思いつくまま

2007年01月
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目次 
●主観の多様化:No. 2064 2007.01.31
●定期試験:No. 2063 2007.01.30
●airpen:No. 2062 2007.01.29
●新しいOSの悩み:No. 2061 2007.01.27
●世界一おいしい火山の本:No. 2060 2007.01.27
●宇宙で地球はたった一つの存在か:No. 2059 2007.01.27
●将来の実り:No. 2058 2007.01.26
●思考の迷宮:No. 2057 2007.01.25
●歩きながら考える:No. 2056 2007.01.24
●講義運営:No. 2054 2007.01.23
●センター試験:No. 2053 2007.01.22
●センター試験:No. 2052 2007.01.21
●窮すれば鈍す:No. 2051 2007.01.19
●新しいバインダー:No. 2050 2007.01.18
●トーン:No. 2049 2007.01.17
●教師というもの:No. 2048 2007.01.16
●悩みの経験を活かす:No. 2047 2007.01.15
●誕生日の祝い:No. 2046 2007.01.14
●天の瞳 あすなろ編II:No. 2045 2007.01.14
●歩きながら考えること:No. 2044 2007.01.13
●日本恐竜探検隊:No. 2043 2007.01.13
●心しておくべきこと:No. 2042 2007.01.12
●教員の独創性:No. 2041 2007.01.11
●知識以上のもの:No. 2040 2007.01.10
●学ぶこと:No. 2039 2007.01.09
●冬の雨:No. 2038 2007.01.08
●クマムシ?!:No. 2037 2007.01.08
●高齢時の家族:No. 2036 2007.01.07
●リフレッシュ:No. 2035 2007.01.06
●天の瞳 あすなろ編I:No. 2034 2007.01.05
●体調:No. 2033 2007.01.04
●天の瞳 成長編II:No. 2032 2007.01.04
●心の風土:No. 2031 2007.01.03
●暖かい日:No. 2030 2007.01.02
●天の瞳 成長編I:No. 2029 2007.01.02
●我が家の正月:No. 2028 2007.01.01


街灯。 江別市文京台

●主観の多様化:No. 2064 2007.01.31

今日は暖かい。
早朝から路面の雪が解けている。
そして滑りやすくなっている。
新聞に一月の平均気温が書いてあったが、
寒波のときだけ平年より寒かったが
それ以外はすべて高めであった。
体感が定量的に示された結果だ。
今回の体感は観測値で実証された。
しかし体感が必ずしも客観的データと
一致するわけではない。
それはここにも何度も書いてきたことだ。
このような体感、つまり感覚的な判断が
客観的であれば、世の中が平坦になるような気がする。
感覚による判断、つまり主観が、
客観的であるということは
だれでも同じ判断になるということである。
人それぞれの感覚が同じであれば、
主観や個性が消えるのではない。
人それぞれの違った感覚、主観があるから
人の多様性、そして人が見る世界も多様になるのだ。
しかし、その主観の多様化が、軋轢も生むのだが。
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壁の雪。 江別市文京台

●定期試験:No. 2063 2007.01.30

いよいよ大学は定期試験の始まりだ。
今週一週間、学生たちは試験に追われる。
学生にとってはこの一週間は
つらく厳しいものである。
しかし試験には明らかに
成績評価のため以上の意味がある。
学生たちは試験に備えて、一生懸命試験勉強する。
それは半年間学んできたことを
総ざらいで復習することである。
そして学問の中で成されている思考を
再度自分の頭でなぞることになる。
その思考パターンを再度身につけることである。
最初よりは分かりやすいであろう。
分かるところと分からないところがはっきりするであろう。
たとて一夜漬けで、すぐに忘れてしまっても、
そのシナプスの結びつきが残っていれば、
教養として役に立つであろう。
専門の学問であったら、
社会に出たとき、次のステップとして役に立つであろう。
大学の学問が社会で直接役に立つことは少ないであろう。
しかし、学問をして身につけた思考するという経験、
思考のパターンは宝である。
そんな思考をいくつ身につけているかは、
どれだけ学問に苦労して取り組んだかの
数がものをいうのではないだろうか。
そんな苦労を試験という期間で
身につけていくことも重要であろう。
その期間は友達も大学も試験色になるでの
環境として厳しいがいい状況である。
そんな苦労の積み重ねが今行われている。
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足跡。 江別市文京台

●airpen:No. 2062 2007.01.29

1月も、もう終わらんとしている。
月日の流れは早い。
思い返すと、月日はより短く感じる。
そんな月日の流れを止めることはできないが、
時の流れを記録することはできる。
たくさんの記録を残せば、
もしかすると時に流れの密度が測れるかもしれない。
新しい道具を見つけた。
見つけた瞬間に試してみたいと思った。
アナログとデジタルの融合である。
私はノートの手軽さ、そしてその万能さを何度も思い知って、
いまだにやめられないで使っている。
だが、ノートの唯一の欠点は
アナログからデジタルにするときのわずらわしさである。
もちろんスキャナと手書き文字識別ソフトを使えば、
デジタルにできなくはない。
現状で持っているスキャナと
手書き文字識別ソフトを購入すれば、
それは今すぐにでも実現可能である。
しかし、それはめんどくさいのでしていない。
めんどくさいということは、よほどの必要性がないと
長続きせず、実用的でないといえる。
今回みつけたairpenというものは、
その両者の欠点を補っている。
ノートに書いているものをデジタル装置で
常に読み取っていくというハードウェアである。
A5で100枚分の記憶容量をもっている。
A4で50枚である。
それをUSB接続でパソコンに送れば、
デジタル画像として読み込めるのである。
さらに手書き文字識別ソフトで
読み取っていくというものである。
非常に魅力的である。
これを見た瞬間購入を考えた。
そして特別仕様のものが100個限定で売りに出ていた。
それを思い切って購入することにした。
即断であった。
今まで私は、このようなものを即断することはなかったが、
今まで捜し求めていたものに
やっと出会えたという気がしたからだろう。
ただ、使い心地はまだわからない。
失望するかもしれない。
しかし、試してみて、もし自分の使用法にあうのなら、
これは待ち望んでいた道具との
出会いになるかもしれない。
そんな予感がした買い物となった。
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●新しいOSの悩み:No. 2061 2007.01.27

今日は自宅にいる。
最近、土日は自宅にいることが多い。
研究室が寒いためだ。
雪自体は少ないのだが、
寒い環境だと仕事が落ち着いてできない。
自宅でも子供たちがいるから落ち着いてできないのだが、
寒くはないのでましである。
さて、世間ではWindows Vistaの話題がにぎやかである。
私にとっては、OSはどれでもいい。
ただ今使って仕事をしているソフトウエアが
急に使えなくなると困るのである。
授業で使っている図(freehand)や
地図や衛星画像合成のソフト(Kashimir)などいろいろある。
他のものは、しばらく時間があれば
変えることは可能である。
たとえばOSとしては、Linuxがその最有力候補である。
現在私のサーバはLinuxである。
ワープロ、表計算、プレゼンテーションは
Linuxでも可能である。
しかし、データの形式にはある程度互換性があっても、
詳細なところではずれがある。
その点、進行中の仕事があるときは問題となる。
作画のソフトもFreehandからCanvasに
乗り換えるつもりであった。
だが、ずるずると馴れと便利さに乗り換えていない。
将来を考えるとCanvasのほうが有利であると判断した。
そしてCanvasも私の使用法には一応あっている。
だから選んだのであるが、なかなか乗り換えられない。
かなり思い切った覚悟がないと
デジタル資産が多くなればなるほど、
乗り換えは困難である。
だから文章は一番シンプルなテキスト、
図表はCSVなどがあるが、イラストが問題である。
本来ならIllustoratorが主流であろうが、
これが私の使用法にあわないのである。
だから乗り換えられないのである。
困ったものである。
このような悩みはデジタル機器の場合
永遠に続くのだろうか。
それもとも家電のように
あるところに行着くのであろうか。
できば、早くたどり着くところにいってもらいたいものだ。
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●世界一おいしい火山の本:No. 2060 2007.01.27

林信太郎著「世界一おいしい火山の本」
(ISBN4-338-18608-9C8344)
を読んだ。
林氏は同級生である。
彼のこの本は彼の性格が出ている文章と
着眼が面白い本である。
でも、子供向けに「おいしい」本ではなく、
「よくわかる」そして「おもしろい」火山の本を
書いてほしいものだ。
彼ならきっといい本がかけると思う。
期待したいものだ。
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●宇宙で地球はたった一つの存在か:No. 2059 2007.01.27

松井孝典編著「宇宙で地球はたった一つの存在か」
(ISBN4-900594-87-3 C0344)
を読んだ。
松井氏が半分以上の分量を書いている。
しかし、内容としては
私が以前言っていたことと重複している。
まるで私が公表している内容を
そのまま利用したようなものである。
これは松井氏の以前の著作でも感じたことであるが、
彼の方が有名なので騒いでもしょうがないことだ。
私はより進んだ内容を考えていくまでのことだ。
本の中では長沼毅氏の内容が面白かった。
彼は、生物の根源について考えている。
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霧と街灯。 江別市文京台

●将来の実り:No. 2058 2007.01.26

今朝は晴れていたせいで冷え込んだ。
そして霧が珍しくでていた。
幻想的な景色であった。
いよいよ今日の朝の第1講で、今年の講義は終了する。
これから2月上旬までは色々と忙しいが、
2月中旬以降は講義の作り直しをしようと考えている。
人はいろいろタイプがいる。
多くの人と交わり、新しい発想を次々とだし、
その発想でまた交わりが増えて
仕事をさらに進めていくタイプ。
あるいはじっくりと同じテーマを少しずつこなしながら
そして最終的には大きなものを目指すタイプ。
たった2つのタイプで類型化するのは乱暴であろうが、
どちらかのタイプに分かれるとしよう。
では私は、と考えた。
もともと私はあまり人と一緒に何かをするのは
あまり好きではなかったような気がする。
この大学来るまでは、
人と交わりながら物事を進めるタイプの仕事をしていた。
以前職場でも、グループで仕事を一緒にすることが
大半であった。
大人数は嫌なので少人数で行っていた。
それはそれなりの成果をあげてきたと思う。
論文数や報告書、著書、科研費の採択など
いろいろと対外的にも評価できるものとなっていた。
一方、大学とは大人数の前で講義することが
重要な職務の一つである。。
だが、大学とは、
自分自身でおこなう研究を基盤としているので
一人で物事をすることが多い。
となると、一人で淡々と少しずつ仕事を進める
というタイプのやり方をするようになっていく。
5年間にして、やっとこれもそれなりに成果が
見え出してきた。
そして1年後にはゼミ学生が加わってくる。
これら学生を戦力として、
人と交わりながら進めるタイプへと仕事が変化していく。
新しいタイプとへの変化に伴って、
何か新しいことができないであろうか。
彼らの2年間の努力が、
研究や社会貢献へと昇華できる手立てを
考えていくことができないだろうか。
それはもちろん卒論指導という大変さを伴うのであるが、
彼らにも私にも実りあるものとしたいものだ。
まだだいぶ先の話であるが、
そんなことを今日は考えた。
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雪の木立。 江別市文京台

●思考の迷宮:No. 2057 2007.01.25

昨夜から明け方にかけて雪がたくさん降った。
朝、私が歩いてくるときも激しく降っていた。
しかし、それほど寒くはなく
歩いているとほかほかするほどだ。
今日も、「歩きながら考える」ということについて、
歩きながら考えていた。
激しく降る雪の中、除雪が入っていなく
歩くことにも気を使わなくてならない時、
考えることができるのかを考えていた。
ある程度はしたいのは確かだ。
だが、歩くことに気がたびたび行く。
すると考えることが中断され、
意識していないときは、
いろいろと泡のように沸いてくる思いを
とりとめもなく考えている。
そのためだろうか、細切れに考えていたことが、
あとからなかなか思い出せない。
「歩きながら考えること」を考えていたはずなのに、
何も思い出せないのである。
テーマは覚えているのだが、
中身は覚えていないし、
思い出すことも今のところできない。
さてさて、これは本当に考えていたといえるのだろうか。
歩きながら考えていたことは
いったいどこへ行ったのだろうか。
あるいは歩くことに使っていた意識、思考は
どこに消え去ったのか。
今日はそんな思考の迷宮に迷い込んだ気がする。
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下水溝穴。 江別市文京台

●歩きながら考える:No. 2056 2007.01.24

昨日は1日中、雪であった。
今日は柔らかい雪がふんわりと積もっていた。
夜の間に除雪はなく、
10cmほど積もった雪の中を長靴で歩いてきた。
以前、歩きながら考えていることをメモするために、
ICレコーダーの購入を考えたことがある。
まだ購入していない。
今朝このメモを書く前に、今日歩いているときに、
どんなことを考えたかを思い出そうとした。
すると、何も考えてないことに気づいた。
もちろん無意識に歩いていたのではない。
歩きにくいところや歩きやすいところなど探したり、
時々見かけているエゾリスが今日はここでみたとか、
いつも見かける人に今日も会った、
あの人は今日は会わなかったなど、
いろいろ考えながら歩いてはいる。
しかし、どれもたわいもないことだ。
いろいろ考えるべき大切なことがあるはずなのに、
そんなどうでもいいことを考えている。
写真はそんな無意識の中で撮ることが習慣化してきている。
もしかしたら、大切なことを歩きながら考えることも
習慣化できるのかもしれない。
しかし、疑問はある。
考えることは強制的にする場合と、
ふと浮かんでくる場合とがある。
強制的とは言葉があまりよくないが、
考えなければならないことを考え
そして一定の答えや考えをしぼり出すことである。
これは常日頃していることである。
ふと思うことは、たわいものないことから
思い浮かぶこともである。
そんなことをメモしておくことは重要であろう。
それがICレコーダー購入の動機である。
しかし、日々の通勤で歩きながら思う浮かぶことが
そんなにあるのだろうか。
思い起こしてみると、半分位の日は
たわいもないことを考えている。
後の半分は一生懸命考えているが、
その多くは堂々巡りの中の考えが多い気がする。
これもたわいなさに埋没しつつあるのだろう。
でも、いくつかは大切な思いつきもある。
しかし、十分吟味されてないものである。
吟味すべき価値のあるものは、
あとで思い出すのではないだろうか。
でも、そんな思い付きこそ、記録する必要もあるのだろうか。
しばらく、そんな思い付きの記録の必要性について
歩きながら考えてみようか。
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夜明け前。 江別市文京台

●講義運営:No. 2054 2007.01.23

今朝は風があったが冷え込みはひどくなく、
穏やかであった。
さて後期の講義も、次々と終わっていく。
昨日苦労した新しい講義が終わった。
来年度はかなり改定していく予定である。
それは知識重点の内容ではなく、
考えることを重点にして講義を
運営したいと考えているからだ。
その改定はシラバスに反映しなければならないので、
2月中旬までに内容を仕上げなければならない。
ということは忙しいことになる。
今月締め切りの論文、
1月29日から2月2日は定期試験、
その後1週間で採点、評価、
その週の後半には一般入試がある。
と数え上げれば、2月上旬は非常に忙しい。
そして、いつもの「忙しい」の愚痴となる。
愚痴で憂さ晴らしをしていることになるので、
生産的なことを考えよう。
昨日の講義では、少々変わったものをした。
今までの講義は、伝えるべきものがあり、
それを淡々とこなしていった。
どうしても教師が一方的に話すことが多くなる。
昨日は考えることを重点において講義をした。
その展開は苦労して、予定通りに講義が進まなかったが、
反応をみると、なかなかのものであった。
講義後の感想でもそれなりによかったようだ。
しかし、このゆおな考える講義は、
運営に非常に労力を使う。
その労力こそが重要なのかもしれない。
教師が講義中、ものすごく精力を使って
講義をしていることが受講者にも分かるのだろう。
それが面白い講義というためには
重要なことではないだろうか。
そんな苦労してつくる講義をもっと
増やしていけばいいのではないだろうか。
そのためにも来年度の講義の運営は
もっと変化させなければならない。
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夜明け前。 江別市文京台

●センター試験:No. 2053 2007.01.22

今朝は雲が多く、風もなく、冷え込みも少なかった。
歩きながら一昨日と昨日のセンター試験に
思いを馳せていた。
自分が受験した頃と比べて考えてた。
私の大学受験は、
センター試験の前に行われていた共通テストも
なかった時代である。
そして、私より一回りの上の世代つまり団塊の世代が
人口も多く、大学受験が激しかった頃で、
それ以降は子供が減少してきている。
これは受験競争を緩和する方向であるが、
生活が向上してきて、多くの人が
大学に入学していく時代となる。
だから実質的に、受験戦争が
激しくなってくる時代がはじまることになる。
かつて大学にいくのはそれほど多くない時代であった。
しかし、 私たちの世代前後以降、
多くの人が大学を目指すようになった。
大学を求める人が増えれば、大学が供給される。
そんな需要と供給によって、大学が増えた。
少子化の現在は、大学が余りだした。
これが大学淘汰の時代のあらすじである。
もちろん経済原理が働くのであれば、
多すぎる供給は市場を混乱させ、
安いものといいものが残る。
いいものは安泰だが、
需要と供給のバランスが取れるまで、
安いもの同士の競争が続く。
そして新しいものの秩序が生まれる。
そのような淘汰の中で、
安いものでも、努力を続けて自力をつけたものは、
いいものへと昇格する。
そして今までいいもので努力を怠ったものが、
下克上よろしく淘汰に巻き込まれる。
大学も需要と供給の中にいれば、
そのような淘汰の競争に巻き込まれる。
だが、学府をそのような場としていいのだろうか。
その点が心配だ。
学問をする人がいる場、
将来の学問をする人をはぐくむ場が、
競争であらされると、
学問がおろそかにならないだろうか。
競争に有利な人材しか集まらないのではないか。
そして将来的には
日本の学問の荒廃を招かないだろうか。
じわじわと進む変化は、
気づいたときには取り返しがつかない
結果だけが残るような気がする。
センター試験から、そんなことを心配してしまった。
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●センター試験:No. 2052 2007.01.21

昨日は午前中はかなり雪が降っていたが、
今日は雪は大丈夫そうだ。
今日はセンター試験の監督で大学に来ている。
我が大学では、600名の受験者が受ける。
全国一律に行う試験であるから、
どこの会場でも、同じ条件で受けることが必要となる。
そのために非常に詳細なマニュアルが作成されている。
そんなマニュアルを見ながら思った。
少子化、大学全入時代にあって、
センター試験の必要性は上がっているのだろうか、
下がっているのだろうか。
かつては、この制度は、国立大が
足切りとして使っていたが、
今でもその効果はあるのだろうか。
私立大学ではセンター試験を
入試選考の基準としているところも多い。
しかし、これはもともとそのようなものがあったのではなく、
センター試験が民間に開放されたため、
生まれた一種の便法、便乗ではないか。
南と北では当然自然環境が違い
一律とは行かないであろう。
でもそんな条件をも乗り越えて
試練を潜り抜けることが、選抜試験として重要ではないか。
一発勝負の入試と比べれば、
センター試験とここの大学でなされる一般入試験との
二本立ては、より努力の成果が反映されている
方式かもしれない。
しかし、番狂わせ、一発勝負にかけるような
面白さがまったくない人生を
強要しているのかもしれない。
そこまで一律にして卒業する大学だが、
全入時代になって、選抜試験の持つ意味はどなるのだろう。
大学での学問が人生に有用なものとなったといえるのか。
学問より友人関係、アルバイトの経験、
遊んだ思い出などが
大学の経験の多くを占めてはいないだろうか。
もちろん学問が基礎としてあり、
そのような経験が上乗せされているのだろうが、
学問が前面ではないのが、
悲しくもあり、むなしく感じるのは私だけだろうか。
大学で学問をすることによって変化し、成長したと
自分自身で感じられる人
端から見ていて分かるような人もいる。
このようなことがあれば、
本人にとっても、教員にとっても、
大学にとってうれしいことだ。
しかし、そのような学生の比率は増えているのだろうか。
減っているのだろうか。
変化のない制度は、それが良いから継続している
といえるのだろうか。
それとも制度の変更は大変だから、変わらないのだろうか。
以上、センター試験があまりにも
マニュアル的であるので感じたことである。
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幹と雪。 江別市文京台

●窮すれば鈍す:No. 2051 2007.01.19

昨夜雪が降り少し積もっていた。
今朝は風があったので、
道にはところどろこ吹き溜まりがあった。
木の幹には風上に雪がついて白くなっている。
これがさらに吹き積もると雪風上に向かって成長していく。
しかし、今回は雪も多くなく乾燥した雪なので、
成長はなかったようだ。
成長ということで考えた。
大学は今かつてのような運営や経営はできない。
これは私立、国公立を問わず同じである。
自由競争の時代である。
しかし、学生数の減少により、大学の淘汰が起こる。
つぶれる大学、規模縮小をする大学。
なんとか持ちこたえる大学。
いずれにしても生存のために
自助努力と自然淘汰がはじまる。
そこで、生き残るために大学は色々な手を考える。
この機会を成長の一ステップしたいという
意気込みをもって望んではいるが、
現実はそんなものではない。
生き残るとは、保身ということである。
その視点は、自分たちが生き残るためには、
手段を選ぶ余裕がないということである。
ここで自分たちとは、状況により、
大学全体のときもあれば、学部学科のこともある。
自分たちの学部学科というとき、
他学部他学科は、競争相手のように聞こえることがある。
一つの組織としては一蓮托生であるのに、
貧乏くじ誰が引くのか、スケープゴートを誰にするのか、
まるで昨日友が今日の敵である。
これは醜いことである。
人間、窮すれば鈍すだろうか。
なんといっても、大学は学生のための組織である。
学生なくしては大学は存続し得ない。
学生のためという視点が消えている。
学生不在の議論にみえて非常に寂しく感じた。
せめて、窮すれば通ずくらいの
智恵が生まれないものだろうか。
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坂道。 江別市文京台

●新しいバインダー:No. 2050 2007.01.18

今朝も風がなかったが冷え込んだ。
昨日は非常に暖かく、
午後には暖房を切らなければならないほどであった。
道路も雪もかなり融けた。
しかし、今朝は冷え込んだ。
今朝、私のメールボックスを見ると、
以前書いた論文の別刷りが入っていた。
整理していく、70個目の論文であった。
論文の数は、学会発表でも
1つの論文扱いする研究分野もある。
普通は印刷物になったものである。
私の論文の数も印刷物となったものの数である。
この論文数は、大学院生がいる研究者では少ない。
なぜなら大学院生は論文を書き、
共同研究者として指導教官の名前が記入されるからだ。
だから、年間大学院生分の論文が増えていくことになる。
大学院生が研究者になれば、
共同研究者としてやはり共著論文が増えていくであろう。
しかし、私のように学生がつかない研究者は
自力で論文を増やしていくしかない。
だが、論文の数など自己満足である。
その自己満足としてみれば、
自分が汗を流して研究した成果として書いた論文が
どれだけになったが重要であろう。
私の場合、多くは自力の論文である。
自分の論文をバインダーに順番に綴じている。
70本目の論文からは3冊目のバインダーになった。
一つのバインダーに30本の論文が収納できる。
そして100の数をつけたバインダーを用意した。
このバインダーがいつ一杯になるであろう。
還暦まであと10年。定年まであと18年。
今年度は私が書いた論文は3本で
あと1本を現在作成中である。
この1年で4本の論文を書いたことになる。
自分の経験からすると、これは非常にハイペースである。
しかし、不可能な数でもない。
還暦までにこのバインダーを一杯にしたいものだ。
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木。 江別市文京台

●トーン:No. 2049 2007.01.17

今朝も雲が多かった。
風がなかったので寒さはそれほどでもなかった。
しかし、凛とした冷たさがある。
今日は講義日だが、
すでに火曜日と水曜日は予定の講義の
14校分が終わっているので、補講日となっている。
昨日と今日は落ち着いて仕事ができる。
今日は懸案の今月締め切りの論文を書く予定だ。
理論部分の大半は書いてあるのだが、
実践部分はまだ書いていない。
冬休み中に自宅で書き進めていたものだ。
迷っている点が2つある。
実践部分とトーンについてである。
現在、実践部分を書いてないのは、
実践を書くと多分、倍近い長さになるからである。
今回は実践を書かないで、
別の論文にするかどうか迷っているのである。
その決断をまだしていない。
もし実践をはしょるとなるとすれば、
論文のトーン、つまりテーマが少々変わってくる。
トーンを変えて書き直さなければならない。
今日はその決断をして、
トーンを変えて再構成をする作業となりそうだ。
トーンとはなかなか難しいものだ。
トーンは文章にしてしまうと、
語尾のちょっとした言いまわしや
あちこちにちりばめられる数行の文章によって
生まれてくるものだの。
だがトーンは論文全体でかもし出すものである。
書く姿勢をさだめなければトーンがでない。
だからこそ難しいのだ。
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月。 江別市文京台

●教師というもの:No. 2048 2007.01.16

早朝は雲が多かったが、日が昇ると晴れてきた。
来年度の新しい講義についての
打ち合わせや相談がはじまった。
私も来年度は、4つの講義がはじまる。
2つはゼミナール、あと2つは実習をともなうものである。
すべて手探りで行うものである。
だから大変である。
しかし、ゼミナールも実習的な講義も、
だから教員は手助けすること、準備をしていくだけで、
あとは学生自身の体験して体得、
あるいは議論によって深く学んでいくものである。
その方向性をどこに向けるかが重要となる。
それもこれも、講義が終わってから考えるしかない。
なかなか気の休まるときがない。
しかし、これが教師というものなのかもしれない。
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坂道。 江別市文京台

●悩みの経験を活かす:No. 2047 2007.01.15

土曜から日曜にかけて雪がかなり降った。
早朝は風も強く寒い冬の空模様であった。
まだまだ講義つくりに四苦八苦している。
できれば、定期試験どたばたが終わったら
じっくりと講義内容を振り返ってみて再整理したいものだ。
2月3月の2ヶ月間で、今年の講義を整理してみたい。
そしてまとめと模範例をまとめて、
冊子になるようなものをつくり、
これを配布して、講義の概略として、
実際の講義では、考え、議論することを
中心にすえた方がいいのではないかと考えている。
考え、悩み、そして進んでいくことが重要ではないか。
今の私の現状そのままである。
それの経験を活かしたものに変換できないであろう。
それが今考え続けていることである。
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●誕生日の祝い:No. 2046 2007.01.14

昨日は、子供の誕生日の祝いをした。
子供が以前から望んでいたレゴをプレゼントした。
次男もおこぼれとしてもらうことができる。
そんなときふと誕生日について考えた。
他の人はどうか知らないが、
以前、私は、誕生日や年齢をあまり気にしていなかった。
誕生日は年齢を正確に数えるためには必要だ。
しかし、年齢を気にすることがないならば、
生きていく上で、誕生日は、
それほど重要な意味をもたなくなる。
人間において生まれたときだけが、
時間区切りとして、重要な意味がある。
それ以降は、人生において
大きな事件や変化があるときにこそ、
時間区切りに意味が生じるのである。
そんな区切りを自分自身で たくさん区切ることができれば、
思い出多き人生となる。
多くの区切りが自分のとってプラスとなれば、
実り多き人生となるのであろう。
そう考えれば、誕生日より、
自分が人生において、自分自身で達成したこと、
自分の働きかけで起こったことが多いほど、
人生を謳歌したことになるであろう。
そんなことを考えた。
しかし、次男が生まれてから、
誕生日を気にしないわけにはいかなくなった。
なぜなら、私と次男の誕生日が同じだからである。
親にとっては、子供が今まで無事生きぬいたこと
そしてその生き抜くことを親が助けたこととして
誕生日を祝う義務と権利があるであろう。
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●天の瞳 あすなろ編II:No. 2045 2007.01.14

灰谷健次郎著「天の瞳 あすなろ編II」
(ISBN4-040873512-8)
を読んだ。
とうとう最後の巻となった。
著者が昨年暮れに亡くなったので、
この続きをもう読むことはできない。
この巻の終わり方からすると、
著者はもっと続きを書くつもりであったはずだ。
主人公はまだ中学生で、
ここ数巻で大きなテーマとなったいものだ、
まったく解決していいない。
そして、この巻で生じた問題も解決していた。
読者としては、非常に欲求不満となる。
もしかすると、著者は続きを書いていたかもしれないが、
その存在は発行されない限り読者は知りようがない。
この本はいたるところ中途半端な状態なので、
完結の形で評価したかった。
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●歩きながら考えること:No. 2044 2007.01.13

昨日夕食しに家族で食事に行った。
長男の誕生日が15日であるが、前倒しで行った。
といっても、ファミリーレストランで食べたのだが。
15日に行こうと思っていたが、
大学で夕方から会議が入ったので変更した。
例年は旅行に出かけていることが多いので、
改めて食事に行くことなかった。
しかし、今回は長期に出かけなかったので、
早く食事会をしたということだ。
正月にのんびりとした後、仕事が始まって、
毎日片道3kmほどを歩いて通勤し、
夕方まで仕事を1週間続けると、やはり疲れるのだ。
眠くてうとうとしてしまう。
まあ、それが健康的なのであろう。
私はこの「思いつくまま」を書いていて良く思うことがある。
身近なことを、日課として書くのだが、
その時思いついたことで展開していく。
しかし、その時何も思いつかないとき、
今日のように身近なことで埋めてしまうことが良くある。
これでは、本当に「思いつくまま」に過ぎない。
人に見せるべき内容とはいえない。
茂木健一郎のブログをみていると、
毎日、メモを書いて公開している。
それも日々の日記的なものでなく、
それなりに考えたもの、考えさせるものを書いている。
すごいことだと思いつつ、時々読んでいる。
ところが、彼のブログを読んでいるうちに、
ICレコーダーで思いついたことを、
歩きながら録音していると書いていた。
確かに私も歩きながらいろいろなことを考える。
往復で1時間以上も歩いている。
多分普通のサラリーマンよりずっと歩いているはずだ。
そんな時いろいろなことを考えている。
しかし、考えたことを、覚えていないし思い出せない。
それをメモしておき、重要なことを記録しておけば、
もしかしたら、重要なことや役に立つことを
記録できるかもしれないと思った。
今後、そんな方法を考えてみようかと思った。
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●日本恐竜探検隊:No. 2043 2007.01.13

真鍋真・小林快次編著「日本恐竜探検隊」
(ISBN4-00-500485-7 C0240)
を読んだ。
日本で多数の恐竜化石が見つかっていることは、
知っていたが、どのような種類のものが発見されいて、
どのような研究者が関与しているかが良く知らなかった。
しかし、このジュニア向けの本を読んで、
日本の恐竜研究の概要を知ることができた。
しかし、研究者が書いた文章なので、
ジュニア向けなのに
論文調の書き方をしているものが多い。
それが残念であった。
編者はあま表現内容を統一しなったようだ。
それが残念である。
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並木。 江別市文京台

●心しておくべきこと:No. 2042 2007.01.12

今朝も冷え込んだ。
昨日ある先生と来年度の講義の運営について話をした。
その折に、講義運営で、いろいろ苦労していることを話した。
どの先生もいろいろ悩みながら講義をしているのだ。
そして、どうすれば学生たちが興味をもって
講義を聞いてくれるのか。
いつもそれを気にかけていることが分かる。
しかし、長年同じテーマの講義を
同じやり方でやっていると、
そんなものだという諦めが
教師側に出てきているのではないだろうか。
もしそうなら学生は
そんな教師の気持ちを敏感に感じ取る。
そして、その講義は熱が入っていないということを
すぐ気づき、その講義は両者にとってつまらないものとなる。
それではいけない。
教師は、悪いところ、修正すべきところがあるなら、
常に向上心をもって講義を作り上げていかなればならない。
そんな気持ちがなくなったら終わりだ。
常に心しておくべきことである。
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下弦の月。 江別市文京台

●教員の独創性:No. 2041 2007.01.11

凛とした寒さだ。北海道の冬の寒さが戻ってきたようだ。
月日はめぐる。
12月下旬の日の短さと比べて、
日が少しずつ延びているのを感じる。
昨日小学校の理科のある単元をまとめていたら、
以前私が長良川でつくった
川の働きを調べる内容の講義が、
そのまま当てはまるものであることに気づいた。
作成当時は小学校の単元内容を
詳しく知らなかったのだが、
川の働きを網羅的により深く考えるものを
目指して作成したものであった。
不思議な符合を感じた。
もしかすると、ある素材から考える
あるテーマに沿った教育内容など、
誰でも最初に考え付くものは
似たり寄ったりのものだということかもしれない。
私の考えは、
教科書的であるということと、
それほど独創的でなかったこと
の両面を持っているような気がする。
だから、指導要領から教科書なしに
先生が独自に考えたとしても、
教書と似たようなものがつくれるかもしれない。
しかし、すべての教科を
1年で作り上げることは大変である。
だから、教科書や指導書などがあるのであろう。
小中高校の教科内容を1年間でこなすためには、
要領よくスケジュールを組んで進めなければならない。
それはすでに用意されている
すぐれた年間スケジュールをこなすことになる。
これでは教師は疲れて、独創性を生み出せなくなる。
せいぜい、自分の専門としている教科の中で
少し工夫を加えていくだけのことだろう。
しかし、教員にも、大変だけれども、
独創的なものを生み出す
時間とチャンスが必要ではないだろうか。
しかし、大学の講義やゼミ、卒論こそが、
それを生み出せる場ではないだろうか。
できれば、私の講義やゼミも
独創性を生み出せるようなものにしていきたいものだ。
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坂道の街灯。 江別市文京台

●知識以上のもの:No. 2040 2007.01.10

今朝は歩き出したときは風があり寒かったが、
風が治まると、寒さはそれほどでもなかった。
平年より暖かい気がする。
いよいよ昨日から講義がはじまった。
私の講義は火曜日はなかったので、
今日から講義がはじまる。
今日の講義は、今日が最後の講義となる。
他の曜日はまだ2、3回残っている。
しかし、もう後期の講義も残り少ない。
新しくはじまった講義は非常に努力したのだ、
できがよくなかった。
どうも知識不足を補うために、
自分が勉強している部分が多かったためである。
次回は、もっと本質に近いところを
目指したものを考えたい。
次回からは、専門の講義は
パワーポイントを使ったものをしようと考えている。
知識より智恵、知識より考える力、知識より教養、
を目指したものにしていこう。
しかし、他にも講義が新しく2コマはじまるので、
これもなかなか大変でもあるのだが、
試行錯誤と努力を繰り返すしかないのだろう。
そして、2月3月に講義を再構築していこう。
そんな気持ちで残りの講義をこなすことになる。
少々忸怩たるものがあるが、
こうなれば、最大限の知識を詰め込み、
それをまとめ、要約して示していこう。
これは、きっと教員採用試験時に
役立つものになると信じておこなおう。
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街灯。 江別市文京台

●学ぶこと:No. 2039 2007.01.09

久しぶりの雪となった。
除雪も入った。
しかし、今は青空がのぞいている。
予想通り大量のスパムメールが届いていた。
しかし、重要なメールもあった。
そんな中で、メールマガジンの読者から、メールがあり、
それに対して次のような返事を書いた。
「学問されているとのことですが、
私も最近、学ぶことの大切さを痛感してます。
そして、学ぶことの面白さも感じています。
新しい講義を作るときは、
非常に苦労しながら準備をしています。
しかし、講義のテーマ自体は私の専門としていることで、
興味もあることなのです。
ですから、学び、体系化することは、
大変で苦しいのですが、
その学問を学ぶ楽しさもあります。
そして決して満足できるものではないですが、
新しい講義を終えたときは満足感があります。
そして来年はよりいいものにしていこう
という気持ちがわいていきます。
学問をするということは、興味をもち、苦しみながら学び、
ある時、後を振り返ると、そこにはそれなりの成果と
そして学ぶ楽しみがあったことが気づくようです。
学ぶとは、どうもそんな繰り返しを
しているような気がします。
これからもお互いに学問の世界に精進していきましょう。」
というものであった。
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野幌神社。 江別市

●冬の雨:No. 2038 2007.01.08

昨日夜から風が強くなり、今朝も強風が吹いている。
しかし、台風並みの強風でもなく、雪もほとんどふってない。
少し拍子抜けした感じである。
昨日は暖かく、時々雨が降っていた。
おかげで、道路が凍っているところはつるつるで
非常に走りにくい状態であった。
買い物で出かけたときは、
気をつけてゆっくるりと走っていたが、
車が大きくすべりひやりとした。
今年の冬もわが町では雪が少ない。
これからはもっと降るのだろうが、
毎年いろいろな季節の違いを感じる。
そして人はそれに一喜一憂する。
いよいよ長い休みも今日で終わりだ。
明日から日常生活にもどることになる。
さてさてリフレッシュできたであろうか。
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●クマムシ?!:No. 2037 2007.01.08

鈴木忠著「クマムシ?!」
(ISBN4-00-007462-8 C0345)
を読んだ。
驚異的な生命力を持つクマムシの話だ。
しかし、私たちが聞いているクマムシの不死身説は、
一部は本当であるが、多くは尾ひれのついた
噂話が多いようだ。
面白いことにクマムシの研究者は少なく、
研究史もあまりなかったようだ、
現在では研究者もでてきたようだ。
クマムシは樽状になって休眠するが、
生きているが代謝をしない状態になって、
悪い環境を生き延びる。
その状態のことをクリプトビオシスと呼ぶ。
「潜伏生命」や「隠蔽生活」などと訳されているらしいが、
正式訳はないようだ。
鈴木氏も私より少し若いが、
今までの研究テーマを変更して、
40歳のときにクマムシの研究に入ったようだ。
それまでいくつ研究テーマを変えてきたようだ。
なかなか共感を覚える姿勢である。
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三階滝。 大滝村

●高齢時の家族:No. 2036 2007.01.07

今日は東北地方で発達した温帯低気圧が
台風並みの勢力を持って北海道に来るらしい。
しかし、早朝の段階では、雨が降っているが、
穏やかで嵐の気配はない。
これが嵐の前の静けさか。
休日も残すところあと2日となった。
何もする予定はない。
ただひたすら家族と過ごすだけである。
そこで家族と夫婦について考えた。
子供たちがまだ家族と過ごすことを
厭わない年齢だからいい。
いつまでもこんな親共々の家族関係が続くわけではない。
子供たちが大きくなったら、
家族といっても、夫婦二人で過ごすことが重要になる。
これをうまくやっていかないと
高齢者として家族関係が成立しない。
子供たちは当てにできないし、
当てにしては子供の将来を縛ばることになる。
夫婦二人の日々の過ごし方を
どう構築するかが問題である。
日常的にできる趣味やスポーツのようなものを共にするか、
あるいはお互いの好きな世界を別にもつか、
そのようなすごし方と関係を構築しなければならない。
そろそろ考えて、ことを始めてもいいのかもしれない。
とりあえずは、休日の天気のいい日に
散歩に出かけることもいいかもしれない。
私はあと20年ほども職業人としての生活が続く。
だからこんなことを考えなくてもいいのかもしれない。
しかし、団塊の次の世代として、
考えてもいいのかもしれない。
職業が終わったら、それで人生が終わりでもない。
高齢者となっても、好きなことを続ける
準備をしておくことも重要であろう。
正月明けの休日の嵐の前の静けさの中で
そのようなことを考えた。
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恵庭岳。 千歳市支笏湖

●リフレッシュ:No. 2035 2007.01.06

今日も朝は曇りである。
天気予報によれば、連休は大荒れだそうだ。
今日は図書館にいって、子供たちの本を借りにいく。
夕方は子供たちの散髪をする予定である。
考えたら、今年は長い正月休みを
自宅で家族とともにゆっくり取っている。
少しずつ仕事はしているつもりだが、
あまりはかどっていない。
でも、今年は長期の休暇をとらなかったので、
これでリフレッシュと考えればいい。
ただし、仕事に復帰したとき
休日ボケとして仕事がすぐに進まないことが起こる。
それが少々心配である。
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●天の瞳 あすなろ編I:No. 2034 2007.01.06

灰谷健次郎著「天の瞳 あすなろ編I」
(ISBN4-04-873379-6 C0093)
を読んだ。
ストーリ自体はなかなか進まないが、
いろいろ重要で面白い話題が書かれている。
後一冊で手元の本は終了するが、
今後どのような成長をするかは楽しみであるが、
著者が昨年く暮れに亡くなったので
これ以上の続きは期待できない。
ライフワークと銘を打っているが、
ライフワークともいうべき内容の本が、
途中で終わってしまうのは、
興味を持って読んで読者には欲求不満になる。
それが一番の問題だ。
この本で教師と生徒の正常な関係を
テーマとしているのだが、
著者と読者の関係に読みかえると、
著者が死んでしまうことは、
著者にとって読者への一番の裏切りかもしれない。
いいたいのは、私は、この物語を
それほど読みたいということである。
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狛犬。 江別市文京台

●体調:No. 2033 2007.01.04

今日はいよいよ温泉である。
温水プールがあるので、
子供たちが楽しみにしている。
昨年の暮れからの母がきていたため、
家内が無理をしたようで、少し風邪気味である。
家内が風邪っぽいので
プールに付き合うのは無理かもしれない。
部屋でのんびりしているほうがいいかもしれない。
山越えの道を行くから、凍結が心配である。
比較的交通量が多いはずだし、
昼ごろ通る予定なので、
それほど凍結や雪はひどくはないだろうから、
慎重にいけばいいであろう。
今年こそは、家族が健康に
すごせればいいと思っていたが、
なかなかそうはいかないようだ。
これからしばらくは、このような健康状態として
行動していったほうがいいかもしれない。
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●天の瞳 成長編II:No. 2032 2007.01.04

灰谷健次郎著「天の瞳 成長編II」
(ISBN4-04-873286-2 C0093)
を読んだ。
学校の窓ガラス破壊事件、暴力事件など
良く聞くものを題材にして、
生徒、学校、親が一般的な対処と、
理想的な対処を問う内容である。
考えることと議論すること、
言うことと実行すること、
暴力と非暴力、
武術と暴力、
理想と現実。
そして当たり前ということを実現するのが、
いかに大変か、そして努力を要するのかが
書かれている。
そして、その当たり前を当たり前と感じられる力が
必要である。
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おみくじ。 江別市文京台

●心の風土:No. 2031 2007.01.03

昨日はあまり天気は良くなかったが初詣に行った。
そこで、心の風土について考えた。
人出はほとんどなく、静かな初詣となった。
知り合いの神主さんがおられたので、
挨拶をして家内はお守りを買った。
私は無信心であるから、
いろいろ見ていただけであった。
午後は正月らしく、家族でゲームをした。
今日は子供たちにお年玉として、
楽しみにしているおもちゃのレゴを渡すことになっている。
母が我が家で滞在中に子供たちに買い与えたものだ。
それを正月に渡すと約束していた。
このような他の人にとってはどうでもいいことだが、
家族で正月だからということで
ひとつひとつ特別な行事をおこなうこと、
これが正月を味わうことになるのであろう。
私一人のときは、無信心だったので、
正月というものを一年の区切りに過ぎない、
気にもしなかった宗教行事にすぎなかった。
しかし、考え思い起こしてみると、
自分の立脚点として、家族と過ごした正月が、
自分の心の風土をつくり、家族の絆をつくり、
思い出をつくり、家族の過ごし方、
つまり私の正月観を生み出している。
それを我が家でも生み出す必要がある。
何もしなければ、我が家の子供たちには、
正月とは年の区切りという
私の一人の時代の感想と同じものしか生まれない。
それでは子供たちの心の風土は
私が家族からもらった心の風土と比べてあまりに寂しい。
そんな心の風土を今の家族で作り出すことが
家族の重要な仕事なのかもしれない。
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●暖かい日:No. 2030 2007.01.02

昨日は母を送りに空港まで出かけた。
いい天気であったので、快適な飛行となったと思う。
私たちは、そのまま帰途について、
途中で昼食を食べて、
本屋を覗いて、昼過ぎに家に帰り着いた。
子供たちは天気がいいので、
外で2時間ほど雪遊びをしていた。
健康のために外で遊ぶのを心がけている。
今日は神社に出かける予定である。
あまりいい天気でないが、
雨でなければいい。
昨日は暖かく雪がだいぶ解け始めていた。
暖かいのもいいが、
ぐしょぐしょはたまらない。
しかしそんな日もある。
素直に受け入れよう。
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●天の瞳 成長編I:No. 2029 2007.01.02

灰谷健次郎著「天の瞳 成長編I」
(ISBN4-04-873204-8 C0093)
を読んだ。
成長する主人公と不良と呼ばれる子供たちの抗争。
それに対して事なかれで対応する学校教師。
そんな学校にあっても子供たちのことを考えている教師。
学校のふがいなさに憤る親。
理想の教育、理想の学校はそれぞれ違うだろうが、
現実に子供たちに問題が起こっているとき、
どう対処するかが早急の問題だが、
その姿勢が思わぬ対立を生む。
しかし、子供を教育するところが学校であるのだから、
視点は子供に置かなければならない。
そんな簡単なことができない大人がいると
問題がこじれていくのである。
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●我が家の正月:No. 2028 2007.01.01

謹賀新年。
いよいよ新年である。
私は、いつものように起きて、いつものように仕事をする。
ただ今日はいつもと違う。
母を空港まで送りにいく。昨年もそうであった。
この時期に母が来てくれるのはうれしい。
元旦に母は帰るが、我が家で新年の祝い、
実家で、今度は弟夫婦は親戚と正月を祝うことになる。
それが母と我が家の正月である。
人それぞれの新年があるだろう。
そして人それぞれの祝い方があるだろう。
我が家は我が家なりの祝い方をしているにすぎない。
簡素で質素だが、これが我が家の方式である。
今日は母を空港に送ること、
明日は人気のなくなった地元の小さな神社へ初詣をする。
そんなささやかだが、いつもの違った日が
我が家の正月である。
子供たちにとって、今日が
特別な日であることがわかるだろうか。
それを感じさせるために正月をやっているような気がする。
明日は子供たちにお年玉をあげる日だ。
そんな特別さを感じさせることに気を使っている。
それが我が家の正月である。
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