思いつくまま

2005年06月
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目次 
●すがすがしい朝に:No. 1612 2005.06.30
●よくわかる最新宇宙論の基本と仕組み:No. 1611 2005.06.30
●変るアプローチの方法:No. 1610 2005.06.29
●集中力:No. 1609 2005.06.28
●多忙な週末:No. 1608 2005.06.27
●暑い日々:No. 1607 2005.06.24
●生き物の本質:No. 1606 2005.06.23
●本質がわかる人間:No. 1605 2005.06.22
●満足感:No. 1604 2005.06.21
●私の性分:No. 1603 2005.06.20
●他者の目とモチベーション:No. 1602 2005.06.19
●自分をまっとう:No. 1601 2005.06.17
●探していていたデータベース:No. 1600 2005.06.16
●パラドックス:No. 1599 2005.06.15
●残る仕事:No. 1598 2005.06.14
●好奇心をもって自然を見る:No. 1597 2005.06.13
●全体のプラス:No. 1596 2005.06.10
●あせらずに:No. 1595 2005.06.09
●セレンディピティ:No. 1594 2005.06.08
●責任転嫁:No. 1593 2005.06.07
●痛い思い出:No. 1592 2005.06.06
●風邪:No. 1591 2005.06.05
●アフォーダンス:No. 1590 2005.06.05
●キューブサット物語:No. 1589 2005.06.05
●人に伝えるということ:No. 1588 2005.06.03
●対外的評価:No. 1587 2005.06.02
●向かうところ:No. 1586 2005.06.01


ロータリー。江別市文京台

●すがすがしい朝に:No. 1612 2005.06.30

今朝、5時前に目を覚ましてカーテンを開けたら
目の覚めるような快晴であった。
すがすがしい朝であった。
しかし、今日も暑くなりそうだ。
ここ数日掛きりになっている
論文が何とかできそうである。
あと何度かの推敲をすれば投稿できそうである。
今週か来週には投稿したい。
いよいよ6月も終わりである。
初夏の心地より時期であった。
雨が少なく農家には悩みだが、
暑い日もあったが、初夏の典型ともいえる季節を過ごした。
いろいろな行事もおこなわれ楽しんできた。
7月には、またまた大学の行事が目白押しとなる。
忙しさ、行事に惑わされて
自分を忘れないようにしたいものである。
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●よくわかる最新宇宙論の基本と仕組み:No. 1611 2005.06.30

竹内薫著「よくわかる最新宇宙論の基本と仕組み」
(ISBN4-7980-1035-9 C0044)
を読んだ。
この本には、宇宙論に関する最新情報が
盛り込まれているので参考になる。
竹内氏の本や訳書はよく目にする。
そして、わかりやすく書かれている。
ただくだけた書かれ方が気になるところだが、
これも個性であろう。
当面の最新情報の参考書および
重要サイトへの入り口として
重宝しそうである。
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●変るアプローチの方法:No. 1610 2005.06.29

今日も朝から晴れである。
暑い一日になりそうだ。
目標達成のために、わき目もふらず
直進していくことが大切である。
しかし、目標は変わらなくても、
アプローチの方法は変ってもいいはずだ。
目標が遠ければ、そのアプローチの方法は
時間と共によりよいものへと変化してもいいはずだ。
もしそうなら、新しいことに興味を持ち、
それをアプローチの方法として試して
適用できるかどうかを考えることは大切だ。
よりよいアプローチの方法を探す気持ちは
常に持っているべきだと思う。
必要かどうか見極めるために
ある程度使ってみることは必要だ。
しかし、試行段階では必要以上にのめりこまないこと、
必要でないとわかったら、
即座に撤退することが大切である。
また、必要だとわかったら、ものにすることが大切である。
私は、今もいろいろなものに手を出している。
そして、必要だと思ったら、取り込んでいる。
ものになっているものは少ない。
思いつくところを挙げてみよう。
サーバ:必要。ものにした(論文化まだ)。
パノラマ画像:必要。ものにした(論文化済み)。
立体画像:不明。ものにしてない。
プログラム言語:必要。ものにしていない。
E-learningシステム:必要。準備中(論文化まだ)。
GPS:必要。ものにした(論文化済み)。
地形解析:必要。利用中(論文化まだ)。
衛星画像:必要。利用中(論文化まだ)。
GIS:不要。
砂データベース:必要。利用中(論文化まだ)。
さてさて、半分はものにしていない。
ということは、先を見る目がないということなのだろうか。
単に新しいもの好きにすぎないのか。
そうでないというためには、
自分の目的にそれらの手法を利用して
ものにしないとだめだ。
目標は変わらなくとも、
アプローチの方法は常に変化しうるだから。
そしてよりよい道を探し続けて歩むのだ。
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つた。江別市文京台

●集中力:No. 1609 2005.06.28

ここ数日曇りだ。
今にも雨が降りそうだが、降らない。
そんな天気が続いている。
曇りのために、午後の暑さもなく、
研究室で仕事ができる。
昨日は半袖では、寒いほどであった。
昨日は体が疲れていたが、仕事が進んだ。
しかし、考えてみると仕事が進められるかどうかは
半分以上精神的なものである。
集中力がそのときその仕事に向かって
出せるかどうかだ。
出せれば、それなりの進展がある。
どんなに時間がかかることであっても、
ゴールがあることなら、
ゴールに向かって進んでいることになる。
その淡々とした繰り返しの集中力があるかどうか。
それが仕事を進められるかどうかの判断材料である。
そんな集中力を出すことが、
習慣化することができればいいのだが、
なかなかできない。
それが問題なのだ。
内容によって、工夫も必要かもしれない。
しかし、なにより強い意志が必要なのだろう。
そんな意思がなかなか持てない。
いつか持てるのだろうか。
土台無理な話なのだろうか。
自分はこんな人間だからと、
ここであきらめてしまうのか。
私は、いくつになっても、自分を信じて、
目標をもち、それを目指している人間になりたい。
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つた。江別市文京台

●多忙な週末:No. 1608 2005.06.27

週末はいろいろあった。
金曜日の夕方から近くのキャンプ場にでかけた。
キャンプをしていたのは、私たちだけであった。
バンガローに泊まっている
若者たちがいたが、
キャンプ場は独り占めして使えた。
夜はキャンプ場の近くの温泉に入り、
温泉の食堂で夕食をとる。
朝も夜も寒くなかった。
もう十分キャンプはできる季節となった。
帰宅後、土曜日は近所の大学の学園祭を見学に行った。
日曜日は自治会主催のジンギスカンを
近所の公園でやった。
この行事は今年初めて参加した。
家内が自治会の女性部の役員になっているので、
その行事があることを知ることができた。
お腹いっぱいおいしい肉を食べ、
残り物がお土産になり、我が家もいろいろもらってきた。
どうもこのように週末にいろいろ行事をおこなうと、
月曜日には疲れが抜けきらない。
今朝もなかなか起きられなかった。
精神はリフレッシュしているのに、体が付いてこない。
年齢のためなのか、運動不足なのか。
いずれにしても、日ごろから
もっと体を動かすことを心がけなければならない。
子供のようにはいかないが、子供に引っぱられながら、
運動をしていくしかないだろう。
さて、なえた体を引きずりながら、
リフレッシュした心で、今週を過ごしていこう。
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並木。江別市文京台

●暑い日々:No. 1607 2005.06.24

ここ数日暑い。
昨日の午後は西向きの研究室は
暑くてたまらなかった。
汗が止まらなくなる。
4時過ぎに耐えられなくなって帰った。
風さえも暑く感じる。
自宅は風さえ通れば涼しい。
今日も朝から暑い。
午前中は研究室は太陽が当たらないから、
風さえ抜ければ涼しい。
そろそろ野山の自然に触れたくなってくる。
夜まだ涼しいかもしれないが、
自然の冷涼感を味わいたいものだ。
しかし、やるべきことはしなければならない。
でも、したい目標があると、
一定のことが短時間でできることもある。
私の場合、以前から暑いのが苦手であった。
都会生活では冷房によって暑さをしのいでいたが、
北海道に来て冷房のない生活になった。
だから暑い気候になると、午前中の涼しい時間帯が
仕事をすつために重要になってくる。
午前中を如何に集中して過ごすかである。
さあ今日も集中してやろう。
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穂。江別市文京台

●生き物の本質:No. 1606 2005.06.23

ここ数日暑い日が続いている。
昨日は気温も30度近くに達した。
帰宅後、短パンと半袖でも暑いくらいであった。
しかし、風があったので、窓を開ければ、
涼しく、夜には閉めなければならないくらいだ。
次男は昨日幼稚園の行事で市内のプールに行った。
家内も付き添いの監視役でプールに入り、
終了後しばらく泳いだようだ。
我が家では初泳ぎだ。
長男もうらやましがっていた。
もちろん私もうらやましい。
我が家は、今年は野山や海に
調査にもキャンプにも出かけていない。
例年なら何度も出かけているはずなのに、いっていない。
もう一度行ったところで、
よいところは、少々遠いところばかりで、
なかなか出かけられない。
温泉には結構行っているのだが、
そろそろ野山に出たくてたまらなくなってきた。
現代人は自然に接することなく、
人工の環境の中でも生活できる。
都会生活は人工の環境で生活している人は多い。
しかし、彼らとて、自然の中に出ると
そのありがたみを感じるはずである。
あるいは忘れていた自然の良さを思い起こすであろう。
生まれたときから完全なる
都会生活者がいたとしたら、
自然の中をどう思うだろうか。
初めての自然体験を楽しいと思うだろうか。
それとも脅威、不安、不快などを感じるのだろうか。
もしそうなら、彼らは一生人工の自然の中で
生活するしかないだろう。
そんな世代、そんな人口が増えていないことを祈る。
やはり、人は生き物であるから、自然と接するべきだ。
そして自然には、よい面と悪い面の両面があることを
肌で体で感じられるべきだ。
そんな生き物としての本質を
忘れることなく持っているべきであろう。
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花。江別市文京台

●本質がわかる人間:No. 1605 2005.06.22

今朝も快晴である。
そういえばここしばらく雨が降っていない。
新聞でも雨が少ないと報道していた。
作物への影響が気になる。
人間は生き物だ。
だから食料をすぐに気にする。
これは本能だから仕方がないことだし、
正常な反応だといえる。
しかし、野菜が高く、米の値段が高騰する、
などと金銭にすぐに換算してしまう。
これは、資本主義経済だから
しょうがないことなのかもしれないが、
なによりもまず金が優先することがさもしい気がする。
人は給料のために働いている。
そして多くの給料をもらうことが、
人生の目標となってしまっている。
何のために生きているのか。
死んだらいくら金を貯めてもは使いようがない。
金を価値判断の基準にするのは、
さもしい価値判断だ。
お金持ちが貧乏人より偉く思ってしまう。
それも同じ基準である。
それは間違いであることは頭では誰もがわかっている。
しかし、そう思ってしまう。
親が金持ち、 先祖代々資産家、
不道徳なこと、違法をして稼いだ金、
どんな金持ちも、金持ちの範疇に入ってくる。
金の背景を知らなければ、
すべて金持ちで偉く思ってしまう。
そんな単純な価値判断をすべきではない。
人を評価するのに、持ち物、身なりなど
うわべで判断すべきでない。
その人の本質で判断すべきであろう。
そんな本質がわかる人間でいたい。
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はな。江別市文京台

●満足感:No. 1604 2005.06.21

今朝は朝早くから快晴となった。
朝も、爽快で気持ちのいい天気となった。
昨日は暑くなった午後も手を抜くことなく働いた。
そんな時ふと思った。
一生懸命に手を抜くことなく働くことは、
たとえ自分の望んでいるレベルでなくても、
それなりの満足感は得られる。
肉体労働の時には特にそう感じるであろう。
ただ、デスクワークでも同様の充実感は
味わうことはできる。
昨日はそんな一日であった。
しかし、その満足感にだまされてはいけない。
本当のレベルをあくまでも追求すべきであろう。
自分の望むものをやはり目指すべきであろう。
それが達成されたときの満足感は
単に一生懸命働いたなどという
満足感の比ではないであろう。
そんな満足感はしょっちゅう味わえるものではない。
満足感のレベルが大きくなると
その頻度は少なくなる。
したがって、日々の励みとなるのは、
やはり日々の満足感を得ることの
積み重ねということになる。
つまり毎日一生懸命に働くことの積み重ねが
やがては大きな満足感となるのであろう。
いずれにしても、手を抜くことなく
一日を過ごせということであろう。
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はな。江別市文京台

●私の性分:No. 1603 2005.06.20

今日は朝から薄曇で暑い。
さて、暑い一日が始まりそうだ。
親しい研究者に何人かに問い合わせをした。
彼らは親切に答えてくれた。
ありがたいことだ。
わからないことはわからないと、
問題は問題と、はっきりと自分の考えを伝えてくれる。
この簡潔さがありがたい。
私は、感謝やお願いなどの気持ちがあると、
ついついメールが長くなってしまう。
心を込めるとき、ついつい多弁になっていくのだ。
しかし、それはもしかすると私の側の
都合にすぎないのかもしれない。
それが相手には負担になっていることも
あるのではないか、と思ってしまうことが時々ある。
相手の性格しだいだが、
自分の性格を変えてまで
メールを書くこともできない。
だから自分なりのやり方で誠意を込めてやるしかない。
これも、私の性分である。
そして、この性分も自分が長年培ってきたものであるから
いかんともしがたいものである。
だから、長くなってごめんなさいという気持ちも
どこかに持ちながら、
自分なりのメールを書くしかないだろう。
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●他者の目とモチベーション:No. 1602 2005.06.19

今朝、あるホームページを見た。
それは、全社上げてはじめての海外旅行を
楽しんでいる様子の社員が
日替わりで報告しているものである。
そしてひとりひとりが日常とは違った
何かを見つけ、感じているのが
ホームページからひしひしと伝わるのである。
そんなページを見ていて、私も触発された。
私には、やる気、モチベーションが
以前と比べるとかなり低下している。
それが、どうしてだろうと考えに至った。
私は、日常からの離脱という行為としては
彼らのよりもっとたくさん充電している気がする。
しかし、そこから生まれたモチベーションの
実行の実績は、彼らのほうが圧倒的に大きい。
この違いは何に由来するのであろうか。
私の現状の問題点はモチベーションの低下である。
その問題を、このサイトからの触発から、
何か学べるのではないだろうか。
モチベーションとは、自分自身の中から
ふつふつとわいてくるものであろうか。
それとも、他人や自然に接触して、
それが心の中にあるモチベーションの
スイッチを入れるのだろうか。
それとも、そんな高尚なものでなく、
もっと下世話なもの、たとえば、
他人に負けたくなく、
人に良く思われたい、
締め切りがきたから仕方ない、
仕事だから、
お金のために、
などなど、ありふれているが、
人にはあまり言えないものが
モチベーションの火種だろうか。
私は、新しい環境にきたら、
ふつふつと沸いてくるモチベーションができると思った。
確かにその芽はいくつもあったが、
なかなかものにならなかった。
なぜだろう、と自問自答してみる。
モチベーションの火種はたくさんある。
モチベーションの継続ができていないようだ。
それは多分、他の人との継続的接触が
少なかったからではないだろうか。
講義を通じて多くの学生とは継続的に接触している。
しかし、それはモチベーションの継続にとって
重要な接触とはなっていないようだ。
他者は、本当は何もしなくてもいいのだ。
他者という存在を意識するだけで、
自己にとっては、モチベーションの継続に必要な
エネルギーを得るのではないだろうか。
そんな他者の目がどこか、身近にあることが
重要ではないだろうか。
他者とは、実在しようがしまいがいい。
自己の中に作り上げられる他者の目が必要だ。
もちろん、できれば、実在し接触可能な他者が。
そして、 モチベーションをきっかけを何とか、
高尚なものでありたいのである。
まあこれは理想だが、
こんな流れをなんとか作り上げたいものだ。
そうなれば、時間は短くても、目標とするものを
遂行することができるような気がするのだ。
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並木。江別市文京台

●自分をまっとう:No. 1601 2005.06.17

今朝はいつもより早目から晴れだした。
相変わらず風が強い。
2、3年前の夏のようにまた、冷夏だろうか。
6月も半ばとなると、あちこちで草刈がおこなわれる。
早いところでは、2度目の草刈がおこなわれている。
牧草も一番の若草はもうほとんど刈られている。
エゾハルゼミの鳴きだした。
初夏のすがすがしい気候だ。
昨日は大学の会議があった。
そのとき、ふと考えた。
一生懸命会議を聞く人、報告する人、
議論する人、内職をする人、
居眠りする人、 本を読む人。
いろいろな人がいる。
大半はまじめに会議に参加している。
しかし、一部にそのような人が多かれ少なかれいる。
集団にはいろいろな人が混じっているのだ。
それは同じ人もいる集団によって変わっていく。
ある集団からまじめな人だけを集めて、
ひとつの集団をつくったら、
きっとその集団にも多様な人が生まれるだろう。
また、ある集団で会議に専念してない人でも、
別の集団にいると、まじめに会議に取り組み、
不真面目な人をみて嫌な思いをしているのだろう。
人の振り見て我が振り直せ、である。
どんな集団にいても、自分のすべきことを、
なすべき立場をまっとうしていればいいのだ。
大変だけれども、それを実行することが大切だ。
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牧草。江別市文京台

●探していていたデータベース:No. 1600 2005.06.16

今日も、いつものパターンで
朝曇り昼に晴れるという天気である。
昼間は気持ちがいいのだが、
朝来るときが上着を着ないと寒い。
私は、先日ある論文と関係して、
セプコスキーという古生物学者の
データベースについて調べていた。
多くの研究者が利用している
データベースが所在がよくわからなかった。
それは海洋の動物化石の属、3万7000以上についての
誕生と出現に関するデータで、
やっとそのデータベースが見つけた。
共同研究者であった人が編集していた雑誌に
そのデータベーがCD-ROMとして付属している。
学会誌のある号で、私はその学会の会員でないが、
購入することができるので、注文した。
また、彼の業績をたたえて、
一般向けの書籍が編集されていた。
その編集者は、彼の恩師でもあるグールドである。
その本も注文した。
セプコスキーは大学院の博士課程で
ハーバード大学のグールドに師事したのだが、
そのときにこのデータベースをつくる研究をはじめた。
そして、死ぬまでデータベースを集め続けたのだ。
彼は恩師のグールドより早く、50歳という若さで逝った。
グールドはどんな思いであったろう。
しかし、恩師がその教え子の業績を評価できることは
すばらしいことである。
しかし、恩師より先に逝くのは、残念なことである。
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坂道。江別市文京台

●パラドックス:No. 1599 2005.06.15

朝は曇りで昼は晴れという
いつものパターンの天気が続いている。
晴れると、暑く、半袖で充分な陽気とである。
すがすがしい快適な天気となる。
昨日は、パラドックスということについて考えていた。
パラドックスとは、
ある前提から出発して、普通に考えを進めていくが、
得られた結果が非常識なもの、
あるいは前提に矛盾するものをいう。
パラドックスには、擬似的なものもある。
明らかに誤解や間違いを含むものである。
しかし、いいパラドックスは、
私たちの考え方にどこかに欠陥があることや
常識とされているものが実は間違っていること、
深い別の真相が隠されていること
などを教えてくれる。
そのようなパラドックスは重要である。
それを解くのに長い時間がかかっても、
挑む価値がある。
あるいはそんなパラドックスを見つけることができれば、
人類の知的資産に非常に重要な貢献をしたことになる。
昨日はそんなことを考えていた。
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ベンチ。江別市文京台

●残る仕事:No. 1598 2005.06.14

今朝は曇りだ。少々肌寒かった。
ここしばらくどうも体の疲れが抜けない。
よく眠れれば、疲れが取れるかもしれないが、
かといって長く寝れない。
時間が来ると目が覚めてしまう。
こんな繰り返しが続く。
昨日、生物の進化に関する論文を見つけた。
もともとは3月に発行されたNatureに出ていた論文だが、
Ameriman Scientistの7-8月号にも
関連する記事が出ていた。
生物の大絶滅には6200万年周期があるという内容だ。
それは膨大なるデータベースを解析した結果だ。
私は解析の成果より、
データベースをつくった人に興味を持った。
データベースをつくったのは
セプコスキーという研究者だ。
データベースは、海洋生物の3万6000の属に関して、
その属が最初に見つかる時代と
最後に見つかった時代を
多数の論文から集めたのである。
属を用いたのは、
それより分類の基準の下の階層である種では、
研究の進展に伴って変化するから、
変化のあまりない属を用いたのだ。
セプコスキーはグールドの学生だったときに
このデータベースつくりをはじめた。
そして1970年代からはじめられて、1999年まで続いた。
そこで終わったのは、彼が50歳という若さで死んだからだ。
彼の成果はCD-ROMにもされている。
いろいろな研究者がこのデータベースを利用している。
そして今回の成果もその一つだ。
こつこつと世に残る仕事をすることも
大切であることを知らされた。
そしてそれを評価する人も必要だということを感じた。
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ななかまどの花と虫。江別市文京台

●好奇心をもって自然を見る:No. 1597 2005.06.13

週末は雨で、今朝も雨だ。
昨日は長男の小学校の運動会の予定だったが、
雨で流れ、今日となった。
しかし、今日も雨が降っていたので、どうなるのだろう。
6時過ぎに出てきたので、結果は知らない。
今朝は、私が歩いてるとき
一時的に激しい雨が降った。
ぐしょぐしょになりながら歩いた。
しかし、まだ曇っている。
少々心配である。
さて、少し前の5月20日の記事だが
卵が寝た状態から速い回転をすると
立ち上がるときに45°くらいのとき
瞬間的だが立ち上がるという記事があった。
理論的な解析だから
現実に起こっているかどうかは
まだ確かめられていない。
しかし、何でのないことのようだが、
身の回りにいつも目にするようなことだが、
こんなにも身近なところにも
気づかない不思議なことが
起こっているかも知れないのだ。
面白い。
まあ、それは当たり前のことかもしれない。
私たちは何でも知っていると思い込んでいるが、
それは間違いで、
まだまだ知らないことだらけと思った方がいい。
そして、まだまだいろいろと面白いことが
自然の中には隠れていると思った方がいい。
その方がより真実の自然に近いだろうし、
なによりも楽しいではないか。
もっと好奇心をもって自然を見ていこう。
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ななかまどの花。江別市文京台

●全体のプラス:No. 1596 2005.06.10

今朝は久しぶりに雨が降った。
お湿り程度だが、しっとりとしていい。
気温が上がれば蒸し暑くなりそうだが、
朝のうちはすがすがしい。
今朝は久しぶりに歩いてきた。
体が少し汗ばんだ。
職場である大学は一見平穏だが、
内部ではいろいろどたばたしている。
私にもその影響はあり、落ち着かない日々である。
しかし、予定通りにすすないこと、
思い通りに進まないこともあるが、
その中でも、考えれば、いいこともある。
予定からするとマイナスだが、
何もしなかったときと比べれば
プラスである。
そんなプラスと自分のためになっていると考えていけば、
心の乱れも収まるだろう。
個々には問題があっても、
全体としてプラスになるように考えていこう。
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並木と牧草。江別市文京台

●あせらずに:No. 1595 2005.06.09

今日も天気だ。
最近いい天気が続く。
最近コンピュータの動作が著しく遅くなってきた。
何が原因かわなからない。
遅いだけ待っていれば、動く。
以前のコンピュータにはこんなことがよくあった。
しかし、一度早い環境に慣れたら
なかなか不便な方にも戻れない。
人間は不便なものだ。
一度楽を味わうと、
苦や不便には戻れないのだ。
しかし、それも一時的なものだ。
一時的に我慢をすれば、
そんな苦や不便に思う気持ちを克服できるのである。
それも人間の馴れなのだ。
しかし、今回はコンピュータの不調によるものである。
コンピュータの性能がそうだからではない。
だから、味わわなくてもいい苦痛を味わっていることになる。
これは、無駄、時間浪費である。
しかし、今コンピュータをいじって
大事に至ったらと考えると、
対処する気にはなれない。
なぜなら、定常的にこなすべき仕事が
詰まっているからだ。
やるならば、そのような仕事が一段落付く、
夏休みに入ってからだ。
それまでだましだまし使おう。
昔のコンピュータを使っているようにあせらず、
じっくりと使っていこう。
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牧舎。江別市文京台

●セレンディピティ:No. 1594 2005.06.08

早朝曇りでその後は晴れとなった。
同じパターンの天気が続く。
風は強いが、心地より初夏の気候だ。
今朝は来る途中でカッコーのないているのを見た。
畑の並木の梢だったので
カッコウの姿を見ることができた。
昨日講義をしているとき、
準備していた内容で話していると、
ある思いつきにいたった。
講義中にそこに至ったのは、
その思いつきに学生たちも面白がっていたが、
一番面白く思ったのは、私である。
これは、すばらしい思い付きである。
ぜひ、記録しておきたいものだ。
そんな思い付きができたもの、
講義の準備でその前段階まで
思考が進んでいたからであろう。
その結論があるとき思いつきとして生まれたのだろう。
このような閃きをセレンディピティ(serendipity)と呼ぶ。
もちろん今回はそれほど大きな閃きではない。
しかし、思いもよらぬ思い付きが浮かぶということは
うれしくもあり、楽しくもある。
こんなときが研究をしていて、
最高の幸せの瞬間である。
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すずらん。江別市文京台

●責任転嫁:No. 1593 2005.06.07

早朝は曇っていたが7時過ぎからは晴れてきた。
最近天気のいい時のパターンのようだ。
今日もすがすがしい天気になりそうだ。
しかし天気がいいと風が強く、
風がないと天気が悪い。
わが町は風の町だ。
昨日、たまたま他の教員と昼食が一緒になった。
教育について語った。
学生の質についての話題になった。
何故か今の学生の学力なさについて話が及ぶ。
しかし、彼らにはきっと潜在している能力が
あるはずなのである。
それを引き出せないのは、
もしかすると教員の責任なのではないだろうか。
そうなら学生の質を問うのは、
教員の質の悪さを、学生の質の悪さに
責任転嫁しているのではないだろうか。
学生が今のような状態になったのは、
社会や環境にその要因の多くはあるはずだ。
それを生んだのが大人であれば、
それも自分たち大人の責任である。
責任や原因を追究しても、問題解決にはならない。
いま如何に改善していくかが問われているのであろう。
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すずらん。江別市文京台

●痛い思い出:No. 1592 2005.06.06

早朝は晴れていたが、出かける頃には曇っていた。
ある技術というのは、だんだん習得し言って、
最終的には、あるレベルに達するようなものがある。
しかし、できるかできないという技術であれば、
練習していたら、あるとき突然、
できるようになるような技術もある。
昨日は朝のうちが雨で午後から晴れになった。
次男の自転車の補助輪をとって
近くの公園の芝生の上で練習をしたら、
公園ではじめて、乗れるようになった。
自転車というのはある日突然、
乗れるようになる技術である。
その達成の感動は忘れることができないだろう。
長男のときはそうであった。
次男もそうであるはずだったのだが、
まだ十分な技量ないため、危険回避ができない。
自宅までのほんの短い道のりだが、
止まっている長男の自転車に激突し、
車庫の前の電柱にも激突した。
2度も続けさまで大泣きをした。
大人なら大事だが、子供だから助かっているのであろう。
せっかくの楽しい思い出が、
痛い思い出にならなければいいのだが。
いずれにしても次男には
忘れがたい思い出になってくれればいい。
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たんぽぽ。江別市文京台

●風邪:No. 1591 2005.06.05

昨日は小学校の環境整備があった。
近状の人たち、PTAと子供たちが一部の先生が集まって、
学校の歌壇の手入れ、木の剪定、薪割りなどをこない、
その後、全員でジンギスカンをおこなった。
今朝はのどが痛い。
先週からひいいた、風邪がまだ治っていないようである。
子供たちも咳をずっとしている。
そしてだるそうにしている。
家内も首筋が痛いといっている。
誰がもらってきた風邪かわからないが、
どうも我が家は全員風邪をひいているようだ。
今日は雨なので、自宅で休養していいよう。
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●アフォーダンス:No. 1590 2005.06.05

佐々木正人著「アフォーダンス」
(ISBN4-00-006512-2 C0311)
を読んだ。
同じ著者の別のアフォーダンスに関する本を読んで、
続きで読み出しが、
抽象的過ぎて理解できずに、一時読むのをやめていた。
しかし、取り出して再び読み出したものである。
やはりいってることが良く理解できない。
何か新しいことを言わんとしているのだが、
それが伝わらない。
それはもしかすると、たいしたことがないのか、
それとも伝えるすべが悪いのか、
それとも読む私が馬鹿なのかわからない。
いずれてにしても、もう少しわかりやすく
伝えられないものだろうか。
「アフォーダンスは物事の物理的な性質ではない。
それは「動物にとっての環境の性質」である。
アフォーダンスは知覚者の主観が構成するものではない。
それは環境の中に存在する、
知覚者にとって価値のある情報である。」
少なくとも私には、何か面白そうなこと、
新しそうなことがありそうに思えるのだが、
それがわからない。
残念である。
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●キューブサット物語:No. 1589 2005.06.05

川島レイ著「キューブサット物語」
(ISBN4-7678-0399-3 C0095)
を読んだ。
大学生が小さいけれども本物の人工衛星を手作りして
実際に打ち上げ運用していったものを
取材したドキュメントである。
4年ほどに及ぶ製作から打ち上げまで、
学生たちが行った苦労や経験を取材したものである。
打ち上げのキャンセルや延期など、
苦労の大半は、しなくてもいいものである。
それがいい経験であったと美談とされて語られている。
考えてみると、それは大人の現実社会が生み出した、
暗い面を学生たちが経験していくものである。
苦労は、大人の側の都合によって生じたものである。
それが現実社会で、社会勉強と割りきるべきものだろう。
しかし、私は、大学というというところは、
実社会でない環境で、
実社会を意識しながら学ぶ場だと思う。
だから思い切ったことも、突拍子もないこと、
現実離れしたことも、さらには失敗も許されるのである。
学びを実社会のしきたりで行うのは、私は好きではない。
インターンシップなどで、
学生がボランティアやアルバイトのように、
会社に一時的に出向して、
社会経験をつむことを盛んに行われている。
そんな経験は4年後には誰もが嫌というほど、
そして一生経験しなければならない。
そんなのは社会に出てからすればいい。
それよりももっと純粋な部分を、大学という場では
学び経験しなければならないのではないだろうか。
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つぼみ。江別市文京台

●人に伝えるということ:No. 1588 2005.06.03

研究と本人が判断しているものにも
いろいろなものがある。
もちろん対外的評価の高いものがたくさんあるだろう。
しかし、自己判断として研究と呼んでいるものには、
内容が客観的に研究と呼ぶに値しないものまで
研究として含まれていることがある。
そうならないためには、
他人にわかりやすく研究を伝える必要がある。
少なくとも自分の研究を伝えるためには、
相手にわかってもらおうと気持ちが必要である。
そしてそのような話し方を心がけるべきであろう。
自分の研究内容を紹介するとき、
聞く人がどのような人なのかを考慮に入れない話、
専門語でロジックのあいまいさをごまかす話、
目標はすごいができていることがあまりに小さい話、
どれが自分の成果なのか明瞭でない話、
どれが自分の独創性の部分なのかがわからない話、
などは、排除すべきであろう。
聞く側が、内容がわからず、欲求不満になる。
最終的に時間の無駄と感じていしまう。
そのような人が教育者として学問の伝えるとすると、
はたして、正しく学問が伝えられるのであろうか。
言うは易し、行なうは難しであろうが、
心がけるべきである。
私はそう評価されている場面はないだろうか。
もしかすると私の対外的評価は
そのような結果ではないであろうか。
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つぼみ。江別市文京台

●対外的評価:No. 1587 2005.06.02

今日は曇りだ。
暖かい天気だ。
自分の対外的な評価がいろいろな場面ででることがある。
もちろん面と向かって出ない評価もあるが、
例えば研究費などの採択、不採択も
一種の対外的評価であろう。
それが純粋な書類審査であればいい。
自分のその申請内容が
その審査基準に適さなかっただけの話だ。
それは、単純に書類上、
あるいはその申請内容に対しての評価であるはずだ。
しかし、そんな不採択が何回も続くと
自分の能力への不安になったり、
審査基準の正当性への不信へと続く。
自分の能力への不信は、自分の研究意欲の低下、
人間不信へと向かうかもしれない。
また、審査基準へと不信感となると、
その組織への帰属意識も薄れていくことになりかねない。
他の自分に合った場を求めていくことになるかもしれない。
あるいは、自分自身の能力を確かめるために、
他の場で評価を得るように勤めるかもしれない。
そうなればいいが、
実際には複雑な心境として、心は乱れていくのだろう。
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たんぽぽ。江別市文京台

●向かうところ:No. 1586 2005.06.01

6月となった。
暖かく初夏を思わせる気候となった。
大学の前期の講義も半分を終えた。
風邪で崩した体調はだいぶ戻ってきたが、
まだ、本調子でない。
しかし、休むこともままならない。
日々すべきことがある。
そんな隙間の時間を縫って
自分のしたいことをこなしていく。
職場の変化にも対処しながら、
自分の居所を常に確認しておく必要がある。
そして自分の進歩もしておかなければならない。
人とは厄介なものである。
現状にある時期、満足していても、
しばらくするとその満足は不満となり、
更なる満足を求める。
これを向上心というのかもしれないが、
厄介なものである。
現状が長期間続くと、どんな満足な環境であっても、
不満が見えてくる。
逆に、現状がどんなに不満足なものであっても
長期間続くと、それでよしとしていく気持ちが生まれる。
適応というのだろうか。
そんな現状を許す心と満足しない心の兼ね合いで
常に人は歩むことになる。
さてさて私はいったいどこへ向かって
行こうとしているのだろうか。
そして目指しているところは、
満足すべきところなのだろうか。
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