思いつくまま

2002年12月
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目次 
●独自性:No. 675● 2002.12.31
●「超」文章法:No. 674● 2002.12.31
●人間の自然回帰:No. 673● 2002.12.29
●冬の北海道:No. (14) 672● 2002.12.27
●天気:No. (13) 671● 2002.12.27
●プラス思考:No. (12) 670● 2002.12.26
●雪:No. (11) 669● 2002.12.26
●迷い:No. (10) 668● 2002.12.26
●いちばんの薬:No. (9) 667● 2002.12.25
●予期せぬこと:No. (8) 666● 2002.12.25
●アイデンティティ:No. (7) 665● 2002.12.24
●寒くても、ほっかほっか:No. (63) 664● 2002.12.24
●地質で村おこし:No. (5) 663● 2002.12.23
●ピリカ:No. (4) 662● 2002.12.23
●化石海水:No. (3) 661● 2002.12.23
●すいているのは、いいのだが:No. (2) 660● 2002.12.23
●サンプリング:No. (1) 659● 2002.12.23
●大事なこと:No. 658● 2002.12.23
●1年の生活のパターン:No. 657● 2002.12.22
●人間の進歩:No. 656● 2002.12.21
●経済性と効率:No. 655● 2002.12.20
●歩くことに専念:No. 654● 2002.12.19
●経済性:No. 653● 2002.12.18
●金と夢:No. 652● 2002.12.17
●プラスだけで満足を:No. 651● 2002.12.16
●祭りの楽しみ方:No. 650● 2002.12.15
●陽だまりの樹:No. 649● 2002.12.14
●苦しいが楽しい道:No. 648● 2002.12.13
●自前サーバー:No. 647● 2002.12.12
●真新しさ:No. 646● 2002.12.11
●Linuxサーバー:No. 645● 2002.12.10
●12番目めの12分の1:No. 644● 2002.12.09
●やりたいこと:No. 643● 2002.12.08
●あの無限、この無限、どの無限?:No. 642● 2002.12.08
●科学教育の実践:No. 641● 2002.12.07
●平均的日本人:No. 640● 2002.12.06
●ASTER:No. 639● 2002.12.05
●アドルフに告ぐ:No. 638● 2002.12.05
●大根ごろし:No. 637● 2002.12.04
●惑星学が解いた宇宙の謎:No. 636● 2002.12.04
●アルコール:No. 635● 2002.12.03
●色と形:No. 634● 2002.12.02
●修行不足:No. 633● 2002.12.01


●独自性:No. 675● 2002.12.31

さて、いよいよ2002年の1年が終わる。
私にとっては、2002年の1年は
転機の年であった。
そして、無我夢中に過ぎた1年でもあった。
いままでの忙しさと種類が違い、
大変だったが、充実した1年であったといえる。

私は、この1年で、
大学という組織に属しながらも
独自性を見出すことに精力を注ぎ込んだ。
今後、どの程度、この組織、研究分野で
独自性を発展させられるかはわからない。
しかし、独自性なきところに
創造性は生まれないと信じている。

多分、独自性が強ければ、
回りからの抵抗があり、
さらに独自性が強ければ、
回りが無関心になっていく。
なぜなら、回りとかけ離れすぎて
現在のところ、利害もかかわりも
生まれないからである。
私の独自性はどの程度のものかわからない。
しかし、そんなことを気にせず、
今後も独自性開発に向けて邁進していきたい。
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●「超」文章法:No. 674● 2002.12.31

野口悠紀雄著「「超」文章法」
(ISBN4-12-101662-9 C1230)
を読んだ。

私にはあまり面白くなかったが、
いくつか参考になることがあった。
要するに、人それぞれの文章作法が
あるということで、
それは、自分が見出すべきであり、
もし、その作法がまとまるものであれば、
降下すべき程度のものである。

論理法則を忘れてしまって
文章を書いていることがよくある
という注意があった。
これは、重要な指摘であった。
私も、忘れていた。

元の命題が真であるとき、
逆命題が必ずしも真ではない。
対偶命題は必ず真である。
裏命題(対偶命題の逆命題)は必ずしも真ではない。
たとえば、
元の命題:空は青い→真
逆命題:青いのは空である→必ずしも真ではない
対偶命題:青くないものは空ではない→真
裏命題:空でないものは青くない→必ずしも真ではない
というようになる。
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●人間の自然回帰:No. 673● 2002.12.29

コーヒーは、嗜好品である。
なくても生きていくには困まらない。
逆に、「地球に優しく」するため、
地球のことを考えるなら、
コーヒーのような嗜好品は、
飲み食いしないほうがいいのかもしれない。

でも、その考えを突き詰めていくと、
生きる以外の飲み食いは、
すべて排除していくことになり、
飲み物も水があればいいということになる。
水の豊かな日本で、
水を買って飲むなどということとは、
もってのほかで、「地球に優しく」ない。

最終的には、食や文化、
ひいては文明まで、否定しかねない。
でも、それでは、もちろん、いき過ぎである。
この「地球に優しい」という目標を
どこで、兼ね合いをつけるのかが難しいことである。
でも、それを考え、少しでも、
自制していくことが大切なのことなのだろう。
そして、ある自制が日常になったら、
次の自制へと進むことができるはずだ。
そんな、個人個人の良識というか、精進が、
われわれ自身の生き方を、より謙虚に、「自然に」、
そして豊かにしていくような気がします。
「地球に優しい」という言葉をついつい使ってしまう。
「地球に優しい」という言葉は、
もしかすると、人間のエゴかもしれない。

「地球に優しい」といういいかたは、
地球より、人間のほうが偉い立場で
話しているような気がする。
地球自身は、何も考えていない。
考えているのは、人間なのである。
だから、「地球に優しい」ということは、
もしかすると、単に「優しい」人間
ということなのかも知れない。
逆に見方をすれば、
いま、私たちは、人間として「優しさ」を
なくしているのかもしれない。
そして、「地球に優しく」することで、
人間的な優しさを
取り戻そうとしているのかもしれない。
人間の自然回帰なのかもしれない。
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●冬の北海道:No. (14) 672● 2002.12.27
今回の最終日。
白老の温泉地に1時半に到着。
風呂に入った後、
2時間ほどあったので、
家内と一緒にビールを飲んだ。
すきっ腹だったので、きいた。
でも、最終日だったから
いいであろう。
今回の調査は、地質学的成果は、少なかった。
でも、冬の北海道を知ること、
そして、冬でも、それなりの楽しみ方があること、
北海道には温泉が豊かであること、
などなどを、北海道のさまざまな面を
見せ付けられ、そして思い知らされました。
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●天気:No. (13) 671● 2002.12.27
今日は、札幌を中心に激しい雪が降った。
洞爺から伊達までの移動中に激しい雪が降っていた。
しかし、噴火湾に出たとたん、
雪がなくなった。
こんな大雪で騒いでいるのに、
室蘭周辺では、風は強かったが雪は少ない。
気候、天気というのは、
こんなに変わるものなのかと、
驚かされる。
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●プラス思考:No. (12) 670● 2002.12.26
目的を果たせないとき、
不満が残る。
しかし、そのとき、頭の切り替えで、
それなりの満足を得られる旅ができることを学んだ。
別の目的、そしてできる範囲で、
興味や楽しみなどのプラス思考である。
同じときを過ごすとしても、
いやいや過ごすのと、
楽しく過ごすのと、どちらがいいかは、
いうまでもないであろう。
そして、どちらが、記憶に残るかも。
そして、思い返すとき、
楽しい思い出か、つらい思い出か、
どちらかいいかも。
そう考えると、楽しもうという気になる。
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●雪:No. (11) 669● 2002.12.26
有名なスキー場に来ているが、
スキーはしていない。
まあ、人それぞれ目的が違うからいいのだが、
せめて、ソリでもしたかったのだが、
それもできそうにない。
雪の北海道は、スキーの好きな人には、
たまらなく魅力的なところだが、
スキーが目的でない人には、
雪が不自由を生むものである。
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●迷い:No. (10) 668● 2002.12.26
長男の体調は大分回復した。
しかし、疲れているようで、ゆっくりと寝ている。
今日はどうしようか迷う。
旅行を続けようか、
それとも、無理をしないで、旅行をつづけるか。
長男の体調を見て考えよう。
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●いちばんの薬:No. (9) 667● 2002.12.25
昼間、長男の病状はひどくなり、昼過ぎにはホテルに入る。
昼食もホテルでコンビで買ったものを食べる。
次男は元気いっぱいである。
夕方長男が熱を出したので、病院へ連れて行くが、歩けないほどである。
しかし、診療を受けるころには、
熱も下がり、帰るころには、歩いて帰れるようになった。
多分に精神的なものもあるのだろう。
でも、医者の「もう大丈夫ですよ」という言葉が、
いちばんの薬だったのであろう。
少し食欲もでてきたようだが、
ポカリスエットだけにする。
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●予期せぬこと:No. (8) 666● 2002.12.25
いつ何が起こるかわからない。
予期せぬ出来事である。
そんな時、ただただあわてる。
そして、右往左往するだけである。
明け方、長男が腹痛を訴えた。
食べ物のせいだろうか。
風邪のせいだろうか。
救急車を呼ぼうか。
様子を見ようか。
旅行は中止しようか。
結局何もしないまま、見守り、励ますしかなかった。
そして、苦しそうだが、長男は眠りについた。
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●アイデンティティ:No. (7) 665● 2002.12.24
日本海側は、ずーっと雪であった。
2、3ヶ所、車から降りて砂をとった。
目的の川でも、砂も石も採れなかった。
火山の写真もとれない。
やはり、雪の季節は、温泉と料理、スキーでも
楽しむしかないのかもしれない。
それでは、私の興味がわかないので、
見聞したこと、ネタにエッセイを書くことが、
私の興味や、特徴を示すことである。
これが、こんな状況でも、
アイデンティティを示すことかもしれない。
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●寒くても、ほっかほっか:No. (63) 664● 2002.12.24
いつものように、子供に本を読み聞かせ、
一緒に9時過ぎにねた。
そのため、4時半に起きた。
温泉に入って、メモを作成した。
この部屋は寒い。
なぜだろう。
自宅では、家内がもっと遅くまでストーブをたいているせいだろうか。
ここでは、昨日は9時にはストーブを切っている。
朝、起きたら、室内温度が、12℃になったいた。
でも、起き抜けに温泉に入ってきたので、
そんなに寒くない。
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●地質で村おこし:No. (5) 663● 2002.12.23
地質とは、どこにでもある。
大地をつくるもの、それが、地質である。
ある地域を調べれば、
その地域の地質の特徴がわかってくる。
地質学者が調査をし、それなりの成果を出せば、
その地域の特性が記述することができる。
もし、村おこしをしたければ、
地質の特性を記述すれば、
確実に特性を示せる。
もしかすると、日本でここにしかないものだって
見つけることができるかもしれない。
そんな発想をする人がいればいいのだが、
いつも、プロセスは、逆である。
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●ピリカ:No. (4) 662● 2002.12.23
美利河と書いてピリカと読む。
道南、今金町の美利河周辺は、
メノウの産地で有名である。
特に花石メノウは硬く、質がよいものとし有名である。
また、美利河海牛(ピリカカイギュウ)という
化石の産地としても有名である。
また、かつては、マンガンもたくさん採れたそうである。
また、色とりどりの石英の転石があるようである。
川で、石を見ることができれば、
そのような石が取れるのだが、
今回は無理である。
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●化石海水:No. (3) 661● 2002.12.23
今日の宿泊は、もちろん温泉であった。
家族で、しばしそり遊びの後、
温泉に入った。
温泉には、露天風呂があった。
目の前がスキー場であった。
泉質は、ナトリウム・カルシウム塩化食塩泉
(旧分類名:含塩化土類食塩泉)で、
もちろん、しょっぱかった。
我々のほかは、
1家族とひとりの3人しか入っていなかった。
時間が早いせいであろうが、すいていた。
このようなしょっぱい温泉は、化石海水由来である。
これは、以前、石狩浜の温泉で学んだことだ。
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●すいているのは、いいのだが:No. (2) 660● 2002.12.23
温泉の宿の前は、スキー場である。
連休だというのに、スキー場はがらがらである。
でも、多分、観光地以外の
地元の人が利用するようなスキー場は
このようなものであろう。
でも、これくらいが、落ち着いて滑れるのであろう。
泊まった公共宿泊施設にも温水プールがあった。
でも、誰も入っていなかった。
他人事ながら、
リフトや整備の費用などの
経費が気になる。
でも、どこの地方の公共施設には、
このようなものがたくさんある。
我々はそれを利用させてもらっているのだが、
助成金による設備投資のような気がして、
どうもなんとなく気になる。
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●サンプリング:No. (1) 659● 2002.12.23
道南に資料収集に来た。
やはり、雪だらけであった。
平らで、冷たいところは、すべて雪である。
もちろん、水分があるところは凍っている。
残念である。
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●大事なこと:No. 658● 2002.12.23

昨日は、晴れたり雪が降ったり、
めまぐるしく、天気が変わった。
でも、我が家は、いつものごとく、
午前中に買い物。
今回は、旅行のためのものが含まれている。
そんなあわただたしい、
でも、いつものとおりの一日であった。

今読んでいる、ブッダの7巻に
こんな言葉があった。

「どんな仕事をしていようと
どういう身分であろうと
悟ることができるのだ
いつもつぎのことを考えなさい
いま 自分はなにをしているのか
自分のしていることは大事なことなのか
ひとにとって大事なことなのか
そして大勢の人のとって大事なことなのか!
国じゅうの人にとって大事なことなのか
世界の人にとって大事なことなのか
この自然にとって あらゆる生きものにとって
大事なことなのか よく考えなさい
そして もしそうでないと思ったら
やめるがよい
なぜならばこの世のものは
みんなひとつにつながっているからだよ」

深い言葉であった。
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●1年の生活のパターン:No. 657● 2002.12.22

明日から、資料収集のために、
道南に出かける。
23日から28日でである。
海岸の砂、
河川沿いの砂と石(後志利別川)、
火山の代表的石、
が、採集目標である。
高画質のデータベースをつくるためと、
自然史教育の一環である。

すべて、雪しだいである。
今年は、雪が少ないと思って、
立てた計画である。
しかし、少ないとはいっても、北海道。
全道的に根雪になっている。

どうも、季節を交えた、
1年の生活のパターンがまだできていない。
それも、そのはずである。
1年も住んでないのであるからである。
春になれば、1年である。
それまで、いろいろ失敗して、
学んでいくしかないのであろう。
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●人間の進歩:No. 656● 2002.12.21

昨日は忘年会であった。
会場が札幌だったので、
街のホワイトイルミネーションをみることができた。
なかなかきれいであった。

物珍しさにきょろきょろするのはいいのだが、
足元が凍っているところが多く、怖かった。
最近の靴は、滑りにくいものになってきたが、
でも、やはり氷の上はすべる。

考えてみると、100年以上も、雪と氷の中で
北海道人は暮らしてきた。
なのにいまだに、雪や氷の上で滑らない靴を
手に入れることができない。
工夫はされているようだが、
完璧なものはない。
人間の技術力とはこんなものだろうか。
人間は、欲しいと思ったものは、
大部分を手に入れてきた。
でも、雪でも、氷でも滑らない靴は、
いまだに手に入れたない。

いちばんの必需品は、
注意力、慎重さ、走らない、
ゆっくり腰が引けながら歩くなどなど、
100年前と変わらない歩き方であろう。
人間は進歩しているのであろうか。
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●経済性と効率:No. 655● 2002.12.20

いつものように家を出たら、
今朝も、雪が少し積もっていた。
今朝は、やや寒かった。
前に着ていたジャンバーに変えた。
そのせいかもしれない。
歩くと、キュッキュッの雪がしまる音がする。
なんとなくいい気分である。

前に経済性について考えたことがあるが、
その経済性を計算した。
いままでの写真をデータベースに
するつもりなのだが、
その手続きをどうするか迷っている。
PhotoCDにすると、
100枚で1万5000円する。
手持ちでデジタル化したい写真は、
少なく見積もっても、
3000枚はある。
つまり、PhotoCD30枚分で、
45万円もかかる。
これなら、手持ちのスキャナーで
時間がかかってもいいから、
やればいいののだが、
それでは、時間がかかる。
手間大変であり、
取り込みに、1枚10分以上かかる。
つきっきりでした、としても、
3000枚÷(6枚/時間×8時間/日)=62.5日
となり、まるまる2ヶ月かかることになる。
不可能である。
そこで、フィルムスキャナーの購入を考えている。
4枚一度にとりこめ、
1枚30秒ほどである。
3000枚÷(100枚/時間×8時間/日)=3.75日
となる。
アルバイトの人と、1週間たのめば、
フィルムスキャナー+アルバイト料5日間でも、
8万円ほどでおさまる。
それに、装置が手元に残る。
このほうがきっといいのだろう。
研究も少し残っているので、
いちばんいい使い方かもしれない。

これが、もしかすると、
デジタル化するということを考えたのは、
利用の便からであるが、
もしかすると、これからかかる費用を考えると、
いちばん資源をつかわない仕組みが、
デジタルかもしれない。
でも、アナログからデジタルのへの
メディアの変換は、
こんなにも手間と費用がかかるのだ。
一度メディアの変換をしたら、
もうしばらくはしないほうがいい。
でないと費用と労力が必要になるからだ。
それは、経済性を考えることにもなる。
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●歩くことに専念:No. 654● 2002.12.19

今朝は、やや寒かった。
そして、雪が少々積もっていた。
人があまり歩いてない道をあるいた。
ふみ跡はあたのだが、歩きにくかった。
すると、あることだけに注意を払って、
ほとんど、景色を見る余裕がなくなる。
あることに専念するという感じである。
雪の降っているところを歩くことでもないと、
歩くことに専念するなんてことは
ないかもしれない。

私が、歩いているときは、
たいてい、何かを考えている。
まあ、何も考えないで歩いている人など
いないとは思うが。
私は、最近、考え事をしていると、
歩いているということに、専念せずに
あるいは、まったく歩いていることを
意識せずにいることが、
多くなってきた。
そんなとき、思わぬ失敗をしてしまう。
先日、考え事をしていると、
別の階の他人の研究室に、
入ってしまった。
幸い、その部屋の人は、席をはずしていたようで、
事なきをえたが、冷や汗ものであった。

でも、少々は歩いてることに気を使わねば、
事故を起こすかもしれない。
注意が必要だ。
専念してあることの、重要さを感じた朝だった。
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●経済性:No. 653● 2002.12.18

大分前であるが、
コーヒーのフィルターのサイズを
間違って、小さいのを買ってしまった。
しかし、捨てるのはもったいないので、
とっておいた。
ところが、私の使っているコーヒーメーカは、
4、5杯用で、一人用としては大きいのである。
実際には3杯分くらいを入れて、
1度に飲む。
私のカップは大きいので、
2.5杯分くらい一杯で入るのである。
でも、考えると、私のカップ1杯分なら、
間違ってかったフィルターを使えばいいと思って、
最近では使っている。

そこで、経済的とはなにかについて、ふと考えた。

ついつい同じ機能の商品で、
2種類の商品があれば、
もちろん、私は、安いほう買うであろう。
では、もし、安いほうが
機能が劣っていたらどうだろう。
その機能が自分にとって必要かどうかによって、
選択は変わってくるだろう。
同じ機能、同じ価格であったら、
どうするだろうか。
どちらでもいいと考えてしまうのだが、
今回のコーヒーフィルターを通じて、
地球に負担をかけないをものを
選ぶべきだと考えた。
そして、できるうるなら、
少々の価格差、少々の機能差と、
地球への負担を考えたとき、
地球への負担をかなり重要視しても
いいのではないかと、
最近、強く考えるようになった。
目先の機能、価格に、
あまりに惑わされているのではないか。
それが、大量生産、過剰供給、
ひいては、地球への負担を
強いているのではないか、
と考えた。
たとえば、長持ちをするという基準で考えると、
長い目で見れば、
目先の価格より、安いものがあるはずである。

少々高くても、長持ちするもの、
少々機能が劣っても、地球に負担が少ないもの、
などの視点が必要ではないか。
個人レベルの経済性や、短期間の経済性など、
もしかしたら、見かけの経済性に
毒されているのではないだろうか。
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●金と夢:No. 652● 2002.12.17

今朝起きたら、20cmくらい雪が積もっていた。
そしてまだ降り続けていた。
とうとう、雪だけの季節になった。
今朝は、回り道できる状態ではなかった。
ただ、気をつけて、楽な道を歩くだけであった。

昨日、研究費を清算してもらったら、
助成があったので、
まだ、結構使えるようになっていた。
今までは、ほとんど自腹で消耗品を買っていたが、
これで、少しは、助かる。

しかし、人間は、不思議なもので、
「お金があるよ」といわれると、
まだ使ってもいないのに、
目の前に金があるわけでもないのに、
なんとなく、幸せな気分になるのはなぜだろう。
これが、金の魔力なのだろうか。

確かに、金は、自分の好きなものに
変わってくれる。
さんな万能の力があるから、
魔力を持っているのだろう。

でも、考えてみると、
何のために、金を使うのか。
自分の欲望を満たすためか。
それとも、目標を達成するための補助とするのか。
もし、後者なら、あくまでも補助にすぎない。
金があっても、目標に達するわけではない。
もしそうなら、そんな目標はつまらないものだ。
金や他人の助力では達成できない、
自分でしか成し遂げられない夢であるから、
どんな目標でも努力し、苦労する価値があるのだ。
金なんぞに目がくらんでいるようなら、
あるいは金で達成できると思っているなら、
心得違いであろう。
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●プラスだけで満足を:No. 651● 2002.12.16

今日も温かい。
昨日、ダウンのジャケットを購入した。
そして、手袋も風を通さないスキー用にした。
これで、厳冬でも大丈夫。
しかし、今日は暑いくらいである。

11月の中旬には、文面のほうを印刷していた。
こんなに、早く準備していたつもりの年賀状。
気づけば、住所の印刷をしないうちに、
12月下旬となった。
気を許すなということだろうか。
12月に備えて、準備していたものが、
結局は、12月を忙しさを増すことになる。
計画や予定とはこんなものだ。
12月が忙しいのは、
1年分のたまったツケを払うだけでなく、
来年の準備をすることも
その忙しさを増す原因であろう。
今週で授業が終わりだという安堵感と、
あれもしてない、これもできてない、
という焦りがある。
でも、あとどれくらいできるかわからないが、
できた分だけを満足しておこう。
それが、1年分の満足感とするしかない。
プラスだけをみて、満足しよう。
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●祭りの楽しみ方:No. 650● 2002.12.15

今朝は暖かい。
積もった雪のせいもあるのだろうか、
暖かい。
昨日は、天気がよかったので、
雪かきの後、
子供たちは、待望の雪遊びをした。
家内が連れて行き、
私は、買い物のに出かけた。

子供の正月のお年玉代わりに、
長男にはレゴのブロックでスターウォーズ、
次男にはハリーポッターの汽車を
それぞれ買うことにした。
スターウォーズのレゴを近所で
通信販売している人は
昨日の夕方届けてくれた。
お正月用だから、
今は隠してある。

お正月のことをもう準備しているのである。
まあ、セレモニー、祭りとして準備を
早くから初めて、長く楽しむということである。
正月も、クリスマスも、
所詮人間がつくったもの。
だから、それを素直に楽しめばいいのだ。
もしかしたら、日本人は、
一番ものごとの楽しみ方を
知っているのかもしれない。
ものごとの、宗教的な部分を取り除いて、
楽しみだけをとっていく。
そんな楽しみ方をすることが、
本当の楽しみ方かもしれない。
わたしは、それすら排除して、
どんなときでも楽しみたいときに楽しめばいい、
楽しみたいときが祭りである
と考えているが、
なかなか受け入れられないようだ。
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●陽だまりの樹:No. 649● 2002.12.14

手塚治虫著「陽だまりの樹」
(ISBN4-09-192051-9 C-179): 2002.12.08
(ISBN4-09-192052-7 C-179): 2002.12.09
(ISBN4-09-192053-5 C-179): 2002.12.09
(ISBN4-09-192054-3 C-179): 2002.12.11
(ISBN4-09-192055-1 C-179): 2002.12.11
(ISBN4-09-192056-X C-179): 2002.12.13
(ISBN4-09-192057-8 C-179): 2002.12.14
(ISBN4-09-192058-6 C-179): 2002.12.14
を読んだ。

手塚治虫の3代前の先祖の話である。
幕末に、蘭学医として、生きた
先祖のはなしを、幕末の歴史上の人々
そして歴史に残らなかった人々
そんな多くの人たちの話である。
面白かった。
一気に読んでしまった。
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●苦しいが楽しい道:No. 648● 2002.12.13

とうとう雪が降った。
昨夜からの雪が、まだ降り続いている。
10cmから20cmは、積もったようだ。
これでやっと、北海道らしくなった。
朝早く、道を歩くと、
さすがに散歩であるいた人が少ないせいか、
歩道の踏み跡がほとんどない。
駅に向かう道では、歩道を歩いた跡がなく、
交通量の多い、車道を歩いているようだ。
私は、怖いので、誰も歩いたことのない
歩道を歩いた。
誰も歩いたことのない道は、
歩きにくく、疲れる。
でも、体は温まる。
これから、こんな日が続くのか、と思うと、
疲れてつらいような気持ちと、
えもいわれぬ楽しみや、
満足感が沸いてくるような、
なんともいえ気分である。

後期の講義が、あと1週間で終わる。
後期の講義は、なぜか疲れた。
前期は、無我夢中で、
あっという間に夏休みに入ってた。
後期は、定常的な忙しさ変わらないが、
新しいことを、いろいろはじめたので、
よりいっそう疲れたようだ。
でも、疲れるからと、
新しいことをはじめないと、
冒険もできないし、新天地も開けない。
つねに、誰も歩いてない道を、歩むことは、
疲れるが、でも、楽しいことである。
そして、あるとき、後を振り返ると、
自分がパイオニアとして歩いてきた道が、
はっきり刻まれているのである。

そんな、歩み方をしていきたい。
苦しいが、楽しい道、
そんな道をこれからも歩いていきたい。
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●自前サーバー:No. 647● 2002.12.12

今朝は、1時間ほど寝過ごした。
7時に家を出た。
外は明るく、今までのまったく景色が違う。
今日はそれほど寒くなる、
雪もけっこう降りだした。
でも、かさはいらない。
今日も遠回りして歩いてみた。
すると、気分が違うせいだろうか、
面白かった。
写真もいくつか取れた。

もしかすると、寒くて暗いと、
気力まで萎えてしまうのかもしれない。
それに、ここ数日、寝不足でもあった。

さて、残すところあと少しである。
Linuxがうまくかない。
だから、ホームページの立ち上げが
うまくいかない。
どうしようか。
判断に迷ってきまう。
これも、気力が萎えている証拠だ。
サーバーがなくとも、
とりあえずは、ホームページを
製作しておけばいいのだ。
今回企画しているホームページは、
高解像の画像つきデータベースの
実験である。
通信環境の高速化が進んできた現在、
数年後には、いままでのWEBの画像が、
解像度が悪く使い物に
ならなくなると予想される。
そのような事態が起こる前に、
事前に、高解像度の画像データベースをつくり、
テストしていくということである。
そのためのサーバーを
自分のところに置きたいのだが、
それがうまくいかないのである。
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●真新しさ:No. 646● 2002.12.11

今朝も寒かった。
非常に細かい、
まさに粉雪といいうべき雪が、降っていた。
目では、暗いせいかほとんど見えず。
さらさらと顔に当たること、
服やかばんに白くつもること、
街頭のあかりを透かすこと、
などによって、
やっと確認でき程度の小さな雪である。

最近寒いせいか、あるいは暗いせいか、
写真がなかなか取れない。
ジャンバーのポケットには、
いつものようにデジカメは入れている。
でも、なかなか撮れない。
歩くコースだって、ここ2日は、
一度も通ったことのない、
道を歩いている。

この回り道が面白い。
少しだけ遠回りだが、
この道が、こんなところに出るかのか、
こんなところがあるのかという、
小さな発見が生まれる。
ささやかな真新しいさ。
そんな真新しさは、
少々の努力と、少々の決断が必要だが、
目には見えないが、
単に歩く量が増える、
単に時間がかかるという
物理的な変化以上ものを与えてくれる。
でも、限りある時間、
限りあるコースの中で、
そんな真新しさが見つけられたという、
満足感のプラスが一番なのかもしれない。
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●Linuxサーバー:No. 645● 2002.12.10

今朝も晴れで、寒かった。
なかなか雪が降らない。
先日もしょうしょう降っただけで、
その後は降らない。
冬型で寒いようだが、
札幌近郊は、西風では山があって、
なかなか雪が降らないようである。
北風になると、雪が降るようである。
まだ、日は上っていない。
空は明るいが、まだ日差しは見えない。

昨日は、Linuxをインストール使用としたが
またもやうまくいかない。
ハードディスクを認識しないのである。
どうしたものであろうか。
このままでは、サーバーでのデータベースが
なかなか構築できない。
そろそろ助けを呼ぼう。
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●12番目めの12分の1:No. 644● 2002.12.09

今朝は、晴れである。
冷え込んだ。
雪も少なく寒い冬である。
今は、8時前。
やっと上り始めた朝日に建物や木々が照らされる。
さて、今日から、講義はあと2週間。
そして、今年中にすべきことも多い。
近々、整理しておこう。

12月がくると、いつもあせる。
後一月という気持ちにせかされる。
12月も、12分の1に過ぎないのだけど、
人間が勝手に作った
暦に過ぎないのだけれど、
それを区切りにもし、励めるのなら
それもよしとしよう。
12個ある12分の1の12番目。
精一杯どたばたしよう。
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●やりたいこと:No. 643● 2002.12.08

今朝は、粉雪が舞っていた。
寒かった。
いつものように5時に起き、
6時半頃に大学に来る。
暖房(設置してある電気ヒーター)では、
部屋がなかなか暖まらない。

やりたいこと、
やらなかればならないこと、
いろいろある。
でも、なにから手をつけていいかわからない。
でも、こんなたときは、たいてい、
やらなければならないことでも、
やりたくないことより、
やりたいことを優先するのである。
まあ、人間だからしょうがないいことでもある。
まあ、日曜日でもあるし、
やらなかればならないことでもあるから、
それをしよう。
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●あの無限、この無限、どの無限?:No. 642● 2002.12.08

吉田武著「あの無限、この無限、どの無限?」
(ISBN4−532-16428-1 C0041)
を読んだ。

今回の吉田氏の著書は、
数学をねたに楽しい話題を提供するという
嗜好のものである。
お芝居調のものが18ある。
なかなか面白い嗜好である。

以前にも、ハノイの塔を題材にした
不思議な本を読んだが、
タイトルは忘れた。
確か横浜国立大学の先生が書かれていた
ような気がする。
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●科学教育の実践:No. 641● 2002.12.07

今日は、4時に一度目が醒めたが、
もう一度寝たら、寝過ごした。
7時であった。
それから顔だけ洗って、大学に出てきた。
7時30分であった。
レポート締め切りが昨日まであったので、
大量のレポートがたまっていた。
その受け取りの返事と印刷で、
1時間ほどかかった。
残された時間は、別のメールの返事を書くことにする。

考えたら、ここ1、2週間の自分を振り返ると、
私の講義およびその準備、
公務以外の時間は、
大部分が、
メールマガジンの原稿、
およびそのホームページ作成、
市民向けの科学普及ページ作り、
エンカルタの原稿執筆
などに多くの時間を費やしている。
市民への科学教育の実践
と考えるべきである。
ということは、このような実践を
ケーススタディとして、
そこから一般化、理論化をすることを
考えるべきである。
そして、その理論は多くの人が
利用できるということを
アピールすべきである。
これが、多くの時間を使っていることへの
生産的解消となる。
そして、私のライフワークの集大成となればいい。
さらに、科学への貢献となればいいと考えよう。
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●平均的日本人:No. 640● 2002.12.06

今朝は、やっと雪が降った。
うっすらと積もっていた。
そして私が出かけるときも降っていた。
寒いけれど、やっぱり
北海道の冬には雪が似合う。

昨日の学部の研究会で
学生の二極分化と消費者主義というのが
問題であるといいう発表がなされた。

二極分化とは、できる、できない、
熱心、不熱心、
熱意がある、ない
などの相反する分類でみたとき、
2つに別れ、その分かれる程度が
だんだん進んでいるということである。

もうひとつの消費者主義とは、
受身で情報をいれ、
何も考えず反応してしまうことである。
常に大切にされるお客様、
あるいはテレビをみる視聴者、
などという受動的立場で、
実生活、あるいは学校教育に
接している学生が増えてきているということである。

どちらも、重要な現状認識で、
もしこれが感覚ではなく、定量的に
そして客観性をもってしめせれば、
重要な社会の現状分析となる。
また、それに基づいて、
対応策がなされ、成功するのであれば
これは、日本の教育にとって、
あるいは日本の将来にとって、
非常に重要な貢献ができるのではないだろうか。
私たちの大学は、
日本の縮図と見ることができるのである。
うちの学生たちは、
一般市民と比べると、
突出もしていないし、底辺でもない。
多分、平均的日本人となる階層であろう。
だから、私たちの現状分析と対処策は、
日本にとって非常に有効なものとなるであろう。
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●ASTER:No. 639● 2002.12.05

今朝は、雨上がりであった。
雨である。
傘を持って家を出た。
風があって寒かった。
でも、雨である。
天気予報では雪の予報だったが、
雨である。
いつになったら雪になるのだろう。

2003年1月1日付けの新しい企画の
原稿、写真をそろえて、昨日送った。
ASTERという地球資源探査衛星の
画像を市民教育に
活用するためのプロジェクトである。
ASTER画像を管理するERSDACが
衛星画像とホームページの場、
そして管理をし、
私が、その画像にまつわる
地表と人間の視点でのエッセイを書き、
地表の画像を数点交えて公開する。
それが、1月1日付けで公開される。
つきに1回の更新だが、
私としては、これを新しい科学教育のあり方を
模索するひとつのケーススタディとしたい。
次は2月分の準備である。
セントへレンズを考えている。
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●アドルフに告ぐ:No. 638● 2002.12.05

手塚治虫著「アドルフに告ぐ」
(1巻 ISBN4-16-811013-3 C0179):2002.11.30
(2巻 ISBN4-16-811014-1 C0179):2002.12.02
(3巻 ISBN4-16-811015-X C0179):2002.12.02
(4巻 ISBN4-16-811016-8 C0179):2002.12.04
(5巻 ISBN4-16-811017-6 C0179):2002.12.04
を読んだ。

マンガも創造的産物である。
ここにかけられた、労力を思うと、
読み捨ててしまうの惜しいような気がする。
作者は、そんなこと百も承知で創作する。
マンガとはそんなものだ。
しかし、その手軽さゆえに、
活字メディアとはちがった、
膨大な読者を有する。
そして、いまや、子供から大人まで
多くの階層にその読者はいる。

私が、子供の頃、マンガは
教育上よくないもの
というレッテルを貼られていた。
しかし、マンガにも
文学と同じように深い内容をもつもの、
活字メディアのような批判精神を持っているもの、
教育に役立つもの、
マンガでしか表現できない世界があること、
など、新興の紙メディアとして
独自の位置を確保するにあたった。
その一番の功労者、手塚治虫である。
面白かった。
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●大根ごろし:No. 637● 2002.12.04

今朝は、冷え込んだ。
霜がいっぱい降りていた。
雪がなかなか降らない。
降らないのはいいのだが、
いつ降るのかという気持ちがして、
落ち着かない。
降るなら降ったで大変なのだが、
どっちつかずで気をもむのは大変だ。

長男は次男がうまくしゃべれない言葉があると
ついつい注意して修正させようとする。
しかし、まだ、長男自身も
うまくしゃべれない言葉がある。
簡単なところでは、
テレビ(テリビ、テビリなどとなる)、
ヘリコプター( ヘレコプター)
スパゲッティー(似てるけど違う不思議な発音)、
大根おろし(大根ごろし、となる )、
などがある。
また、長男は歌をよく歌うのだが、
アニメのテーマソングは、耳で覚えるので、
似たような発音をしているのだが、
よく聞くと、日本語ではないようは歌を歌っている。
耳の覚えるということはこういうことなのだ。
発音しにくいことは、何度も繰り返して
覚えていくようになるのだ。
これが、文化を身につけるということなのだ。
しかし、こんな難しい発音をもつ、
言葉を最初の人はよく扱えたものだ。
多分、文字から生まれた複合語や
発音体系の違う外来語だからなのかもしれない。
もともとは自分が発音しやすい
言語体系になっていたはずだ。
それが、他の多くの文化との交流で
単語や語彙が増えたので、
難しい発音を強いられるようになったのだろう。
でも、これも文化なのだ。
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●惑星学が解いた宇宙の謎:No. 636● 2002.12.04

井田茂著「惑星学が解いた宇宙の謎」
(ISBN4−89691-633-6 C0244)
を読んだ。

この本は、第一線級の研究者が書いた
最新の惑星学の普及書である。
目新しいことが、たくさん書かれていた。
非常に参考になった。
他の恒星で、惑星が発見されたたことによって、
太陽系の惑星学が個別の記載学的な
学問体系でなく、
やっと普遍的科学への歩みだしたのである。
その雰囲気が伝わる。
次は、地球学であり、
地球生命学であり、
地球知的生命学であり、
地球文明学が
普遍化していって欲しいものである。
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●アルコール:No. 635● 2002.12.03

今朝は、風はなかったが、
晴れのため、ぐっと冷え込んだ。
歩いている途中で、
空が明るくなりだしたが、
冷え込みも強くなった。
霜も降りていくように感じた。

木肌を何本かとった。
夜だと、風景を写しこむつもりが、
写らない。
暗闇である。
昼間の撮影法かもしれない。
まあ、さまざまに工夫してみよう。

昨日、家内とワインを飲んだ。
最近、私は疲れが抜けない。
睡眠はいつものようにとっているのだが、
眠りが浅いのかもしれないと思って、
睡眠薬代わりに、
ワインを飲むことにした。

ところが、家内と飲んでいると、
長男は酒がまずいと知っているのだが、
次男は欲しがる。
匂いをかいでいやだといいながら、
飲みたいという。
すっぱいといいながら、
一口なめた。
再度要求するので、
2口ほど、家内がなめさせた。
いつものように次男は陽気だが、
酔っぱらっているか、
それとも普段どおりなのわかならない。
次男、2歳アルコールの初体験であった。
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●色と形:No. 634● 2002.12.02

今朝は風がなかったので、
それほど寒くなかった。

昨日、子供を近所の公園で遊ばせているとき、
ふと、木々の枝ぶりや、
木肌が、不規則だが、
どことなく共通点があるようで、ないようで
不思議な模様に見えた。
カオスや複雑系などという
還元的視点も必要だが、
不思議さを少し集めてみることにする。
それだと、暗いときでも、
ストロボさえうまく使えればいい。
そして、普通、縦長の木だから、
縦位置にして撮っていたのだが、
逆転の発想で、撮る時は、
横位置にして、周りの景色も
ばかしながら入れようと思う。
すると、おぼろげがながら、
季節感や周りの環境なども
映しこむことができる。
それをしばらくしていくことにする。

そして、全体として、
「色と形」 というテーマで統一しよう。
現在、木の形、木肌の模様、川の形、
雲の形(ステレオ写真)などが
このテーマで 組み込めそうである。
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●修行不足:No. 633● 2002.12.01

今日は、6時過ぎにおきた。
そのため、自宅で仕事をした。
10時過ぎまで台所でしたが、
なかなか集中できない。
台所のテーブルが私の自宅での仕事場。
一番いいとこは、ここだけ。
あとは、子供たちの領域。

以前、周りが少々うるさくても、
自分がやりたいことには集中できた。
しかし、最近はなかなか集中できない。
子供があばれているせいだろう。
家内が家事をしているときは気にならない。
しかし、子供が騒いでるときは、
あまり集中できない。
これは、集中力がなくなった
ということではなく、
子供が暴れていると注意したり、
近づいてくると、気になるからだろう。
まさに、集中を乱すからだ。
まだまだ、修行が足りないのだろうか。
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