思いつくまま

2003年11月
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目次 
●一人で黙々と:No. 1062 2003.11.29
●引き際:No. 1061 2003.11.28
●早朝の人々:No. 1060 2003.11.28
●消化試合:No. 1059 2003.11.27
●呼吸の合う合わない:No. 1058 2003.11.26
●忙しさに飲み込まれていく:No. 1057 2003.11.25
●やりたいこととやるべきこと:No. 1056 2003.11.24
●次なる目標:No. 1055 2003.11.21
●速い時の流れ:No. 1054 2003.11.20
●終わりと継続:No. 1053 2003.11.19
●進歩への道:No. 1052 2003.11.18
●この次は:No. 1051 2003.11.17
●支笏湖へ:No. 1050 2003.11.15
●階層内での問題解決:No. 1049 2003.11.14
●当たり前のことができる研究者:No. 1048 2003.11.13
●全地球凍結:No. 1047 2003.11.13
●教育のあるべき姿:No. 1046 2003.11.12
●人生の先輩:No. 1045 2003.11.11
●忙しさと創造性:No. 1044 2003.11.10
●GPS:No. 1043 2003.11.07

●組織と個人:No. 1042 2003.11.06
●研究費:No. 1041 2003.11.05
●観光と開発:No. 1040 2003.11.04
●軽石:No. 1039 2003.11.02
●河口へ:No. 1038 2003.11.01

●一人で黙々と:No. 1062 2003.11.29
再度岐阜へ行く。
ほんの数日前までは、やる気に燃えていた。
しかし今は消化試合をするようにむなしい気分で出かける。
それは、自分のやる気を満たしている場がないからだ。
やはり研究は、一人か、
数人の気のあったものだけでするに限る。
組織の大きい研究は、よほどリーダーが統率しないと
中途半端なものしかできない。
リーダーシップは、
人柄、統率力、そして大局観が大切だ。
このようなリーダーはなかなかいない。
だから大きな組織の研究が難しいのだ。
自分の身の丈にあったやり方でするのが
一番効果を上げることになる。
なかなか自分を活かしてくれるレーダーには会えない。
だから、私は、今は一人で黙々と
自分のやり方で研究をするのがいいのだろう。
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●引き際:No. 1061 2003.11.28

ある組織の一員で、
一生懸命やっていることがあるとしよう。
自分は精一杯やっている。
しかし、その組織のペースがわなないとき、
そんなときが、その組織からやめるべきだろう。
とれも、できるだけ早めに。
そして、可能な限り、
その組織に迷惑をかけないようにすべきだろう。
そのときに問題になるのは、引き際である。
引き際が大切である。
特に、今まで一所懸命やってきたことを、
引くときは、うまくすべきだ。
ノルマをきちんと果たし、
そしてなんらかの大義名分をつけて、
引いていく。
そして、その大儀面分を皆が認めながら、
主だった人は、彼は、この組織とはペースがあわない、
ということを理解してもらうことだ。
それが、いちばんいい引き際である。
そのためには、組織に対して充分な貢献をしてから
引くべきであろう。
もちろん、自分自身でも充分元がとれるように
成果を出し、他人にもその成果を
認めてもらうことが大切だ。
そして、引いていく。
そんな引き際にしたいものだ。
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早朝のナナカマド。江別市文京台

●早朝の人々:No. 1060 2003.11.28

今朝は天気がよい。
したがって、寒い。
私が自宅を出るころは、
早朝のため、まだ日が昇らない。
そんな中をもくもくと歩く。
しかし、こんな時間帯にもかかわらず、
多くの人とすれ違う。
彼らも黙々と歩く。
早朝のワーキングする人。
クラブに急ぐ学生。
早番の出勤の人。
深夜のバイト帰りの学生。
老若男女、早朝からがんばっている人もいる。
かつては、夜更かしは珍しく、
早朝から動くことが普通であった。
今や、夜更かしは珍しくなく、
早朝から動くことが珍しい。
暗いところを照らす明かりや
夜間でも暖房で暖かくすることが
安価になり、当たり前になったからだ。
かつては、暗く寒ければ、
布団の中でじっとしていること。
明るくなれば、外で動くこと。
これが、普通の生き方であった。
しかし、今やエネルギーを使って、
暗いときに、昼間すべきことをやっている。
それも、深夜のほうが落ち着く、
仕事がはかどるなど、
いろいろ理由をつけてだ。
私たちは、進歩したのだろうか。
進歩しているのだろうか。
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●消化試合:No. 1059 2003.11.27

自分がつらい思いまでして、
努力してもそれが出すぎたこととされるのは、
つらいことである。
こんなことがあると、やる気が
一気になえてしまう。
でも、最低限のことをやることになる。
そうなると、まるで消化試合のように
無気力感が漂ったものとなる。
そんな気持ちも外での活動なので、
吹き飛ばしたいものだ。
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枯れ草。江別市文京台

●呼吸の合う合わない:No. 1058 2003.11.26

呼吸の合わない人と仕事をするのは大変だ。
ゆるい枠組みがあって、
できるだけ高所を目指そうとするときだ。
自分が目指しているできるだけ高みを目指す人と、
ノルマとして果たそうとしている人が、
混在していると困る。
それも中心となる人がそうならば、やりずらい。
高みを目指そうとすることは
ある人からすると勇み足に見え、
ある人からは牽引力と見える。
評価が相反する。
こんなときは、2つの方法がある。
自分もノルマとしてこなすようにする。
自分が出る杭と思われようとも
牽引してでも高みを目指す。
どちらをとるかは、その活動に、
自分がどの程度重点を置くかによる。
もちろん高みを目指したいのだから、
後者をとりたいのだが、
その労力、もしかすると無駄骨かもしれない、
ということも含んでいかなければならない。
だから、私は、呼吸が合わないとき、
最初がんばって、
呼吸が合わないとわかった時点で、
早めに前者をとってしまう。
呼吸が合うときは、ますます高い高みへといける。
こんな仕事は大変だが、楽しいものとなる。
ある仕事も今その別れ目になりつつある。
呼吸が合わないとわかりつつある。
私にとってあまり役に立たない仕事となりつつある。
そんな仕事は、ノルマすらこなしたくなくなる。
すると、後半はノルマを最小限にするために、
お茶を濁すことになる。
これが、やりたいことする時間を
確保することにもなる。
しかし、多くの人が集うということは、
いろいろ厄介なことである。
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並木。江別市文京台

●忙しさに飲み込まれていく:No. 1057 2003.11.25

今朝は雨模様で、暖かい。
暗い空であった。
いつも暗い時間帯に起きているのだから、
そのせいではないのだか、
今朝は寝過ごした。
研究室についたのは、7時20分くらいだ。
いつもより1時間ほど遅い。
それにしても、やるべきことが多い。
毎日、やるべきことをこなしているのだが、
次々とやるべきことがとある。
しかし、これは、じっとがまんして
こなしていくべきことなのだ。
給料分としてではなく、
やらなくてはならないことである。
こんなときにも心の余裕を
本当は持っているべきのなのだろうが、
なかなかできない。
ただただ忙しさに飲み込まれていくのみである。
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●やりたいこととやるべきこと:No. 1056 2003.11.24

今日は振替休日だが、
大学は開講されている。
月曜日の講義日数が不足するからだ。
いつものように6時過ぎに大学に来た。
研究室が寒い。
暖房を入れたが暖まるの時間がかかりそうだ。
今日も、いろいろとやることがある。
なぜ、いつも何かに追われているように
生きているのだろうか。
私だけでなく、多くの人が
こんな思いをしているのだろう。
これが終わったら、
あれがしたいなと思っていても、
実際には、次の仕事があったり、
時間が空くとやりたいことより
脱力感におそわれたりする。
もともとはやりたいことであったのに、
いつの間にかやらなければならないことになっている。
自分の気の向くままに、
空いた時間にやりたいことを
やりたいだけするということは、
現代人にはできないことなのだろうか。
それとも、少々現実を無視して、
自分の気持ちを優先してやるべきなのだろうか。
この兼ね合い難しい。
やったほうがいいと思ってやっていることで
身動きが取れなくなっているのだ。
自分の能力、自分に残されている時間、
それを見極める能力が必要だろう。
時間は有限なのである。
そのなかで、やりたいことと、すべきことを
両立する必要がある。
どんなにやりたいことでも、すべきことになると
ついつい億劫な気持ちになる。
そうなるとやりたいことが色あせてくる。
やがては、苦痛となってくる。
そんな気持ちをなくすには、
やりたいことを空いた時間やるとか、
すべきことなどとしないことが重要あろう。
でも、その域にはなかなか達しないのである。
まだまだ人間ができてないのだろうな。
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葉と雨。江別市文京台

●次なる目標:No. 1055 2003.11.21

今朝は暖かい雨であった。
雨だと明るくなるのがより遅くなる。
7時だというのにまだ薄暗い。
あるタイプの資料(砂)がやっと整理できた。
これから、 別のタイプの資料(石)が残っている。
とりあえず、すぐに整理できるもの
(代表的石)を片付けよう。
もっと数が多く、手間がかかるもの
(統計に基づく石100個)がついつい残る。
しかし、これは、冬の仕事としよう。
さて、1年間を目標に取り組んできた
月一度の更新していた連載が終わる。
ASTERの衛星画像と地上写真と文章を
それそれ異なった視点の情報から
より高度の情報を生み出す試みをおこなってきた。
これが、12月号で終わる仕事がある。
その原稿を今日から書く。
それを書いたら、今度はその実践を論文としていく。
私は、これを市民教育のための
ケーススタディとしてして取り組んできた。
そのまとめが、12月中にできるだろうか。
できれば、それをステップに
より進んだものをめざそう。
これが当面の次なる目標になりそうだ。
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落ち葉。江別市文京台

●速い時の流れ:No. 1054 2003.11.20

時の流れは速い。
年齢とともに速くなっていく。
これは、昔から言われていることだし、
皆が感じていることである。
そんな速い時の流れの中でなすべきことは、
なんらかの到達点、けじめ、記録を残すことであろう。
他人に対してではなく、自分に対してである。
それが多ければ多いほど、やったことが多く感じる。
多ければ多いほど、達成感がある。
そんな小さな記録を日にいくつもつけ、
大きなけじめを月に何度もつけ
達成感をともなる到達点を年に何度もつけること
これこそが、時の流れを
うまくわたっていく方法ではないだろうか。
さて私は、うまく渡っているだろうか。
少なくとも努力は続けているつもりだが、
達成感が足りないような気がする。
気を引き締めていくべきだ。
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紅葉。江別市文京台

●終わりと継続:No. 1053 2003.11.19

今日は、暖かい。
とはいっても、昨日と比べればの話で、
やはり、北海道の11月は寒い。
外は上着がないと歩けない。
昨日は、標本の整理をした。
まだ、一部しか終わってないが、
実物に関する整理ができると、
目に見えて作業の進行が確認できる。
その点、実物に関する作業はやりがいがある。
しかし、本当は、何のためということがないと、
実物に関する作業も無限の行為へと転換する。
実物の種類や作業方法によっては、
終わりのなき作業もあろう。
私には、それはできない。
なぜなら、終わりのない作業ほど、
徒労感をもたらすものがないからだ。
どんなに大きな仕事でも、終わりのあるものを望む。
そしてその仕事が大きければ大きいほど
達成感があるだろう。
継続の必要性はわかる。
しかし、目的があって、終わりがあっての
継続であろう。
人間の一生には限りがある。
あと10年という区切りを考えたとき、
その10年で何を成し遂げたいのか。
それを鮮明にすべきであろう。
1年が経過すれば、
目標の10分の1が終わっているべきなのだ。
それこそ、終わりがあるから測れる量なのである。
人間の一生はせいぜい80年。
あるいは定年が区切り。
今の自分の年齢と引き算すれば、
残された時間が簡単に計算できる。
その残された時間で、何をなすのか。
何をしたいのか。
それを決めて望まなければ、
そのときがきたとき、悔いが残るのではないだろうか。
そうならないためにも、
目標とその達成のための計画が重要になろう。
そのように生きていけば、
悔いない人生が送れるのだと私は信じている。
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カラマツ。江別市文京台

●進歩への道:No. 1052 2003.11.18

ここ2日ほどの雪で手稲の山並みが白くなった。
まだ根雪には早いが、
この降っては融けての繰り返しが冬への続く。
昨日、論文を提出した。
11月の最初に思いついたアイディアを
2週間ほどで一気に書き上げた。
分量も思ったより多くて充実したものとなった。
現在一番面白いと思っていることなら、筆が進む。
そして、論文を書いている間にも
新しいアイディアが次々と浮かんでくる。
書ききれなかったことを、
次のより発展した論文に書こうという気持ちになる。
いずれにしても、
論文だけにかかりっきりになれないのだから、
一番面白いと思っていることにすれば、
短い時間でも、集中して論文もはかどる。
これである。
興味を持って、集中していること、
これこそが、一番重要なことであろう。
今一番面白いと思っていることを、ものにする。
そのときにまとめをおこなると、
予想以上のできばえとなる。
そうなれば、ますます興味が深まる。
そんな繰り返しができることが、
進歩につながるのだろう。
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雪と並木と街灯。江別市文京台

●この次は:No. 1051 2003.11.17

今朝は、風が強く雪が降っていた。
吹雪であった。
風があったため一段と寒かった。
支笏湖に行ってきた。
初日は、雨がかろうじて降らなかったが、
夜は土砂降りであった。
翌日は、晴れたり曇ったり、雨が降ったりで、
風も強かったので早々に引き上げる。
すると平野部では晴れている。
皮肉なものだ。
千歳の「さけのふるさと館」にいく。
2度目であったが、子供が大喜びであった。
支笏湖周辺は11月にはいると
道路や施設が閉鎖されていた。
だから、予定の半分も行けなかった。
しかし、樽前山は予定通り、展望台までの登れた。
曇っていたが景色は良かった。
そして石も観察できた。
今度は、夏の天気のいい日に、
ぜひ頂上までいってみたいものだ。
このようにして調査に出ると、
いつもやり残したことが次々と出てくる。
そして、この次こそは、と思ってしまう。
近いところなら、この次がある。
そして、何度行っても自然ならば、
新しい発見がある。
この次は、支笏の夏の自然を満喫したいものだ。
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実。江別市文京台

●支笏湖へ:No. 1050 2003.11.15

今朝も寒い。
朝は曇っている。
今日は支笏湖周辺へ調査にいく。
天気が悪いと予定通りいけないかもしれない。
樽前山、フップシ山、恵庭山の火山の撮影と試料採取、
そして支笏湖を一周してひととおり石を見ることである。
でも、山なので、冬季は通行止めになり、
雪があれば、通行止めでなくても上れなくなる。
いってみるしかない。
そして、そこでどうするか考えるしかない。
だめでも写真をとり、温泉を楽しんでくればいいのだ。
おおらかに構えていればいい。
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霜。江別市文京台

●階層内での問題解決:No. 1049 2003.11.14

今朝は寒く、霜が一面に降りていた。
一昨日降った雪はほとんど解け、
日陰に少し残っている程度である。
もう自転車を使えるの季節は終わりだろうか。
ここ数日、教育について考える場面が多かった。
昨日も、私が提示した月末に行う予定の
教師教育用のワークシートについて、
研究グループのリーダーがら電話があった。
また、大学の委員会の会議でも教育が話題になった。
教育とは難しいものだ。
人を指導する教師は、
教師という階層の中で教育を考える。
下の階層というべき教わる側の学生の
質の変化や低下を話題にする。
しかし、教師の質についてはなかなか話題にならない。
研究グループでは、教師の質について話題にしている。
でも、その研究グループのメンバーは、
教師を指導できるような資質を
備えていているのだろか、
という問題が生じる。
これでは、堂々巡りが起きそうである。
教育する側の階層で、教わる側の問題を議論する。
これは当然のことだ。
しかし、もし教わる側の問題ではなく、
教える側に問題があるとどうなるのだろうか。
この問題は、より上の階層で、
解決をしなければならないものとなる。
これでは、循環論法、無限ループになりそうである。
それを変えるには、
その組織の質は、組織自身で向上する方法を
考えなければならない。
階層内の問題は、その階層内で解決する方法を
見出すということである。
これは、なかなか難しいが、
この方法論を一般化できれば、
非常に有用な方法論となるのではないだろうか。
そんな方向性を考えてみようと思っている。
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雪と紅葉。江別市文京台

●当たり前のことができる研究者:No. 1048 2003.11.13

昨日とうとう雪が大量に降った。
一昨日、車のタイヤをスタットレスに変え
定期点検を終えたばかりであった。
昨日長男を迎えに幼稚園にいったが
雪でも気にせずに乗れた。
今朝は、霧の中を車できた。
すごい霧で視界が狭かったが
幻想的な景色であった。
昨日の雪がまだいたるところに残っている。
道路は解けていたが、きれいな景色と
雪と凍結の危険が隣り合わせである。
気をつけなければならない。
人の仕事振りを見ていて感じたことがある。
自分のやり方でやることの重要性である。
華やかに仕事をしている人もいる。
しかし、仕事はこつことをやっているのだが、
たいした成果を出していないようにみえる人もいる。
科学は結果を評価される。
どんなに報告をしても、
それが多くの人の興味を引かない
重要でないと思われると、
どんな結果を評価されない。
しかし、もともと科学を行う同期は好奇心であろう。
その好奇心を持たず、
結果や評価のみを求めていく研究者は、
大変であろう。
はたしてそれが楽しいのかという気もする。
科学することが
功名心、あるいは名誉欲などと
駆り立てられていると、
かわいそうで、哀れな気もする。
自分がすべきこと、
そして自分ができること、
それを常に意識していること、
確認していくことが必要である。
われを忘れず、わが道を行くこと。
これが大切である。
これは当たり前のことだ。
誰も知っていることだ。
でも、それを正々堂々と行うこと。
誰にも恥じることなく、
評価はされないかもしれないが、
成果を出していくこと。
こんな当たり前のことを
当り前にできる研究者になりたい。
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●全地球凍結:No. 1047 2003.11.13

川上紳一著「全地球凍結」
(ISBN4-08-720209-7 C0244)
をよんだ。
良い本である。
新しい地球科学のモデルが生まれる臨場感がある。
ホフマン氏がいかにそのモデルを
つくりあげていったか。
そのモデルに他の研究者はどのように対処したか。
そして日本のグループは
どのような貢献をしたか。
そのあたりの研究の背景がよくわかった。
私は、川上氏を知っている。
川上氏は大量の文献を集めて、
そこから重要な点を要約するという能力に長けている。
それをいろいろな分野で行ってきた。
最近は縞々学を中心にして
生命と地球、そして現在の中心課題である
全休凍結へ関心が進んでいる。
成果もそれなりに上がられている。
リーダーとして優れている。
しかし、私は、この本を読んで、
反面教師をそこに見た。
私が得た重要な教訓は、
自分でデータを出すこと。
そして自分の考えを打ち出すこと。
つまりゼロからスタートして、
自分流のものを作り上げること。
これこそが科学の醍醐味であろう。
これをしないとどんなに成果を出したとしても、
その面白さ、満足感は、
自分流の満足感とは比べ物にならないだろう。
科学は結果である。
しかし、人間は心である。
心が満足できないものに邁進する気は起きない。
だから、私は、自分の今のやり方は
間違っていないと思えた。
そんなことを強く感じさせてくれた本である。
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冬囲い。江別市文京台

●教育のあるべき姿:No. 1046 2003.11.12

昨日の午後、教育のセミナーにいった。
そして、文部科学省の学校教育への
取り組みに関する話と、
教育政策研究所の人の話を同時に聞いた。
現在の教育に関する問題と
解決策を紹介したものであった。
だれもが、同じことをいう。
みんなの考えは同じである。
となる、なぜ問題が解決できないのか。
どこかが間違っているのではないだろうか。
もちろん、議論も理論も必要である。
でも、現場がついてこないのである。
ならば、どうすればいいのか。
資金を導入するのも手である。
あるいは、学校外からの助けを借りるのも
重要であろう。
しかし、やはり、金があろうが、
外部の助けを呼ぼうが
やはり、教育とは、
教師と学生の結びつきが最大の関係となる。
それがうまくいってないのというのは、
教師が学生の御し切れてないか、
あるいは、学生が教育を受ける意欲がないかである。
学ぶ意欲、受験がキーワ−ドだろう。
教育が必要ない人は、
社会で自分の住みよいところを早く見つけて
独立するための支援をしたほうがいいのではないか。
高校、大学は学問したい人のために場
とすればいいのではないか。
もちろんそこには現在のような
熾烈な受験が起こるだろう。
過激かもしれないが、
そんなルートに乗りたくない人は、
早めに職業訓練をして、
職人と呼ばれるような人を
養成することを考えたほうがいいのではないか。
なにも国民全員が高いレベルの学校教育を
受ける必要はないだろう。
生きていくのに必要なリテラシーだけを身につけ、
自分の進むべき道を早く見つけ、
独立するすべを考えさせたほうがいいのではないか。
そして、本人が必要と思えば、
いつでも、高校、大学、あるいは別の職業訓練を
受けられる仕組みを作っていったほうが
いいのではないだろうか。
小学校では、社会人として生きていくのに
必要な常識や道徳、基礎素養だけを、
そして中学校では、職業人として
不可欠な素養をだけを身につければ
いいのではないだろうか。
使わない学問、使う気のない学問が
多すぎるのではないか。
「精選された内容」とは、
「人間」として「社会」に「生きる」ために
必要なこと学問だと思う。
このようなことが実現すれば、
すべての子供、教師が受験などという
おろかなことに振り回されることがなくなり、
教育も教師も児童・生徒・学生も
もっと楽しい「学び」ができるのではないだろうか。
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●人生の先輩:No. 1045 2003.11.11

人生の大先輩からメールをいただいた。
彼は大手企業のエンジニアの出身で
後年はその会社の管理職として過ごされた。
今は、定年され、老後の生活は百姓をされている。
それも、耕さない農法を使っておられる。
すばらしい人生ではないか。
老後まで、自分の目標を持って生きておられる。
私は、定年までの人生設計をしている。
そして、老後の資金だけは考えている。
しかし、老後をどのように生きるかは、考えていない。
もし、相当の準備が要る老後の生活なら、
早くから考えておかなければならない。
人生設計をしているというと皆驚く。
しかし、自分の人生は自分で操れる。
そして、できれば面白い人生を送りたいのです。
成り行き任せではなく、
自分の納得いく人生を送りたいという考えの元に、
13年ほど前に、前の職についたときから考えた。
今の職の最後の職と考え、
以下の住居を終の住まいと考えている。
しかし、老後は10年、長ければ20年以上もある。
その間どのように過ごすかを考えるの重要である。
人生もそう考えるとなかなか長いものである。
まだまだ人生は楽しめるのである。
先輩を見習いたいものである。
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並木と外灯。江別市文京台

●忙しさと創造性:No. 1044 2003.11.10

一昨日と昨日、とうとう雪が降った。
今朝も晴れていたが寒かった。
もう自転車も終わりにしよう。
今日は、なぜか忙しい。
やらなければならないことが集中している。
こんなときもある。
そして、こんなときにこそ、
創造がうまれるかもしれない。
論文の校正、論文執筆など
大切でそして面白いことが集中しているのだ。
さあ、いろいろ区切りをつけよう。
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カラマツ。江別市文京台

●GPS:No. 1043 2003.11.07

今朝は曇っていて寒かった。
もういつ雪が降っても
おかしくないような天気であった。
先日からGPSを使った
野外調査に関する論文を書いている。
野外調査といって私が知っているのは
地質調査だけである。
その経験を元にして、
野外調査はいろいろなインスピレーションを
得られるが、反面3Kで敬遠される要素もある。
そして、なんといって熟練を要するのである。
室内実験や作業がITや各種装置によって
効率化、簡便化されているのに、
なぜ野外調査だけが効率化されないのであろうか。
それをGPS使って少しは
効率化ができないという提案である。
もちろん、野外調査では
当たり前に使っている分野もあるだろう。
逆に野外調査でもGPSの位置情報は
それほど必要でない分野もあろう。
しかし、このような最新機器を導入し
新たな使い方を提案するのは、
重要なことではないだろうか。
そして普及して常識化すれば、
こんな使い方を論文とした時代があったのか
ということにもなるかもしれない。
あるいは、こんなこと誰もやらない。
今はもっと便利なものがあるから。
という時代になっているかもしれない。
でも、それが科学や技術の進歩であろう。
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実。江別市文京台

●組織と個人:No. 1042 2003.11.06

今朝は小雨で、重く雲が覆っていた。
今日歩いてきたら、
外灯がまだ消えずについてた。
日が短くなったものだ。
ストロボなしで写真をとると
画質が荒れて、いい写真が取れなくなってきた。
近景のストロボ撮影がこれからは多くなるのだろう。
組織で研究するというのは、
どうも苦手だ。
実質的なことをするより、
運営、調整に多くの時間を費やす。
ひとりなら、そんな手間は要らない。
そのかわり、失敗も成功も
すべて自分自身に帰ってくる。
誰でもそうだが、成功はいいが、失敗はいやだ。
でも、失敗というものは、
ものごとがYesかNoだけで判断するなら、
失敗というものがある。
しかし、創造的な作業において、
果たして失敗というものがあるのだろうか。
こうしてみればどうなるかという試みを行うことが
創造的な研究の多くの作業過程ではないか。
となると、失敗とは、そのような条件では
目的を達成できないという束縛条件を
設定したことになる。
これは、成果ではないか。
というように、ひとりなら、
楽観主義が通じるのである。
これが、組織による作業では、
ある一定以上の成果を挙げないと
一定以下の成果は失敗の部類に入る。
でも、とやかく言ってもしょうがない。
受けた仕事は精一杯やるだけだ。
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落ち葉。江別市文京台

●研究費:No. 1041 2003.11.05

文部科学省の科学研究費は、
大学の研究費の少ない研究者にとって、
非常に重要な資金である。
2003年9月19日の日経新聞に
前年度の科学研究費についての記事が出ていた。
4年制の私立大学では全体64.4%しか
科研費を申請していない。
そして採択率は、7.7%であった。
狭き門である。
ちなみに国立大学では、92.2%が申請し、
24.7%が採択されている。
公立大学は、50.4%が申請し、13.0%の採択率である。
もちろん申請内容も問題であろう。
でも、この差はあまりにも大きいのではないか。
私は、今までほぼ、継続的に
科学研究費の支給を受けてきた。
その研究費が今年で切れる。
今年度申請は採択されなかった。
来年度の申請を先日提出した。
内容としては、自画自賛だが面白いものであると思う。
そのような研究は以前なら採択され、
継続的研究ができてきた。
でも、上の統計をみると不安になってくる。
採択を決定する側になったことがないので
わからないが、日経新聞10月20日の記事で、
若手や地方の研究者には
研究費が配分されていないというものがあった。
有力大学や著名教授には潤沢研究費がまわっている。
それは、研究の成果を手っ取り
早く生むことにはなるからだろう。
まさに彼らは本流、大家であるからだ。
しかし、本当に創造的、画期的、革命的な
アイディアは、主流から生まれるとは限らない。
いや、傍流や弱小の研究者集団、一匹狼的研究者から
生まれているのではないだろうか。
クーンのパラダイム説をひくまでもなく、
多くの研究者は、独創性が常識や定説を覆すこと
から生まれることを知っている。
でも、多くの研究者は、その危険をなかなか犯さない。
したがって、ますます
傍流、弱小、一匹狼が重要になる。
なにも彼らのすべてが独創的とは限らない。
でも、彼らに公平にチャンスを与えないとすれば、
本当に重要なものを
見捨てているのはないかという気がする。
せめて、肩書きや所属に関係なく、
公正な書類審査がされることを望むのみである。
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岐阜城。岐阜市

●観光と開発:No. 1040 2003.11.04

一昨日から昨日にかけて、
岐阜に研究会のためにでかけた。
まだ紅葉は、はじまったばかりのようだ。
快晴の連休を楽しむ家族連れがいた。
3日は午後から雨であった。
早朝の岐阜城がある金華山にのぼった。
早朝から多数の人が登っている。
ひと汗かいた。
長良川を少しだけみた。
清流とされている長良川が、
上流の北陸東海自動車道の工事のため、
川原の石はすべて泥をかぶっていて、汚かった。
まだ、汚染物質でないのがすくいだが、
泥にしても、人為である。
もし、長良川流域のすべての人が
その自動車道の建設に賛成なら
あるいはその工事で長良川が汚れることも
覚悟の上なら、何もいうまい。
しかし、もし、こんなはずじゃなかった
という人がいるのなら。
もし、そんな人が多数いるのなら、
考え直す必要があるのではないか。
あるいは工事の手法も
よく考える必要があるのではないか。
川を汚さないような配慮が必要かもしれない。
私はそこに住む人間ではない。
だから汚れるから工事はだめだといえる立場でない。
しかし、その工事を喜ばしく思っていない人の声を
昨日聞いた。
もちろん多くの人がどう思っているかが問題である。
通りすがりの人間が
口を挟むべき問題ではないかもしれない。
でも、私が泊まった旅館は、周辺の旅館も
鵜飼の観光を売り物にしてる。
あるいは長良川といえば
鵜飼と多くの人が思うであろう。
つまり、長良川は大きな観光資源であろう。
それを汚して、鮎がすめなくなれば、
その観光資源がなくなるのである。
だから、そんな川をどう思っているか
ちょっと気になった。
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石狩川河口

●軽石:No. 1039 2003.11.02
昨日は、石狩川の河口に砂をとりにいった。
わかりにくいところだが、
なんとか河口にたどり着いた。
そこは、釣りの人が車を乗り入れていたが、
昼前には釣れなくなったのか、
みんな引き上げていった。
我が家は家族で浜辺で遊んだ。
そのとき漂着物の中に
多くの軽石を発見した。
いろいろなものが混じっているようだが、
もはや転石となっているのでその由来は定かではない。
名もなき軽石が、どこから来たか
という太古の歴史に思いをはせた一日だった。
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もみじ。江別市文京台

●河口へ:No. 1038 2003.11.01

今朝は快晴で、冷え込んだ。
今日は、石狩川の河口まで
砂を取りにいく。
当初の目標は、
砂を「ふるい」わけしてとってくることであった。
そしてどのサイズが砂が、
どれほどあるかも知りたかった。
最終的には、一番細かい砂が
200ccほどとりたかった。
だから、現地で必要な分だけをとるのが
一番効率的であると思ったのである。
ところが、昨日届くはずの「ふるい」が
手違いで届かなかった。
大誤算である。
砂を取りにいくのをやめようかとも思った。
天気予報によると、
今日は暖かい快晴の日になるはずなので、
でかけることにした。
多分、こんないい天気が
休日に当たるのはなかなかないだろう。
だから、「ふるい」がないが、
たくさんの砂を取ることで、補うことにする。
バケツ2杯ほどとってくればいいだろう。
さてさていい場所が見つかるかどうかが問題だ。
でも、これは大変だけれども、
見つかったときは、なかなかうれしいものである。
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