思いつくまま

2005年08月
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目次 
●道具:No. 1661 2005.08.31
●プロとアマの差:No. 1660 2005.08.30
●東京滞在:No. 1659 2005.08.29
●ゲーデルの謎を解く:No. 1658 2005.08.27
●絶海への航海:No. 1659 2005.08.27
●都会の淘汰:No. 1657 2005.08.24
●不屈の精神:No. 1656 2005.08.23
●雨の中:No. 1655 2005.08.22
●見せる方法:No. 1654 2005.08.21
●友人:No. 1653 2005.08.19
●私の夏休み:No. 1652 2005.08.18
●家庭サービス:No. 1651 2005.08.13
●夏休み:No. 1650 2005.08.11
●至福の超現実数:No. 1649 2005.08.10
●プリンストン高等研究所物語:No. 1648 2005.08.10
●宇宙を支配する暗黒のエネルギー:No. 1647 2005.08.10
●家庭サービス:No. 1646 2005.08.09
●見聞を広げる:No. 1645 2005.08.08
●出かける前は:No. 1644 2005.08.04
●アイディア2:No. 1643 2005.08.03
●アイディア:No. 1642 2005.08.02


牧舎。江別市文京台

●道具:No. 1661 2005.08.31

今朝も晴れである。
昨日は、新しく来たカメラを試取りをしてみた。
いろいろ感じることがあった。
自分が今まで使っていた道具が
新しいものに代わり、
そこで画期的な変化を体感できたとき、
その快適さに衝撃を受けた。
そして同時に今までにない欠点、
あついは扱いづらさにも驚いた。
長所と短所の両方を感じて、
総合的に自分にとって良かったと思えば、
その道具は役に立つはず。
また短所を感じても、
使い込めばそのよさを感じるかもしれない。
いずれにしても、道具は使い込むことである。
使い込めば、使い方で欠点は解消できる。
長所は、さらに良いものとなるかもしれない。
私にとって新しいカメラは、
総合的に見てよいものであった。
さあ、これからは使い込んでいくことである。
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並木。江別市文京台

●プロとアマの差:No. 1660 2005.08.30

今朝は晴れである。
風があってさわやかである。
昨日注文していた新しいカメラが届いた。
新しいでデジタルカメラを手にして、ふと考えた。
カメラは、もちろん道具である。
現在の光景をあるがままに切り取るのである。
もちろんレンズや表示方法、トリミングによって
その光景の印象は違っていく。
もともとは一つの現実である。
しかし、芸術的といわれる写真をみると、
人に訴えかけてくる何かを感じてしまう。
これは、カメラマンが意図して切り取った画角を
写真を見た人がそれに共感し、触発され、
何かを感じているのであろう。
そこには、現実の光景は素材としてあるのだが、
カメラマンの意図が重要な触媒となっている。
もしかするとカメラによる撮影とは、
瞬間を切り取る芸術なのかもしれない。
プロは、意図したことを意図したとおりに撮るであろう。
あるいは撮るべきものを失敗することなく撮るのであろう。
アマチュアは、枚数をたくさん取れば
意図した以上にいいものが写っているかもしれない。
また撮りたいものも、たくさん撮れば
それかがいい作品になっているかもしれない。
数で勝負なのだ。
アナログ時代は、フィルムや現像費が
数で勝負することを抑制していた。
デジタル時代になり、アマでも数による浪費はなくなった。
私のような下手なカメラマンでも数で勝負すれば
それなりのものが取れるようになってくるのであろう。
いいかえると、プロが大変な時代になってきたということだ。
素人が数で勝負するという時代になってきた。
アナログ時代は、プロが行ってきた手法である。
あとは、プロとアマの違いは、
意識、意図の差となるのであろう。
アマでも、景観に対する意識や意図をしっかり持って
数を取っていれば、
きっと何がしかの感動を生むことが
可能なもかもしれないということである。
さてさて、これからはもっとたくさんの写真を撮っていこう。
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花。江別市文京台

●東京滞在:No. 1659 2005.08.29

今日は少し霞んでいるが晴れである。
少し蒸し暑い。
しばらく研究室に来ていなかったが、
部屋を空けたときムッという暑さがなかった。
夜が涼しく、昼間の熱気を下げてくれているのだろう。
東京にでたが、2日間滞在したがやはり疲れる。
1日は会議で目的があったが、
翌日の半日はたいした目的もなく東京にいた。
しかし、都会のことだから、
やりたいことは探せば出てくる。
だが、なんと時間とお金を使うことによって
得られることが多いのだろうか。
都会とはそんなところなのだろうか。
生の自然に接するにも
乗り物に乗らなければならない。
身近に自然がないなんて、どこか不自然に思える。
好きなイベントや展示を見るのも、
たくさんの人の隙間から眺めなければならない。
人目や混み具合を気にしてゆっくりと見れない。
好きなものをゆっくりと一人で見れないなんて、
どこか非人間的である。
多数決の原理、経済原理が支配的である場合、
こうなっていくような気がする。
どうしても、自然や人間的なことが
なおざりに、後回しにされる。
文句をいうのであれば、もっとお金を払えば
それなりの対応を受けられますよといわんばかりである。
経済、多数派が本当の社会の指針、基準なのだろうか。
もっと違うところにあるはずである。
違うものとは、何も新しいこと、ものではない。
昔から、そして今もきっと、人の心の中に、
当たり前に眠っているはずものである。
そんな当たり前のことを思い出される
東京滞在であった。
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●ゲーデルの謎を解く:No. 1658 2005.08.27
林晋著「ゲーデルの謎を解く」
(ISBN4-00-006506-9 C0341)
を読んだ。
以前にも一度読んだことがあるはずなのだが
まったく忘れている。
今回読んで、以前わからなかったことが少し判った気がする。
でもまだわからないところがある。
ゲーデルの不完全性定理を数式を使わないで説明しようとしている。
大変なことであるが挑戦している。
多分、読み込めばわかるのであろう。
再度、時期を改めで挑戦しよう。
P18
集合論は、新しい数学の足場となっただけではない。
集合論は、数学の基礎固めにも力を発揮した。
修吾論以前には、数は神から授かった天賦のものと考えられていたが、
集合さえあれば数も作りだせることがわかったのである。
これは、集合論さえあれば数学を完全に基礎から
再構築できることを意味する。
P43
「4以上の偶数は、必ず二つの素数の和になる」という
「ゴールドバッハ問題」は、
いまだに正しいかどうかわかっていない。
P47
「ゲーデルの第一不完全性定理」と呼ばれる、次の定理である。
《算術ゲームを含む数学ゲームは、
無矛盾である限り、完全ではない》
P50
ゲーデルは、第一不完全性定理を利用して、次の定理を証明した。
《算術ゲームを含む数学ゲームは、無矛盾である限り、
自分自身の無矛盾性を証明する能力を持たない》
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●絶海への航海:No. 1659 2005.08.27
ジェイムズ・P・ホーガン著「」
(ISBN4-15-011504-4 C0197)
を読んだ。
久しぶりのSF、久しぶりのホーガンである。
まだ読んでいない本がいくつかあったが、これもその一つである。
人類社会の一種の理想郷を書き出している。
合理性、論理性だけで生きる社会があったとしたら
どのようなものかを示してくれている。
やはり期待通り面白いものであった。
無尽蔵の資源と土地、エネルギーがあり、
ロボットが肉体労働をしているとする。
人間のすべきことは、ロボットが供給してくれないものである。
彼らはロボットに育てられて、
「自分の頭で考えること」の重要性を叩き込まれる。
そんな人間たちがつくる社会である。
今の人類にはできそうもないし、
もしかすると、この理想郷も虚像かもしれない。
最上のものなど、ありえないのかもしれない。
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ポプラ。江別市文京台

●都会の淘汰:No. 1657 2005.08.24

今日は抜けるような青空である。
すがすがしい天気である。
明日東京に出かける。
1日で用事は終わるのだが、
用事を済ませた後、
日帰りすると遅くなるので、
今回泊まることにする。
翌日、時間があるので、
都会で用足しに時間を使おうと思っている。
そして、都会で何かしたいことがあるか考えたら、
まったく思いつかない。
買い物は地元あるいはインターネットで
十分満たされている。
博物館は見たいものがあるが、
今すぐというほどのものではない。
もしかすると、私は地方の生活に
慣れたのではないだろうか。
私のように都会から発信される情報から
開放されてしまうと、
都会でなにかをしたいという
欲望や衝動は消えていく。
自分の今いるところでも
しなければならないことがたくさんある。
それに従事していればいいのではないか。
そんな気がする。
都会で、今すぐ、何かをしなければならない
というようなものは、今の私にはみつからない。
本当に必要なものであれば、
時間さえたてば、地方にだって流れてくる。
それこそインターネットで買い物をすればばいい。
都会の人と同じ時間で手に入れることができる。
しかし、人より早く情報を得、
それを享受し、実物を手にすることは
優越感から生まれる自己満足かもしれない。
あるていど時間が立った情報は、
使い古されたものである。
しかし、使い古されることによって、
不要なそして不確かものは消えていくのであろう。
地方に達するものは、
都会で淘汰を受けたものになっているのだろう。
都会の人が取捨選択をしてくれているのだ。
いいことではないか。
使い古されたものかもしれないが、
確実なものだけを
地方は遅ればせながら受け取ればいいのだ。
さてさて、都会で時間をどう使おうか。
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トリカブト。江別市文京台

●不屈の精神:No. 1656 2005.08.23

今日は曇りである。
重たく暗い雲が空を覆っている。
夏休みのどたばたが一通り終わった。
今週の後半に東京での会議に出席すれば、
一応すべてが終わる。
夏休みにやるべきことを考えておこう。
論文数編、資料整理、
10月からの新しいプロジェクトのスタート、
それらを後一月のうちに何とかしておきたい。
どうしていつも追われているのだろうか。
のんびりとしたいものである。
しかし、のんびりとすると、
何もできないこともわかっている。
追われながらも、
やりたいことをしていく必要があるのだ。
そんな強い不屈の精神を
持っていなければならないのだ。
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ななかまどと雫。江別市文京台

●雨の中:No. 1655 2005.08.22

今朝は昨日から雨で、時々激しく降る。
雨の中を歩いてきた。
側溝が雨であふれていて、
所々道路に水があふれていた。
一汗かいて大学に着く。
研究室は相変わらず熱い空気が満たされている。
窓とドアを開け放して、空気を入れ替えたら
やっと人心地着く。
昨日は栗沢町の農業祭りに雨の中でかけた。
雨の中でテントが用意されていたので、
その中で早めの昼食をとる。
その後、次男はもちつき大会に参加、
長男はそのもちをもらうために並ぶ。
家内は野菜の詰め放題に並ぶ。
行事はまだ続いていたのだが、
いろいろしたので、昼過ぎに会場を出ることにした。
しかし、考えたら、泥んだらけになってやる
一輪車競技を見に行ったことを
みんなすっかり忘れていた。
泥の中の競技なので、雨の中でも行われたであろうが、
すっかり忘れていた。
帰りついたら、2時頃であった。
まあ楽しんだので、よしとしようか。
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●見せる方法:No. 1654 2005.08.21

昨日は自宅にいた。
子供たちが出かけたときに取った石を整理していた。
整理は、出かけた場所ごとに、
間に合わせの段ボール紙に接着剤で貼っていた。
40個近くになってきた。
飾る場所もなくなり、開いている本立てに
取り合えず、放り込んでいた。
しかし、量が多くなるとそれなりの意味が出てくる。
長期保存するために、規格をそろえる方法を考えた。
ホームセンターで、300×300mmのベニア板を
たくさん購入した。
単価にすると1枚100円弱ほどである。
そこに石を貼り付けることにした。
今までの段ボール紙に貼っていたものも
ベニア板にそのまま貼ることによって
規格を整えられる。
また飾る場所も最新のものを数個飾るだけにしていけば、
ある場所を確保するだけで大丈夫である。
また、地層の葉理模様がきれいなものを
先日夕張川で拾ってきた。
それにニスを塗った。
乾いたので飾る方法も考え置こう。
最近は川原の石や砂の美しさを
どう見せるかについて考えるようになってきた。
面白いもの、きれいなものを、自己満足でなく
他の人にも伝える方法を大切であることがわかり、
その方法を少しずつ考えるようになってきた。
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花。江別市文京台

●友人:No. 1653 2005.08.19

昨日はさわやかな一日で、
風もあったので、研究室に夕方まで滞在できた。
今日は曇天で雨が降りそうな天気である。
少々蒸し暑い。
昨日大学時代の学科の同期の友人からメールがあった。
私のメールが変わっていないか、
そして近況の話であった。
返事を書くと、その人らしくて懐かしい反面、
現在、問題を抱えている。
助けてあげたいが、どうすればいいかわからない。
職と進路の問題である。
私に具体的に何かできるわけでもないだろう。
しかし、慰めを言うわけにも行かないし、
まして安請け合いは失礼であろう。
正直に私が思っている通りに答えるのが一番だろう。
そしてできることを、できる範囲で
してあげることが一番であろう。
いやそれしかできないのである。
真摯にそして誠実に対処するしかないのであろう。
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ポプラ。江別市文京台

●私の夏休み:No. 1652 2005.08.18

子供の夏休みは終わった。
昨日は夏休み最後の日だったので、
夕張川まで川遊びに行った。
家内が数えたら、
子供たちは、15回プールに行って、
川に2回行って、水遊びをしている。
子供たちは夏は外で精一杯遊ぶといい。
それにつられて親も一緒に遊びまわる。
それでいいのだろう。
さて、私は、残りの仕事を片付けて、
夏休みにやりたいことをしたい。
できれば、今週のうちに校務片付けておきたいものだ。
さて暑くなる前に、仕事をできるだけ進めておこう。
私の夏休みはまだまだ先だ。
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きのこ。江別市文京台

●家庭サービス:No. 1651 2005.08.13

昨日は北大の博物館にマンモスを見に行った。
マンモスの尻が展示してあった。
生々しかった。
北大で知り合いに合うかもしれないと思っていたら、
昨年定年されたAさんに展示室であった。
研究員として毎日きていて、
週に1度は展示室の解説をしているらしい。
あまりゆっくり話せなかったが、
近況を話し合った。
その後、北大から札幌駅周辺で
買い物と昼食をして帰った。
家庭サービスがいつまで続くのか。
そろそろ採点が切羽詰ってきた。
いそいでやっていこう。
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きのこ。江別市文京台

●夏休み:No. 1650 2005.08.11

一昨日は、家内が風邪気味だというので、
夕張川はやめて、子供たちだけをつれて、
近くの森に長男の夏休みの工作の材料を探しに出かけた。
昨日は家内も調子が良くなり
天気がよさそうなので、
夕張川に出かけた。
以前出かけたきれいな川のところである。
道はだいぶ荒れていたが
なんとか目的のところまでいけた。
しか、昨年より川はコケが付いていて
きれいではなかった。
しかし、子供が裸で水遊びする程度はきれいであった。
そこで2、3時間遊んで、昼食を食べた。
川原の石に絵を描いてもって帰った。
2日間の家族サービスであった。
18日には子供の夏休みも終わり
また平日と同じ淡々として日々が続くのだ。
でも、これからが私の夏休みが始まる。
やり残したことをいろいろやっていこう。
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●至福の超現実数:No. 1649 2005.08.10
D.E.クヌース著「至福の超現実数」
(ISBN4-7601-2646-5 C0041)
数学であり、小説である。
内容は難解である。
しかし、まったく新しい方法で数を厳密に定義して、
その定義は拡張性があり、汎用性があるようになっている。
その証明方法も単純で強力なものとなっている。
しかし、この内容を理解するには、
自分ですべて同じことを計算しながら
理解していく必要があるのだろう。
そういう意味では非常に難しい
征服するには困難な数学の教科書である。
でもやらんとしていることは、
非常に重要で論理的な方法であると考えられる。
内容自体は難しいが、
この方法論はすばらしいと思う。
どのように展開していくかは難しい問題であるが。
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●プリンストン高等研究所物語:No. 1648 2005.08.10
ジョン・F・カスティ著「プリンストン高等研究所物語」
(ISBN4-7917-6158-8 C0010)を読んだ。
なかなか面白かった。
そして深い議論がなされていて非常に興味深かった。
前書きで、これはフィクションであると書いてあった。
それもサイエンス・フィクションと謳ってあった。
時間順序や会話を脚色しているからであろう。
しかし、いかにも彼らが考えたような内容となっているのであろう。
アインシュタイン、ゲーデル、オッペンハイマーなど
そうそうたる科学者が出てくる。
そしてその中心となる人物はフォン・ノイマンである。
彼が非常に多彩な人であったことがわかる。
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●宇宙を支配する暗黒のエネルギー:No. 1647 2005.08.10
千葉剛著「宇宙を支配する暗黒のエネルギー」
(ISBN4-00-006591-2 C0342)を読んだ。
内容的には既知のことばかりであるが、
新しい情報を源がいくつかあった。
でも、あまり興味を引く点がなかった。
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もっと深みが欲しい。
雫。江別市文京台

●家庭サービス:No. 1646 2005.08.09

昨日は晴れていたので、
研究室があつく、昼過ぎに帰った。
今日も天気がよさそうなので、
子供たちをつれて川に出かけることにする。
きれいな川で人が来ないようなところである。
ただ、道が壊れずにあるかどうか心配である。
だめだったら別のところにしよう。
今日はたっぷりと時間を取れればと思う。
しかし、朝のうちのしなければならないことを
こなしておこう。
夏休みだというのでなかなかまとまった時間となれない。
家庭サービスができるのは
採点が終わったお盆明けくらいである。
しかしその頃は学校の夏休みも終わっているのだ。
なかなかうまくいかないものだ。
どうしても私が無理をしなければならない。
まあしかながない。
私自身もそれでリフレッシュしていこう。
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並木。江別市文京台

●見聞を広げる:No. 1645 2005.08.08

昨夕学会から帰ってきた。
茨城県水戸市であった。
関東は30℃を越す暑さであった。
幸いホテルは冷房があったので、
夜なんとか眠ることができたが、
昼間の暑さにぐったりした。
北海道に帰ってきても暑かった。
もちろん東京の暑さではないが。
夜になると、やはりやや涼しいし朝も爽快である。
寝る前にあけていた窓はすべて閉め、
寝る部屋の窓を半分くらい開けて寝た。
もちろん冷房も扇風機も使っていない。
健全である。
しかし、北海道でも夏旅館に泊まると
冷房が入ってないと暑くて過ごせないところもある。
もちろん寝るときは冷房は切って
窓を開ける程度で大丈夫であるが。
ということは我が家は涼しいのかもしれない。
断熱と通気がいいので、夏涼しく、冬暖かいのだ。
我が家にすんで、3年目になったが、
じわじわとであるが
よさと悪さがわかってきたような気がする。
一般的なことだろうが、
他のものを体験、見聞することによって、
自分を客観的に比較をすることができる。
もしかするとそれが見聞を広げることの
一番重要な点であるのかもしれない。
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花。江別市文京台

●出かける前は:No. 1644 2005.08.04

今日も雨である。
湿気が多いがまだ涼しいからいい。
ただ、朝歩いてくると汗ぐっしょりになる。
まるで本州の梅雨のようだ。
明日の昼には、学会が水戸であるために出かける。
今日で学会の準備を完成しなければならない。
最近はパソコンでパワーポイントを使って発表できるので、
直前まで修正できるからいい。
しかし、出かける前には
いろいろしておかなければならないことがある。
土曜日に大学の電源点検のために停電がある。
そのためサーバを停止しておく必要がある。
今日やらなければならない校務もまだ残っている。
いろいろと仕事はがある。
しかし、学会ではいろいろな人とあって、
いろいろな話ができる。
それが自分自身の刺激となればいい。
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とんぼ。江別市文京台

●アイディア2:No. 1643 2005.08.03

昨夜激しい雨が降った。
寝入ってすぐ10時頃停電があった。
しかし寝ていたので気にしなかった。
今朝も雨である。
昨日非常勤での講義の定期テストをおこなった。
終わった直後、いいアイディアを思いついた。
いても立ってもいられなくなった。
しかし、そのアイディアは多数のアイディアを
生み出せる方法であった。
メモしようとペンを出したが、
場所がなく、地下鉄の中で思いつくアイディアを考えた。
札幌駅について、
あわてて喫茶店を探して、メモを始めた。
13個のアイディアと例の答えが浮かびだした。
その問題を解くには、
アイディアが必要となる。
そしてそれは、正解のない設問でもある。
そんな設問を多数考えていけば、
自由な発想を生める
柔らかい脳になるのではないだろうかと考えた。
それを今後の授業に活かしていきたいと考えている。
昨日はなかなか楽しい思いをした。
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きのこ。江別市文京台

●アイディア:No. 1642 2005.08.02

昨日の夜9時半頃芦別から帰ってきた。
今日も研究会の集まりが続いているが、
今日は非常勤をしてる大学の定期試験だから、
そちらに出なければならない。
昨日のシンポジウムは面白かった。
いろいろな人と会うことで刺激を受けた。
何よりも新しい授業での、
アイディアが浮かんできた。
そしてアイディアが今むくむくの大きくなっている。
新しいアイディアを書き留めて
ためていくことがまた楽しい。
そんな思いを抑えながら、
今やるべき仕事をしていこう。
8月上旬はまだまだ忙しい。
がんばらねば。
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