吹いてきた。

3年生のゼミが今日からスタートする。
このゼミは卒論につながる。
当初の予定通りに行くかどうかはわからない。
変更があってもいい。
学生がやる気の生まれるものにしていきたい。
そして、将来の糧になればと願っている。

日々変化していくことは重要である。
たとえ、それが変化と呼べないほど
ささやかなものであっても。
無限に続く命はないが、
与えられた期間の中で
生を全うするには、努力することである。
努力とは、昨日よりも今日の方が、
今日よりも明日の方がいいものへと願って、
変化し続けることだ。
その変化のための努力を惜しまないことである。
それが、唯一生を全うすることではないだろうか。
目次へ



つくし。江別市文京台

●悩み:No. 2466 2008.04.14

今日は、晴れたり曇ったりする天気だ。
晴れているのに、顔に冷たいものを
感じるなと思ったら、
霧雨のような雨がちらついていた。
不思議な天気だ。

今週からゼミがはじまる。
3年生にに対するゼミだ。
卒業研究へつながるものだ。
学科としてはじめての経験だ。
どのような目標を立て、
どのような指導をするのか。
シラバスで考えた方法で本当にいいのか。
悩んでいる。
目次へ


●時間はどこで生まれるのか:No. 2465 2008.04.13

橋元淳一郎著「時間はどこで生まれるのか」
(ISBN4-08-720373-5 C0242)
を読んだ。
なかなか面白かった。
物理学者の考えた時間論である。
哲学者の書く時間論よりわかりやすかった。
しかし、どうもわかりにくい部分もある。
それは時間そのものが
非常にわかりにくい概念だからであろう。
もう一つ重要な文献があるので、
それを読まなければならない。
それは地質学者のかい時間論である。
それを読んだら、私も時間論について
考えをまとめていこう。
この本は非常に刺激になった。
再読が必要かもしれない。
目次へ


●還暦祝い:No. 2464 2008.04.13

金曜日の夜は恩師の還暦祝いにいった。
4、50人も集まったのだろうか。
非常に盛況であったが、
集まった場所がイタリアレストランで
場所が3箇所に分かれていた。
だからなかなか会話ができなく、
懇親が深まらなかった。
しかし、20数年ぶりで会う
先輩、後輩たちがいて、懐かしかった。
そして、いろいろ情報交換ができた。
変り種の経歴を持ったやつもいたので、
面白かった。
まったく見かけが変わってしまい、
なかなか思い出せなかったものもいた。
しかし、1時間もいっしょにいたた、
昔の記憶が次第によみがえってきた。
そしてそれぞれの個性も思い出せ、
少々変わったところもある、
やはり昔のままだと思える部分がよみがえってきた。
懐かしさにあふれてきた夜となった。
目次へ



つつじ。江別市文京台

●一人のネットワークから:No. 2463 2008.04.11

今日は曇りで風があり肌寒い日である。
そんな日でも、いつも見かける
散歩やウォーキングをする人がいる。
なんとなく仲間意識を持ってしまいそうになる。
多分通勤をする私ですらそのような気持ちになるのだから、
散歩する人同士なら、もっと親近感が湧くのだろう。

今日は大学の恩師の還暦祝いだ。
来週には鳥取の研究所時代の
恩師の退官祝いに出かける。
先日は同世代の友人が死んだ。
最近自分の年齢や世代を
つくづく思い起こさせる出来事が連続する。
もうそんな世代になったということなのだ。

今日いろいろな友人、先輩、後輩たちに
会うことになるのだろう。
若い世代の人は知らない人が多いのだろう。
しかし、恩師という一人の人によって
つながるネットワークがそうして構築されていくのだ。
一人の人から生まれるネットワークが
別の人のネットワークにつながる。
そんな連鎖が社会を構築しているのだろう。
もちろん私のネットワークもそこから生まれていくのだ。
目次へ



額縁風牧舎。江別市文京台

●最初の講義:No. 2462 2008.04.10

今朝は曇りの肌寒い日であった。
冬のジャンバーではここ数日の晴れの日では暑いので、
薄いコートに替えた。
しかし、今朝のような曇りでは首や頭が寒く感じる。
これも体が冬の寒さに対応しているため
薄着にまだなれないのだろう。

今日からいよいよ大学の授業がはじまる。
1、2校時にある。
1年生は私の講義が大学で最初の講義となる。
第一印象となる重要なものである。
心して臨む必要がある。

大学の講義用のメールサーバが変更になった。
それに伴って、私のメーラーの設定を
変更しなければならにならないのだが、
上手くいかない。
それはWebMailの仕様で外部へのPOPを許可しないようだ。
わたしにとっては非常に使いづらいものとなっている。
それを改善するために、計算機センターと交渉して、
なんとか対処できた。
あとはメーラーの設定と、転送手続きをする必要がある。
目次へ



新芽。江別市文京台

●快晴の春:No. 2461 2008.04.09

今朝は霧がかかっていた。
大学につくころには、霧が晴れ快晴になっていた。
抜けるような快晴となった。
子供たちの学校もはじまり、
定常的な日常がはじまった。

大学は、明日から講義なので、
今日から講義の準備を始めることになる。
レジメを作成して、
印刷に出さなければならない。
新入生たちは昨日から
合宿オリエンテーションに参加している。
彼らも明日から大学での講義がはじまる。
教員も心してかからねばならない。

昨日試料の整理をした。
砂の試料はすべて終わったが、
岩石試料はまだ残っている。
それを整理するのは、一体いつのことになるのか。
目次へ



新芽。江別市文京台

●春を感じる:No. 2460 2008.04.08

今朝は曇りである。
昨日に夏の間良く通る道を歩いた。
しかし、まだ雪が残っていて、
ぬかるみがあり歩きづらかった。
3月にも歩いたが、
その時はもっと雪が深く、
歩けなかったところであった。
それを曲がりながら歩けるようになったので、
春を感じながら歩くようになった。

昨日は会議がいろいろあり、落ち着かなかった。
今日と明日は、採取した試料を整理しようと思っている。
これを逃すと、整理する機会なかなかないからである。

まだハードディスクの整理が続いている。
ポータブルのハードディスクの整理が終わった。
まだ、1Tbの新しいハードディスクの
整理が終わっていない。
まだまだ続きそうである。
目次へ



新芽。江別市文京台

●いつ終わるともなく:No. 2459 2008.04.07

今朝は晴れである。
風は冷たいが、気温も高くなりそうである。
今日は新入生の健康診断がある日だ。
教員は会議がはいり、ばたばたしている。
学科のホームページの更新もしなければならない。
新しい先生にメモをもらわなければならない。
新しい年になると、仕事もいろいろある。

ハードディスクの整理がまだ続いている。
そのために何度もミスをして、
そのたびにあわてて、修復をしている。
いつになったら完全に終わるのだろう。
目次へ



フキノトウ。江別市文京台

●新入生:No. 2458 2008.04.04

今日は寝過ごした。
朝は霧雨が降っていたが、後には晴れてきた。
朝、新入生に対して教員紹介で挨拶した。
初々しい学生の姿を見るのは、
このらの心もすがすがしいくなる。
しかし、その直後に講義の打ち合わせがはじまった。
新しい講義では学生のアシスタントを
使って講義をすることにしたので、
そのための打ち合わせである。

昨日はハードディクスを2台購入してきた。
1Tbと500Gbである。
これで、多分どれかが壊れても
なんとか対処できるであろう。
しかし、そのコピーがなかなか大変で、
すぐにはできない。
しばらくかかるであろう。

新学期を迎えたのだが、
急にあわただしくなり、
なにも手につかない状態である。
なんとか、講義の準備に望めるようにしたいものだ。
目次へ



風景の額縁。江別市文京台

●合掌:No. 2457 2008.04.03

今日は曇っていて寒い。
しかし雪解けは進み、
春の兆しが次々と現われている。
フキノトウや芽が膨らんでいる。
午後からは我が大学の入学式がある。
いよいよ新入生を迎える季節となる。

午前中で仕事を終わらせなければならない。
まだハードディスクの整理の決着をみていない。
今日新しいハードディスクを購入する予定である。
大学の教育用のアドレスが変更になる。
その変更の手続きもまだできていない。
研究用のメールはそのままであるが、
そのスピードの遅さを回避してくれているのだろうか。

年度替りでいろいろあわただしい中、
大学時代の友人の訃報が届いた。
驚いた。
栃木なので見送りにはいけない。
しかし、同年代の友人が、行ってしまった。
もう10数年あっていない。
賀状のやり取りだけである。
過労死ではないかという友人もいる。
そんな年齢になったのかもしれない。
人口ピラミッドをみれば、
高齢になれば、同年代の数が減るのは自明である。
しかし、身近にその事態がないと感じずにいる。
そんな事態に出会って、落ち着かなくなる。
そして、自分の人生や家族について、
ついつい考えてしまう。
それより前に、今は、友人の冥福を祈ろう。
合掌
目次へ



フキノトウ。江別市文京台

●新年度:No. 2456 2008.04.02

今日は晴れている。
一昨日北陸から帰ってきたが、
札幌は寒かった。
午後3時頃帰ってきたら、
建物全体が冷え切っていて
一晩ストーブをつけてやっとあったまった。
昨日は旅行に直前に予備のハードディスクの
壊れたセクターを発見したので、
その補修をはじめたら、なかなか終わりそうにないので、
旅行中もつけっぱなしで置いていた。
帰ってチェックしたら、補修は上手くいたようであった。
しかし、不安なので、1Tbの予備ディスクを
早急に導入することにした。
明日入学式で札幌に行くので、
その後購入してこようと思っている。
不調の500Gbを再フォーマットしたが、
使うのが少々不安であるが、
予備として利用しかと考えている。
午前中はその対処と旅行の写真の整理、
午後は会議で昨日は1日使ってしまった。
まあ、気分はリフレッシュしているので、
新しい年度を落ち着いて迎えられそうである。
目次へ


表紙へ