思いつくまま

2005年07月
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目次 
●激しい雨の中:No. 1641 2005.07.31
●教育の悩み:No. 1640 2005.07.30
●対面教育:No. 1639 2005.07.29
●金を超越する心:No. 1638 2005.07.28
●自然の圏外:No. 1637 2005.07.27
●サイクル:No. 1636 2005.07.26
●蛍:No. 1635 2005.07.25
●図解雑学構造主義:No. 1634 2005.07.24
●ソフトの進化:No. 1633 2005.07.22
●祖母が迷子:No. 1632 2005.07.21
●気の抜けない時期:No. 1631 2005.07.20
●旅の疲れは:No. 1630 2005.07.19
●ふしぎな無限:No. 1629 2005.07.19
●海辺の石ころ図鑑:No. 1628 2005.07.19
●デザインのセンス:No. 1627 2005.07.15
●行事がいろいろ:No. 1626 2005.07.14
●週末の調査に向けて:No. 1625 2005.07.13
●都会とのつながり:No. 1624 2005.07.11
●今日:No. 1623 2005.07.09
●超ひも理論とはなにか:No. 1622 2005.07.08
●がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい!:No. 1621 2005.07.08
●佐賀のがばいばあちゃん:No. 1620 2005.07.08
●風邪が抜けない:No. 1619 2005.07.08
●気の向くままに:No. 1618 2005.07.07
●三位一体:No. 1617 2005.07.06
●知性と知識:No. 1616 2005.07.05
●週末は外で:No. 1615 2005.07.04
●奇妙な論理:No. 1614 2005.07.03
●人間ドック:No. 1613 2005.07.01


花。十勝岳

●激しい雨の中:No. 1641 2005.07.31

今朝は激しい雨である。
4時半に雨音で目が覚めたほどである。
研究室に出かけるのをやめて
自宅での仕事となった。
芦別で共同で進めている研究の
シンポジウムと教員向けの野外実習がある。
今日の昼過ぎに自宅を出る。
私は、明日のシンポジウムまでの参加で、
定期テストがあるので、
明後日の野外実習は参加せず、
明日の夜に帰ってくる。
明後日のことだから、
今から天気を心配してもしょうがないが、
天気であることを祈る。
いよいよ7月も終わりだ。
8月の上旬が一番忙しい。
なんとか乗り切らねばならない。
今日は自宅での仕事をしている。
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ガクアジサイ。野幌森林公園

●教育の悩み:No. 1640 2005.07.30

昨日ですべての試験が終わった。
後は、採点とレポートなどの入力である。
これが実は、労力と時間をとり、大変のなのである。、
しかし、評価は教育のとって欠くことのできないことである。
教員として重要な仕事でもある。
学期末ともなると、日々、それに振り回される。
訪ねてくる学生への個別の対応も必要である。
人間対人間というのは、おろそかにはできないが、
それなりに気を使い、
精力を使っていかないければならない。
特にその個人の人生にとって
重要な節目となる場合は、なおさらである。。
成績の一喜一憂だけでなく、ほんの1点の差が、
私が知らないところで、
その人の人生の決定することもある。
例えば、卒業延期。
ある単位が一つ取れないことで、
卒業できない生徒が生まれる。
大学においては茶飯事かもしれないが、
個人にとっては大きな岐路になるかもしれない。
何も単位を上げて卒業させるだけが、
その学生にいい選択とは限らない。
あと半年、大学に残って、大学でやり残したことを
やっていくことも重要な選択となりうる。
ただ、私は、それ以上のことを彼らに期待している。
敗者として残るのではく、他の人以上に
この大学で学んでいく姿勢を持つことだ。
すると半年の学問でも、
より一層彼らの人生において、
役に立つものになるかもしれない。
そんなことを、それぞれの事情を聞きながら
判断していくのだ。
学生それぞれにも個性もある。
したたかに教員をだまそうとする学生もいる。
だまされてもいいのだ。
その学生にとって良い選択となるのであれば。
人間対人間。そんな小細工は、どこかで見抜いている。
その上で、だまされればいいのだ。
人の教育とは難しいものだ。
定った方法もないし、こうすればいいという指針もない。
毎年、毎回どうすればいいのか悩みながら、
教育していくのみである。
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ガクアジサイ。江別市文京台

●対面教育:No. 1639 2005.07.29

今日は曇りである。
天気予報では雨であったが、降っていない。
自転車で来た。
3日ぶりに自転車で来た。
自転車の楽さを便利さを感じる。
その反面、じっくりとした自然との対話が
減ることを痛感する。
便利さの影で消えていったものが
多数あることを思い知らされる。
教育ではそうならないことを願う。
試験が今日で終わる。
学生たちの問い合わせや陳情が続く。
それぞれにケースバイケースで対応する。
基本的に、学校の規則を守る方向で対処している。
しかし、本人にとって一番いいと思われる方法を
できるだけ探ることにしている。
学生が置かれている現在の状況を考え、対処する。
そのために、学生からそれぞれの事情を聞く。
がんばっていた学生、
真剣さがある学生、
事情がある学生、
などで、必要と認めれば、
規則を遵守しないでもいいと考えている。
事務的にもそれは認められている。
最終的には教員と学生の
信頼関係に基づいて判断されている。
私に信頼を抱かせた学生には、
私は甘い教員となる。
しかし、努力しない学生、
信頼を裏切る学生、
切実さを感じない学生、
熱意を感じない学生、
などに対しては、私は規則に則って対処する
杓子定規な教員である。
本当はすべて規則に基づいて杓子定規にやったほうが
楽であるし、他の学生に対してもフェアであると思う。
なぜこのIT時代に、教師が学生と対面して
教育しているのか、ということに、いつも思い至る。
人間対人間の顔を向き合わせた対面が必要だからこそ、
昔ながらの教育手法がいまだに使われているのだ。
それが一番シンプルだが、一番効果的だからである。
そんなことを、この時期にはいつも感じる。
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待宵草。江別市文京台

●金を超越する心:No. 1638 2005.07.28

昨日帰る頃は雨も終わり、風が残っていたのだが、
台風は過ぎたと思っていた。
しかし、今朝は風を伴う雨である。
激しくは降っていないが、
かさが役に立たず、服がぬれる。
講義が終わったというのに、
次々と仕事が舞い込む。
困ったものだ。
これも給料分だとあきらめる。
本当は金のために働いているのではないのだが、
金が個人を縛る。
そんな束縛から逃げられない歯がゆさがある。
しかし、そんなことは、ささやかなこと、
本質的でないと超然とできる精神力を持ちたいものだ。
そして、心は常に金ではないところを見つめていたい。
いつそんな境地になるのだろうか。
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葉。江別市文京台

●自然の圏外:No. 1637 2005.07.27

昨夜から雨が降っている。
台風は直撃はしなかったようだが、
雨台風となりそうだ。
これから北海道に接近しそうなので、
注意する必要がある。
大学は試験期間だが、
公共の乗り物に影響が出なければいいのだが。
出たら、試験は延期となる。
今日は湿度は高いのだが、
温度がそれほど高くないので、耐えられる。
いつものことだが、台風情報は、
関東を過ぎると急に情報量が少なくなる。
気象庁は流し続けているのだが、
マスメディアが取り上げない。
これは、しょうがないことであろう。
地域のメディアがこんなときこそ
地域への機能を果たすべきであろう。
台風がこようが、支障がない限り、
日常生活は継続される。
これは考えると、すごく不思議な気がする。
かつては、異常事態で、被害がないか心配してのが、
今ではいつ台風が来るか、どれくらいの規模なのか、
もう安全なのか、など科学技術によって知ることができる。
そして、その情報を手がかりに、日常生活が営まれる。
これは人間にとっては、当たり前のことだ。
しかし、人間だけが、自然現象から切り離されて、
自然の圏外にいるような気がする。
これでいいのだろうが。
一人一人がもっと自然現象に敏感に、
そしてしっかりと眺める必要はないのだろうか。
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雫。江別市文京台

●サイクル:No. 1636 2005.07.26

今朝は台風の影響だろうか、
朝から雨が降ったりやんだりしている。
蒸し暑い日である。
昨日は家族サービスとして千歳にいった。
祖母が子供たちにレゴを買ってあげるというので
一緒に買い物に行く予定であった。
朝から祖母が頭痛がする
というので留守番をしてもらうことにした。
子供が好きなレゴのショップが
北海道ではじめてでき、
オープンからだいぶたったので、
平日の朝一番にでかけた。
予想通りモール全体もレゴの店も空いていた。
往復2時間、買い物と昼食で2時間
9時に出て1時過ぎの買い物であった。
店のショップの店員を見ていて、サイクルを思った。
閑散としたしたモール街。
夏休みの土・日曜日で、
昨日までは混雑していたことだろう。
今日は一転して客足が鈍いのだろう。
そんな中で、レゴショップの男性店員は、
レゴが好きで、レゴ好きの子供が来ると
楽しそうに一緒に遊んでいる。
うちの子供たちはレゴを買うことも忘れて遊んでいる。
他の客もレゴという商品のファンであろう。
ある子供と話すとレゴが好きで
何を買うかじっくり悩みながら選んでいるという。
店員も子供も、レゴが好きから
この店では始まっているのだろう。
これが大切ではないだろうか。
多分その店員は、
混んでいるときは混んでいるときで、
空いているときは空いているときで
仕事を楽しんでいると思う。
他のモールの人たちは、
いや社会で働いている人は、
その仕事をどれくらい楽しいと
思ってやっているだろうか、と思い至った。
もし楽しければ、少々給料や条件が悪くても、
その仕事をしていることだけで、
満足できるのではないか。
そんな気持ちは、客にはすぐに伝わる。
現代社会では、街に出かければ何がしかの買い物をする。
それは、街の人たちへの現金収入をもたらす。
彼らも現金収入が給料となり、生活するために消費する。
そんなお金サイクルだけが
社会を動かしていると思いたくない。
好きな人に、好きな人が、
必要としている人に、得意としている人が、
困っている人に、助けたいと思っている人が、
欲しいと思っている人に、与えたいと持っている人が、
お金以外に動くサイクルをもっと重視したいものである。
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ガクアジサイ。江別市文京台

●蛍:No. 1635 2005.07.25

土曜日はシンポジウムで出ていた。
昨日は昼間森林公園を散策、
夜は再び蛍を見に行った。
森に長男の夏休みの工作用に
自然の枝や実、葉を拾いに行った。
森を散策していると、草の葉の陰に、
ヘイケボタルを何匹も見つけた。
これは、先日の夜蛍を見て、
翌日、図鑑で子供が調べているのを
一緒に眺めていたから、すぐにわかった。
昼間これだけ蛍を見かけたのだから、
夜にはきっといるに違いないと思い、
再度、蛍を見に出かけた。
10数匹は見ることができた。
以前住んでいた湯河原の大量のゲンジボタルの
乱舞するのと比べれば、ささやかのものだ。
しかし、人が誰も見に来ないひっそりしたところで、
いるかどうか気をもみながら探すのも一興である。
森が近いせいで虫が飛んでくる。
昨日お向かいさんから
クワガタのメスがいるのを教えてもらい
子供たちは捕まえ、良く観察した。
夜蛍を見に行くとき、逃がしてあげた。
しかし、蛍を見た帰り、街灯の下に
コガネムシがたくさん集まっていた。
色の違うのを2匹また捕まえてきた。
良く見て絵を買いたらい逃がしてやることになるだろう。
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●図解雑学構造主義:No. 1634 2005.07.24

小野功生著「図解雑学構造主義」
(ISBN4-8163-3737-7 C0010)
を読んだ。
歴史的内容ばかりが書かれている。
構造主義の本当の意味、内容が少ない。
この内容なら、構造主義の周辺を書いたものである。
ちょっと期待はずれである。
また、研究者が日ごろ使っている言葉で
そのまま書かれている。
それに図解が添えられている。
その図も抽象的でわかりにくい内容を
そのまま図解されているので、
理解を助ける役に立っているようにみえない。
一般市民を対象に書いたものなのかという疑問もある。
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花。江別市文京台

●ソフトの進化:No. 1633 2005.07.22

朝は薄曇であった。
今日の午前で講義はすべて終了する。
一段落だ。
成績のための各種の入力を考えると、気が重い。
しかし、これも重要な仕事である。
今日の午後は、一緒になって
特別な仕様をもったソフトを開発している
会社の人が来て、打ち合わせをする。
現状でもだいぶ改善されてきたのだが、
後一歩の気がする。
その部分を打ち合わせをする予定である。
PCレターという既存のソフトが
私は講義配信システムに利用できると考えた。
しかし、試用する段階で
大学の計算機センター経由のセキュリティとの兼ね合いで
さまざまな不備が生じた。
私としては、E-learning用ソフトとして試用していて、
さまざまな改善点を指摘してきた。
開発側にとっては、一見無駄な作業、
あるいはボランティア的な活動であるが、
ある程度形になってきた。
私にとっていいソフトができることは、
もしかするとこのソフトの新しい利用方法を
模索できることを意味するかもしれない。
結局もとのソフトにもさまざまな改善が
施されるようになってきた。
ソフトも進歩してきた。
ソフトの開発ポリシーにはしっかりしたものがあったが
その延長線上で進化と遂げてきたように見える。
今後どのように進化するか興味深いソフトである。
願わくばこのソフトが少しでも多くの人に
利用されるようになることである。
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ヒメジオン。江別市文京台

●祖母が迷子:No. 1632 2005.07.21

今朝も雲が多いく、晴れ間が時々のぞく天気だ。
今日は昨日より蒸し暑い。
今日は午前中講義で、
午後は会議が3つもある。
なかなか大変だ。
昨日5時半頃に自宅に帰ると
家内が祖母が散歩に出たきり帰ってこないという。
4時に家を出て、5時には帰ってくるといって出かけた。
私が家に残り、家内が車で近所を探しに行った。
ほどなくも見つけて戻ってきた。
近くにいたのだが、道がわからなくなって
迷っていたのだ。
知らない人に道を聞いたり、
間違って場所を覚えで道を尋ねたので、
余計にわからなくなったのだ。
うろうろしていたところを家内が見つけた。
昨日は曇っていたので、
6時にはかなり薄暗くなっていたので、
かなり不安だったようだ。
これからは、知っている道で、
午前か昼食後出かけるようにしてもらった。
今度の休みに、森の道を教え、
1本道をいって戻ってくるだけにすれば、
迷うことはないであろう。
歩きたければ、いくらでも歩けるし、
同じ道を進めば、戻ってこれる。
それに今週末から子供たちが夏休みになるので、
一緒に出かければいいのだ。
長男は近所であれば、
たいていの道を知っているので、
迷うことないであろう。
いやいや思わぬ騒動になった。
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花。江別市文京台

●気の抜けない時期:No. 1631 2005.07.20

今朝は雲が多いく晴れ間が時々のぞく天気だ。
風はあるが寒くはない。
昨日は天気もよく、気温が上がった。
しかし、日陰は涼しかった。
典型的な北海道の夏である。
今週は講義の最終日である。
昨日非常勤をしている大学の講義が終わった。
今朝はわが大学の講義がまた一つ終わる。
新しい講義をつくることで苦労したが、
休むことなく14回続けた。
もっと改善したいところがいろいろあった。
それは後期で再度講義があるからやっていこう。
しかし、努力の結果がどうであれ、
目指してきたものが一区切りつくことは、
ほっとしたような安堵感や
終わったときに味わう達成感が沸いてくる。
しかし、教員には息をつく暇なく、
定期試験が持ちうけている。
さらに次にはシンポジウムと学会も控えている。
8月上旬までは気の抜けない時期となる。
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花。江別市文京台

●旅の疲れは:No. 1630 2005.07.19

朝雨が少しだけぱらついたが、
快晴で暑い日になりそうだ。
家内の母を連れ立って旅に出た。
3泊4日の旅であった。
私の目的は調査と試料採取であった。
一応予定の行動をしようとしたのだが、
祖母と一緒なのでどうしてもあまり無理ができない。
そのため、かなり行動は制限された。
調査もあまりできなかった。
しかし、それもしょうがない。
そんなときもあるだろう。
体は疲れているが、やはり心はリフレッシュしている。
この状態で最後の講義と試験期間を乗り切ろう。
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●ふしぎな無限:No. 1629 2005.07.19

e-教室編 新井紀子監修「ふしぎな無限」
(ISBN4-06-257468-3 C0241)
を読んだ。
インターネットを通じて行われた
自主的な授業から生まれた本である。
いい進行がされている。
しかし、ただなる講師の努力が背後にあることを感じる。
そして気長に待ちながら、講義が進むことがわかる。
背景には学校授業とは違った時間の流れ
学習のスピードが感じられる。
なかなかいいものである。
私がこのようなものを生み出したいが、
大人数でおこなうだけがやり方ではない。
個人で複数人を相手にした
もっと違う e-learningがあっていいはずである。
そんなものを目指していこう。
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●海辺の石ころ図鑑:No. 1628 2005.07.19

渡辺一夫著「海辺の石ころ図鑑」
(ISBN4-591-08695-X C0644)
を読んだ。
著者の一連の石ころの子供向けの著作はいい。
私がやろうとしていることと
明らかに重複している。
ただし、私は別の目的があり、
その一環として石ころや砂がある。
それを何とか日の目を見るようにしていきたいものである。
しかし、この著者の活動には共感できる。
コンタクトを取りたいものだ。
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アジサイ。江別市文京台

●デザインのセンス:No. 1627 2005.07.15

今朝は、早朝から快晴であった。
暑い一日となりそうだ。
今日の午後から調査に出かける。
連休なので人手が多いかどうか心配だ。
でも、これも心配してもしょうがない。
天気と同じでなるようにしかならない。
その場その時で対処を考えるしかない。
最近大学のポスターが目に付いてしょうがない。
劇団のサークルのポスターだ。
センスがいい。それも手作りである。
複雑ではない。シンプルである。
でも、人目を引く。
よく見ると苦労してつくった形跡がある。
しかし、そのデザインを思いついて
なんとか人目を引くように作り上げることが
すばらしいのです。
聞くところによると、学生が作っているようである。
このサークルのデザインに驚かされるのは2度目である。
このセンスばかりは私には思いつけない。
すばらしい。
私にできることはまねをすることぐらいである。
こんな才能が花咲くことを祈っている。
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並木。江別市文京台

●行事がいろいろ:No. 1626 2005.07.14

今朝も霧が出ていた。
調査のために、こなすべき仕事がたくさん出てきた。
それをやり遂げられるかどうか心配である。
講義の準備も大変である。
新しい内容をいくつも用意しなければならない。
それを前もって用意しておく必要があるのだ。
なかなか大変だ。
でも、調査のためである。
がんばって準備しよう。
昨夜は久しぶりにぐっすり眠れた気がする。
熟睡できたため、疲れがだいぶ抜けた。
今日の夜は長男の学校でキャンプがある。
3年生以上はテントで寝るのだが、
2年生の長男は8時まで参加して、
自宅で寝るので、家族が迎えに行かなければならない。
昨年は私の母が来ていたので家族で
キャンプファイアーを見に行った。
今年は家内の母が来ている。
見せてあげられればいいのだ。
すこし風邪気味だからどうしようか。
まあ様子を見ながら考えよう。
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霧のポプラ。江別市文京台

●週末の調査に向けて:No. 1625 2005.07.13

今朝は霧が出ていた。
しかし、朝から晴れてくるだろう。
今度の週末は連休なので
調査に出かけることにしている。
三笠から富良野に抜けて
十勝岳の火山まで見ることが目標だ。
天気が気になるが、
こればかりは心配してもしょうがない。
それより、問題は、授業やメールマガジンの準備である。
準備時間があまりないので、あわただしくなる。
今から用意しておかなければならない。
さあもうはじめよう。
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きのこ。江別市文京台

●都会とのつながり:No. 1624 2005.07.11

今朝は小雨が降っていた。
今日は体がだるい。
風邪がまだ完全に抜けていないのと、
土曜日、日曜日に体を使ったからだ。
土曜日は小学校の行事で、
森に長男と一緒に入った。
次男はまだ風邪が抜けていないので
家内と祖母とで留守番である。
昨日は東京で会議があったので、日帰りででかけた。
朝一番の飛行機で出て、9時過ぎに自宅に着いた。
しかし、新幹線で岐阜から来られている人は
家に着くのは、もっと遅くなっていただろう。
東京は蒸し暑かった。ごみごみしていた。
そして人がせかせかとしていた。
自然の多いところに暮らしていると、
都会が如何に非人間的な生活をしているか、
如何に金が人間を支配しているか
いかに汚れた自然の中に暮らしているかが痛感できる。
自分もそんな人間であったこと、
そして物欲、購入欲、食欲、
あるいは快適さを求める気持ち、
新しいものを求める気持ち、
いろいろな欲が、自分の心の中に
生まれて来ることを感じる。
そこに時間に追われて歩いている自分を感じる。
自分も都会生活者であったから、
忘れていたはずのそんな気持ちがすぐに沸いてくる。
そんな気持ちに気づくと、
やっと得ている心の平成を取り戻したい、
長居はしたくない、
田舎に帰りたいという気になる。
こんな気持ちは、いいことなのか、
悪いことなのかわからない。
しかし、自分はそんな選択をしたのである。
そして後悔はしていない。
現代生活を送っている限り、都会とは縁が切れない。
現代社会の多くは、都会にその大元がある。
インターネット、コンピュータ、電話、電気、水道、
すべてその基盤は都会から発生したものだ。
その基盤があるから、田舎の生活も快適にできるのだ。
金だって、都会から流れてくるのだ。
自分自身、金で生計を立てているのだ。
都会を否定することは、
自分の生活が成り立たないことを意味する。
それはわかっているのだが、
都会を嫌っている自分がいるもの確かだ。
複雑な心持である。
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イトトンボ。江別市文京台

●今日:No. 1623 2005.07.09

今日は朝は曇っている。
長男の小学校の行事で森を散策する予定である。
晴れればいいが、こればかりはわからない。
次男は風邪はだいぶ治っているが
まだ鼻水がとまらないので、
自宅に家内といることにする。
昨日から家内の母が来ている。
我が家もしばらくは、にぎやかになる。
明日は私は東京に日帰り出張だ。
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●超ひも理論とはなにか:No. 1622 2005.07.08

竹内薫著「超ひも理論とはなにか」
(ISBN4-04-257444-6 C0242)
を読んだ。
超ひも理論の概要が紹介されている。
詳細は多分私には理解できないだろうが、
しかしこの本のおかげで、概略がわかった。
そして万物の理論への道は
まだまだ遠いということが良くわかった。
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●がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい!:No. 1621 2005.07.08

島田洋七著「がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい!」
(ISBN4-19-892184-9 C0195)
を読んだ。
前作に続けて一気に読んだ。
なかなか面白い。
人間に必要なもの。
生きていくのに必要なもの。
そして生きていくのに不要なもの。
人間としてこだわらなくていいもの。
食べることができなくても、食べてける方法があること。
昔の人が当たり前にできたことで、
今の人ができないこと。
今の人が忘れてしまったこと。
そんなことをいろいろ思い出させてくれた。
そしてそれをノスタルジーではなく、
実現しなければならないときに来ているのではないか。
そんな思いが、この本が売れ、
映画になり、漫画になっていく理由ではないだろうか。
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●佐賀のがばいばあちゃん:No. 1620 2005.07.08

島田洋七著「佐賀のがばいばあちゃん」
(ISBN4-19-892000-1 C0195)
を読んだ。
テレビで、彼の佐賀での生き方や話を聞いていると
すばらしいものを感じた。
そしてこの本を読んだ。
なかなか面白い内容であった。
ただし、文章を書く専門家でないので、
もっとうまく書いたら面白いな思うところが各所にあった。
しかし、この文章も彼の個性なのである。
だからこれでいいのかもしれない。
そしてもっと続きを読みたくなるなる内容であった。
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つた。江別市文京台

●風邪が抜けない:No. 1619 2005.07.08

昨夜雨が降ったが今朝にはあがっていた。
今日は晴れてきそうだ。
風邪がまだ抜けていないようだ。
今朝はのどが少々痛い。
熱はないのだが、少々頭が重い感じがする。
しかし、仕事は通常のようにできそうである。
週末は忙しくなるが、無理しないようにしよう。
今日も夕方には医者にいかなければならないので、
要領よく仕事をこなさなければならない。
論文の最後の推敲が滞っているのが気がかりだ。
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イトトンボ。江別市文京台

●気の向くままに:No. 1618 2005.07.07

今日は七夕だが、しとしとと雨が降っている。
今日は星空を見ることはできないだろう。
こんな霧雨では傘をしていても
体がしっとりとぬれていく。
しかし、こんな雨の日でも、私は嫌いではない。
人気のない道筋を自然を眺めながら歩くのは、
心が洗われる気がして好きだ。
私の風邪も思ったほどひどくなく、
回復に向かっていることも幸いしてのだろうか、
今朝も雨の中を気持ちよく歩いてきた。
人間にとっては、歩くという行為が
もしかすると体にはいいのかもしれない。
今年は雨があまり降っていなかったので、
自転車で通うことが多く、歩くことが少なかった。
ここ3日間ほど雨のために続けて歩いている。
これがもしかすると体調にはよかったのだろうか。
自転車から徒歩に変えるとやはり時間がかかるので
ついつい億劫になっていく。
便利さを覚えた人間は、
なかなか不便には戻りたくないからだろう。
まあ無理せず、気の向くままに移動手段を使い分けよう。
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葉と雫。江別市文京台

●三位一体:No. 1617 2005.07.06

昨日に続き、今日も雨である。
久しぶりにまとまった雨である。
乾いていた田畑には潤いの雨だろう。
我が家では、長男以外全員が風邪をひいている。
長男が学校でもらってきた風邪に
家族内に広まったのだ。
次男は中耳炎を起こし、昨夜急遽鼓膜の切開をした。
一昨日耳鼻科で診察を受けたばかりである。
次男の中耳炎も2度目である。
痛い思いをして不憫であるが、
回復のための処置なので仕方ない。
私も家内も風邪で不調である。
私は、昨日うなされて熟睡できなかった。
しかし、まだ動け、頭が働くので、仕事を続ける。
授業も授業の準備も試験の準備もある。
そんなあわただしさの中、
講義の準備をしながら、
ライクワークの一環となる論文の内容が
できてきたのを感じられた。
4年間かかって練り上げてきたものが、
少しずつ熟成してきたものである。
このような方法論が私の理想としてきたものである。
哲学、教育、そして研究が
三位一体となっているものである。
それぞれが場で同じ内容が成立し、
質的にも充実していて、斬新さがあり、
一貫したものになっていることである。
つまり、地質学に関する哲学的思索であるが、
講義でも学生に興味を持て内容で、
それが論文として成立するようなものである。
このようなものが講義をつくる中から
多数生まれてくることが
私の理想としているものであった。
あとは、論文にしていくことである。
さてさてそれが問題であるが。
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葉と雫。江別市文京台

●知性と知識:No. 1616 2005.07.05

久しぶりの雨である。
歩いてきた。
起きたときは肌寒かったので、
長袖を着てきたら汗ばんできた。
昨日は、自分の専門としない分野の
講義の準備を一日していた。
このような準備は、
大変で労力も時間がかかるが、面白い。
人間としては、こんな繰り返しを
続けていく必要があるのだ。
初めての学問にもチャレンジすることが大切だ。
無理して覚えたことは、
必要がなければすぐに忘れる。
身をもって体験したこと、努力したことは、
忘れることなく、身に付く。
そんな繰り返しが教養となり
知性となっていくのだろう。
私は、まだまだ知性が足りない。
知性とは、ものごとを知っているだけではないのである。
知性とは、知識の評価や判断ができなければならない。
知性とは、知識を自由自在に運用できなければならない。
知性がない知識は、単なる物識りにすぎない。
辞書や参考書を見ればもっと詳しいものが手に入る。
それぞれの専門家には及ばないのである。
逆に知性があると、
知識の多い少ないは問題ではなくなる。
少しの知識の運用で
多くの場合に役に立つものが生まれる。
これは、もしかすると専門家でも
できないことかもしれない。
ひとつの道具があれば、少しの材料でも
多様なものができるのである。
そんな知性を持ちたい。
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ベンチ。江別市文京台

●週末は外で:No. 1615 2005.07.04

今朝は曇りで、ちょっと肌寒い。
土曜日と日曜日と外に出た。
土曜日は、次男が補助輪なしで
自転車に乗れるようになったので、
家族で、森の中に自転車ででかけた。
森の中のベンチでおにぎりの昼食を食べた。
子供たちは虫を取ることが目的であった。
トンボや蝶はとれたが、
一番の狙いのクワガタは見つからなかった。
もう少し暑くならないだめかもしれない。
収穫は、シオカラトンボ、スジクロチョウ、イトトンボ、
それとエゾハルゼミの抜け殻たくさんであった。
1時過ぎには戻ってきた。
帰ってから今年の夏はじめてのカキ氷を食べて、
子供たちは虫の絵を描いていた。
書き終わったら逃がしてあげた。
日曜日は、長男の同級生の女の子も一緒につれて、
近くの大学で子供祭りにでかけた。
やはりみんなで自転車で出かけた。
お昼は木陰の芝生でおにぎりを食べた。
一通りを回り、最後の水鉄砲で遊んだので、
ぐしょぐしょになったので、
2時過ぎに戻ってきた。
帰ってきてから、カキ氷を食べ、家の中で遊んだ。
両日とも快晴で日に焼けた腕がひりひりする。
体は疲れている。
もっと寝ていたい気がするが、
習性でいつものように明け方に目が覚めてしまった。
体は疲れているが、心はリフレッシュしている。
さあ今週もがんばっていこう。
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●奇妙な論理:No. 1614 2005.07.03

マーティン・ガードナー著「奇妙な論理I、II」
(ISBN4-15-050272-2 C0140、ISBN4-15-050273-0 C0140)
を読んだ。
I巻を読んでいくうちに、
似非科学の紹介の批判の羅列だったのあきてきた。
大切なことであるが、個別攻撃ばかりで
面白みが薄れてきた。
地質学対創世記を過ぎたあたりでやめた。
しかし、この本はカールセーガンが似非科学の批判に
目を向けるようになった本だそうだ。
いろいろな科学分野における
似非科学の歴史を見るときに使えそうな本である。
どうすれば批判できるかがわかる本である。
ただし、論理的に、理性的にどう批判するかは
体系的に詳しく書かれていないので、
応用が難しそうであるが。
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ポプラ。江別市文京台

●人間ドック:No. 1613 2005.07.01

朝は晴れていたが、雲が出てきた。
朝は風があったが、さわやかな天気だった。
ここ数日晴れていても、
湿度も気温も高くなく一日過ごしやすい天気である。
まさに北海道の初夏を味わっている。
今日から7月だ。
講義も前期の終盤となってきた。
7月は公私共に行事がたくさんあり多忙となる。
体調を壊さないようにしていかなければならない。
気候のせいだろうか、眠たい。
そしてよく眠れるが、
寝れる時間には限界があるので起きるが、
もっと寝ていたい気がする日が続く。
活動量が増えてきたので疲れているのだろうか。
それとも、単に加齢のせいなのかわからない。
体力と共に年齢と気力にも気を使わなければならない。
今月は人間ドックに入って検査を受ける。
少なくとも肉体の様子は探ることができるだろう。
活動するための整備である。
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