思いつくまま

2003年12月
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目次 
●サービスを継続:No. 1103 2003.12.31
●水落し:No. 1102 2003.12.29
●絶滅への道:No. 1101 2003.12.27
●よりよく生きていく:No. 1101 2003.12.27
●理系白書:No. 1100 2003.12.27
●死都日本:No. 1099 2003.12.26
●組織の意識変化:No. 1098 2003.12.24
●時間のコントロール:No. 1097 2003.12.23
●目標達成を目指し:No. 1096 2003.12.22
●妥協するということ:No. 1095 2003.12.21
●大学授業の生態誌:No. 1094 2003.12.21
●パソコン悠悠漢字術2002:No. 1093 2003.12.21
●哲学ってなんだ:No. 1092 2003.12.21
●日本の名河川を歩く:No. 1091 2003.12.21
●宇宙人としての生き方:No. 1090 2003.12.21
●ダーウィンとアフォーダンス:No. 1089 2003.12.21
●現場主義の知的生産法:No. 1088 2003.12.20
●図解雑学 時間論:No. 1087 2003.12.21
●学長:No. 1086 2003.12.20
●心の自然:No. 1085 2003.12.19
●アイスバーン:No. 1084 2003.12.18
●体質改善:No. 1083 2003.12.17
●学長選:No. 1082 2003.12.16
●高みを目指す心:No. 1081 2003.12.15
●餅つき:No. 1080 2003.12.14
●今風の学生:No. 1079 2003.12.12
●不思議な気分:No. 1078 2003.12.11
●よく生きること:No. 1077 2003.12.10
●地吹雪:No. 1076 2003.12.09
●雪の中の生活:No. 1075 2003.12.08
●清流の町:No. 1074 2003.12.07
●違った寒さ:No. 1073 2003.12.07
●郡上八幡:No. 1072 2003.12.07
●有効利用:No. 1071 2003.12.07
●手:No. 1070 2003.12.07
●馴れと疲れ:No. 1069 2003.12.06
●石を見る視点:No. 1068 2003.12.06
●郡上八幡へ:No. 1067 2003.12.05
●暖房:No. 1066 2003.12.04
●変わりつつある自分:No. 1065 2003.12.03
●若者の悩み:No. 1064 2003.12.02
●癒し:No. 1063 2003.12.01

●サービスを継続:No. 1103 2003.12.31

昨夜泊まったの温泉は、
なかなかいい宿であった。
自宅から30分ほどでたどり着く。
料金もそれほど高くない。
設備も食事もなかなかいいところであった。
これから定宿として時々出かけたいものである。
ただ部屋数が少ないので
予約ができるかどうか心配だが。
いいサービスにであうとうれしいものである。
しかも、それが身近に利用できるものであれば、
これからも利用しようという気になる。
これが重要であろう。
リピーターを呼べるサービスが
できるのというのは、
本物のサービスでなかろうか。
ただし、問題は同じサービスを
ずっと提供し続けることが
できるかどうかが重要である。
サービスにむらがあるといけないのである。
常に同じサービスを提供すること、
これは簡単そうに見えて
実は難しいのことなのかもしれない。
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●水落し:No. 1102 2003.12.29

おとといは温泉に泊まり、昨日帰ってきた。
出かけるときに、この家に来て、はじめて水落しをした。
北海道では、冷え込むときは、夜間に水落しをする。
水道の本管まで、立ち上がりの部分の水を抜くのである。
そんな作業を以前のアパートでは毎晩していた。
しかし、今の家に引っ越してからは、
水落しはいらなくなった。
でも、出かけるときは、やらねばならない。
面倒である。
もしも凍結したときの場合に備えて、
水の経路が家では、3つに分かれている。
だから、あちこちしなければならない。
教えてもらいながらやったので、1時間ほどかかった。
大変である。
それにストーブを切って出かけたので、
温まるの数時間かかり、
子供が風邪をぶり返しそうになった。
今日も母を連れて近くの温泉に泊まりに行く。
昼の食事の片づけが終わったら、
こんどは家内と私でやらなければならない。
まあこれは、経験するしかない。
今朝は大雪になりつつある。
出かけるときに止んでいるといいのだが、
こればかりはどうしようもない。
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●絶滅への道:No. 1101 2003.12.27

Bフレッツが回復した。
ワイヤレスLANも使えるようになった。
結局ルータのソフトのバージョンが低いためだったようだ。
しかし、突然、それがおこるということは、不思議だ。
そのせいで、IP電話が無効になるのは、おかしいい。
もしかするとソフトのバグがあったのではないか。
NTTがもしそれを認めると、
非常の多くのお金を返却しなければならない。
でも、バージョンが大きく上がるときは、
アナウンスがあってしかるべきではないか。
保障をしたくなければ、
そうのようなケアをすべきだと思う。
やはり最後の最後は金ではなく、心の問題だと思う。
そして心を大切にしたものが
最終的に得をするという
まるでハッピーエンドになる物語のようなことが、
できないだろうか。
まあ、そこまでお人よしではないけれど、
あまりにもお金で世の中が動きすぎている。
それでは、やがては破綻していく。
だれの目にも見えているはずである。
なのに今の道を進んでいくというのは、
絶滅への道を歩みつつあるのではないだろうか。
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●よりよく生きていく:No. 1101 2003.12.27

25日から、いろいろな事情が重なって、自宅に居る。
25日は税務署にいった。
昨日もNTTのBフレッツの修理と、
子供たちの病院の予約と診察のため、
出かけるタイミングをなくした。
今日も自宅である。
今日から1月1日までは多分研究室にはでれないだろう。
母が来るからである。
でも、朝や昼間の空いた時間には、
パソコンが使えるかもしれないので、
そのときには仕事が少しできる。
朝だけに誰も居ないから静かに仕事ができる。
昼間は、落ち着かないから、
なかなか仕事がはかどらなくなった。
2年間ほどだれもいない研究室で
一人で作業をすることになれたので、
人が居る環境では、今では集中しにくくなってきた。
以前の職場では、雑居部屋にいたので、
誰かの存在があったので、誰かが会話していても、
自分と関係がなければ、気にせずに仕事ができた。
でも、今はより楽に集中できる環境に適応したので、
悪い環境にはなかなか対応できなくなってきた。
これも衰えかもしれない。
しょうがない。これが今の自分である。
この自分となんとかうまく付き合っていくしかなないのだ。
人間は環境に応じて変化する。
その変化によりよく対応するようにできた人間に
よりより変化が生まれる。
そんなよりよい変化を積み重ねたものが、
よりよい人間になれるのであろう。
これにもやはり努力、精進が必要だ。
いつまでたってもよりよく生きていくのは、
大変なことなのだ。
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●理系白書:No. 1100 2003.12.27

毎日新聞科学環境部著「理系白書」
(ISBN4-06-211711-8 C0040)
を読んだ。

理系のおかれている現状が紹介されていた。
新聞に連載されていたものだから
ひとつひとつのインタビューや取材が
あまりにも短く、内容が上っ面だけのような気がした。
本として考えてた場合、
もう少し精選して、深い取材内容で構成してほしかった。
でも、理系の現状と問題点の概要を知るには
役に立った。
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●死都日本:No. 1099 2003.12.26

石黒耀著「死都日本」
(ISBN4-06-211366-X C0093)
を読んだ。

以前に知り合いの地質学者から
面白い本であるという紹介をされたものだ。
最近入手して呼んだ。
考えたら、久しぶりに仕事の関係のない
小説を読んだ気がする。
火山の描写が面白く、
私の日本再生と似たいような方向性を持っているので
非常に面白く読んだ。
私は、火山は専門としていなかったので、
いろいろ知らないことも書かれていて勉強になった。
やはり自然現象でもここまで破局的なものであると、
学術的に細かく書き込んであっても面白く読める。
しかし、破局的噴火のあとの
各種の震災や富士の噴火など、
「火山の冬」の話の前でこの本は終わっている。
そこが知りたいところでもあるが、
そこの話はまだ、研究者間でも
結論が出ていないところでもある。
だから、書きにくく、ますますSFっぽくなるのかもしれない。
でも、ぎゃくにいうとSFだから書けるところでもある。
もし、可能なら続編を読んでみたいものだ。
しかし、これ以降は火山の知識だけでなく、
防災、災害だけでなく、
広く地質学の素養が必要となるであろう。
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実の落ちた後には。江別市文京台

●組織の意識変化:No. 1098 2003.12.24

環境が変われば、それに応じて
自分自身も変わるべきだ。
それができないものは、
新しい環境で生き残れない。
自分自身は生き残れたとしても、
子孫は生き残れない。
それは、生物学の一般則と考えていいだろう。
これを人間に当てはめると、
新しい環境に人間がおかれることがある
たとえば、転職、配置転換、リストラ、定年など。
その新しい環境に応じて
自分がどう変わるか。
もし変われず、もといた環境での
同じ生き方、同じ方法論、同じ考え方をしていると、
生き残れないのではないか。
誰かの庇護の下にそれを行ったとしても、
新しい環境がベストの環境ならいい。
しかし、ベストではなく、劣悪な環境であったら、
変更をすべきである。
それもできるだけ早く。
そうすることが新しい環境によりふさわしく、
そして自分を受け入れてくれた新しい環境にも
役に立つこととなるはずだ。
それは最終的にお互いに得することとなる。
それをしない、できないのは、
上の一般論からいうと、
やがてはその種は絶滅するのである。
人間の作る組織は5年、10年などという
非常に短い時間での変化を迫られる。
組織が置かれている厳しい現状をみると、
生物学的な時間スケールで
悠長なことをしている余裕はない。
まずは、組織構成員の意識改革から
はじめなければならないだろう。
でも、これがじつは一番難しいのだ。
この先入観を取り除くことに
多大なる労力を必要とする。
もしかするとこの労力自体で
組織が壊滅することも起こりうるのである。
さてさて、大学はこれから難局を迎える。
それをいかに組織を変化しながら
乗り越えることができるか、
それが一番の焦点だ。
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松ぽっくり。江別市文京台

●時間のコントロール:No. 1097 2003.12.23

今年中にすべきことをする。
口にするとこんなに簡単なことが
実行しようとすると大変となる。
かといって、何もいわずにもくもくと
進んでいくのは、さらに難しい。
有言実行。
これが現代風のプロジェクト推進法なのかもしれない。
しかし、こうでもしないと
モチベーションをあげられないもの
なんだかつらい気がする。
私、あるいは現代人の時間が
せわしなく流れているせいかもしれない。
時間とは、感じ方によって、そのスピードが違う。
心が急いている人には、短く、
心が穏やかな人には、ゆったりと流れる。
時間は心を選んで流れていく。
あるいは、見方を変えると
心の持ちようで、いくらでも、
時間の流れをコントロールできるということである。
時間をコントロールする、こんなすばらしいことが
心にはなせるのである。
物理的には一様にしか流れない時間が
心でそのスピードが変えることができるのである。
しかし問題は、その心がままならないことである。
でも、物理的時間よりは、自分の努力が通じるのである。
つまり努力が報われる世界なのである。
念じれば、がんばれば、変わりうる世界なのである。
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雪と落ち葉。江別市文京台

●目標達成を目指し:No. 1096 2003.12.22

今年も後10日ほどとなった。
今週中に仕上げたい論文があるのだが、
あまり進んでいない。
どうしたものか進まない。
確かに、少しずつは書き足している。
しかし、そのスピードが遅い。
明らかに集中力、あるいはモチベーションが
低下している。
こんなときは、肉体運動を伴うものや
単純作業をやればいいのだ。
これは去年に得た教訓である。
やるべきことはいっぱいある。
それをいつ、こなすか。
気力、精神力のいるものは、
なかなかつらい。
それが、連続させるのもなかなかむつかしい。
しかし、こつこつと継続するべき、
単純作業をこなせばいいのだ。
でも今はその時期ではない。
気力を振り絞って、
今年の目標をこなすべきとき。
がんばるしかない。
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●妥協するということ:No. 1095 2003.12.21

昨日も、今日も研究室に出かけるのをやめた。
疲れているようだ。
朝になかなか起きられなかった。
寝過ごした。
だから、家庭サービスをしていた。
今日は、懸案の読んだ本を入力した。
しかし、これは、読んだらすぐに入力すべきである。
そして、その感想を即座に書くべきだ。
細かいことが思い出せない。
大切なことが書かれていたのが、
どのあたりに書かれていたのかが
思い出せなくなっている。
情けないことだが、現状である。
時間のロスである。
読んだ本を研究室に持っていき、
入力が終われば、
自宅に持って帰るべきなのかもしれない。
急がば回れ、である。
自宅ではなかなか思うように仕事ができない。
休むべきところである。
家庭サービスするべきところである。
自宅ですることは、選択しなければならない。
以前はどこでもやればできる思っていた。
しかし、最近は環境が整わないと集中でなきのだろうか。
衰えてきている。
また、やるべきことがなかなか以前のようにできない。
これも衰えだ。
これは克服すべきものでなく、
共存、共栄すべきでものである。
自分の能力の衰えてもうまく付き合わなければならない。
年をとるということは、
いろいろな妥協をすることなのか。
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●大学授業の生態誌:No. 1094 2003.12.21

島田博司著「大学授業の生態誌」
(ISBN4-474-30259-4 C3037)
を斜め読みした。

生態を理解する、あるいは教員の授業努力をすること
そしてその実践例を示している。
これは重要なことである。
もちろんある提案がされている。
しかしである。
普遍的でない。
教育の普遍化は必要である。
でも、このようは提案は局所的である。
普遍的でない。
もっと一般化した理論が必要だ。
それも空論でなく、実用的なものが、
ということえお強く感じだ。
それができないのであれば、
場所ごと、地域ごとのやり方をやるしかない。
ということとは、教育の理論はいらないということである。
実践例と、実用的教材の提供をするしかない。
進歩がない。
進歩を求めたいのであれば、
普遍化である。
それができない限り教育論は不要である。
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●パソコン悠悠漢字術2002:No. 1093 2003.12.21

文字鏡研究会編「パソコン悠悠漢字術2002」
(ISBN4-314-10249-0 C2055)
を読んだ。

以前にもこの文系のパソコン利用本があった。
そのときは、このような漢字のプロジェクトの紹介だけであったが、
いまやCD-ROMとして11万字という大量の漢字が付属している。
それが既存のパソコンのシステムで利用できるようになっているのである。
新しい漢字も随時更新されているという。
すばらしいことである。
これは、漢字文化圏の文化を新しいテクノロジーで利用したものである。
西洋の人たちにはなかなかできない発想であろう。
しかし、このような異文化の人たちが
自分たちの文化を表現するための努力、
これが既存の技術を大発展させていくのである。
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●哲学ってなんだ:No. 1092 2003.12.21

竹田青嗣著「哲学ってなんだ」
(ISBN4-00-500415-6 C0210)
を読んだ。

前半は面白かった。
しかし、竹田氏が専門としている現象学になると、
とたんに面白くなくなる。
あるいは、近代のヘーゲル以降の話になると面白くなくなる。
これは、なぜなのだろう。
これは彼のせいではなく、
内容が私の興味とは違うからなのだろうか。
それとも近代の哲学が現実の人間の思うことと遊離しているのではないか。
それとも意識が高度になったせいか。
それとも近代人が馬鹿になってきたか。
それとも私がこれを読む能力がないか。
判断できない。
でも、 古代や近世の哲学は、解説されるとよくわかる。
なのに、いくら解説されても、わかりにくいし、
まして面白くない。
なぜなのだろう。
いつもここに疑問がたどり着く。
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●日本の名河川を歩く:No. 1091 2003.12.21

天野礼子著「日本の名河川を歩く」
(ISBN4-06-272204-6 C0276)
を読んだ。

私が興味をもっている河川ではあるが、
はやり釣りをする人とは、興味が違う。
自然の中で遊ぶという点では理解できるものがある。
しかし、その人数が多くなるにつれて、
そこには営利が生じる。
既得権、商売、集客。
すると、それに反対する自称自然派の釣り師が怒る。
しかし、彼らがその釣りのすばらしさを宣伝したために、
釣り人口が増えたため、荒廃が味待ったのではないか。
などとどうもいろいろ思いは巡る。
だから、この本は最後まで読めなかった。
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●宇宙人としての生き方:No. 1090 2003.12.21

松井孝典著「宇宙人としての生き方」
(ISBN4-00-430839-9 C0244)
を読んだ。

驚いた。
私が考えていたことがたくさん含まれていた。
私のメールマガジンやホームページを読んだのかと思うほど、
似ている内容もあった。
これは、今の時代がこのような考え方を求めているかのかも知れない。
だから、識者はこのようなことを考えるのであろう。
もちろん私とは違うことも盛り込まれている。
それにこの内容はNHKの人間講座で放送された後、
本としてかかれたものである。
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●ダーウィンとアフォーダンス:No. 1089 2003.12.21

佐々木正人著「ダーウィンとアフォーダンス」
(ISBN4-06-149335-3 C0211)
を読んだ。

ゼミ学生がアフォーダンスに興味をもっている。
それに関連して昔途中まで読んであきらめたこの本を思い出した。
そして読み直した。
やはりよくわからない。
あげられている例は面白い。
そしてダーウィンも面白かった。
そしてダーウィンが考えた知能というものの
実証法、観察のすごさを知らされた。
時代がダーウィンの進化論生んだのでなく、
やはりダーウィンだから進化論が生まれたのだ。
この本の趣旨とは違うが、
そんなことを感じだ。
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●現場主義の知的生産法:No. 1088 2003.12.21

関満博著「現場主義の知的生産法」
(ISBN4-480-05940-7 C0234)
を読んだ。

面白かった。
フィールドワークをしている社会学者がどう思っているか知りたい。
そして、著者のような生産量をできればいいと考えた。
しかし、私は同じフィールドワークでもあては地質という自然だ。
そこに詣でることは、必要だ。
そして、親しくすることで、よりよく知ることになる。
そんなことを私もしたい。
いい本であった。
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●図解雑学 時間論:No. 1087 2003.12.21

二間瀬敏史著「図解雑学 時間論」
(ISBN4-8163-3055-0 C0042)
を読んだ。
私が知りたい哲学的な部分ではなく、
物理的時間につていの解説書であった。
しかし、物理的側面も
このように時間に関してまとめて読んでみると
面白く感じた。
そしてエントロピーへの議論へと進んでいく。
物理の抽象的時間論、
あるいは歴史的時間論はかならずエントロピーへといく。
そこになにな当たり前すぎて面白みにかける気がする。
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雪とななかまど。江別市文京台

●学長:No. 1086 2003.12.20

昨日は大学の忘年会であった。
先日終わった学長選の2人の候補者が離れて座っていた。
新らたに学長なった方は、
現学長や理事たちに挨拶をされていた。
そして、宴会も後半にささしかかったとき、
当選した人が、落選した人に挨拶にこられた。
同じ大学の人同士、面識もあり、言葉を交わしたり、
あるいは仕事を一緒にしたかもしれない。
そんな人が今度一緒に大学で暮らすには、
しこりを残さないことだ。
選ばれた方が挨拶にこられた。
しばらく話しておられた。
そして周りにいた落選された方の
推薦者とも挨拶されていた。
そして当選した推薦者も参加して、
しばらく話しておられた。
いい光景である。
心はわからない。
でも、このような一こまを作ることによって
しこりが消えていればいい。
思っていても、なかなかできないことかもしれない。
それをさりげなくできるのは、いいことだ。
これも人徳なのだろうか。
一つ残念なことがある。
それは、現学長の話が聞けなくなることが。
これの冗長なところもあるが、聴き応えがある。
そんな教養ある話がもう聞けなくなると思うと、残念である。
それを前回学長とあったときにいったら照れておられた。
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雪だるま。江別市文京台

●心の自然:No. 1085 2003.12.19

昨日の午後から雪になった。
かなり降った。
つるつるの状態と比べれば、
歩くのが楽になった。
でも、雪が降ったら降ったで、
除雪や雪下ろしなどしなければならないことも
いろいろ増えてくる。
でも、それを覚悟の冬である。
それがなければ、昨日までのように、
異常な状態には対応をとまどってしまう。
雪を待ちかねたのだろうか、
通り道にある高校の寮の前には
雪だるまが作られていた。
道路が凍れば凍ったで、
そんな状況を滑って遊んで、
そんな状態を楽しんでいる。
あるいは、そんな状況の変化をものともせず、
いつもと変わりなく過ごせるのである。
若者たちは、どんな状態をも
楽しむ能力がある。
大人は、嫌なこと同士を天秤にかけ、
予定通り嫌なことが来てくれたほうが、
予想外に嫌なことよりいいなどと考えてしまう。
これは、明らかに精神の硬直が起こっている。
若者のように、あるがままの自然を受け止め、
その中で楽しむ心が必要だ。
まだまだ、私の心では、
自然は取り戻せてないような気がする。
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●アイスバーン:No. 1084 2003.12.18

1週間ほど前に降ったきり雪が降らない。
天気のよい日が続いた。
昼間路面の温度が上がり
夜間冷えるということが繰り返しおこった。
そのため、路面はスケートリンクのように
つるつるの氷の状態である。
車道だけでない、歩道もつるつるである。
腰が引けて歩くものおっかなびっくりである。
そんなところを歩くと疲れる。
普通の道の歩き方とは、
自ずから重心のおき方も違ってくる。
たぶん、へっぴり腰であろう。
こわごわ早朝の道を歩いている横を
2人の学生がジョギングをして、
しゃべりながら通り過ぎていった。
彼らはどんな靴をはいているのだろうか。
普通のスノトレにしか見えない。
なぜ、滑らないのだろうか。
それとも北海道生まれの子たちには、
こんなアイスバーンは当たり前のことで
なれているのだろうか。
でも、昨日、子供が歩道で
すべて転んでいるを見かけた。
大学の構内には、融雪剤がまかれていた。
やはり、だれでもすべし、すべるのは怖いはずだ。
すべっても身のこなしで
体勢を立て直せるのからなのだろうか。
彼らはこともなげに悠然と走りすぎていった。
これが適応ということなのだ。
私は、北海道に移り住んで2回目の冬となる。
そんな冬に私はまだ適応できないのだろうか。
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●体質改善:No. 1083 2003.12.17

1年生のゼミを担当している
他大学の大学院生との会談があった。
いろいろ問題が出てきたが、
若い世代の考えは聞くのは、面白い。
彼らなりの苦労、工夫、経験などが聞けた。
そして、大学側の改善点を多々見つかった。
大学院生の話を聞くと、
結局は言葉を変えて、
同じ内容をいうことになる。
問題は、具体的対処と
次回への改善点であった。
それができれば、とりあえずは終了である。
でも、これは、大学側が対処していれば
起こらない問題でああった。
このような問題点や改善点の多くは、
大学側の怠慢によるものであった。
このような組織員の体質では、
教育は良くならないであろう。
そのような体質改善が
教員として、組織として行われた上での、
教育改革、組織改革であろう。
さてさて、わが大学はどこへ行くのだろう。
前途多難である。
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落ち葉と雪。江別市文京台

●学長選:No. 1082 2003.12.16

学長選たけなわである。
学校のここ数年の方針を選ぶときでもある。
現在の私立大学のおかれているいる位置は、
非常に厳しいものである。
生存競争のさなかである。
そんな中で生き残るには、
学生にとって魅力ある大学になれるかどうか。
そして、その魅了が対外的に伝わり
ブランド名として定着するかどうかにかかっている。
その方針決定の重要な部分を学長は握るであろう。
これは、何も大学だけのことではない。
組織の長は、いずこもやはり重要である。
代表として外に向かっての顔だけでなく、
内部に向かっての方針徹底も学長の重要な役割である。
人選を間違うと、淘汰の憂き目にあっていく。
そんなことになっていけないと思うのであれば、
人格者を選ぶべきであろう。
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木と雪。江別市文京台

●高みを目指す心:No. 1081 2003.12.15

今朝は、風がなく穏やかな朝であった。
多少雲はあるが晴れている。
しかし、朝も夜も、私の行き帰りの時刻は、
暗い中を歩いて行くことなる。
そんな暗い中を歩いているとき、
ついつい自分自身の心の中の世界に入っている。
つまり思いにふけっているのである。
新しいアイディアが浮かんだときは、
一刻も早く、研究室に着きたいと思う。
あるいは、嫌なことを考えているときは、
足取りも重い。
人間とは本当に精神的な生物だと思う。
どんなに他人から見て苦境、
ひどい状態であったも、
本人がそんな気がなく、
そんな状況を楽しんでいたら、
それは苦境でも逆境でもないのである。
もしかすると、その状況は本人にとって
いい状況だということもありうる。
どんなに人もうらやむ環境にいても、
本人がそれ不服とすれば、
その状況は苦痛に過ぎないのである。
こんな心の作用をうまく利用すればいいのだ。
どんな大変な状態であっても、
それは、自分にとってはプラスになることだ、
やればきっとなにかいいことがあるはず、
という気持ちにさえなれれば、
どんな状況でもいいものにできるはずである。
そして、現状が一見満足できるものに見えても、
それは、自分の目指すよりいい状況には
程遠いという見方をしていれば、
よりいいものに向かえるのではないだろうか。
高みを望み、目指すこと。
これが重要であろう。
そんな気持ちを持ち続けることが重要であろう。
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●餅つき:No. 1080 2003.12.14

昨日は、長男が来年から行く
小学校の餅つき大会があったので、家族で参加した。
私も餅をつかされた。
腰が入っていない。
だから、あまりうまくつけない。
でも、お祭りだから、しょうがない。
参加することに意義がある。
子供は、新しい小学校になじめればいい。
親ばかであろう。
だが、親が子供の愛して
バカになれないようであったら、
子供はだれからの愛を受ければいいのが、
しかし、親の溺愛が子供の生育を狂わすこともある。
だから厳しさも必要だ。
その兼ね合いがむつかしい。
飴とむちの配分だろうか。
愛情と厳格さ。
私は、まだまだそのバランスがわからない。
二人の子供がいるが、2歳半の時間差で成長している。
一度だけの家庭教育の実践である。
成功しようが失敗しようが
結果はすべてわれわれ家族が受け止めるしかない。
教育とは難しいものだ。
教育はやり直しができないのだ。
失敗は取り返しがつかない。
その失敗はすべて自分たちが受け入れるしかない。
教育とは片手間ではできない、
全身全霊をかけなければならないものだ。
これも生きていくということの一部なのだろう。
ということは生きていくということは
大変なのことなのだ。
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木と雪。江別市文京台

●今風の学生:No. 1079 2003.12.12

講義もあと10日ほどで終わりとなる。
1月にも講義が残っている曜日もあるが、
多くの講義は12月終わりとなる。
大学とは、小中高校と比べても、
講義時間が少ない。
しかし、講義時間が少ないということは、
空いた時間を利用して、
学ぶことができるはずだ。
しかし、多くの学生は、遊ぶこと、
アルバイトすることが、重要な目的となる。
ある学生が、アルバイトがあるから
授業に出れませんという。
大学のおかれている現状をあらわしている。
そんな大切なアルバイトも
生きるためではなく、遊ぶ資金のためである。
生きるために働かなくていいのである。
アルバイトと就職は違うと考えている。
アルバイトは、選り好みしなければなにかある。
実はその延長線上に
仕事があってもいいのではないか。
だったら、大学に何をしに来ているのだろうか。
高額の授業料を払って、
アルバイトしに来るのだろうか。
それとも、最小の努力で単位をとって
遊ぶことなのだろうか。
もちろん、まじめに大学で学んでいる学生もいる。
でも、その比率があまりに少なすぎる。
人それぞれの考え方であるが、
20歳前後というのは
非常に可能性に満ちた時代である。
それを無為に過ごしているのを見るのが悲しい。
彼らが、大学に来て良かったという気持ちが
アルバイトでは生まれないのではないか。
そんな学生時代を後悔しなければいいのだが。
こんなことをいい続けていると、
おじさんの繰言となり、だれも聴きはしまい。
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ナナカマドの朝焼け。江別市文京台

●不思議な気分:No. 1078 2003.12.11

今朝は、冷え込んだが、
風なかったので、体感温度はそれほど寒くはなかった。
今朝は少ししか人に会わなかった。
歩く学生、
自転車に乗ってクラブに向かう学生、
車でクラブに向かう学生、
配送のトラック一台だけとすれ違った。
こんなこともあるのだ。
吹雪の日でも車が多いけれど
歩く学生にも何人かに合う。
風のない穏やかな日なのに殆合わない。
もちろん確率的なことではあるが、
これを予感や占いにするつもりがないが、
不思議な気がする。
昨日、ひとつの論文を書き終えて
共著者になるかもしれない人に送った。
結果はどうなるかわからない。
でも、達成感と、次なる論文への意欲となった。
あと2つ書けるだろうか。
努力あるのみ。
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つらら。江別市文京台

●よく生きること:No. 1077 2003.12.10

今年も残すところあと20日である。
こんな言葉が出てくると、
遣り残した仕事が気にかかる。
私は、今年中にあと2つ、できれば3つ論文の
第1稿を書き上げたい。
ひとつはもうほぼできた。
今週中には人に見てもらえるだろう。
あと1つは骨子は書いてある。
最後のひとつはデータがあり、
概要は頭の中にあるのだが、
骨子の半分ほどしか書けていない。
でも、なんとか書きたいと思っている。
人間とは不思議なもので、
忙しいときや環境が変化しているとき、
仕事がはかどっていく。
私の場合出かけているとき、
講義がある期間中などに
一気に筆が進む。
そんなチャンスを捉えて
執筆することが重要であろう。
人にはそれぞれ、やり方がある。
講義がなくなって暇になると
去年は気が抜けた状態になった。
今年は、そんなときこそチャンスと思って、
仕事を進めるべきなのだろう。
自分のやり方を確立すべきである。
気持ちや心の空白をつくらないように
常に目指すべきものを掲げていよう。
要領よく生きるのは現在の社会では簡単かもしれない。
でもよく生きることはむつかしい。
それも自分の心に恥じることなく
心が満足できるように生きることは難しい。
自分の心はもっとも手ごわい監視者である。
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木。江別市文京台

●地吹雪:No. 1076 2003.12.09

今朝は小雪だったが、
風が強く、農場を歩いているときは、
風をさえぎるものがまったくない。
地吹雪で、前が見えないほどであった。
経験のない人には、遭難するのではという恐怖感が
襲ってきそうな気がするだろう。
以前の家からはこんなコースはなかった。
これからは、これが通勤のコースだ。
厚手のジャンバーの隙間から雪が忍び込む。
ポケットに入れていたデジカメも
撮ろうと外に出したら、雪で凍っていた。
でも撮影はできた。
顔がこわばり、息のかかる顔の周辺が
異常に冷たかった。
さすがにこんな日は散歩の人も見かけなかった。
足跡もひとり分だけであった。
大学の校舎近くなると、
こんな日でも自転車に乗った学生、
急ぎ足で大学に向かう学生が2、3人みられた。
これこそ大学の風景ではないか。
いいものを見た気がした。
宮沢賢治の
「雨にも負けず、風にも負けず、
冬の寒さにも負けず」
というフレーズがふと浮かんだ。
私も若者に負けずに、がんばろう。
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ナナカマドと雪。江別市文京台

●雪の中の生活:No. 1075 2003.12.08

とうとう雪が降った。
昨日岐阜から帰ってきたら、
ドカ雪で一面真っ白だった。
劇的な雪との遭遇となった。
寒くアイスバーンになっていて滑りやすかった。
今朝もさらに少し積もていた。
新雪の上を歩いてきた。
アイスバーンの上に軽い雪が積もっているので、
滑りやすく歩きにくかった。
しかし、久々の雪景色だ。
降るまでは嫌な雪だったが、
降ったら、降ったで、
それはそれで楽しいものだ。
さて、これから雪の中の生活が始まるのだ。
つらくもあり、楽しくもあり。
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●清流の町:No. 1074 2003.12.07
清流の町で、雨の中を歩いたが、
水は、濁っていない。
すごいことだ。
工事している川は濁る。
都会の川は、ごみが動く。
自然のままで、硬い岩石の中を流れる川は
濁らない。
そんな清流はかつてはどこにもあった。
でもいまは、絶滅危惧種ともいうべきものとなった。
そして、そのきれいさは、努力しないと守れない。
郡上八幡も昔から努力して守ってきた。
そしてそれが、いまや重要な観光資源となっている。
先人が守ったものを守ること、
そんな当たり前のことが、
いまや日本では数少ない財産となっているのだ。
私たちはいったいどこで道を間違ったのだろうか。
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●違った寒さ:No. 1073 2003.12.07
郡上八幡は、寒い。
聞いていたが、やはり寒く感じた。
今年は、そして今日はまだましだそうだ。
私は、北海道と同じようなジャンバーを着ていたが、
町の人は非常に薄着だ。
北海道から来た私が一番厚着をしているようだ。
北海道の寒さとはどうも違う。
馴れない寒さは、こたえる。
それに昨日の調査で濡れた靴がまたまた水がしみてきて、
靴下がぬれた。
それもあって余計に寒く感じたのだろうか。
でも、寒さはつらいがいい町だった。
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●郡上八幡:No. 1072 2003.12.07
郡上八幡にいた。
朝、1時間ほど、雨の中をあるいた。
狭い町だから、1時間あるけば、一回りしてしまった。
写真だけはいっぱいとれた。
7時過ぎだったので、観光客はいなかった。
ひとり静かに、静かな町をあるいた。
なかなかいい町である。
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●有効利用:No. 1071 2003.12.07
空港に12時過ぎついた。
15時15分のチケットだが、早い便に変更しようとしたが、
航空券の変更ができなかっ。
空港で3時間待つことになった。
不満だったが、早い便にすると差額の金額キャンセル料を支払うことになる。
仕方がないので、ゆっくりと昼食をとり、土産をかったが、
待ちくたびれた。
おかげでワークシートの大半が入力できた。
悲観的に考えると、なにも生産的なことはない。
どうせい書かなければならないことなのだからが
こんなどうしようもないときに、はじめるのがいい。
他にすることがないのだから、
これでいいのだ。
これは、悲観的に待つと、損をした時間だが、
嫌なことを仕方なくはじめれば、
それは生産的で有効な時間だといえる。
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●手:No. 1070 2003.12.07
旅館のおかみさんが給仕をしているとき、手が見えた。
すごく荒れた手をしていた。
働いている人の手だ。
うちの家内も同じような手をしている。
子供に薬を塗るときがさがさして痛いと入やがられている手だ・
働いている人の手だ。
子供の手はやわらかいが、ざらざらしている。
外で遊んでいる手だ。
特に外で土いじりをしたら、ざらざらになる。
それは遊んでいる手だ。
私の手は、つるつるしている手だ。
外で遊んでないてだ。
水仕事をしてない手だ。
昔なら働いてない人の手だ。
今では、私のようなデスクワークしかしない手が多いのだろう。
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●馴れと疲れ:No. 1069 2003.12.06
何度も岐阜へ往復している。
これで3度目だ。そてもひと月ほどの間に
3度も1泊2日で往復していると
すごく近い気がする。
馴染みができることとは、
やはり繰り返し接することなのだ。
大変さは変わらないのに、
その大変さには馴れてくる。
精神的なものが非常に楽になる。
人間とは、便利にできている。
しかし、肉体はなれない。
疲れは毎回同じようにたまっていく。
でも、これは、旅の疲れであるから
思い出を味わうように帰ってから
時間をかけて癒していくしかないのだ。
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●石を見る視点:No. 1068 2003.12.06
再び岐阜へ向かう。
今度は別の地域で、
別のスキル習得のためのワークシートを作ることが目的だ。
岐阜の郡上八幡の近くの相生というところにある
小学校のすぐ下にある長良川とその支流の川原を
利用したものでつくることを考えている。
ものを分類するときの視点である。
分類するために必要な属性を考え出すことだ。
そして生物と石の分類の違いを考えること、
石と見る視点などを深く考えることを目指したい。
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●郡上八幡へ:No. 1067 2003.12.05

今朝も寒かった。
風があったので、いっそう寒く感じた。
顔が凍えながら歩いてきた。
まだ、夜が明けないころなので、寒さが厳しいと、
写真をとるのもままならない。
まだ、体が寒さになれてないためだろか。
それとも、そろそろ厳冬期用のオーバーを
使わなくてはいけないのだろうか。
根雪になってから着ようと思っていたが、
もう、厳冬期なのだろうか。
明日は、岐阜の郡上八幡のほうへ、
野外学習の下見に行く。
天気だけが心配である。
調査自体は、2、3時間もあれば終わるのだ。
そのために、2日間使うことになる。
本当に必要なことなら、ほんの数時間のために、
何日、使おうが満足できる。
結果次第である。
これは、私一人の結果ではなく、
研究会全体の結果でもある。
なんとか、天気に恵まれた状態で調査したいものだ。
雨やまして雪なら、なにもできないので、
無駄になりかねない。
でも、雨天決行である。
チャンスはこの日しかないのである。
やるしかない。
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松ぽっくりと霜。江別市文京台

●暖房:No. 1066 2003.12.04

今朝は風が強く小雪が舞っていた。
寒かった。
大学に着くと、入り口に24時間勤務している
顔見知りの守衛さんから呼び止められた。
私の研究室の暖房を入れていたというのだ。
私が、いつも早朝来るを知っているので、
見回りのときに寒かろうと
暖房を入れておいてくれたのだ。
私の大学は建物ごとに暖房方式は違うのだが、
私がはいている建物は、
個別暖房で、部屋ごとに電気暖房のスイッチを
自分で入れることになっている。
だから、大学休みのときでも、
自分で暖房が入れらるから寒さ対策に
気を使うことはない。
他の集中暖房のところでは、
暮れや正月は暖房が凍結防止のために
一時的はいるが他のときは入らない。
だから、電気暖房を各自で用意しなければならない。
そんなことをしなくていいので助かる。
しかし、北海道は冬は、乾燥する。
なのに電気暖房だから、
余計乾燥する。
静電気が冬場はすごいので、加湿器が不可欠である。
大量の水分を部屋に供給しているのだが、
まだまだ乾燥している。
石や砂などを乾かすときにはいいのだが、
電子機器にはつらい状態である。
これから、そんな季節である。
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落ち葉と霜。江別市文京台

●変わりつつある自分:No. 1065 2003.12.03

今日は曇っていた。
車で大学に来た。
水曜日は長男の迎えのために、
車で来ることが多くなった。
習慣になりつつある。
ふと思った。
最近私は、変わりつつあると。
昨日や今日の話ではない。
ここ数年かけてのゆっくりとした、
目には見えないが大きな変化だ。
まじめに生きるように心がけているのである。
何だそんなことか、といわれそうだが、
こんな当たり前のことが今まではできていなかった。
人間として、恥ずかしくない生き方をしているか、
と問われたとき、
以前より自信を持って、はい、
といえるようになっていると思う。
教師は品行方正でなければならない。
教師だけでない、
人間はすべからくこうでなければならない。
それを実践できる人は多いのだろうか。
尊敬すべき人もいる。
今の自分を振り返ると、生活のすべてのところで
このことをつねに心がけているような気がする。
原因はわかならい。
自然に接するようになったせいか。
私なりのボランティアをしているせいか。
物事を深く考えるようになったせいか。
転職したせいか。
インターネットで無私の人と
付き合うようになったせいか。
北海道に住むようになったせいか。
哲学的思索を始めるようになったせいか。
親になったせいか。
教員になったせいか。
一人っきりで研究を始めるようになったせいか。
野外調査にたくさん出かけるようになった成果。
転居したせいか。
理由はいろいろありそうがだ、
一番の理由は、自分自身がそうなりたいと願い、
心がけてきたからだと思う。
いくつになっても、人間には夢があり、
それを実現させたいのである。
そんな夢に向かうには、
日々それに向かう努力をすべきである。
これは、私がつねに学生たちに
語りかけてきたことである。
それは、学生たちにだけでなく、
実は自分自身に向かっても
語りかけていたのかもしれない。
あといくつ夢がかなうか知れないが、
努力の先には夢が垣間見えるのである。
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タンポポと霜。江別市文京台

●若者の悩み:No. 1064 2003.12.02

今朝は冷え込んだ。
大地は霜で真っ白になっていた。
しかし、明け方から曇っていて、
霜が寒々しかった。
昨日ゼミの学生と世間話をしていた。
いろいろ悩んでいるようだ。
そして彼が一般化していうには、
子供のころは毎日が楽しく、
何を食べてもおいしかった。
今は、おいしいのだけれども、
おいしいものをいろいろ知っているせいで
おいしさが足りなくなるような
そんな感じるそうだ。
どんな世代でも悩みは尽きないのだと思った。
年齢を重ねるにしたがって、
その悩みは重く、そして深刻になる。
もしその悩みが仕事上のものなら、
それは、その仕事が完結したとき、
それは大きな進展であり、
その達成感は大きいだろう。
彼もあるは悩めるものは、
それもわかっているのだ。
がんばるしかないのだ。
でも、その悩みが深まりつつある若者の苦悩が
私には逆に初々しくもあった。
「きっとこれはいい経験になるよ。
この限界は食べてしまったから、
次にはこれは君の限界ではなく、
もっと大きなものへと挑戦できるよ」
と声をかけた。
悩んでいる若者を、心から応援したい。
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実。江別市文京台

●癒し:No. 1063 2003.12.01

多数の人に対してそれも日ごろしないことをお
こなうというのは、なかなか疲れるものである。
しかし、楽しいこともある。
それは、達成感なとどいう自己満足ではなく
知らない人と、自然に触れることで
連帯感のようなものを持つことである。
そんなものは、統計に現れることもなく、
検出不可能ななにかであろう。
もしかしたら、
これが一番大切なものではないだろうか。
測れるもの、見えるもの、
それを評価の基準としているけれど、
人間は、そんなものより、
もっよ初源的な情緒によって
人が人として活動することの
活力、モチベーションなどを
得ているのではないだろうか。
逆にこのようなことができない催しは、
自己満足や徒労感、いわゆる疲れがでる。
でも、上のようなものは、
体は疲れても
癒される何かがあるのではないだろうか。
そんなことを考えた。
さて、岐阜でおこなった教員への実験的講習会は
どちらだろう。
少なくとも、現地の景色の中に
何人かの笑ったり、悩んだりしながら、
石ころで泥まみれになって目の輝かせている
人の顔をいくつも思い浮かべることができる。
私は癒されているのであろう。
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