読書日記
(2003年4月〜6月)

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目次 

6月 
45(123) 科学的とはどういうことか: 2003.06.30
44(122) 大江戸えねるぎー事情: 2003.06.29
43(121) 農をめぐる旅: 2003.06.22
42(120) 高校数学でわかるマックスウェル方程式: 2003.06.22
40(118) ぐれる!: 2003.06.22
41(119) 宇宙と大地と 農あるくらしへ: 2003.06.22

5月 
39(117) 文科系のための科学・技術入門: 2003.05.31
38(116) 石狩川の旅: 2003.05.29
37(115) 大江戸仙界紀: 2003.05.29
36(114) 大江戸遊仙記: 2003.05.29
35(113) 大江戸仙花暦: 2003.05.18
34(112)  大江戸仙境録: 2003.05.18
33(111) 大江戸神仙伝: 2003.05.18
32(110) 大江戸仙女暦: 2003.05.018

4月 
31(109) 相対論がもたらした時空の奇妙な幾何学: 2003.04.24
30(108) ゼロエミッションと日本経済: 2003.04.13
29(107) 北の木と語る: 2003.04.13

28(106) 北海道でいちばん住みたい家: 2003.04.02
27(105) 立花隆秘書日記: 2003.04.02


6月 
45(123) 科学的とはどういうことか: 2003.06.30

板倉聖宜著「科学的とはどういうことか」
(ISBN4-7735-0016-6 C0300)
を読んだ。

なかなか面白い本である。
そして、板倉氏の文章のうまさがあらわれている。
板倉氏のいつもの主張が表れている。
このような驚くようなネタが
どこでも、いつでも、見つかればいいのだが、
それがなかなかできないから苦労するのである。
これはこれで、手法としては成立すると思う。
そして、このネタが続く限り、独創性は維持できる。
でも、ネタがなくなったとき、どうなるのか。
仮説実験授業という手法は残るのだろう。
それはそれでいい。
でも、この本で人を驚かせ、感動させたような手法は
残らないのだろう。
むつかしいところだ。
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44(122) 大江戸えねるぎー事情: 2003.06.29

石川英輔著「大江戸えねるぎー事情」
(ISBN4-06-185431-3 C0195)
を読んだ。

江戸時代のいろいろなものごとを
エネルギーに換算し、現代のエネルギー使用と比較したものである。
なかなか面白かった。
人間のするいわゆる手作業ともいうべきことでも、
ありとあらゆることができることを教えてくれた。
それも、地球に負担をかけることなくである。
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43(121) 農をめぐる旅: 2003.06.22

秋山豊寛著「農をめぐる旅」
(ISBN4-8294-0182-6 C0061)
を読んだ。
これは、秋山氏の「農ある暮らし」への準備あるいははじめたころにかけて
取材していたものをまとめたものである。
彼が農の達人、オピニオンリーダーたちを訪ね歩いたもので、
彼の農への道を確実にするためのプロセスだった。
かれは、周到なる準備をしていてのである。

「金もうけ、という点かいったら農業は、そんなに割りの良い仕事ではありません。
金だけが目的なら、もっと別のことをやった方が良いでしょう。
でも、私は農業のやりがいというもは、別のところにあると思っています」
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42(120) 高校数学でわかるマックスウェル方程式: 2003.06.22

竹内淳著「高校数学でわかるマックスウェル方程式」
(ISBN4-06-257383-0 C0242)
を読んだ。

「物理学の理解としては、この関係を、
これ以上分解してりかいすることが不可能な基本的な関係
=法則
であるとして受け入れるということを意味する」
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41(119) 宇宙と大地と 農あるくらしへ: 2003.06.22

秋山豊寛著「宇宙と大地と 農あるくらしへ」
(ISBN4-00-000180-9 C0095)
を読んだ。

日本人最初の宇宙飛行士、秋山氏が
TBSを退社して農業に従事し、
自給自足の生活を始めた。
そこには、地球環境の真の理解と、
強い信念と行動力があった。
多くの地球環境を考える人間は行動力がない。
そして真の解決も行動することである。
そんな痛烈な批判をみをもってかれは行っているいるようだ。

「こうしたなかで、「行動」こそ必要な時代であり、
私自身も行動するときではないかという想いは強くなりました。
私は「農ある暮らし」への準備を始めていました。」

「私の発想が、日本が豊かであることに規定されているのは確かです。
お金は大切だけれど全てでない、といいきれるほど豊かです」

「なぜ農なのかを語るのに、少し多弁になりすぎたかもしれません。
用は個人の暮らしのあり方を「自給」と「精神の自在性」という方向から見直し、
「地球危機」という自分の状況認識と生き方のつじつまをあわせたいということです。
自分にとって「農ある暮らし」は無理のない選択であり、
手応えは予想以上でした」

「アメリカの農業は、もともと「家族経営」として発展したものでした。(中略)
その自由を保障するものが「食料の自給」であり、
その単位が「家族」でした」

「一般的に専門家といわれる人々が社会的責任をとることはあるでしょうか。
過去「安全」と言われたたくさんの農薬が現在では使用し禁止になっていることについて、
かつて「安全」と 判断した「専門家」は、どのよう責任を取ったでしょうか」

「地球の資源が有限であるという認識は、
20世紀の指導原理であった「生産性」「経済成長」といった概念が
歴史的に限定された、いわは普遍性に欠ける概念でしかなかったことの確認につなかがります」

「私たちがお金に換算されない価値について、
これが実はこれから求めるべき「豊かさ」の中身であると気づけば、
食卓の準備を種まきから始めることも「豊かさ」であることがわかるでしょう。
歴史は確実に、そうした「豊かさ」に向かって歩を進めています」

「独自の技術力は、競争社会にあっては「力」です。
他に依存しなくとも、独自に開発できる能力を持つことが、
交渉する場合に力になるわけです。(中略)
自給する力があるからこそ、自立が可能のです。
経済的にも、技術的にも、独自の力を持つことが無理な場合は、
当面あきらめるほかありません。
しかし、可能であるにもかかわらず、みすみす可能性を放棄することは
”自主”の力を弱めることになります」
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40(118) ぐれる!: 2003.06.22

中島義道著「ぐれる!」
(ISBN4-10-610009-6 C0210)
を読んだ。

この本は強烈である。
ストイックで真摯な哲学者中島氏の本である。
ありとあらゆる妥協を拒否して、
自分自身の信じることを貫くための生き方を書いている。
私には、到底できない生き方である。

人がぐれる理由をあげている。
(1)もうじく、どうせ死んでしまうこと。
(2)ひとは不平等に生まれついていること。
(3)人生は偶然に翻弄されること
(4)それにもかかわらず、「明るい顔」をすることがようきゅうされること。
(5)犯罪をなして社会から葬り去られれるだけのゆうきがないこと。
なかなか意味深な言葉である。
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5月 
39(117) 文科系のための科学・技術入門: 2003.05.31

志村史夫著「文科系のための科学・技術入門」
(ISBN4-48005986-5 C0240)
を読んだ。

ゲーテは「熟視は観察へ、観察は思考へ、思考は統合へと
かならずや移行するものであって、
だから世界を注意深く眺めているだけで、
われわれはすでに理論化をおこなっているというこおができる」

「理科系の人」は、きちんと筋道を立てて考えること
”自然”と自然科学から学ぶのです

マンフォードは、「芸術と技術」の中で、
芸術について「芸術とは、人間が単なる動物として
存続するための必要条件を超えて、意味と価値のある世界を
自分で創造しようという必要から生じます」

”科学”の本質は、自然を対象にした知的好奇心を
満足させることであり、”科学”を進める最も基本的な力は
その知的好奇心そのものなのです

”技術(=機械)”が明確なる物質的な目的と損得(経済概念)を持つ
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38(116) 石狩川の旅 2003.05.29

小檜山博著「石狩川の旅」
(ISBN4-89453258-1 C0072)
を読んだ。

石狩川の写真集とその写真に基づいたコメントである。
期待はずれであった。
やはり写真に文章が負けてはならない。
また、文章に写真が負けてはならない。
写真にミスが数点でもあれば、
写真集全体の印象を悪くする。
そんな欠陥が目立った。
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37(115) 大江戸仙界紀 2003.05.29

石川英輔著「大江戸仙界紀」
(ISBN4-263302−7 C0193)
を読んだ。

これで、この著者の一連の著作を読んだ。
最初のよかったが、やはり小説である。
現実感、マンネリ感が6冊も続けて読むと出てくる。
しかし、著者の主張はわかりいい。
江戸時代を過去の封建社会というだけで否定すべきでなく、
学ぶ分べき点が、いろいろあるということである。

「庶民たちが服従したのは、
武士たちが腰に帯びている大刀の威力ではなく、
いかに貧しくても、
自分たちに手の届かないほど高いモラルを守り、
教養を身につける禁欲性だったのではないだろうか」

「日本も、美しい風景を破壊することではじめて成り立った
富国強兵や産業立国などという立派な政策の代わりに、
この景観にはできるだけ手をつけず、
しかも、人口がこの時代より増えないようにして、
観光を主にして生きる清貧ならぬ清富の道を選んだ方が
結果として得策だったのではないだろうかという気がしてならない」
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36(114) 大江戸遊仙記: 2003.05.29

石川英輔著「大江戸遊仙記」
(ISBN4-06185341-4 C0193)
を読んだ。
江戸時代の様子を知るのに役立った。
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35(113) 大江戸仙花暦: 2003.05.18

石川英輔著「大江戸仙花暦」
(ISBN4-06-273614-4 C0193)
を読んだ。
江戸時代の風俗を知るのにいいものであった。
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34(112)  大江戸仙境録: 2003.05.18

石川英輔著「大江戸仙境録」
(ISBN4-06-263972-6 C0193)
を読んだ。
江戸時代の風俗を知るのにいいものであった。

「人類は、古来それぞれの地域に適応して生きて来た。
人の生死も、大局的には土地の面積や地形、気候、動植物相などの自然条件によって決められていた。
だからこそ、極端にも増えず減りもせずで、長年生きのびて来られたのである」
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33(111) 大江戸神仙伝: 2003.05.18

石川英輔著「大江戸神仙伝」
(ISBN4-06-183117-8 C0193)
を読んだ。
江戸時代の風俗を知るのにいいものであった。
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32(110) 大江戸仙女暦: 2003.05.01
石川英輔著「大江戸仙女暦」
(ISBN4-06-263972-6)
を読んだ。
面白かった。
江戸時代のよさ、悪さなど
いろいろな視点を感じられた。

「みんながおしなべて貧乏なら、
福の神も少ない代わりに、災いの神の数も少なかったし、
人間は、もともと貧乏な人が圧倒的に多いのが普通でしょう。
その状態でのトラブルなら、
原因も単純で、過去の知識が生かせるから解決しやすくて、
昔話みたいに、お年寄りの智恵を借りれば解決できることも多かったと思うわ」
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4月 
31(109) 相対論がもたらした時空の奇妙な幾何学: 2003.04.24

アミール・D・アクゼル著
「相対論がもたらした時空の奇妙な幾何学」
(ISBN4-15-208446-4 C0042)
を読んだ。
彼の本は面白い。
大学の統計学の教員が、このような本を書くとは
アメリカの研究者のすばらしさを感じる。
また、彼が書くような数学的な内容を受け入れられる
アメリカの知的階級の多さに驚かされる。
いい本であった。

「宇宙は、膨張を加速している」

アインシュタインは、
「若い研究者に対し、創造的な科学者にとって
理想的な状況は何か、ということを話したことがある。
それは、学生の教授義務や大学機構に関わる職務、
あるいはキャンパスにおける政治的配慮がつきものの
伝統的な大学の地位にあることではなく、
むしろ研究のためにあるていど
自由な時間をもつことがきる、
卑しい、もしくは「知的ではない」仕事をもつことだ、
というものであった」

「ユークリッドは彼の幾何学を構成する要素を
点、直線、面と定義した(中略)
(1)任意の点から任意の直線を引くこと。
(2)直線を連続して延長すること
(3)任意の点と距離(半径)とをもって円を描くこと。
(3)すべての直角は互いに等しいこと。
(5)ある直線が2つの直線に交わり同じ側に作る内角の
側が二直角(180度)よりも小さければ、
この二直線をどこまでも延ばせば、
それらは二直角より小さい直角のある側で交わること。」

「第5公準は、奇妙である。
他の4つが簡潔で明白であるのに対し、
5番めは長ったらしい。
多くの数学者にはの目には、第5公準は自明というより、
証明されるべき定理のようにみえた」

「彼は重力(あるいは場)が存在しているところでは、
空間の幾何学は非ユークリッド的であることを導いたのだ」

「ここで彼は計量テンソルgμνに
ギリシア文字λで表される簡単な定数を
掛けた項を加えている。
この修正は、有効な方程式であれば
取りこぼしてはならない、
重要な物理上の性質が保たれるよう、
慎重に考え抜かれたものである。
アインシュタインがこの方程式に加えた変更は、
惑星の運動などの局所的な現象には
些細な影響しか与えないが、
宇宙規模のスケールの大きな現象については
多大な効果が生じるように企まれていた。
じつに巧妙な手際
−アインシュタインならではのものであった」

「このモデルはでは、宇宙は静的であり、
膨張もしなければ、収縮もしない。
その形状は球であって、限りがあって、一定の曲率をもつ」

「宇宙定数の導入を通じて、
アインシュタインは科学に寄与する数学的手法を
新たに想像した−そして、彼本人でさえ、
それを世界から取り上げることはできなかった。
この手法が宇宙の理論を説明しようとする
物理学者と工夫研究者にとって有用であるかどうかは、
いまや重要な問題となっていた」

「宇宙には質量にもとづいたどの理論を
成り立たせるにも十分な質量がなく、
目に見えない力があらゆるものを
より速くより速くと押しのけているのだ、と」

「ネタ・バーコールは、宇宙の質量密度は、
膨張と最終的な崩壊を遅らせるのに必要な密度の
20パーセントにしかならない、と結論した」

「近代宇宙論における数々の謎を解くかもしれない、
この重要な問題の解決策として
当然浮かび上がってくるのは、”宇宙定数を宇宙変数
−アインシュタインの方程式に含まれる時間、
あるいはその他の変数関数−
に変えてしまう” というものだろう。
しかし、そのすべてを知る者がどこにもいない。
アインシュタインは40年以上前になくなっており、
彼が宇宙定数を導入したときにもっていた、
自分の方程式のをつくり変えようとする勇気、洞察、知識を
持ち合わせた者は、だれひとりいなかったらしい」

「クエーサーはすべてわれわれから時間的空間的に
非常に離れたものだが、
ほとんどがほど同時期に創造されたことになる」

「アインシュタインは、わが手に入る
数学的手法の不足ゆえに、
自分の努力に限界があること理解していた」

「すべての学問領域が他の領域の発展による
助力を得られるようになってはじめて、
われわれは自然の究極的法則を理解し、
人間なりに見積もった神の方程式を
定式化できるようになるのかもしれない」
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30(108) ゼロエミッションと日本経済: 2003.04.13

三橋規宏著「ゼロエミッションと日本経済」
(ISBN4-00-430491-1 C0236)
を読んだ。

「日本人には、昔から自然と共生してきた
長い伝統があります。」

「政府がリーダーシップを取らないのが悪い、
企業の責任がある、などと評論家的な言辞を弄していては、
時代を前に進めることはできません。
政府が悪ければそれを改めさせればよい、
企業行動に問題があれば、具体的にそれを指摘し、
改善を求めればよい。
民主主義国家では、国民が主役であり、
国民の行動力こそが時代を変えるエネルギーに
ならなければなりません。」

「百の説法より、ひとつの実行です」

「ゼロエミッションとは、廃棄物ゼロといういみです。
廃棄物をゼロにすることで、
資源を100%有効に利用し、同時に環境負荷を
まったく伴わない社会を目指すための「キーワード」です。」

「10世紀を支えた経済思想は、「劣化しない、無限の自然(地球)」が前提だった」

「今日の我々は「劣化する、有限の自然(地球)」を前提に物事を考えていかなければならないことを知っている。」

「山口さんは言う。
私は金儲けだけが目的で事業を起こしたのではない。
・北海道の自然を守るためには、
何が大切で、何が無駄なのか
・北海道の人間を守るためには、
何が大切で、何が無駄なのか
・北海道の地域を守るためには、
何が大切で、何が無駄なのか
北海道の自然、人間、地域を守るために、
残された生涯をかける覚悟であると。」

「ISO14000シリーズは、(中略)
環境分野の国際規格のための番号である。」

「この時代(江戸時代)を支えた経済システムは、
自然の生態系と似て、無駄がなく、
環境保全型の「クローズドシステム」になっていた。
正確環境も清潔で、人間と自然がうまく調和していた。
自然を構成する一員としての人間が
十分に認識されていた。
循環型の経済社会を支えたのは、地元を住みよい、
持続可能な地域として維持していこうとする地域住民の
「コミュニティ・スピリット(愛郷精神)」にほかならなかった。
それぞれが持つ能力や労働力を提供して地域のために
奉仕する精神が、地域の環境を守るうえで
大きな成果をあげてきたのである。」

北九州方式
「第一は、市民の一人一人が
草の根のレベルで参加すること。
第二は、行政や企業を批判しているだけでは、
問題解決にならないという共通認識があること。
第三は、市民と行政、企業が情報を持ち寄り、
協力して問題可決にあたること。」

新しい常識の提案
・有限で、劣化する地球
・植物あっての動物
・人類だけが増え続けることはできない
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29(107) 北の木と語る: 2003.04.13

西川栄明著「北の木と語る」
(ISBN4-89453-248-4 C0072)
を一部読んだ。
この本を買ったのは、
「桂」という木に興味があったからだ。
我が家は道産の桂を30%つかった
特徴的な家だからである。
この本によれば、西洋には桂という木がなく
英語でも"Katsura"というそうである。
カツラ(桂)は、
カツラ科の落葉広葉樹で、
学名は、Cercidiphyllum japonicum Sieb. et Zucc.
となる。
別名、コウノキ、オコウノキ、ショウユギがある。
日本全国にあるが、
日本の固有種に近い。
いまや北海道でも、天然のカツラ林はあまりないようである。
でも、北海道のカツラは、
「カツラといえば、日高のヒガツラ(緋桂)」
と呼ばれるほど良材とされているようだ。
緋桂とは、日のように濃く明るい赤紅色になるかである。
我が家も時間がたった部分は、
非常のいい色の木となっている。
そんなところは、ぜひ残して欲しいものだ。
ハート型とかわいい葉の桂を、
近所の原生林へ探しにいこう。
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3月 
28(106) 北海道でいちばん住みたい家: 2003.04.02

山口昭・岩瀬孝子著「北海道でいちばん住みたい家」
(ISBN4-7979-8513-5 C0079)
を読んだ。
「世界でいちばん住みたい家」の北海道版である。
まあ、わかりやすかった。
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27(105) 立花隆秘書日記: 2003.04.02

佐々木千賀子著「立花隆秘書日記」
(ISBN4-591-07659-8 C0095)
を読んだ。
立花隆の裏話がわかって面白かった。
しかし、最後の解雇のところがいただけなっかた。
いうべきでない、佐々木氏の評価が
これで下がるような気がする。
それまでは、有能な秘書であったのに、興ざめした。
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