目次
●被災地の調査:No. 1005 2003.09.30
●都会の孤独:No. 1004 2003.09.29
●地震:No. 1003 2003.09.26
●想像の総体:No. 1002 2003.09.25
●自然の中へ:No. 1001 2003.09.24
●1000回を迎えて:No. 1000 2003.09.23
●被災地の川を調べに:No. 999 2003.09.22
●季節の移ろい:No. 998 2003.09.19
●多忙:No. 997 2003.09.18
●内側あれこれ:No. 36(996) 2003.09.12
●ライブ:No. 35(995) 2003.09.11
●人間にも緑が必要:No. 34(994) 2003.09.10
●実物を活かす方法を:No. 33(993) 2003.09.10
●良い点と悪い点:No. 32(992) 2003.09.10
●知の集積:No. 31(991) 2003.09.10
●大英博物館:No. 30(990) 2003.09.09
●大英自然史博物館:No. 29(989) 2003.09.09
●噂は噂:No. 28(988) 2003.09.08
●百聞は一見にしかず:No. 27(987) 2003.09.08
●狭い国:No. 26(986) 2003.09.08
●街の色:No. 25(985) 2003.09.08
●めまぐるしい天気:No. 24(984) 2003.09.08
●あとひとがんばり:No. 23(983) 2003.09.08
●大切なこと:No. 22(982) 2003.09.07
●イギリスとは:No. 21(981) 2003.09.06
●配慮の程度:No. 20(980) 2003.09.06
●普遍化:No. 19(979) 2003.09.06
●過ぎたるは及ばざるが如し:No. 18(978) 2003.09.06
●異空間:No. 17(977) 2003.09.06
●驚き:No. 16(976) 2003.09.05
●遊歩道:No. 15(975) 2003.09.05
●今も守る努力:No. 14(974) 2003.09.05
●重い荷物:No. 13(973) 2003.09.05
●自分流:No. 12(972) 2003.09.04
●生きる楽しみ方:No. 11(971) 2003.09.03
●心地よい疲れ:No. 10(970) 2003.09.03
●田舎の原風景:No. 9(969) 2003.09.03
●宿:No. 8(968) 2003.09.02
●静かさという音:No. 7(967) 2003.09.02
●北アイルランドにて:No. 6(966) 2003.09.02
●豊かさとは何か:No. 5(965) 2003.09.02
●旅をするということ:No. 4(964) 2003.09.01
●いろいろな旅:No. 3(963) 2003.09.01
●都会の殺伐さ:No. 2(962) 2003.09.01
●旅の目的:No. 1(961) 2003.08.31
霧の白樺並木。江別市文京台
今朝は、霧があり、露が降りていた。
昨日の雨と打って変わって快晴となった。
放射冷却のために、冷え込んだ。
ウインドブレーカではもう寒い。
ジャンバーと手袋が必要かもしれない。
キャンプす木々の落ち葉も多くなり、
葉も色づいてきた。
地震の影響がまだ続いている。
余震も何度かあった。
札幌でも有感の余震がときどきある。
専門家は、公的にはもちろん、私的にも
できるならば、今後災害があったとき、
少しでも人災による被害を防ぐ努力をすべきである。
地質学者は、防災や人災を防ぐために必要な、
基礎資料を時期を逃すことなく記録しておく必要がある。
私も、今回は、鵡川と沙流川の調査をする予定であった。
源流まで遡り、峠を越えると
十勝川の中流域に近いので、
同時に調査をしておこうと思った。
しかし、連休なので、なかなか思ったところで
宿泊施設が取れなかった。
だから、今回は、十勝川流域はあきらめていた。
しかし、今回の地震で、キャンセルがかなりでたようで、
昨日連絡したら、希望のところに予約できた。
私は、川を調査するつもりである。
先日までは、台風の影響を見るつもりであった。
今では、台風に加え地震で
川がどのような影響をうけるのか、
地質学者だけにとどまらず、
私の視点で川と人を見ていこうと思う。
もちろん、被災地である。
そこには人が住んでいる。
彼らが何を感じているかも、重要なことである。
そして、被災地を地質学者である自分が見ることによって、
どう見えるか、どう感じるかも記録しておきたい。
そんな目的に今回はしたいと思う。
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1泊2日で東京に出かけていた。
やはり都会は疲れる。
そして、あんなに多くの人がいるのに、
孤独になれるのはなぜだろう。
大学生が、路上にテーブルがある喫茶店で
教科書を開いて勉強していた。
ノートで行列式を一生懸命展開していた。
自分も学生時代そうであったという
懐かしくもほほえましくも眺めながらも、
かたや、そんな人ごみの中で
なぜ、 孤独になれるのだろうと不思議さを感じた。
理由はもちろんいろいろあるだろうが
私は、これは人が多すぎるせいだろうと思う。
人間としての許容量を越えるほど人が多く過ぎて、
一人一人を識別するための処理を、
脳が放棄してしまった結果だろうと思う。
群集は単なる多数、環境として処理されているのだろう。
これがいいことか悪いことかわからない。
人の少ないところでは、知り合いはもちろん、
近づくと何らかの挨拶、会話などと相互作用をするし、
他人にでも、何らかの反応をしている。
そんな相互作用は人間同士として必要ないのだろうか。
それがない都会とは、いい環境なのだろうか、
それともひどい環境なのだろうか。
わからないが、私は、人の少ないところで、
密接な関係があるほうがいいのではないかと思う。
しかし、それが、しきたり、風習、因習など、
固定化してしまうことには、注意が必要だ。
コミュニティを守るために、コミュニティ内の約束事が
足かせとなってはいけない。
それは、日本の多くに田舎でおこっていることだ。
人が動き、流動しながら、コミュニティを活性化する。
そんな環境がいいのではないだろうか。
まあ、そんなコミュニティは
長期的には存在しえないのではないかもしれないが。
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ナナカマド。江別市文京台
今朝、4時50分、大きな地震があった。
寝ていた家族全員がおきた。
近所の人も起きて、声を掛け合っていた。
江別の震度は4であった。
震源は、釧路沖北緯41・7度、東経144・2度、
じれは、えりも岬の東南東80キロ付近である。
震源の深さは約60キロ。
地震の規模はM7.8という大きなものだ。
地震直後から1時間ほどニュースを見たが、
あまり情報が集まっていないため、
速報だけで、各地の様子がわからなかったが、
少しずつ情報が入ってきた。
あちこちで被害があったようだ。
我が家は、幸い被害はなかった。
6時過ぎに自宅を出て、
大学に向かっているとき、
6時10分頃、また余震として大きなゆれがあった。
歩道を歩いていたが、
横にブッロク塀があったので、
慌てて車道の真ん中に出た。
歩きながら、地震による被害がないか見ていたが、
外から歩きながら見る限り、ほとんどなかったようだ。
大学では、守衛さんがあちこちを見回っていた。
エレベーターは停止していた。
研究室も被害はなかった。
台風の被害がまださめやらぬ日高地方だが、
地震で被害が大きくならなければいいのだが。
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昨夜は雨で、今朝もまだ曇っている。
昨日までの快晴が嘘のような曇天である。
しかし、雨が降ったせいか、
寒さはそれほどではない。
こんな暗い空模様を見ていると、
もうすぐ来る冬を思い浮かべてしまう。
そんな想像をした時、ふと考えた。
ある場面を想像したとき、
嫌な思いが浮かぶのは、
その情景にまつわる思いを、
すべてプラスマイナス した時、
マイナスになっているせいだろうと。
今回の創造でも、冬になれば、
それなりに楽しいこともあるのだが、
やはり、雪はあると思うと重たい気持ちになってしまう。
これは、想像で冬の総体がマイナスとなっているからだろう。
実際に雪になればなったで、
それなりのよさがあるのだが、
総体とという想像力だけが
一人歩きしているような気がする。
こんなとき、良かったことを思い浮かべればいいのだ。
朝日に輝く新雪。
ダイヤモンドダスト。
暖かい部屋から眺める雪景色。
雪の中の温泉。
雪遊び。
そんな楽しい思い出を一杯つくっていけば、
そのうちプラスになるだろうか。
冬をも楽しみな季節にできるだろうか。
まあ、その前に今来つつある秋を楽しもう。
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紅葉。江別市東野幌
ここ数日、いい天気である。
昨日も今朝もいい天気である。
昨日は家族で弁当を持ちで森林公園に
自転車で出かけた。
しかし、自転車でいくのは森を見るには
よくない方法だ。
ゆっくり見ていられないからだ。
はやり自然にいちばん良く接する方法は、
人が本来持っている歩くという方法だ。
歩くのは、疲れるし、そんなに遠くまで行けないが、
自然を満喫する度合いはいちばんである。
これは、どの時代、どんな人でも同じであろう。
自然自体を満喫する気がなくても、
自然の中を歩くのはいいものだ。
時間を気にせずに、自分の物思いにふけることもよし。
何も考えず、自然の中に埋没することもよし。
自然の中に、季節の移り変わりを見るのもよし。
どんな方法であれ、自然に接することは大切であろう。
そんな時間を少しでもたくさんもてればいいものだ。
今度は、歩いて森の中を散歩に行こう。
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紅葉。江別市文京台
●1000回を迎えて:No. 1000 2003.09.23
とうとうこの「思いつくまま」も1000回を迎えた。
2001年6月2日にスタートして、
2年3ヶ月にして1000回を迎えた。
毎日書いたわけでもない。
特定の人のために向けた書いたわけでもない。
自分のためだけに書いたのでもない。
でも、チャンスさえあれば、書いていた。
1000回だからといって、特別な意味があるわけではない。
誰が読んできるかもわからない。
自己満足かもしれない。
でも自分では、自己満足にしないために
「不特定少数」の読者を意識して書きはじめた。
それは、私がインターネットを通じておこなっている
ホームページ、メールマガジンなど、
すべての活動に対して維持している気持ちである。
この「不特定少数」の読者は、
実態がなく、不確かなものだけれども、
私にとっては、不可欠な存在である。
インターネットには無私の善意がある。
かたや、いたずら心、悪ふざけ、悪意など暗い面もある。
しかし、この道具を使うのが人間なのだから、
人間の中に、善意や悪意があることを意味する。
多分、一人の人間にも両者がまじっているのだろう。
誰かの手本になるというより、
私は教員として、自分で自分自身の品行を
常に見守る目をもって生きていこうと
心がけるようになった。
しかし、身についてしまった無意識の「悪行」は
なかなかぬぐいきれない。
あるいは気づかない「悪行」すらあるかもしれない。
「悪行」とは犯罪とかいうレベルのものではなくても
自分の心に問いかけたとき、
その行為、考え方などが、
良くないと判断できるようなことである。
私が行なっている数々の「悪行」を羅列する。
資源の無用な浪費。
見えにくいエネルギーや時間の無駄遣い。
金に換算して価値判断しまっていること。
他人の善意を無碍にしてしまうこと。
みんながしていることを正しいと思ってしまうこと。
暗黙に得失のみを追及すること。
自分の是が他人にも是だと思っていること。
などなどちょっと心すれば防げる「悪行」がいろいろある。
道徳、マナー、倫理、エチケットなんという言葉ででもいい。
そんな振る舞いが無意識できる人間、
他人のためではなく、
自分の心に恥じない人間になりたい。
そんな当たり前のことを、インターネットを通じて、
「不特定少数」の無私の心が私に教えてくれた。
私は、それに報いるために、
善意を心がけること、
そして、無私の気持ちでインターネットを通じて、
自分のできることを「不特定少数」に対して
行ないたいと思っている。
言うは易し行なうは難し道なれど、
自分が目指した道なればこそ
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実。江別市文京台
ここ数日快晴の日が続いている。
おとといは、北海道電力の研究所の祭りにいってきた。
昨日は自宅から歩いて野幌森林公園に
子供二人をつれて散歩に行った。
今朝は、快晴の中、6時過ぎに歩いて出勤してきた。
ここ数日秋を満喫している。
体調も復調してきた。
北海道は、もう秋の気配が漂っている。
十勝岳で初冠雪のニュースもあった。
校内の林も落ち葉が少しずつ増えてきた。
沙流川、鵡川の予定していた調査を
台風の影響で大きな災害を出したので、
今年はやめようと思っていた。
しかし、思いなおして、出かけることした。
もちろん川の調査をするのだが、
災害を無視して調査するのではない。
災害を起こすのも、川の属性の一つである。
それをどう直視するかを、
自分自身に問うために、出かけることにする。
被害を与える川、手を加えすぎた川、
人が川にどれほど依存しているのか、
川は人にどのように関与するのか、
川への関わり方はどうすべきなのか、
地質学者として、そんなことを考えながら、
沙流川、鵡川河口から源流まで遡って、
調査していきたいとおもっている。
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ナナカマド。江別市文京台
今朝は、4時頃に目が覚め、5時に起きた。
6時過ぎに自宅を出て、大学に向かった。
時差ぼけがだいぶもどったのだろうか。
天気が悪いせいか、日が短くなったのか、
朝にしては暗い感じがした。
この時間に出かけるのも、20日ぶりだから、
このような季節の変わりを感じるだろうか。
紅葉がはじまっている。
大雪山では紅葉の便りが聞かれる。
山だけでなく、里でも
秋がもうはじまっているのだ。
快適だった夏もそろそろ終わり、
冬に向けての季節が始まる。
そんなあわただしい季節の移ろいを
これからは感じることになるのだ。
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イギリスから帰ってきて、はじめてここに書き込みをする。
2週間いないと、仕事がたまっている。
そして、あちこちで義理を欠いてしまった。
しかし、不在だからしょうがない。
そして、まだ、激しい時差ぼけである。
夜中に寝れない。
疲れがたまってきた。
今朝は、無理して6時前に起きたが、
めがなかなか覚めなかった。
すっこしずつためっている仕事をこなしているが、
講義が始まると、また大変になる。
講義をひとつ、まったく新しくつくり始めている。
それが、明日からはじまる。
それに向けての準備をこれからする。
イギリスのデータの整理もしなければならない。
研究会の発表準備もしなければならない。
愚痴を言ってもはじまらない。
少しずつできる範囲でやるしかないだろう。
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昨日は自然史博物館の教育施設「Investigation」を見学したが、
よく考えると新しい設備によるローンキットのような仕組みを
人で対応をしながらおこなっているのである。
だからなにも真新しいことはない。
でも、組織として実行することが必要である。
Darwin Centreの研究者によるライブのほうが、
もしかすると人にはインパクトがあるのではにだろうか。
筋書きがなく研究者の個性が丸ごと出るのである。
これも組織するのは大変だが、
毎日おこなっているのだからすごい。
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●人間にも緑が必要:No. 34(994) 2003.09.10
ハイドパークを朝歩いた。
人工的な公園であるが、
広大な敷地で手入れの行き届いた公園であった。
The Serpentineという名の池のほとりを歩いた。
しかし、池の岸もコンクリートで固められていたものだった。
朝のせいもあり、街の雑踏の音、汚い排気ガスが目に見えないため、
ほっとした気分になった。
緑を広大に取っているせいであろう。
やはり人間にも緑が必要だ。
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●実物を活かす方法を:No. 33(993) 2003.09.10
科学博物館を見学した。
やはり科学技術の歴史が、機械という歴史的実物を用いて展示されている。
これはこで、あるべき姿である。
しかし、自然史博物館で教育のための展示は
少し目指す方向が間違っている気がやはりする。
別の施設でやるべきである。
自然史博物館は物があるのだから
それを活かした展示をして欲しい。
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●良い点と悪い点:No. 32(992) 2003.09.10
ロンドンは、各種の歴史が記録されている街だ。
もちろん知の歴史もここでたくさん生まれている。
見ごたえのある街である。
しかし、長期滞在する気になれない。
それは、やはり都会のいやな点が多々あるからだ。
騒音、大気汚染、雑踏、混雑、複雑な交通網、高い物価、治安の悪さ、
などなど、悪い点が一杯ある。
これは、ロンドンだからでなく、
大都会はどこでも持っている共通した性質だ。
私はこのような都会が嫌いで田舎を選んだのだ。
人間か生きていくには、自然があり、
人と人がゆったりとした空間を持って接することが必要な気がする。
1年間の研修先はロンドンはよくない。
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昨日は一日自然史博物館にいた。
10時が開館だから、少し遅い気がした。
12時までEarth Galleriesをみて、
午後は、Life Galleriesの1階の恐竜の展示を主にみて、
Darwin CentreでLiveの講座を聞いた。
その後2階の鉱物と隕石の展示をみてた。
アッテンボロー氏が来て、自著のサイン会をおこなっていた。
写真を撮った。
4時半に外でお茶を飲み休憩。
5時前にEarth from the Airの写真展を見学。
盛りだくさんであった。
地学の展示を中心に見たので、生物の展示が見切れなかった。
膨大な資料に圧倒された。
しかし、これが知の歴史、知の集積の結果なのだ。
継続的に多大な資力と労力を持って収集されたものは迫力がある。
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今年も大英博物館の近くのホテルに泊まっている。
大英博物館にもいってみたいが、
時間があいたらにしよう。
ロゼッタストーンをみて、リーディングルームでくつるげれば
最高に幸せな気分になる。
でも、今回は大英博物館の自然史博物館である。
そこには、Earth Galleriesという地質館があり、
地質学に関する展示があり、
地質調査所のショップもある。
じっくり味わってこよう。
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●大英自然史博物館:No. 29(989) 2003.09.09
ロンドンで何をしようか迷った。
当初、ケンブリッジ、オックスフォード、ドーバーなどの
ロンドン郊外とロンドン市内の歴史的意味のある施設を見たいと思っていた。
しかし、それなら観光ツーアに参加したほうがいいのであって、
3日間あるので、じっくり見ることにした。
大英自然史博物館をみることにした。
こちらにおられる上野氏が事前に連絡をしてくれていたので、
明日16:00から、科学教育の担当の人が案内をしてくれる。
明後日は、午後からBMの会員向けの展示案内、
地質学者との面会を用意してくれいてる。
それに参加するので、自然史博物館をじっくり見ることにする。
さて、はじめてだがいろいろ噂は聞いているが、
噂は噂である。
自分の目で素直に見ることにする。
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イギリスの列車は不親切だという話を聞いたが、
駅での発車の掲示も画面でされている。
ちゃんと車内のアナウンスもあるし、
発車の合図もある。
噂は噂に過ぎず、百聞は一見にしかず。
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●百聞は一見にしかず:No. 27(987) 2003.09.08
イギリスの食事はおいしくないという噂を聞いた。
しかし、ロンドンを除くと、
田舎の食事はおいしい。
安いレストランでも、おいしい。
B&Bの朝食もおいしい。
もしかしたら、ロンドンの安い店がおいしくないのかもしれない。
噂は噂に過ぎず、百聞は一見にしかず。
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BangorからChester、ChesterからLondonへ移動。
イギリス本土内では、行きたい所へは、
たいてい陸路で一日でいける。
イギリスは思ったより狭い国なのである。
でも一日での移動は、疲れるだけである。
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スレート葺きの屋根は、みんな同じようにみえるが、
ひとつとして同じものがない。
落ち着いた色をしている。
町並みが、灰色でいかにも石造りの家という気がする。
しかし、地域によって、石の種類が違うので、
町の色合いが違ってくる。
スコットランドは、旧赤色砂岩なので赤系統の町。
北アイルランドの北部は、玄武岩なので、黒系統の町。
ウェールズはスレートなので、灰色系統の町。
こんな石造りの町の中にあって、コンクリート造りの建物は
味気なく見えた。
やはり、伝統や歴史だけでなく、その街をじっくり眺めると、
その町のありようとして、どのような建物がふさわしいかは、
だれもがなんとなく感じているような気がする。
そんな中にマクドナルドなどのけばけばしい看板はふさわしくない。
もちろんマグドナルドはイギリスの都会でも
たくさん見かけたが、その町の雰囲気を壊さないように
おとなしい色になっている。
規制のせいだろうが、それは当たり前のことであるような気がした。
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●めまぐるしい天気:No. 24(984) 2003.09.08
イギリスの天気はめまぐるしく変わる。
一日のうちに、晴れや雨が何度もある。
晴れたと思ったら、雨が降り出したりしている。
これは、自分が移動しているせいではなく、
天気が激しく変わっているのだということが、わかってきた。
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●あとひとがんばり:No. 23(983) 2003.09.08
だいぶ疲れが出てきたようだ。
朝がおきづらくなった。
しかし、昨日で主な野外調査は終わった。
ほぼ予定通りの調査ができた。
今日はロンドンまで移動して、
明日からは、ロンドンの施設見学だ。
あとひとがんばりだ。
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今日は朝から天気がいい。
晴れた海の景色がスレートの屋根越しに見える。
天気もさることながら、
交通量や人が多いかどうか、
見たい地層の場所がすぐにわかるかどうか、
そんなことの方が重要である。
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●イギリスとは:No. 21(981) 2003.09.06
イギリスは、面積が24万4000km2で、日本の約2/3。
人口が6000万人で、日本の約半分。
ロンドンの人口700万人で、東京の約半分。
緯度が北緯50〜60度で、日本の北海道稚内の45度より北である。
ロンドンは北緯51度で樺太の中央部あたり。
天気がめまぐるしく変化する。
しかし、メキシコ湾流がきているため、
冬も温暖で夏も涼しい。
雨が年中一定量降る。
住みやすい自然環境に見えるが、
住むとなると、人の中で暮らすので、
一概に自分にとって住みよいかどうかはわからない。
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北アイルランドでは見かけなかった、
風力発電が、ウェールズではたくさん見かける。
政治と民衆の考え方の違いだろうか。
そしにウェールズでは、スレートが重要な資源のようだ。
家や石垣がずべてスレートを使っている。
スレート鉱山では、膨大なズリが残されている。
そして今もズリは形成されているのである。
しかし、ズリはズリ自身が崩れない限り、
それほど害はないかもしれない。
しかし、自然の破壊は進んでいる。
ウェールズは同じイギリスでも、
自然への配慮が甘いような気がする。
しかし、川や海はきれいである。
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イギリスのあちこちで見かけるのは、
豊富な自然である。
私が好きな、きれいな海岸、きれいな川原であちこちにあった。
そしていたるところに、自然道とそこをあくる人たち、キャンプ場、
自然の中に浸る人たちがいた。
こんな普遍化はまちがっていないだろう。
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●過ぎたるは及ばざるが如し:No. 18(978) 2003.09.06
今日は移動距離が長く、収穫が少なかった。
こんな日もあるだろう。
ウェールズの距離感が違ったし、
目標とした場所も広く遠かった。
また、あまりに道路が混んでいて、狭かった。
やはり、同じイギリスでもいろいろ地方地方で違いがあるのだ。
なにもイギリスだけでなく、
日本でも同じだ。
スケールをまちがうことなかれ。
区別、分類、普遍性、一般化をしすぎない。
過ぎたるは及ばざるが如し。
先入観をもたない。
いろいろ学ぶこともあった。
これかは心していこう。
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岬が見え、島が見え、海が見えるホテルの部屋。
三角屋根がそのまま天井となっている。
ペントハウスというのだろうか。
このホテルでは一番いい部屋だ。
ハイシーズンは終わったのだろうか。
静かでいい。
部屋は、三角屋根に突き出た窓が天井を少し高くしている。
斜めで端が低くなった天井はきをつけないと頭をぶつける。
でも、今まで自分が住んでいた環境とは違っているので、
ものめずらしく、楽しい。
まるで異空間に迷い込んだような気がする。
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Bangorが大きな観光の町であることに驚いた。
また、LiverpoolからConveyまで、
すごい車が多く、大都会を走っているようで、驚いた。
泊まったホテルが、シングルで頼んでいたのに、
ツインの3階のいちばんいい部屋で、
なおかつ料金も15ポンドと格安になっていたので驚いた。
ウェールズ語の表記があるのだが、まったく読めないので驚いた。
ウェールズ語と英語の表記が似ても似つかないので驚いた。
さてさて、明日から地質調査が順調に行くのだろうか。
ちょっと不安になってしまった。
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イギリスでは、遊歩道を歩く人が多い。
それも長距離歩いているようだ。
疲れたら、B&Bがいたるところにあるので、とまればいい。
朝食を宿でしっかりと食べ、昼食は軽くし、
夕食は町でたべればいい。
ナチュラルトラストの地図をみたら、
イギリスのいたるところにそのような場所ある。
イギリス人は、自然の中を一日歩くのだ。
遊歩道は、PathとかWalkなどと呼ばれている。
ナチュラルトラストが、中心となって整備してある。
変わりやすいルートである。
自然の中を、あるいは民家の敷地の一部を、
牧場の中を、道路わきを、街中を縫って歩く。
そんな遊歩道がある。
観光名所、観光施設もなにもない、
ありのままの自然、田舎を満喫するのだ。
だからそんなすばらしい自然を、
イギリス人は守りたいのだ。
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●今も守る努力:No. 14(974) 2003.09.05
昨日は海岸線をいくつか調査した。
きれない砂浜は、地質が堆積岩に変わっているところにある。
火成岩のところは、いわばである。
非常にわかりやすい。
砂浜があると、大きな駐車場があって、
海遊びができる環境が整っている。
きれいな砂浜が広がっている。
日本にもこんな砂浜が昔は一杯あったのだ。
しかし、今では人工物でいじられた海岸線となっている。
こちらでは、風力発電の施設を作ることに反対するパンフレットがあった。
日本だと環境に配慮したいいものという先入観で、
いいことだと思っているしまうだろうが、
こちらで反対するのだ。
それは、景観や環境を変化させるからだ。
今のままの自然を維持しようとする努力が、
地元の人たちが継続的に行っているのだ。
見習うべき点だ。
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今回の調査では、ほんの4日しかたってないのに、荷物が多い。
重さもさることながら、物量が多い。
なぜだろう。
調査資料も確かに取っている。
関連文献も入手している。
これといって多いものがないのだが、
全般的に多いのだろう。
この分だと、郵送で資料を送らなければならない。
昨年送ったときは、船便を指定しはずなのに、
航空便になり、非常に高い料金となった。
今回送るなら、船便にしないとだめだ。
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昨日は一日、ジャイアンツ・コーズウエイの海岸沿いの散策路をいった。
3時間でいけるコースを4時間半かけてまわった。
ヒースの茂る牧場脇の道の崖の上を歩くコースである。
たくさんではないが、ぽつりぽつり歩く人にである。
みんなこんなコースを楽しんでいるのだ。
夫婦ずれ、若いカップル、老婦人。
一人だったり、二人だったり。
それぞれが、それぞれの楽しみ方で歩いている。
これでいいのだ。
整備されたコースを、活用するのだ。
自分たちの楽しみ方で、活用すれことこそ重要だ。
だれかのまねをする必要はない。
自分流でいいのだ。
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●生きる楽しみ方:No. 11(971) 2003.09.03
日本と比べてそれほど大きくもない。
国全体が牧草地化されている。
国内を見ていると農業国である。
そして国民ががつがつしてなくて、
儲けることより、可能な限り自給が前提で、
労働の楽しみ、
そしてなにより、生きることの楽しみ方を
彼らは知っているのではないかという気がする。
考えすぎだろうか。
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●心地よい疲れ:No. 10(970) 2003.09.03
今日は、Giant's Causewayの海岸沿いのトレイルを歩いた。
サイズは日本的だが、心地よい、道である。
崖のふちを、牧場の柵に沿って歩いていく。
踏みしめられた牧草の道をアップダウンを繰り返しながら歩く。
8キロほどの道を、普通は3時間ほどで歩くのだが、
4時間半ほどかけて、写真を撮りながら歩いた。
体は疲れるが、心は疲れない。
ほどほどに人も歩いている。
この道は、みんなが愛して、
そしてよく手入れされている道である。
いい道を歩いた。
前回イギリスに来たときも、トレイルを歩いたが、
心地よかった。
いい道がイギリスにはある。
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イギリスは、日本的なサイズだし、
日本の田舎を走るようで、走りやすい。
ただし、みんな飛ばすので、注意が必要だ。
しかし、こんなイギリスの田舎道を走るには、
のんびりと走ることが必要だ。
イギリスの田舎は、
日本とはまったく違っている。
酪農のために森をなくした。
でも、日本では見かけなくなった田舎の原景色のような
心休まるものを感じる。
やはり人間が心優しく、快適に生きていくには、
自然と、純朴な人たちが必要なのだ。
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純朴で、親切で、穏やかな人。
そんな人が経営する宿。
ホテルではない、Bed and Breakfastの小さい宿。
頼めば夕食も出してくれる。
まさに「やど」というべき小さな宿。
そんな宿は田舎にあっていい。
どんな不便なところでも、
その存在理由がある。
心やさしき人が泊まるところ。
いい宿であった。
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●静かさという音:No. 7(967) 2003.09.02
朝、旅館の外にでた。
雲が低く、小雨がぱらついていた。
田舎の景色が広がる。
まわりには店などない。
あるのは民家、牧場、教会、そして人と共存してきた自然だけだ。
のどかというべき景色がそこには広がっていた。
静かである。
鳥のさえずりの音、家庭で家事をするささやかな音など、
心地よい音がする。
時々通る車が静寂を破る。
静かさという音が、騒音によってかき消される。
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●北アイルランドにて:No. 6(966) 2003.09.02
12時に一度トイレに起き、2時に再度トイレに起きる。
それ以降眠れないので、本を読み出す。
一冊読んでしまう。
ますます寝れなくなったので、
メモを始める。
今日からは北アイルランドを旅することになる。
町外れに田舎もB&Bに泊まったのだが、
純朴で親切な人であった。
でも、夕食を予約していたのだが、
少なめに頼んだのだが、食べ切れなかった。
もったいなかった。
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●豊かさとは何か:No. 5(965) 2003.09.02
暉峻淑子著「豊かさとは何か」
(ISBN4-00-430085-1 C0236)
を読んだ。
1989年に書かれた本だが、経済中心主義の異常さを指摘している。
しかし、どうすればいいのか。
国は、地方自治体は、企業、コミュニティ、家庭では、
という各面での解決策、解決例を示して欲しかった。
現状の批判ばかり、そしてヨーロッパのいいところばかりを紹介して、
日本の現状や国民性、歴史を踏まえた打開策を示して欲しかった。
批判ばかりで欲求不満になってしまった。
「生産の増大は、必ずしも豊かさに結びつかず、
かえって社会的にも個人的にもマイナスを与えている」
「社会保障と社会資本の充実こそは、
豊かさにとって、不可欠ものであることが痛感される。
それは人びとに安堵感を与え、平等に向かって道を拓き、
限りない競争から人びとを解放する。
追い立てられる活力ではなく、
ゆとりを持った創造的活力を発揮することが可能になる。」
「私はヨーロッパで「プライバシーのひとつは、
人の身のまわり半径50センチ以内に立ち入らぬこと」
と聞いたのを思い出す」
「アイヌの人々が、
「富を貯める人とは各個人の蔵にモノをためることではなく、
大地を豊饒に、自然を豊かにし、
自然の中に富を貯めることだ」と言ったのは、
きくべき言葉ではないだろうか」
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●旅をするということ:No. 4(964) 2003.09.01
なぜ、人は旅するのだろうか。
もちろん、行ったことのないところへ行ってみたい
という気持ちもあるだろう。
でも、今住んでいるところ、今生きているとことを
再発見、再確認することがもしかすると重要な動機かもしれない。
旅に出るたびに期待に胸を膨らます。
そんな旅の本質を考えてみた。
人は、足で歩く。
あるいは、走ることもできる。
長い距離を移動することを考えると、やはり歩くことが旅の基本であった。
でも、人は、多量のエネルギーを消費することによって、
歩いては行けない距離を、
高速に、つまり短時間に移動するすべを手に入れた。
見聞を広げるには、おおいに役にたった。
でも、見聞を広げることが、よりよき人間になっているわけではない。
人は、食うために生きるにあらず。
しかし、人は生きるためには、食わねばならない。
その兼ね合いをどこでつけるか、それが問題だ。
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今日は8時間得したことになる。
でも、損得で考えては、いけない。
そんなに単純でない。
何日も無駄にしても、欲しい一日もある。
一時間一分足りとも無駄にしたいくない時間もある。
長い時間も短く感じることもある。
短い時間も長く感じることもある。
すべて、心のなせる業であろう。
心とは、不思議で御しがたいものである。
初めての海外旅行で緊張する人。
同行の人で、旅慣れている人もいる。
すると始めたの人は、緊張の連続で、
旅慣れている人は、その人をかばって、
優越的に、そして落ち着いて見える。
でも、海外旅行は、非日常である。
だから、だれもが緊張する。
そんな旅もあることみていると、微笑ましくもあり、
私のいろいろな旅を思い出させる。
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旅立ちの日は、曇りであった。
霧がかかって、涼しい天気であった。
ホテルが、シングルで予約していたツインの部屋になっていた。
広い部屋で快適であった。
都会での移動は疲れる。
11時に自宅を出て、1時30分の千歳発の飛行機で北海道を発った。
成田についたのは、夕方の6時ころであった。
長い疲れる旅であった。
日本だから言葉や通路に関しては、心配はない。
でも、空気が悪く、蒸し暑く、人が多く、殺伐とした気がする。
そんな日本の都会で疲れる。
イギリスの田舎の自然が癒してくれるだろうか。
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さて、いよいよ出発である。
現在、千歳空港にいる。
あと1時間ほど、余裕がある。
これから、自分の考えだけの世界に浸れる。
これが、最上の喜びである。
どこまで目的を達成できるかわからない。
一番の目的は、地質学上の重要な地点で、
石や地層に触れ、風に吹かれ、温度を感じ、匂いを感じ、
その地でしか味わえないものを味わうこと、
旅行にこれに勝る目的はあろうか。
それを地質学という観点で行うだけである。
そして、感じたことを記憶、記録に残すことである。
これが、重要な私の目的で、役目でもあろうと考えている。
そんなことを、公開する場がインターネット以外にもあればいいのだが、
それが贅沢というものであろう。
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