思いつくまま

2004年04
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目次 
●生産者と消費者:No. 1208 2004.04.30
●自然とのふれあい:No. 1207 2004.04.28
●歩こう:No. 1206 2004.04.27
●デスクワーク:No. 1205 2004.04.26
●生きているということ:No. 1204 2004.04.25
●はっきりしない天気:No. 1203 2004.04.24
●NatureBase:No. 1202 2004.04.23
●生死与奪の権利:No. 1201 2004.04.22
●知恵と労力:No. 1200 2004.04.21
●日々精進:No. 1199 2004.04.20
●大切な自然:No. 1198 2004.04.19
●因果は巡る:No. 1197 2004.04.18
●反省の日々:No. 1196 2004.04.17
●見えないものとの戦い:No. 1195 2004.04.16
●やるべきこと:No. 1194 2004.04.15
●教師とは:No. 1193 2004.04.14
●組織改変:No. 1192 2004.04.13
●困ったこと:No. 1191 2004.04.12
●熱意:No. 1190 2004.04.09
●読書時間:No. 1189 2004.04.08
●川を知る事典:No. 1189 2004.04.08
●変わり続ける自分:No. 1188 2004.04.07
●リサイクル:No. 1187 2004.04.07
●未来設計:No. 1186 2004.04.05
●我を取り戻さねば:No. 1185 2004.04.04
●春休み:No. 1184 2004.04.02
●移動のトラブル:No. 1183 2004.04.01


タンポポ。江別市文京台

●生産者と消費者:No. 1208 2004.04.30

今朝は快晴ではないが
やや霞んでいるが晴れである。
昨日は、森を少し歩いた。
長男は疲れているようなので次男とあるいた。
大学の牧場にいって、家畜の牛や馬を次男とみた。
そして考えた。
我が家はすぐ近くに家畜に接する場所がある。
しかし、都会暮らししている人に、
このような場が日常から
消えているのではないだろうか。
家畜というと、汚いうるさい、危ないなど
いろいろいわれ、人から遠ざけられてしまった。
そのくせ、遠めで見て、
牧草地は寝転がると気持ちいいと思っている。
人間は生物を食べずに生きてはいけない。
そんな生きるために不可欠なものすら、
現代人は非日常のものとして接している。
それらに問題があったら
生産者や行政に対して、責任を追求する。
疫病があったり、農薬づけは、
生産者のせいだろうか。
疫病とは、生産者は被害者になることであり、
農薬づけは、需要に応えているだけではないのか。
すべて消費者が望んだことではないのか。
まっすぐな見かけのきれいな野菜は、
生産者が生んだものでなく、
消費者の需要に応えたものだ。
もっと、生きていくことに必要なものに
身近に接する必要があると思う。
匂いのする過程も、汚いきつい過程も、
家畜や野菜を育てるのに必要なのだ。
畑のどぶさらいをして用水路をきれいにし、
家畜の糞をまいて畑の肥料にすること
それも、すべて食べるために必要なプロセスだ。
そんなプロセスを額に汗して
おこなっている人たちがいる。
そんなプロセスをもっと見るべきだ。
それだけでも、食べるものの大切さがわかる。
そんなことを考えて歩いた。
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つつじ。江別市文京台

●自然とのふれあい:No. 1207 2004.04.28

今朝は雨であった。
歩いてきた。
雨は雨なりの自然を発見できる。
雨の日の自然は、日ごろの見慣れたものが
違って見え、新鮮であった。
そんなときふと考えた。
同じ花でも、雨に濡れた状態だと、
見る人に違った感情を起こさせる。
そんな自然に接してさまざまに人の心が動くことが
自然とのふれあいで、
すべてのスタートではないだろうか。
もちろんそこには人間独自の感情、
あるいは人間の独善的な思いがあるだろう。
しかし、自然にそのように心を動かされることが
重要であろう。
それが自然との真のふれあいではないだろうか。
自然保護や自然環境を守るという活動の
精神的基礎となるのが
このような積み重ねではないだろうか。
そこの自然をよく知ることが重要であろう。
都会のエアコンや電灯のある机の上から、
パソコンの画面に向かってキーボードから
自然保護を叫んでも、説得力はないだろう。
自然の中から考え、発言すべきだろう。
その前に自然ともっともっと触れ合うべきだろう。
もっともっと自然に心を動かされるべきだろう。
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つつじ。江別市文京台

●歩こう:No. 1206 2004.04.27

今朝は曇っていた。
雨が降りそうなので、歩いてきた。
すると、今まで自転車を使っていたときには、
見落としていた自然がいっぱい見えてきた。
新芽、花、つぼみなど、植物が
一斉に春の活動しだした。
自然を見るのに適切なスピードがあるとしたら、
それは自分の足で歩くスピードなのかもしれない。
人間がいちばん自然に振舞えるスピード、
それが歩くスピードなのかもしれない。
都会の人は田舎の人よりよく歩いていると思う。
田舎の人ほど自動車を利用することが
多いのではないだろうか。
都会の人は、もっと自然の中を歩くべきだろう。
田舎の人は、自動車や自転車を使うだけでなく、
自分の体を使って、歩くべきだろう。
私は、晴れだと自転車、雨だと徒歩であった。
一番いい天気の日に、
一番きれいに自然が見えるときに、
自転車でいくのは、もったいないような気がしてきた。
天気のいい日も歩くようにしていこう。
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霜。江別市文京台

●デスクワーク:No. 1205 2004.04.26

昨日は天気も不順で、出かけず家でじっとしていた。
子供たちも新しい環境で疲れているようなので、
いい休息になった。
今朝は一転、快晴である。
ただし、放射冷却により、冷え込んだ。
霜が降り、氷が張り、山並みが真っ白になっていた。
不安定な天気である。
しかし、来週は道北へ出かけるから
そろそろその準備もしておかなければならない。
見るべきポイント、調査すべきポイントの整理、
コースの選定、地図の用意などを
しておかねばならない。
あわただしくもあり、楽しくもある。
さてさて、今日も締め切りのある仕事を
こなさなければならない。
晴れた青空のものと
デスクワークをしよう。
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コントラスト。江別市文京台

●生きているということ:No. 1204 2004.04.25

昨日は寒く、午後から雪なった。
めまぐるしく変わる天気であった。
なんと今朝は、うっすらと雪が積もっている。
4月も下旬というのに、なんということだ。
でも、今朝は、快晴である。
このままいい天気で、風がなければ、海に出かけよう。
海の近くの川原では水芭蕉が咲き始めているはずだ。
何度かの寒さ、暖かさを繰り返しながら季節は巡る。
巡る季節は、いつも同じではなく、
それぞれごとに変化があり、
その季節に生きるものに、いろいろな影響を与える。
その影響はいつものように消えていったり、
ときには他の生きものにも大き影響を与えることもあろう。
そんな複雑なめぐり合わせも自然であり、
地球という星の現象であろう。
そんな地球に生きる自分が
もっと地球の自然について
知りたい、味わいたいと思うのは当然のことかもしれない。
そして、自然はそこに生きているものについて
知りたいという好奇心が沸いていくる。
そして、知れば自然や生きものに対して
尊敬の念が沸いてくる。
そして生きるということのいろいろな面に気づく。
生きていくことは、大変でもあり、苦しいことである。
生きているということは、
強いということでもあり、素晴らしことでもある。
生きてきたということは、
大切なことでもあり、偉大なことでもある。
今生きているものは、
これからも、もっと強く、長く、生きようとするだろう。
これから生まれて来るものには、
もっと良く、楽しく、生きてもらいたいと思うだろう。
自然、そしてそこに生きているということは素晴らしい。
そんなことを味わい、実践していきたい。
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つくし。江別市文京台

●はっきりしない天気:No. 1203 2004.04.24

今朝は天気がよければ、
海か森にでかけようと思ったのだが、
天気がはっきしないのでやめた。
朝起きたら曇っていたが、
朝食をとってたら朝日が出てきた。
大学の近くで雨が降った跡があったが
朝日がまぶしかった。
天気予報では、午前中は雨の予報であった。
そして現在は晴れているが、
ただし、大きな雲が西の空を覆っている。
風が強いと外はだめだ。
ここ数回、休みのたびに
このようなはっきりしない天気が続いている。
だから、外に出かけたくても、思うに任せない。
来週には道北に調査に出かける。
それで、野外を満喫してこよう。
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エゾエンゴサク。江別市文京台

●NatureBase:No. 1202 2004.04.23

昨日GISをやられている別の大学の先生と会った。
彼の専門は植生で、
GISの専門ではなかったそうのだが、
今やGISの専門家として
しかも、マネージメントをする側の重要人物として
活躍されている。
彼のところにはいろいろな情報が集まっている。
そしていろいろな人も集まっている。
その中の一人にあったが、
わが大学でアルバイトとして働いていて、
いまではデータをつくるための
企業の人として、重要なスタッフなっている。
不思議な縁だ。
しかし、私がやろうとしていたことは
NatureBaseという構想で実現可能かもしれない。
共通プラットホームとしてNatureBaseがあり、
そこにはGEONOVAやWEB-GISなどによるDBと
それを見せる仕組みがあり、
私自身は独自のサーバをもって、
そこにNatureBaseからリンクで飛んでくる
という仕組みである。
まだ構想中だからどうなるかわからないが
独自のサーバの部分を作っておけば、
あとは、共通フォーマットのデータになるものを
NatureBaseに送ればいいのだ。
その運営形態や組織づくりは
まだこれからのようだ。
なかなか面白いものができそうだ。
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馬。江別市文京台

●生死与奪の権利:No. 1201 2004.04.22

今朝も少し肌寒かった。
畑の耕されはじめ、草の芽吹きも始まった。
乗馬クラブの早朝練習も始まった。
冬場は私が出かけるころは、
暗くて練習はしていなかったが、
4月ころから朝の練習が始まったようだ。
早朝の構内を、先輩に手綱を引かれて
新入生が乗馬の練習をしている。
イギリスでも早朝の公園を
乗馬しているのを見かけたが、
馬がかつては移動手段であった時代があるのだ。
日本でも江戸時代は馬を利用し、共存していた。
日本では、趣味や娯楽としてしか
馬との共存はない。
野生動物、家畜、愛玩動物、すべて生物である。
それを人間側の区分けによって、
かわいい、かわいそう、あぶない、
危険などというレッテルをはって、
彼らの生死を与奪する権利を
いつの間にか、わがものにしている。
いったい、いつからだろうか。
そしてそんな権利を誰が認めたのだろうか。
そんなことを考えると不思議な気がした。
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春まだ浅く。江別市文京台

●知恵と労力:No. 1200 2004.04.21

昨夜から激しい風である。
時々雨も激しく降る。
春の嵐である。
今朝、大学の中庭を通ってきたら、
まだ緑のない広場は、
去年の夏の濃い緑からすると、嘘のようである。
しかし、これから一気に春が加速してやってくる。
今年から、講義を集中してやることにしたが、
やはり、時間的に苦しい。
まだ慣れないせいかもしれない。
しかし、やはり時間配分をうまくすべきだ。
現在のスケジュールに慣れてから考えていこう。
昨日、文部科学省から
科学研究費の採択の結果の通知があった。
今年も2件出したが、2件とも採択されなかった。
内容的によくなっているはずなのに
評価されていない。
審査員の人は、公平に内容を評価しているという。
しかし、ある大学、ある研究所の
採択率が異常に高いのはなぜだろう。
やはり肩書き、所属が評価に
入っているのではないだろうか。
愚痴をいっても進展しない。
前を見てゆっくりとでもいいから
着実に進んでいこう。
研究費がないときは、知恵と労力を使えばいい。
そして夢を実現するために
優先順位をつけて、自力を集中していくしかない。
もし、私の志に共感してくれる同士がいるなら、
金ではなく志を供給しあおう。
もちろん同士がなくても一人でも歩んでいく。
これは、私の夢を実現するためでもあるのだから。
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●日々精進:No. 1199 2004.04.20

昨日夕方から雨となった。
風も強いが、冷たくはない。
もう雪の心配もないだろう。
先日、車の車検を通すのと共に、
車を夏仕様に換えた。
タイヤの交換とワイパーの交換である。
昨年の教養ゼミの学生で別の大学で
修士課程に入るために現在研究生をしてい学生が
昨日午後、研究室を訪れた。
研究に対する彼の悩みは、
そのまま自分の悩みである。
しかしそれを解決する道を私は知っている。
それを伝えた。
若いときにすべき方法、
年をとってからの方法。
それらのことを、彼に語りかけているのではあるが、
実は私自身への悩み解消法の再確認でもあった。
彼には、なりふりかまわず、没頭すること、
そして自分の限界を知り、
何度もその限界に挑戦すること。
それが自分を知ることでもあり、
自分を高めることでもある、
と伝えた。
私にも、同じことが言える。
要は、自分の心に恥じないように
目的に向かって日々精進できているかどうかである。
言うは易し、行なうは難し、である。
しかし、それが自分の生きる道でもある。
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春の小川。江別市文京台

●大切な自然:No. 1198 2004.04.19

昨日は予定通り、川にでかけた。
天気は良かったが強風であった。
外に出たものの、子供が野原で
遊べるような状況でもないし、虫もまだいなかった。
風が強かったので、外で食事をすることもできず、
車の中でおにぎりを食べた。
でも、子供はそれでも楽しかったようだ。
子供たちは、冬の運動不足による体力の衰えが、
まだ戻ってないようで、出かけると、
夕方はかなり疲れているようで、
不機嫌になっていく。
しょうがないことだ。
あわてず、じっくりと体力を戻していくしかない。
肝心の川原が見つからなかった。
子供たちが、車が飽きて、外に出たがったので、
あまり探すことはできなかった。
めぼしの付けたところを二箇所回ったが、
川原に出れなかった。
石狩川は、堤防の構築だけで、
川筋はそれほどいじってないと思ていたのが、
じつは、かなり流路をいじっている。
蛇行をまっすぐしているのだ。
もともと356kmあった長さが、
明治以降の治水という名のものとに、
流路短縮がおこなわれ、
現在は、268kmと100近くkmも短くなっている。
そして、現在も治水工事は継続している。
昨日も巨大な堤防、支流からの流路整備が
各地でおこなわれているのを見た。
自然できれいな川原が
なくなってきているのかもしれない。
きれいな川原というのは、
もしかしたら、大切な自然の一部なのかもしれない。
それは宝物なのかもしれない。
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●因果は巡る:No. 1197 2004.04.18

今日は天気がよさそうである。
だが風がありそうなので、海ではなく、川に行こう。
石狩川で、石や砂のある河原を探して
そこで半日家族で遊ぶことにする。
しかし、いい河原が見つかるかどうかが問題だ。
石狩川の下流域は蛇行がまっすぐされてきたので、
いい河原がなく、つまらない川となっている。
でも、探せばあるような気がするが、
春の増水期だから見つかるかどうか心配だ。
日本の川は農作を始めた時代から、
人間が変化させてきている。
だから自然のままの川は、
人が見向きもしなかった小さな川か
人の住まなかったところの川だけである。
何もこの様な状況は日本だけではない。
世界中の川についていえるだろう。
人間も、もちろん自然の一部だ。
そんな自然の中のいる自然の一部が
作用することによって自然が変わる。
でもこれは、自然の摂理である。
どんなに激しい異変であろうとも
自然は拒まない。
それも自然と受け止めるであろう。
そして自然が変化していく。
そんな自然の変化にあわてるのが
自然のほんの一部分に過ぎない、
そして変化を起こした張本人である人間である。
これも自然の摂理かもしれない。
因果は巡るのである。
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芽吹き。江別市文京台

●反省の日々:No. 1196 2004.04.17

今朝も天気が悪い。
この休日に川か海へ家族で出かけようと考えていた。
しかし、天気が悪く寒いので、今日はいけそうもない。
今日は、小さなイベントがあるので、
それに出かけることにする。
春のいい季節でも、曇っていると肌寒く、気分がめいる。
公務がまた一つ増える。
学部の業務である。
仕方がないことなのだが、一気に増えるのはつらい。
なんとなく、足が地に着いていない気がする。
なぜかはよくわからない。
春のせいかなぜか落ち着かない。
春は新しいスケジュールで授業が始まり、
組織が新しい体制で動きだし、
それぞれのひとに新しい仕事が割り振られる。
その始まりのために落ち着きがないなのだろうか。
夢を持ち、追いかけること、
そしてそれを日々続けることが大切である、
と学生たちに説いてきた。
そして心からそう思っている。
しかし、自分自信がその夢に日々向かっているのだろうか。
それ考えると忸怩たる思いが浮かぶ。
しかし、反省ばかりしていては前には進めない。
新しい今日を夢に向かって進んでいこう。
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牧草地。江別市文京台

●見えないものとの戦い:No. 1195 2004.04.16

今朝は雲っていて肌寒かった。
最近、長男が目をしょぼしょぼしているので
家内が眼科に連れて行ったら、
精神的なものでしょうという診断であった。
原因には心当たりがある。
長男は今週から小学校へ通いだしたので、
精神的にストレスを受けているのだろう。
そういえば最近次男ともあまり喧嘩をしなっくなった。
これも、ストレスによるせいかもしれない。
人の心は見かけではわからない。
ちょっとした変化がもしかすると、
心の大きな変化を示しているのかもしれない。
そんな見極めが大切なのだが、
親である自分にもそれができなかった。
医者に言われてはじめて気づいたのだ。
ましてそれが他人の子供であったら
どうであろうか。
何十人もの学生に対して、
教師が細やかなケアをするのを不可能であろう。
しかし、それをなんとかしなければならないのが
教師という職業である。
心は見えないだけに、厄介である。
もしかすると直ったこともみることはできない。
見えないものに対処することは、つらい。
教育とは、そんな見えないものとの
戦いなのかもしれない。
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木と青空。江別市文京台

●やるべきこと:No. 1194 2004.04.15

今朝は快晴で、気持ちいの天気だ。
吸い込まれるような青空。
心地よい春の日差し。
北海道の春を満喫できる天気である。
そろそろ川や海にも出かけていこう。
春のせいだろうか。
夜もすぐに眠くなるし、朝もなかなか起きられない。
先日の岐阜への出張の疲れもあるのだろうか。
授業の始まりの気づかれもあるのだろうか。
まあ、疲れたら時間の許す限り眠ろう。
健康が一番である。
先日の研究会で、
仲間が不遇を嘗めさせられていることを知った。
その人と約束していた共同研究を
全力を挙げて遂行することにした。
その前に、前提となる論文を仕上げなければならない。
それをこの3日でほぼ推敲した。
あとは、研究責任者に送って、
内容をチェックしてもらいしだい、投稿である。
そして、彼との約束の共同研究の結果である
実践報告の論文を今月中に仕上げたい。
人との出会いはさまざまである。
かかわりの程度もさまざまである。
しかし、志を同じくし、
共にスタートしたものがあるのであれば、
その目的を達成することが、
彼への最大の助力であり、励ましではないだろうか。
浪花節的かもしれない。
しかし、見るところ、周りの仲間たちが冷淡だ。
仲間ではないのか。
仲間が逆境のときこそ、協力すべきでないのか。
私はそう考えるので、
その論文を仕上げることに全力を挙げよう。
これが現在の私にできる最大のことだ。
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涸れ沢。札幌市北大構内

●教師とは:No. 1193 2004.04.14

何を目指すべきか。
何を望むべきか。
そんな当たり前のことを力を込めて述べる。
熱く若者に語る。
そうすればそれに反応する若者がいる。
素直に感動をする若者がいる。
こんな姿を見ていると、
やりがいを感じる。
やはり、心こめて語れば、心が震える。
しかし、そんな震えた心を
素直に伝えられない若者が多い。
あるいは、ハスに構える若者が多い。
すれているのか、恥ずかしいのか。
でも、震える心の疼きは残るはずである。
そんな疼きをたびたび刺激すれば、
きっと心へ伝えたいことが残るはずである。
そんなくり返しが教育ではないだろうか。
知識を伝えることが教育ではない。
学問のしかた、学ぶことの感動を伝えること
これが教育ではないだろうか。
そのためには、
教師は、日々熱くなければならない。
教師は、日々学問を面白がってなければならない。
教師は、日々感動していなければならない。
教師は、日々精進していなければならない。
教師は、日々真摯でなければならない。
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シラカバ並木。江別市文京台

●組織改変:No. 1192 2004.04.13

独立行政法人化で知り合いが
苦渋をなめさせられている。
組織が変わることはいい。
そして、現状に合わせて合理化するのはいい。
実際に変化が起こると、
いろいろ予想できなかったことがあるはず。
それをどうやり過ごすかは、
その組織の能力である。
忘れてはいけないことは、そこに人間いることである。
そんな人間の痛み、苦痛を
最小限にしていくもの組織の使命である。
なぜなら、組織は人間のためであって
人間によって動いているからである。
ある人に当てたメールから。
田代さんからは口頭だったので、
詳細を記憶できませんでしたが、
小玉さんの今回いただいたメールで
状況は詳しくわかりました。
心労いかほどだ、察して余りあるものだと思います。

「これから1年間のKさん自身の変化は
必至のようですが、
私としては、今までのように、
地学のグループのメンバーとして
Kさんとは今後も
連絡はとるようにしていきたいと思います。
ですから、デスクワークや許される範囲で
という条件はつきますが、
一緒に仕事を続けていきたいと思っています。
なにも仕事を押し付けようというのではく、
今までの活動の意義と、
私たちの活動は
将来の日本の科学教育を更なる発展もたらす
と信念の下に
一緒に仕事を続けていきたいと考えているからです。
Kさん、
いくら条件が悪くても、
自分のやりたいこと、
やるべきことを忘れずにいきましょう。
もちろん、家族や経済的な問題も
いろいろあるでしょうが、
Kさんが今まで培ってこられたものを、
大切してください。
そしてこれから目指すべき夢も忘れないでください。
現状は厳しいかもしれませんが、
夢さえ忘れずに進んでいけば、
きっと道は拓けるはずです。
私はそう信じて生きてきました。
そう信じてお互いかんばっていきましょう。
これからも変わらず、よろしくお願いします。
私は、これから、昨年度の活動をまとめるつもりです。
ではまた。」
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菜の花。岐阜県岐阜市長良川

●困ったこと:No. 1191 2004.04.12

昨日まで岐阜にいた。
研究会の会議である。
岐阜は、桜が満開を過ぎていた。
菜の花がきれいに咲いていた。
春たけなわというのだろうか、
いい季節であった。
しかし、またまた仕事を増やした。
今年からは学内の仕事も増えたので
自分の研究ができなくなるので、
つらいと思っていたとろこで、
これなので、困ってしまった。
さらに困ったことが起こった。
旅行中持ち歩いていたMobileGearが
またまたトラブルをおこした。
電池切れの表示が出たので、
電池を入れ替えたのだが、
それ以来、動かなくなった。
サブバッテリーがなくなっているのかもしれない。
その原因はサブバッテリーの漏電
の可能性がある。
軽くて便利、すぐ立ち上がるので愛用していたのだが、
2日間書いたメモが消えてしまった。
やはりハードディスクのあるものが
被害が最小限となるのでいいのかもしれない。
バッテリをつけるの大きく重いので嫌になる。
それさえなければいいのだが、
つらいところだ。
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緑。江別市文京台

●熱意:No. 1190 2004.04.09

今朝、メールボックスをみると、
ある先生のゼミ論集が配られていた。
たった半年の週一コマのゼミで
論集を作成しているのである。
素晴らしいことである。
そして、学生たちがやる気を持って
取り組んでいるのである。
私は、日ごろから学生たちにやればできる。
そのために目標や夢を持てといってきた。
もちろん私もその気持ちで
いろいろなことに取り組んできた。
しかし、まだまだ努力が足りないという気がした。
学生たちにもっと期待し
導かねばならないと思った。
しかし、どうすればいいか、
その方法がわからない。
他の先生たちのゼミのシラバスをみても、
そんなに違いがない。
あるのは、実際のゼミの運営方法と
教員の姿勢の問題だろう。
つまり、教員がどこまでやる気を持って
ゼミを運営していくかという
熱意のようなものにかかっているのだろう。
明日から1泊2日で岐阜に出かける。
教員のリテラシー向上の共同研究の一環である。
果たして私がこんなプロジェクトに
参加していることがいいのだろうか。
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緑。江別市文京台

●読書時間:No. 1189 2004.04.08

本が読みたいがなかなか読めない。
月に3、4冊読むのがやっとだ。
それも寝る前に少し読むだけでなので、
なかなかはかどらない。
家内は、大好きなサスペンスやミステリーを
毎月5、6冊は読んでいるだろうか。
私も読みたいのだが、もはや読む時間がない。
以前から時間がないので切り捨てた。
仕事で必要なものは、必要なところだけを、
見たり読んだりするだけである。
必要とあらば何度でも読み返す。
これは仕事だから、読書の時間には入れてない。
それでも、1冊の本を
じっくり読むことはなくなってきた。
自分にとって、24時間は
あまりに少ない限られた時間だ。
その結果、まとまったものを読む時間を削ったのだ。
こんな読書時間が、もしかすると
ストレス解消になっていたのかもしれないが、
なかなかできない。
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●川を知る事典:No. 1189 2004.04.08

鈴木理生著「川を知る事典」
(ISBN4-534-03656-6 C0025)
を読んだ。
川の由来や地誌についていろいろ書かれていたが、
私が知りたいことは、
あまり書かれていなかった。
由来を書くのはいいのだが、
論旨がはっきりせずに。
言いたいことがよくわからなかった。
少し欲求不満になってきた。
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秋から春へ。江別市文京台

●変わり続ける自分:No. 1188 2004.04.07

昨日から暖かい。
暖房がなくても過ごせるようになってきた。
今朝は雨だったが、暖かかった。
いよいよ冬は終わりである。
これからが楽しい、いい季節となる。
この春は、私の身辺もいろいろ変化した。
でも、本当の変化は、まわりの変化よりも、
自分自身が変化しなければならない。
できれば、自分の望む夢の方向に向かいたいものだ。
そのためには、自分自身が変わり、
その方向に向かわなければならない。
そして、その自分の変化、方向を
まわりに理解してもらわなければならない。
もちろんそんなことは、すぐにはできるものではない。
日々の努力の中から、自分が変わっていき、
その変わった姿をまわりが認知したとき
さらに道は拓ける。
もしかすると、人生とは、
そんなくり返しなのではないだろうか。
そして、能動的に生きれば生きるほど、
そんなくり返しの多い人生となるのではないか。
しかし、変化なく流されて生きるよりは、
まわりと相互作用しながら、
夢に向かって変化し続ける自分でいたい。
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●リサイクル:No. 1187 2004.04.07

安井至著「リサイクル」
(ISBN4−535-04826-6 C3340)
を読んだ。
シリーズ「地球と人間の環境を考える」
の一冊である。
個別の情報はいろいろ書かれてある。
最新情報にいたる方法も示されている。
しかし、なぜか一般論がない。
最終的にたどり着いた結論として
「トータルリスクミニマム思想に基づく
持続型消費の実現」
というものであった。
これを述べたいのであれば、
もっとその点をわかりやすく説明して欲しかった。
論点がぼやけて、主張がよくわからない本であった。
シリーズの「温暖化」が良すぎたせいかもしれない。
それとついつい比べてしまう。
環境問題は専門家がいない。
いろんな分野の専門家が環境問題をテーマにして
研究してきている。
そんな学際的な分野であるのなら、
最低限の約束事として、
誰にでもわかる書き方をすべきではないだろうか。
そんな書き方は市民に理解できるものとなるはずだ。
環境問題は、最終的に市民の日常生活や行政に
反映されなければ意味がない。
だったらなおさら多くの人わかる書き方を望む。
それがすごく残念であった。
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朝日。江別市文京台

●未来設計:No. 1186 2004.04.05

今朝、今年初めて自転車で通勤した
快晴で気持ちのいい朝であった。 。
自転車に乗るは、今年はじめてである。
子供たちは、家の前の道路で、
雪が融けたころから乗りはじめている。
私も遅ればせながら自転車に乗り出した。
いよいよ春である。
今週の金曜日から講義が始まる。
水曜日と金曜日に講義が連続して3講ある。
なかなか大変そうだが、
慣れればなんかなるだろう。
新たな校務もはじまる。
研究でも新しいことをはじめたいことがある。
そんなはじめては、講義で真っ先に使おう。
それが教育の充実にもなるはずである。
いろいろのはじめてが今年もおこる。
そんなはじめてを楽しみながらおこなう。
昨日はそんなはじめてをいろいろ考えた。
人生設計を練り直した。
家内とも相談した。
しかし、それは、あくまでも現状を前提として、
そこから考えた未来である。
その現状とは、
自分や家族が健康である、
現在の職が維持されている、
社会が私の生活に対して大きな変化を与えない
という前提のもとに、成り立つ未来設計である。
もしかするとこんな前提は、
はかないものかもしれない。
現状の未来設計にこだわる必要はない。
現状は変わりゆくものである。
そんな変化に対応しながら、
臨機応変に未来を考えるべきだろう。
そして自分や家族の健康を維持していくべきだ。
健康は守るのではなく、作っていくのであろう。
健康のためには配慮しよう。
この未来だけは、自助で構築できるのである。
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●我を取り戻さねば:No. 1185 2004.04.04

忙しさにかめけて、
ついつい日々のすべきことを見失っている。
我を忘れるときには、
夢中になっているときと、
あれこれに不本意に忙殺されているとき、
の2つの場合がある。
現在は後者である。
こんなときは、早急に
我を取り戻さなければならない。
まず、すべきことをはっきりさせて、
着実にこなしていくことが、大切である。
前年度のやり残したことで、今年度のすべきこと、
今年度に新たにすべきこと、
業務として しなければならないこと、
そんなことを整理しなければならない。
授業という定常的な業務が始まる前に。
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●春休み:No. 1184 2004.04.02

今日は自宅にいることになった。
次男が風邪を引いたらしく、
頭が痛いといい、熱も出ている。
長男がいるとなかなか熟睡できないようなので、
今日は長男とぶらぶらしていよう。
まあ新学期に向けての春休みとしよう。
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吹雪。江別市文京台

●移動のトラブル:No. 1183 2004.04.01

昨夜から雪である。
今朝は風が強く吹雪であった。
一面冬のように真っ白になっていた。
めまぐるしく天気が変わっていく。
大きな寒帯低気圧がオホーツク海にできている。
この冬はこの気圧配置によくなり、
嵐がよく訪れる。
風は冷たいが、空は春の色具合だ。
研究室の移動によってまだ、
プリンターが動かない。
LANプリンターなのだが、
いろいろやってみたのだが、動かない。
いろいろやってみているのだが
うまくいかない。
困ったものだ。
講義が始まるでに、
何とかしないとこまってしまう。
移動に伴っていろいろトラブルがあるものだ。
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