思いつくまま

2003年07月
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目次 
●8月の目標:No. 917 2003.07.31
●教育は、むつかしい:No. 916 2003.07.30
●がんばって、落ち着いて:No. 915 2003.07.29
●今日はこれだけ:No. 914 2003.07.28
●貴重な時間:No. 913 2003.07.27
●多忙:No. 912 2003.07.26
●忙しさのピーク:No. 911 2003.07.24
●道南調査:No. 910 2003.07.23
●疲れと楽しみと:No. 909 2003.07.22
●理性を超える自然:No. 895 2003.07.15
●出発前に:No. 894 2003.07.14
●安全と弱体化:No. 893 2003.07.11
●好機を逃すなかれ:No. 893 2003.07.10
●単位がわかると物理がわかる:No. 892 2003.07.10
●選択の選択:No. 891 2003.07.09
●リサイクル:No. 890 2003.07.08
●2周年の感謝:No. 889 2003.07.07
●北海道の海遊び:No. 888 2003.07.07
●夏が来る前に:No. 887 2003.07.04
●自然はすべて素晴らしい:No. 886 2003.07.03
●母の非日常:No. 885 2003.07.02
●血と心:No. 884 2003.07.01


花とアリ。江別市文京台

●8月の目標:No. 917 2003.07.31

今朝は朝から曇りである。
今日で、7月も終わり。
札から出かけるための準備、
残った仕事をこなすために今日も忙しい。
世間は夏休みである。
夏の旅行や休暇の話題が登っていることだろう。
しかし、夏こそと思って働く人もいるはずだ。
私もそんな一人である。
しかし、どうせ働くなら、
実のある働きをしなければならない。
目標をいくつか挙げよう。
四国にいるうちに
ERSDACのエッセイ(グリーンランド)。
書きかけの論文の推敲、
「境界」の論文の構想、
「感覚」の論文の構想、
をやりたい。
8月中に、
書きかけの論文の完成と投稿、
砂、石の標本整理、
「境界」の論文の第1稿、
をやりたい。
と、まあ、夢は大きくなっていく。
でも、目標を持たないことには、
次のステップにいけない。
目標完全に遂行できるようにがんばるしかない。
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白樺並木。江別市文京台

●教育は、むつかしい:No. 916 2003.07.30

教育は、むつかしい。
小中高校、大学の教育では、
ある程度学年知識レベルなどの
階層がそろっている。
教わる側の階層が多様だと、
一気にむつかしくなる。
それでも、中学生以上であればいい。
そこに小学生が入ってくると、より困難になる。
するとまったく教える方針を変更しなければならない。
言葉の使いから、日本語の程度、
あるいは論理構成から考えなければならない。
でも、それが、教える側の日ごろの
論理性を確認したり、
いちばん教えたいことはなんだったのか、
教える手順はこれでよかったのか、
劣等性ができて優等生ができないような問題、
みんなが納得する結論
そんな工夫が問われる。
これは、一つのテーマでも、内容を完成させるのに
長い時間がかかるということだ。
これこそマニュアル化すべきことである。
そして誰もが、一番大事なことを理解できているような
そんな教育結果が得られないだろうか。
教師側の話術や知識に依存してはいけない。
どんな教師でも、生徒をある理解まで
達せられなければならない。
そんな夢のような方法がないだろうか。
これが私も求める方法かもしれない。
そのためには、私が未熟ではだめだ。
まず、私が一流の教師にならなければならない。
これは今のところ修行中である。
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●がんばって、落ち着いて:No. 915 2003.07.29

今日は快晴で暑い日になりそうだ。
しかし、朝はすがすがしい。
昨日はいちばん大変な作業である
メールマガジン3本、学会発表の準備をした。
今日は午前中に城川の講座の準備だ。
午後は非常勤の試験をしに出かける。
毎日、あわただしく一日が過ぎていく。
こんなとき、まさに我を忘れている。
落ち着きがなくなっている。
「思いつくままに」も「身近な自然史」も
ろくなものじゃない。
まともにできていない。
こんなのならやらないほうがいい。
こんな事態は、心に余裕がないせいである。
忙しくても、余裕が必要だ。
我を忘れては、
いいものができないのではないだろうか。
一生懸命にがんばることはいい。
でも、自分が何をすべきかをも
忘れてしまいそうなときは、注意すべきだ。
我を忘れているようなときは、
ろくでもないものができてしまうことがある。
どうせやるなら、創意工夫を凝らしたもの。
何か独創性や新規なものを生み加えるべきだ。
そんなことを一つ一つのことに注ぎ込むことが必要だ。
その積み重ねが自分の財産になるのだから。
がんばって、でも落ち着いていこう。
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牧草。江別市文京台

●今日はこれだけ:No. 914 2003.07.28

出かけるで、あと4日である。
短い時間でこなさなければならないことがたくさんある。
ここ数日、愚痴ばかりだ。
必要なことに時間を向けよう。
今日はこれだけ。
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キャンパス。江別市文京台

●貴重な時間:No. 913 2003.07.27

今日は昨日と打って変わって曇りである。
今日は朝から一日シンポジウムがある。
シンポジウムでは面白い話が聞けそうだ。
朝の6時半から8時過ぎのほんの短い時間を利用する。
なぜかここ数日落ち着いて頭を使っている時間がない。
これは、時間がないせいだろうか。
貴重な時間を有効に使おう。
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かしわの葉。江別市文京台

●多忙:No. 912 2003.07.26

今日は早朝から快晴である。
思わず、朝から研究室のブラインドと窓を全快した。
少々寒いくらいだが、心地よい。
今日も出発前の仕事をこなさなければならない。
9時30分にか帰宅していなければならない。
自宅で仕事を続けなければならない。
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花。江別市文京台

●忙しさのピーク:No. 911 2003.07.24

忙しさがピークに達しつつある。
試験とその採点。
学会準備、市民への講座の準備。
メールマガジンの2週分の執筆と発行。
学部のシンポジューム。
忙しくなるのはわかっていた。
でも、準備できないことばかりであった。
今はこなすしかない。
淡々と、そして要領よく。
でも手抜きなく。
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●道南調査:No. 910 2003.07.23

道南の調査をまとめておこう。
精しくは、ここを参照のこと。
デジカメによる撮影は、1,269枚であった。
一部動画を含むが、1.6Gbになる。
これを今後整理なければならない。
調査した川は、
国縫川、後志利別川、尻別川で、
国縫川以外は目的の一級河川である。
石の調査は、8ヶ所で、そのうち統計調査は、5ヶ所で
700個以上の資料を採集した。
砂は、15ヶ所で採集した。
火山の撮影は、
室蘭岳、有珠山、昭和新山、羊蹄山、尻別岳、
ニセコアンヌプリ、 雷電山、洞爺湖中島
の8山である。
支笏湖周辺の火山を撮るつもりが、
小雨で霧のため、撮影できなかった。
家族部分の写真は整理した。
あとは、調査の写真と資料の整理である。
これが、時間がかかり単調だが、
楽しいものでもある。
面白い結果が出そうだ。
そして、次なるターゲットに向けて、
夢が膨らむのである。
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●疲れと楽しみと:No. 909 2003.07.22

道南から帰ってきて、
疲れが抜けない。
昨日はたまった仕事をこなすのに、一日費やした。
今日は、前期最後の講義だ。
つづいて試験が始まる。
そして採点だ。
これが多くて大変となる。
でも、あとは、夏休みのさまざまな活動の
準備をしなければならない。
忙しいけれど、疲れるけれど、
これはこれで楽しいことである。
がんばるしかないであろう。
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葉。江別市文京台

●理性を超える自然:No. 895 2003.07.15

昨日と打って変わって早朝は曇りで寒い日であった。
しかし、日が高くなるにつれて晴れてきた。
昨日書いていたエッセイで、
自然と科学、そしてそれを感じる心について書いた。
雄大なる地形や景観をみていると、
その不思議さに心を奪われることがある。
そして、それがどうしてできたが知りたくなる。
その不思議さが科学で解き明かされ、
謎を理解したとしよう。
景観によっては、その意味を理解すること、
人それぞれの個性、心理状態、天候、
見た回数などによって、
感動がうすれものもあろう。
左右されるかもしれない。
でも、ちっと不思議さ、感動が薄れることがないものもある。
自然の景観が、科学に勝っているのである。
どんなに理性的にその景観を眺めても、
感性が理性を抑えるこむこともある。
誰が、いつ見ても、感動するものあるのである。
そんな人間の些細な状況に左右されないものもある。
「天空の島(Island in the Sky)」と呼ばれる地がある。
ここを訪れた先人が付けた名称だ。
その名称が腑に落ちる景観がある。
そこを訪れる人誰もが、同じような気持ちになるであろう。
そんな地をこれからも見つけていきたい。
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木立。江別市文京台

●出発前に:No. 894 2003.07.14

今日は久々に快晴の朝を迎えた。
すがすがしい天気であった。
手稲の山並みからも、ほとんど残雪が消えて、
夏の山の色となった。
近々出かける。
そうなると、やらなければならないことがいっぱいになる。
こなしきれないほどの量となる。
でも、最低限のことはしていかなければならない。
調査の間にリフレッシュしよう。
そして、自然の息吹を一杯感じてこよう。
自然は、私に、新しい気持ちを与えてくれる。
もちろん、冬にできなかった調査で
資料収集と撮影を一杯しなければならない。
でもそれも楽しみである。
さあ、あと少しがんばろう。
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木立。江別市文京台

●安全と弱体化:No. 893 2003.07.11

昨夜は、嵐というほど、ひどい雨と風であった。
でも、家の中にいると、それほどひどく感じかなかった。
安心といえば安心だが、
外の状況が家の中だとあまり感じないというのは、
少し不安な気がする。
今日は、寒いのか、暑いのか。
雨なのか、晴れなのか。
そんなのは、注意したり、窓から外を見ればすむのだが、
皮膚感覚というか、体感というか、
そのようなものが、どこにいても働くべきではないだろうか。
現代人は、文明によって安全や快適さ、安心を得ている。
それは決して否定すべきものではないし、
私自身その恩恵にあずかっている。
でも、なにか、ずれていっているような気がする。
そのような安全、快適さ、安心は、
すべて必要以上の供給を受けてないだろうか。
そこまでしなくても、得られるのに、
念のため、あるいは過剰さを贅沢として
取り入れてないだろうか。
もしそうなら、金銭や損得勘定ではなく、
自分自身、人間自身の生命としての
弱体化を招いてないだろうか。
ふとそんなことが気になった。
文明に守られない自然の中は厳しい。
でも、その中で生きることは、もしかすると
人間を鍛えているではないか、
そして自然の恵みを最大限に味わえるのではないか。
そんな気がする。
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木立。江別市文京台

●好機を逃すなかれ:No. 893 2003.07.10

今朝は、風が冷たく、雨も降っていた。
寒々とした天気だ。
でも心はすっきりしている。
なぜなら四国石の整理がだいぶ進んだからだ。
卒論の学生が、石のデータを取り始めたからだ。
学生がすべきこととは別に、
私がすべきことも大体終わった。
他の人が関連の仕事をはじめると、
私もそれにせかされて
後回しにしてたまっていた仕事が終わっていく。
終わったという充実感が出てくる。
すると、不思議なことに、
さらに後回しにしていたことが、
少しやっていく気になり、思わぬ進展ができる。
一つをきっかけにして、多くのことが前進する。
こんな好転をうまく利用しよう。
好機を逃すなかれ。
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●単位がわかると物理がわかる:No. 892 2003.07.10

和田純夫・大上雅史・根本和昭著
「単位がわかると物理がわかる」
(ISBN4-86064-013-6 C0042)
を読んだ。

面白かった。
単位について知らないことがいろいろわかった。
そして、その究極として、自然に対する
人類の智恵の及び方がわかったような気がする。
そして、まだ、私たちはわからないことが
いろいろあることも知らされた。
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木陰のベンチ。江別市文京台

●選択の選択:No. 891 2003.07.09

昨日は、市内の小学校が、
一般開放で、市民が自由に見学することができた。
家内と子供が、2つの小学校の見学に行ってきた。
一つは近所の歩いていけるところの校区内の小学校で、
もう一つは、隣の校区だが特認校として、
校区外の子供も通うことが可能なものである。
特認校は、一学年一クラス、それも定員20名で、
校区内の子供が優先であるが、
欠員があれば、校区外の子供も入学できるのである。
家内も私も、この小学校が気に入っている。
少人数の教育であること、
田園地帯で森林公園のはずれに位置するので
環境がいいのである。
長男と家内とも、小さな小学校がいいという。
近くの小学校は、1学年3クラスで、
ごく普通のものである。
しかし、森の小さな小学校を見た後では、
きつきつで、ばたばたした感じがするという。
親の判断は、理性的にするが、
実際に通うわけではない部外者としてのものである。
一方、子供は、刹那的に判断するが、
実際に通って、いいか悪いか体感する当事者である。
両者の好みが一致すればいいが、
一致しないときは、困る。
ただ、長男は近くの小学校にはプールがあるから
そちらもいいという。
長男は幼稚園で、プールに連れたいってもらったのが、
うれしかったらしく、プールに大きな魅力を感じているらしい。
北海道のプールや海は冷たく、
本州のようにちょっちゅう泳ぐものではない。
だから、水難のとき溺れずに泳げればいい、
という程度である。
じっさいに北海道の人は、
スキーができるのは当たり前だけど、
泳げない人が多い。
学校のプールで本当に泳げるようになるかどうかは、
わからない。
本当に泳げるようになりたければ、
北海道の場合は、
スイミングスクール行くべきだろう。
長男に、プールは行きたければ、
スイミングスクールにけば、
いつでも泳げるのだよというと、納得した。
さてさて、長男の小学校の選択はどうなることだろうか。
親は、なんとか、森の小さな小学校を
選択してもらいたいと思って、
あの手この手で、理屈を考える。
子供は、すぐにその手に乗るのだろうが、
果たして、それが本当にいい選択方法なのだろうか。
今の私には、わからない。
子供の選択と親の選択。
当事者の選択と部外者の選択。
刹那的選択と理性的選択。
どれを優先好きであろうか。
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ツタの絡まる木。江別市文京台

●リサイクル:No. 890 2003.07.08

私たちの町には、市営のリサイクルセンターがある。
そこに、今日、チャイルドシート、ベビーカー、三輪車など
子供用品でいらなくなったものを渡しにいく。
子供のものは、長くてもほんの数年、
短ければ、ほんの数ヶ月しか使えない。
でも、これは、子供が成長するからであって、
そのものが使えなくなるわけではない。
これらの捨てるのは非常にもったいない。
私たちは、中古やお下がりでもいいのだが、
そのようなものを恒常的に流通する場がないのである。
常にあれば、それを利用する客になれるが、
なかなかそのような店がない。
あっても、子供用の高級ブランド中古を扱うようなもので、
安いものを流通するところがない。
今回のリサイクルセンターは、
市の焼却場に隣接するところで、
廃棄されるようなもので、まだ使えるものを
欲しい人に配るという場である。
こまごましたものはない。
大きな家具や家電、スキーなどが中心である。
これだけでも、手間がかかる。
場所もとる。
つまり経費がかかるわけだ。
そうなるとこれを商売にするには、
単価の高いものを考えていくわけである。
使い古しの衣類などは、
ブランド品でもないとなかなか流通しない。
でも、中古自転車の流通市場はあるようだ。
定常的な利用があるからだろう。
こんな流通形態が多くの商品であれば、
助かるし、資源を有効利用することになのだろう。
リサイクルについて考えた。
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白樺並木。江別市文京台

●2周年の感謝:No. 889 2003.07.07

遅ればせながら、このページ2周年の感謝と、
意味もない888回を記念して、挨拶をします。
2001/06/16に、このページはスタートしました。
「思いつくまま」に書いていこう、とおもってはじめました。
内容もさることながら、
自分自身がつねに発信者として、
「不特定ひとり」 の読者を意識しながら書きました。
客観的に、意味ありげ、
意味があるかもしれない、
誰かが何かを感じてくれるかもしれないようなことを
書きつづけることにしていました。
それを自分に課して、知らぬうちに、
2年以上が過ぎ去りました。
そして、通しナンバーも888回を越えました。
平均すると一日一個以上の記録を
残したことになります。
数ではない、といいつつも、
増えていく数をみつと、継続の力となっています。
そして、何よりも、このページを
読んできてくださる方がいることを感謝します。
2002/02/01からスタートしたアクセスカウンターも、
4500を越えています。
一日に10人程度は覗いていてくださっています。
そんな「不特定少数」の人びとに感謝します。
あなた方が読者としておられることを信じて、
書きつづけてきました。
もし、あなた方がおられなければ、
これは、単なる自己満足の日記に過ぎません。
反応やメールは必要ありません。
もちろんいただいてもかまいません。
静かに、コンピュータが数えるカウンターの後に
あなた方がおられることを、私は強く感じています。
そんなあなた方に感謝します。
今まで陰ながら、ご支援いただき、ありがとうございました。
これからも陰ながらご支援いただきますようお願いします。
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はまなす。石狩市はまなす公園

●北海道の海遊び:No. 888 2003.07.07

昨日は、海に行った。
早朝は曇っていたが、
その後、快晴となり行楽日和だった。
私は、石狩川河口で石を採集したいと思ったが
石は全くなかく、採れなかったがった。
しかし、石狩川の河口なので写真撮影をした。
子供たちは、川辺や海辺で水遊びをした。
私も家内も日焼けをした。
暑い一日を過ごした。
北海道の海では、海辺で水遊びはするが、
水が冷たいので、ほとんど泳ぐ人はなく、
ほんの少しの若者だけが我慢して泳いでいるだけだ。
彼らも、しばらくすると冷えてしまうので
上がってくる始末だ。
浜辺で多くの家族がきていたが、
それでも本州の海と比べれば、すいている。
バーベキューをする人たちもいるほどだ。
それができるほどスカスカなのだ。
これも、北国の夏の海の過ごし方だ。
確かに、暑い砂浜に座っていても、
汗をかかないのだ。
風があれば涼しい。
風がなければ少し暑い。
腕が日焼けで、また赤くなった。
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●夏が来る前に:No. 887 2003.07.04

今朝は寒かった。
疲れもあって、写真をとる余裕がなかった。
母が来ていたせいだろうか。
実の母に気を使っているということだろうか。
多分、母の滞在で、母の非日常によって、
こちらも非日常になっていたのであろう。
その疲れが出ているのかもしれない。
でも、母はもっと疲れているはずだ。
補講期間に、道南の調査をおこなう。
昨年末の冬にいって失敗したものだ。
こんどこそ、資料を収集してこよう。
夏休み前の大仕事である。
前期の講義も残すところあと2、3回となった。
夏休みにみんな頭いっているのだろうか。
でもその前に試験がある。
そして教員には、採点と成績つけがある。
これが、夏休み最初の仕事となる。
私にとって、忙しい夏休みがはじるるのだ。
今年は、論文を書かねばならない。
2つは書くべきものがある。
それをなんとかしたい。
それを続けることが重要だ。
決めた目標をこなすこと。
これが昨年できなかったことだ。
同じ失敗を繰り返すまい。
その素晴らしいさを感じられないのである。
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種と葉。江別市文京台

●自然はすべて素晴らしい:No. 886 2003.07.03

午後から医者に出かけるので、
久しぶりに車で来た。
大学の駐車場は自転車置き場とは違っているので、
少しだけだが違う道を通ることになる。
違う道を歩いていくと、林がうっそうとしていて、
一月前とはまったく違って見えた。
写真では撮らえにくいが、
木々の葉っぱが厚く覆い、
濃い日陰となっていた。
今日は曇りなので、さらに暗さがましていた。
日々移ろうことも、時間があき、天候が変わると、
一変してみるのだ。
なにも広大な自然がだけが、
自然の素晴らしさではなく、
身近な自然に素晴らしさを見出すこと。
これも重要なことだ。
自然が素晴らしいとは、
もともと人間が自然に触発されて感じることだ。
だから、自然に対して感じる心がないと、
素晴らしいと思えない。
逆にいうと、素晴らしいと思う気持ちさえあれば、
どんな自然にも素晴らしさを見出せるのだ。
ところが、自然とは、さまざまな生き物が
競争や共存をし合って、
織りなされる総体的なものである。
そのある側面をみて、素晴らしいや、暗い、怖い
などという感情を持つのは、人間側である。
自然の中に生きる個々のものたちは、
必死で生きているのだ。
汚いところにだけに、生きていく生き物だっている。
人間の思慮外で彼らは生きているのである。
それをたやすく素晴らしい、汚いなどという評価するのは、
自然に上下をつけるようなことになりかねない。
すべて素晴らしいのである。
汚いとか、怖いとはいうものは、
それを感じる側の人間に、
その素晴らしいさを感じられないのである。
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林。江別市文京台

●母の非日常:No. 885 2003.07.02

寒い日が続く。
昨日の午後は快晴で気持ちよかったが、
今朝は曇りである。
母が今日、京都に帰る。
私は、見送りにはいけない。
家内と次男が空港まで送っていく。
私は仕事、長男は幼稚園。
私たちには日常の時間が流れている。
母には非日常の最後の日となる。
そして明日から、母は思い出話と、
私たちの家での出来事を話題に
日常の時間に戻るのだろう。
でも、その時に語ることは、
再開の喜び、別れのつらさは語られることがないであろう。
これは、味わったものだけが噛みしめるもの、
味わえるものだからだ。
離れている家族とは、
どちらかに日常に時間が流れ、
他方に非日常的時間が流れる。
これが、離れている家族に流れる時間だろうか。
こんな時間は共有しているといえるのだろうか。
名残惜しさも、日常と非日常では違っているのだろう。
でも詮索しても詮無きこと。
母には、非日常を肴に
せいぜい楽しい時の思い出話をして欲しい。
次の思い出話ができるのはいつの日だろうか。
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畑と並木。江別市文京台

●血と心:No. 884 2003.07.01

出会いと別れ。
肉親と夫婦。
別居と同居。
2世代の親子と祖母と孫。
人間はいろいろな形で、関係を結んでいる。
それがいいか悪いか、その関係ごとにちがう。
けっして満足していなくても、
そうせざる得ない関係もある。
血という契り、家族という契りは、
一生切れない縁となる。
これは、どんなに関係が複雑になっても
残るものであろう。
そして、その契りを繋ぐもの、
それは、じつは血とよんでいるが、心であろう。
血がつながっていると思う心が、
このような血の関係を支えているのではないか。
そのような関係こそが、
いちばん深い関係を長く維持できるのではないか。
どんな裏切り、不義理があっても、
一方的には切ることの出ない関係。
それが、肉親、家族の関係であろう。
私も若いときには母の気持ちが分からなかったが、
子を持つ親となって母の気持ちがよく分かるようになった。
そして、私と子供たちも
同じような歴史や思いを繰りかえしをしていくのだろうか。
歴史や思いは巡るのだろうか。
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