思いつくまま

2006年11月
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目次 
●早わかり 地球と宇宙:No. 2003 2006.11.30
●経験:No. 2002 2006.11.29
●2000回の感謝:No. 2001 2006.11.28
●月のきほん:No. 2000 2006.11.28
●志:No. 1999 2006.11.27
●分業体制:No. 1998 2006.11.24
●論文:No. 1997 2006.11.22
●やるしかない:No. 1996 2006.11.21
●絶滅古生物学:No. 1995 2006.11.21
●島物語I:No. 1994 2006.11.21
●教育の基本:No. 1993 2006.11.20
●積雪:No. 1992 2006.11.17
●ボーっとしている:No. 1991 2006.11.16
●現場経験:No. 1990 2006.11.15
●砂場の少年:No. 1989 2006.11.15
●眼の誕生:No. 1988 2006.11.15
●復帰:No. 1987 2006.11.14
●風邪:No. 1986 2006.11.09
●緊急事態への対処:No. 1985 2006.11.08
● 性分:No. 1984 2006.11.07
●冬仕様:No. 1983 2006.11.06
●変革のとき:No. 1982 2006.11.02
●心意気:No. 1981 2006.11.01


夜明け前。江別市文京台

●早わかり 地球と宇宙:No. 2003 2006.11.30

昨日、私の本を購入したという人からメールがあった。
それは本の宣伝をしないのですかというものだ。
だから早速宣伝しようと思う。
2006年12月1日に
「早わかり 地球と宇宙」 という本が発行された。
見本刷りは11月半ばに入手していた。
12月にはいってから書店に並ぶというのを聞いていたので、
これからメールマガジンなどで紹介しようと考えていた。
しかし、先週町にでかけて書店を見たら、
すでに置いてあったのを見つけた。
この本は久しぶりに書いたものであったのと、
今回は出版まで結構苦労したので、
満足感はなかなか大きい。
1年前の10月に出版社には完成稿を入稿していた。
しかし、シリーズで出すということなので、
化学の原稿が出てくるまで作業は止まっていた。
春から本格的な編集作業がスタートした。
そして夏休みに主として校正作業をした。
図版の修正作業に手間取ったり、
ページ変更があり、かなりのページで修正を要したり、
あらたにコラムの10ページほど書くことになったり、
最後の最後で縦組みから横組みに変更したりで、
いろいろあわただしかった。
それに今年は新学科の授業が始まっていたので、
時間のない中、修正作業をやったので、
なかなか大変だった。
夏休みもこの本に忙殺されることになった。
でも思い入れもそれなりにある。
資料を提供した方々に献本をしたのだが、
なかなか評判はいいようだ。
地学に関する本がいくつかでているがが、
一般の人には、私の書いたものの方が
分かりやすいのではないかと
編集の方ともども自賛している。
興味ある方はページをめくってくいただければ幸いだ。

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霧。江別市文京台

●経験:No. 2002 2006.11.29

今朝は寒さはそれほどでもなかったが、霧が濃かった。
薄っすらと雪も積もっていた。
霧のために幻想的な風景となっていた。
毎日見ている景色とは
あらゆるものが違って見えた。
薄い霞はよくかかるのだが、
こんなに濃い霧は久しぶりであった。
しかし、神奈川に住んでいた頃は、
こんな霧の日はあまり経験がなかった。
霧は山に登ったときに経験するものであった。
北海道ではこのような霧は年に何度か経験する。
これは、住んでいる地の自然が違っているためである。
そんな違いを楽しみ、そんな経験を重ねることが、
「その地の人になる」ということであろう。
もちろん自分が育った時間の積み重ねのすべてが
経験となるのだから、
私には北海道以外の本州の経験が
いろいろ混じっている。
そのような各地の「地の人」としての経験が
私の個性をかもし出しているのだろう。
我が子達はどのような経験を持つのだろう。
二人の子供は神奈川で生まれたが、
その経験はほとんど記憶にないようだ。
でも、どこかにもしかしたら
そのような経験が残っているのかもしれない。
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落ち葉と実。江別市文京台

●2000回の感謝:No. 2001 2006.11.28

とうとうこの「思いつくまま」も2000回を迎えた。
No. 1の「はじめに」を書いたのが2001年6月2日で、
1000回の感謝を書いたのが2003年9月23日である。
2000回が今日2006年11月28日である。
最初の1000回を達成するのに2年4ヶ月、
1000回から2000回まで3年2ヶ月かかった。
両者には1年以上の差がある。
この差は、調査や旅行のときに書くメモが
ここ数年は少なくなったことに由来している。
以前はメモもエッセイも出かけているときは
一杯書いていた。
しかし、最近はあまり書かなくなった。
年齢のせいか調査に出ると疲れが
溜まるためかもしれない。
これのペースはこれからも続くであろう。
3年ほどで1000回、1年間300回余りのペースで
ここからもメモの蓄積が進むのであろう。
この「思いつくまま」が
私のすべてのメモとしての役割を果たしている。
身近な自然、読書メモ、日々思ったこと、エッセイのネタ、
人に送ったメールの重要な内容などなど、
機会があれば、すべてここにメモとして記録してきた。
それらを日々の思いとして公開してきた。
このような書くという蓄積が、
私にとって、どのような役割を果たしてきたのか、
これから果たすかは、よく分からない。
書くことに抵抗はもともとなかったが、
いろいろなことを考えて書くこと、
書きながら考えをまとめること、
自分の考える力をつけることには
役立っているのかもしれない。
カウンターはとうの昔にやめてしまった。
だから、このページを読む人が
どれくらいいるかは分からない。
見る人の人数が多ければ一生懸命書くのか、
見る人がいなければ、書くことに手を抜くのか。
もちろんそんなことはない。
そんなことを考えていくと、
私の中でカウンターをつけることの意味なくなった。
カウンターの設置が、他者の過多によって、
自分の考えを左右されているかのように見えて、
つまらないことに思えてきた。
しかし、公開しているということは、
もはや自分自身のためだけではありえなくなっている。
他人を意識したメモとなるのは当然だ。
その自分自身の心の中の他人の眼は、
自分の考えに当然ながら規制を与える。
それは、良い意味でも悪い意味でも必要なことである。
公開しないのなら、
本当の日記として非公開で書けばいいのだ。
公開するということは、
もはや人に見られているということを
意識して書くことである。
私には、書くための動機として、
私の心の中に他者の眼が必要なのである。
そんな眼を意識しながら、
ただ淡々と継続していくのみである。
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●月のきほん:No. 2000 2006.11.28

白尾元理著「月のきほん」
(ISBN4-416-20612-6 C0044)
を読んだ。
白尾氏の月に関する本だ。
月については、科学的なデータ集はもっていたので
不自由は感じなかったが、
この本を読んで、まさに月の基本がわかった。
天文写真のプロといっても良い白尾氏が
あえてイラストで説明をしたのは、
そのほうが分かりやすいからである。
この本は子供から大人まで、
分かりやすさにこだわって作成されたものである。
私にも面白く分かりやすい内容であった。
いくつか誤植もあったが、それはあとがきにあったように
急いで書いたせいかもしれない。
しかし、それはささやかのことである。
この本はいい。
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朝焼け。江別市文京台

●志:No. 1999 2006.11.27

週末に推薦入試があった。
近隣の大学でも同時に入試があった。
彼らは志を持って入試に挑んでいる。
それは若いときに夢見るような将来かもしれない。
でも、この大学を選んだということは、
その夢を達成できる
一番の選択肢であると思っているはずだ。
夢を実現するするために、必要なものは、
夢をかなえたいという志だ。
受験に望む姿には志がみなぎっている。
そんな姿は、素晴らしいことだと思う。
反面、その志は、大学に入ってからも持ているかどうか。
夢は現実をしることで変化していくであろう。
しかし、志は、いろいろな誘惑、堕落、逃避などに
めげることなく、持ち続けることが大切である。
どんなに逆境であっても堅持できる志であれば、
その志によって夢はやがて達成できるであろう。
周りの人間は、志に関しては、口を出すことはできない。
励ますことすらできないかもしれない。
夢の前に立ちはだかる個々の試練や訓練、
ありは達成のために必要な練習、学習は
周りの人間もでも手助けでるだろう。
しかし、志だけは、自分自身が持ち、鍛えるものだ。
そんな志を持つ力、自分自身で持ち続ける力が
生きていく上で一番大切ではないだろうか。
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落ち葉と雪。江別市文京台

●分業体制:No. 1998 2006.11.24

今朝は冷え込んだ。
昨日は休日であったが、
買い物以外は自宅にいた。
時々雪が降る寒い天気であった。
明日から大学の推薦入試である。
私の担当は日曜日だ。
最近、大学の将来について考えることが多い。
これからは大学定員と入学志願者が
逆転した状態だ続いていく。
したがって定員割れの大学、
経営破たんする大学が
今後ますます増えてくるであろう。
その狭間にいる大学は、
ここ数年の大学の経営努力が
その明暗を分けることであろう。
過去の栄光では生き残れない。
今の高校生にどれほどアピールできるかである。
そのためには、大学の教育を充実するのは
当たり前の前提である。
それ以上に大学の広報宣伝活動を
いかにするかが問われるのではないだろうか。
これは、何も大学生き残りだけの戦略ではない。
すべての企業、事業が同じような
苦労をしているのであろう。
ところが、高校生やその保護者、消費者は、
感覚的な判断を多分にする。
そのような感覚にも訴えなければならない。
そしてその眼や耳をこちらに向けてもらった後、
自分たちのアピールをしなければならない。
大学の教育や商品は、
いいものであるのは前提である。
まずは、それがなければ、最終的に生き残れない。
大学では、特にその前提が問われるのではないだろうか。
組織改革と授業への自己努力の
両方をやらなければならない。
さらに、それに疲労することなく、
自分たちをアピールしなければならない。
もうこれは分業体制を
とらなければならないのではないだろうか。
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木立。江別市文京台

●論文:No. 1997 2006.11.22

今朝は時折激しい雨が降る天気である。
しかし、風が思ったより激しくなくったので、
ズボンや靴が濡れることはなかった。
天気予報では大荒れの天気であるが、
晴れ間も覗いている。
論文を書き続けている。
日常的な業務をこなしながら、行っている。
もちろん最優先にしている。
あと一週間しかない。
その間に推薦入試もある。
まあ、できる範囲でやるしかない。
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雫。江別市文京台

●やるしかない:No. 1996 2006.11.21

今朝は雨で、暖かい日ある。
私が大学に来るまでは雨が降っていなかった。
日が短くなり、天気の悪い日は、
暗いまま大学に向かうことになる。
いよいよ論文の締め切りがせまってきた。
今月末の締め切りだ。
まだ初稿ができていない。
少々あせっている。
書きたいことは決まっているが、時間がない。
あとは、ひたすら書き続けることである。
あと1週間で完成にこぎつけなければならない。
しかし、これはもうやるしかない。
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●絶滅古生物学:No. 1995 2006.11.21

平野弘道著「絶滅古生物学」
(ISBN4-00-006273-5 C0044)
を読んだ。
古生物学を絶滅という視点で捉えたものである。
著者の主張はよくわかる。
地球の歴史を解明するためには、
古生物学的情報は不可欠である。
それはあまりに記載的である。
現在の科学の進歩や方向性からは
なかなか古生物学の研究が評価されないのは
学問の性格上仕方がないような気がする。
もっとのびのびと学問できる環境が必要だ。
このような学問は博物館のようなところで
もっと主力を移してやるべき分野のような気がする。
そして、子供や市民に古生物学の面白さを
伝えていくべきであろう。
研究者養成は、大学の地質学や生物学を専攻したものが、
博物館で専門の訓練を受けながら
行うのが理想的ではないだろうか。
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●島物語I:No. 1994 2006.11.21

灰谷健次郎著「島物語I」
(ISBN4-04-352025-5 C0193)
を読んだ。
以前にも読んだ記憶があるのだが、
新入生用の推薦図書の候補として、再度読んだ。
面白くいろいろ考えさせられる内容であった。
現実にこのようなことが
可能なのだろうか疑問に思うこともある。
しかし、これは小説なのだ。
伝えたいことがあっての虚構である。
著者の伝えたいことについて考えをめぐらすべきであろう。
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落ち葉。江別市文京台

●教育の基本:No. 1993 2006.11.20

早朝は曇っていたが、日の出と共に晴れ間が見え出した。
風邪のほうはだいぶよくなってきた。
まだ鼻水と咳が完全には抜けていないが、
だいぶ体調がよくなってきた。
変わりに長男がくしゃみばかりしている。
風邪が移ったのかもしれない。
たいしたことがなければいいのだが。
いずこの大学も少子化の影響で
受験者数の低迷が続いているだろう。
そして大学の淘汰が起こり、つぶれる大学も出ている。
自分が生き残るために、他の大学より先手を打つこと、
そして受験生を集めること、そのために、改組をする。
教員は生き残りをかけて、改組に精力注ぎ込むことになる。
改組が進行中のとき、新しい組織に入ってきた学生への
ケア、教育がおろそかにならないなければいいが、
どうもどたばたの中にあっては、おろそかになることがある。
こうなれば、改組の意義が問われかねない。
学生を教員が大切に教育していく。
これが教育の基本である。
生き残りという最優先事項が発生すると、
その点におろそかになっていくことが懸念される。
もっと教員は教育に専念する環境が必要だ。
改組が必要なら、分業体制があってもいいだろう。
片手間では、中途半端になるのではないだろうか。
そんなことを考えてしまう。
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ナナカマドと雪。江別市文京台

●積雪:No. 1992 2006.11.17

今朝はとうとう雪が積もった。
今週の初めにも雪が降ったが、
朝、道路の雪はほとんど解けていた。
今日はびしょびしょの雪であるが、数cmつもった。
冬靴を出してはいたら、水がしみてきた。
春には気づかなかったが、
どうもだめになったようだ。
さっそく靴を買い換えなければならない。
いよいよ冬の到来となった。
私の冬は風邪からはじまったが、
体調はだいぶよくなってきた。
しかし、まだ鼻水や咳がぬけない。
まあ無理をせず過ごしていこう。
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牧舎。江別市文京台

●ボーっとしている:No. 1991 2006.11.16

今朝は冷え込んだ。
体調不良が続いている。
夜中に眼が覚めてなかなか寝れなくなっている。
そのせいか朝起きても、ボーっとしている。
自宅をでてしばらく歩いていると
体調が少し回復してくる。
しかし、本調子でなく、ボーっとしている。
もしかすると服用している風邪薬のせいかもしれない。
明日体調がもどれば、
インフルエンザの予防接種を受ける予定であるが、
微妙な状態である。
やらなければならない仕事がたまってきたので、
なんとか体調を戻したいものだ。
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落ち葉。江別市文京台

●現場経験:No. 1990 2006.11.15

今朝は東の空は曇っていたが、それ以外は晴れていた。
そのため日の出が遅れたが、いい天気となってきた。
日曜日の夜半に降った雪は山には残っているが、
平野部はすべて融けた。
今日は穏やかな日で暖かくなりそうである。
まだ体調がすぐれないが、平常の仕事をしている。
そして教育について考えている。
どのような教育がいいのだろうか。
それは、自分の個性と能力、
そして学生の希望と熱意などによって、
状況は変化するであろう。
しかし、伝えたいという教師の気持ち、
これが大切だという内容、
そして学生の反応をみながら進めていくことになる。
同じ内容でも、上手な教師なら、
多くの学生に興味をもたさせて
より分かりやすく伝えることができるかもしれない。
大学の教員は、いいわけかもしれないが、
いろいろな経歴を持ち、
そして研究というバックボーンをもっている。
したがって大学の教育は、
教員の経歴から来る個性と、
学問的背景の色濃い教育となる。
だから、専門性の高い内容となっても、
少々難しくとも、許されるかもしれない。
ところが小中高校の教員となるとそうはいかない。
児童・生徒・学生に分かりやすく伝えることを
職業としているのである。
私は、教員養成の教員として、
知識や思想、考え方などは、伝えることができても、
教えるテクニックを伝えることができないのである。
その辺がジレンマとなる。
現場経験のなさによるものであろう。
しかし、現場経験者だけで大学の教員養成をするとなると、
こんどは学問的深みや学問という独特の世界を
かもし出すことが難しいだろう。
そんな狭間にいて、日々悩んでいるのである。
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●砂場の少年:No. 1989 2006.11.15

灰谷健次郎著「砂場の少年」
(ISBN4-04-352024-7 C0193)
を読んだ。
35歳の臨時採用の中学校教師が
「札付き」のクラスを担当させられる。
しかし、教師と生徒が理解しあうことで
より深い教育について考えていくものである。
小説である。
最近急遽小説をいくつか読み出した。
新入生に入学前のガイダンスとして、
書籍を指定し、感想を書くというものがある。
そのための素材探しである。
灰谷健次郎は以前結構読んでいた。
今ではほとんど忘れている。
しかし、教育を扱った内容が多いので、
今後も読み進めていこうと考えている。
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●眼の誕生:No. 1988 2006.11.15

アンドリュー・パーカー著「眼の誕生」
(ISBN4-7942-1478-2 C0040)
を読んだ。
カンブリアの大爆発とよばれる生物の飛躍的進化が
光を感じる眼の進化によるものであるという説が
展開されている。
「光スイッチ」と呼ばれるものである。
当たり前のように見える説であるが、
今までだれも真剣に唱えてこなかったものである。
当たり前に見える説であるから、
非常に多くの面から論じられている。
なかなか面白い説だと思う。
しかし、古生物の進化を考えるときいつも
仮説と真実について考えてしまう。
進化とはあくまでも説にすぎない。
人間の自然の見方といってもいい。
だから進化を支配する要因を考えるのは、
もっと実証困難となる。
現在の生物の環境への適応や小進化ですら、
現象は捉えることができても、
その本当の原因は完全にはわからない。
説をつくっても、それが唯一の解であり、
真実だという証明ができないからだ。
古生物の進化とは過去のできごとである。
だから、論理として一番もっともらしいものが
もっとも真理に近いと考えざる得ない。
そんな当たり前のことであるが、
有力な説が真理だと間違って伝わることには
注意が必要だ。
そんなことを考えた。
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街灯。江別市文京台

●復帰:No. 1987 2006.11.14

今朝は雨は上がっていたが曇りである。
しかし気温はそれほど低くない。
金曜日に風邪でダウンした。
風邪ではめったに医者に行かなかったが、
年々かぶりで医者に行った。
月曜日もまだ不調で再度医者に行った。
今朝はだいぶましになったが、まだ不調である。
なぜか手が震える。
これは風邪の症状が出始めたときから
はじまったような気がする。
しかし、そんなに長期間休めない。
今日から復帰した。
もちろん仕事は溜まっている。
こなさなければならないが
体調をみながらほどほどにしよう。
また寝込んではしかたがない。
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カラマツ。江別市文京台

●風邪:No. 1986 2006.11.09

今朝は晴れたり曇ったりの天気である。
相変わらず暖かい天気である。
しかし、木々の落葉は続いている。
もう葉をつけている落葉樹も残り少なくなってきた。
いよいよ雪の季節である。
我が家は家内と私が同時に風邪を引いた。
同じ風邪のようだ。
子供たちは一応元気である。
本当に今年は我が家では、次々と誰かが、
風邪をひいたり体調不良になったりしている。
本当に不調の年である。
これからはインフルエンザが心配である。
家内と子供が第1回目の予防接種をし、
来週には私と子供の2回目をする予定である。
それまで風邪を引かなければいいのだが。
いずれにしても体調を何とかしなければならない。
そのためには、無理をせず、
体力を温存していく必要がある。
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落ち葉。江別市文京台

●緊急事態への対処:No. 1985 2006.11.08

今朝はやっと雨が上がって、晴れ間が覗いた。
昨日の夕方テレビをつけたら、
佐呂間町で家が激しく崩壊している映像が飛び込んできた。
何が起こったかわからないのだが、
とんでもない災害がおこったようだ。
しばらく見ていると、強風による被害のように見えた。
竜巻のようにもみえたが、
オホーツク沿岸で竜巻など聞いたことがなかったので
まさかとおもっていた。
ニュースと見ていると、やがて竜巻らしいという
アナウンサーの説明があった。
確かに昨日は激しい雨と風の荒れ模様であった。
天気予報でも大荒れというのであった。
でも竜巻がこの時期北海道で起こるとは知らなかった。
今朝の新聞をみると
竜巻のニュースがたくさん報道されていた。
それによるとやはり竜巻は珍しいものらしい。
こんな予想外の自然災害に人間はなすすべもない。
しかし、少なくとも行政や関係機関の対処は
迅速であるように見える。
いままで緊急事態のとき、
適切な対応がなされなかったときには、
手ひどい世論の批判を受けてきたからであろうか。
今回の事態でもそのようなミスが
報道されるかもしれない。
しかし、そのような前例の反省によって
今後も緊急事態への対処の不備で
被害を広げることのないようにすることができるはずだ。
それが、突発的な自然災害への
無力な人間の一番の対応策であろう。
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虹パノラマ。江別市文京台

● 性分:No. 1984 2006.11.07

今朝は激しい雨であった。
ズボンと靴がすっかり濡れてしまった。
しかし、暖かくて寒さを感じなかったのが救いである。
研究室で靴下と靴を乾かすはめになる。
ズボンは乾かせないので着ていることになる。
昨日は用事があったので早めに帰ったので、
今日すべきことが結構ある。
考えると、日常的には、
曜日ごとに何をするかとういルーティンが決まっており、
その合間の時間に、
長期的にすべきことが入っており、こなしている状態である。
それが生活のパターンとなっている。
だから一日特別なことがあると、その日の予定が
翌日回しになるので、翌日の予定がきつくなる。
できない場合は、翌日送りが続き、
日々忙しくなる。
そして最終的に長時間かけてすべき仕事に
しわ寄せが来る。
それも先延ばしにも限界があるので、
しみきりに追われて、
最優先で、時間のかかる仕事を
しなければならないはめにする。
そして忙しさに追い回されることになる。
それが分かっているので、
余裕を持った計画をすべきなのに、
ぼけっと暇にする時間をつくりたくないので、
ついつい毎曜日、毎日すべきことが生み出されていく。
これが私の日常の悪循環を生む構図である。
私には、空き時間を空き時間として
楽しむ余裕がないような気がする。
それも寂しい気がするのだが、
性分なので仕方のがないのある。
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虹。江別市文京台

●冬仕様:No. 1983 2006.11.06

土曜日から暖かい日が続いている。
日曜日から今朝にかけて雨であった。
木々の葉がほとんど落ちた。
今朝大学につくと虹が見えた。
この1年、何度か虹をみた。
しかし、写真にとることはなかなかない。
今回が2度目だった気がする。
いよいよ冬が来る。
気持ちも体も冬仕様にしていく必要がある。
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落ち葉と霜。江別市文京台

●変革のとき:No. 1982 2006.11.02

今朝は快晴で冷え込んだ。
風がなかったが冷え込みが強く、
歩いていてもなかなか体が温まらなかった。
霜が一面に降りていて、寒さをより感じさせる。
日の出が遅く、早めに自宅を出ると、
大学に着く頃に日が昇りだす。
いずこも同じであろうが、
大学では改組が進行中である。
そんな時考えた。
現状で生じた不具合は対処すべきである。
不具合は修正すべきであろう。
できるうるならば、よりよいものに修正、
あるいはこれを機会に今までの問題点を洗い出し、
抜本的な改革をすることも必要であろう。
組織内の構成員すべてによい改革などは
ありえないであろう。
トータルとしてプラスになることを考えるべきである。
そのプラスの時点をいつのころを目指すのか。
2、3年後か、5年後か、10年後か、20年後か。
プラスの目標をいつに定めるのかによって、
変革のしように変化が起こるはずだ。
一番稚拙なことは、対処療法的な
2、3年後の現状復帰を目指すことである。
現状に不具合が生じているのであるから、
それを根本的に変革すべきであろう。
そして目指すは10年後、20年後の発展であろう。
そのためには、5年後のマイナスも辞さない
覚悟も必要であろう。
そんな改革の時期には、
指導者や指導部の能力が問われる。
まず、十分な現状分析、対処方針、将来設計、
そして実行力が求められる。
賛成勢力に改革の努力を求めることはもちろんだが、
反対勢力にも努力をすることを求めなければならない。
着実に進むこと、そして計画の途上であっても
不都合は修正する柔軟性が必要である。
こう考えると、改革とはなかなか大変である。
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落ち葉。江別市文京台

●心意気:No. 1981 2006.11.01

今朝は曇りで風の強い日であった。
積もった落ち葉に風が吹き、つむじ風が起きる。
風の動きが落ち葉によって見える。
こんな落ち葉の乱舞が秋の深まりと終わりを教える。
いよいよ11月となった。
10月中にすべきことは終わった。
そうすると11月中にすべきことが現れる。
論文作成が一番の気がかりである。
新しい講義を作成しながら、
論文を書くのはなかなか大変である。
しかし、そうと決めて取り組んだのだから
やりぬかねばならない。
12月、1月になると次の論文たちが控えている。
今までの成果を一気に放出するのだ。
そして新しい展開をめざすのだ。
そんな心意気をもって取り組んでいるはずだ。
だから精一杯やっていこう。
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