思いつくまま

2003年02月
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目次 
●最優先課題:No. 744 2003.02.28
●五〇代、大学で教養する:No. 743 2003.02.28
●自分たちの夢へ:No. 742 2003.02.27
●科学と科学教育の源流:No. 741 2003.02.27
●私の目標:No. 740 2003.02.25
●人間の性(さが):No. 739 2003.02.24
●自分の教育技量:No. 738 2003.02.22
●月形温泉:No. 737 2003.02.21
●温泉行:No. 736 2003.02.21
●方法論の考え方:No. 735 2003.02.20
●ぼくらはガリレオ:No. 734 2003.02.20
●北海道の自然史:No. 733 2003.02.19
●固有の情報について:No. 732 2003.02.18
●ヨーロッパ科学史の旅:No. 731 2003.02.18
●新哲学入門:No. 730 2003.02.18
●固有の自然史情報発信:No. 729 2003.02.17
●給水洪水:No. 728 2003.02.16
●理想のところ:No. 727 2003.02.15
●少しでもいいから:No. 726 2003.02.14
●古典の精読:No. 725 2003.02.13
●目標にまっすぐに進みたい:No. 724 2003.02.12
●悩むことが性:No. 723 2003.02.10
●白亜紀に夜が来る:No. 722 2003.02.10
●天才数学者たちが挑んだ最大の難問:No. 721 2003.02.10
●冬を利に:No. 720 2003.02.09
●天才は冬に生まれる:No. 719 2003.02.09
●学問の面白さ:No. 718 2003.02.08
●はじめての仮説実験授業:No. 717 2003.02.08
●私の資産:No. 716 2003.02.07
●冬を資源に:No. 715 2003.02.06
●整理について:No. 714 2003.02.05
●スペースシャトルの事故:No. 713 2003.02.04
●科学者の熱い心:No. 712 2003.02.03
●気力はいずこに:No. 711 2003.02.03




朝日の影。江別市文京台

●最優先課題:No. 744 2003.02.28

とうとう2月も終わりだ。
2月中にやるべきことがほとんどできなかった。
データベースだけは、順調に進んでいる。
ライフワークに関数テーマ設定は大分考えが進んできた。
しかし、肝心の勉強が思うように進んでいない。
また、論文と本の推敲という
いちばんしなければならないこともほとんどできなかった。
言い訳をすれば、理由はいろいろある。
しかし、3月中に、これらを進展させよう。
それしかない。
やはり、一人で研究するというパターンに
まだ慣れてないのかもしれない。
それを早く身につけなければならない。
ひとりで研究するというのは、
非常に効率的でもあるが、
気を許すと今回のようにほとんど進展しない
という ことにもなりかねない。
このひとりでの研究手法を身につけること、
これが、最優先課題かもしれない。
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●五〇代、大学で教養する:No. 743 2003.02.28

清水三喜雄著「五〇代、大学で教養する」
を斜め読みした。

私が在籍する大学に50歳になって
社会人入学をしたひとが書いた本である。
道庁を50歳で退職して、大学にきたのである。
共感を覚えるものがある。
なぜうちの大学を選んだかは不明である。
しかし、教養をしたいということはよく理解できた。
そして、大学の講義や試験を最大限に利用して、
教養を広げている感じがした。
では、この教養をどうするのだろうか。
あるいはどう発展させるのだろうか。
その点が気になるのだが、
それは、成果をもとめるのは性急すぎるのだろうか。
教養とはそんなものではないのだろうか。
では、なぜ、50台で、仕事をやめてまで、
まるで隠遁をするかのようにしてまで、
教養に執着するのだろうか。
私も、旧制高校時代の教養人にあこがれる。
そして隠遁者のような教養人にもあこがれる。
しかし、それは、望んでも詮無きことである。
現在の自分のおかれた立場で、
できる限り高みを目指して 教養人になること。
その方が価値があるのではないだろうか。
あるいは、それが現在の教養人の
あり方ではないのだろうか。
隠遁者のような教養人は、
現代社会でどう振舞えばいいのだろうか。
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朝日。江別市文京台
●自分たちの夢へ:No. 742 2003.02.27

一昨日は、江別市高砂にある「木の城」に
体験宿泊をした。
そのモデルハウスは、見学用だから、
泊まるようにしていないから、
1階は物置となり、暖房をしていない。
水っけがなから、乾燥がひどいく、
枕も高すぎてほとんど眠れなかった。
家内も同様であった。
しかし、この家の欠陥もよく理解できた。
そして、それにどう対処すべきかも考えることができた。
何事もプラスに考えるべきなのだろう。
あとは、会社の人と話していて、私のポリシーにあった、
家を予算内で建てられる可能性を示された。
その私のポリシーとは、家というものは、
快適であることが第一義であるが、
なおかつ100年もつようなものでなかればならず、
その建築にあたっては、予算の許す範囲で、
地元の素材で作るべきであろう、
というものである。
このような提示は大きな前進であった。
それは、逆転の発想であった。
しかし、これは、その会社の人が、
提案してくれたおかげである。
その路線で考えることができるともおもった。
そうなれば、時期について、
それほどこだわる必要がないことも理解できた。

家内ともども、自分たちの夢へ
大きく一歩前進したと思えた。
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●科学と科学教育の源流:No. 741 2003.02.27

板倉聖宜著「科学と科学教育の源流」
(ISBN4-7735-0146-4 C0040)
を読んだ。

今まで読んだ板倉氏の著書の中では、
「磁石の話」 とこれがおもしろかった。
近代科学の源流をイギリスの科学者の歴史から探る
という視点は面白かった。
これは、多分自分が現在、
イギリスの科学史に興味を持っているからだろう。
しかし、私は、やはり科学史を研究するタイプではない
ことがよくわかってきた。
しかし、化学の歴史から発想や教訓を
得ることは大いにありえることだとも思った。

「科学というのは、その研究活動の性格そのものからして、
教育活動と不可分に結びついている」

「「世界の学者たちに読んでもらうことよりも、
自分のまわりにい実験哲学愛好者たちに理解してほしい」
と思って、自分の本を自国語で書くことにしたのです。」

「科学者たちの学会でも、集まりが悪くなれば、
科学の楽しい伝統に立ち返って、楽しい実験を見せながら
科学の話を楽しむ会を企画する。
王認学会がそうやって楽しい科学を
守ろうとした故事に習えば、
私たちも楽しい科学の授業を
実現できるようになるに違いない」

「問題は解くことよりも、明確に問題提起をすることのほうに
大きな創造性を必要とする」

「彼(ニュートン)の力学の数学的諸原理から、
<他のすべての自然現象が解明されるのではないか>
というのです。」

「科学は天才が支えるものではなく て、
社会が支えるものである」

「ガリレオは、大多数の人々が
いまなお<自明だ>と考えているその法則の誤りを
指摘して近代力学の基礎を築くことになったのだ」

「自然の法則の中には、そのまま観察さえすれば容易に
その法則がわかるものもあります。
しかし、多くのびとが長いあいだ
考え違いをするような事柄は、
そのまま実験したからといって、
その法則を発見しうるものではありません。」

「「遺伝的には、どんなに優れた資質をもっていても、
活躍の場を得なければ、その資質が開花しない」
とも言えるし、
「活気のある時代には、そんな資質の有無は
大した問題ではない」
ともいえるのです。」

「すぐれた科学者というのは視野が広くて、
多方面に関心をもち、豊かな物質観・自然観・科学観を
持っていたから、多方面の分野で
創造的な仕事ができたのだ」

「「法則」というものは、実験によってその真偽が
決められるものだが、
「原理」というものは、個々の実験には関係なく
「疑い得ない真理」と見されるものだ、ということです。」
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●私の目標:No. 740 2003.02.25

科学教育の方向性が少しずつ見えてきた気がする。
それは、やはり実践と理論の両輪が必要である。
そして、これは、自力でできることにすべきである。
それは、一人の自然史リテラシーを身につけた人間が
志しをもてば、だれでも、いつでも、どこでも、いくらでも、
その実践ができるものでなければならない。
学校教師の絶対数は多い。
しかし、学校教員は対象とする階層として
児童、生徒がすでにある。
そして文部科学省が決めた指導要領に従う
ということもある。
その点、大学教員や在野のナチュラリストの絶対数も
これまた多い。
もし彼らの何人かが、私がつくり上げた方法論を
実践できるようになれば、重要な進展となるであろう。
まず、私自身の新しい実践として、
大学の教養レベルの地質哲学の本を出すこと
これが重要であろう。
そのためには、まぐ原稿を仕上げることである。
現在、第一校がある。あとは、 推敲あるのみである。
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●人間の性(さが):No. 739 2003.02.24

長男が夜中うなされていた。
おかげで寝不足である。
前日に怖い映画をみたからだとおもっていたら、
今朝になったら、熱が出ていた。
風邪だったのかもしれない。

そんな長男をみていて、人間の性(さが)について考えた。
長男は、その映画を見て、怖いから消してといった。
だから、見ないようにしなさいといっても、
怖いのにどうしても見てしまうようなのである。
これこそ「怖いもの見たさ」というものであろう。
何故、怖いのに見るのだろうか。
大人なら、目を背けてしまうはずだ。
なのに子供は見てしまう。
大人は、経験によってそのようなものを
見ないようにできるのかもしれない。
子供は、それを経験や理性によって、
制御できないのかもしれない。
一方は、同じ映画を次男は見たが、
平気で面白がっていた。
個人差なのだろうか、
それとも、そういう成長時期なのだろうか。
分からない。
子供のそのような振る舞いをみていると、
怖いもの見たさ、怖いくせに目が離せない。
そんな人間の弱い性を感じてしまった。
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●自分の教育技量:No. 738 2003.02.22

6時過ぎに子供たちが起きたので、朝風呂に入った。
7時40分ころだろうか。
風呂からでると、ちょうど朝日が昇りはじめていた。
みごとな日の出でであった。
太陽がみるみる丸くなっていく。
ほんの数分のできごとであった。
子供もその変化に驚いていた。

朝日をどう説明していいかわからなかった。
「太陽はマグマのあるとこから昇ってくるの」
と長男が聞く。もっともな質問だ。
まるで、太陽が地下から上がってくるようにみえる。
「地球より向こうから太陽が回ってくる」
といったが、理解できなかったようである。
見た目、実感、体感できること以上の事実を
子供にもわかるよう説明できない自分がいる。
わかりやすい科学教育を目指しているのに、
自分のこもにすら、説明をできない。
なんとなく、情けないことではないか。
学問体系をつくることも大切だが、
聞かれたとき、教えたいとき、現象を見たとき
即座に、わかりやすく伝える自分自身の技量がほしい。
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月形の夕焼け。月形町月形温泉

●月形温泉:No. 737 2003.02.21

江別から当別まで約1時間できた。
一面雪の原。
温泉は少々しょっぱく、やや黄色い色を帯びていた。
気分転換に来たが、どうなるかどうか。
我が家の温泉行は、夕方風呂にゆっくり入れる時間につき、
夕食と朝食を食べて、昼前には帰ってくる。
そんな温泉行である。
温泉と食事に来るだけである。
子供は、家出遊んでいるレゴの箱に入れ持ってきて、
寝る前に読む本を3冊持ってきている。
家と同じセットをもて来ている。
そして、環境が変わり、食事が変わるだけです。
家内が一番楽できるのかもしれない。
まあ、これも家庭サービスで、私は気分転換。
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●温泉行:No. 736 2003.02.21

今日は当別の方の温泉に出かける。
昼すぎに研究室を出て、帰らなければならない。
久しぶりの温泉のような気がする。
しかし考えると、1月の3日には温泉にいっている。
我が家は温泉によく出かけている。
だから、うちの子供たちは、もしかすると
日本でも有数の温泉にはいった子供に
属するかも知れない。
近いうちに、行った温泉リストでもまとめておこうか。
結構な数なっているはずだ。
残念なことに、データは全くとっていない。
まあ、専門が違うからしょうがない。
趣味としてほどほどにしておこう。
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烏の大群。江別市大麻

●方法論の考え方:No. 735 2003.02.20

昨夜、駅前を通りかかると、
烏の大群が舞っていた。
朝夕、ある時間になると、烏のねぐらである
駅前の森の周辺が騒がしくなる。
鳥の大群をみると、昔読んだ手塚治虫の鳥人体系を
思いうかべてしまうのは私だけだろうか。

板倉氏の本を読んでいくつか感じるところがあった。
それは、科学者が研究成果の公開方法についである。
研究成果は、学会で公開する方法が一つある。
これは、その成果が間違ったものではないか、
という評価をその時点で客観的におこなうシステムである。
だから、これはクリアーすべきハードルとする必要がある。
これは専門家集団による評価である。
もう一つの公開方法として、
昔の科学者、
そして現代でも一部の研究者がおこなっているが、
市民に向けて、わかりやすく、自分の研究成果を
説明する方法である。
そして市民が面白いと思えるかどうかが、
この研究成果の評価といえる。
その評価には、伝え方、文章の表現能力など
研究者の科学者として、そして教育者としての
総合的な能力が問われることになる。
そしてどちらかが欠けても評価はよくないのである。
後者の評価のほうが厳しいといえる。
前者は、研究者の義務である。
後者は、誰でもできるわけではないが、
できれば望ましいものである。
そして、多くの研究者は、市民の暗黙の合意の上で、
現在の地位を保っているのである。
したがって、市民を納得させることに
精力を使わない研究者は、
義務を怠ってるといういえるかもしれない。

例えば、私が、現在、目指しているものが
形を成すためには、
地質学、その哲学、そして科学教育の融合した形として
上の両者を順番にこなしていけばいいということである。
大学教育と同時進行する市民向けの
メールマガジンの発行とホームページの公開は、
もしかすると、前者と後者の
新しい展開方法、つまり方法論ではないだろうか。
そうなれば、この方法論自体が、科学教育の研究成果と
位置づけられるのではないだろうか。
そして市民が面白いと思ってくれれば、
私の方法論は、成功といえ、完成するのであろう。
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●ぼくらはガリレオ:No. 734 2003.02.20

板倉聖宣著「ぼくらはガリレオ」
(岩波科学の本4)
を読んだ。

板倉氏の書かれるの本にしては、
面白くなく感じた。
また、 私が読んだいくつかの子供向けの本としては
それほど面白い部類に入らなかった。
また、板倉氏が事実に基づき、
忠実に話や実験を構成している。
でも、面白くないのだが。
それは、多分、実験を中心としているからだ。
実験とは、自分ですること、自分で考えることが
楽しいはずだ。
それを実践しているのが仮説実験授業のはずだ。
それを本にすると必ずしも面白くない。
これは、いいことを示してくれた。
これは大いに示唆に富んでいる。
一種の反面教師としていい 。
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除雪作業。江別市国道12号線

●北海道の自然史:No. 733 2003.02.19

今日、公園の道をきた。
先日から、風邪気味で、今朝は、のどが痛い。
症状は軽く、気力も充実している。
だから、平常道理仕事がこなせそう。

今朝、国道12号線 で、除雪作業を見た。
トラックが10台近く行列をしており、壮観であった。
おもわず、写真をとってしまった。
国道ともなるこれほど大掛かりに、
効率的除雪作業がおこなわれるのだ。
このような北海道固有のノウハウを
もっといっぱい開発して、
それを商品として輸出すべきでないだろうか。

現在、火山のデータベースのフォームを作成中である。
そして、時間ができら、過去の火山の画像を
取り込もうと考えている。
しかし、多分できないので、アルバイトの人件費が
できたら、たのむことになるであろう。
実際には、火山のデータは、今後も増え続けるので、
膨大なデータ量になると予想される。
だから、できるだけ、効率的につくる方法を考えていこう。

これも、北海道の自然史として
固有の情報発信になるであろう。
そんな目標にしていこう。
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雪と夜明け。江別市大麻

●固有の情報について:No. 732 2003.02.18

今朝も、少し雪が積もっていた。
しかし、昨夜、あちこちで除雪がされているので、
昨日より、歩くのは楽だった。

さて、昨日から、北海道固有の情報について考えている。
いかに魅力のある情報を発信できるか。
まずは、自分が使っても役に立ちそうな
情報源である必要がある。
自分自身の記録、思い出を含めて、
他の人が役に立ちそうな情報を発信していく必要がある。
その一つに、淡々とした地質学的情報と、
それをわかりやすく解説したような
エッセイがあるといいかもしれない。
これだと、一挙両得の情報発信といえるであろう。
それは、今まで開発してきた情報発信手段を活用すれば、
それどほ手間をかけず、発信できそうである。
また、出かけたときも、メモを書くことを
重視していくであろうから、書く張り合いも生まれる。
今までの、北海道の火山のデータを
いくつか掘りこしていこう。
それに、雪の日でも、それは貴重な情報となるのである。
いつでも、どんなときも、それが自然の姿なら
それを発信すれば、固有情報となるのである。
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●ヨーロッパ科学史の旅:No. 731 2003.02.18

高野義郎著「ヨーロッパ科学史の旅」
(ISBN44-14-003036-4 C1322)
を斜め読みした。

今度イギリスにいくので、
そのとき訪ねることができるところがあれば、
行こうと考えている。
そのためにイギリスのところだけ読んだ。
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●新哲学入門:No. 730 2003.02.18

板倉聖宣著「新哲学入門」
(ISBN4−7735−0099−9 C0330)
を読んだ。
仮説実験という考えを自分の哲学として
わかりやすく解いた本であった。
内容的には、示唆に富んだ本であった。
しかし、わかりやすく書きすぎて、
深みがないように感じた。

「英国では、
「自然現象の中でもっとも自然観に関わるような
理論的に興味のある事柄を扱う学問」が
<natural phyolosophy>と呼ばれたのです。
だから、同じ自然科学でも、
科学や生物学や地質学など、
事実の記述が中心だった学問は
<natural phyolosophy>と呼ばれることは
ありませんでした。 」

「流行の後を追う生きからがいやなら、
大科学者の生きかたを真似したほうがいいと思うのです。」

「「必ずしも実験的手続きを経ずに、
すべての問題に答える学問」
−それは哲学の特徴でした。
哲学の魅力はそこにあったのですが、
また、その弱点もそこにあったのことを
忘れることはできません。」

「実験の本質は、自然であれ社会であれ、
対象に対する 正しい認識を得るために、
対象に対して、予想・仮説をもって目的意識的に
問いかけることにある」

「いつしか「エクスペリメント(experiment)=試験」と
「実験道具の操作法(manipulation)=実験」とが
混同されてしまった。」

「自然や社会の認識をふかめるためには、
自分自身が行動を起こすことが重要なのではなく、
結果がわかる以前に、自分たちの予想・仮説を
はっきり提起しておくことが決定的に大切なのだ」

「「実験と実践の違い」は、
「実験」は、「審理が確定していないからうあるもの」
であるのに対して、
「実践」は、「ほぼ間違いのない真理として確信している
理論に基づいてやるもの」という違いがあります。」

「実験は真理の基準ですから、
「実験が間違う」などということはあるはずがないのです。
間違えるのは、人々の予想か理論か、
実験操作だけなのです。」

「いくらたくさんの経験的事実を集めた理論でも、
それは<もっともらいしい解釈>つまり<仮説>に過ぎない。」

「一見馬鹿らしそうに見える理論も<ひとつの仮説>として、
今後の経験=実験によって確かめて見なければならない。」

「科学者たちは、「いくつかの仮説のうち、
どれが<すでに知られている事実に
もっともそうに説明したか>ではなく、
どの理論が<これまで知られていなかった事実>
とよく合うか」によって真理かどうか
判定しなければならない、
ということに気づいたのです。」

「経験事実というのは、
「いろいろな事実や空想をもとにして仮説を立てるときに
<すでに知られているいる事実>」を言い、
実験事実というのは、
「その仮説の正しさを検証するための行為の結果
初めて知られた事実のことで、仮説を立てた段階では
<まだ知られていない事実>」のことをいう、
と整理して考えるのです。」

「新しい理論はそれが革命的なものであればあるほど、
その承認の前に多くの抵抗があるのがふつうです。
いや、多くの抵抗がある発見こそが「革命的な理論」と
いえるのかも知れません。
理論の中ではどんなに重要なことでも、
はじめからすんなり認められたよなものは、
革命的な理論とはみなされないのです。」

「現実の生きた科学は党派的で階級性を帯びていることも
少なくありません。しかし、科学上の真理は
実験のみによって決まるので、
党派的・か危急的には決まらないものです。」

「科学はいつも最終的な真理を実験によって決めたいと
願っていても、実際にはなかなか
党派性や階級性を脱しえない」

「「物事を哲学的に考える」というのは、一口に言うと、
「ものごとを根底から考え直すことだ」
ということができます。」

「科学は、すでに解決できたことだけについてにしか
教えてくれませんが、<森羅万象の学>であるところの
哲学は、「百パーセント確か」ということを
教えてくれない代わりに、どんな難問でも、
解決するための考え方だけは提供してくれるのです。」

「「自由に考える」とは、「新しい原理に囚われて考える」こと」

「ある考えに行き詰ったら、
もっと普遍的な原理にもどって考える」
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●固有の自然史情報発信:No. 729 2003.02.17

今朝は、大雪であった。
30センチメートル近く積もっただろうか。
いつもより1時間遅れで、自宅を出た。
しかし、北海道は、雪に慣れているので、
私が歩いていく頃には、除雪が結構されていた。
だたし、大学の構内はあまり除雪されていなかった。

北海道をひとつの対象として、
わたしは、テーマを設定しようと考えた。
たとえば、火山とされているものが、
北海道には、100個ほどある。
そして、そこには、それぞれの研究があり、
そしてデータがある。
しかし、研究者は、その火山ひとつひとつにこだわって、
研究をしているわけである。
私は、 それを北海道の全体の火山として、
データベース化することを考えている。
もしそのようなものができるなら、
自然史としては、市民の役にたつデータベースと
いえるのではないだろうか。
さらに、北海道の主だった河川(一級河川)13個を
網羅的に調べれば、これは、自然史としての
役に立つデータベースになるのではないか。
そんなことを考えて、調べることにした。
もしちろん、比較研究のために、
本州や海外のデータを加えることも考える。

私にとって、このデータベースは、
私がおこなうインターネットを通じた科学教育の一環で、
データベース自体を作ることが目的ではない。
そのデータベースを作る方法論(技術ではない)や、
それを活用する手法が新しい科学教育をつくるために
つながっているというものである。
これが今までの目標であったが、
そこに、あらたな目的として北海道発の情報発信、
つまり地域にこだわった固有の自然史情報の発信を
おこなうことも加えることにした。
さてさて、地域に密着した情報発信。
どんなものになっていくのであろうか。
楽しみになってきた。
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●給水洪水:No. 728 2003.02.16

今朝、いつものように水道の給水をした。
給水とは、水抜きした水道を再び出るようにすることである。
夜間の水道の凍結破裂を防ぐために、
地下の凍らないところまで、水道管の水を抜いてしまうということを
毎夜行うのである。
水を抜くときは、蛇口をあけっぱにしにして、
水道管の水を抜くことになる。
いつもは、家内が水抜きをして、水抜き後は、
蛇口は弱くしか開けておかない。
私が給水をする。
今朝給水をし、最初空気と一緒に水が出るので、
全開だと水が激しくはねるので、
ゆっくりと蛇口を開けていく。
台所と風呂場でそれをしていたら、
玄関脇の手洗いの蛇口が全開のままだったので、
手洗い周辺が水浸しになった。
30分ほど朝から拭き掃除をした。
手洗いは玄関脇なので、みずっけを乾かすために、
玄関へのドアを開けっ放しでストーブをたいている。
そのためか今日はなかなか温度が上がらない。
とんだ一日のスタートだ。
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●理想のところ:No. 727 2003.02.15

昨日は、「木の城」に体験宿泊をした。
今朝は、そこでこのメモを書いている。
これで、体験宿泊は3度目である。
「木の城」で自宅を2004年3月までに建てるのは決めている。
あとは、こちらの希望にあう土地、
そして「木の城」建築予算が金額的に折り合うものがあるかどうか、が問題となる。
きょうは、その予算について話し合う。

家を建てるということは、
一生に一度あるかないかの重大事である。
私は、一度中古住宅を買って、引越し後売りに出しても1年たった今もまだ売れない。
この事実が重くのしかかる。
100年持ちこたえ、環境に優しく、健康もいい家をたてる。
それは、多くの人の望みである。
金銭的な理由がその夢を打ち砕くことだってある。
しかし、私は、この目標に向かいたい。
今よりも未来を買うためである。

土地としては、
周りに緑のあるところ。
南側に広い森林か原野があるところ。
やや高台で、眺めと日当たりがいいところ。
そんな希望がかなうのだろうか。
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●少しでもいいから:No. 726 2003.02.14

昨日は、午後1時間ほど、本読んだ。
ほんの一部しか読めなかったが、
なんとなく充実した気がする。
日常と違うことをしたせいなのか。
それとも読書をしたせいなのかわからない。
でも、こんな充実感は必要だ。
今日は、昼には出かけるので、
午前中だけしか、仕事ができない。
だから、また、ばたばたしてるかもしれない。
やるべきことを集中してできる時間を
少しでいいから、つくること、
それが重要かもしれない。
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●古典の精読:No. 725 2003.02.13

今日は寒さも昨日と同じ。
しかし曇っていた。
この気候と同じように、
昨日も、忙しさにかまけて、目標設定ができなかった。
いろいろな本をあたっているのだが、
自分にあった人は、現存者ではまだ見つからない。
こうなると過去の知識人が、
もしかするとヒントを与えてくれるかもしれない。
そこで、古典にいろいろなヒントがあるのではないかと、
自然科学の古典中の古典、
アリストテレスを読んでみることにした。
アリストテレス全集を購入することにした。
古本にて、全17巻、3万5000円なり。
読みきれないのわかっている。
でも、一度でも、一部でも、古代、
最高の知識人がおこなった思考パターンを
味わってみることにする。
次は、ガリレオ・ガリレイを考えている。

このような方法が新しいことを生み出そうとするためには、
いいかどうかわからない。
回り道かもしれない。
しかし、今まで孫引きばかりで、原典にあたってなかった。
だから、回り道でも、少ししてみようと考えている。
でも、本を読のには、時間が必要だ。
時間は限られているので、
精読は、厳選した本だけにすべきであろう。
そのためには、多くの知識人の選択に耐えてきた
古典がいいはずだと考えた。
あとは、読むだけだが、
これが、また日常の忙しさに負けてしまいそうである。
でも、少しずつおこなっていこう。
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●目標にまっすぐに進みたい:No. 724 2003.02.12

今日は久しぶりに、公園脇を通って遠回りしてきた。
冬型になって少々雪が降って寒かったが、 爽快である。

2月も中盤になった。
2月になったらしたいことをあれこれ考えたが
何もこなせていない。
それより研究方針、つまり何をしたいのかを決めるために、
一連の文献を目を通す毎日である。
したいことができる時間がある程度あるので、
わくわくしているのだが、
何をすべきかまだ決まらないという焦燥感がある。
不思議な気分である。

日々の忙しさは定常的にある。
先週末から月曜にかけては大学入試があり、
書類を書くこと、各種の原稿を書くことが定常的にある。
ちなみに今週やっていること
書類書きとして、
学内研究助成の申請書(2月21日締め切り)。
学会研究助成の申請書(2月28日必着)。
原稿書きとして、
毎日更新のホームページ:TopとNature。
週刊 メールマガジン 3本。
月刊メールマガジン1本。
月刊ERSDACエッセイ 1本。
Encarta原稿月3項目程度。
などがある。
このような作業で、一日が過ぎていく。
忙しさだけで、一日があっという間に過ぎる。

やはり、しっかりと目標を決めて一日を過ごす必要がある。
早く決めて、それに向かって進んでいきたい。
こんな気持ちが、ここ数週間続いている。
はやく決着をみて、まっすぐに進んで行きたい。
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●悩むことが性:No. 723 2003.02.10

今日は車で来た。
それは、家内が駐車場の除雪をしたから
車が邪魔だそうだ。
しかたなく、車できた。
今日はそれほど寒くない。
そろそろ春の兆しの三寒四温がはじまったのか。
札幌では雪祭りがまだやっているというのに。

ここしばらく、今後の研究方向について悩んでいる。
どう進めばいいのかまだ定まらない。
定常的に文章や原稿は書いている。
それは、新しい科学教育のためと位置づけて進めている。
しかし、どうも確たるものがない。
いままでの職場では、何にかでおこなっていた。
そのために議論もでき、
自分の考えを口にすることもできたので、
自分の考えに確信を持つことができた。
しかし、ここでは、ひとりである。
ひとりで何もかも決定し、ひとりで進めなければならない。
そのパターンがまだ見えない。
今までは、忙しさにかまけて
ゆっくり考えることができなかったが。
最近は時間間ができ考えている。
すると悩むのである。
時間がなくては考えることができないと悩み、
時間があると考えることで悩む。
人間とは、悩むことが、性(さが)なのか。
それよりも、方針や方向性を見つけ出したい。
それたいする焦燥感がいま大きい。
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●白亜紀に夜が来る:No. 722 2003.02.10

ジェームズ・ローレンス・パウエル著
「白亜紀に夜が来る」
(ISBN4-7917-5907-9 C1040)
を読んだ。

この本はよかった。
永久保存版だ。
地質学者が地質学のパラダイム転換にまとめるとすると
このようなやり方が必要である。
以前はやれたかもしれないが、
いまは、体力気力がない。
ネタとしては、私も2つほど思いつく。
しかし、それをおこなうには、大量の文献収集と
その読破が必要である。
今での状況では不可能である。
私の進む道がまだ混沌としている。
一時は、パウエルのところの留学研究を考えたが
少し違うようで判断できない。
しかし、この本は、地質学レヴューの見本のようだ。
よかった。
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●天才数学者たちが挑んだ最大の難問:No. 721 2003.02.10

アミール・D・アグセル著
「天才数学者たちが挑んだ最大の難問」
(ISBN4-15-208224-0 C0041)
を読んだ。

短いからあっという間に読めた。
しかし、数学の歴史が述べられている。
ドキュメンタリーとしては、
サイモン・シン著「フェルマーの最終定理」
の方が面白かった。
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●冬を利に:No. 720 2003.02.09

今日は、一日家族サービスである。
ここ数日暖かい。
そのため、氷がだいぶ柔らかくなって除雪がしやすい。
午前中に除雪をした。家内は、午前も午後も除雪をしている。

考えると、北海道に住む人は、雪に悩まされている。
北海道では、雪に多く労力や費用も費やしている。
このような労力や費用は、
暖かい地域の人には必要でないものである。
それを雪国の人たちは当たり前だと思っている。
確かに気候だからそれはしょうがないことである。
しかし、やはりこの雪あるいは寒さをなんとか利となせないのか。
そうなれば、同じ労力や費用を費やしていたとしても、
利があれば、補えるのではないだろうか。
そうなれば、より豊かな生活を営めるのではないか。
最近そのようなことをよく考える。
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●天才は冬に生まれる:No. 719 2003.02.09

中田力著「天才は冬に生まれる」
(ISBN4-334-03171-4 C0240)
を読んだ。

細切れを集めたような本だ。
著者としては、日本語の本がこれで3冊目だが、
だんだん質が低下している。
残念なことだ。
中田氏は一線級の研究者なのだから、多作する必要はない。
いいものをじっくりと書いてほしい。

コペルニクスは、・・・それまで
「世の常識に反することは正しくない」とされたいたことが、
「常識に外れても正しいことは正しい」
という概念を生み出したのである。

哲学とは「哲学すること」、つまりは、
正確な論理過程を持った思考を意味し、
科学とはその論理過程の普遍化を求めて行われる
「現象の数学化」である。
ともに、「過程」の正確さを求めたものであり、
結果は必然的に生まれる。
論理の過程が正しければ、
与えられた条件に従った「正解」が出る。

科学的真実が世の常識として認められるまでには、
心有る科学者の絶え間ない努力と、
地道な教育とが不可欠なのである。

科学的記載が総て真実であるとは限らず、
飽くまでもその時点で真実と思われるものの記載であることも、
忘れてはならない。

アイシンシュタインが人類に残してくれた最大の業績は、
「時」が個々のものであり、
決して総ての実存に共有されたものでないことを、
教えてくれたことである。

「数学が単純なものであることを信じないとすれば、
それは、人生がいかに複雑なものであるかに
気づいてないからに違いない」
ノイマンの残した言葉である。
"If people do not belive that mathematics is simple,
it is ony because they do not realize
how complicated life is."

人の心を打つ芸術家は、その分野の人であれ、
皆、優しい心を持った哲学者である。
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公園のモニュメント。江別市大麻

●学問の面白さ:No. 718 2003.02.08

やはり風邪のようだ、ひどくはないが、
昨夜から背骨が痛い。
まあ、でも比較的元気だからよしとしよう。

昨日と今日、大学の一般入試である。
多くの若者がある限られた時間であるが、
最大限の智恵を振り絞っている。
その周辺には、激しいエネルギーが
満ち満ちているような気がする。
講義のときとは、まったく違うエネルギー。
大学の定期試験を上回るエネルギー。
そんなエネルギーを感じると、身が引きしまる。

彼らのうち何人が、学問の面白さを味わったのだろうか。
多くの受験生は、学問とは、つらいもので、受験のために
しかたくしなればならないものと思っているのだろうか。
そうであれば、そのエネルギーがもったいない。
確かに、学問することは、つらい面が多い。
でも、そこには好奇心を満たすこと、
新しい世界を見つける喜び、
わかる感動など、
など、学問することでしか味わえないことも
満ち満ちているはずである。

そんな世界を知らせるのが、大学教育が最後であろう。
大学教員の責任の重大さを感じる。
もし失敗すれば、彼らは、一生、学問の面白さを知らず、
つらいものという思い出しか見れない人生を送るのである。
ひとりでも多くの人に、学問の面白さを知らせたい。
そのためには、自分自身が、今学問が面白いという状態を
維持していかなければならないのであろう。
これは、大変なことではあるけれど、
これも学問の魅力に負けたためだ。
そうして、その大変さの向こうには、
すばらしい世界があるのだ。
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●はじめての仮説実験授業:No. 717 2003.02.08

板倉聖宣編「はじめての仮説実験授業」
(国土社、1974)
を読んだ。

最近、科学教育の手法として
仮説実験授業という方法に興味がある。
これは、まず、子供たちが、この手法に非常に興味を持ち、
そして最終的に科学に興味を持つということが、
いちばんの魅了である。
さらに、理論があるということもある。

関連の文献が大量にある。
しかも、この中心人物が板倉聖宣という個人が
作り上げたことがすごい。
しかも、板倉氏は国立教育研究所という、
文部省の組織にありながら、
あたらしい教育法を目指すという、
一種の謀反のようなことをおこないながら、
この方法論を広めたという強みがある。
現在、板倉さんに接触中である。

仮説実験授業の原則

・教育の主導権は子供にある
・自分で考えるとまちがえるが、それはすばらしいことである
・間違える権利の保障
・理想と現実の妥協も必要
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雪の公園。江別市大麻

●私の資産:No. 716 2003.02.07

今日は久しぶりに、公園の道を歩いてきた。
7時過ぎということもあって、結構、人通りがあった。
それが、また新鮮気がした。
そのため、何の変哲もないところでも、
面白く思え、写真をとっていた。

昨日は、雪祭りにいった。
しかし、イベント自体は、楽しいのだけれど、やはり寒い。
暖かいところから来た人は、つらいことも一時的だから、
あとから思えば、いい思い出となるかもしれない。
しかし、北海道人には、その寒さがわずらわしい。
昨日は、風がなかったので、それほどひどくはなかったが、
これで、風でも吹いていたら、
見物することも嫌になったかもしれない。
これを何とかするのは、難しいのだろうか。

昨日から、体調がよくない。
やはり風邪がまだ治ってないのかもしれない。
あるいは、別の風邪を引いたのかもしれない。
家内も長男も数日前、お腹が痛いといっていた。
その症状と似ている。
気持ちが悪い。
しかし、寝てるほどの悪さでもない。
今日と明日は、大学の入試だから、
休むわけにはいかない。
採点もしなければならない。
だから、ボーっとしながらも、研究室にいる。

こんな時はあまり頭を使わない作業がいい。
今日は、120Gbのハードディスクを使いはじめた。
データ整理に当てよう。
でも、考えたら、このハードディスク、あるいはデータ自体を
何重かにバックアップをする必要がある。
そのためには、最低2台、つまりあと1台が必要となる。
しばらくしたら、もう一台買い足そう。
そうでないと不安である。
これは、大切な私の資産である。
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●冬を資源に:No. 715 2003.02.06

体調がよくなったと思ったが、
今日は下痢気味であった。
やはり風邪であったのかも知れない。

今日は、不調をおして、
家族で雪祭りを見に行った。
8時40分頃に家を出て、10時前に会場に着いた。
片道だけを歩いて、テレビ塔までたどりついた。
11時過ぎに、昼食をとり、子供の本を買った。
そして、帰り着いたら、2時半頃であった。
そんなとき、ふと、考えた。
北海道の冬を資源にできないかということを。

札幌の雪祭りは冬の雪の有効利用である。
北海道は、冬は嫌なもの、
雪は邪魔者であるという考えである。
除雪や暖房に、多くの金を使わなければならない。
では、雪や寒さを利用する努力を
どれほどしているだろうか。
スキーと雪祭りだけが、北海道の冬の利用法だろうか。
地域ごとに、その利用法を考えて、
大いに利用できればいいと思う。
観光資源にするもよし、冷却資源とするもよし、
何でもいいのだが、そこに新しいアイデアが生まれれば、
それは、他の寒冷地に輸出できるのである。
そして、南半球もターゲットにすれば、
年中、そのアイデアは動かせ続けることができる。
そんなすばらしいアイデアはないであろうか。
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●整理について:No. 714 2003.02.05

体調は大部よくなってきた。
気力もだいぶ回復してきた。
どうも、風邪の一種だったのかもしれない。

私の仕事は、パソコンを使っておこなっている。
ということは、多くのデジタルデータが
あるということを意味する。
その保存に気を使っている。
なにし一瞬に消えてしまうことがあるからだ。
そしてパソコンだっていずれは、壊れるのである。
現在、4.5Gbほどのデータ量がある。
もちろん画像が多くを占めているが、
これでも画像は選択したものだけとなっている。
デジタルの画像は大部分は、
CD-Rに保存している。
毎日、他のパソコンにバックアップしている。
しかし、他のパソコンの容量が
いっぱいになってきた。
他のパソコンはそれぞれ目的が別にあるために、
容量を一杯まで使うことができない。
しかたがないので、
外付けのハードディスクを購入することにした。
120Gb、2万3000円であった。
また、しばらくしたら、同定の規模の
LANにつかがるハードディスクを
購入する予定である。
これで、パソコンを
古いデータのバックアップに使うことなく、
目的のために使うことができるはずである。
でも、可能な限り、今までのまめなバックアップは
続けていくつもりである。
つまり、CD-Rには、データが
確実に残していくということである。

考えてみれば、このような対策は
自分の資産を守るための自衛策である。
なにもデジタルデータだけ話ではない。
昔から、情報の整理、資料の整理、本の整理
などにはみんな苦労してきたのである。
私も多くの本を読んで、
結局は、いくつかの本の方法を
自分なりにアレンジして利用している。
そして、資料が多くなると、
いったん始めた方法は、
そうそうは変えられなくなる。
これがつらいところである。

先日、本立てが一杯になったので、3本追加した。
これで、ばらばらの資料をまとめることができ、
本も入れる余裕ができた。
しかし、一杯になるのは時間の問題である。
自宅ができれば、自分の書庫を持つことができる。
そうすれば、増える本を心配することなく
接することができる。

あとは、本を読む時間をどう作るかということだ。
これは、現状では解決できないことだ。
難しい問題が次々とおこってくるものだ。
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●スペースシャトルの事故:No. 713 2003.02.04

スペースシャトルの事故は悲惨だった。
7名の宇宙飛行士の冥福を祈る。
このような惨事があると、
決まって、科学や宇宙への進出を
そらみたことか、という批判がでてくる。
マスコミは、そのような意見を、ことさら取り上げる。
そして世論も、そんな批判に流される。
そんな繰り返しが、今回の事故でも
なされるのであろう。
事故原因が追究されるにつれて、
さまざまな欠陥やミスが指摘されるだろう。
それは、もちろん改善すべきだし、
非難されるべきであろう。

でも、このプロジェクトをはじめるときの合意、
熱意は忘れるべきではないであろう。
最初の成功のころを感動。
毛利さんが宇宙へ行ったときの騒ぎ。
向井さんが宇宙へ行ったときの興奮。
そんな科学がもたらしてくれた感動も
忘れるべきでないだろう。

また、今回の事故は、
科学を過信すべきでないこと、
科学が完全ではないこと、
も心すべきだと教えてくれた。
そんな不完全さを教えてくれるのも科学である。
事故原因を追究するのも科学である。
現代社会は、科学なしでは成り立たないのである。
科学とは、これからも、うまく付き合って
いかなければならないのである。
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●科学者の熱い心:No. 712 2003.02.03

スイズ・ウォルパート、アリスン・リチャーズ著
「科学者の熱い心」
(ISBN4-06-2572574-5 C0240)
を斜め読みした。

23名の有名な科学者の
インタビューで構成されている。
もしかしたら、自分の新しく始めようとしている
師となる人がいないかと思ったのだが、
いなかった。
しかし、ここに掲載されている人は、
ほとんどリタイヤした人ばかりで、
若い人が少なかった。
それが残念だ。
現役の研究者のインタビューが欲しかった。
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●気力はいずこに:No. 711 2003.02.03

今朝は晴れ。
日の出がだいぶ早くなった。
7時前に、手稲の山並みが、
朝日に赤く染まっている。
しかし、都市部はうっすらの霞がかかっている。
スモッグだろうか、
ヒートアイランドによる熱だろうか。

まだ、体調が思わしくない。
理由はわからない。
風邪でもなさそうだし、
どうも気力わかない。
日曜も一日ボーとしたり、うとうとしたりしている。
それに引き換え、子供は元気だ。
一晩寝ればどんなに疲れていても
けろりと回復している。
すばらしい能力だ。
5日から札幌雪祭りだ。
6日の木曜日に見に出かける予定だが、
天気がよければいいのだが。
それよりも、私の気力の方が問題かもしれない。
気力はどうすれば回復するのだろうか。
まずは、体力をつけることだろうか。
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