思いつくまま

No.0201 (2002年1月分)
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目次 
●転進:No. 234● 2002.1.31
●父の威厳 数学者の意地:No. 233● 2002.1.30
●「大人」にはなれない:No. 232● 2002.1.30
●ある朝に:No. 231● 2002.1.29
●コンドミニアムにて:No. 230● 2002.1.28
●嵐:No. 229● 2002.1.27
●悪循環:No. 228● 2002.1.26
●遥かなるケンブリッジ:No. 227● 2002.1.25
●私の読書:No. 226● 2002.1.24
●数学者の休息時間:No. 225● 2002.1.24
●朝焼けと北風:No. 224● 2002.1.23
●パソコンで楽しむ山と地図:No. 223● 2002.1.23
●数学者の言葉では:No. 222● 2002.1.22
●急いでも損をしない家の売り方:No. 221● 2002.1.22
●Terraの寺子屋:No. 220● 2002.1.18
●ランダムな世界を究める:No. 219● 2002.1.16
●二人で紡いだ物語:No. 218● 2002.1.15
●暗号解読:No. 217● 2002.1.15
●怒りのブレークスルー:No. 216● 2002.1.14
●伊豆大島へ:No. 215● 2002.1.14
●ウイルスからウイルスへ:No. 214● 2002.1.11
●急がば回れ:No. 213● 2002.1.10
●恩師の思いやり:No. 212● 2002.1.8
●休息日:No. 211● 2002.1.7
●子供の隙を見て:No. 210● 2002.1.5
●祭りの後:No. 209● 2002.1.4
●復路:No. 209● 2002.1.4
●親バカ子バカ:No. 208● 2002.1.2
●年の初めに:No. 207● 2002.1.1

●転進:No. 234● 2002.1.31

私の転進が、
学会の雑誌で公開された。

身の振り方。
それが転進であった時、
多くは、話の種に聞くだけで、
熱心でない人が大部分である。
自分がどんなに一大決心しようと、
他人にとっては、どうでもいいこと。
私の転進が、その人に影響がなれば。
まし自分に影響があれば、
敏感である。

私は、自分では、この転進が
好転していると考えていても、
人によっては
「なんで、そんな転進を」
という人もいる。
人それぞれである。

わが転進が公開されたので、
これから多くの人に連絡しなければならない。
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●父の威厳 数学者の意地:No. 233● 2002.1.30

藤原正彦「父の威厳 数学者の意地」
(ISBN4-10-124805-2)
を読んだ。
これもやはり、面白かった。
その本の一節に
「ティーを片手に、ゆったりとした気分で、
人生、文学、芸術を語り、自然と親しみ、
余裕の中で着想への思いをめぐらすのが、
彼ら(イギリス人)の理想である。
一方のアメリカ人数学者は、
コーヒーでやる気を覚醒し、
自分を叱咤しながら論文生産競争に励む。」
とあった。
私は、イギリス的を望みながら、
アメリカ的生き方をしている。

また、
「尊敬される国家とは、
普遍的価値を創出した国家のことであろう。
イギリスは近代的民主主義を作った。
フランスは人権思想を、
ドイツは哲学や古典音楽を作った。
この三国は自然科学での貢献も大きい。
経済的にも軍事的にも大したことのない英独仏が、
いまだに国際舞台でリーダーシップを発揮しているのは、
まさに彼等が創出した普遍的価値に、
世界が敬意を払っているからである。
尊敬されることは、防衛力ともなる。」
とある。

私は、ついつい個人に、この考えを敷衍してしまう。
私は尊敬される人間だろうか。
単に努力や成果を売り物にする、
薄っぺらな人間なのだろうか。

私は、自分自身を振り返ると、
多分評価するが、
尊敬しないであろう。
なぜなら、アメリカ人的であるから。
イギリスのような尊敬を得られる人間を
私は尊敬する。
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●「大人」にはなれない:No. 232● 2002.1.30

正論、常に正しからず。
正論が通らないのが、世の中。
折衷的な、妥協の産物が、世のありよう。

正論を通そうとすること。
それは、おおいなる不協和を生む。
支離滅裂といわれようが、
依怙地といわれようが、
やりたいことを、やりたいようにやる。
やるべきことを、やるべきようにやる。
そんなことができるのが、
偉いことではない。

正論を知りながら、
折衷を図ることである。
それが、偉い「大人」のやりかた。

折衷の一番の難しさは、
心が正論を知っているのに、
それを騙して、
後退することのつらさである。
「大人」になることは、
そんな心のありようを知りながら、
心を傷つけながら、
生きることかもしれない。
私は、なかなか「大人」にはなれない。
私は、心の痛みに、耐え切れない。
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●ある朝に:No. 231● 2002.1.29

風が強いが、快晴である。
朝ばれの海が見える。
いつもとは違う景色である。
熱海のホテルでの朝である。
温泉に入ってさっぱりした。
昨夜、1つのベットで、大人一人と子供一人で寝た。
3時間ほど寝ていると、狭くて寝苦しく、肩が凝ってきたので、
夜中に、別のところに移って、一人で寝た。
3LDKなので、洋室2つあり(そのうち1室で家族四人寝ていた)と
和室1室がある。それぞれに寝れるように、
ベットの布団の用意がしてあった。
その洋室の一つに移ったのである。
そのベットが軟らかすぎて、
肩こりは直らなかった。
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●コンドミニアムにて:No. 230● 2002.1.28

熱海のコンドミアム・タイプのホテルに家族で来た。
3LDKで、広い温泉の共同浴場つきである。
コンドミニアムだが、
ホテルなので夕食も朝食もついている。
久々にのびのびした気分である。
自宅と比べれば、当然狭いのだが、
他の家に、自宅気分で、
一時的に住んだ気になるもの、
一興である。
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●嵐:No. 229● 2002.1.27

冬の嵐の天気予報に
びくびくしていたが、
たいした事はなかった。
先日の嵐の方がひどかった。

天気は、
場所ごとに違っている可能性があるので
自分の地域が、たいしたことがなくても
他地域では大きな被害が出ている可能性がある。

従って、天気予報は
大局的には正しいが、
厳密には外れることもある。
降雨確率が、確率たる所以であろう。

だから私は、
晴れでも、3段折りたたみ傘が、
カバンにいつも入っている。
家を出るとき雨が降りそうだったら、
2段折りたたみ傘をカバンに入れる。
雨が降っていれば、
長い傘をさしていく。
激しく降っていれば、
雨靴を履いていく。
非常に激しい嵐の時は、
休むことにしている。
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●悪循環:No. 228● 2002.1.26

1年の1月から3月は、
各種の総括やまとめ、予算の執行などなど
年度事業の終わりとなるので、
それに多くの時間を費やす。
そして、そこに論文や報告などの
締め切りが重なってくる。
落ち着きがなくなり、ばたばたする時期である。

こんなことにならないようにと、
12月に締め切りを、自分の心に設けたり、
12月では締め切りが重なるので、
別の雑誌の投稿締め切りにあわせて
11月にまとめを、おこなったりする。
でも、そのためには11月の論文は
10月くらいに書け上げていく必要がある。
その準備に、8月あたりから入る。
では、春の締め切りのない時期に
雑誌の論文を投稿する。
また、春には、年度事業の仕事も
スタートしなければならない。
うかうかしていると、
3月の年度事業のまとめの仕事と
重なってくるものもある。

などと、考えめぐらしていくと、
いつまでたっても
何かに追いまくられる日々が続くことになる。
かくして、私は、いつも何かを追い越そうとしながら
追いかけられ、追い越されていく。
これを悪循環という。
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●遥かなるケンブリッジ:No. 227● 2002.1.25

藤原正彦「遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス」
(ISBN4−10−327404−2 C0030)
を読んだ。
面白くて一気に読んだ。

数学者の著者が、家族を連れて、
1年間ケンブリッジ大学に滞在したときの
記録である。
単に滞在記、エッセイというより、
イギリスの文化、国民、歴史を
評論している。

イギリス人は、fairを尊ぶ。
辞書の、公平な、公正な、適正な、正当な
などとは少し違っているという。
「フェアーであることを、
イギリス人は絶対的なことと考え、
アメリカ人は重要なことと考え、
ヨーロッパ人は重要なことの一つと考え、
日本人は好ましいことと考える」

ジェントルマンの慎み深さを表す会話として、
相手の父のことを優秀な科学者ですかと、
著者が尋ねると
「そうかも知れない。一応はノーベル賞をもらってるから」
と、慎み深く答えたという。

著者は言う、
「イギリス人は何もかも見てしまった人々である。
かつて来た道を、また歩こうとは思わない」
と。
それは、大英帝国、近代民主主義の栄華を謳歌し、
そして現在に至っている。
その後、同じような経路をイギリス人は取らないというのだ。
含蓄のある言葉である。
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●私の読書:No. 226● 2002.1.24

私は、同時に3冊の本を読んでいる。
通勤電車の中、トイレの中、寝床
の3箇所である。
それぞれ読む本が違う。

通勤電車の中で1時間弱。
遠くに出かけるときも、これに加わる。
数日から数週間で1冊のペースで読める。
現在は藤原正彦「遥かなるケンブリッジ」
を読んでいる。

トイレの中で数分。
これは、比較的大部の本を読む。
今は、「虚数の情緒」といい1000ページにおよぶ
ものを読んでいる。

枕元には、小説をおいて読んでいる。
寝る前に読むことはほとんどない。
寝る前は子供に絵本を3冊読む。
その間に私の方が眠くなり、
読み終わるとすぐ寝てします。
夜中によく起きるので、
その時数ページから数10ページ読む。
読み終わるのに、1ヶ月以上かかることもある。
現在は、SF小説
ホーガンの「ミクロパーク」
を読み始めた。
だいぶかかりそうである。
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●数学者の休息時間:No. 225● 2002.1.24

藤原正彦「数学者の休息時間」
(ISBN4-10-124803-6 C0195)
を読んだ。
面白かった。

特に、「父の旅 私の旅」
が秀逸。
父の絶筆となった
新田次郎の小説「弧愁−サウダーデ」
の取材地を、父の死後2年後にたどる。
新田次郎の9冊におよぶ取材ノートを頼りに、
父の姿をたどる。
そして、そこに「弧愁−サウダーデ」を見た。

いい本であった。
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●朝焼けと北風:No. 224● 2002.1.23

今朝は、快晴で素晴らしい朝焼けを見ながら出勤した。
通勤道からは、海に上がる朝日を見ることになる。
水平線に少し雲がたなびいていたが、
赤から青を経て、夜の闇に至る
色のグラデーションが素晴らしい。
何度見ても見飽きることはない。

今朝は、強風であった。
冬型になると、
湯河原は風の町と化す。
北風吹きすさぶ真っ暗な道を、
早朝一人歩く時、
朝焼けの空の明るさが
北風を和らげてくれる。
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●パソコンで楽しむ山と地図:No. 223● 2002.1.23

山と地図のファーラム編著「パソコンで楽しむ山と地図」
(ISBN4-408-00745-5 C2026)
地図データを用いて、
3次元的に表現するための手法や
各種ソフトを用いた操作法に関する書籍である。
自分でもやる機会があるかもしれないので
購入したが、役立ちそうにもないので
流し読みをした。
1997年に発行の本なので、
少し古い。
コンピュータの世界では、
4年という時間差は致命的である。
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●数学者の言葉では:No. 222● 2002.1.22

藤原正彦著「数学者の言葉では」
(ISBN4-10-124802-8 C0195)
「若き数学者のアメリカ」の著者である。
かなり前に読んだエッセイで、
メールマガジンの読者が
彼のファンであったことから、
藤原氏の著者を何10年ぶりかで、思い出した。
そして去年の暮れ、神田の古本屋で
「遥かなるケンブリッジ」の単行本を見つけ、
ふと、買って、他のエッセイもないか探したら
何冊も出ていたので、購入して、
今順番に読み出した。

面白い。
父の新田二郎の言葉として、
このエッセイ集に書かれていた言葉が印象的だった。
「作家になるための条件は、
名文を書く力ではない。
読者を引っぱて行く力である」
さらに、「若き数学者のアメリカ」で
ガールフレンドとの交流について書かれているところが
非常に印象に残ってたのだが、
その部分について新田二郎は、
「危ない。
ああいう所は本当に危ない。
あれでぎりぎりだ。
もう一行書いたら全体がダメになるところだった。
今度は気を付けないといけない」
といったそうだ。
ぎりぎりのところでの
文章だから、印象も強かったのかもしれない。
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●急いでも損をしない家の売り方:No. 221● 2002.1.22

櫻井幸雄著「急いでも損をしない家の売り方」
(ISBN4-7966-2511-4 C0277)
故あって、家を売ろうと考えている。
そのための参考になろうかと、
考えて読んだが、
少しだけ参考になった。
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●Terraの寺子屋:No. 220● 2002.1.18

現在、「Terraの寺子屋」として
地球科学の大きなサイトを作成中である。
Terraとは地球の意味である。
一種の掛詞である。
しゃれを解説するほど野暮なことはない。

このサイトは、今までつくり上げてきたものを
集大成したものある。
テクノリサーチとの共同で立ち上げる。

その全容は、以下である。
・データベース(固定型):現在2個(将来1個追加予定)
・データベース(増殖型):2個
・メールマガジン:現在2本(将来1本追加予定)
・メールマガジン用ホームページ:現在2本(将来1本追加予定)
・全ページ共通の掲示板:1個
・過去の掲示板のホームページ:1個
・科学教育関連ホームページ
 :4個(PAC Geo、EPACS公開、EPACS非公開、ClubGeo)
・小出のホームページ:3個(研究室、科学教育、書庫)

テクノリサーチは、
cominite.com
というULR名をもつサーバを、
「Terraの寺子屋」ために全面的に使用協力することになった。
そしてテクノリサーチは、
地球科学のサイトとして、他のサイトとの差別化を計ることになる。

Give&Takeがうまく行くといいのだが。
そのために、私も全面的に協力することにした。
そして、私の資産と精力をかなり、
このサイトにつぎ込むことにした。
私がこのサイトで運営することになるのは、
7つのホームページである。
このトップページの改定もそのためである。
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●ランダムな世界を究める:No. 219● 2002.1.16

米沢富美子・立花隆著「ランダムな世界を究める」(ISBN44-582-76409-6 C0350)
を少し前に読んだ。
物性物理学者の米沢氏への立花隆のインタビューである。
10年前に発行された書籍が、
平凡社ライブラリーとして復刊されたものである。
内容は最先端の部分では古くなっているかもしれないが、
門外漢には新鮮に感じた。

米沢氏には、

10数年前にあっている。
私はまだ、ポスドクの身で、
あるコンファレンスのオーガナイザーに
当時の指導教官がなっていたので
私も手伝いとして借り出された。
このコンファレンスの招待講演で米沢氏が話をした。
それを舞台裏から聞いていた。
講演内容は全く理解できなかったが、
彼女のシャープさと
あっけらかんとしたおおらかさ
が印象に残った。
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●二人で紡いだ物語:No. 218● 2002.1.15

米沢富美子著「二人で紡いだ物語」(ISBN4-931178-32-4 C0095)
を読んだ。
物性物理学者の著者の
研究者、妻、母として、
それも一流の人としての活動が、
さりげない謙虚な気持ちで書かれている。
そして最愛の夫が60歳にして先立たれたときの悲しみ、
そしてそれを乗り越えるために、
夫婦での思いでの地を巡っていく。
すばらしい夫婦愛を見た気がする。

私の家族でも
順番からいけば、私が一番先に死ぬはずである。
それを考えると残されたものが
このように自分を慕ってくれている
ということがわかれば、
憂いなく先立てる気がする。
さて我が家ではどうなるであろうか。
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●暗号解読:No. 217● 2002.1.15

サイモン・シン著「暗号解読」(ISBN4-1-53902-2 C0098)
を、「フェルマーの最終定理」についで読んだ。
予想通り、面白かった。
暗号作者と暗号解読者の能力比べ。
カエサル暗号、ヴィジュネル暗号、古代文字解読、
ドイツ軍採用の暗号機エニグマ、
そして現在使用されているRSA暗号、PGP暗号、
未来の暗号量子暗号まで説明されている。
近代では数学者が数学理論に基づき、
その役を担っている。
さらに、将来は量子物理学者が
暗号において重要な役割を演じる可能性がでてきた。

このような非常に高度の内容を
「フェルマーの最終定理」のときと同様
わかりやすく説明している。
最後の賞金付の「史上最強の暗号」が掲載されている。
残念ながらこの暗号は解読されていた。
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●怒りのブレークスルー:No. 216● 2002.1.14

風邪で寝込んでいるとき、
眠れないので本を読んだ。

中村修二著「怒りのブレークスルー」
(ISBN4-8342-5052-0 C0095)
である。
前作の「考える力、やり抜く力 私の方法」(ISBN4-8379-1872-7 C0030)
に続いて読んだ。
内容的に重複する部分があるけれども、
やはり共感を覚えた。
同世代という共通項だけでなく、
体制へ怒り。
イエスマンへの怒り。
上層部の無能さへの怒り。
それらに、不満を抱かない人たちへの不満。
家族や、田舎の自然を愛する気持ち。
そして、自分の気持ちを大切にする気持ち。
などなど、感じるところがあった。
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●伊豆大島へ:No. 215● 2002.1.14

12日、13日と伊豆大島へ行って来た。
大島は、椿が咲き始めていた。
三原山に上り、まだ活動しつつある火山の
迫力にふれてきた。
そして、過去の火山活動が起こした現象も。
大島全体が、火山でできた島である。
だから、少々の噴火は当たり前である。
ただ、人間にとっては
少々でも命取りになってしまう。
自然とは、スケールが違うことを感じた。

今回は、天気がよかったので、助かった。
風邪を押しての巡見だったので、
暖かくてよかった。
大島は、自宅からは日帰り圏である。
のんびり、地質を見ることができた。
でも、少し疲れた。
今日は、出勤日で仕事をしている。
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●ウイルスからウイルスへ:No. 214● 2002.1.11

一昨日から、昨日にかけて、
コンピュータウイルスによる被害にあって
やっと修復が終わりつつある。

と思ったら、今度は風邪ウイルスに感染したらしい。
体の節々が痛く、だるい。
家内がかかって、次男がかかったやつだ。

明日から、1泊2日で
大島の巡検があるというのに、
どうしたものか。
今日は、午後は帰って、
自宅で、寝て休もう。
つらい。
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●急がば回れ:No. 213● 2002.1.10

昨日から、今日にかけて、
ウイルスによる被害にあっている。
昨年28日にも同じような症状があったのだが、
Netscapeのメーラーが壊れた。
過去のメールもOutlook時代のメールしか残っていない。
大切なメールは、テキストに変えてあった。
でも、あまりこだわらずに、
別のメーラーとOutlookにしようと考えている。
それよりも、時間の方がもったいない。
重要なものは、テキストにしておいて、保存しよう。
それが、面倒だけど、一番確実であろう。
「急がば回れ」である。
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●恩師の思いやり:No. 212● 2002.1.8

長い正月休みが今日で終わる。
恩師に手紙を書く。
恩師が自分のことを気にしていて、
私に気遣いと転進に対する祝いの手紙をわざわざくれた。
ありがたいことだ。
挨拶状は毎年、出していたし、
学会で顔をおあわせば挨拶はしていた。
しかし、恩師にすれば、多数の教え子の一人で、
特別記憶に残ることもなかったとの思うのだが、
きっちりと筋を通される。
すばらしいことである。
私は、恩師に対して、礼を尽くした手紙を書き、
来札の折に、きっちりと挨拶をすることしかない。
ふと思い出した。
もう2人の恩師にも、手紙を書かなければならない。
大切なことを忘れていた。
さっそく、手紙を書こう。
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●休息日:No. 211● 2002.1.7

今日は休日。
子供たちは保育園にいっているので、
本当の意味で休息できる。
しかし、今日は天気も悪く、寒いので、
家で、じっとしている。
午前中は、論文のためのデータ集めで、少し仕事をする。
後は、家内の家計簿のプリントアウトをする。
それ以外は、ぼけっとテレビを見ていた。
ますます、休日を味わっている。
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●子供の隙を見て:No. 210● 2002.1.5

家内が風邪をひいたようだ。
となると、私がまたまた大変になる。
今日と明日は、保育園が休みなので、
家で育児をしなければならない。
2人となると、大変である。
今のところ、2人が同じ部屋で、別のことをして遊んでいる。
時々、喧嘩をするが、
一応、遊んでいるので、少し仕事ができる。
この平和も、いつまで続くことやら。
平和は、与えられるものではない。
努力して手に入れるものである。
隙を見せていては、平和は奪われる。
私も子供の隙をみて、仕事の真似事をするしかない。
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●祭りの後:No. 209● 2002.1.4

無事、自宅着。
雪の影響で15分遅れで、下車駅に着いた。
こだまには、3時間乗る予定だったが、
子供達は完全に飽きて、疲れていた。
興奮と疲労で、生活パタン−ンが崩れる。
すると、親も疲れてしまう。

来年は、正月どうしよう。
一層、親を呼んだほうが楽である。
だから、親を呼ぶ方法を考えようか。
などと来年のことを、もう気が早く考えてしまう。

これは正月だからではなく、
年に一度の行事だからであろうか。
祭り、入学式、卒業式、運動会などなど
年に一度の行事が終わるとき、
心にさざなみが立つ。
そして、ついつい次ぎの行事のときのこと、
つまり来年のことを考えてしまう。

いわゆる「祭りの後」の余韻である。
それは哀愁、歓喜、悲哀、興奮など
その行事の種類によるだうけど、
盛り上がった行事のあとは、
心にはまだまだ余波が残っているということであろう。
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●復路:No. 209● 2002.1.4

今日は、自宅に帰る日。
昨日は、9時ころに長男を寝かしながら寝てしまった。
そして、いつものごとく5時に起きた。
しかし、今日はあまりのんびりとしていられない。

東海道新幹線こだまのグリーン個室をとってある。
往路よりは、楽である。
しかし、時間がかかる。
しかし、この個室付こだまも、近々廃止になるそうである。
それに、新幹線は家族では乗り収めかも知れない。

昨日は、ひどい寒波で、交通もひどく乱れたらしい。
今日はどうだろう。
ダイヤ通り動いていれば、
個室なので、どんなに混んでいても安心である。
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●親バカ子バカ:No. 208● 2002.1.2

今日は、家族でスーパーへ買い物に出かけた。
正月のおもちゃ売り場へ。
混んでいるのを承知のお買い物。

多くの子供たちであふれる売り場。
その子に振り回される親たち。
その子におもちゃを買ってあげようとする爺さん、ばあさんたち。
疲れ果てている親たち。
おもちゃ売り場は、家族の溜まり場。
食堂も、子供づれの家族の溜まり場。
スーパーは、家族の連れの集合地。

私たちも、そのうちの一人。
そして、疲れ果てた親の一人。
怒りつかれ、なだめ疲れた。
長男は、帰って、おもちゃで遊ぶ時間。
次男は、昼ねの時間。

でも、母は、孫の喜ぶ顔を見て、満足げである。
母も、私以上に疲れているはずなの。
さてさて、疲れることも、喜びの一部とは。
でも、親は疲れることがわかっていて、
出かけなければならない定め。
俗物的行動とさげすんでいたこと。
しかし、子供の喜びより、母の喜ぶ顔を見たいがために、
大人たちは疲れるのを覚悟の、正月のスーパーへ。
親バカだろうか。
そう、どう考えても親バカ、子バカだろうな。
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●年の初めに:No. 207● 2002.1.1

いよいよ2002年となった。
故郷の実家で新年を迎える。
今朝も、いつものごとく5時過ぎに起きる。
皆はまだ寝ているので、仕事を始める。
まずはじめたのは、「思いつくまま」であった。

さて、誰が言い出したのだろうか、
「1年の計は元旦にあり」と。
確かに、計画のスタートを立て、
計画の実行を心に決心して、
そして計画に邁進する。
このようなプロセスは必要である。
しかし、それが元旦である必要はない。
新しいプロセスをスタートするのは、いつでもいいはず。
自分の人生設計や準備の整い次第、
「元旦」とすればいい。
物事のスタートに、一番重要なことは、
スタートする人の「心」である。

と、つらつらと考えていると、
またしても「心」にたどり着いた。
今年も、また「心」についての年かもしれない。
ということは、今年は「心」についての第二ステップとしたいものだ。
ついつい「1年の計」が「元旦」にでてきてしまった。
元旦とは、こんなことを考えさせる力があるのかもしれない。
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