思いつくまま

2002年7月
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●疑問:No. 434● 22002.07.31
●田舎:No. 433● 22002.07.31
●M君:No. 432● 22002.07.31
●ベスト:No. 431● 2002.07.31
●大丈夫か:No. 430● 2002.07.30
●えりもへ:No. 429● 2002.07.30
●ツリフネソウ:No. 428● 2002.07.29
●ラジオ体操:No. 427● 2002.07.29
●継続は、力なり:No. 426● 2002.07.29
●手塚治虫:No. 425● 2002.07.29
●カナダから:No. 424● 2002.07.25
No. 387〜No. 423は、カナダ篇で
●カナダへ:No. 386● 2002.07.12
●質問:No. 384● 2002.07.10
●海から陸へ:No. 383● 2002.07.09
●虚数の情緒:No. 382● 2002.07.08
●宿命:No. 381● 2002.07.06
●システム変更:No. 380● 2002.07.05
●デジタルカメラ:No. 379● 2002.07.05
●決意:No. 378● 2002.07.05
●リフレッシュ:No. 377● 2002.07.05


●疑問:No. 434● 22002.07.31
昨日のNHKで、昆虫の移入種について元の職場の人がでていた。
でも、生物の研究者は、なぜ、
固有種を守るべき、多様性の保存をすべき
などといつもいう。
地質学者からみると、
固有種とは、今現在の組み合わせに過ぎず、
それは、自然淘汰のもとに、変化続けているものである。
ある一部の先住権をもったものを守るというのは、
もともとは既得権でないものものを、
その競争に参加してないしてない人が、
なぜ介入して競争が起こる前から勝敗を決定するのだろうか。
私にはその点がすごく疑問である。
いまだかつて、地質学者である私は、生物の人から、
一度も満足できる、論理を聞いたことがない。
それとも、私の考え方、論理はイビツなのだろうか。
もしそうなら、インターネットなどで発言することは、
人のためには、ならないのだが。
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●田舎:No. 433● 22002.07.31
山里や田舎にくると、
なぜ、ほっとするのだろうか。
緑の多いこと、人が少なく、純朴なこと。
どれもその原因かもしれない。
でも、問題は、都会の環境で
どこか無理して生活しているせいではないか。
便利さという目くらましにあって、
なにか忘れてはいけないものを、
わすれてしまったせいではないか。
もし、そうなら、不便でも
田舎の自然の多いところ住むべきであろう。
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●M君:No. 432● 22002.07.31
昨日の夜は、メンバーに日記を書かせた。
いままでは、あれしろ、これしろといわなかった。
これからは、少ないチャンスだからいおう。
今年の春、高校生になったM君は、大きく変化していた。
遠くの2時間もかかる高校に通学している。
世間が広くなったのかもしれない。
でも、前は意地を張ってがんばっていたのだが、
少し丸くなった。
世間を知るということ。
それは、丸くなって、個性が薄れていくこと。
それはいいことなのか、悪いことなのかわからない。
でも、私からすると、少しつまらなくなった。
人間として、どこか突っ張っているようなところがあるほうが、
魅力があるのだが。
でも、M君の心の中では、そんな気持ちが
ぐつぐつ燃えているはずだ。
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●ベスト:No. 431● 2002.07.31
朝4時。
雨が降り出した。
今日が一番、石をたくさん見る予定の日なのに、
これはつらい。
でも、しょうがないこと。
雨でも、ベストをつくること。
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●大丈夫か:No. 430● 2002.07.30
静内温泉に泊まっている。
温泉上がりのせいか、暑く、汗が止まらない。
前回、泊まった時は、食事でトラブルで不快な思いをした。
でも、今回は、大丈夫だろうか。
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●えりもへ:No. 429● 2002.07.30
今日から、様似、えりもに地質の観察会にいく。
2泊3日である。
子供たちへの長期にわたる地学教育の実践である。
えりも岬まで結構、遠い。
気をつけないと、
帰りの飛行機に遅れるから注意が必要である。
距離と車の平均速度に錯覚が生じるので、
注意が必要である。
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●ツリフネソウ:No. 428● 2002.07.29

朝歩いてくる時、
ツリフネソウをみつかた。
多数咲いていた。
黄色いツリフネソウではなく、
先が赤で奥が白へ変化している
ツリフネソウである。
久しぶりに、花をみて、心が和んだ。

あしたらか、ClubGeoの地学巡検で
日高に出かける。
2泊3日の調査である。
楽しい日々が過ごせるであろう。
また、刺激を得ら
心和めいいのだが。
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●ラジオ体操:No. 427● 2002.07.29

先日、朝遅く、6時半過ぎに
大学に来るため歩いていた。
すろと、あちこちでラジオ体操をしていた。
懐かしい光景である。
わたしが、子供の頃もしていた行事が、
いまだに続いていている。
これは、もはや文化呼ぶべきものではないか。
そして、今の子供たちが大人になる時も
ラジオ体操が、続いていたら、
その時の彼らも、そこに、郷愁やノスタルジーを覚えるのだろう。
こんな、民族としての共通の郷愁。
このような積み重ねが、民族性をつくるのかもしれない。

うちの子供たちも、はんこを押してもらうカードをもって
出かけているようだ。
でも、家の子供たちは寝坊だから、なかなか参加できない。
昨日まで、1個しか押されてなかった。
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●継続は、力なり:No. 426● 2002.07.29

気付くと、カナダから帰って1週間近くがたっている。
あっという間に、日々は過ぎ去っていく。
もし、この「思いつくまま」を続けるなら、
朝一番に書く習慣をつけなければ、
今後も、滞るであろう。
「思いつくまま」は、メールマガジンのネタでもあり、
思索の記録でもあり、
ささやかなが、私の知の蓄積でもある。
継続は、力なり、
である。
心しよう。
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●手塚治虫:No. 425● 2002.07.29

大下英次著「手塚治虫−ロマン大宇宙」
(ISBN4-06-273425-7 C0195)
を読んだ。
実は、カナダに出かけているときに読みきっていた。
しかし、入力が遅れていた。

手塚治の伝記である。
彼の殺人的創作活動と
そして尽きぬアイデアと創作意欲、
そして常に最前線で漫画を書きたいという意欲。
これは、常人をはるかに凌ぐ情熱のものとになされた。
「ブッダ」を書くときの話である。

手塚は、さらにつづけた。
「仏といいう概念が、なかなかつかみにくいんですよね。
神とは、ちがうんでしょうかね」
竹尾は、自分の意見を述べた。
「仏というのは、人間の中の”命”と理解したらどうでしょうか。
”おろかな命””あらそいの命””おだやなかな命”・・・・
さまざまな”命”のなかで、清らかで力強い、
もっとも尊いものとしてあるのが仏ではないでしょうか」
手塚は、
「うーん、わたしには、信仰心がないから、
よくわからないんでしょうか」

手塚は、死については、こうブッダに語らせていた。
「死ぬということは、人間の肉体という殻から、
生命が、ただ飛び出していくだけだと思うがよい。
だから、死はなにも恐れることはない。
ほんの一瞬、とおりぬけるだけじゃ」
(中略)
ブッダが悟りを語る場面で、手塚はブッダに叫ばせていた。
「人間の心の中にこそ・・・・神がいる・・・・神が宿っているんだ!!」
竹尾は、”神”という言葉をみて手塚らしいなとおもった。
<”仏”が、”神”になっている。
でも、これが手塚先生の解釈なんだろう。
”仏性”とか”仏の生命”では、よしとしなかったんだ。
・・・きっと、手塚先生の”神”は、”仏”という概念もひっくるめた、
もっともっとおおきなものかもしれない、
あらゆる”命”、あらゆる”宇宙”をひっくるめた、
”大宇宙の生命”なんだ>
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●カナダから:No. 424● 2002.07.25

カナダから無事帰ってきました。
予想通り忙しい状態です。
カナダではリフレッシュしてきました。
その様子は、
カナダのホームページで見てください。
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●カナダへ:No. 386● 2002.07.12

7月13日から23日までカナダに出かける。
先カンブリア紀−カンブリア紀の地層境界の地質調査である。
また、地質調査でありながら、
地層境界にたいして
なんらかの哲学的インスピレーションが
得られないかというのも目論見てとしてある。

連続とは、なにか。
不連続とは、なにか。
連続と不連続の関係はどうか。
時間とは、なにか。
地質学の時間とは、なにか。
一度しか流れない時間とは、なにか。
過去の現象を、実証的に検証するとはどういうことか。
過去を現在から検証できるのか。
その検証の正当性はどう検証するのか。
などなど、不思議なことが一杯あるのに、
地質学者は、目をつぶってきた。
私は、それを真正面から向かっていきたい。

大地の歴史を秘めた地層に直接接することよって、
その地層が語る何かを感じることができないか。
まだまだ未熟な私には無理かもしれない。
あるいは、そんなこと、もともと無理な話なのかもしれない。

哲学は、書物を深く読み、
そのことについて、必死に考え抜くことだそうだ。
だとしたら、野外で考える人などになっても、
哲学などに到達できないかもしれない。
でも、私は、誰もそんなことしない、
したこともないだろうことに、興味をもっている。
でも、私は、そんなスタイルに興味を持ち、
そして、挑戦してみたいと思っている。

野外で一人で考えるのがいいか、
何人かで考えながら地層を見るのがいいか。
どちらにもよさがある。
去年のやはりカナダへの一人旅は、
深く考えさせられる調査行であった。
こんどの旅もあわよくば、
実りの多い旅を期待したいものだ。

ということで、この「思いつくまま」も10日間休む。
でも、旅先でも「思いつくまま」は
思いつくままに書きつづけるので、
帰ってから報告する。
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●質問:No. 384● 2002.07.10

学生から、テストに関して質問を受けた。
私は、その質問に対し、
以下のように答えた。

「テストにはどこがでるんですか?......そんなこと言えるか!」
その点だけは、フェアにいきましょう。
単位が欲しいなら、その取り方も、
そしていい点の取り方も最初の授業でおこないました。
その講義を聞いていない人に、
私の講義メモを、ホームページで公開しています。

試験に関しては、今日の講義で全員に伝えます。
いつもの講義と同じように、
聞きたい人だけに伝えます。

「やはり試験に合格しなければ無意味だと思うのです」
私は、無意味とは思いません。
でも、授業の復習として、試験勉強をすることは
無駄だとは思いません。
長い人生で、授業の一つの単位をとることより、
その講義で得た知識、
あるいは、知の体系、
あるいは、知の体系に近づく方法、
あるいは、そのための姿勢
などのほうがずっと大切だとおもいます。
私もその態度を伝えたいと考えていました。

「「興味のある人だけ授業に出ろ。
こんな難しい言葉は覚えなくてよい。
授業を聞きに来ている人に失礼だ」と言いますよね?
それって心からそう言っているのですか?」
もちろん、心からそう思っています。
難しい言葉より、
自然の不思議、
そしてその不思議を解き明かした科学者のストーリ
そして、その不思議の謎が解明された面白さ、
それを伝えたいのです。
そこから、上の答えが出てくると思うのですが。

ですから、あなただけに伝えられるのは、
「がんばれ」という言葉です。
それは、試験のためではなく、
大学生として、試験に真面目に立ち向かう態度を
身を持って経験しなさいとうことです。
高校時代とはまったく違った
予想もつかない授業もあったと思います。
でも、社会では、答えなどない、教科書などない
事態にばかり立ち向かわなければなりません。
そのために、大学の予想もつかない授業に対して
試験勉強することも重要な経験になる思います。
大学の試験に自分なりに真剣に立ち向かう、
それはけっして損することはないはずです。

もう一度さいごに、繰り返します
T君、がんばりなさい。
では、また。
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●海から陸へ:No. 383● 2002.07.09

先日、陸上への進出を示す証拠となる
化石が見つかったと新聞に載った。

海から陸へ、生物は進出してきた。
人に、その再現を、あるいは、
感想を求めるのは無理かもしれない。
なぜなら、人は、すでに陸上に住んでいるから。

でも、逆の陸から海へは、今後、経験可能である。
そんな例は、恐竜の仲間、イクチオザウルス
哺乳類の仲間、クジラ、イルカ、オットセイ、ジュゴン、マナティ
などなどたくさんいる。
でも、もっともはやく、陸上進出をはたした、
昆虫類が、なぜ、海へもどらなかったのか、不思議である。
彼らは、もう海へ帰れない体になったのだろうか。
人より、昆虫の方が、より確実に、海を捨てたのである。
だからという訳ではないが、
人は、海に戻れる可能性は充分あると思う。

そして、完全に海のもどった人たちがいたとしたら、
そのときはじめて、
陸上に上がる時の、
苦しさ、たのしさ、
あるいはやむにやまれぬ事情などが
理解できるのだろう。
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●虚数の情緒:No. 382● 2002.07.08

吉田武「虚数の情緒 中学生からの全方位独学法」
(ISBN4-486-01485-5)
を読んだ。
やっと、読めたといったほうがいいかもしれない。

去年2001年の9月、金沢の地質学会で、
書店でたまたま見つけた本である。
この本は、いつから読みはじめただろうか。
トイレに置いておいて、
毎日少しずつ読んでいった。
読むのに、半年近くかかかったのだろうか、
それほどかけて味わう値打ちのある本だと思う。
大変いい本であった。
そして、渾身の力をいれて書かれたもの
であることがよくわかった。
そして、印刷、製本以外は、
すべて、自力でおこなわれたという、
著者の執念が込められている本である。

執念ではなく、この本は、良い本である。
そして、私が、目指したい、地質学の普及書も
このようなタイプのものを目指したたい。
今回は抜書きはなしである。
永久保存の書とする。
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●宿命:No. 381● 2002.07.06

今日は土曜日だが、午前中仕事をする。
間に合わないことがいくつかできてきた。
それも、来週から、
カナダへ10日ほど地質調査に行くためである。
カナダでは、
V-C境界を見に行く。
つまり、先カンブリア紀とカンブリア紀の境界の地層である。
中国の澄江と北京西方、オーストラリアのエディアカラでみた。
その3度目である。
しかし、関連する地層としては、
カナダのバージェスでも、付近の地層を見た。
今回は、論文を書くための調査である。
地質調査というより、
「現場を踏む」という感じである。
そのため、ずべて前倒しで準備をしなければならない。
10日間の調査というお楽しみの前の苦しみで、
宿命であろう。
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●システム変更:No. 380● 2002.07.05

システムの変更は、
いままでのルーチン化したやりかたを
各所で変更しなければならない。
もし、その変更が大変であればあるほど、
変更はしたくなる。

変更するには、変更するだけの理由が必要である。
たとえば、今までのやり方では効率が悪すぎる。
あるいは、今までのシステムよりよりよいものができる。
など、なんらかのメリットを求めるためのとき。
あるいは、
今までのシステムが、
資源、人材、装置、
などの物理的や不可抗力的ともいいうべき
事態に遭遇して、変更を迫られる時である。

私は、今回、
写真に対するシステムを変更した。
それは、アナログからデジタルへの変更であった。
多分、問題がいくつも出てくるだろう。
でも、それは、工夫で乗り越えるしかないであろう。
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●デジタルカメラ:No. 379● 2002.07.05

カメラを35mmのアナログから、
500万画素のデジタルカメラに切り替えた。
同じような決断を以前もした記憶がある。

マニュアルカメラからオートフォーカスカメラへの
切り替えの時である。
そのとき悩んだのは、
いままで、お金をかけてきた
マニュアルカメラの資産をすべて使えなくなるからだ。

今回も同じような決断を迫られた。
アナログカメラには、多くの資金をつぎ込んだ。
それを以後ほとんど使わなくなるんのである。

そのため、交換レンズを使える、
デジタルカメラにしようか悩んだ。
すると、今までの資産は使える。
でも、カメラ本体の費用が倍以上する。
それに、出かけるときの荷物も、
重くなるだけである。

そこでとうとう決断して、
NikonのCOOLPIX5700を購入した。
まだ、ためし撮りしかしていないが、
今までのカメラと比べたら、コンパックとである。
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●決意:No. 378● 2002.07.05

先日、ある決意をした。
それは、いままで、写真をすべて、
アナログつまり、ポジフィルムでとっていた。
もちろん、35mmの一眼レフカメラをつかっていた。
それは、博物館にいたとき、
ポスターや図録などの印刷物を作るとき
どうしても、最低でも、35mmポジフィルムの
クオリティを必要としたからである。

しかし、大学にきたら、そのようなクオリティを必要としない。
したがって、デジタル写真にすべて切り替えてもいいと判断した。
そのためには、500画素のクオリティを持つデジタルカメラ
が必要条件であった。
そして、できうれば軽くて、コンパクトのものがよい。
いままで、海外旅行で、機内持込の荷物の3分の2は、
カメラおよび交換レンズであった。
そして、レンズに至っては、
一度も使わないものも担いでいることになる。
むだな労力であった。
それを、すべて、デジタルカメラに切り替えることにした。

先日の地学巡検の下見では、
デジタルカメラで、すべてすませた。
ものめずらしさのせいなのか、たくさん取ってしまった。
でも、何も考えず、そのまま、
CD-Rにやけばいいのだとわりっきておこう。
そして、必要に応じて、加工すればいいのだ。
デジタルにしたら、ランニングコストは、
アナログとくらべてると微々たるものだ。
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●リフレッシュ:No. 377● 2002.07.05

6月28日(金曜日)から7月1日(月曜日)まで、
夏の地学巡検の下見にいてきた。
ジャンバーを着たり、Tシャツだったり、
めまぐるしい天気で、
着るものが一杯になってしまう。
しかし、4日間の旅で、
たぶ、リフレッシュした。

問題は、帰ってからである。
仕事が詰まっている。
そして、授業の準備に加えて、
学期末のテストの準備もしなければならない。
締め切りは、
6月の末。
先日、催促があった。
2週間伸ばしてもらったが、
今日明日で、つくり、
来週早々、提出しよう。
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