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思いつくまま

●2000回の感謝:No. 2001 2006.11.28

このページを見てくださった「あなた」に感謝します。
「あなた」の存在は、
私には見えません。
しかし、見えない眼として、
私の心の中に「あなた」は確実に存在しています。
そんな「あなた」がいたから、この継続ができました。
ありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いします。


とうとうこの「思いつくまま」も2000回を迎えた。
No. 1の「はじめに」を書いたのが2001年6月2日で、
1000回の感謝を書いたのが2003年9月23日である。
2000回が今日2006年11月28日である。
最初の1000回を達成するのに2年4ヶ月、
1000回から2000回まで3年2ヶ月かかった。
両者には1年以上の差がある。
この差は、調査や旅行のときに書くメモが
ここ数年は少なくなったことに由来している。
以前はメモもエッセイも出かけているときは
一杯書いていた。
しかし、最近はあまり書かなくなった。
年齢のせいか調査に出ると疲れが
溜まるためかもしれない。
これのペースはこれからも続くであろう。
3年ほどで1000回、1年間300回余りのペースで
ここからもメモの蓄積が進むのであろう。
この「思いつくまま」が
私のすべてのメモとしての役割を果たしている。
身近な自然、読書メモ、日々思ったこと、エッセイのネタ、
人に送ったメールの重要な内容などなど、
機会があれば、すべてここにメモとして記録してきた。
それらを日々の思いとして公開してきた。
このような書くという蓄積が、
私にとって、どのような役割を果たしてきたのか、
これから果たすかは、よく分からない。
書くことに抵抗はもともとなかったが、
いろいろなことを考えて書くこと、
書きながら考えをまとめること、
自分の考える力をつけることには
役立っているのかもしれない。
カウンターはとうの昔にやめてしまった。
だから、このページを読む人が
どれくらいいるかは分からない。
見る人の人数が多ければ一生懸命書くのか、
見る人がいなければ、書くことに手を抜くのか。
もちろんそんなことはない。
そんなことを考えていくと、
私の中でカウンターをつけることの意味なくなった。
カウンターの設置が、他者の過多によって、
自分の考えを左右されているかのように見えて、
つまらないことに思えてきた。
しかし、公開しているということは、
もはや自分自身のためだけではありえなくなっている。
他人を意識したメモとなるのは当然だ。
その自分自身の心の中の他人の眼は、
自分の考えに当然ながら規制を与える。
それは、良い意味でも悪い意味でも必要なことである。
公開しないのなら、
本当の日記として非公開で書けばいいのだ。
公開するということは、
もはや人に見られているということを
意識して書くことである。
私には、書くための動機として、
私の心の中に他者の眼が必要なのである。
そんな眼を意識しながら、
ただ淡々と継続していくのみである。


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