思いつくまま

2006年05月
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目次 
●心との付き合い方:No. 1860 2006.05.31
●意思表示:No. 1859 2006.05.30
●次男のライバル:No. 1858 2006.05.27
●最優先の任務:No. 1857 2006.05.26
●しわ寄せ:No. 1856 2006.05.25
●もてなしの心:No. 1855 2006.05.24
●パンフレット:No. 1854 2006.05.23
●パノラマ:No. 1853 2006.05.22
●新緑へ:No. 1852 2006.05.20
●誰も読まなかったコペルニクス:No. 1851 2006.05.20
●震災列島:No. 1850 2006.05.20
●季節の巡りは着実に:No. 1849 2006.05.19
●体を使う:No. 1848 2006.05.18
●日常の中の思いやり:No. 1847 2006.05.17
●最新地球史がよくわかる本:No. 1846 2006.05.17
●科学と非科学の間:No. 1845 2006.05.17
●経験をつむ:No. 1845 2006.05.16
●桜の頃に:No. 1842 2006.05.12
●スローに:No. 1841 2006.05.11
●勉強不足:No. 1840 2006.05.10
●旅立つMさんへ:No. 1839 2006.05.09
●自然と自分の変化:No. 1838 2006.05.08
●道東の調査へ:No. 1837 2006.05.02
●心と体のバランス:No. 1836 2006.05.01


くもの巣。江別市文京台

●心との付き合い方:No. 1860 2006.05.31

今朝は霧であった。
昨日は一日雨が降ったりやんだりの天気であった。
不順な天候を見ながら、自分の心に思いをめぐらした。
1週間が短いと思っていても、
その間にやれば色々なことができる。
1ヶ月が長いと思っていると、
手をつけなければあっという間に過ぎていく。
時間というものは不思議だ。
物理的に流れる時間は
誰も対しても同じスピードで、同じ量与えれられている。
しかし、その時間内で成せる量、成した量は、
自分の働きようによっても大きく違ってくる。
もちろん誰もが努力して多くのことを成したいのだが、
人間はそういつも全力で走っていられない。
休みたくなることだってある。
ゆっくりと歩きたいときもある。
そんなメリハリのようなものが
自由につけれればいいのだが、それもままならない。
心とは自分のものでありながら、
思うように操れないときがある。
それも自分の心である。
逃げるわけにはいかない。
そんな心と一生付き合わなければならないのだ。
だから、どこかで妥協しながら、
どこかで鞭打ちながら、付き合わねばならない。
これが生きていくということなのだ。
なかなか大変な作業を
われわれは日々しているのである。
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タンポポ。江別市文京台

●意思表示:No. 1859 2006.05.30

今日から天気が回復しいきそうだ。
今日の朝一番で業者に原稿を渡して、
とりあえずの急ぎの仕事は終わりとなる。
あとは校正作業となる。
学科のホームページの作成もしなければならないが、
それは、それほど急ぎも出ない。
それにいつでも更新可能であるから、
手が空いたとき、素材が集まったときにすればいい。
昨日は今月締め切りの書類を作成して担当者に渡した。
そしてそこには論文を投稿するという
申請用紙も含まれていた。
論文を書くと意思表示したことになる。
それは自分自身にノルマを課したことになる。
論文の構想、構成は、だいぶ以前にできている。
あとは書き上げるだけである。
しかし、これは、集中して一気にやりたいものだ。
その時間の確保がなかなか難しい。
しかし、やると決めたからには進めていこう。
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タンポポ。江別市文京台

●次男のライバル:No. 1858 2006.05.27

土曜日は晴れたが、
昨日から今朝にかけては雨である。
土曜日は天気がよかったので、
森に自転車で散歩に行った。
帰って昼食をとると、次男が歯が痛いという。
下あごの前歯の後から永久歯が2本顔を出している。
一本は完全に顔を出しているのだが、
2本目がどうも乳歯を押しているらしく、
以前から食事するたびに痛がっていたが、
あまりに痛みがひどいようなので、
土曜日にやっている小児歯科に電話をして、
見てもらえるかたずねた。
幸い近所の歯科が大丈夫だったので、
家内と自転車でいった。
長男は痛みに弱いので、2回目を抜くときは、
歯医者に行くときは、大暴れしててこずったのだが、
次男は乳歯が抜けるのがうれしいらしい。
長男は痛かったことを次男に伝える。
次男は抜きたいし、でも痛そうだしで、心配だったようだ。
晴れ晴れとした顔で戻ってきた。
それほど痛くなかったのと、
長男に追いついたのがうれしいらしい。
次男の最大のライバルは長男である。
年齢差があるので、追いつくことは、無理なのだが、
何とかして追いつくことが次男の目標のようだ。
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若葉。江別市文京台

●最優先の任務:No. 1857 2006.05.26

今朝は薄曇りで、風が強く肌寒かった。
コートを着てきたので寒さは防げた。
昨日、学科の広報用パンフレット作成のために、
学生2名に話を聞いた。
皆それなりに自分自身考えをもっていて、
教員の前でも緊張はしているのだろうが、
しっかりと話すことができている。
はきはきとして自分の意見を述べることが
できるのは素晴らしい。
そして、両者とも教員なる動機は
よい教員に出会っていることである。
これは重要なことである。
良い人にめぐり合ったから、
その人にしてもらったのと同じようなことを
他の人にしてあげたいという気持ち。
これは、素直でそして非常に分かりやすく
そして目指しやすい夢、目標になる。
われわれ教員は、彼らの一人でも多くの夢を
かなえさせてあげたいものである。
それが私たちの最優先の任務ともいえる。
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桜。江別市文京台

●しわ寄せ:No. 1856 2006.05.25

今朝は快晴のいい天気である。
昨日に続き朝はひんやりとした天気である。
朝から仕事に追われている。
大学の学科のパンフレット作成を
この1週間おこなっている。
締め切りが迫っているので、
今週中に私のレベルで仕上げて、
全員で校正して、印刷屋に入稿となる。
撮影や文章の作成も私が行っている。
撮影は事務の人も手伝ってくれるので助かる。
今日は、午後から記事作成のための面談と、
撮影が3件入っている。
楽しくはあるが、時間がとられる。
私にとっては、この作業のために
講義の準備に支障をきたしつつある。
今年は、1週間すべての曜日に講義がはいっているので、
それだけでもきついのに、
急ぎの今回のような仕事があると
その仕事がどんなに興味あり楽しいものであっても、
どこかにしわ寄せが来る。
その兼ね合いが難しいところだ。
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キャンパス。江別市文京台

●もてなしの心:No. 1855 2006.05.24

今朝は快晴のいい天気である。
朝は少し風があり、ひんやりとした空気であった。
昨日自宅に帰ると、ストーブが炊いてあった。
義母が寒いというので炊いたそうだ。
確かに、ジッとしていると肌寒い。
だが、外から帰ってきたばかりでは暑く感じた。
義母が25日に帰るので、昨日は夕食を外で食べた。
そんなとき、ふと考えた。
我が家では外食をすることが贅沢をすることである。
我が家だけではないことであろう。
そして、親族とはいえ、外食をすることは
もてなしだと考えていたのである。
迎える側の日常とは違ったこと、
日常とは違った贅沢をすることで
もてなしの気持ちを表したつもりだった。
だが、本当にそれがもてなしだろうか。
本当のもてなしとは、
自分たち自身が労や手間をかけて
相手のことを思いながら尽くすことが、
もてなしではないだろうか。
外食とは、その手間を金で買ってるのではないだろうか。
これでは、もてなしの心を
金で買ったということではないだろうか。
ひどい思い違いをしているのではないだろうか。
そんなことを考えた。
しかし、義母は外食を喜んでくれた。
そしてお腹が一杯と喜んでいた。
複雑な気持ちが、今ではしている。
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花。江別市文京台

●パンフレット:No. 1854 2006.05.23

昨日から、ぐずついた天気である。
私が学科の広報用パンフレットをつくることになった。
人の写真を印刷のために撮り、編集作業をしている。
考えたら、以前の職場では
当たり前に行っていた作業である。
それが今の職場ではそんな作業をしたことがなかった。
論文にしても、素材を渡せば、
印刷会社がフォームの決まった編集作業をし、
著者は校正をするだけである。
私は、レイアウトにはこだわらないので、
校正作業は簡単である。
ただ、画質だけにこだわっているが、
それも高解像のTIFF画像を渡せばすむことである。
現在の広報用パンフレットの作成作業は
最終的に人目に触れるものになるという緊張感がある。
そして、それを短時間で
作成しなければならないという忙しさがある。
しかし、そんな作業を大変ながら楽しんでいる。
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水芭蕉。江別市千古園

●パノラマ:No. 1853 2006.05.22

土曜日と日曜日は天気に恵まれたので、
両日とも森にいった。
新緑の遅咲きの桜などを見に行った。
日曜日は素晴らしい快晴だったので、
多くの人が出歩いていたようだが、
我が家も午前から弁当を持って出かけた。
私は、両日ともパノラマ画像の撮影テストをした。
まだ一部しか合成できてないので
その成果は分からないが
なんとなくコツのようなものが
わかってきたような気がする。
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十勝川河口。

●新緑へ:No. 1852 2006.05.20

昨日の夕方から雨で夜半も雨音がしていた。
天気予報どおりであった。
予報では今日が曇りのち晴れ、
明日が晴れである。
だから、今日はてっきり雨だと思ってたが、
朝起きると晴れている。
道路はまだ濡れているが、
このまま晴れるようなら、
昼食前に少し緑を見てこよう。
そして義母を連れて温泉に行こう。
雨なら予定どおり温泉だけにしよう。
桜の季節は過ぎているが、
いろいろな花々と新緑の美しい季節である。
新しく自作したパノラマ用の回転ヘッドと
一脚の組み合わせを試してみたい。
また、手持ちでのパノラマ撮影にも挑戦してみたい。
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●誰も読まなかったコペルニクス:No. 1851 2006.05.20

オーウェン・ギンガリッチ著「誰も読まなかったコペルニクス」
(ISBN4-15-208673-4 C0040)
を読んだ。
コペルニクスの書いた「回転について」という本が
本当に誰も読まなかったのか、
ということについて、
現存する初版、第2版600冊を訪ね歩きながら、
その本に書き込まれたメモから
読まれていたことを示した書誌学的本であった。
半分ほど読んだが、
疲れてやめてしまった。
あまりに書誌学的で私には興味がないからである。
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●震災列島:No. 1850 2006.05.20

石黒耀著「震災列島」
(ISBN4-06-212608-7 C0093)
を読んだ。
少々設定に無理あるような気がする。
それは、地震の予知がそこまで進んでない点であろう。
しかし、小説であるから、
ある程度事実や学問的な無理を承知で
書かれているのであろう。
これは前作の「死都日本」でもあった点である。
それでも前作に比べて、
見劣りがするのは、なぜだろうか。
理由がわからないがそんな気がする。
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牧舎。江別市文京台

●季節の巡りは着実に:No. 1849 2006.05.19

今日は薄曇りであるが、暖かい天気である。
ここ数日夏ような暖かい天気が続く思っていたら、
各地でもう草刈がはじまった。
「もう」といったが、雪が解けてすでに1月以上たつ。
草木は着実に成長しているのである。
今年の春は遅いと思っているうち、
一気に夏のような気候となった。
5月頭までストーブを炊く日があった。
しかし、ここ数日では、窓を開けなければ
たまらない暑さにまでなっている。
季節が一気に進んでいるのである。
しかし、人間はつらいことは続くと
快適なことを味わっても、
心のどこかに不安を抱えてしまう。
そんな不安が今年の春の寒さであった。
しかし、季節のめぐりは、止まる時がないのである。
自然は季節を忘れることなく時間を過ごしてる。
そんな自然をよく見ている人は、
伸びた草をみて、草刈をはじめる。
草を刈る様子を見て、
春の深まっているのを改めて思い出す自分がいる。
自然を見ているつもりが、
季節のめぐりの着実さをついつい忘れてしまっていた。
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花。江別市文京台

●体を使う:No. 1848 2006.05.18

春らしいいい天気が続いている。
春の花盛りである。
桜もそろそろ見ごろを過ぎた。
昨日は、小学校で森林公園で植樹をする
「森の日」という行事に
私以外の家族が参加したそうだ。
次男も幼稚園を休んで参加したそうだ。
かなりの距離を歩いたようで、
皆、くたくたになっていた。
しかし、心地よい肉体的な疲れは
精神的なストレスを解消するからいいことだ。
特にこの時期は気持ちがいいはずだ。
人間は高度な精神活動をする動物である。
精神活動は脳という器官が担っている。
したがって脳だけが酷使されている状態である。
これはどう見てもアンバランスだ。
肉体は多様な器官からなっている。
精神活動だけでは、他の器官が働かない。
また、他の器官を使うための
脳の働きもストップしたままだ。
それでは、肉体も脳も疲れてしまうことは目に見えている。
それが今の私である。
子どもたちの生活は考えてみると理想的である。
学校で勉強して、
それ以外は勉強という脳の酷使から逃れて
肉体を使うことに終始する。
子どもは肉体を使うことを望む。
それがちょうどいいバランスではないだろうか。
しかし、現代日本でサラリーマンをしている大人が
子どものような生活に戻ることは不可能である。
せいぜい休日に外に出ることである。
それでも出ないよりはいいのだ。
今度の休日には外に出て行こうか。
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さくら。江別市文京台

●日常の中の思いやり:No. 1847 2006.05.17

朝は霧が出ていて少々肌寒かったが、
霧が晴れると快晴の暑い天気である。
昨日から義母が来ている。
1週間ほどの滞在になる。
今は桜が満開である。
来週末は桜ももう見ごろを過ぎているかもしれない。
でも、天気がよければ、森に行こうとおもう。
天気が悪ければ、温泉にでもいこうかと考えた。
これではいつもの我が家の振る舞いではないかと思った。
そんな思いうかべて。ふと考えた。
親族が滞在するとき、最初の数日は
あれもして上げよう、これもしてあげようと思う。
しかし、滞在期間が長いと、
ついついそんなよそ行きの気遣いに
お互いに疲れてしまう。
そしてお互い地が出てくる。
最初から出せればいいのだが、
久しぶりだからついついいろいろしてあげたいと思う。
そして、帰るときになると決まって反省している。
もっといろいろしてあげればよかったと。
でも考えてみるとありのまま、
地の日常が、一番本体の姿である。
それを素直に出しあっているほうが、
自然で良いのではないだろうか。
それを見せ合うことが、
親族との一番当たり前の接触ではないだろうか。
どんなに取り繕っても、どんなに親切にしても、
本性、本音、日常は変わらず、存在するはずである。
それをお互いわかりあっているはずではないか。
そんなありのままの自分たちを
見せることこそが離れている親族には
重要なことではないだろうか。
親族であればこそ、そんな日常から、
自分に対すると思いを汲み取ってくれるはずである。
そして、嫌な事だって昔のように
いつものことと忘れてくれれるはずである。
取り繕うことなく、義母を入れた
我が家の日常を送ればいい。
そして休日には、我が家が
いつも春に楽しんでいる楽しみかたをすればいい。
そこに義母も一緒に行けばいいのだ。
そんな日常の中での思いやり、親切を
出せば良いのではないだろうか。
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●最新地球史がよくわかる本:No. 1846 2006.05.17

川上紳一・東條文治著「最新地球史がよくわかる本」
(ISBN4-7980-1260-2 C0040)
を読んだ。
表題どおりの最新ではないが、私にとっては、
いろいろ参考になることも書いてあった。
当たらし分野を切り開く必要がある
という主張が最後にされていた。
同感である。
私は本当に新しい分野を切り開いているだろうか。
それを目指して努力はしている。
それが成果となるかどうかはわからない。
でも、大変だけれども、
私とっては興味があり、やりがいのあることである。
そんなことを考えさせられた。
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●科学と非科学の間:No. 1845 2006.05.17

安斎育郎著「科学と非科学の間」
(ISBN4-480-03753-5 C0111)
を読んだ。
科学の成果を知っていながら、
非科学的なことを信じる人が多くいる。
その原因、その対処などが書かれている。
なかなか面白い本であった。
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サロマ湖。

●経験をつむ:No. 1845 2006.05.16

今日は心地よい暖かい春の日だ。
桜もそろそろ見ごろである。
週末には桜も盛りを過ぎているかもしれない。
昨日から今日にかけて家内が実家に用事で帰っている。
家内がいないのは子どもたちには初めての経験だ。
そんなときにふと考えた。
効率的に仕事をするためには、
役割分担は必要だ。
しかし、完全に役割分担されてしまうと、
分担した人がいなくなると
残された人は戸惑ってしまう。
家内がPTAや自治会の会議に
夜に出ることはあるので、
子どもたちと私だけで過ごすことはある。
そのよな経験は何度かあるから、
無事に過ごすことができる。
それは、いつもしていることと同じことをすればいい。
しかし、2日いないとなると、それは未経験のことである。
もちろん戸惑ってしまう。
私が、朝食や弁当を作ることなる。
食事を作ることは別に苦ではない。
休日の朝食や夕食はつくることがある。
しかし、道具や素材など、日ごろ使わないものが
どこにあるか分からない。
小学校や幼稚園で日々すべきことがわかないのである。
経験で済ますことできることもある。
しかし、経験をしてないことは、
不便をかけない程度に何とかするしかないのだ、
分担者の必要性を感じさせられ、
しかし、なんとするという経験をつむことだできる。
そんなことも時には必要なのだろう。
そんなことを考えさせられた。
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さくら。江別市文京台

●やるしかない:No. 1843 2006.05.15

今朝は心地より快晴であった。
土曜日、日曜日は天気が悪かった。
花見をしようと思っていたができなかった。
今日の午後から家内が
実家に1泊で帰ることになっていた。
しかし、昨夜次男が急に耳が痛いといって
札幌の夜間診療に連れて行いくことになった。
予想通り中耳炎で、鼓膜に穴を開けた。
思ったほど痛くなかったらしく、
子どもは、いつも通り元気である。
今日、近く耳鼻科に手術後の
消毒に行かなければならない。
この耳鼻科は混むので有名で、
早朝から順番をとる人が並んでいる。
家内と私が診察の順番をにらみながら、
どちらが診察を受けさせるかを考えなければならない。
私は2講目に講義があるので、
朝のうちだけ、今日と翌日の講義の準備のために、
大学で仕事をすることにする。
一番何事もなくいて欲しいときに限って、
トラブルが起きるのである。
まあこれは、心理的な効果でそう思えるのだが、
どうして今でなければならないのかと
思いたくなるようなタイミングでことが起きる。
しかし、もっと不都合のときがあるはずだが、
今回もついついそう思えてしまう。
だが、現実に起こっていることに対して
できる範囲で対処するしかない。
現実を見つめて、優先順位をつけながら、
最大限の努力をするしかないのである。
大変であるが、それしかないし、
もうやるしかないのである。
精神的にどう思うかだけで、
事態は暗くも当たり前にもなる。
こんなときこそ、楽観的に考えるべきであろう。
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さくら。江別市文京台

●桜の頃に:No. 1842 2006.05.12

今朝は心地より快晴であった。
咲き始めた桜が美しい。
昨日はいくつか会議があった。
私の校務の一つである新しい学科の広報の仕事が
いろいろはいってきた。
新しい学科なので既存のデータがないので、
これからいろいろ収集しなければならない。
講義、ゼミ、実習など、
いろいろな風景を撮影しなければならない。
それを素材にして広報用資料を
用意しなければならない。
しかし、重複した内容を別の部署がおこなっている。
業務内容が整理されていないのである。
それを皆分かっているのだが、
時間切れ、例年通りという理由で進んでいく。
この調子ではいつになったら改善されるのだろうか。
会議で言ったが、既決であるため、埒はあかない。
でも、愚痴は言うべきでない。
とりあえず与えられた仕事をこなし
公務を遂行することである。
それから改善をしていくべきであろう。
まあ、改善できる不具合が見えていて、
改善できそうなものであればいい。
大規模な改革、大規模な再編が必要なものは、
一筋縄ではいかない。
その再編は、組織として死活問題になりうるからでである。
そんな動きも学内ではあわただしくなっている。
風雲急を告げる時期が
桜の咲きはじめたキャンパスではじまった。
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さくら。江別市文京台

●スローに:No. 1841 2006.05.11

今朝から今日にかけて雨である。
聞くと札幌では久しぶりの雨だそうだ。
私は道東で雨にあっているので
ちょっと前に雨は降った気がしていたのだが、
こちらでは久しぶりに雨になるようだ。
しがって、今日は歩いてきた。
久しぶりに歩くと、いろいろな花が咲いているのが、
じっくりと見ることができる。
時間を使う甲斐があるというものだ。
歩きながら、時間について考えた。
地球には人類が誕生するずっと以前から
同じスピードで時間が流れている。
その時間のスピードは変えることができないので、
一定時間内でできることを増やすことで
人は多くの時間を得てきた。
そんな時間を有効に利用して
人は文明や文化というものを発展させてきた。
文明や文化は留まることを嫌い
常に発展や変化を望んでいる。
もちろんそこには人自身の願望もあるのだろう。
そしてついには、現代社会では
いかに短時間に物事を成すかが問われ、
時間短縮こそが美徳されるようになってきた。
ここ100年ほどの間に急速に変化してきたことである。
機械や道具によって時間短縮を成し遂げたが、
もしかしたら、人間の体や心が
そのスピードに追従していないのかもしれない。
もしそうなら、スピードはストレスに
直結しているものなのかもしれない。
「スロー**」という言葉が見直されているように、
ゆっくりと行動し考えることも重要なのかもしれない。
そんなことをゆっくりと歩きながら考えた。
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二輪草。江別市文京台

●勉強不足:No. 1840 2006.05.10

今朝起きていたいときは晴れていたのだが、
自宅を出る頃には、風が強く霧雨で肌寒かった。
雨かもしれないので、
大学の屋根付きの自転車置き場にいき、
久しぶりに違う道を歩いた。
するとそこには春の花がいろいろ咲いていた。
桜がやっと咲き始めたのだが、
他の花はもう色々咲き始めている。
風が強く寒い日が続いても、春は近づいているのである。
昨日、ある人からの質問で、火山灰のことを調べた。
すると、自分が知っているようなことでも、
じつは詳細に知らず、うろ覚えであることに気づく。
さらに、自分の知っている知識はだいぶ古いもので、
最近の状況をフォローしていないことに気づかされる。
専門でないといえばそれまでであるが、
広い意味で言えば、私は地質学という専門を持っている。
実際の研究はもっと詳細な分野であっても、
地質学という体系の中にある。
科学教育に最近は重点を置いていることも確かである。
しかし科学教育にいおいて私の基盤は地質学である。
すべての最新情報をフォローすることは不可能である。
それは理解している。
しかし、あまりにフォローしていないことに、
自分自身で驚いた。
勉強不足である。
まだまだ修行が足りないのである。
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エゾエンゴサク。江別市文京台

●旅立つMさんへ:No. 1839 2006.05.09

昨日は暑いくらいの陽気であったが、
今朝は曇りで肌寒い。
桜の開花も例年より遅いようだ。
先日挨拶に来た学生から
「わたくし、
今日から一年間ちょっとオーストラリア行ってきます。」
というメールが届いた。
それに対して、私は次のようなメールを送った。
「M様
こんにちは。
いよいよですね。
このメールを読む頃は
オーストラリアで落ち着いている頃でしょうか。
私は、海外の滞在は長くても2ヶ月ほどでした。
1年という時間は経験していません。
ですからアドバイスはできませんが、
はなむけに、ひとつだけ年寄りが無駄話をしましょう。
Mさんは、一つのところではなく
移動されるかもしれませんが、
できるだけ、その地の人になってください。
例えば金額を日本人は円に換算して、
日本の日常感覚を持ち込んで
安い高いを考えてしまいます。
そのような接し方はその地の通りすがりの人、
あるいは観光客としての存在に過ぎません。
できれば、その地の人になってください。
その地に根ざした日常感覚や考えを
持てるようになってください。
そうすれば、新しい視点が持てると思います。
その上で、自分、人間、日本を眺め、
これからの生き方を考えてください。
いろいろな経験をすることは大切です。
貪欲になって、あれこれチャレンジしてみて、
自分の人生を謳歌してください。
楽しく得をしたと思える経験をつんでください。
そして大切なことは、
その経験を人生で活かす智恵を身に付けてください。
思い出を語るのは、
私のような年寄りになって繰言をするときで良いと思います。
語ることのできない何か、
そう智恵を、見つけてください。
まあこんな話をしても、
Mさんは自分の生き方をできると思います。
そして、いい智恵を一杯身につけられると思います。
期待しています。
帰ってきたら、成長した姿と
今後の野望をぜひ教えて下さい。
土産は良いですから、それを、心待ちにしています。
いい1年をお送りください。
Have a nice Australian life.」
というものでした。
いい1年になることを祈っています。
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エゾエンゴサク。江別市文京台

●自然と自分の変化:No. 1838 2006.05.08

ゴールデンウィークは道東へ出かけた。
その間、5日が雨であったが、それ以外は好天に恵まれた。
5日ほど不在であったが、季節がだいぶ変化している。
そんな季節の変化を見て考えた。
春のこの時期の自然の変化はめまぐるしい。
自分の変化はほとんどないのに比べて、
雪解けから緑、花々のカラフルな
色合いへの変化は、著しい。
考えてみれば、ヒトの進化は、形質的な変化は少なく、
脳や脳が生み出した文化や情報が
多様化してきたのである。
だから、日々の変化が問われるとき
文化や情報の多様化が
どれほどできたかが問題となるのであろう。
5日間の調査兼家族旅行をして何が変わったのか。
あるいは家族のどのような変化があったのか。
少なくとも自分の多様化は微々たるものである。
唯一言えることは、ストレスが解消されたことと、
そしていくつかの記憶が付け加えられたことである。
そんな微々たる目に見えない変化しかない自分を思うと、
自然の変化がいかに偉大であるかを感じてしまう。
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つぼみ。江別市文京台

●道東の調査へ:No. 1837 2006.05.02

昨日は一日ぐずついた天気であったが、
今日は非常にいい天気で、春晴れである。
気温も上がりそうである。
明日からゴールデンウィークで道東に出かける。
今年は天気が不安定で低温で、
なかなか春らしい天気が続かない。
だから、出かけるときは、特に心配である。
出かけてしまえば、その日の天気で何とかするしかない。
それにゴールデンウィークごろはまだ、
調査には向いていない。
雪解けで河川が増水して調査が
ほとんどできないからだ。
今回も多分そうなるであろう。
しかし、どこかでも調査できたら、そこは次回省ける。
遠くは、少しでも調査を済ませておいたほうが
後々楽となるかである。
そうそう5月2日は次男と私の誕生日である。
子どもは成長を望み、自分は老いを感じる。
我が家の誕生日は悲喜こもごもである。
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つくし。江別市大麻

●心と体のバランス:No. 1836 2006.05.01

土曜日曜は天気がよかった。
昨夜雨であったが、朝には霧が出たのち晴れてきた。
ここ数日、春の陽気である。
子どもたちは、外で遊びだした。
私は、ゴールデンウィークのでかける準備を
なんとか間に合わせるようにがんばっている。
そんなあわただしさの中で考えた。
月が変わるということは、
人間の側の都合である。
自然の時間の流れの中では、区切りがあるものではない。
しかし、人間には月や時間の境界が心の区切りとなる。
新しい気持ち、あせり、達成観、とりあえずの終わり、
新しい時期のはじまり、など、
その心持は区切りの状況によって変化する。
4月と比べて5月は特別な区切りではないかもしれない。
しかし、4月に新しい区切りを迎えたものにとっては、
ゴールデンウィークは、
新しいの区切りを振り返り、反省し、ほめ、リフレッシュ
などができる時期かもしれない。
私はというと、新しい所属での講義や活動が始まった。
それは忙しいものであるが、楽しいものでもある。
しかし、走る続けることで、なにかし忘れたことや、
なにかやり残したことがあるような気がする。
そんな喪失観、そんな不安感は
緊張した時間のために
蓄積した精神的疲労なのかもしれない。
そんな疲労を吹き飛ばすには、
肉体的な刺激が一番である。
私は、道東の調査にでる。
たぶんへとへとに疲れて帰ってくるのであろう。
しかし、それで心がリフレッシュすればいいのだ。
人間は体と心のバランスが取れていなければならない。
しかし、デスクワークが多い場合、
どうしても精神疲労が大きくなる。
そんなときは、肉体を使うことである。
そして、心の体のバランスを取り戻すことである。
そんな繰り返しで健康を保つしかないのだろう。
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