読書日記 (2002年前期)

2002年に読んだものをすべて、
「思いつくまま」に入力するようにした。
ここでは、それをまとめした。

トップページへ

目次 

5月 
28 ネンアンデルタール:2002.5.18
27 さよなら古い講義:2002.05.17
26 弁証法をどう学ぶか:2002.05.01

4月 
25 進化の大爆発:2002.04.24
24 淮南子の斉俗篇:2002.04.24
23 弁証法における「否定の否定の法則」について:2002.04.15
22 もったいない:2002.4.6

3月 
21 ボクの町:2002.3.19
20 干し草のなかの恐竜(上):2002.03.14
19 藍色回廊殺人事件:2002.03.11
18 記載岩石学:2002.3.5
17 ユタが愛した探偵:2002.03.02
16 量子宇宙干渉機:2002.03.02

2月 
15 eメールの達人になる:2002.02.23
14 立派な親父になる:2002.02.23
13 天は人の上に人をつくらず:2002.02.23
12 心は孤独な数学者:2002.02.07

1月
10 父の威厳 数学者の意地:2002.1.30
9 遥かなるケンブリッジ:2002.1.25
8 数学者の休息時間:2002.1.24
7 パソコンで楽しむ山と地図:2002.1.23
6 急いでも損をしない家の売り方:2002.1.22
5 数学者の言葉では:2002.1.22
4 ランダムな世界を究める:2002.1.16
3 二人で紡いだ物語:2002.1.15
2 暗号解読:2002.1.15
1 怒りのブレークスルー:2002.1.14


5月
28 ネンアンデルタール:2002.5.18
ジェン・ダーントン著「ネアンデルタール」(ISBN4-7897-1530-2 C0197)
を読んだ。
古人類学者が、その絶滅の説を考え、ネンアンデルタール人を発見して、彼らの絶滅の原因について考える。

その中の一節。
「新種はいつだって発見されているんだ。その肉が地元の市場で売られていたり、現地人が奇妙な模様のある毛皮を胸に飾っていたりすることさえある。前世紀には、地元にさまざまな逸話が伝えられているにもかかわらず、マウンテン・ゴリラの存在を信じる者なんかいなかった。誰も見たことがなかったからだ。ほんの3000人ばかりのアフリカ人を除いて」
「地球の表面から海を差し引き、砂漠と高山と極地を差し引いたら、あとに残るのはどのくらいだと思う?およそ20%だ。おれたちは地表の5分の1だけを占拠して、人間はどこにでもいる、ほかの者のための場所なんか残っていないと考えているにすぎない。競争相手の存在なんか想像さえしないんだ。だがな、この地球に棲んでいる人間が自分たちだけだなんて考えるのは、この宇宙に生物の存在する惑星は地球しかないと考えるの、同じくらい不合理なことじゃないのか」
「脅威がさほどでないものは珍説って扱いになる。学術誌では不利な扱いを受け、ほかの研究者にあざけられ、マスメディアはそれを面白おかしく取り上げる。だがこいつみたいに本当に革命的なものだと、向こうも全力を上げて阻止しにかかるんだ。昇進の道は絶たれ、町からは逐われ、波一つ表には出ない。誰だって間抜けに見られたくはないからな」
「予期しない逆境にもすぐに順応してしまうのが人類の特質だ。人類が生き延びてきた秘密は、意外とそんなところにあるのではないか」
遺伝的浮動とは、「基本的には遺伝に適用される統計だよ。小さな孤立した集合においては、ランダムな出来事の影響が拡大されて現れることがある。遺伝子に生じた突然変異が、あっというまに永久性を獲得してしまうのだ。より大きな集団で生じた場合に比べて影響力が大きく、劇的な変化が短時間のうちに成し遂げられることもある。」
「人間がジャングルの獣と違うのは道徳を持っている点、そして自分が確実に死ぬと知っている点だ。道徳と死、それが文明の二本の柱なのだ。それはほかのあらゆるものに優先するのだろうか−言語、学習、発明、科学的発見、医療、プトレマイオス、ガリレオ、ニュートン、パスツール、アインシュタイン。人類最初の発明である車輪のことを考える。」
「人間の耐久力というものを象徴しているように感じたのだ。絶対にあきらめないというこの態度、分の悪い賭けさえひっくり返してしまうことの忍耐力によって、人類はここまで生き延びてきたのだ。進化の中で選ばれた種となったのは、人類が進化というものに選択をまかせてしまわなかったからなのだろう。人類がつねに計画し、期待し、策をめぐらしてきた−歴史の中を抜け目なく渡ってきたのだ。」
同時期に共存していたネアンデルタールとホモ・サピエンスで、
「なぜわたしたちであって、彼らではなかったのか?彼らが死に絶えたのに、なぜわれわれは生き延びたのか。知性はどちらも同じようなものだけど、向こうは体力に優れ、たぶん数も多くて、少なくとも百万を超える個体がいたはず。(中略)彼らはどんな重要な特性を欠いていたのか(中略)欺瞞よ。他人を騙す能力」
「ある面で、欺瞞と知性の関係は切っても切れないものなのよ(中略)それがあるから世界を操作することができる。人間は脳によって知性を得、狡猾さによって知恵を得たのよ」
「幻想と驚きをもたらす能力と思えばいいのだ(中略)それがあったから、芸術と魔法と音楽と物語が生まれた。それは、人間の持つ心の目であり、人類は想像力によって自身を外部に投影しているんだ」
目次へ


27 さよなら古い講義:2002.05.17

田中一著「さよなら古い講義」
(ISBN4-8329-3261-6 C1037)
を読んだ。

この本では、「質問書方式」というやり方で、
講義をされた結果をまとめられ、
それは、誰にでも適用可能で、効果もあるはずと示されている。

しかし、私は、考えさせられたの同時に、
不思議な本でもあった。
この本は、学部の研究会に田中氏が来られて、頂いた本である。
著者の教育に取り組む熱意には心打たれるものがある。
それと、常に前向きに物事に取り組まれている姿勢にも
感動するものがある。

では、自分がこの教育方式を取り入れるかどうか、
判断に迷うところである。
私は私なりの方法論で、教育に取りくんでいる。
また、もし、この方式を学校の全教員が取り入れたら、
もはや革新的でなくなる。
また、多様化を考えるのであれば
他の手法も、常に工夫しておくべきであろう。
たしかし、面白い試みだし、充分な時間をとれば、
それに対応することも可能であろう。
自分の場合は、
今年は不可能である。
来年は、今年の様子と、自分の教育観を考えて
再考する必要があろう。
確かに、面白い方法である。
目次へ


26 弁証法をどう学ぶか:2002.05.01

井尻正二著「弁証法をどう学ぶか」
(ISBN4-272-43046-7 C0010)
を読んだ。

井尻氏がどのようにして弁証法を勉強しているかを
エッセイ風にまとめたものである。
彼の哲学書が何故読みやすいかというと、
自然科学者あるいは地質学者の目で、
哲学を考えているからであろう。

その中で否定について考えている。
否定の歴史は、
アリストテレスに始まる形式論理学的否定は、
「否定判断としての否定」、
スピノザのいう「規定は否定である」とは
「規定即否定としての否定」、、
ヘーゲルの弁証法的否定は、
「すべての規定は否定である」という言葉は
「否定の否定(止揚)としての否定」
となっているという。

大変参考にある。
しかし、私の目指す地質の哲学とは違う。
目次へ


4月 

25 進化の大爆発:2002.04.24

大森昌衛著「進化の大爆発 動物のルーツを探る」
(ISBN4-406-02756-4 C0046)
を読んだ。
この本の存在は、1年半ほど前から知っており、
3月の北京行とのときに手に入れ、
半分ほど読んで、
そのご転職のどたばたで、
しばらく間が開いていたが、今日やっと読み終わった。
原生代後期からカンブリア紀にかけての
生物の進化をまとめた本である。
本書は、大森氏のライフワークである。

先カンブリア紀とカンブリア紀の境界は
私は最近興味をもった。
大森氏と、2度のわたる中国への調査で、
その境界に互いに興味があること、
そして、それぞれの視点が違うことも認めながら、
見解を一(いつ)にするところも多いことも判明した。
そして、最終的な結論として、
私との共著の論文を今年書くつもりである。
その論文に本書は参考なる。
目次へ


24 淮南子の斉俗篇:2002.04.24

中国古典文学体系第6巻
「淮南子・説苑(抄)」
(平凡社)
これは、日本語訳である。
そのうち、淮南子(えなんじ)の斉俗(せいぞく)篇を読んだ。

「日本書紀」の国生みの神話が、
淮南子の天文篇に由来している。
そんな淮南子の解説書が
金谷治著「淮南子の思想」
(ISBN4-06-159014-6 C0110)
がある。
以下、いくつか気になった言葉である。

「斉(せい)は、壹(いつ)(ひとしい)である」

「いわゆる達とは、他の外物を知るの達にはあらず、
おのれれに知るの達なり」

「形を遺(わす)れ智恵を去り、
素(もと)を抱いて真に反(かえ)る」

「至極の是とは、これを非とするもののなきこと、
至極の非とは、これを是とするもののなきこと、
これぞ真の是非」
目次へ


23 弁証法における「否定の否定の法則」について:2002.04.15

 井尻正二著「弁証法における「否定の否定の法則」について」(ISBNなし、地団研プックレットシリーズ10)を読んだ。
 小冊子であるが、久しぶりに本を読んだ。井尻正二を読んでいる。この書は、O先生から頂いたものである。地質学と哲学を橋渡すようなものを考えたとき、日本では、井尻正二を忘れていけない。かれは、ヘーゲル、エンゲルスなどの研究を
地質学者とおこなってきたのである。学生時代、井尻氏の書いた「科学論」を読んで感動したことがある。そのあたりを、再度読み直そうと考えている。これが手始めである。
 この書は、ヘーゲルの弁証法の根本原理である「否定の否定の法則」を批判したものである。弁証法の勉強の入門としていいかもしれない。
 弁証法とは、「世界を生成消滅の自己運動としてとらえる」考え方である。弁証法とは、三分法の思考形式を持つ。定立(あるいは正)と呼ばれる最初の説があると、それに対立、矛盾する反定立(あるいは反)が生まれる。それをさらに否定(あるいは止揚(アウフヘーベン:aufheben)とよばれる)され、次なる正(あるいは(総)合)になるという思考形式である。ヘーゲルの観念的弁証法からはじまり、マルクス、エンゲルスの唯物弁証法になったものである。
 その正に至る過程が、「否定の否定の法則」で、弁証法の根幹となる部分である。それを批判した書である。面白かった。
目次へ


22 もったいない:2002.4.6
 山口昭著「もったいない 常識への謀反」(ISBN4-478-33041-7 C0034)を読む。
 久しぶりに本を一冊読みきった。家にいるときの開き時間によんだものである。
 北海道に来て、一番先に考えたこと、それは、終(つい)の地となること、そして、自分の気に入った家に住むこと。湯河原の持ち家を購入するとき、建築や別荘などについて書かれて本を読んだ。そのとき読んで、一番感動したのは、赤池学・金谷年展著「世界でいちばん住みたい家」(ISBN4-484-98102-5 C0036)であった。
 そのなかで紹介された家に住みたいと思った。私の気に入った家は、「木の城たいせつ」という変わった名前の建築会社が立てたものである。「木の城たいせつ」は、北海道でしか建てられない。だから、神奈川にいる時は住めなかったのである。北海道でないと住めない家なのだ。山口氏は、その「木の城たいせつ」の創業者でありオーナーである。
 本書は、山口氏の生い立ちと、「木の城たいせつに」の企業姿勢にいたる経緯を書かれている。本書は、家の近くにあった「木の城たいせつ」のモデルハウスを見に行った翌日、営業の人が来て、置いていったものである。そして、今日、栗山にある「木の城たいせつ」の本拠地のモデルルームを見に連れていってもらう。栗山は家から近いのである。
目次へ


3月 

21 ボクの町:2002.3.19
 乃南アサ著「ボクの町」(ISBN4-10-142522-1 C0193)を読んだ。
 家内が読んだ本であるが、久々にユーモア小説というのを読んだ気がする。新任教養期間を終えた新米おまわりさんが、
職場実習をする話しである。
 かつて、中学性や高校生の頃は、遠藤周作、石原慎太郎、獅子文六?などのユーモア小説をよく読んでいたことを思い出した。
目次へ



20 干し草のなかの恐竜(上):2002.03.14
 スティーヴン・ジェイ・グールド著「干し草のなかの恐竜(上)」(ISBN4-15-208298-4 C0045)を読んだ。グールドのエッセイはハードだが面白い。そして、欧米の知識人ならきっと面白いと思われる言い回し、引用、比喩などが各所にちりばめられている。それが、完全に理解できないのつらい。でも、欧米人でも、完全に理解できないのかもしれない。それほどの奥深さがあるから、面白いのかもしれない。
 面白かったところ。千年紀のはじまりについて。グールドは2000年派。「人々が決着のつかない些末な問題をめぐって喧々囂々の議論を戦わせたいのではにか。それをしないと、その分のエネルギーを、人殺しに発展しかねいないほんものの喧嘩につぎ込みかねないのではないか。そうとでも考えないかぎり、答えの出ない論争に明け暮れてきた歴史を説明できそうにない」
 テニソンの「イン・メモリアル」118節より「時間が成し遂げたこの仕事すべてを沈思せよ」
 「われわれのまわりに二元性あるいは二分法がありふれていることには、おそらく理由がある。むろん、自然が対を好むということもあるかもしれないが、それ以上に、人間の頭が二分法を好む構造になっているからなのではないか。」
 「新しいアイデアが、それまでとは別の観察方法を強いたのだ。「観察が何かの役に立つすれば何らかの見解を支持するか否定するからだ」」
 斉一説と激変説の論争の重大な問題
「変化そのものの本質」について。「人間の文化、生物、物理的な世界は、いずれも無限に変わることが可能で、通常はそれとわからないほどの小さな連続的変化を遂げているのだろうか(斉一説的観点)。それとも、大半の種類や組織の特徴はあくまでも構造の安定性であって、変化が引き起こされるのは、たいていは既存のシステムでは対応しきれないような激変的な動乱をきっかけにした、安定した状態から別の安定した状態への急速な移行というまれな出来事に集約されるのだろうか」
「因果の本質」について。「大規模な変化も、日々観察できる現象を引き起こしている原因と同じ、突飛でなく予想どおりの結果を引き起こす変化の単なる単なる拡張なのだろうか。それとも、ときおりの激変が、予測できない気まぐれな要因を地球の歴史に持ち込むのだろうか」
目次へ



19 藍色回廊殺人事件:2002.03.11
 内田康夫著「藍色回廊殺人事件」(ISBN4-06-273375-7 C0193)を読んだ。
 推理小説である。徳島の吉野川を題材にした作品。いつもの作品より、複雑で面白みにかけた。
目次へ



18 記載岩石学:2002.3.5
学会の雑誌への書評
周藤賢治・小山内康人:岩石学概論・上 −岩石学のための情報収集マニュアル 共立出版, 2002年2月, 272ページ (CD-ROM付き), 3,700円。
 岩石学の教科書と呼べるものはいくつかある。しかし、記載岩石学と呼ぶべきものは、そう多くはない。和書で、類書としてまっさきに思いつくのは、都城秋穂・久城育夫著「岩石学I、II、III」の全3巻および黒田吉益・諏訪兼位著「偏光顕微鏡と岩石鉱物」の2つである。どちらもいい書籍で、いまだに多くの学生および研究者も利用しているのではないだろうか。
 本書は、タイトルどおり、岩石を記載するときに不可欠となる知識、かつ重要な事項が整理されている。そして、岩石学における最新情報ももちろん盛り込まれている。本書の構成は、岩石の分類、火成岩の組成・分類・組織、火成岩の微量元素組成と同位体組成、火成岩の記載的特徴、火成岩体、変成作用、変成岩の分類と命名、変成作用の限界と進行過程、変成相と変成相系列、変成岩の組織、広域変成岩の記載的特徴、局所変成岩の記載的特徴、堆積岩の形成と分類、の13章からなっている。
 本書の特徴はいくつもあるが、岩石を中心としている点と、CD-ROMが付属している点であろう。他の記載岩石学の書では、偏光顕微鏡の扱いがあり、造岩鉱物についても鉱物の分類に基づいて網羅的に記載されている。本書でも、鉱物の記載はあるが、必要最小限にとどめられている。そして、岩石の説明の中に必要最小限の造岩鉱物の説明がおさめられている。それは、岩石の記述に重点を置かれているためと考えられる。
 この種の書籍では、カラーによる例示が、非常に重要である。もし、その要求を満たすなら、書籍の価格が高くなり教科書として高価になるという経済的デメリットが生じる。洋書には、優れた岩石写真や偏光顕微鏡写真のカラー図鑑があるが、和書では少量が口絵として添付されるにすぎない。この点が、従来の記載岩石学の教科書の欠点であり、残念な点であった。本書でも、多数の写真図版が小さいサイズで挿入されているにすぎない。しかし本書では、その欠点を補うために、写真のすべてと図表の一部が、CD-ROMにおさめられている。非常によい措置であると考えられる。今後、教科書的書籍で、カラー図版が必要な場合は、本書を例とされると良いと考えられる。
 さて、最後に、欠点というか特徴というか、判断に迷う点を一つ述べよう。それは、堆積岩の記載についてのアンバランスである。火成岩と変成岩の記述に比べて、堆積岩の記述はあまりに少なく、アンバランスである。本書の著者である周藤氏は火成岩、小山内氏は変成岩を専門とされている。従って、堆積岩に関する記述が少ないのはしょうがないことかもしれないが、できれば、充実して欲しかった。しかし、本書を、火成岩および変成岩の記載のための教科書とすれば、変成岩の理解のためには、堆積岩の知識が不可欠である。従って、必要最小限の堆積岩の説明がなされていると考えれば、この程度で充分なのかもしれない。
 本書は良書であり、記載岩石学の教科書として、学生だけでなく、研究者にも薦めたい書である。そして、下巻の解析岩石学へも期待が大きい。早く上梓されんことを祈っている。
目次へ


17 ユタが愛した探偵:2002.03.02
 内田康夫著「ユタが愛した探偵」(ISBN4-19-850547-0 C0293)を読んだ。
 沖縄のユタと琉球王朝、そして日本と琉球との関係にふれた推理小説。
 面白かった。
目次へ



16 量子宇宙干渉機:2002.03.02
 ジェイムズ・P・ホーガン著「量子宇宙干渉機」(ISBN4-488-66319-2 C0197)を読んだ。
 本格的SFである。本編に必要なら、物理学すら構築する。すごい才能である。
 登場人物の中にサム・プニュンサクというタイの仏教哲学者があり、彼の周辺で含蓄のある会話が多数なされる。その中に以下のようなものがあった。
「意識は、人生が提供する混沌とした選択肢のなかで、より良い未来へと進む方法を学ぶのだと。簡単にいうと、社会というものは、一定の制約に従ったりさまざまな基準を守ったりすることで、長い目で見た場合にはかえって良いものとなって、”悪”とは対照的な”善”という特性をもつようになる。さまざまな宗派や哲学派が、本質的には同じメッセージをことなったやりかたで説明してきた―たいていは、なんらかのかたちで善悪を伝える”神々”という概念によって。1千年ものあいだ、哲学者たちは、道徳の規範を論理という土台から合理的に導き出そうとして、失敗を重ねてきた。」
「きみはまだ若いからすべてを知っているわけではないだろうが、話すぶんの二倍は耳をかたむけるべきだということはわかるはずだ。だからこそ、神さまはわれわれにふたつの耳とひとつの口をあたえたのだろう?」
「憎むことをやめたら、人は他者のなかにみずからを見るでしょう。そうなったとき、どうして他者を苦しめようとするする気になれますか? 人びとは、何千年ものあいだ、人間の非道な行為を抑制するために、恐怖や、暴力や、道理や、説得をもちいてきて―すべて失敗に終わりました。しかし、効果を発揮するには、強大な警察も大がかりな法令も必要ありません。同情の念さえあればいいのです。他者の苦しみや恥辱を感じるときに、どうして彼らを傷つけることができるでしょうか?」
「人びとが、なにかを手に入れるには他人からなにかを奪わなければならないと考えるかわりに、お互いに助け合うということ。だれかが得点したからといって、だれかが失点する必要はないのよね?」
「わたしたちが見ている世界は、いかなる人間の理解力もおよばないプロセスによって支配されており、人間の力の限界というものを思い知らされるばかりです。私たちが体験することは、わたしたち自身の判断や行動に応じて、なんとも複雑なわかりにくいかたちで決定されます。ということは、しるしを読みとる方法さえわかれば、より良い道すじを見つけられすはずなのです。かれはまさに、まともな宗教がいわんとしていることにほかなりません。そのような作用をあらわす手段としては、”神”という概念も有効なものと思われます」
「なにかを理解したいと思うなら、はじめから答えがどうだろうと気にしないという決意をもとなければならないということだ(中略)たとえば、ニュートン力学や近代天文学が受け入れられるためには、人びとが、惑星の運行に神や天使がかかわっていて、それを信じないものは地獄に落ちるのだという信念をそっくり捨てる必要があった」
含蓄のあることばである。
目次へ


2月

15 eメールの達人になる:2002.02.23
 村上龍著「eメールの達人になる」(ISBN4-07-720119-8 C0236)を読んだ。
 村上氏のeメールに対する考えを書いた書である。eメールという条件と、日本語と相手を大切にする考えは共感したが、著者は、相手への配慮をひつこく言っていたが、どうもそれが、押し付けがましく感じた。合い矛盾する感情を持った。感情とは、難しいものである。
目次へ


14 立派な親父になる:2002.02.23
 林道義著「立派な親父になる」(ISBN4-88747-022-3C0095)を読んだ。
 この本では、もはや現在の親には期待できない、だから、子供に期待しようという趣旨だろうか、子供に向かって、誰もが納得できる親父像を提示している。この書は、私は永久保存である。
 さて、この本でよかったところだらけだが、一番大事な部分は、
「なぜこどもに立派な大人が必要なのか。それは人間には、少しでも良くなろう、高まろうという向上心があるからだ。とくに子どもには向上心が強い。立派な人間にになりたという心がある。そのとき模範が必要になる。その最初の模範になるのが父親なのだ。」
であろう。
 立派な父親とはどういう人を言うのかについて、
「家族を慈しむ父でなければならない」
「何でも教えたがる父親は、たいへんすばらしい父である」
「みなが一緒によりよい状態になる、つまり幸せになることを目指すのが父親の「理想」である」
「正しい心を持てば、正義の道を見つけやすくなるのである」
「民族の文化を子に伝え、民族に特有の美しい完成を伝えていかなければならない」
「父親は子どもに礼節を教えなければならない」
「規則正しい生活習慣を見につけるさせること」
「もう一つ最も基礎的で大切な「しつけ」がある。「うそを言ってはいけない」といいう「しつけ」である」
「道徳・礼節を語らない男を、父とは呼ばない」
「子どもに感動体験を与えよ」
「立派な父になるためには、自らが男らしくなると同時に、子どもを男らしく育てなければならない」
目次へ


13 天は人の上に人をつくらず:2002.02.23
 安野光雅著「天は人の上に人をつくらず」(ISBN4-88747-020-7 C0095)を読んだ。80ページ足らずの文庫で300円ほどの小冊子である。
 しかも、漢字には全部ルビ付きで、子供向けの本である。私が出したいような本である。薄い本もいいが、しっかりした本を書きたい。愛読者ハガキを出した。どういう反応が、楽しみだ。
 さて、この本でよかったところ。
「むかし、「進取の精神」という言葉があった。何事によらず、自分から進んで物事に当たるという意味だが、諭吉ほど「進取の精神」に満ちた人は少ない。」
「「その人が人間として尊敬できるかどうか」という物差しで計ることにしたらどうだろう。これは、きまった物差しがないから、はっきりしたことは言えないが、世間のどこでも通用する上下を言うなら、「人間として・・・・」と考えるほかない。」
目次へ


12 心は孤独な数学者:2002.02.07

 藤原正彦著「心は孤独な数学者」(ISBN4-10-124806-0 C0141)を読んだ。
 文庫版ではこれが最新刊である。この本では、藤原氏が尊敬する数学者である、イギリス人のニュートン、アイルランド人のハミルトン、そしてインド人のラマヌジャンという天才たちの人間としての足跡をたどったものである。イギリス、スコットランド、インドと大英帝国圏のそれぞれの地で、それぞれの民族として風土の影響を受けた人間として天才数学者が描かれている。
 本の中で気になった文章をいくつか載録する。
 ニュートンの墓碑銘として詩人アレキサンダー・ポープの二行詩
「自然と自然の法則は闇に横たわっていた
神は言い給うた、『ニュートンあれ』、すべては光の中に現れた」
 「イギリス人の保守性を考える時、いつも胸をよぎるのは、彼等の独創性である。力学(ニュートン)、電磁気学(マクスウェル)、進化論(ダーウィン)はみなイギリス産である。近代経済学(ケインズ)もビートルズもミニスカートもイギリス産である。ジェットエンジンもコンピュータもイギリス産である。」
 恋と詩と数学に生きたハミルトンが4元数を思いついた興奮のあまり刻み付けた式橋の欄干の碑文
「ここにて、1843年10月16日、ウイリアム・ハミルトンは、天才の閃きにより、四元数の基本式を発見し、それをこの橋に刻んだ。i2=j2=k2=ijk=-1」
 「哲学の系譜からいっても、イギリスは経験論の国である。教義や論理などより、経験を重視するのである。厳密性や論理性などというのは、柔軟性に欠けたドイツ人の考えることで、つまらぬ理屈を並べ立てるのは、口先だけのフランス人のすること、と軽蔑していたのである。」
 「先進国の人々で、インドに魅了される者がいるのは、中世と現在の共存する、目の回るような多様性の中に、文明を剥ぎ取った人間、仮面をとった自分自身を目の当たりにするからであろう。どこで何を見ても、否応なしに何かを突きつけられる。それは驚きであり、時には憤怒や感動であり、常に知的刺激である。絶え間ないこの刺激も、疲労を深める大きな一因であろう。インド疲れは回復するのに、帰国後三週間はたっぷりかかるのである。」
 「人間も含めた広義の宇宙が、神により美しく調和ある姿に構成されているためかもしれない。あるいは、人間が美しいと感ずるものは、人間の知性に最も適合するものであり、従って道具としても利用しやすいのかもしれない。」
 ラマヌジャンの独創性について著者がランガチャリ教授に尋ねたところ、「チャンティング(詠唱)が独創の一因と思う」
「独創との関係について述べてみましょう。まず、詠唱により大量の知識を確実に蓄えることがでいます」
「次に一つ一つの知識が孤立した点ではなく、広がりをもって記憶されるということです」
「折にふれ口ずさむことは、得られた知識や概念をもてあそぶということです」
という答えが帰ってきた。 含蓄のある言葉である。
目次へ


1月

10 父の威厳 数学者の意地:2002.1.30

 藤原正彦「父の威厳 数学者の意地」(ISBN4-10-124805-2)を読んだ。これもやはり、面白かった。その本の一節に「ティーを片手に、ゆったりとした気分で、人生、文学、芸術を語り、自然と親しみ、余裕の中で着想への思いをめぐらすのが、彼ら(イギリス人)の理想である。一方のアメリカ人数学者は、コーヒーでやる気を覚醒し、自分を叱咤しながら論文生産競争に励む。」とあった。私は、イギリス的を望みながら、アメリカ的生き方をしている。
 また、「尊敬される国家とは、普遍的価値を創出した国家のことであろう。イギリスは近代的民主主義を作った。フランスは人権思想を、ドイツは哲学や古典音楽を作った。この三国は自然科学での貢献も大きい。経済的にも軍事的にも大したことのない英独仏が、いまだに国際舞台でリーダーシップを発揮しているのは、まさに彼等が創出した普遍的価値に、世界が敬意を払っているからである。尊敬されることは、防衛力ともなる。」とある。
 私は、ついつい個人に、この考えを敷衍してしまう。私は尊敬される人間だろうか。単に努力や成果を売り物にする、薄っぺらな人間なのだろうか。
 私は、自分自身を振り返ると、多分評価するが、尊敬しないであろう。なぜなら、アメリカ人的であるから。イギリスのような尊敬を得られる人間を私は尊敬する。
目次へ


9 遥かなるケンブリッジ:2002.1.25

 藤原正彦「遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス」(ISBN4−10−327404−2 C0030)を読んだ。面白くて一気に読んだ。
 数学者の著者が、家族を連れて、1年間ケンブリッジ大学に滞在したときの記録である。単に滞在記、エッセイというより、イギリスの文化、国民、歴史を評論している。
 イギリス人は、fairを尊ぶ。辞書の、公平な、公正な、適正な、正当ななどとは少し違っているという。「フェアーであることを、イギリス人は絶対的なことと考え、アメリカ人は重要なことと考え、ヨーロッパ人は重要なことの一つと考え、日本人は好ましいことと考える」
 ジェントルマンの慎み深さを表す会話として、相手の父のことを優秀な科学者ですかと、著者が尋ねると「そうかも知れない。一応はノーベル賞をもらってるから」と、慎み深く答えたという。
 著者は言う、「イギリス人は何もかも見てしまった人々である。かつて来た道を、また歩こうとは思わない」と。それは、大英帝国、近代民主主義の栄華を謳歌し、そして現在に至っている。その後、同じような経路をイギリス人は取らないというのだ。含蓄のある言葉である。
目次へ


8 数学者の休息時間:2002.1.24

 藤原正彦「数学者の休息時間」(ISBN4-10-124803-6 C0195)を読んだ。
面白かった。
 特に、「父の旅 私の旅」が秀逸。父の絶筆となった新田次郎の小説「弧愁−サウダーデ」の取材地を、父の死後2年後にたどる。新田次郎の9冊におよぶ取材ノートを頼りに、父の姿をたどる。そして、そこに「弧愁−サウダーデ」を見た。
 いい本であった。
目次へ


7 パソコンで楽しむ山と地図:2002.1.23

 山と地図のファーラム編著「パソコンで楽しむ山と地図」(ISBN4-408-00745-5 C2026)
 地図データを用いて、3次元的に表現するための手法や各種ソフトを用いた操作法に関する書籍である。自分でもやる機会があるかもしれないので購入したが、役立ちそうにもないので流し読みをした。1997年に発行の本なので、少し古い。コンピュータの世界では、4年という時間差は致命的である。
目次へ


6 急いでも損をしない家の売り方:2002.1.22

 櫻井幸雄著「急いでも損をしない家の売り方」(ISBN4-7966-2511-4 C0277)
故あって、家を売ろうと考えている。そのための参考になろうかと、考えて読んだが、少しだけ参考になった。
目次へ


5 数学者の言葉では:2002.1.22

 藤原正彦著「数学者の言葉では」(ISBN4-10-124802-8 C0195)「若き数学者のアメリカ」の著者である。かなり前に読んだエッセイで、メールマガジンの読者が彼のファンであったことから、藤原氏の著者を何10年ぶりかで、思い出した。そして去年の暮れ、神田の古本屋で「遥かなるケンブリッジ」の単行本を見つけ、ふと、買って、他のエッセイもないか探したら何冊も出ていたので、購入して、今順番に読み出した。
 面白い。父の新田二郎の言葉として、このエッセイ集に書かれていた言葉が印象的だった。「作家になるための条件は、名文を書く力ではない。読者を引っぱて行く力である」さらに、「若き数学者のアメリカ」でガールフレンドとの交流について書かれているところが非常に印象に残ってたのだが、その部分について新田二郎は、「危ない。ああいう所は本当に危ない。あれでぎりぎりだ。もう一行書いたら全体がダメになるところだった。今度は気を付けないといけない」といったそうだ。ぎりぎりのところでの文章だから、印象も強かったのかもしれない。
目次へ


4 ランダムな世界を究める:2002.1.16

 米沢富美子・立花隆著「ランダムな世界を究める」(ISBN44-582-76409-6 C0350)を少し前に読んだ。物性物理学者の米沢氏への立花隆のインタビューである。10年前に発行された書籍が、平凡社ライブラリーとして復刊されたものである。内容は最先端の部分では古くなっているかもしれないが、門外漢には新鮮に感じた。米沢氏には、10数年前にあっている。私はまだ、ポスドクの身で、あるコンファレンスのオーガナイザーに当時の指導教官がなっていたので私も手伝いとして借り出された。このコンファレンスの招待講演で米沢氏が話をした。それを舞台裏から聞いていた。講演内容は全く理解できなかったが、彼女のシャープさとあっけらかんとしたおおらかさが印象に残った。
目次へ


3 二人で紡いだ物語:2002.1.15

 米沢富美子著「二人で紡いだ物語」(ISBN4-931178-32-4 C0095)を読んだ。
 物性物理学者の著者の研究者、妻、母として、それも一流の人としての活動が、さりげない謙虚な気持ちで書かれている。そして最愛の夫が60歳にして先立たれたときの悲しみ、そしてそれを乗り越えるために、夫婦での思いでの地を巡っていく。すばらしい夫婦愛を見た気がする。
 私の家族でも順番からいけば、私が一番先に死ぬはずである。それを考えると残されたものがこのように自分を慕ってくれているということがわかれば、憂いなく先立てる気がする。さて我が家ではどうなるであろうか。
目次へ


2 暗号解読:2002.1.15

 サイモン・シン著「暗号解読」(ISBN4-1-53902-2 C0098)を、「フェルマーの最終定理」についで読んだ。予想通り、面白かった。暗号作者と暗号解読者の能力比べ。カエサル暗号、ヴィジュネル暗号、古代文字解読、ドイツ軍採用の暗号機エニグマ、そして現在使用されているRSA暗号、PGP暗号、未来の暗号量子暗号まで説明されている。近代では数学者が数学理論に基づき、その役を担っている。さらに、将来は量子物理学者が暗号において重要な役割を演じる可能性がでてきた。
 このような非常に高度の内容を「フェルマーの最終定理」のときと同様わかりやすく説明している。最後の賞金付の「史上最強の暗号」が掲載されている。残念ながらこの暗号は解読されていた。
目次へ


1 怒りのブレークスルー:2002.1.14

 風邪で寝込んでいるとき、眠れないので本を読んだ。中村修二著「怒りのブレークスルー」(ISBN4-8342-5052-0 C0095)である。前作の「考える力、やり抜く力 私の方法」(ISBN4-8379-1872-7 C0030)に続いて読んだ。内容的に重複する部分があるけれども、やはり共感を覚えた。同世代という共通項だけでなく、体制へ怒り。イエスマンへの怒り。上層部の無能さへの怒り。それらに、不満を抱かない人たちへの不満。家族や、田舎の自然を愛する気持ち。そして、自分の気持ちを大切にする気持ち。などなど、感じるところがあった。
目次へ


トップページへ