思いつくまま

2005年05月 道南
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目次 
●恵山温泉:No. 14(1557) 2005.05.02
●乙部の柱状節理:No. 13(1556) 2005.05.02
●自然の摂理:No. 12(1555) 2005.05.01
●上ノ国町の砂浜にて:No. 11(1554) 2005.05.01
●白神岬の付加体:No. 10(1553) 2005.05.01
●戸井の柱状節理:No. 9(1552) 2005.05.01
●駒ケ岳:No. 8(1551) 2005.04.30
●菊花石:No. 7(1550) 2005.04.30
●黒岩奇岩:No. 6(1549) 2005.04.30
●砂鉄:No. 5(1548) 2005.04.30
●鹿部の間欠泉:No. 4(1547) 2005.04.30
●波の音:No. 3(1546) 2005.04.29
●加齢:No. 2(1543) 2005.04.29
●自然に優しいとは:No. 1(1544) 2005.04.29


●恵山温泉:No. 14(1557) 2005.05.02
今回3泊したが、すべて温泉であった。
豊浦の温泉も沈殿物が多く、不思議であった。
しかし、今回の温泉の中では
恵山の温泉は特別印象的であった。
風呂に入る前に張り紙があり、
石鹸、シャンプーはききませんと書いてあった。
赤い水で、少々沈殿物があった。
私が先に外でおいてあったシャンプーで頭を洗ったが、
泡が立たなかった。
それよりも温泉水が目にしみた。
子供はお湯に入るとすぐにもぐる。
目がしみるのでやめておきなさいという前に、
すでにもぐっていた。
目が痛いといっていた。
使っていたタオルは真っ赤になった。
これは鉄分のせいだと思うが、
一瞬の出来事であったので驚いた。
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●乙部の柱状節理:No. 13(1556) 2005.05.02
最終日のメインは柱状節理であった。
乙部町の車岩で見たのはすばらしかった。
安山岩のマグマによる柱状節理であるが、
それは海岸に向かって柱状の部分が伸びている。
その上下には節理はあるが柱状が乱れている部分がある。
壮観であった。
30年近く前に見たこの柱状節理は今でも記憶に残っている。
それほど印象を与えるものはすばらしい。
そして今回その印象を更なるものにした。
したがって、この乙部の柱状節理は
私の心に一生残っているものであろう。
今回の旅でもマグマの形作る記憶が強く残された。
子供のこの柱状節理の絵を家で一所懸命書いていた。
こんな繰り返しが、思い出を積み重ねているのだろう。
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●自然の摂理:No. 12(1555) 2005.05.01
自然は人に何も与えない。
人が何を学び取るかだ。
自然の摂理の中に、シンプルな規則、法則、原理を
人が読み取ったとしても、
自然は何の変化することはない。
しかし、人は自然の摂理を読み取ると
自然の真の姿を垣間見たような気がして自然に親しみを感じる。
しかし、自然は何も人に歩み寄ることはない。
自然は、いつもあるがままの自然の状態である。
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●上ノ国町の砂浜にて:No. 11(1554) 2005.05.01
上ノ国町には、断崖と磯、そしてきれいな砂浜が見られる。
砂浜は、弧をなして長く伸びていた。
なぜ、砂浜は弧をなしていることが多いのだろう。
もちろん直線状の砂浜海岸もたくさんあるだろう。
でも、上ノ国の海岸を見ていると
弧をなす海岸も多いような気がしてしきた。
統計を取ったわけではないので、正確なところはわからない。
多分気のせいだと思うが、心に浮かぶ砂浜は弧をなしている。
これが砂浜だというイメージができているようだ。
砂浜は、海岸の形状、海流、
砂を供給する川や他の砂浜などに要因によって、
どのようなものができるか決まっているのだろう。
しかし、このような要因を定量化することは難しく
複雑になることは容易に想像がつく。
想像を超えたところに自然のすばらしさがあるのだ。
そこにシンプルな規則を見出すことができたとしたら
それこそすばらしいことである。
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●白神岬の付加体:No. 10(1553) 2005.05.01
松前の白神岬からは、本州が見える。
北海道最南端となるのだろうか。
今回は幸い天気もよく、下北半島も津軽半島もみえた。
しかし、そんな景色もほどほどにして、
観光客があまり行かない海岸へ降りる道をいった。
そこには岩礁があり、付加体堆積物と呼ばれるものがみつかる。
ここでは、黒い泥岩と淡い緑色のハイアロクラスタイトと呼ばれる岩石が
複雑に混在したものである。
変形していて、泥岩は千枚岩になっているところもある。
海洋プレートの沈み込みによって
列島と海溝の間に押し付けられた岩石が、
混じり合ってできたと考えられている。
その後も押し付けられ、圧力によって
このように岩石が変形していると考えられる。
かつての地下で、大地のゆっくりとはしていたろうが、
激しい営みがあったことが想像される。
しかし、これは実際に誰かが見たわけではなく、
地質学という科学が解き明かした
もっともらしい説を私が信じているのである。
その信念から、ここでは大地のダイナミックな営みが起こったと、
私が想像したのである。
本当かどうかはわからない。
信じているかどうかであろう。
私は科学を信じているから、
そのような想像ができたのある。
それが真実であるかどうかはわからない。
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●戸井の柱状節理:No. 9(1552) 2005.05.01
戸井の海岸沿いに以前見た記憶がある
すばらしい柱状節理があった場所へはもういけなかった。
崩落の危険のためにトンネルが掘られたため、
今では廃道となり全面通行止めとなり、
柵があり、見ることもできなかった。
そのかわり、近くの漁港の崖で小規模な柱状節理みた。
このような柱状節理は、
近づいてみると何の変哲もない火山岩である。
今回見たの柱状節理も安山岩の成す節理であった。
節理も近づいてみる不規則で、
断面となる割れ目も正6角形、あるいは正5角形には程遠く
不規則なものとなっている。
しかし、離れて全体として眺めてみると
みごとな柱状節理となる。
このスケールの差が不思議だ。
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●駒ケ岳:No. 8(1551) 2005.04.30
駒ケ岳を北から東にかけてぐるりと見て回った。
駒ケ岳は、もともと円錐形の頂上が
噴火によっていびつな形になっている。
今は穏やかな山の形に見えるが、
それがあるときの噴火によってできたと思うと、
火山の威力に驚かされる。
でも、駒ヶ岳の山体自体が、火山噴火でできた成層火山である。
それには、繰り返し何度も激しい火山活動があったことが想像される。
周辺には大量の火山灰も撒き散らされたであろう。
そんな破壊的な活動があったことも、
何も考えずに眺めていると、思い至らない。
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●菊花石:No. 7(1550) 2005.04.30
南茅部町古部の獅子鼻岬というところで、
菊花石と呼ばれているものをみた。
何の変哲もないトンネル前の小さな空き地である。
工事の作業小屋が建っている。
観光に地すらなっていない。
ここの菊花石とは、
海岸沿いの崖に見える火山岩の節理のことである。
安山岩が直径7、8mほどの丸い形になっているところがある。
そこに放射状の節理ができたものである。
その放射状節理が菊の花のようにみえるのである。
一部溶岩は、尻尾のように伸びているところもあり
そこにも節理がある。
残念ながらここは崩落危険地帯だから
ネットがかかっているから、写真はきれいに取れない。
でも、どのようなものかはよくわかる。
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●黒岩奇岩:No. 6(1549) 2005.04.30
八雲町で黒岩奇岩をみた。
あまり人が来るようなところではない。
しかし、祠があり、休息所やトイレもあった。
だから、人はあまりこないのかもしれないが、
観光地と考えて資金を導入した人がいるのだ。
ここは、流紋岩のというマグマによってできた岩礁である。
よく見るとメノウができている。
透明なものも時折ある。
でも、きれいなものは、あまりなく、あっても誰かが砕いている。
しかし、このような岩の中に、自然の美しさが隠されている。
それを探ることができるのは、すばらしい。
奇岩を奇岩として見る人。
奇岩を信仰対象とする人。
奇岩を観光資源とする人。
奇岩より自然の神秘を見る人。
自然の造詣を我が物にしようとする人。
それを悲しく見守る私。
いろいろな見方が奇岩からできることを感じさせてくれた。
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●砂鉄:No. 5(1548) 2005.04.30
砂はどこでも似たように思えるのだが、
よく見るとそれなりの個性があり面白い。
昨日も黒い砂をいくつかとった。
黒い色は磁鉄鉱という鉱物が多い砂で、
砂鉄と呼ばれるものになる。
場所によって砂鉄の含まれる量も違っている。
恵山の海岸では真っ黒の砂があった。
解説による磁鉄鉱のほかに輝石(単車、斜方の2種)も
含んでいるそうだ。
よく見ればわかるのだろうが、帰ったら研究室でみてみよう。
しかし、一面の砂浜が黒くなるほど
ある鉱物だけからなるというのは、考えると不思議ことだ。
岩石のなかの磁鉄鉱はたしかに結構含まれているものもある。
しかし、それにしても、2、3割にも満たない少ないものだ。
それが当たり一面の海岸を覆うというのは、
岩石が砕かれ、磁鉄鉱以外の他の鉱物は
波で別のところに運ばれたということだ。
このような作業を人間がしようとすると、
気の遠くなるような時間と手間がかかるだろう。
しかし、自然の営みは、長い時間かける苦労など気にしない。
淡々と時間とともに作業は進み、継続される。
それが自然の威力だ。
このような海岸の砂鉄も、
かつては地域によっては
鉄の素材として利用されていたのだ。
人間の賢さ、あるいはずる賢さだろうか、
見えてくる。
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●鹿部の間欠泉:No. 4(1547) 2005.04.30
昨日、鹿部温泉の間欠泉を見学した。
30年近く前に、大学の地質の道南巡検で、この間欠泉を見学した。
しかし、どのようなものだったのか、もうあまり覚えていない。
一番確かな記憶は、鹿部の間欠泉を見学したという記憶だ。
やぐらがあって、そこで時々温泉が噴出していたという
うっすらとした記憶だけだ。
あまり観光地でもなく、ひなびた場所にあったような気がした。
ところがいまや立派な施設となり、
入場料もとり、足湯も作られ間欠泉を見学できるようになっている。
小さな資料館もあり、鹿部の間欠泉の説明もされていた。
これによって、この間欠泉のことがよりよくわかるようになった。
そして、記憶に残るようになった。
時代の流れか、観光化かわからないが、
各地の変わったもの、見せる価値のあるものは
このように変わっているようだ。
しかし、間欠泉という個性があるのに、
施設がどこでも似たようなもので、個性がなくなっていく。
したがって、これが長い時間のなかで、
私の以前の記憶のように、鹿部の間欠泉というものとして
思い起こせるだろうか。
それとも、どこかの観光地のひとつになってしまうのだろうか。
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●波の音:No. 3(1546) 2005.04.29
寝ているときは気にならなかったが、
朝起きてメモを書いていると
結構聞こえてくる。
夜は雨が窓を打つ音が聞こえていたが、
今朝は快晴である。
晴れたと空に、青空と波の音が気持ちいい。
旅に出るということは、
日ごろの日常空間からまったく違った
非日常空間に移動することである。
そこで起こることは、大変なこともあるが、
すべてが目新しく、そして不思議で興味深い。
そんな積み重ねが旅の思い出になるのであろう。
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●加齢:No. 2(1545) 2005.04.29
一晩中、寝苦しかった。
肩が冷えて練れないので、いつもは肩当をして寝ているのだが、
旅館ではできないのでしなかった。
部屋は暖かく、布団をかぶると少し暑く、
体の一部を出さないと寝れないほどであった。
しかし、肩が冷えて冷たく感じる。
そのため、熟睡できなかった。
いつも寝ている環境とは違うからだろう。
若いときはそんなことはなかった。
でも、加齢のせいだろう、
環境になかなか適応できなくなった。
悲しいことだがしょうがない。
加齢は誰にでもこることである。
それを冷静に受け止め、
加齢にあった生き方をするまでである。
加齢によってそれくらいの知恵と経験はついてきた。
これも加齢の効用であろう。
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●自然に優しいとは:No. 1(1544) 2005.04.29
泊まった旅館の前に砂浜がある。
この砂浜を見ながら考えた。
しかし、この砂浜は、旅館の前に人工的に作られたものだ。
そして、沖100mほどのところには、防波堤があり、
並みの進入を防いでいる。
もともと海であったろうが、
明らかに人工的に作った海水プールのような状態だ。
確かに、ここまで海の自然の荒々しさを和らげておくと
子供での海水浴が楽しめそうである。
しかし、これを子供たちは海と思って記憶していくのだろうか。
川が堤防だらけで泳ぐことはおろか、
川遊びさえできないこの時代に、
海辺でも水遊びができなくなくってきているということだ。
安全とは、人間に優しいということだ。
自然に優しいという言葉があるが、
自然に優しくするというのは、
人手を加えず、ありのままにしておくはずだ。
時には人間に厳しく、危険でもあるはずだ。
しかし、日ごろ目にする自然に優しいという言葉は、
少し我慢すれば自然に優しくなれるという程度のニュアンスである。
だから、本当はそれほど自然に優しくはないのだ。
単に人間の独りよがりの自己満足かもしれない。
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