思いつくまま

2005年10月
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目次 
●季節のめぐり:No. 1707 2005.10.31
●わたしもファラデー:No. 1706 2005.10.31
●今日は雨:No. 1705 2005.10.29
●デジタルと目:No. 1704 2005.10.28
●放射冷却:No. 1703 2005.10.27
●催促:No. 1702 2005.10.26
●木枯らし:No. 1701 2005.10.25
●親ばか:No. 1700 2005.10.24
●講義の収録:No. 1699 2005.10.22
●災い転じて福となる:No. 1698 2005.10.21
●積み残し:No. 1697 2005.10.20
●自然の営み:No. 1696 2005.10.19
●営利より大切なもの:No. 1695 2005.10.18
●整理:No. 1695 2005.10.17
●冬支度:No. 1694 2005.10.16
●論理パラドクス:No. 1693 2005.10.16
●数の悪魔:No. 1692 2005.10.16
●時感:No. 1691 2005.10.14
●季節と行動:No. 1690 2005.10.13
●渡り鳥:No. 1689 2005.10.12
●心を切り替えて:No. 1688 2005.10.11
●古戦場:No. 1687 2005.10.07
●一期一会:No. 1686 2005.10.06
●最初の講義:No. 1685 2005.10.05
●自然に流れる時間:No. 1684 2005.10.04
●存在証明:No. 1683 2005.10.03


灯り。江別市文京台

●季節のめぐり:No. 1707 2005.10.31

今朝は雨上がりで曇っていた。
寒く暗い朝であった。
2日にちの雨で木々の葉っぱが一層散った。
秋が深まっている。
しかし、気温が思ったより下がる日が少ない。
暖かい秋である。
だが明日から、いよいよ11月である。
初雪も降るだろう。
来年に備えて大学では推薦入試が行われる。
こんな出来事が
季節のめぐりをいっそう感じさせる頃となった。
私は、いつもと同じく仕事に追われている。
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●わたしもファラデー:No. 1706 2005.10.31

板倉聖宣著「わたしもファラデー」
(ISBN4−7735-0175-8 C0040)
を読んだ。
「ぼくらはガリレオ」を以前読んだが、
それが「ぼくら」というタイトルが気になっていたため
こんかの「わたしも」にしたようだ。
ファラデーの仕事のあまり注目されていないところに
着目して書かれている。
しかし、はじめて読む子供に
ファラデーのすばらしさを示すために、
やはり、 ファラデーの研究の重要な点を
きっちりと紹介すべきではないだろうか。
多分板倉氏はたくさんの本書いているので、
どこかで書いたことなので、
真新しさをだすためにそのような書き方をしたのだろう。
やはり、はじめてファラデーを知る人を想定すべきであろう。
なぜならこれは子供向けの本だからである。
多作の著者の弱点を露呈した本といえる。
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落ち葉。江別市文京台

●今日は雨:No. 1705 2005.10.29

早朝から雨が降り出したが、寒くはない。
いつより早く目が覚めたが、
車で来る予定だったので、
自宅で十分な時間があった。
しかし、早朝、食事をして
新聞を読むくらいしかすることがない。
大学が開く頃を見計らって自宅を出る。
早速原稿を書くことにしよう。
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紅葉とサイロ。江別市文京台

●デジタルと目:No. 1704 2005.10.28

今朝は曇っていたが寒い。
昨夜子供たちを寝かすために8時前に床に入り、
そのまま一生に寝てしまった。
そして朝まで寝た。
しかし、4時過ぎに目が覚め、
いつもより30分ほど早く自宅を出た。
日の出前であるのと、曇っているので、
暗く、寒かった。
見慣れない景色に見え新鮮だったので、
たくさん写真をとったが、
光量不足でほとんどダメでだった。
固定して撮影していたので、
手ぶれはなかったが、
デジタルカメラは暗いと、
自動的に感度を上げていくので
ノイズが多く、荒い画像になっていく。
仕方がないことであるが、
目の精巧さが良く分かる。
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紅葉とサイロ。江別市文京台

●放射冷却:No. 1703 2005.10.27

今朝は晴れた。
しかし、放射冷却で冷え込んだ。
冷え込んだ快晴の中を自転車で来た。
昨日は空いている時間を原稿書きにあてた。
できたのはせいぜい10分の1くらいであろうか。
このペースを10日間維持できなければならない。
なかなか困難であろう。
しかし、優先的にこなしていこう。
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紅葉。江別市文京台

●催促:No. 1702 2005.10.26

今朝は曇って肌寒かった。
昨日、原稿の催促があった。
以前引き受けていた原稿であった。
気にはなっていたが少しずつしか進んでいなかった。
11月中に何とかしたいという返事をした。
でも、中途半端にやっていたら
なかなか終わらないので
集中してやることにする。
できれば、11月前半に終わらせたいと考えている。
あとはどの程度時間がさけ、
集中できるかである。
朝の時間も執筆に回そう。
書くことが、
結局は自分のためにもなるのだから。
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ベンチ。江別市文京台

●木枯らし:No. 1701 2005.10.25

今朝は晴れたり曇ったりして、
紛らわしい天気である。
風が強く、紅葉した木の葉を一気に落としていく。
このような木を葉を一気に落としてしまうような
強い風を木枯らしという。
木枯らしとは、気象用語では、
晩秋から初冬にかけて吹く、
北からの強い風のことだ。
本州なら11月の立冬の頃に吹くようだ。
関西や関東では、最初に吹いた木枯らしを
気象庁が「木枯らし1号」として知らせているようだ。
今日は、くずれているが
冬型の気圧配置となっているようだ。
北海道では木枯らしも一足早いのかもしれない。
北海道はもう晩秋である。
木の葉が、日に日に落ちていく。
雪虫も飛び始めた。
そろそろ里にも初雪が降ってくるのだろうか。
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朝日。江別市文京台

●親ばか:No. 1700 2005.10.24

今朝は晴れである。
冷え込みはそれほどでなかった。
昨日は小学校の学芸会を見にいった。
このような行事を見ると
子供の学校での生活ぶりが垣間見える。
もちろん子供たちは
父兄が見に来ているのを意識して振舞っている。
それでも日常の学校生活を見ることができる。
子供の家では見せることのない振る舞いから
成長ぶりを見ることができる。
家内がビデオを持ち込んで撮影していた。
素人の撮影で見苦しい限りだが、
家族が見る分には十分である。
自分の子供を中心に、
時々全体や知り合いの子供を映している。
それでいいのだ。
それこそが、ホームビデオである。
こんなことを考えていると、
我が家も普通の
そして典型的な家族の光景だと痛感する。
もちろん私は親ばかになっている。
それでいいと思う反面、それでいいのかとも思う。
まあ悩むことはない、あるがままに振舞おう。
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きのこ。江別市文京台

●講義の収録:No. 1699 2005.10.22

昨夜から雨である。
久しぶりにまとまった雨が降った気がする。
昨日の午後は、講義の収録をした。
半日かかった。
実質には4時間ほどである。
講義のテキストの用意と、
実際の講義の内容を収録したら、
講義時間は120分となった。
デジタル講義では2回分とすることにした。
それぞれ2つのファイルにわけて
配信する講義ファイルを作成した。
これを4時間で作成したのである。
なれればもう少し早くなるであろうが、
収録時間は減らしようがない。
でも従来の講義の内容を収録して
編集して配信するには、
こんな時間では決してできないであろう。
これがPCLetterというソフトである。
毎週この作業を繰り返すことになる。
どれくらい続けられるか分からないが、
1年間は続けたいと考えている。
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霧の牧舎。江別市文京台

●災い転じて福となる:No. 1698 2005.10.21

今朝は霧がかかっていた。
霧のためか道路がしっとりぬれていた。
今朝は、寒かったのでジャンバーを着てきた。
霧の中の景色はいつもとは違う。
面白い景色が見られた。
昨日の午前の2つの講義で、
卒業研究の学生が
アンケートをとりたいというので講義の後半を空けた。
アンケートのための20分をあけていた。
講義終了30分前にその学生と2名の学生が
大量のアンケートを持って入ってきた。
予測はしていたが、
時間を追われているようで講義が
落ち着かなくなった。
雑談もなしに講義を進めたが、
予定の半分しか進まなかった。
予期しない事態であったが、
考えようによっては利とすることもできる。
この講義はもともと内容が多かったので、
かなりはしょりながら話さなければならなかった。
だから、 以前から半分にしても
2回分に分けても良いと考えていたものだ。
これを機会に半分にしてもいいかもしれない。
災い転じて福となる、である。
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落ち葉。江別市文京台

●積み残し:No. 1697 2005.10.20

今朝は曇っていて寒かった。
石を運ぶために車できた。
今日は、午前中が講義が2つあり、
午後には会議が2つある。
一つは5時から始まる。
今日は、何もできない日である。
ここ数日試料の整理をしている。
砂はほぼ整理が終わった。
しかし、石がなかなか減っていかない。
困ったものだ。
未整理の試料がだいぶ増えて来た。
試料整理はいつも大変な思いが伴う。
まして積み残しがたまると、気持ちまで重くなる。
でも、少しずつでも進めていくしなかない。
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満月。江別市文京台

●自然の営み:No. 1696 2005.10.19

今朝は快晴で冷え込んだ。
コートを着ているだけではもう寒いくらいである。
今朝早めに家を出たら、まだ日が昇っていなくて
満月が非常に明るく見えた。
月といえば先日こんなことが会った。
一昨日帰る途中で月が昇っているを見つけた。
あまりに大きく見え、空も晴れていたので、
帰宅後すぐに子供たちと望遠鏡で眺めた。
長男が持っている付録の望遠鏡2種類はあまり良く見えず、
私の双眼鏡で見るのが一番良く見えた。
しばらく子供たちと眺めていた。
昨日の朝刊で夜9時ごろに
部分月食があったと報道されていた。
気づいていれば、見ることができたのに残念であった。
しかし、月の表面を詳しく眺めたのは久しぶりであった。
朝型の生活になってから夜の自然現象には
夏の蛍以来あまり注意を払ってこなかった。
自然とは見る人がいようがいまいが
そこにあり、営まれているものなのである。
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紅葉。江別市文京台

●営利より大切なもの:No. 1695 2005.10.18

今朝は青空は覗いていたが雲の多い天気である。
秋も深まってきた。
自宅は断熱性がいいので、
それほど冷え込むことはなく、
ストーブをまだ2度ほどしかたいてない。
昨日レンズメーカに、
不調であったレンズについて問い合わせたら、
2000年以前の製品は、
カメラ本体とソフトウェアの相性が悪いので
レンズに内臓しているCPUを新しいものに
無料で交換してくれるという。
2台のレンズあったので早速送ることにした。
もう一つのメーカのレンズもあるので、
心配になって今日自宅に持って帰って
デジタルカメラと問題がないか試してみることにする。
技術に生きるメーカが
無料でこのようなサービスをするということは
すばらしいことだ。
修理の義務ないはずである。
会社が負担をしても守りたいのは、
レンズメーカとしてのプライドや信用であろう。
自社のレンズが合わないまま存在することを、
メーカとしてのプライドが許さないのであろう。
そしてそれが最終的は信用を高め、
ユーザーが次もそのメーカの製品を
購入することになるのであろう。
目先の儲けより大切にするものがある
という姿勢はすばらしい。
営利企業である会社がするから
よりそのすばらしさが際立つ。
この姿勢には見習うべきものがある。
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朝日。江別市文京台

●整理:No. 1695 2005.10.17

土曜日曜日は、自宅で冬支度をした。
今まで未整理であったものをいろいろ整理した。
石ころが一番問題であったが、
まだ完全ではないが、整理する方法を考えた。
一昨日外で魚眼レンズの
試し撮りをしていたら、うまく撮れなかった。
昨日再度撮ったら、暗いところでは撮れて、
明るいところでは撮れない。
どうも絞りがおかしいようだ。
今までこの魚眼レンズは
アナログカメラでしか使っていたなかった。
今回初めてデジタルカメラに試用した。
そのためデジタルカメラとの相性であろう。
修理が必要かもしれない。
メーカーに連絡してみよう。
どんなに整理しても
整理しきれないものがあるようだ。
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コスモス。江別市文京台

●冬支度:No. 1694 2005.10.16

昨日朝は晴れていたので、
網戸をはずして冬の準備をした。
しかし、家内が網戸を洗い出したら
曇りだしたので途中でやめたようだ。
私は、今までの子供の石の整理をした。
収納する本立ての棚のフックがない。
その代替のものを探したがまだ見つからない。
探さなければならない。
また、冬タイヤも買い換えなければならない。
いよいよ冬の準備である。
しかし、今朝は天気がいい。
このまま尾いい天気なら、
森に自転車で出かけてみようか。
落ち着いた休日を迎えている。
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●論理パラドクス:No. 1693 2005.10.16

三浦俊彦著「論理パラドクス」
(ISBN4-576-02166-4 C0076)
を読んだ。
三浦氏の三部作の2作目になるのだろうか。
パラドクスに分類されるものの99個集めたものである。
面白いものもあったし、
無理くりというものあった。
でも、これだけたくさん集め、
それなりの答えを与えた本は
レファレンスとして重要であると考えられる。
保存すべき本であった。
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●数の悪魔:No. 1692 2005.10.16

エンチェンスベルガー著「数の悪魔」
(ISBN4-7949-6454-4 C0041)
を読んだ。
子供向けの数学の本だが、
数学にはこんなに面白い
世界があること教えてくれる。
なかなかいい本である。
しかし大人が読むと少し物足りなくなる。
多分そこに論理的な解決が
示されていないからであろう。
大人とは欲深いものだ。
多分論理的な解決が示されていたら、
それも数式でしっかりと示されていたら、
この本は難しくつまらない本になっていたであろう。
子供の本であるからこれでいいのであろう。
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落ち葉。江別市文京台

●時感:No. 1691 2005.10.14

今朝は曇が多かったが晴れてきた。
午後からは雨が降るようだ。
昨日は講義の終了時間も忘れて講義をしていた。
こんなことは今までになかったことだ。
熱中していたのだ、
われを忘れていたのだ。
こんな時もあるのだ。
興が乗っていとうことだ。
いまだかつてなく、講義が半分ほどした進まなかった。
学生たちも結構静かに集中して聞いていた。
熱意が伝わったのだろうか。
時間は心の持ち方で違う。
熱中しているとき早く過ぎ、
あれこれ気を回しているとなかなか過ぎない。
不思議なものだ。
時間とは「時感」とでも
いい変えるべきなのかもしれない。
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落ち葉。江別市文京台

●季節と行動:No. 1690 2005.10.13

快晴である。
秋の光景が目にたくさん入る。
紅葉や落ち葉、夜露、
刈り入れの終わったトウモロコシ畑、
青空さえ秋の気配を感じる。
先日初めてストーブを炊いた。
季節は巡りもう秋になり、
やがては冬の便りが届くであろう。
私は、日々、決めたことを
優先順にこなしていく。
私の日々に行動からは季節を感しない。
あるのはいつもの同じ日常。
だから自然の移り変わりに気持ちが向き、
そしてその移り変わりをめでるのであろう。
日々の人工的で不自然な行動に
アクセントつけるために。
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渡り鳥。江別市文京台

●渡り鳥:No. 1689 2005.10.12

快晴である。
自宅を出るときがちょうど日の出の時刻である。
大学に着いたら多数のカモの鳴き声が上からする。
空を見上げると渡り鳥が雁行状なって飛んでいる。
北から日本で冬越しをするためだろう。
南に向かった群れは、敏感に季節の変化を感じて
いっせいに渡るのである。
秋の気配を身近に感じた。
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紅葉の並木。江別市文京台

●心を切り替えて:No. 1688 2005.10.11

朝は曇っていたが、晴れてきた。
昨日まで卒業論文で調査をした静内川に出かけていた。
しかし、残念なことに、調査地にたどり着く前に、
落石のために通行止めとなっていた。
様変わりの様子を見ようと考えていたのだが、
その道半ばにして、たどり着けなかった。
残念だが仕方がないことである。
非常に心残りであるが、
過去を振り返るなという教訓として、
心を切り替えていこう。
まだまだ新たにやるべきことがいろいろある。
それを目指そうではないか。
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紅葉。江別市文京台

●古戦場:No. 1687 2005.10.07

今朝も晴れであった。
明日から、2泊3日で、
卒業論文で調査をした古戦場を訪れる。
その地域の変貌ぶりをみたい。
そして現在の私が歩いときと
そのひとつひとつの沢や道、露頭が
どう見えるを感じてみたい。
25年前、地質学を始めて志、
地質学への興味を導き出してくれた山や谷である。
私は何を感じ何を思うのか、
じっくり古戦場を眺めてこよう。
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コスモス。江別市文京台

●一期一会:No. 1686 2005.10.06

今朝も快晴で冷え込んだ。
寒さと朝の気持ちよさに心を震わせながら
大学へのいつもの道を向かう。
日常と変わりなく大学では講義があり、
校務があり、研究をし、
その他に抱えているいくつかの仕事をする。
大きく見るとすべてが日常的なことである。
しかし、実はその中身、やっていることは
その時々で違っている。
その違いを感じ、一期一会と思えるかどうか。
その場で全力を出して対処しているかどうかだ。
それが日常的に流れている時間の中で
日常の価値を変えていくのではないだろうか。
人間対人間では、その心持が相手に伝わる。
全力で対処している心には
相手も感じているはずである。
そして手を抜けば相手も見抜いているはずです。
そんな手の抜けない日常があるから、
心して日々の勤めを誠意を持って行えるのであろう。
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きのこ。江別市文京台

●最初の講義:No. 1685 2005.10.05

今朝は快晴で冷え込んだ。
冷え込んでも快晴の日は気持ちがいい。
日の出の時間が遅くなってきている。
今では6時過ぎが日の出である。
日が昇る頃に家を出ることになる。
いよいよ秋である。
講義が今週から始まっているが、
私の講義は今日から始まる。
前期に一通りやっているので、
準備が楽だ。
しかし、問題は講義に望む気持ちである。
伝えたいものがあり、
気持ちが充実していないと
なかなか伝えたいものが伝わらない。
後期最初の講義に緊張しながら、
朝の仕事をこなしていこう。
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ななかまど。江別市文京台

●自然に流れる時間:No. 1684 2005.10.04

今朝は曇りで肌寒い。
コートと手袋してきた。
それでちょうどいいほどである。
いよいよ秋が到来したという気候である。
昨日ようやく論文を仕上げて投稿した。
気を許すことなく、次の仕事にかからねばならない。
北海道の生物をみていると、
本州のものとは明らかに違う。
同じ植物でも咲く時期や期間が違う。
一般に花の咲く時期が長いような気がする。
コスモスは夏から秋まで咲いている。
タンポポは春から秋まで咲いている。
よく写真に登場するトリカブトなどの花も
長く咲くものがある。
その地域ごとに歳時記があるのだ。
それを感じ、自分の季節感として
体の中に取り入れることが大切である。
そんな季節感が身に付いたとき
この地に住み着いたと感じるのではないだろうか。
そしてその季節感をベースにして
自然を変化や異変を感じ何ければならない。
自然とは奥深いものである。
そしてそんな季節感をものにするのに
何回くらい巡る季節を経験すればいいのだろうか。
私に残された人生はそんなにはない。
あと20回も経験できるだろうか。
たった20回しか経験できないのである。
そしてそれをものにするのにかかる回数、
そしてものにして自然を味わう回数はいかほどか。
自然に流れる時間は人間にとってゆっくりとしている。
人間もそんなペースで生きていければいいのだが、
ついつい生き急いでしまう。
悠々として急ごう。
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きのこ。江別市文京台

●存在証明:No. 1683 2005.10.03

昨夜はまるで台風のような強風であった。
朝になると弱まっていたが、
寒さが一段と強まった。
今朝は歩いてきたが寒かった。
さて、いよいよ10月である。
わが大学では新学期が始まる。
日常的なあわただしさが戻ってくる。
夏休みにすべきことを
いろいろ積み残してしまった。
私は、こんなことの繰り返している。
しかし、成果だけは残しておかなければならない。
これが自分の研究者であるという存在証明でもある。
そしてたとえそれが目標の完成図でなくても
自分の歩いた証が残されていく。
ただし、デジタルの世界はあまりに移ろいやすい。
そこに成果を残してもあまりにも脆い。
従って、従来の方法である
印刷物に成果を残すことになる。
印刷物とは、書籍や論文、報告書などである。
そのためには、さまざなま関門を
クリアしなければならない。
それが研究者の存在証明を
確実にしてくれる唯一の方法であるからだ。
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