思いつくまま

2002年11月
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目次 
●ラストスパート:No. 632● 2002.11.30
●現実逃避:No. 631● 2002.11.29
●人としての生き方:No. 630● 2002.11.28
●2001年宇宙の旅:No. 629● 2002.11.28
●素直な生き方:No. 628● 2002.11.27
●雲のステレオ写真:No. 627● 2002.11.26
●もう一人の師:No. 626 ● 2002.11.25
●疲れた:No. 625 ● 2002.11.24
●写真:No. 624 ● 2002.11.23
●人間関係の連結:No. 623 ● 2002.11.23
●ステレオ写真:No. 622 ● 2002.11.23
●縁:No. 621 ● 2002.11.23
●距離感:No. 620 ● 2002.11.23
●都会の生き方:No. 619● 2002.11.23
●銀世界:No. 617● 2002.11.21
●火山大ばくはつ:No. 616● 2002.11.21
●連絡アリ:No. 615● 2002.11.20
●Vine Linux 20. サーバー構築ブック:No. 614● 2002.11.20
●化石はなぜおもしろい:No. 613● 2002.11.20
●時計の人間性:No. 612● 2002.11.19
●先端と日常:No. 611● 2002.11.18
●地球環境と利己的:No. 610● 2002.11.17
●身近な分子たち:No. 609● 2002.11.17
●生活のリズム:No. 608● 2002.11.16
●鴉:No. 607● 2002.11.15
●地球ってほんとうにまあるいの?:No. 606● 2002.11.15
●ゼミナール:No. 605● 2002.11.14
●固体=結晶の世界:No. 604● 2002.11.14
●日の出:No. 603● 2002.11.13
●いいことと悪いこと:No. 602● 2002.11.12
●暖かい日:No. 601● 2002.11.11
●音が感情をくすぐる:No. 600● 2002.11.10
●木枯らし:No. 599● 2002.11.08
●20時間消失:No. 598● 2002.11.07
●障害体験:No. 597● 2002.11.06
●地層を調べる:No. 596● 2002.11.06
●固有文化の発信:No. 595● 2002.11.05
●浜辺のコレクション:No. 594● 2002.11.05
●ダイナミックに季節変化:No. 593● 2002.11.04
●温泉:No. 592● 2002.11.02
●番屋の湯:No. 591● 2002.11.02
●冬支度:No. 590● 2002.11.02
●地層はタイムカプセル:No. 589● 2002.11.02
●石狩川河口へ:No. 588● 2002.11.01
●空気の重さをはかるには:No. 587● 2002.11.01


●ラストスパート:No. 632● 2002.11.30

今日で11月も終わりだ。
昨夜、1月3日、温泉旅館を予約した。
さぐがに、大晦日、元旦、2日まで
予約が一杯だったが、
3日空いていた。
通常の2倍の料金である。
少々懐がいたいが、
今年は、実家へは帰らないことにした。
だから、これが、小出家の正月である。
小出家は、正月は
普通の生活をするつもりである。
だから、正月料理は、
旅館で食べることにする。

こんな来年の話をすること、
そして、年賀状を書き始める。
こんなことを、はじめると、
今年もあと残り少ないという気になる。
残すところ、いよいよあと1ヶ月。
それまでに、すべきことをできるだけ
こなしておこう。
まだ、12分の1残っているのだから。
いわゆるラストスパートをしよう。
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●現実逃避:No. 631● 2002.11.29

今日は、風もなく暖かだ。
朝来る時も、
雪も解け、落ち着いて歩くことができた。
風もなく、 背中を丸めることもなく歩いた。

入試の面接をした。
7人の人の面接をした。
みんな、もちろん緊張している。
そして、緊張のため、
長くしゃべることできない人もいた。
でも、初心にあたることを聞くと、
みんないい答をする。
しかし、現実の大学生をみていると
その初心をどの程度残しているか
疑問を感じてします。
決意としては、4年間その初心をもつ
といっている。
それが、大学に入ると、消えてしまう。
消えなくても、薄れていく人も多いようだ。
「初心、忘れるべからず」
昔から諺があるように、
初心を貫徹することが
如何にむつかしいかということでもあろう。
しかし、初心とはいってみれば、夢だ。
夢を忘れるとということは、
夢はいらないのだろうか。
あるいは夢よりもっといいものが
現実にはあるのだろうか。
もしそうなら、素晴らしい現実世界に
生きていることになる。

まあそんなことはないだろうから、
夢から逃避しているのだろう。
夢から現実への逃避。
現実逃避とは、
現実からの逃避とも、
現実への逃避とも解釈できる。
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●人としての生き方:No. 630● 2002.11.28

朝起きたら、雪が積もっていた。
風が強かった。
さらに、雨である。
かさを持ってでなかったので、
持ち歩いている折り畳み傘を広げた。
しかし、風で2度もかさがひっくり返った。
体を支えるのすらこんななほど突風が吹く。
足元は、ぐちょぐちょの雪である。
こんなときはなりふり構えない。
女子高校生がミニスカートをはいていると、
寒々してみえる。

昨日から今日にかけて、
大学では推薦入試が行われている。
今日は私も午後から面接を行う。
昨日も、教室の前で待っている生徒がいたが、
緊張のため、顔がこわばっている。
たぶん彼らにとって、こんな緊張感は
初めてであろう。
そして、その緊張感の中で、
自分自身をアピールしなければならない。
まるで、社会人が日ごろ行っている
ことと同じである。
これは社会勉強というより、
人としての生き方をひとつ経験していくという
ひとつのステップなのかもしれない。
今日は、そんな人たちの会話できることを
楽しみにしている。
そして私もはじめての経験で
少し緊張もしている。
私も人としての生き方を、
いまひとつ経験することになるのだろう。
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●2001年宇宙の旅:No. 629● 2002.11.28

アーサー・C・クラーク著
「2001年宇宙の旅」
(ISBN4−15-011000-X C0197)
を読んだ。

あまりにも有名なSF小説である。
また、キューブリック監督の
映画としても有名である。
この映画を前に見たことがあった。
難解であった。
しかし、1968年に封切られた映画だが、
特撮もさることながら、
コンセプト、目指すもの高さが
年を取った私に難解であった。
今回この小説を読んで、
再度見たくなった。
しかし、このようなエンディングになった、
SF小説を小松左京のもので読んだ記憶がある。
これころ若いころに読んだので
定かでない。
しかし、小説にしろ、映画にしろ、
内容が充実してれば、
十分評価に値するのである。
昔のSF小説や映画は、
ともすれば、幼稚であったり、
もう達成されている技術や内容のため
陳腐に見えたり
未来なの過去の古ぼけた感じがしたりする。
そんな古さをいつまでも持たないためには、
やはり内容の斬新さ、そして充実であろう。
この小説を読んで、
現実ではすでに過ぎ去った2001年が
描かれているのだが、
われわれの技術が
まだ小説や映画まで達していないという反省や
なぜ宇宙開発を途中でやめたのか、
宇宙への挑戦は所詮冷戦の賜物だったのか、
など、われわれが歩んできた
歴史の間違いに気づかされた。

この小説を、私は
推薦入学の学生への課題図書とした。
若い世代がどう反応するか楽しみである。
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●素直な生き方:No. 628● 2002.11.27

今日も暖かい日である。
積もった雪がほとんど解けてしまった。
まるで春を思わせるような天候だ。
北海道ではもう、冬支度は終わりのようだ。
あとは、雪を持つだけという感じである。
公園のブランコもも巻き上げられ、
除雪に邪魔になる柵などもとり払われ、
タイヤはすでにスタットレスである。
ワイパーも冬物の大きいのものに、
不凍液も買い込んだ。
根雪になるのは嫌だけど、
来る季節に対して準備はしなければならない。
巡る季節に対抗のしようはない。
ただ、素直に迎え、
できればそれを楽しみこと。
それが素直な生き方であろう。
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●雲のステレオ写真:No. 627● 2002.11.26

昨夜から今朝にかけては、雨だった。
まるで春ような天候だ。

昨日の東京からの帰りの飛行機は、
珍しく窓際にした。
それは、雲のステレオ写真に
挑戦してみたかったからだ。
昨日は、台風の影響で雲がたくさん出ていた。
だからチャンスだった。
それで、何枚も写真を窓から2枚セットでとった。
まだ、ステレオになるかどうか試してない。
これができれば、飛行機に乗る
別の楽しみもできたことになる。
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●もう一人の師:No. 626 ● 2002.11.25
もう一人の師。
彼と飲んだ。
彼のもとで直接指導を受けたことはない。
しかし、5年間同じ研究所にいた。
そして、硬派のそして、旧制高校的な知識人であった。
私が無意識にあこがれている世代である。
彼はそのレベルを明らかに意識して生きてきた。
それだけの努力の能力を持っていた。
彼とは毎日話した。
そして刺激を受けた。
けっして私に優しいわけではない。
でも、彼は私にとっては師である。
私が一番苦しく、不眠症におちいっていたとき
彼は私の家に来て飲んでいった。
ただそれだけだが、
彼は無口に慰めてくれたのだろう。
そんな彼と久しぶりに飲み、
そして話した。
楽しかった。
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●疲れた:No. 625 ● 2002.11.24
昨日は、9時過ぎにホテルに帰ったが、
知り合いと駅前の居酒屋で飲んだ。
楽しかった。
古い知り合い。
それも、師と呼ぶべきもう一人の人と飲んだ。
飲みすぎた。
二日酔いである。
小松から東京へ移動して、
秋葉原でハードディスクとケーブルを購入。
八重洲ブックセンターで本を購入。
今日は疲れた。
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●写真:No. 624 ● 2002.11.23
今日田崎家についたら、
私が今日の納骨式の司会をしろと、唐突に奥さんからいわれた。
引き受けた。
そして、最後に、何人かのひとが残った。
恩師の一家の古い写真を見せてもらった。
そして元気なころの恩師と家族が全員写っている写真を
2枚いただいた。
たぶん、家族全員と会うことはこれからほとんどないだろうかからである。
できれば、一周忌であいたが可能だろうか。
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●人間関係の連結:No. 623 ● 2002.11.23
とうとう師匠の納骨をした。
これが永久の別れではない。
死者は、生者の心の中でいきるはず。
生者が忘れないかぎり、故人は行き続ける。
そして、死者が、今まで生きてきたうちに作ったネットワーク、
人間関係が、すべて連結されるのがその人の節目の時である。
それは、転職のとき、定年のとき、
そしてその最後は死のときかもしれない。
だから、死者を中心としたネットワークが
一時的であるが、復活されると、
それは、集まった人が、懐かしく、そして故人に絡めた情報が氾濫す。
それでいいのだろう。
私は、堪能した。
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●ステレオ写真:No. 622 ● 2002.11.23
空の上から雲を眺める。
先日、新聞だったろうか、
飛行機から連続して2枚の雲の写真をとり、
その2枚をステレオ写真として見るという話があった。
今回は通路側に座ったのでできないが、
帰りの便では試してみよう。
もしかすると面白い写真となるかもしれない。
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●縁:No. 621 ● 2002.11.23
恩師の納骨式に参列する。
恩師が、恩師との家族を結び付けていた。
恩師が亡き後、
私と恩師の家族の結びつきは、
切れはしないにしても、
だんだん薄くなっていくであろう。
これが縁というものであろう。
縁とは、
望んだから濃くなるわけでもなく、
望んでも薄くなることもあり、
望まなくても濃くなることもあり、
望んでこそ濃くなることもある。
縁は奇なものであり、
御しがたきものである。
金沢もこれで、しばらく来ることがなくなるのだろうな。
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●距離感:No. 620 ● 2002.11.23
札幌は曇り。
雪が残っている。
もちろん朝は氷点下。
寒い朝である。
東京を経由して、金沢に行く。
長旅のようでもあり、
あっという間のような気がする。
輸送手段とは、
距離ではなく、時間が問題となる。
時間がかかれば、どんなに近くても遠く感じ、
時間がかからなければ、どんなに遠くても近く感じる。
これが、現在の距離感である。
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●都会の生き方:No. 619● 2002.11.23

今日も雪が降った。
昨夜は水を落としておいた。
水落しとは、水道管のの地上部分の水を
空っぽにして、
凍らないようにすることである。
初めてで家内も戸惑っていた。
あさ、水を出したら、
違う蛇口を閉めたいたので、
風呂場で大量の水が流れ出て、
スリッパを少々ぬらした。
でも、今は水抜きも、
自動装置がやってくれるのである。

明日から出かける。
金沢と東京で1泊ずつする。
それぞれ用事がある。
しかし、久しぶりに出かけるような気がする。
9月以来である。
時間があれば、いろいろあいた人もいるが、
今回は、東京で、2箇所で用事を済ます。
それと、秋葉原で買いものである。
あわただしい日程である。
でも、都会は用足しをするところと割り切ろう。
なぜ、田舎に住んでいるか。
それは、田舎がいいということと
都会がいやだということからだ。
それを忘れないようにしよう。
都会では、せいぜいあくせくしてこよう。
それが都会の生き方だからだ。
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●恐竜の足あとを追え:No. 618● 2002.11.22

松川正樹・小畠郁生著
「大地の研究 恐竜の足あとを追え」
(ISBN4-251-06402-X C8345)
を読んだ。

この本は、写真も多いが、文字が多かった。
しかし、面白かった。
中里村から見つかった漣(さざまに)の地層と
その上のくぼみ。
それが何かを探る物語である。
舞台は、韓国、アメリカまで広がっていく。
面白い。
これぞ、研究する面白みである。
答えからいえば、日本で最初に見つかった
恐竜の足跡化石あったのである。
それを探る研究者の試行錯誤のあとが
よく伝えれられている。

たぶん研究者には、
このような経験をした人がたくさんいると思う。
それを、市民にわかりやすく伝えれば、
こんな面白い、ストーリーはないと思う。
読みようによれば、
それは、ミステリーにもなるし、
サスペンスにもなるし、
ロマンスにも、大河小説、
SFにもなるかもしれない。
こんな経験をもっと公開すべきである。
そうすれば、科学の面白さを
より多くの人に伝えることができるはずである。
いい本であった。

ちなみに松川氏は、
私の科学教育の博士論文の主査に
なっていただく予定の人である。
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●銀世界:No. 617● 2002.11.21

朝起きたら、銀世界。
とうとうこの日がきたという感じだ。
それとなんなくわくわくする。
防寒靴でジャンバーのフードをつけて家を出た。
こんな雪の日にも、散歩をする人がいる。
家の近くの公園の道は、
4人と2匹の足跡があった。
駅に付近になると足とは増えている。
どこ歩いても、前に歩いた人の
足跡がある。
もちろん、一番目に付くのは
新聞配達の人の足跡である。
大学のキャンパスの一部だけ、
誰も歩いてないところを歩けた。

まだまだ降り続いている。
最近は寒いのでブラインドを閉めていたが、
今日は朝から全開である。
降りしきる雪を眺めながら仕事をしている。
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●火山大ばくはつ:No. 616● 2002.11.21

Franklyn M. Braney著
「地球たんけんたい3 火山大ばくはつ」
(ISBN4-86057-033-2 C8340)
を読んだ。

なんというか、あまり関心のしない本である。
内容も系統性がないし、
翻訳もよくない。
まあ、こんな本もあるのだろう。
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●連絡アリ:No. 615● 2002.11.20

今朝は結構寒かったが、
風なかったので、まだよかった。
暗いせいか、写真をとる題材がなかなか見つからない。
困ったものだ。
ついつい大学まできたら、
冬囲いがあったので撮った。
そこでバッテリー切れ。

ClubGeoのメンバーがレポートを書いてきた。
内容よりも書いてきてくれたことがうれしい。
こんなことはある。
久しぶりに知人から連絡があった時は
このような気持ちになる。
これは、手紙や葉書であろうが、
電話であろうが、メールであろうが、
メディアは関係ない。
連絡があることがいいのだ。
そして、連絡内容より、
行間から読み取れる、お互いの変化と
変わってないとことを考え、
月日がたって彼も変化したこと、
そしてやっぱり彼は彼だったなどという
さまざまな 気持ちが去来してくる。
今日はいい始まりであった。
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●Vine Linux 20. サーバー構築ブック:No. 614● 2002.11.20

堀口幹友著「Vine Linux 20. サーバー構築ブック」
(ISNB4-7561-3581-1 C3004)
を読んだ。

近々サーバーを構築使用と考えている。
そのために、Linuxの導入を考えた。
パソコン探したら、1台あったので借りた。
ハードディスクを取り替えねばならない。
初めてのことばかりだから、
大変だが、少しずつはじめていこう。

そのステップの一つがこの本である。
図書館で借りた本だが、
VineLinuxはVer2.5になっている。
現在、そのバーションの入門書を読んでいる。
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●化石はなぜおもしろい:No. 613● 2002.11.20

馬場勝良著「化石はなぜおもしろい」
(ISNB4-378-03862-5)
を読んだ。

子供向けの本だがいい本である。
地質に関する本は、
子供向けには、いい本がけっこうあることが
今回、子供向けの地質の本を
集中的に読んだことからわかってきた。
しかし、もちろん、生物の本に比べれば
地質学の本は圧倒的に少ない。
でも、程度の 差はあっても、
大人向けの地質学の本が
あっていはずなのに、少ない。
このような本を書く人が少ないのだろうか。
研究者の比率でいえば、十分いるはずである。
なのに少ないのである。
もしかすると、科学普及に関して、
地質学者は手を抜いているのかもしれない。
教科書は確かにある。
でも、大人向けの普及書が、
少ないのはなさけない。
私もその責任者の一人だが、
これから頑張っていこう。
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●時計の人間性:No. 612● 2002.11.19

今朝は少々寒かった。
いつもより10分ほど早く家をでた。
雪がちらついていた。
寒い夜明け前の道 を歩いていると、
歩き始めは、寒々しているため、
寂しい感じがする。
しかし、歩き出してしばらくして、
体が暖まってくると、
なんとなく気分がよくなってくる。
しかし、暗いと撮影素材が少なくなる。
これから、なにか定点観察のような素材を考え、
毎日あるいは数日置きに撮影するようにしよう。
そうすれば、日々の自然の変化が記録できる。
でも、何にするかがむつかしい。

さて、今日は、4時半頃起きた。
いつもより、30分ほど、早起きした。
それは、子供が目覚し時計をいじって、
目覚しのある時間をどうも早めたようだ。
そのため、条件反射で起きてしまった。
目覚まし時計が鳴る前なら、時間を確認するが、
鳴ったので条件反射で起きてしまったのだ。
トイレに入って顔を洗って時間を見たら、
5時前だった。
いまさら寝る訳にはいかないので、
そのまま、朝食を食べた。

時間というのは、人それぞれ流れていく。
しかし、社会生活をするということは、
その時間を一般の時刻に会わせて
行動してていくことである。
それを時計を使用する、使用しない、
という区分で分けていくとしよう。
時計を使用すること、あるいは時間を守ること
それが、人間性を高めることなのだろうか
それとも、人間性を低下させることなのだろうか。
時計なしで生きている人もいる。
時計があっても時間を守らない人がいる。
このような多様性が
人間性を複雑にしているのかもしれない。
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●先端と日常:No. 611● 2002.11.18

朝から雨である。
今日は、暖かい。
暖かいといっても、
ジャンバーは必要である。

自宅をADSLにした。
無線LANも、自宅ではつながるようになった。
しかし、大学では、ノートパソコンを
自宅の無線LAN用に設定したせいか、
メールのやり取りがうまくいかない。
また、あれこれいじることになるのか。
これが大変なのである。

環境をよくすることは、必要である。
いってみれば文明の必然でもある。
どの程度よくするかが問題である。
先端分野で新しい技術や研究をするときには、
常に新しいものに
チャレンジしていかなくてはならないだろう。
しかし、日常生活には、先端や新しいものは、
それほど必要ないはずである。
誰もかれもが、新しいもの、最新のものが
必要ではないはず。

確かに、多くの人が要求することにより、
商品が多く生産され、流通し、改良され、
安くなり、ますます普及する。
車、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、電卓、
ゲーム機、パソコン、携帯電話、マイホーム
などなどあげばきりなくそんな例はある。

一つ一つが長持ちし、そして愛着を持って、
その道具の寿命を使い切ればいいのだ。
すると、資源の消費もひどくなくなるのではないか。
もちろんその分高くなるかもしれない。
しかし、先端分野での研究も
もう少しのんびりと、そして節約して
おこなわれるのではないか。
そうすれば、いらない研究、重要でない研究には
見向きもされなくなるかもしれない。
最終的にはよりよい必要な研究だけが、
完成度をよくしてされるのではないか。
そんなことを考える。

でも、先端技術、科学と、
日常生活のギャップをどこまで許し、
このまで必要とするか。
この問題は、むつかしい。
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●地球環境と利己的:No. 610● 2002.11.17

確実に冬に突入した。
寒い。
昨日は、冬用の革靴を買いに行った。
裏に滑り止めのついた、
少々いかつい靴である。
でも、これで安心して歩ける。
研究室には、夏用の革靴が一組置いている。
それは、雪が激しく降った日には、
防寒靴で来なければならないからだ。
いやいよ冬の体勢も整ってきた。
あとは、厳冬期用のジャンバーだが、
それは折を見て買おう。

私は、もともと、
安いものを長く使うというタイプの人間である。
だから、安いものがいいもである、
と考えてきた。
でもDialogを書いているうちに、
安いものより、長持ちのするもの、
愛着が湧くものがいいものではないかという
極普通に考えるようになってきた。
おおくの地球環境保護論者と同じである。

しかし、少し違う。
それは、地球などという
見えない、対象ないもの、
いってみれば 現代の「神様」でなく、
自分がお金を中心に
つまり安いものが私にいいもの、是であった。
それは、裏返しの経済主義の肯定である。
つまり安いものは大量生産という
経済中心の権化のようなものである。
もっと自己中心的に、
自分にあったものを、
それはもちろん、私には安いものがいいけれど、
簡単に買わず、本当に必要なものだけを
吟味して買うべきである。
そしていったん買ったら、
長く使うべきであるという考えである。
実現するのはむつかしいが、
このような利己的なのだが、
大きな視点では、
それが最終的に地球に優しくなるものが
いいでのはないか。
江戸時代は、ものがないから
しかたなくそうなっていた。
でも現在は、だれでもそうしたくなる動機で、
それが地球に優しいという方法である。
そんな動機は、「利己的」「こだわり」などという、
流布している、贅沢へのきわみ
のような言葉かもしれない。
うまくいえないが、最近そんなことを考えている。
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●身近な分子たち:No. 609● 2002.11.17

板倉聖宣・吉村七郎著
「サイエンスシアターシリーズ[原子分子編2]
身近な分子たち」
(ISNB4-7735-0158-8 C0340)
を読んだ。

シリーズの第2巻である。
4巻も先日読んだ。
なんとなくやろうとしていることは理解できた。
しかし、このサイエンスシアターの
本当の面白さは、
シアターに参加することではないだろうか。
私たちが、12月におこなっていた講座は、
講座に参加した人が楽しいのであって、
その時の情報、例えば、テキスト、ワークシート
映像にしても、
やはりどうしても受動的である。
聴講するとといっても、どうしても、
現地まで苦労して足を運び、
なまで見て、体験するこれが、
一番大切なことであろう。
確かに、知識は、
別の媒体で伝えられるであろう。
資料やデータも同じものが提供できるだろう。
欲している人には
それで充分まかなわれるであおる。
でも、目の前でおこることを感じること。
Live感覚。
これこそ、醍醐味、真髄、
「百聞は一見にしかず」 であろう。
やはり、別メディアとは、どうしても、
副次的なものであろう。

ダイキシンイについて紹介あされていた。
炭素12個、水素4個、塩素4個、酸素2個からなる。
正式名称は、
2,3,7,8-テトラ・クロロ・ジベンゾ・パラジオキシン
である。
ジ(di)をダイとも英語ではいうから
ダイオキシンという。
似た構造をもつものを
すべてダイオキシンと呼んでいる 。
重い分子 だが、チリにくっついて空中を漂う。
毒性が強く、1pgでも問題になる。
アメリカ軍が除草剤をベトナム戦争で
撒いたときに不純物として含まれていた。
塩素のはいったプラスチックを
低温で燃やしても
ダイオキシンがでてくることがわかった。
ポリ塩化ビニルとポリ塩化ビニリデン
などがそうである。
高温で燃やせは大丈夫だが、
低温だとダイオキシンがでてくる。
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●生活のリズム:No. 608● 2002.11.16

今朝は土曜日だから車できた。
寒かったので、車ががりがりに凍っていた。
うっすらと雪も積もっていた。

最近、生活のリズムができてきた。
忙しさには変わりはないのだが、
生活のパターンのようなものができてきた。
「つぎ、何しようか」といちいち考えなくても、
「次はこれ」、「あれは、これくらいかければできる」
という、
時間の配分ができるようになってきた。
その分、だいぶ気が楽になってきた。
だから、新しいことをはじめることが
できるようになってきた。

でも、忙しいことは、忙しい。
いずれにしても、
馬車馬のように働くこと、
止れば死んでしまうマグロ?のように
働くこと、動くことに、
快感を覚えてもいるわけである。
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●鴉:No. 607● 2002.11.15

今朝は寒かった。
うっすらと雪が積もっていた。
4時過ぎに起きたが、
布団の中で1時間ほど
本を読んでから起きた。
いつもより10分ほど早く家を出た。
5時50分 。
いつもと違う公園の中の道を歩いてみる。
日が出てない道を歩いたので、
少しいつも違っていた。
でもあまりに寒かったので、
写真を撮れなかった。
早く寒さになれなければ。

朝のこの時間帯は、鴉の出勤時間なのだ。
鴉が騒がしい。
夕方にも出くわすことがあるが、
騒々しいのを通り越して、
怖いような数そ騒音である。
都会生活に一番適応しているのは
人間だとしても、
逞しい生き物たちは、
強く都会生活に適応している。
彼らはもちろん野生動物だ。
やがて鴉とは、都会で生活する生き物で、
そこでの生態が、生物学の教科書に載るのだろうか。
山や原野で生活する鴉は、
もうノスタルジーの世界でしかなく、
少数派になってしまうのだろうか。
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●地球ってほんとうにまあるいの?:No. 606● 2002.11.15

板倉聖宣著
「地球ってほんとうにまあるいの?」
という本を読んだ。

この本は、あえてカラー図版を使わずに、
白黒の絵を使っている。
だったら、文字だけで書いてもいいのに、
挿絵を使っている。
文字主体の本として、
磁石の本を著者は書いているのだから、
それにならって良かったのに。

でも、この本は面白かった。
地球が丸いのを、さまざまな視点で
捉え、説明を試みている。
手っ取り早く、
宇宙から見た地球の写真を使えば、
それで、一目瞭然だが、
そこには、驚きも、好奇心も湧かない
ことを指摘している。
最もな指摘である。
まず、常識を疑って、
その常識を修正して
イメージできるようなさまざまな試みをし、
そこには、昔の人の工夫も加えて、
知のプロセスをつくっている。

このような知のプロセスは、
たとえば、
小さくて見えない原子、
遅くて見えない進化、
目では見えない電波や音
などを調べるのに役立つことである。
そしてイメージすることの
大切さを教えている。
いい本であった。
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●ゼミナール:No. 605● 2002.11.14

朝は、晴れであった。
そのため、今日は寒かった。
雪がうっすらと積もっていた。
薄い雪化粧というのだろうか。
新鮮であった。
公園の脇の家で、
雪囲い一杯しているところがあった。
鳥の餌台にまで雪囲いがしてあった。

来年の講義スケジュールを組んでいる。
少数のゼミナールを2コマと、
北大の非常勤で1コマ
増える予定である。
だから、前期は7コマ、
後期は6コマの講義を担当することになる。
一気に講義数を増やした。
それは、大人数の講義とは
全く違った講義をしたいからだ。
理想としては、数名の真面目な学生だけで
おこないたいが多分無理だろう。
でも、名前と顔が一致するような講義を
やりたいというのが一番の目的である。
そして、少人数であれば、
かなり変わった講義形態も
可能であると考えられる。
大変かもしれないが、
いまから何をおこなうか楽しみである。
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●固体=結晶の世界:No. 604● 2002.11.14

板倉聖宣・山田正男著
「固体=結晶の世界 ミョウバンからゼオライトまで」
(ISBN4-7735-0163-4 C0340)
を読んだ。

この本は、サイエンスシアターという
公開の科学実験講座を
題材にした本である。
これは、なにも真新しいことではなく、
イギリスのクリスマスレクチャーを
筆頭に、
私たちが博物館でおこなっていた講座も
同じようなものである。

ただこのシリーズは、仮説実験授業という
板倉氏の科学に興味を持つための
授業をベースにしたもので、
授業の実践と、
多くの教員の智恵や工夫の集大成という点で
すぐれた点を持っている。
これが、知的資産の積み重ねというものであろう。
いいことを、重要なことを継続することこそ、
一つ一つは小さくても、
集めれば、力となるという実践である。
私は、集団を好まないので、
一人か、気のある人数名で、
なにか新しいことを成し遂げたいと思っている。
この本は、内容より 姿勢が勉強になった。
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●日の出:No. 603● 2002.11.13

今朝は寒かった。
歩いている時に雪が舞いだした。
昨日、一端融けた雪の上に、
大粒の雪が少し積もり始めていた。

大学に着く頃に朝日が上りだした。
6時22分に日の出である。
天文年鑑によると、
札幌で一番日の出が遅いのは、
1月上旬の7時6分である。
12月1日で6時45分、
2月1日で6時51分である。

ということは、
12月から1月にかけては、
今の通勤時間では、
真っ暗な状態で通うことになる。
これでは、写真撮影は、
ストロボ撮影ばかりになるかもしれない。
まあ、気にしてもしょうがない。
できる範囲で、負担が最小限でやるしかない。
それでも、自然を見直すことができれば、
それはそれで素晴らしいことではないか。
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●いいことと悪いこと:No. 602● 2002.11.12

今日は暖かい。
雪がこの暖かい雨で、
全部融けたようだ。
今日は、暗かったので写真を撮れなかった。
継続していたことが途切れたような気がする。

しかし、これには、いいことと、
悪いことが含まれている。
悪いこととは、文字通り、
続けようと考えていたことが、
継続できなかったことである。

いいことは、続けることの意義を
再確認できたことである。
続ける意義があればいいが、
続けることが目標としてしまってないか、
ということを、 気付かせてくれたことである。
つまり、続けることの本当を意義を
見失ってしまってないかということを
考えるきっかけになったことである。

「身近な自然」は続けるつもりである。
しかし、それは、自分自身が身近な自然を
よりよく知るために継続していることである。
そして、心に止ったことがあれば、
毎日でもいいし、
気付くことがなければ、時々でもいいのである。
「身近な自然」の目的は、
写真をとることではなく、
身近な自然に気付く心を養うことである。

こもような初心を忘れていては、
これを続ける意味もない。
そんなことに気付かせてくれたことが、
いいことであった。
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●暖かい日:No. 601● 2002.11.11

雪が降っては融けての繰り返し。
これがやがて根雪になるのだ。
今朝は、曇っていて、いつもより暗かった。
そのせいか、今朝はそんなに寒くなかった。
しかし、外は昨日融けた雪が、
凍って滑りやすかった。
クツも滑り止めがついたものが必要だ。

今日中に、ここ2月ほど真剣に取り組んでいた、
D論の第2校を完成させる予定である。
でも、10日余り遅れた。
予定の期日に間に合わず、
少し遅れるかもしれない。
まあ、しかたがない、
努力が足りなかったせいであろう。
しかし、終わらせてからの話しだ。
今日は大変だが、最後の詰めだ。
暖かい日であって欲しい。
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●音が感情をくすぐる:No. 600● 2002.11.10

昨日と今日は雪が激しく降っている。
昨日は2時間ほど寝過ごしたが、
大学に来て仕事をした。
今日は、いつもより少し早くきた。
かろうじて大学が空いていて良かった。
風か強く吹雪き状態である。
風もなく雪が降ると
静けさが増す。
雪が消音効果をだすのだろうか。
シーンとした静けさが
ただよっているように感じる。
しかし、風が吹くと、
ヒューッと寒々とした音をだす。
ひとは、音にも季節や感情をくすぐられる。
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●木枯らし:No. 599● 2002.11.08

1時間寝過ごした。
そんため、いつもより30分ほど遅く、
家をでた。
すると、いつもと違って、かなり明るく
写真も取りやすかった。

今日は風が強く、
多くの木々が葉を落としていた。
向かいの家の紅葉が
一晩で葉を落としていた。
驚いた。
公園でも、多くの木から葉がなくなっていた。
そんなに冷たい風ではないが、
強いか風が吹いていた。
これが「木枯らし」なのだろうか。
まさに、一晩で木を枯らすように
葉を落としてしまった。
毎日の季節の移り変わりは、
めまぐるしく、
追いかけるのが大変だ。
でもそれは楽しいことである。
私にとっては、
朝のほんの30分ほどの
通勤中の自然史である。
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●20時間消失:No. 598● 2002.11.07

今日は天気がよくって快晴であった。
放射冷却で寒かった。
水溜りは氷、
歩道もあちこち凍り、
霜が一杯降りていた。
手稲の山並みは白く、
冬景色である。

今日は、5時前に起き、
6時少し前に家を出た。
考えると前の職場より
仕事時間は増えたのだろうか。

増えたような気がするのだが、
少し考えてみる。

通勤時間は、以前は往復で2時間、
現在は、1時間弱。
職場につく時間は、1時間ほど早い。
職場を出る時間、30分ほど遅い。
職場で昼食、休憩時間は、
今は1時間ほど少ない。
いや、今は、
ほとんど休息していないことも多い。
昼食も仕事をしながら、
おにぎりやパンをとっている。
つまり、一日あたり、現在の方が、
2時間半は、仕事のための時間を
多くとっている。
また、休みの日も、
一番頭の働く朝の3時間ほど研究室にきて、
仕事をしている。
だから、週にすると、
18時間ほど多く仕事をしていることになる。
しかし、増えた分は
講義とその準備に使っている。
講義に、週6時間、その準備に12時間使っている。
朝の1時間は、
メールとホームページ運営に使っている。

現在の私の実動時間は、
週60時間ほどである。
会議に、3時間、
講義とその準備に、18時間 、
メールとホームページ運営に、7時間、
メールマガジン作成に、3時間、
食事、移動、トレイなど、7時間、
と、計算すると22時間が、
研究する時間として残されているはずだが、
実感として、そんな時間はない。
私の貴重な20時間は
どこにいったのだろうか。
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●障害体験:No. 597● 2002.11.06

このところ天気が悪い。
でも、今日は比較的暖かかった。
でも、吐く息が白くなるていどには寒い。
でも、霧雨が降っていた。

メガネをすると、
雨のときや
冬に暖かい部屋に入るときこまる。
これは、メガネをしている人に
当たり前の問題だが、
してない人には案外理解できない。
雨の時は、メガネが濡れるので
みづらくなることである。
寒いところから暖かいところへはいると、
メガネがくもってなにも見えなくなるのである。
メガネも、一種の障害である。
障害は、障害のない人からは
なかなか理解されないことが、
このような例も、体験できる。
と考えている。
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●地層を調べる:No. 596● 2002.11.06

馬場勝良著「地層を調べる
−たのしいフィールドワーク−」
(ISBN4-378-03888-9 C8344)
を読んだ。

内容は、小学生にも分かりやすいものである。
内容は子供たちが、
地層を調べたい
という気になるようなものである。
でも、文字中心の進め方のせいか、
もうひとつ面白みにかける。
でも、これもひとつのすすめかたであろう。
まじめに、本道をいくやり方である。
図鑑のようで、
内容も、読み物として充実しているもの
という希望は望みすぎだろうか。
でも、そのようなものができれば
と考えている。
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●固有文化の発信:No. 595● 2002.11.05

朝から霙(みぞれ)であった。
多分夜中は雪だったのだろう。
まだ、秋と冬の境界付近である。
このような季節を何というのだろうか。

昼と夜の境界に夕方があるように、
北海道には夏と冬の境界に、
秋があるのかもしれない。
となると、北海道は四季ではなく、
二季で、その境界が、春と秋だ。

こんな季節感に慣れると
これはこれでわかりいいかもしれない。
そして、北海道固有の生活の
歳時記を生んでいく必要があるのだろう。
それが、それぞれの地域の文化
というものだろう。
なにも、マスコミが流す東京の文化だけが、
日本ではない。
その地域にしかない自然を、
その地のひとが発信すれば、
地域文化となるのであろう。
これが、私のいう固有文化の発信である。
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●浜辺のコレクション:No. 594● 2002.11.05

浜口哲一・池田等著「浜辺のコレクション」
(ISBN4-577-02111-0 C8740)
を読んだ。

この本の著者浜口氏は、
平塚博物館の学芸員である。
なんどかあったことがある。
そして浜辺で漂着物を
調査しているということも聞いていた。
しかし、このような本が出しているというのは、
知らなかった。
この本は、なかなかいい本である。
私も、北海道の川で、
このようなものができたら
いいと考えている。

私が理想とする、
子どもから大人までの図鑑は、
以下のようなものである。
専門家が見ても納得できるほど、
資料がよくなくてはならない。
プロ並みに写真が
きれいでなければならない。
そして、それがさりげなく
見せなければならない。
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●ダイナミックに季節変化:No. 593● 2002.11.04

快晴で寒い朝だ。
日陰には雪がとけ残り、
遠くの山には初雪で白く、
木々は最後の冬支度で紅葉を急いでる。
めまぐるしく季節の装いが変化する。
ダイナミックに季節が秋から冬に変わる。
日々その変化が見えていくようだ。

今日は家族で、札幌に買い物に行く。
やはり、都会でないと入手しにくいものもある。
それと、美味しいものである。
数ヶ月に一度の町への買出しである。
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●温泉:No. 592● 2002.11.02

ここの温泉は、36.5℃だそうである。
だから沸かしているはずである。
温泉を沸かすと邪道だ、うめるぐらいがいい
という人がいるかもしれない。
日本では、1948年に制定された
温泉法という法律で定められている。
25°C以上を温泉としている。
だから、ぬるくても温泉といって大丈夫なのである。
また、25℃未満でも、
ある特定の成分を法律上の値以上ふくんでいれば、
温泉といえるのである。
その成分とは、法律上19の成分あげられている。
全溶存成分量、遊離炭酸、Li+、Sr2+、Ba2+
、総鉄イオン、Mn2+、H+、Br-、I-、F-、
ヒドロヒ酸イオン、メタ亜ヒ酸、総イオウ、HBO2、
H2SiO2、NaHCO3、Rn,ラジウム塩
である。
しかし、よく考えると、
うめた温泉は、溶存成分は、うめた分だけ薄まる。
ということは、温泉の効能が、溶存成分にあるのなら、
その効能の効果が弱まることがある。
ところが、沸かす温泉は、水の蒸発による、
成分の濃集は起こりうる。
つまり、沸かした温泉は、効能およぼす成分が
濃くなることがあるが、薄まることはない。
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●番屋の湯:No. 591● 2002.11.02

石狩の番屋の湯に来ている。
目の前は、石狩湾である。
吹雪である。
波も荒い。
しかし、がんばって、長男と風呂に入った。
ここの温泉は塩分を含む。
海のすぐそばだからだとおもっていたら、
説明を読むと、
「化石海水」というもので、
新第三紀末のころの海水だという。
基盤となる地層が新第三紀なのだろう。
深い地層の地下水は、塩分を含むものが多く、
地層堆積時から含まれていた水を、化石海水という。
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●冬支度:No. 590● 2002.11.02

とうとう本格的な雪が降った。
朝大学に行くのもやめた。
ただ、パソコンを置いたままだったので、
あさ、それだけをとりに、
大学にでかけた。
もちろん、先日買った、
防寒靴を履いてである。
例年より半月ほど早い感じである。
今日は、雪かき用のスコップ、そり、
それと車用のはけを買い、
タイヤをスタットレスにした。
とうとう冬支度である。
でも、今日は石狩川河口に
石を取りに行くつもりであった。
でも、今日は家庭サービスの温泉旅行である。
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●地層はタイムカプセル:No. 589● 2002.11.02

地学団体研究会編「シリーズ・自然にチャレンジ9
地層はタイムカプセル」
(ISBN4-272-44019-5 C8340)
を読んだ。
4人の子供を主人公にして、
地層を調べていく話である。
面白くよくできている。
そして、地層の基本的な調べ方が、
書いてあった。
これ自身がオリジナリティーだが、
やはり予想できるオリジナリティである。
その点が面白くない。
さかし、このような教材は、
総合学習に利用するには
ちょうどいいのかもしれない。
でも、この本は、1987年に出版されたものである。
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●石狩川河口へ:No. 588● 2002.11.01

今日の天気が悪い。
山並みはまだ白いままである。
今度の土曜日は、
急遽、石狩川の河口に石を取りに行くことにした。
近くの温泉宿にキャンセルあったのだ。
天気があまりよくなさそうだが、
できれば、石だけはとりたい。
問題は、河口付近で、石の川原があるかどうかだ。
多分、むつかしいと思う。
そのときは、画像、動画、砂となるだろう。
河口にいって、うろうろするしかないだろう。
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●空気の重さをはかるには:No. 587● 2002.11.01

板倉聖宣著「いたずらはかせのかがくの本8
空気の重さをはかるには」
を読んだ。
面白い本であった。
原理がわかれば、いいのだが、
このようは意表をつくネタを
集めるのは大変だ。
これが、科学の導入にはいいかもしれないが、
この調子で、科学全体を
話すことはできるのだろうか。
仮説実験授業とは、
それをおこなっているのだろうか。
私は、よく分からないが、
高校まで、このような理科教育を受けた
子どもは、どのような子どもになるのだろか。
楽しみな気がする。
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