読書メモ

「思いつくまま」に掲載した
読書に関するメモをまとめした。

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目次 
17 1000冊を達成して: 2013.10.17
16 無理せずがんばる: 2007.12.31
15 読書時間: 2004.04.08
14 読書: 2003.01.01
13 図鑑の理想: 2002.11.05
12 隠喩: 2002.08.14
11 グールドへの道: 2002.07.01
10 評価● 2002.06.07
9 地質と哲学● 2002.06.07
8 読書時間● 2002.06.07
7 ハリーポッター● 2002.5.19
6 宇宙の語源● 2002.04.24
5 読書時間の確保● 2002.04.18
4 お薦めの本● 2002.02.18
3 蕩蕩と● 2002.02.18
2 リンドグレン女史の死● 2002.02.05
1 私の読書● 2002.1.24


17 1000冊を達成して: 2013.10.17

この書庫の記録をつけ始めて
1000冊になった。
2001年12月までに読んだ本から初めて、
2002年1月からナンバーをつけ始めて
公式に記録し始めた。
見返すと、初期は読書以外のメモも書いていたが、
最近では読書メモだけをおこなっている。
スタートから数えて12年で1000冊になった。
読書量としては、月8冊程度の読書となっている。
平均週2冊程度。
一時は研究に関係する専門書のみを
読むことを義務付けていた時期もあった。
専門書を読んだという達成感、
新しい知識も少しは手に入れた。
しかし、そのため小説を読まないと
ストレスが溜まってきた。
読書や息抜き、気分転換になっていたのだ。
最近は、無理せず、読みたいものを
興味にまかせて読んでいる。
いろいろ面白い作家が発見できた。
無理せず、心の赴くままに。
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16 無理せずがんばる: 2007.12.31

北海道に来てから、特別な目的なしには
小説は読まないようにしていた。
それは、通勤を徒歩にかえて、
体を鍛える時間としたため、
本を読む時間が少なくなったので、
読むべき本が読めなくなるからだ。
今まで読書メモを取っていたので、
記録を見ると、年間30から40冊を読みきっている。
非常に少ない冊数である。
まあ、1週間から10日に1冊ほどのスピードである。
内容のある科学書なら、
一日の読書時間として
1時間から2時間ほどしか取れないのなら、
その程度のスピードなのだろう。
しかし、今年夏あたりから、
それにあまりしばられないようにした。
特別な意味はなかった。
ただ、面白そうな本があり、
読んだら面白かったからだ。
すると一気に小説を読むようになった。
読書の82冊と冊数は増えた。
そして結果として専門的な本を読むのは減った。
まあ仕方のないことだが、
要は、読書時間増やすには
むだな時間を読書に当てればいいのだが、
なかなまままならないのが実情だ。
まあ好きなものも、気楽なものも、
そしてがんばるものもすべてほどほどにしていこう。
無理せず、でもがんばる、
余裕を持ってがんばるというのが、
自分にあっているようだ。
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15 読書時間: 2004.04.08

本が読みたいがなかなか読めない。
月に3、4冊読むのがやっとだ。
それも寝る前に少し読むだけでなので、
なかなかはかどらない。
家内は、大好きなサスペンスやミステリーを
毎月5、6冊は読んでいるだろうか。
私も読みたいのだが、もはや読む時間がない。
以前から時間がないので切り捨てた。
仕事で必要なものは、必要なところだけを、
見たり読んだりするだけである。
必要とあらば何度でも読み返す。
これは仕事だから、読書の時間には入れてない。
それでも、1冊の本を
じっくり読むことはなくなってきた。
自分にとって、24時間は
あまりに少ない限られた時間だ。
その結果、まとまったものを読む時間を削ったのだ。
こんな読書時間が、もしかすると
ストレス解消になっていたのかもしれないが、
なかなかできない。
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14 読書: 2003.01.01

さっき、今朝の明け方読み終わった本の
読書メモを入力した。
1年間読んだ本の数は、
79冊であった。
研究のための本は入っていない。
まあ、研究のために、1冊の本を
精読していくことは、最近はなくなった。
もしかしたら、
教科書あるいは読むべき本として
1冊の本を読みきるというのは、
若い頃のとにこそできることなのかもしれない。
忙しさ、そして、時間が細切れになる
という大人特有の理由によって、
読書する時間が削られている。
ないよりも、精読する体力、
それと、読みきるぞという強い意思
など、なくなっているのかもしれない。
これを、老化というべきなのかもしれない。
そんな老人には、
要領で逃れるしかない。
流し読み、つまみ読みである。
でも、専門のところはそれですむが、
専門外のものはそうは行かない。
それを、自分自身に付け加えるために、
私は、趣味の読書を大分減らした。
でも、振り返ってみると、
半分以上は、趣味の部分なっている。
さて、今年1年はどんな本が、
どれくらい読めるだろうか。
本との出会いは、素晴らしいものがある。
そんなすばらしい出会いを求めて、
読書を細々とながら続けよう。
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13 図鑑の理想: 2002.11.05

私が理想とする、
子どもから大人までの図鑑は、
以下のようなものである。
専門家が見ても納得できるほど、
資料がよくなくてはならない。
プロ並みに写真が
きれいでなければならない。
そして、それがさりげなく
見せなければならない。
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12 隠喩: 2002.08.14

言葉というのは、一人歩きするものである。
もともと違う意味なのに、
いまでは、まったく違った意味となっていることもある。
もともとの意味どおりの解釈を忘れていることすらある。
ひどい時には、もとの意味だと間違っている
とさえいわれることもある。

隠喩に関するエッセイが、
スチーヴン・ジェイ・グールド著の
エッセイ集「干し草の中の恐竜」(下巻)
(ISBN4-15-208299-2 C0045)の
「34章 三世代四つの隠喩」にでている。

グールドがギリシアにいたとき、
英語ではもったぶった言葉が、
その言葉が生まれたギリシアでは、
ごく普通の日常語として使われているという。
英語の停滞(スタシス)は、専門的で固有の使われ方をしている。
しかし、ギリシアで「スタシス」はバス停のことなのである。
バスが「止る」(バス・ストップ)のことなのである。
その他にもグールドは、さまざまな語源を見つけて楽しんでいる。

言葉は、生き物(これも隠喩)である。
そして、それぞれの国や民族の歴史を反映している。
もちろん、変化している。
ある時代には正しかった言葉やその使い方が、
後の時代では、誰も使わない
あるいは間違っているとさえいわれることもある。

でも、予期していない時、
突然、比喩の直喩ではなく隠喩がでてくると戸惑う。
何事にも、文脈の理解が必要であろう。
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11 グールドへの道: 2002.07.01
「Terra Cognita」のLetterより転載。

 私の専門は地質学でも、岩石学や地球科学とよばれる分野です。ですから、グールドの専門の古生物学とは、少しずれています。専門が違うので、私は、グールドの論文は、読んだことがありません。多分今後も読まないと思います。でも、彼の書いたエッセイや書籍は、いくつか読んでいます。そして、彼のその博識と深い思索には、いつも感銘を受けていました。
 私は、グールドとは、まったく面識はないのですが、彼の研究態度や研究手法に感銘を受けていたので、できれば、彼のところに、1年間滞在できないかと考えていました。それは、今いる職場が、5年間勤めると、1年間の研修をさせてくれるので、その時の研修先としてグールドのところを考えていた矢先の訃報でした。
 グールドと私は、専門も違うし、考え方も違います。でも、考える姿勢や態度は、非常に共感を覚えました。現在の科学者でいちばん気になっていた人でした。
 せめて、彼の仕事から学ぶために、本を見ようにも、グールドのエッセイや書籍で読んだものは、残念ながら手元にはありません。今まで、読んだ本は職場の図書館に寄贈していたからです。そして、転職のためにそれは見れなくなりました。でも、グールドの書籍で、この2年ほどの間の読書記録に残っているものをたどると、
Natural History誌に連載されたエッセイ集:
ダーウィン以来 ―進化論への招待
パンダの親指 ―進化論再考(上・下)
ニワトリの歯 ―進化論の新地平(上・下)
がんばれカミナリ竜 進化生物学と去りゆく生きものたち(上・下)
単行本:
ワンダフル・ライフ ―バージェス頁岩と生物進化の物語
フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説
時間の矢・時間の環―地質学的時間をめぐる神話と隠喩
を読んでいます。
 まだ、読んでない本として
エッセイ集:
干し草のなかの恐竜 ―化石証拠と進化論の大展開(上・下)
ダ・ヴィンチの二枚貝 ―進化論と人文科学のはざまで(上・下)
八匹の子豚 ―種の絶滅と進化をめぐる省察(上・下)
フラミンゴの微笑 ―進化論の現在(上・下)
嵐のなかのハリネズミ
単行本:
個体発生と系統発生
人間の測りまちがい ―差別の科学史
暦と数の話 ―グールド教授の2000年問題
などがあります。さらに、まだ訳されていないものとして、
エッセイ集
I Have Landed: The End of a Beginning in Natural History
単行本
Rocks of Ages : Science and Religion in the Fullness of Life
The Structure of Evolutionary Theory
があります。このほかにも多数のものがあるはずですが、私の現在手元にあるか、発注中のものです。
 中でも「The Structure of Evolutionary Theory」は、グールドの大作のひとつで、2002年3月発行されたものです。1464ページにおよぶもので、最後の大作というべきものでしょう。執筆に20年を費やしたといわれています。
 今注文中でまだ手元にはありませんが、書評によると内容は以下のようです。自然選択、適応、変化の蓄積という古典的ダーウィニズムに関する3つの観点についての議論、そして、種からさまざまなレベルでの自然選択、自然選択だけでないさまざまな仕組みによる進化、激変説を含む広範な進化の原因が、古典的ダーウィニズムへの3つの挑戦的試みとしておこなわれているようです。進化についての、彼のライフワーク的考えがまとめられているようです。
 グールドの本で、読んだものは、半分ほどです。読んだ量でいえば、半分しか、学んでいないことになります。
 でも、読むことと学ぶこと、あるいは読んだ量と学んだ量が比例する訳ではありません。ようは、彼のスピリッツというか、態度、姿勢、心構えというようなものを学びたいのです。
 それは、いつになることでしょうか。たどりつけない目標かもしれません。ですが、目標達成は、目標を向かうことから、はじまります。長い道のりの、まだ一歩を踏み出したばかりかも知れませんが、まずは、学び、理解すること。そして、できれば、グールドとは違った地平を目指したいと考えています。
 最後になりましたが、グールド(Stephen Jay Gould)享年60歳、心からご冥福を祈ります。(合掌)
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10 評価● 2002.06.07

また聞だが、
グールドは、
”偶然が必然に転化する”法則を知らない
という評価が赤旗に載ったそうである。
私には、その評価の意味がよくわからない。
しかし、そんな法則を知らなくても別にいいと思う。
その法則が、評者が考えた法則だ、評価の価値があり、
素晴らしいことなのだが。。。

グールドは、
科学においても、
ものごとの考え方において、
もっと独創的なことを成し遂げたように思う。
だから、評価はそのような点ですべきでであろう。
赤旗の評価は、あまり的を得てないような気がする。
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9 地質と哲学● 2002.06.07

わたしにとって、必要な哲学とは、
哲学者が長年かかってつくり上げてきた、
多くの思考方法である。
弁証法や反証主義、構造主義などの
思考パターンである。
その手法で、なにをどう考えたのかは、
私には必要ないのである。
私は、地質学に哲学を学ぶことで、
新しい考え方が導入できないかと考えている。

私は、今、哲学史の入門書をいくつか読んでいる。
そして、原典がついている教科書をいくつか目を通している。

今、ヒュームが、少し気になっている。
ヒュームの考えは、
「知覚の束」を集めて「同一性」を与え、
「反復」であり、習慣によってある秩序が与えられている。
そこには、原因と結果という必然性がなく、
習慣による蓋然性しかない。
というあたりは、面白い。

もし、地質学から、
原因と結果という必然性がきえたら、
地質学という学問は成り立つか、
蓋然性だけで地質学が成り立つかどうか、
などというのは、面白い命題だとおもう。
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8 読書時間● 2002.06.07

3月までは、通勤時間で、
読書時間を最低限確保できた(1時間程度)のだが、
今では、30分ほど歩いて大学に通っている。
健康にはいいのだが、
読書時間を作ることができないのが、つらい。
だから、読みたい本をいつも手元において、
時間があれば、読むようにするという作戦をとることにした。
でも、絶対的に時間が少ない。
つらいところである。

まあ、社会人で、
ふんだんな自由時間をもっているというような人は
ほとんどいないだろう。
はたから見ていてひまそうに見える人も、
彼の心の中では忙しく、
何かに追われているかもしれない。
私をみた他人は、暇そうに見えるかもしれない。
だから、与えられた24時間を
いかに有効に使うかが問題である。
がんばって時間をつくりしかないのだろう。
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7 ハリーポッター● 2002.5.19
昨日の午後、
先日購入したDVDの「ハリーポッター 賢者の石」
を家族でみた。
長男(4歳)は、
面白がったり、怖がったりしながら、最後までみていた。
しかし、夜中、うなされながら何度もおきて、
ねぼけなから「ハリーポッター怖い」といっていた。
小・中学生や大人には、面白いものが、幼児には怖い。
長男には、恐怖と面白さが、別々の存在としてあったのかもしれない。
そのうち、恐怖だけが、強い印象として残ったのであろう。
「恐怖」が、「面白さ」と別々の存在ではなく、
「恐怖」が、恐怖が面白さへ、
いつ、どうのように転化、転換されるのだろう。
4歳児、まだ心の発展途上である。
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6 宇宙の語源● 2002.04.24

宇宙の語源を調べている時に、
原典になかなか当たれなかった。
しかし、大学に来るとそのようなことができるようになった。
宇宙は、淮南子という書物の斉俗篇に
「往古来今謂之宙、四方上下謂之宇」
とかかれている。
読み下すと
「往古来今これ宙という、四方上下これ宇という」
となる。
の原典に当たった。
原典は大学にはなかったが、
その翻訳があった。
そして、淮南子の解説書も手にできた。
このような簡便さが、大学にはある。
そして、それを教授できるよさがある。

さて、宇宙の語源であるが、
淮南子あるというのは
松井孝典著「宇宙誌」
(ISBN4-19-555069-6 C0044)
にかかれていた。
さらに遡れば、この本は
「サンサーラPart I、II、III」の文章だけを抜き出したものである。
そこに、書かれていたというだけで、
その原典は知らなかった。
しかし、今回調べたら、
淮南子の意味、
そして、宇宙の用語が
どのような場面で使われているのか
もはじめ知った。

調べるということはこういう楽しみもある。
しかし、手間はかかる。
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5 読書時間の確保● 2002.04.18

読書時間の確保、それが問題である。

徒歩通勤になると、
通勤時間を読書時間に割り当てるという
余暇利用ができなくなる。
通勤読書は、嫌でも、一日の内のある一定時間を
読書に割り当てることができるのである。
いい方法でであった。
以前、私は、通勤時間中に、
1時間の読書時間がとれた。
その時間で、主な図書の読書をしていた。
文献は、それには相当しない。

さて、ここでの生活で、いつ本を読もうか。
読みたい本ばかり溜まっていく。
そして、その本は重たい、ハードな
内容の本ばかりになっていく。

さてさて、どうしたものか。
早く、生活のあるいは研究のパターンを
確立していきたいものだ。
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4 お薦めの本● 2002.02.18

札幌学院大学の自己紹介の欄に、「お薦めの本」を各コーナーがあった。そこで、以下の書籍を紹介した。

ヒーラット・ヴァーメイ著「盲目の科学者 指先でとらえた進化の謎」
 講談社 ISBN4-06-154242-7 C0045
カール・セーガン著「人はなぜエセ科学に騙されるか」上・下
 新潮文庫セ-3、セ-4 ISBN4-10-229403-1 C0140; 4-10-229404-X C0140
松井孝典著「宇宙誌」徳間書店 ISBN4-19-555069-6 C0044
吉田武著「オイラーの贈物 −人類の至宝eiπ=-1を学ぶ」
 海鳴社 ISBN4-87525-153-X C3041
立花隆著「東大講義人間の現在1 脳を鍛える」
 新潮社 ISBN4-10-395504-X C0000
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3 蕩蕩と● 2002.02.18

子曰、君子坦蕩蕩、小人長戚戚。
論語(ISNB4-06-158451-0 C0110)述而(じゅつじ)第七より。
読み下し
子(し)曰(い)わく、君子(くんし)坦(たい)らかにして蕩蕩(とうとう)たり、
小人(しょうにん)は長(とこしへ)に戚戚(せきせき)たり。

意味は、
蕩蕩とは広くゆったりとしたしたさまで、
戚戚とは憂い痛んでいるさまである。

私も、坦らに蕩蕩としていたい。
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2 リンドグレン女史の死● 2002.02.05

今朝、新聞を見ていたら
スウェーデンの児童文学者
アストリッド・リンドグレン女史が
1月24日に94歳で亡くなられていた
という記事を読んだ。
少し、ショックを受けた。
彼女の「名探偵カッレくん」のシリーズを愛読していて、
小学生のころから、大人になるまで
何度も読み返した記憶がある。
そのたびに、スウェーデンの子供たちの
夏休みの過ごし方が、面白くそしてあこがれたものだ。

「名探偵カッレくん」シリーズ以外にも、
「長がくつ下のピッピ」や「やかまし村」シリーズなど
多数の名作を生み出した作家である。
88冊におよび作品は、
86言語に翻訳され、
発行総数1億3000万冊にもおよぶそうである。
ここ数年、ノーベル文学賞にもノミネートされていたそうである。

作家が亡くなって、
このような衝撃を受けたのは、
小林秀雄、司馬遼太郎についで
3人目である。
その理由はよくわからないのだが、
「名探偵カッレくん」シリーズしか読んでないのに、
こんなことになるのは、
「名探偵カッレくん」シリーズが
いかに私に感動を与えていたかということに
繋がるのであろう。
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1 私の読書● 2002.1.24

私は、同時に3冊の本を読んでいる。
通勤電車の中、トイレの中、寝床
の3箇所である。
それぞれ読む本が違う。

通勤電車の中で1時間弱。
遠くに出かけるときも、これに加わる。
数日から数週間で1冊のペースで読める。
現在は藤原正彦「遥かなるケンブリッジ」
を読んでいる。

トイレの中で数分。
これは、比較的大部の本を読む。
今は、「虚数の情緒」といい1000ページにおよぶ
ものを読んでいる。

枕元には、小説をおいて読んでいる。
寝る前に読むことはほとんどない。
寝る前は子供に絵本を3冊読む。
その間に私の方が眠くなり、
読み終わるとすぐ寝てします。
夜中によく起きるので、
その時数ページから数10ページ読む。
読み終わるのに、1ヶ月以上かかることもある。
現在は、SF小説
ホーガンの「ミクロパーク」
を読み始めた。
だいぶかかりそうである。
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