思いつくまま

2006年12月
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目次 
●最後の極楽:No. 2027 2006.12.30
●大荒れ:No. 2026 2006.12.27
●母の来訪:No. 2025 2006.12.26
●空間の謎・時間の謎:No. 2024 2006.12.26
●天の瞳 少年編II:No. 2023 2006.12.26
●親孝行:No. 2022 2006.12.25
●湧き立つ霧:No. 2021 2006.12.22
●かかりつけの医者:No. 2020 2006.12.21
●頭から紡ぎ出す:No. 2019 2006.12.20
●論文構想:No. 2018 2006.12.19
●師走の忙しさ:No. 2017 2006.12.18
●熱:No. 2016 2006.12.15
●師走のあわただしさ:No. 2015 2006.12.14
●天の瞳 少年編I:No. 2014 2006.12.14
●夜間救急病院:No. 2013 2006.12.13
●一日生きることは、一歩進むことであれ:No. 2012 2006.12.12
●百人一首:No. 2011 2006.12.11
●古いノートパソコン:No. 2010 2006.12.08
●新しい中古車:No. 2009 2006.12.07
●ケーススタディ:No. 2008 2006.12.06
●天の瞳 幼年編1、2:No. 2007 2006.12.06
●郷愁とあせり:No. 2006 2006.12.05
●健康第一:No. 2005 2006.12.04
●成果:No. 2004 2006.12.01

●最後の極楽:No. 2027 2006.12.30

昨夜から雪で、今日は本格的な雪となった。
凍った路面の上への積雪なので、
すべりやすく運転が大変である。
そんな雪の中を温泉に向かった。
今日は母を連れて、温泉に泊まりにいくことにしている。
温泉でこのメモを書いている。
テレビ番組も暮れから正月番組へとなっている。
今日は家内も上げ膳、下げ膳で楽をさせてあげられる。
最近宿泊に出かけて井ていない。
だから久しぶりになる。
子供たちもだいぶ手がかからなくなったから、楽である。
まあ、今年最後の極楽である。
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並木。 江別市文京台

●大荒れ:No. 2026 2006.12.27

今朝は暖かく、師走なのに雨である。
これから北海道は発達した温帯低気圧で
大荒れとなるそうだ。
今日は第1講目の講義があるので、
午前中大学にでてきた。
昼には帰宅する予定である。
しかし、研究室いるうちにやるべきことがある。
それを急いでこなしていこう。
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●母の来訪:No. 2025 2006.12.26

昨日母が来た。
久しぶりに見るがあまり変わりなく、
元気そうである。
電話ではいろいろ話をするが、
会うとあまり話をすることがない。
お互いの話より、子供や親戚の話である。
それでもいい。
子供たちと遊び、話をすることが一番である。
そして、私は温泉や買い物に付き合うこと。
母の手料理を家内に伝えること。
母に日常とは違うことを味わってもらうこと。
そしてそれらのことが
離れた地に住む息子家族との深い思い出となればいい。
その思い出を持って帰ってもらうことが今の私の役割だ。
母の住む実家に帰ると、私たちの世話で母が疲れる。
こちらでは、のんびりと孫と遊んでいればいい。
そんな思いを母にさせてあげことが
私が母の呼ぶ目的だ。
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●空間の謎・時間の謎:No. 2024 2006.12.26

内井惣七著「空間の謎・時間の謎」
(ISBN4-12-101829-X C1210)
を読んだ。
難解であるが面白い。
ライプニッツとニュートン(代弁者)の論争から
科学の本質を見出し、
それを追うことからはじまる。
科学史ではなく科学哲学である。
しかし、科学史の哲学的解釈であるような気がする。
つまりよくある哲学だが、
本当の哲学ではないような気がする。
それは、ニュートン、ライプニッツ、アインシュタイン
などの物理学の大物が提示した理論に
基づいているのからなのだろうか。
著者が生み出したのは
素材を加工して生み出した料理、
つまり解釈のような気がする。
だが、非常に重要なアプローチのような気がする。
誰も手にしていない素材を用いて
人の考えではなく、自分自身の考え方で
このようなや展開をすれば、
より哲学的なものになるような気がする。
私のとるべき道はこれなのかもしれない。
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●天の瞳 少年編II:No. 2023 2006.12.26

灰谷健次郎著「天の瞳 少年編II」
(ISBN4-04-873159-9 C0093)
を読んだ。
主人公林太郎が中学校1年生のときの話である。
どこにでもいそうな教師、校長などの
生徒を規則で締め付ける教師と
それに抵抗する主人公とその仲間の話題である。
主人公のような正論による抵抗者は、
現時の学校では少数派ではないか。
ほかの抵抗者は不良と呼ばれるものたちである。
主人公たちは、不良とも戦わなければならない。
本当に自然に生きるとは、
自分の正しいと思うとおりに生きるとは
これほど大変なのかと思う状況での話である。
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日の出前。 江別市文京台

●親孝行:No. 2022 2006.12.25

今朝は晴れである。
土曜から日曜にかけて雪であった。
昨日久しぶりに除雪が入った。
積雪はそれほどではなかった。
今日は母が我が家に来る日である。
1月1日まで滞在する。
今日、私は午前中講義があるので、
家内に空港まで迎えにいってもらう。
次男はもう幼稚園が終わりだから、
家内と一緒に空港に行く。
長男は今日が終業式なので学校である。
その後、プールに行く。
プールも今日が最後の日である。
家内が空港から帰ってなければ、
私がプールに迎えにいくことになるので、
3時過ぎには帰っていたほうが良い。
ということで、今日は午前中で
仕事を終わりにしなければならない。
なかなか論文の原稿が進まない。
しかし、母がいるうちはしょうがない。
せいぜい親孝行しなければならない。
まあ、母の好きな温泉とお買い物に付き合うことでる。
後は孫の顔を見せて、孫と遊ぶことである。
そして私ができる限りに付き合うことである。
28日まで大学はあるが、
27日の午前中は講義があるので、抜けられないが、
それ以外はあけらるので、付き合うことにしよう。
それが、私にとっては、数少ない親孝行である。
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朝霧。 江別市文京台

●湧き立つ霧:No. 2021 2006.12.22

今朝はそれほど寒くはなかった。
しかし、歩いていると、牧草地の広い雪原から
霧が湧き上がっている。
何箇所かある牧草地で、
広いところから同じような霧が湧き立っている。
どうもそこには霧を作るような
メカニズムが働いているらしい。
不思議な光景である。
今朝は暖かかったからそのせいかもしれない。
0℃前後の気温で、場所によっては凍り、
場所によっては雪が少し解けているところもある。
そのような条件が重要なのかもしれない。
大気は0℃より暖かく、雪原は0℃のとき、
大気中の水蒸気が氷結するのかもしれない。
原因はともかく、縁着名光景であった。
目の前で霧が生まれていく現場を見ることができた。
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街灯。 江別市文京台

●かかりつけの医者:No. 2020 2006.12.21

今朝は曇りであったが、ここ数日の天気と同じで
それほど寒くはなかった。
昨日は昼過ぎから医者にいった。
風邪で咳が出始めたので、咳止めをもらいに行った。
前回からかかるようになった
自宅から一番近くにある内科医院である。
今までだいぶ通った遠くの医者をやめることにした。
もともと住んでいたところに近い医者だった。
しかし今のところに越してきてからは遠くて不便であった。
体調不良のときも、常用している薬も
近くの医者のほうがいいから帰ることにした。
自宅からは近いが、大学とは反対側だ。
だから、大学から帰りがけにいくのは、少々つらい。
しかし、自宅から出かけるとき、帰るときが気楽である。
土曜日もやっているので、土曜日ならすぐにいける。
しかし、かかりつけの医者ができるとういことは、
いいことなのだろうか。
それとも体力が衰え、老化してきたためであろうか。
子供が小児科にかかるのはしょうがない。
大人であれば、少々のことは体力でカバーできるはずだ。
私も、今まではそうしてきた。
しかし、私は授業で咳き込みがなかなか治まらないので、
学生に迷惑をかけることになるので、
風邪で咳が出始めたら、
今シーズンから咳止めをもらうようにした。
自分のためというより他人のためである。
ここ数年受け続けている
インフルエンザの予防接種もそのためである。
教員という代替のきかない職業のつらいところである。
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並木。 江別市文京台

●頭から紡ぎ出す:No. 2019 2006.12.20

今朝も冷え込んだが風もなく曇りだったので
寒さもそれほどではなかった。
先日来悩んでいた論文を昨日は書き進めた。
アウトラインを決めようとしていたのだが、
それがなかなか全体像ができないため、
書き始められなかったのだ。
悩んでていても仕方がないので、
「はじめに」から書いているうちに、
なんとなく内容ができてきたのだ。
もともとこのようなものを書こうとはあった。
そして素材もデータもある程度あった。
内容が多岐にわたるので、
どうまとめるかがはっきりしていないのである。
しかし、書き始めるとなんとなく書くべき筋が見えてきた。
不思議な体験である。
書いているうちに書きたいことが湧いてくるのである。
多分、頭の中では、
骨子がある程度で着ていたのであろう。
それが鮮明でないためにもやもやしていたのだろう。
最初から書き進めてるということは、
話の筋を、頭で整理しながら、
内容をつくりだすことになるのだろう。
だから、書き始めるうちに、
一見内容が生まれてくるように見えるのだろう。
不思議な現象である。
しかし、私にとっては良い体験である。
書きたい骨子、そして素材があれば、
とりあえず始めてみるのことなのだ。
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エゾリス。 江別市文京台

●論文構想:No. 2018 2006.12.19

今朝は冷え込んでいたが曇りで風がなかったので
歩いていてもすぐに体が温まった。
風邪のようだ。
咳が出始めている。
多分子供が順番にかかっている風邪が
私に回ってきたのだろう。
寝込むほどのことははいようだ。
しかし、無理はできない。
論文が進まない。
まず詳細な構想が思い浮かばない。
資料はだいぶそろってきた。
だから、もっと資料をそろえて、
そこから内容を練るのも手かもしれない。
先日の論文で疲れたしまったのかもしれない。
しかし、気を抜くことなく、継続していこう。
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空。 江別市文京台

●師走の忙しさ:No. 2017 2006.12.18

今朝は雪であった。
除雪があちこちで行われているので、
長靴を履いてきた。
昨日まで道路はがりがりで歩けない状態であった。
土曜は長男、日曜日は私の体調がよくなかったので、
買い物と車屋にいっただけで、自宅でおとなしくしていた。
以前やりのこしたていた、化石のレプリカづくりと、
イモでスタンプつくりをして、子供の分の年賀状を書いた。
発砲スチロールでスタンプつくりをやろうと思ったが、
上手くいかないので、急遽イモ版にすることにした。
あとは大人の住所書きである。
住所修正をともなうので、
なかなか大変である。
まあ、今週中になんとかして、
来週には投函しなければならない。
先週末に論文を半月遅れで出したが、
次の論文が迫っている。
つぎつぎと迫り来る仕事で、
なかなか落ち着けないが、
年末の仕事もこなさなければならない。
これも師走の忙しさか。
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坂道。 江別市文京台

●熱:No. 2016 2006.12.15

今朝はいつものように冷え込み、
昨日の融けた雪が、アイスバーンになっている。
ところどころアスファルトができている。
非常に歩きにくい。
新しい講義の準備、論文作成など忙しさにかまけて、
どうもすべての講義に対して
「熱」が足りないように思える。
人間が講義を行い、人間が聞くのであるから、
そこには、人間的な心の交流があるはずである。
同じ内容であっても、本ではなく、
人が伝えるのであるから、
伝える人の心の状態が講義には反映される。
そのときのお互いの心の部分を「熱」と表現したのだ。
「熱」とは、単に講義の内容ではなく、
そして熱意だけではなく、
伝えたいという心、学問が面白いという心、
この講義は大切だという心、
教師のそんな心、気持ちが
その講義に反映されている。
その「熱」が忙しさにかまけて、
今の私には、不足しているような気がする。
その「熱」がなければ、
聞く学生に対して伝わることが少なくなるだろう。
講義も後残すところ、3分の1の4回ほどとなった。
その間に私の「熱」は回復できるのだろうか。
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街灯。 江別市文京台

●師走のあわただしさ:No. 2015 2006.12.14

昨日の暖かさから、また寒さが戻った。
しかし、冷え込みはそれほどひどくはなかった。
いろいろ年末には忙しいことがある。
定常的な業務に加えて、
学内の選挙、センター入試の準備、
定期テストの準備、論文の準備、
などこの時期の忙しさが加わる。
息をつくまもなく、いろいろなことが続く。
しかし、 これも師走のあわただしさかもしれない。
今年は、冬休みに遠出をしないので、
ゆっくるりと温泉にもでもいって、
正月気分でも味わおうか。
しかし、だが区の授業が始まる9日までは、
連休となるので、混んでいそうだ。
なかなか思うようにはいかないものだ。
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●天の瞳 少年編I:No. 2014 2006.12.14

灰谷健次郎著「天の瞳 少年編I」
(ISBN4-04-873100-9 C0093)
を読んだ。
最近寝る前にはこのシリーズを読んでいる。
この巻は、主人公が小学校5年生の時の話で
構成されている。
少々ませているようだが、
子供と教師、子供と親、子供の間の関係、
いずれも考えさせされるエピソードばかり
取り上げられている。
なかなか参考になる。
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坂道。 江別市文京台

●夜間救急病院:No. 2013 2006.12.13

今朝は暖かく、歩いてくるときは、雨であった。
今朝明け方4時頃に家内に起こされた。
次男が腹痛で救急病院にいくという。
市内に内科小児科の夜間救急病院があるので、
そこに連れて行くことになった。
幼稚園ではやっている腹痛を伴う風邪のようだ。
そして熱も少し出始めている。
しかし病院では、便がつまっているための
腹痛であろうというので、浣腸で便をさせた。
正常ないつもの便であった。
すると腹痛はだいぶ治まったようだ。
朝になったてまだ不調のようだったら
小児科に連れて行くことになった。
私は、 そのまま起きて
いつもの朝の支度をして出てきた。
起こされたの少々寝不足の気分である。
しかし、我が家はつぎつぎと病気になる年だ。
まあ大事に至らなかったのでよしとしよう。
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朝焼け。 江別市文京台

●一日生きることは、一歩進むことであれ:No. 2012 2006.12.12

昨日まで降り続いた雪がやっとやんだ。
一面銀世界である。
遅れている論文を今週中に仕上げなければならない。
そしてすぐに次の論文にかからなければならない。
つぎつぎと論文に追いまくられている。
それもいい。
今までためたいた成果を一気に出すことになるのだから。
日々苦しいが、それでも進むことに意義がある。
湯川秀樹の1965(昭和40)年の手帳の見返しに、
「一日生きることは、一歩進むことであれ」
というメモがある。
まさにその心がけである。
何かをなそうとしていることは、
進むことである。
できれば、その歩を目で見える形で
進むことができればいい。
無理でもそういう志して生きることが重要だ。
心しておこう。
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並木 江別市文京台

●百人一首:No. 2011 2006.12.11

土曜日以来雪が降り続いている。
今朝もまだ降っている。
結構な積雪となっている。
もう根雪なのだろう。
今年は、一段と早い根雪だ。
土曜日は小学校の餅つき大会であった。
午後は百人一首大会であった。
長男と家内は参加した。
次男と私は将棋をして待っていた。
ルールがよく分からない。
多分下の句だけを読んで取り合いをするのだ。
そして、3人一組のチームプレイだ。
ゲーム性だけが追及されている。
ゲーム性もいいが、勝負事で、1年生から6年生
そして卒業生や親まで参加していると、
低学年にはつらいものとなる。
私は、百人一首を覚えることが
百人一首というゲームの一番の重要性だと思うのだが、
それに主力が置かれていないような気がする
まあ目くじらを立ててもしょうがない。
取り札は、木の板で草書、
それも、江戸風の書き方がしてあって、
大人でも読むのに苦労する。
子供たちは、それもイメージとして覚えているのだろう。
大人は文字を解読しようとして苦労する。
子供の素直さとその記憶力、
そして好きなことを飽きずにする訓練には驚かされる。
我が家でも昨年、百人一首を購入したが、
あまりやっていない。
しかし、冬の気分を味わうために
そろそろ今年も始めようか。
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雪と街灯 江別市文京台

●古いノートパソコン:No. 2010 2006.12.08

昨日からの雪で、今朝は結構な積雪となった。
大学や公共機関では除雪が入っている。
しかし、道は除雪が入っておらず、歩きにくい状態であった。
今は激しく雪が降っている。
ふと思いついて、先日から、古い小型のノートパソコンを
引っ張り出して、ソフトを入れだした。
このようなコンセプトのパソコンは今はつくられていない。
SONY VAIOでPCG-C1MSXというものだ。
広げてB5ほどの大きさで、奥行きの半分キーボード、
後半分がディスプレイになっている。
これを半分に折りたたむ非常にコンパクトなものである。
入力するには必要最小限のサイズである。
CPUは遅いが、WindowsXPがOSとしてはいっている。
5年以上前に購入したものだ。
これを文字入力専用の装置として
利用できないかと考えている。
重さもさほどない。
以前は海外に出かけるとき持っていたものだ。
あれこれ使うのではなく、文字入力とそのレファレンス類に
特化した使い方をしようと考えている。
さて、じっさいに持ち歩るいて
負担にならない大きさであろうか。
まあ来週になったら試しててみよう。
今日は学科の忘年会だ。
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月 江別市文京台

●新しい中古車:No. 2009 2006.12.07

アイスバーンの状態になった道を歩いてきた。
今日も天気予報では雪である。
このまま根雪になってしまいそうだ。
先月末に新たしい車に買い換えた。
新しい車といっても、中古車だ。
以前乗っていた車より年式は古いが
走行距離は7万キロで少ない。
また以前はジーゼルだが、現在のガソリン車である。
だから、加速が良いし暖房もすぐに効き始める。
古い割には今のところ快調である。
とはいっても、私は新しい車にほとんど乗っていない。
車を取りにいったときと、買い物に1、2度使っただけだ。
ほとんど家内が乗っている。
もともとそうのような使い方をしていのだから仕方がない。
しかし、長い距離を運転していないのと、
雪道をほとんど運転していないので不安だ。
まあ、しばらく長距離を走る予定はないので
じっくりと馴れていくしかないだろう。
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坂道 江別市文京台

●ケーススタディ:No. 2008 2006.12.06

新雪が積もっていて。
歩いてくるときも粉雪が舞いだした。
冬型の気圧配置が続いている。
このまま根雪になるのだろうか。
そんな心配をしてしまうような天気だ。
あれよあれよという間に師走も1週間近く過ぎた。
すべきことがたくさんある。
だた、なすべきことが遅々としか進まない。
しかしこれが私の現状の進捗スピードだから仕方がない。
週刊のメールマガジン「Terraの科学」が今週で終わる。
これで負担がだいぶ減ってくる。
その余裕を仕事にまわそう。
1年3ヶ月にわたって継続してきたことがやっと終わる。
そんな継続した仕事が終わるとき、
やり終えたという満足感と、
忙しかったけれどこなしていたときの
充実感がもう味わえないという寂寥感が襲う。
感傷ばかりにふけるわけにはいかない。
やるべきことがある。
それは成果をまとめることである。
実はこのメールマガジンは
科学教育のケーススタディとして取り組んできたものである。
それは、先日論文として投稿して、
先週やっと校正刷りができてきた。
だからスーススタディの終了と成果が同時であったのだ。
そんなこともあるのだろう。
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●天の瞳 幼年編1、2:No. 2007 2006.12.06

灰谷健次郎著「天の瞳 幼年編1、2」
(ISBN4048730967)
(ISBN4048730975)
を読んだ。
先日、灰谷健次郎の訃報をニュースで知った。
小学校教員養成の学科に配属され、
教員と子供のあり方について考えるようになってきた。
そんなとき以前読んだ
灰谷健次郎の一連の著作が気になり、
図書館で借り出して読み始めた。
面白いのは確かだが、
描かれる子供と大人、子供と親、子供と教師
の関係で、どれがいいのか、どこが悪いか、
考えさせられることが多い。
そして授業の一こまが描かれているが
定常的な授業でそのようなやり方をしていたのでは、
授業予定がこなせないないのではないか、
というような現実的な問題を想起してしまう。
しかし、それも考慮して子供との
より関係を考えていく必要があるのだろう。
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並木江別市文京台

●郷愁とあせり:No. 2006 2006.12.05

昨日から雪が解けず、根雪のような状態になっている。
今朝、学会から来た雑誌に眼を通していたら、
地質学というものから離れてだいぶたったことを思った。
そして郷愁とあせりに似た思いを持った。
郷愁は、先輩や同輩、後輩たちが
学会の中心メンバーに位置するようになてきたせいである。
彼らががんばっている姿と、
以前彼らと共に地質学を語った日々や、
野外調査をした日々の思い出から
自分が地質学でがんばってきた姿に
思い至ったためである。
あせりは、私は自分の生きてきた道には
地質学を中心とすることができなった環境と
地質学だけに興味が絞られなかったからだ。
一人でできることをやりたい、
誰も踏み出していない道を歩きたい、
そんな思いで進んできた道だ。
周りの人たちが既成の学問分野で
成果の出しているのを見ていると、
自分の歩みつつある道に
これで本当にいいのかという不安に駆られる。
しかし、もう何度もこんな気持ちと戦ってきたはずだ。
一匹狼、自分の道を歩くつらさと、自由さ。
それを甘んじて受けなければならない選択であったはずだ。
自分の納得させるためには、成果を出していくことである。
つまりがんばるしかないである。
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坂道。江別市文京台

●健康第一:No. 2005 2006.12.04

12月になって雪が続いた。
昨日の早朝、除雪が入った。
日曜日の朝、長男が早起きをしたので、
2人で家の前の雪を片付けた。
午後から背骨が痛くなったので、
筋肉痛かと思ったが、
どうも風邪のようだ。
次男が金曜日の夜中から風邪をひいてる。
ひどくはないが、不調である。
私も同じようである。
本当に今年は次々と風邪をひく。
理由が分からない。
例年と同じような過ごしているので、
今年は皆体調不良である。
だからなかなか出歩けない。
しかし、仕方がない。
今年は特別だと思って、我慢するしかない。
健康第一である。
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ナナカマド。江別市文京台

●成果:No. 2004 2006.12.01

いよいよ12月となった。
冷え込んだ朝であった。
昨日から降り続けている雪が今朝も残っていた。
一面真っ白となりいよいよ本格的な冬を感じさせる。
まだ根雪ではないだろうが、冬らしい日となった。
12月となるついつい1年を振り返り、
そして今年中にしなければならないことに思い至る。
今年は、忙しい中、成果を出した年である。
しかし、 今年中につまり後一月で
あと2つ成果をまとめなければならない。
そして来年3月までにはあと1つまとめるべきものがある。
これが今年1年で、
ここ数年取り組んできたもののアウトプットである。
ここから次のステップへと進んでいくことになる。
やっと大学という新しい環境に来て
いろいろはじめたことに対して成果が出始めた。
だが、現在の成果をみると、
多様な分野でのばらばらの内容である。
次のステップは、
これらの成果を体系化していく作業となる。
これには、また長い時間のかかる作業となる。
なぜならまだこれからも新しいものに取り組むであろうし、
やりかけでまだまとまっていないものもいくつかある。
それらで、まずは成果を出さなければならない。
今年一番の成果は、ライフワークと考えている、
地質哲学の分野で論文を書いたことである。
できれば、毎年その思索を深めていき、
成果を出し続けたいものである。
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