思いつくまま

2006年03月
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目次 
●新学期モード:No. 1811 2006.03.31
●春の旅行:No. 1810 2006.03.29
●地震のすべてがわかる本:No. 1809 2006.03.27
●一区切り:No. 1808 2006.03.25
●音読と計算で子供の脳は育つ:No. 1807 2006.03.25
●なぜ貝の化石が山頂に?:No. 1806 2006.03.25
●立ち止まる自然:No. 1805 2006.03.23
●待ち遠しい春:No. 1804 2006.03.22
●アートの要素:No. 1803 2006.03.16
●強い心:No. 1802 2006.03.14
●スパムメール:No. 1801 2006.03.13
●教師像:No. 1800 2006.03.07
●人への気遣い:No. 1799 2006.03.06
●絶滅のクレーター:No. 1798 2006.03.06
●FD:No. 1797 2006.03.03
●時間の有効用:No. 1796 2006.03.02
●3月には:No. 1795 2006.03.01


クラゲ。登別マリンパーク

●新学期モード:No. 1811 2006.03.31

毎日あまり曇りで雪がちらついている。
春だというのに、嫌な天気だ。
今日で3月も終わりとなる。
3月も体調不良で、仕事がはかどらなかった。
しかし、時間は流れ、季節は移る。
大学の履修要項が出来上がった。
非常勤をしている大学の分もきた。
新学期に向けて周りが動き出してきた。
こんなときに限って忙しくなる。
本の原稿の校正がきた。
授業が始まるまでになんとか目処をつけておきたい。
いよいよ気持ちが新学期モードになってきた。
いろいろ忙しいが順番にこなしていこう。
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パノラマ。登別

●春の旅行:No. 1810 2006.03.29

明け方まで雨が降っていたが、
朝からは大粒の雪となった。
結構積もっている。
26日から28日まで出かけていた。
私は登別の火山を見るのが目的である。
家内は温泉と料理。
子どもたちは水族館見学である。
水族館は民間の経営で少々入館料が高いが、
いろいろ工夫している。
その工夫の一つに裏方の見学がある。
幸いにもアシカとイルカの裏方の見学が
1日限定5名の分が当選した。
もう一つの30人限定の方がはずれたので、
あきらめながらも応募したのだが、
多分キャンセルが出たのだろうが、
見学することができた。
1時間以上にわたって見ることができた。
子どもたちは大喜びであった。
ショウのステージにも上がることができた。
子どもたちは大喜びであった。
9時から4時前までいたが、
楽しく見ることができた。
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●地震のすべてがわかる本:No. 1809 2006.03.27

土井恵治監修「地震のすべてがわかる本」
(ISBN4-415-02590-0 C2040)
を読んだ。
一般的な内容で、あまり詳しいことがなく、
直接の参考になることはあまりなかった。
しかし、網羅的なので手元においておこう。
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●一区切り:No. 1808 2006.03.25

昨日は大学の卒業式であった。
1000名以上の卒業生の全員の名前を読み上げる。
それだけで1時間以上の時間がかかる。
午後1時からはじまって3時前までかかった。
教員は12時半に集合して、
45分には、ステージ上に上がる。
父母もたくさん来場していた。
厳かに、式は進んだ。
さていよいよ大学としては、
ひとまずの区切りである。
次は職員の送別が残っているが。
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●音読と計算で子供の脳は育つ:No. 1807 2006.03.25

川島隆太・川島英子著「音読と計算で子供の脳は育つ」
(ISBN4-576-03079-5 C0077)
を読んだ。
脳科学で有名な川島氏の自分の4人の子供の
子育てについての話である。
脳科学以外の部分については、
普通の親としての子育ての話である。
川島氏だからこのような本が出るのである。
まあしかし、医者で脳科学者であっても
普通の親であるということだ。
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●なぜ貝の化石が山頂に?:No. 1806 2006.03.25

アラン・カトラー著「なぜ貝の化石が山頂に?」
(ISBN4-86029-116-6 C0044)
を読んだ。
地質学の先達として地層累重の法則や
面角一定の法則などを発見した。
そしてなにより、聖書職者でありながら
最終的に聖書に書かれた
激変説を否定する理論の礎をつくったのである。
彼の地質学の業績というべき
「固体について」を見たくなった。
しかし、これは、かれの「固体論」のための
概略であるという。
それを見たかったが、彼はそれを完成させずに、
聖職者となって一生を終える。
幸い「固体について」は
ステノ研究者の山田俊弘氏の「プロドロモス固体論」が
日本語訳としてあるのでそれを手に入れよう。
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サイロ。江別市文京台

●立ち止まる自然:No. 1805 2006.03.23

昨夜少し雪が降ったが、今日もそれほど寒くはない。
しかし、晴れたり曇ったりの天気である。
今日はいつもより30分ほど遅く自宅を出た。
そんなときふと感じた。
時間帯が違うといつもより多くの人とすれ違う。
通学する学生、児童、犬の散歩をさせる人、
通勤する人、ジョギングする人、ウォーキングする人。
人それぞれの朝の振る舞いをしているだけであろう。
しかし、止まって周りを見る人はいない。
犬の散歩の人ですら、
自然を眺めるために立ち止まる人はいない。
そんな中、私は自然の写真をとるために、立ち止まる。
動かない私は、動く人には目に付き
何をしているとか、見られているような気がする。
早朝であれば、人気が少ないので、
人目時にせずに、自由に立ち止まれる。
そして好きなだけ自然を見ることができる。
自然をよく見るためには、止まることが必要だ。
しかし、移動するために、動くために外を歩く人には、
止まっている人は目立つ。
止まっている人は、都会では
もっと目立つ存在になるであろう。
自然をみることが、不自然に見えるとは変なことだ。
人は止まって何気なく周りを見渡すことが
いつから止まることが不自然になったのだろう。
人は外をいつから歩くことだけにしか
利用しなくなったのだろうか。
立ち止まることが自然になることが
必要な時もあるのではないだろうか。
そんなことを今朝は考えた。
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牧舎。江別市文京台

●待ち遠しい春:No. 1804 2006.03.22

春分の日である昨日まで、
北海道は吹雪で大荒れであった。
今朝は、暖かく穏やかな日である。
せっかく融けた道路の雪がまた残っている。
季節はきれいに一度には変わらない。
昨日は自宅で牡丹餅作りをした。
長男は週末からの風邪で少々不調なようで、
午前中は布団の中でごろごろと寝ていた。
次男の幼稚園はインフルエンザがはやっている。
今日で終わりだが、送別会が29日に延期になった。
季節の変わり目の吹雪に、
春になるのがより待ち遠しくなる。
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Mosaic Earth

●アートの要素:No. 1803 2006.03.16

昨日から今日にかけて暖かい。
体調を回復させるために、
十分な睡眠をとることにした。
そのため、風邪はまた完治していないが、
体が楽になってきた。
ここ数日、IT Trialとして、
PhotoMosaicをしている。
多数の画像を集めて、
ひとつの画像をモザイク状に
作り上げるという方法である。
モザイクの数を多くすれば、
出来上がる画像はより元の画像に近くなる。
しかし、もともとのモザイクの画像を一定の大きさにすると、
出来上がる画像の大きさは大きくなる。
上の画像は、私が「GeoTravel」で集めた画像から作った
地球のモザイク画像である。
1枚の画像が100×75pixelの画像を
12000枚集めて9657×9000pixcelの画像となっている。
JPEGに50%ほどの圧縮をしても10.7MBになる。
このような画像はアトラクティブで
いいのではないかと考えている。
科学を伝えるために、アートの要素が必要である。
そのためには、芸術的感覚を持つのは大変だが、
テクニックを使って、芸術的にすることは可能である。
そこに科学的意味があれば、より良いのではないか。
このモザイク画像も、
カタログのとしての機能を持たせることが可能である。
そんなことをいろいろと考えている。
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並木。江別市文京台

●強い心:No. 1802 2006.03.14

今朝は冷え込んだが、
風がなかったの寒さはましであった。
道路には乾いたアスファルトが見えている。
農場では、道路わきの大きな雪山を砕いて、
雪解けが進むようにしているのだ。
春は間近である。
世の中、社会、そして人は時の流れと共に変化していく。
そんな中にも変わらないものがあると思いたいが、
それとて人間が感じる時間の流れの中での話しで、
もっと大きな時間の流れの中では、
不変のものなど何もないはず。
変化する時代についていくのは大変だ。
まして変化を先取りしていくのは疲れる。
それに、そんな変化にいずれは
追いつけないときが来るであろう。
そんな変化の中に、
一人の人間として生きていくためには、
自分が信じていること、
自分のよりどころ、
自分の存在意義などは、
不変で確たるものがあるとやはり考えたい。
これもつらい世の中を生きていく方便なのかもしれないが、
そんなものでもないとなかなか心穏やかに生きていけない。
時代にとこり残さまいと思いたいのは、
変化という幻想におびえた
心の迷いかもしれない。
そう思えるような
変化や不変など考えなくて済むような
強い心があればいいのだが。
そんな強い人間になりたいものである。
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坂道。江別市文京台

●スパムメール:No. 1801 2006.03.13

今朝は少々寒く、雪がうっすらと積もっていた。
先週は風邪で不調であった。
8日の午後から日曜まで自宅で養生していた。
くしゃみと鼻水の風邪である。
今年の冬は本当に風邪にたたられている。
金曜日までは家で仕事をしていても
眼がしょぼしょぼとして集中できない。
日曜日あたらいありから大部体調がもどってきて、
今朝やっとでてきた。
メーラがどうも不調である。
何度もメールボックスにメールを読みにいく。
仕方がないので、
研究用のメールボックスは、整理することにした。
2万通ほどのメールが
大学の研究用のメールボックスに入っている。
このメールボックスは制限が設けられていないので、
削除しなかった。
それを整理することにした。
メールボックスは2005年以降のものだけを残すことにした。
2005年以前ものは廃棄し、
2005年の夏までのものもゴミ箱で保存している。
5000通ほどあった。
しかしスパムメールが大量にはいっている。
スパム処理を一部はかけているのだが、
すべてはなかなか処理できない。
ただ、ひたすら手作業で捨てている。
なんとか対処を考えたいものだ。
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朝日。江別市文京台

●教師像:No. 1800 2006.03.07

昨日今日と風が冷たい。
今朝はうっすらと雪が積もっていた。
昨日は長男も風で体調が悪く学校を休んでいた。
私も鼻水が出て体調が悪かった。
今日は少しはましだが、不調である。
昨日ある人へ私の教師像について書いた。
「学生に学ぶ気があれば、
教員のつたない講義でも、
多くのことを吸収してくれるのでしょう。
しかし、教員の伝えたい内容とその熱意、
学生の学びたい内容とその熱意が一致すれば、
それは、教員にとっても、学生にとっても
得がたい師弟関係が成立できます。
でも、現在の世の中では、
そのような師弟関係はつくるチャンスは
少ないのかもしれません。
私は、長らく大学や研究所にいたせいでしょうか、
何人かの師と呼べる人にめぐり合いました。
そのうちの2名は、
学問や研究を直接指導してもらっていない人です。
私が勝手に素晴らしい師であると
思い込んでいる人もいます。
そんな師を見つけられたことが、
私の人生において、重要な財産と思っています。
そんな師に対して恩返しするのは、
若いうちは研究成果を挙げることでしょうが、
中高年になると、師と同じように、
自分の志を理解してくれる弟子の育成が
重要な任務になるのではないかと考えています。
自分自身の学問の成果は、
100年も残るようなものではありません。
すぐに陳腐なものになっていくでしょう。
もちろんそれを目指して学問をしているのですが、
なかなか難しいものです。
しかし、人間を育てることとは、50年以上にわたって、
自分の志を受け継いでいってくれる人が、
この世に存在することになります。
そして、その弟子がもし、師と似た志を、
次の世代に残していく努力をし、
それが達成できれば、もっと長い時間、
自分の志を残すことができます。
そんな後世に残るような志とは、
個人の何かに対する思いではなく、
人類や学問、科学、文化への
深い慈しみの心、願いのような
非常に普遍的なものに思えます。
うまく表現できませんが、
人間性、生きる姿勢ともいうべきものでしょうか。
思い返すと、私が師とあがめているような人は、
そんな姿勢を持っている人です。
もちろん、人間ですから、弱い面、短所などありますが、
奥底にある強い志が、
すべてのマイナス面を差し引いても
慕えるものとなっています。
そんな志を私も持ち続けたいものです。」
というものであった。
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アスファルト。江別市文京台

●人への気遣い:No. 1799 2006.03.06

土曜日は午前中は天気がよかったので、
森の中にカンジキをはいて入った。
1時間ほどあるいた。
キツネの足跡ともう一つ小さい足跡だけしか
見ることができなかった。
雪が固まっていて、カンジキがなくてもあるけた。
子どもたちと家内は疲れていたが、
私は大丈夫であった。
家族は冬場の運動不足で、
1時間弱ほどの散歩で疲れてしまうようだ。
その疲れたたたったのだろうか、
次男がその夜風邪と思われる、下痢と嘔吐した。
日曜日の夜には発熱した。
今日は病院に連れて行くことになる。
長男は自分が1月にかかった
ひどい吐き気、腹痛を伴う風邪を思い出して
嫌な思いをしていたようだ。
しかし、次男を気遣って、自分が嫌いなメニューでも
お腹にやさしいものをあえて選んで夜の食事とした。
残念ながら発熱ため、次男は夕食をできなかった。
8歳にして、人を気遣い、自分は我慢をするような
気持ちが生まれたきたようだ。
知らないうちに、子どもは精神的に成長しているのだ。
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●絶滅のクレーター:No. 1798 2006.03.06

ウォルター・アルヴァレズ著「絶滅のクレーター」
(ISBN4−7948-0333-8 C0044)
を読んだ。
K-T境界の隕石説を父のルイスと共に
唱えた地質学者である。
地質学者として、隕石説にいたる考えの
変遷を述べたものである。
偉大な父とうまく協調した研究をした。
10年以上に及び学界での激しい議論。
その矢面に父は立ち、そして成果を上げながら
それを楽しんでいた。
慎重で、着実で、地質学を愛する息子が
どう考えていたのかがあまり表に現れなかった。
そしてこの本を発見して、
息子の考え方が少し見えてきた。
慎重で控えめで他の人を配慮する地質学者であった。
そして、自分の考えで研究を進めていた。
父の一般書「恐竜はなぜ絶滅した」を読んで、
隕石説の集大成ともいうべき
「白亜紀に夜が来る」 を読んだ。
その間の人間ドラマを
中心人物の地質学者が埋めてくれる本であった。
内容、構成にいろいろ不満はあるが、
この本の重要性は損なわれない。
重要な本である。
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並木。江別市文京台

●FD:No. 1797 2006.03.03

昨日の雪は昨日暖かかったため、だいぶ融けた。
今朝は、明け方から降った雪がうっすらの積もっていた。
しかし、今日もそれほど寒くはなかった。
昨日学部のFDに関するシンポジウムがあった。
教員だけでなく、学生も多数参加した。
FDとは、Faculty Developmentの略称で、
教員の授業内容や教育方法などを
改善・向上を目的とした組織的な取組みのことである。
学生も授業改善のためにさまざまな提言をした。
その発表、発言には、いろいろ感心することもあった。
このFDのシンポジウムに参加している学生は、
熱心に学んできた学生である。
何割かはそのような学生がいる。
一方、学問に対する熱意や
大学に来ている目的を見つけられない学生もいる。
私は、これまで熱心でない学生と付き合うことも多かった。
今回、熱心に学んでいる学生と接して、
いろいろと、刺激を受けた。
彼らは教員の授業に対する取り組む姿勢、熱意を、
感じ、読み取り、わかっているのである。
教員も、うかうか知られないのである。
熱心な学生たちも満足できる
授業内容でもあるべきだという気持ちを強く持った。
学問に興味を持たすことに、
教員として努力しなければならない学生たち、
かたや学ぶ意欲が十分にある学生たち、
その二極化した学生に教員は対処を迫られている。
両者を一緒の授業内容で教えるのは
なかなか困難なことである。
教授技術だけの問題なのだろうか。
教育とは考えるたびに難しい問題となってくる。
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雪。江別市文京台

●時間の有効用:No. 1796 2006.03.02

今朝は雪が10cmほどつもった。
重い湿ったゆきである。
気温はそれほど低くはない。
毎週木曜日が会議日である。
多いときと少ないときがある。
今日は多い日で、会議が3つある。
10時から5時まで、次々とあるので、
午前中しか仕事時間がない。
でも、一番頭が働く時間でもある。
そんな時間を大切に有効に利用していこう。
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残雪。江別市文京台

●3月には:No. 1795 2006.03.01

今朝は曇りで寒かった。
いよいよ三月である。
1月から2月にかけては、風邪で不調であった。
3月にはいろいろやりたいことを
こなしたいものである。
とりあえずは、延び延びになった資料整理と
講義のPCLetterでの収録である。
資料もだいぶ溜まっている。
それを終わらせないと、
新しい資料がもう収納できない状態になっている。
PCLetterの講義をすべて収録できれば、
公開にはあと半年くらいはかかる。
だからちょうど1年くらいの実験期間となる。
これで私の実験も終わりとなる。
一日1個の講義を収録すれば、
1、2週間で終わるはずである。
4月からは新しい講義の準備で忙しくなるので、
それに備えての収録である。
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