思いつくまま

2006年06月
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目次 
●休日:No. 1883 2006.06.30
●やるしかない:No. 1882 2006.06.29
●パノラマヘッド:No. 1881 2006.06.28
●かき氷:No. 1880 2006.06.27
●水平軸回し:No. 1879 2006.06.26
●新しいホームページ:No. 1878 2006.06.23
●自然を感じ自然を知る:No. 1877 2006.06.22
●注意力:No. 1876 2006.06.21
●やるべきこと:No. 1875 2006.06.20
●ちょうちょ:No. 1874 2006.06.18
●焦燥感:No. 1873 2006.06.16
●エディター:No. 1872 2006.06.15
●携帯電話:No. 1871 2006.06.14
●精神的豊かさ:No. 1870 2006.06.13
●外が良い:No. 1869 2006.06.12
●雨にも負けず:No. 1868 2006.06.09
●温暖化と意識改革:No. 1867 2006.06.08
●傍観者の感想:No. 1866 2006.06.07
●魚眼レンズ:No. 1865 2006.06.06
●生命の起源:No. 1864 2006.06.06
●好きなこと:No. 1863 2006.06.05
●それは不精なのでは:No. 1862 2006.06.02
●空任せ:No. 1861 2006.06.01


花。江別市文京台

●休日:No. 1883 2006.06.30

今日は雲ひとつない快晴である。
非常に気持ちいい。
4時頃に目が覚めたが、
まだ早いのでもう一眠りしようと思ったが
寝れないので5時前に起きた。
緑が濃くなり、ニセアカシアの花が咲き乱れ、
タンポポの第二陣が咲き出した。
それを阻止するかのように
2度目、3度目の草刈がはじまる。
初夏から夏になってきた。
いよいよ前期も残すところわずかになってきた。
時は流れ、季節は巡る。
土曜日曜日も行事があり、
落ち着いた休日が過ごせない。
しかし、逆に何もないと
変化のない特徴のない一日となる。
それこそ休日なのだが、
子どもたちはそうもいかない。
休みだから寝ていたい長男と家内。
休みだから何かしたくて早起きをする次男と私。
人の思いはばらばら。
それも休日。
夏休みを控えて、無理せずいこう。
私の溜まった仕事もこなしていこう。
あせらず、しかし着実に進んでいくしかない。
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ニセアカシア。江別市文京台

●やるしかない:No. 1882 2006.06.29

今朝は晴れである。
このまま晴れれば暑くなりそうである。
いよいよ6月も終わりである。
6月も天候不順であまり良い天気の日がなかった。
曇りや雨が多く、北海道の一番良い季節の
初夏を十分味わえかなった。
講義も残すところ後少しとなった。
私自身はしごとがなかなか進まない。
講義をつくることに専念している。
だから他の時間は、あまり集中しできない。
自宅でも講義の準備か手を動かすような作業しかできない。
しかし、講義の方はそれなりに
面白いものになりつつあると思っている。
満足できるものではないが、
現状ではそれなりの努力をしたつもりだ。
でも来年再度内容を修正した方がいい点も多々ある。
でも、まずは目の前の講義である。
ああ、いつも追いまくられている気がする。
でもやるしかないのである。
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花。江別市文京台

●パノラマヘッド:No. 1881 2006.06.28

今日は曇りで時々霧雨降っていた。
風が強い日である。
昨日は風に加えて激しい雨であった。
非常勤の講義のあと、街の中にある東急ハンズにいった。
欲しかったものが手に入った。
そこで、金属加工をしてもらえることが分かった。
新しいしいパノラマ用のヘッドの作成を考えていたので
ちょうどよい。
現在の自作のパノラマヘッドは少々位置がずれているのと、
厚さが足りずにねじ山に力がかかると弱いという
欠点、弱点がある。
現在のヘッドは2mm程度の厚さのステンレス製である。
厚さが増すと加工しづらいので、
自作はできないとあきらめていた。
しかし、聞いたら斜め切り、ねじ穴であれば、
5mm程度のもので大丈夫という話である。
ただし、精度はそれほどよくないとのことであった。
精密なねじ切りは自分でやるとして、
整形と大きな穴は自分であければいい。
2つつくれば、いいであろう。
来週までに設計しておこう。
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こけ。江別市文京台

●かき氷:No. 1880 2006.06.27

今日は曇りである。
昨日は久しぶりに快晴になった。
夕食の後、カキ氷をした。
自宅でやるのは今年はこれが最初である。
シロップを買い、氷を作り準備はしていたが、
涼しい日が多く、
なかなかカキ氷をするチャンスがなかった。
昨日久しぶりにした。
買って食べるものとは、一味違う気がする。
もしろん、気持ちのせいだろうが、
自分たちでがりがりとつくる楽しさ、
待ち遠しさ、できていく喜び、
それらすべてを一緒に味わうからだそう。
頭が痛くなるほど冷たい。
舌がシロップ色に染まる。
そんなことを話しながら食べるのも楽しい。
こんなしがもっと一杯来るといいのだが、
今年は、天候不順でなかなか夏ような天気が少ない。
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きのこ。江別市文京台

●水平軸回し:No. 1879 2006.06.26

土日曜日は、行事ででかけた。
土曜日は近所の大学の学園祭にいった。
日曜日は自治会の掃除とジンギスカンパーティを
近くの公園でやった。
両日とも天気はよく、久しぶりに良い天気であった。
日曜日は掃除は草刈でジンギスカンも外でやったので、
暑くて汗をかいた。
ビールがうまかった。
11時からはじまって、2時までの予定であったが、
暑すぎるので、1時前には終わった。
行事の合間を縫って水平軸回しによるパノラマを
撮影して作成に挑戦した。
上手くいけば芸術的パノラマになる予定であったが、
平軸回しはやはり、ノダールポイントの軸のブレが起こり、
なかなか大変であることがわかってきた。
それに、高い位置からのだとカメラを落としそうで怖い。
よっぽどでないとやらないほうが良いテクニックである。
やはり三脚でやるのがいちばんいい。
今日はポータル用に研究室の撮影の予定である。
光源をどうするかなやむところである。
まあやってみるしかない。
背景音楽にゼミの学生の音楽を使おうとしたが、
録音が悪いせいで、デジタルにしても
なかなか音がよくならない。
あと少しチャレンジしてみて、ダメだったら、
既存の著作権フリーの音楽にしよう。
芸術的なページを作成するには
やはり下準備には結構時間がかかる。
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松。江別市文京台

●新しいホームページ:No. 1878 2006.06.23

昨夜も雨であったが、朝は小雨となっていた。
つかってないサイトのホームページがある。
そこにデータを入れようとしたら、
データが多すぎであふれたので、
現在、何も使っていない。
そこにおく素晴らしいアイディアがあるのだが、
それを作成する場所が決まらない。
このサイトは、芸術性を重んじるものとしたい。
フルスクリーンのパノラマで
現状で最高のクオリティをもつ画像を作成して
配置しようと考えている。
その画像一枚で構成する。
そこに、準備中の案内や
ポータルへのリンク、プロフィールなどを
探さないと見つからない程度にさりげなく、
入れようと考えている。
画像としては、研究室を使おうかと思うのだが、
なかなかいい構図がきまらない。
現状では雑然としているからである。
研究室を片付ける必要がある。
作為的に、砂や岩石を整理、撮影、顕微鏡観察、
記載などの作業している状態を
演出しようかと考えている。
ちょっとマニアックであるが、
それくらいさりげなさと、
こだわりをもって作成したいものである。
さて、撮影はいったいつできるのであろうか。
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キノコ。江別市文京台

●自然を感じ自然を知る:No. 1877 2006.06.22

昨夜は激しい雨が降っていた。
雷も鳴っていた。
朝になると雨もひと段落で上がっていた。
本州では暑い日が続いているようだが
北海道では涼しく曇りの日が続く。
晴れの日が少なく、気温もなかなか上がらないようだ。
北海道では農作物に影響が出ているようだ。
野菜が値上がりしている。
季節の変化と、その年固有の変化が、
自然の中で暮らす生物に影響を与えているのだ。
文明の中で暮らす人間には
農作物、酪農物の変化として感じることになる。
体で気温や天気を感じているはずなのに、
今年の気候の変化に疎くなっている。
食料として直接生活に影響が出たとき、
人間も自然の中で暮らしていることが分かる。
気候の変化を価格の変動で感じるのである。
暑い夏も寒い夏も都会の人工の自然の中に
引きこもって暮らすのだろうか。
それは不自然で、
やがては破滅する生き方のような気がする。
自然を感じ、それらか自然を知ること、
こんな当たり前のことができる人間になりたい。
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キノコ。江別市文京台

●注意力:No. 1876 2006.06.21

今朝は涼しかった。
歩くとちょうどよい気温であった。
霧雨で少々風があった。
昨日非常勤で別の大学にいったら、いつもと様子が違う。
何か変だと思っていたら、
出かける時間をいつもより1時間早くいったのだ。
まったく気づかなかった。がっくりした。
早く行ったことより、
そのような失敗をする自分に驚いたのだ。
そんな時、注意力について考えた。
以前にも、似たような失敗をした。
そのときは自分の注意力に限界があることを認め、
注意力を増すために、ノートにスケジュールを
きっちりと入れることによって補うことにした。
そのノートのスケジュールを
自分の行動の基本とすることにしたのだ。
しかし、今回もまた似た失敗をした。
どうも注意力が散漫になっているようだ。
人間だから、それも加齢によって精神力も
衰えているのだから、注意力が散漫になってきているのだ。
注意力も徐々に衰えることを
考慮に入れなければならない。
だが、注意すべきことがたくさんあると、
どれも中途半端になってしまうかもしれないので、
あまりたくさんの注意すべきことを入れるべきでない。
しかし、注意すべきことがないのも、注意力を衰えさせる。
限られた注意力を有効に使うには、
適度の刺激と適切な使用をしなければならないのだ。
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花。江別市文京台

●やるべきこと:No. 1875 2006.06.20

昨日から今日にかけて、
曇りや薄日がさしたり、はっきりしない天気である。
土・日曜日は蒸し暑く、
窓を開けなければならないほどだった。
こんどの天気の良い休日には、
網戸を入れなければならない。
そんなことを考えていると、ふと時の流れを感じてしまう。
季節はめぐり、月日は流れ、もう6月も下旬となった。
講義も後一月ほどで前期が終わる。
定期試験の準備もはじまってきた。
しかし、やるべきことは遅々として進まず。
締め切りのみが近づいてくる。
あせる気持ちがあるのに、目先の忙しさに振り回されて、
焦りの気持ちのみが募る。
こんことを打開するには、少しでもいいから、
やるべきことにかかわり、進めることである。
そんなことを考えている暇があったら、
やるべきことをはじめよう。
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きのこ。江別市文京台

●ちょうちょ:No. 1874 2006.06.18

今朝は霧が出ていて、曇り空である。
最近せみが鳴き出した。
子どもがせみを取るというので、
日曜日に千古園連れて行った。
鳴いているがきの高いところなので、捕れそうもない。
しかし、ちょうちょは捕れた。
ミヤマカラスアゲハとスジクロチョウ、モンシロチョウである。
今の時期ならこんなところだろう。
虫を調べたいというので、
午後は、札幌の昆虫図鑑を買いにいった。
その本は、非常に詳しく、虫の見分けたかを書いてあった。
捕って、よく見て、カメラで撮影したら逃がしたので、
どのようなものであったかは、写真が手がかりである。
上手く写っているだろうか。
それが問題だが。
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林。江別市千古園

●焦燥感:No. 1873 2006.06.16

今日は激しい雨であった。
強い風と横殴りの雨である。
午後から病院へ行く予定でなので車で来た。
歩いてきていたら、
ぐっしょりと濡れていただろう。
こんな天気もある。
今、私には焦燥感がある。
焦燥感とはいろいろな時に沸き起こる。
やる気はあるのに、
やりたいことが見定められないときに焦燥感がある。
やりたいことがあるのに、
力量的にやれそうもないときも焦燥感がある。
やりたいことがあるのに、
やれる時間がないときも焦燥感がある。
やるべきことがあるのに、
やる気が沸き起こらないときにも焦燥感がある。
今の私は、どの焦燥感だろう。
もしかしたら、そのうちのどれかが
見定められないための焦燥感かもしれない。
もしかすると肉体的、あるいは精神的に
疲れているのかもしれない。
こんなときは、疲れた体や心を
休ませることが必要なのかもしれない。
それもままならない焦燥感もある。
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牧草地。江別市文京台

●エディター:No. 1872 2006.06.15

今朝は霧雨であった。
少し霧が出ていた。
長年つかっていたエディターを
悩んだ末に交換することにした。
私は、文章書くことが多く、
WZというエディターを、長年使ってきた。
それ以前はMaifesというエディターをつかっていたが、
Macにハードを一時変更していたので、
DOSのエディター使用には空白期間がある。
その後WZエディターを使うようになった。
WZエディターはバージョン3から5まで使ってきた。
しかし、バージョン5になってから4年ほど
バージョンが上がっていない。
それどころか新しいバージョン開発が行われず、
サポート用の掲示板もなくなった。
このような状況であれば他のエディターに変えるのだが、
WZエディターから他のエディターに変えられなかったのは、
アウトライン機能があったからである。
それにメイラーもあったので、
それをもっぱら使っていたのだ。
メイラーは代用も可能であったが、
切り替える機会がないので、ついつい使っていた。
しかし、今回主要エディターである
秀丸エディターとEmEditorも
アウトライン機能を正式に持つようになった。
試した結果、秀丸エディターであれば、
WZエディターと同じ形式に表現できるので
乗り換えることにした。
まだβバージョンであるが、購入して、
本格的に乗り換えて使用を始めた。
メイラーも秀丸メイルにするつもりでいるが、
講義期間中はトラブルを避けるために、
WZ mailを使うことにする。
長年WZエディターを愛用していたが
やはりソフトの対して更新が成されないのは
利用者としては、不安を感じる。
今、秀丸エディターの特徴を少しずつ味わっている。
そして、WZエディターでできたことを、
秀丸エディターでどうすればいいかを
いろいろ試行錯誤している。
大抵のことは工夫すればできることがわかってきた。
秀丸エディターのいいところは、
マクロがたくさんあること、
それとサポートがしっかりしていることである。
このエディターとも
長い付き合いになってくれるといいのだが。
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花。江別市文京台

●携帯電話:No. 1871 2006.06.14

今朝は曇りである。
少し肌寒かったがコートを着てきたら
途中から暑くなってきた。
携帯電話を2台購入して、
私と家内が持っている。
休日は長男に持たしている。
しかし、使い方がまだよくわからないので、
昨日はうまく使えなかった。
呼び出し音が小さく人ごみの中では聞こえないこと、
すぐに留守番電話サービスに入ることである。
これをやっと設定して使えるようにした。
必要に迫られないと使わないから
余計に使い方を覚えない。
それに我が家はもとも使用頻度が低いので、
なかなか使わないからそのような場面に出くわさない。
それが問題だ。
でも、必要だと判断して入手したのだが、
必要に応じて使えばいいのだ。
長い目で見ていこう。
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花枯れ。江別市文京台

●精神的豊かさ:No. 1870 2006.06.13

今朝は風が強いが晴れてきて、快晴となってきた。
ここ数日肌寒かく、今朝も風が強く肌寒かった。
このまま天気が続けば、今日は暖かい一日となりそうだ。
地球の環境について考えている。
環境問題は、掘り起こせば
経済効率や経費などを問題となり、
最終的に人間中心の価値観にたどり着く。
その価値観に基づいて評価されているようにみえる。
しかし、人間中心の価値観を前面に出すと叩かれる。
金儲け、企業利益しか考えないといって批判される。
費用や利益を考えない環境問題があるだろうか。
そんな問題はもともと問題ではく、
自然の経年変化とみなされているだろう。
とっくに解決されているか
あきらめられているのではないだろうか。
しかし、昔はこうではなかったはずだ。
物質的に不自由なとき、生きるのがやっとのとき、
物質より精神を重んじる文化や文明は、
過去にたくさんあった。
もちろんその時代の人は、
不便だとか、不自由だとかは思っていなかったはずだ。
それが当たり前の時代であったからだ。
日本の江戸時代の文化も、
そのような精神性の上に成立してきたはずだ。
文明が成長するにつれて、
精神が荒廃してきたように感じる。
物質的豊かさを求めるあまり、
精神を忘れてしまったのだ。
この状態が現状の矛盾を生み出しているのだ。
これを回避することは困難であろう。
物質文明が行き着くところまでいって、
取り返しがつかなくなったとき、
はじめて精神性が見直されるのではないだろうか。
それはいったいいつの日のことであろうか。
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花びら。江別市文京台

●外が良い:No. 1869 2006.06.12

今朝は晴れている。
一昨日は、雨で小学校運動会が延期になったが、
昨日は晴れたり曇ったりであったが、運動会ができた。
風あり少々肌寒かったが、
晴れ間があったので、何とか快適な運動会となった。
運動会の写真を撮った。
久しぶりで望遠を使った撮影だ。
以前は持ち歩いてもいて使わないので、
今では持ちあることもない。
以前持っていたアナログ用の高倍率のレンズであった。
望遠側が300mmであったので、
デジタルでは、480mm相当の望遠となる。
一応三脚は使ったが、使いにくいで、
一脚にして、支える台として利用した。
これなら一脚の方が軽くて良かった。
動くものを追いかけるのはなかなか大変だが、
AI servo AFという機能を使ったら
動く被写体を追いかけながら
フォーカスが合った写真がそこそこ撮れいている。
他の人では当たり前かもしれないが、
私には、はじめてであった。
数を取ったのでフォーカスのあった写真がとれている。
私は、アナログでは決して撮れない量の写真をとる。
いらないものはすべて捨てれば良い。
いるものだけを残せば良い。
それがデジタルの強みである。
すごいカメラや大望遠レンズをもって、
プロ顔負け装備を持つ人も何人もいた。
私のようにほどほどもいるし、
スナップに徹している人もいる。
運動会時代を素直に楽しむ人もいる。
それぞれの好みにあった休日を過ごしたようだ。
良い季節には外で写真をとるものがいい。
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きのこ。江別市文京台

●雨にも負けず:No. 1868 2006.06.09

今朝は小雨である。
昨日の午後から小雨が振り出した。
ここ数日肌寒い。
コートを着だした。
6月のヨサイコイのシーズンなのに、
寒いくらいの気候である。
明日は小学校の運動会の予定だが
どうなることだろう。
雨なら延期であるが、
できれば予定通り行いたいものだ。
昨年は日曜日の開催の予定が雨で延期になり
月曜日開催なった。
見る人も少なく、参加する人も張り合いをなくすだろう。
今年はそれに懲りて土曜日開催となった。
できれば、晴れて休日に行って欲しいものだ。
雨にも負けず風にも負けず
子供たちは日々練習にがんばっているのだ。
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畑。江別市文京台

●温暖化と意識改革:No. 1867 2006.06.08

今日も曇りである。
天気がだんだん下り坂になっている。
最近の天気の移り変わりがゆっくりとしている。
この分では、土曜日が運動会なのだが、天気が心配だ。
さて、講義で地球温暖化を考えている。
温暖化の理屈は複雑だ。
その複雑な理屈を元に、予測が成される。
まして数十年先、100年先の予測だ。
理論自体とその理論の予測の確実性に不安がある。
それは、大きな問題である。
その不安を認めた上で、
無軌道な発展に対する警告としては、
温暖化は格好の材料となっている。
しかし、メディアの扱いは、真剣みがない。
警告ばかりで、ではメディアはどう取り組むのか。
100年後にはどうなっていたのか。
そんなことを置き去りにして、危機感だけをあおっている。
これは、一種の世界的プロパガンダではないか。
しかも、危機感を募らせているものの
世界がそれに従わないでは
意味がないのでないか。
机上の空論、絵に描いた餅ではないか。
本当の問題はそこにあるのではないか。
快楽、便利さ、利益追求優先の思想、社会が
いまだに多くの人類の目標であることが問題ではないか。
それを変えるには、人類全体の大きな意識改革が必要だ。
そのためには、長い時間をかけて
教育をしていく必要があるだろう。
先進国だけではない。
人類全体の意識改革である。
それには数十年、あるいは100年かかるのではないか。
もしかしたら、その年月や変革の方が
温暖化より深刻なのではないだろうか。
もし予測の示す100年に意識改革が間に合わなければ、
手遅れになるのではないか。
そんなことを考えている。
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すずらん。江別市文京台

●傍観者の感想:No. 1866 2006.06.07

今朝は曇りである。
昨日は久しぶりに大学の知り合いのところに行った。
建物が新しくなってどうも落ちつかない。
知人だけが便りである。
若い人たちは知らない人たちばかりである。
知り合いたちは私ともども老けている。
もちろんお互いに歩んできた道が違っている。
お互いに違った何かに縛られ、
もがきながら暮らしている。
それは仕方がないことが、
そんなもがきをマイナスに考えずにプラスに考える。
もがきを一般化して議論することで何かを得る。
特に自然科学ではそんな気持ちが大切に思う。
そんな気風が昨日の研究室には
少しは残っている気もしたが、でも少ない。
個人個人が、こじんまりとしている気がする。
そして業績、成果などに
追われて、せき立てられているように見える。
もっとやりたい学問、もっとのびのびとした学問が
できないものかと思ってしまった。
それが傍観者の通りすがりの浅はかな
感想に過ぎないのだろうか。
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花。江別市千古園

●魚眼レンズ:No. 1865 2006.06.06

今朝は薄曇である。
朝から北大の知り合いと、
昔やった分析のことで相談を受けたので、
行くことになっている。
9時には出かける。
午後からは非常勤があるので、
続きで講義をして帰ることになる。
最近画像処理している。
魚眼レンズを通して撮影したものを
コンピュータの画面では、
正常な状態に見せるようにしている。
上の写真のように魚眼レンズによる撮影は
周辺が異常にゆがむ。
しかし、撮影範囲は、前面の180度の画角がある。
つまり、レンズより前にあるものを
すべて撮影できるのである。
これは非常に面白い記録装置である。
ただ、歪みを解消しなければならない。
広い画角の自然景観を、
不自然ではなく見たまま記録することを
目指してはじめたものである。
撮影によって、いろいろ面白い画像が見つかる。
それを現在いろいろ試している段階である。
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●生命の起源:No. 1864 2006.06.06

パリティ編集委員会編「生命の起源」
(ISBN4-621-07383-4 C3342)
を読んだ。
雑誌パリティに掲載された生命起源に関する
論文集である。
少々古い内容が多かった。
また、あまりにも些細なことを
問題にしているように見えるものある。
これは、専門家間での議論ではいいが、
一般向けの本ではあまり紹介するないようではない。
もう少し分かりやすいもの。
もう少し一般的なもの。
もう少し面白いものを掲載すべきだと感じた。
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緑。江別市千古園

●好きなこと:No. 1863 2006.06.05

今朝は良い天気になった。
ただ、風が強かったので、少々寒く感じた。
しかし、コートはも要らない。
今日も天気がいいから気持ちが良い。
土曜、日曜と天気がよかった。
土曜日は小学校のPTAによる環境整備で巻き割りをした。
その後はジンギスカンを小学校の中庭でたべた。
爽快な天気、気分であった。
ただ、現在腰が痛く、腕が筋肉痛である。
日曜日は午前中、千古園にいって、
私はカメラテストのための撮影、
子どもはおたまじゃくし取りをしていた。
今日も講義があり、その準備に追われている。
やりたいことやらなければならないことでも、
進まないことがある一方、
好きなことは時間がなくても進んでいく。
こればかりは仕方がないが、
できる範囲でやっていこう。
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きのこ。江別市文京台

●それは不精なのでは:No. 1862 2006.06.02

今朝も曇り空である。肌寒い。
今朝こんなことが会った。
私が出かけるとき家内が起きてきて、
寒いといってストーブをつけた。
本州にいるときは、
寒いときはとりあえず着込むのである。
もちろん家内も本州にいるときはそうであった。
着込んでも寒いときに暖房をつけるのである。
北海道では、寒いときは、まずストーブである。
こんな光景をみると、家内も子どもたちも
北海道人になってきたのだと思ってしまう。
しかし、本州のように寒いときは
まず着ることからはじめるのがいいのではないか。
エネルギー消費を考えると
着込むウォームビズの思想がいいのである。
まずは家庭からの実践である。
家内には、灯油の無駄遣いになるから
まず着込めというのだが、
子どものためといいながら、暖房をつける。
子どもは暑がりだから、
寒くても動き出せば、すぐ暑いといって薄着になる。
部屋が暖まり、家事始めると、家内も暑いといって
ストーブを切る前に薄着になる。
無駄ではないか。
ようは家内が不精なだけではないのだろうか。
しかし、それは面と向かってはいえないことなのである。
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きのこ。江別市文京台

●空任せ:No. 1861 2006.06.01

今朝は小雨であったが風が強く寒かった。
今週になってコートを着るようになった。
日曜日から雨の日が続き寒い。
でも、いよいよ6月である。
学校では運動会シーズンとなった。
近所の小学校ではもう終わったところもある。
来週末が長男の小学校である。
今週末はPTAで学校の整備をやって、
そのあとジンギスカンである。
それが楽しみである。
今年はまだ、外でジンギスカンをやったことがない。
自分でやるとなると準備や後片付けが大変である。
だからジンギスカンの行事に参加するのがベストである。
問題は不順な天気である。
なんとか晴れてくれればいいのだが。
こればかりは心配してもどうしようもない。
空に任すしかない。
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