思いつくまま

No.006 (2001年12月分)
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目次 
●今年、最後のつぶやき:No. 206● 2001.12.31
●すべては、心の中:No. 205● 2001.12.30
●アイデアを考えているとき:No. 204● 2001.12.29
●結果よりプロセスを:No. 203● 2001.12.28
●早朝に:No. 202● 2001.12.27
●子供と自然:No. 201● 2001.12.26
●フェルマーの最終定理:No. 200● 2001.12.25
●子供には自然が似合う:No. 199● 2001.12.23
●死体を捜せ:No. 198● 2001.12.19
●ノーベル賞に近い男:No. 197● 2001.12.18
●祭り:No. 196● 2001.12.15
●忙しくても楽しいこと:No. 195● 2001.12.13
●口にすること:No. 194● 2001.12.12
●三日月:No. 193● 2001.12.12
●唯心是真:No. 192● 2001.12.11
●河口にて:No. 191● 2001.12.8
●人間と道具:No. 190● 2001.12.8
●人類の知的資産のために:No. 189● 2001.12.7
●出がらし頭:No. 188● 2001.12.6
●老人力:No. 187● 2001.12.4
●朝焼け:No. 186● 2001.12.2
●逆差別:No. 185● 2001.12.2
●時間と健康:No. 184● 2001.12.1

●今年、最後のつぶやき:No. 206● 2001.12.31

無事、実家に着いた。
4時間におよぶ移動。
乗り換え4回。
タクシー、JR東海道在来線、JR東海道新幹線「こだま」、
JR東海道新幹線「ひかり」、近鉄。
長男は大喜びだったが、
親は、くたくた。
この1年を象徴している1日だった。
子供に振り回されないという親のはかない抵抗を続けていた。
時には笑い。時には怒り。時には疲労。
などなど、喜怒哀楽を激しく表現するすべを思い出させてくれた。
しかし、疲れる。
でも、あと1年すれば、少しは楽になりそうである。
来年は、もう少し楽させてもらいたいものである。
これが、今年最後も「思いつくまま」である。
愚痴とも、本音ともつかない呟きであった。
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●すべては、心の中:No. 205● 2001.12.30

明日は、里帰りの日。
やっと、私の準備は、終えた。
年賀状も書き終え、出した。
重要な書類も、昨日届いた。
新しいアイディアについても、今日一日考えられた。
今年すべきことは、
まだまだ、やりたいまま、たくさん残された。

さてさて、あと、残すところ今年も一日。
自分に関して、
他人が評価できる実りは少なかったかもしれない。
しかし、心の中の実りには、
なかなかのものがあった。
その総合的結果というべき、
自分自身の転進に向けて、
スタートも切れた。

来年は、またまた、さまざなまことが起こりそうである。
でも、そんな身辺における変化が、
また、楽しいのである。
大いなる悩み。
大いなる思い。
大いなる混迷。
大いなる決断。そして即断。
大いなる転進。
大いなる困惑。
大いなる変貌。
大いなる期待。
それらが、成就するかしないかは、
心が命じ、心がその結果を評価する。
生み出された成果は、そのほんの一部に過ぎない。
すべては、心の中。
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●アイデアを考えているとき:No. 204● 2001.12.29

ふと時間ができた。
その時間とは、
子供たちが昼寝した時間ができたのだ。
突然の空き時間で、
ふと何をするか迷った。
そこで、まず、「思いつくまま」を思いついた。
そして、構想段階のアイデアを考えよう。
このようなアイデアを練っているときが一番楽しい。

今考えているのは、
地球科学の市民向けの講義である。
それは、いくつかの新しい構想を考えている。
それは、
大学の授業と、
メールマガジンと、
インターネットのホームページ、
そして最終的には、印刷物の本の出版
というさまざなメディアと連動して、
最終的に第1次の基礎編を
2、3年かけて完成させたい。
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●結果よりプロセスを:No. 203● 2001.12.28

今日で仕事は終わり。
でも、私の仕事は時間さえあれば続けるつもり。
でも、自宅や実家で、どの程度できるかは疑問。
でも、それもできないことの言い訳。
言い訳から、前進は生まれない。
言い訳よりも、その原因究明から
改善と前進を得ること。

自分を落とすには、
一番楽な怠慢があればいい。
自分を高めるには、
一番大変な努力しかない。

その努力の結果は、
プラスやマイナスで現れるかもしれない。
それが現在社会の求めるものである。
そこにはプラスかマイナスしかない。
結果さえ出れば、プロセスは問われない。
ならば、楽な道を選んだ方がいい。
現代社会は、プロセスよりも結果。

しかし、心は、結果よりも
プロセスを逐一監視し、その評価をしている。
自分の心を騙すことはできない。
私は、そちらを大切にしたい。
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●早朝に:No. 202● 2001.12.27

久しぶりに、6時前に自宅を出た。
真っ暗であった。
まだ、夜が明ける気配がないくらい
暗かった。
駅につく頃、
ようやく東の空が白みだした。

毎日の通勤でも、
季節の変化によって、
あるいは、少し時間帯を変えることによって、
景色が一変することがある。
不思議なことである。

その変化は、
地球の地軸の傾きと、
自分が住んでいる地の経度、
そして植物や動物の変化、
が織り成す変化である。

そして、そんな変化を見て楽しむ自分がいる。
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●子供と自然:No. 201● 2001.12.26

先日講座をおこなった。
砂についての講座である。
そこで、感じた。

都会に住む子供たちは、
自然のままの砂や石ころを
感じることができないのである。
家の周りには、石ころが転がっておらず。
あっても、工事中で、どこからかもって来た石ころ。
川はあっても、3面がコンクリート。
川に降りられやしない。
小川はあっても、公園の作られたもの。
床愛の子供たちには、生の自然はないのか。
そんな子供が大人になったら、
自然をないがしろにするのは、当たり前。

ドロだらけになっていいではないか。
不便でもいいではないか。
恐ろしい自然があってもいいではないか。
人間と人間との軋轢の狭間で
疲れていく子供より、
自然中で、泥んこになって、
擦り傷だけの子供の方がいいではないか。

ふと、そんなことを思った。
我が子はそのような環境で育てたいと思った。
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●フェルマーの最終定理:No. 200● 2001.12.25

今日は、この「思いつくまま」も今回で200回目だ。
でも、今回は淡々と書こう。

先日、遅ればせながら
サイモン・シン著「フェルマーの最終定理」
(ISBN4-10-539301-4 C0098)
を読んだ。
一時、新聞紙上を賑わしたフェルマーの定理の
証明にいたる話である。
非常に面白かった。
数学に関する話題を
難しい数式をあまり使わずに
わかりやすく説明している。

続いて、同じ著者の「暗号解読」を読み始めた。

私にとってもう収穫は、
情報科学に関連して
記号論理学を勉強している時、
に疑問に思っていたことが解決したことである。
フレーゲの「算術の基本法則」の完成間際に、
仲間であるバートランド・ラッセルが
その理論致命的欠陥を見つけたということまで
知っていたのだが、
その内容を知らなかった。
それを知りたかったのだが、
この本で知ることができた。

これは、わかる人には分かる内容であった。
まあ、これからも、独善的に
この「思いつくまま」を続けていこう。
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●子供には自然が似合う:No. 199● 2001.12.23

昨日は、博物館の講座で、丹沢に行った。
天気はよかったが、
風が少しでも吹くと寒く、
日陰も寒かった。
でも、12月末にしては、暖かかった。

今日は、4日間連続の講座の最終日である。
今回は「砂」をテーマにした。
砂から、大地の生い立ちを探るというのが、目的である。
子供は、自然が好きである。
自然の中に放り出せは、
大喜びで遊びまわる。
でも、今の子供には、なかなかできないことである。

自然は、どこにでもある。
自然から遠ざける仕組みが働いているだけである。
それは、親であったり、
学校であったり、
塾であったり、
受験であったり、
テレビであったり、
ゲームであったりする。

自然から離れて育った子供は、
果たして、本当の人間になれるのだろうか。
それとも、人工的な人間になるのだろうか。

子供には自然が似合う。
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●死体を捜せ:No. 198● 2001.12.19

布施英利著「死体を捜せ」(ISBN4-04-347801-1 C0195)
を途中まで読んだ。
途中まで読んで、やめたのは、
彼の文章についていけなかったからだ。
科学的なエッセイのつもりで読んでいたのだが、
文学的、芸術的な書き方がされていて、
私の肌にあわなかった。
彼の文章には、論理的飛躍があり、
その時に理解できなくなり、
それが何度も続くと、
不快になっていくのである。

布施氏は、私と同じ町に住んでいて、
月1回の有料のメールマガジンを発行していて
私もそれを購読している。
そのメールマガジンでも
同じような飛躍が時々あった。
今回、はじめて彼の著作を読んだのだが、
やはり、ついていけなかった。

同じ論理の飛躍でも、
小林秀雄の論的飛躍の場合は、
私には心地よかった。
でも、布施氏のは、だめだった。
これは、多分、
肌があうか、あわないかの違いであろう。
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●ノーベル賞に近い男:No. 197● 2001.12.18

「今、一番ノーベル賞に近い男」中村修二著
「考える力、やり抜く力 私の方法」(ISBN4-8379-1872-7 C0030)
を、昨日買って、一気に読んでしまった。

それは、自分と同年代(彼は1954年生まれ)で、
似たような境遇におかれたとき、
彼の取った行動、判断が
私のものと似ているためである。
もちろん、彼は、
青色発行ダイオードに端を発する一連の研究を
民間企業に在籍中に独力でつくり上げた。

その成果は、私には遠く及ばないものだが、
私は私なりに、自負できる成果を残してきた。
それを、自身として新天地を目指す気持ちは同じである。
そんなことを考えながら、読みきってしまった。
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●祭り:No. 196● 2001.12.15

一段と寒い日が続いている。
私は、家族に続いて、最後に風邪をひいた。

1年間に、こんなにも、いろんな症状の風邪をひけるのか、
と思うほど、よく風邪をひく。
どれも、子供が保育園でもらってきた風邪である。
親も、そのお相伴にあづかっている。

今日は、湯河原の五所神社の祭りである。
狭い境内に、夜店がたくさん出て賑やかである。
そして、達磨を売る夜店もたくさん出る。
関東で一番最初の達磨市は、
小田原の飯泉観音のものといわれているが、
湯河原では、一足先に始まる。

今日は、祭りに行くために、
2時間早引けする。
寒いのが心配である。
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●忙しくても楽しいこと:No. 195● 2001.12.13

忙しくても、楽しいこと。

こんなことは、面倒だけど、
仕方ないけれど、
一生懸命してしまう。

子供じゃないけど、
ついつい我を忘れて、
夢中になってしまう。

先日買った新しいB5サイズのパソコンが
SONYのVIOPCG-SRX3/BDである。
昨日届いて、
各種のソフトをインストールしたり、
各種の設定をしている。
午後からは出張なので、
ここで今日は修了。
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●口にすること:No. 194● 2001.12.12

思うことは、たくさんある。
伝えたいことも、たくさんある。
でも、思いをそのまま伝えては、いけないこともある。
それが、大人のやり方。

何事も、感情を直に表現することは、
素直でいいようでも、
相手や、内容によっては、
良くないことも多い。
それいってしまえば、
口は災いのもの。

単純明快なことであればいい。
でも、複雑で、「まかり間違えば」というような内容もある。
そんな時は、
黙る人もいる。
言ってしまって、雰囲気をみながら、
自分自身でその言葉をフォローする。
私は、後者。

できれば、言いたいことは、口にしたい。
でも、それを口にするほど、
子供でもない。

口にすべきか、せざるべきか。
その兼ね合いが、実は難しい。
その点に関しいては、私は子供。
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●三日月:No. 193● 2001.12.12

今朝、家を出たのが5時55分。
外はまだ暗く、東の空が少し朝焼けが始まっている。
快晴で、一段と冷え込みがきつかった。

南東には、三日月が明るく輝いていた。
三日月は、満月の輪郭を持っていた。
それは、地球の昼の部分の反射光を浴びて、
明るくなったものである。
なんという現象か忘れた。

ふと、思った。
これは、今快晴だから、
月の影の部分まで照らされているのだろうと。

でも、考えてみると、快晴なのは、
この地域だけの現象である。
月の影の部分の明るさは、
昼の地球全体の光の反射量が、問題なのである。

ついつい、身近なことを中心に考えてしまう。
本当は、全体が反映された結果が見えているの、
あたかも自分の身の回りのことが反映されたと考えてしまう。
広い視野と狭い視野。
何も考えなければ、それが真実と信じてしまう。
でも、本当の真実は、もっと広い所にあった。
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●唯心是真:No. 192● 2001.12.11

聖徳太子の言葉に
「世間虚仮唯仏是真」
(世間は虚仮(こけ)なり、ただ仏のみ是真なり)
というのがある。
世をはかなんで、言った言葉である。
「世間は虚仮なり」
は、進みすぎていた信念の言葉であろう。
私の場合には、
「世間虚仮唯心是真」
(世間は虚仮(こけ)なり、ただ心のみ是真なり)
だろうか。
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●河口にて:No. 191● 2001.12.8

昨日、観察会で河口にいった。
曇っていたのに、紫外線は強かった。

河口とは、川と海の交わるところ。
そして、海岸とは、海と大地と交わるところ。
地表とは、大地と空の交わるところ。
そして、人間と交わるところ。

海、川、大地、空、人間の交点で感じたこと。
寒さ。つまり、自然の容赦ない対応。
帰ってから、感じる日焼けと疲れ。
短い時間に生まれる、人間と自然との相互作用。

始めてあった人間同士が、
目的があれば、会話ができること。
そして、仲良くなれること。

そして、仲良くなると生まれる
子供たちのライバル心。
短い時間の付き合いにも、
人間ドラマが生まれる。
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●人間と道具:No. 190● 2001.12.8

道具は、人間のために作られ、そして使われてきた。
しかし、技術の進歩に伴って、
道具が、人間を追い越していった場面に出くわす。
それが、稀なことであればいいのだが、
あちこちで見かける光景となりつつある。

道路はもともと人が通行するところであったはずが、
今や、車が我が物顔で走っている。
走っていなくても、我が物顔で無法駐車している。

車に乗った人は、
自分が外を歩いている人間と同じ人間であることを忘れる。
車に乗った自分の体が大きくなったり、
速く走れるような気がしている。

パソコンは、計算機や清書用に普及してきた。
今や、パソコンなくては仕事もできない、
社会が動かない状態になっている。
パソコンを正常に動かすために、
パソコンに従事しているいる人が多数いる。

パソコンがうまく使えなくて、
肩身の狭い思いする人も多数いる。
パソコンに向かって何か作業していると、
充実した一日が過ごせたような気がしている人が多い。

こんな社会は、果たして、
私たちが望んだ住みよい社会なのだろうか。
便利ではあるが、住みにくい社会ではないか。
人間の価値が、道具より下にされていないか。
そんな気がする。
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●人類の知的資産のために:No. 189● 2001.12.7

溜まっていた仕事に、やっとけりがついた。
それは、論文だが、
一つは完成して、投稿。
もう一つは、ほぼ完成し、
今日中に共著者にチェックのために渡せるはず。

この2つの論文のために、
長らく重たい気分であった。
やっと、ほっとできる。
これを充実感というのだろうか。
そんな、充実感の中で、考えた。

なぜ、こんなにまで、苦労して、
論文を書くのだろうか。
研究者の、あるいは学芸員の皆が皆、
書いているわけでもないのに。

金のためでもない。
仕事としてやっているわけでもない。
名誉のためでもない。
欲のためでもない。
苦痛を楽しむ趣味もない。

なぜ、こんなに苦しい思いまでして、
論文など書くのか。
それは、ただ、知的好奇心というような
非常に利己的な欲求をみたすためである。
誰のためでなく、自分のために。
あえて言えば、
人類の知的資産積み上げに貢献することである。
そこまで、大上段に構えるなら、
研究のテーマも少しは、
人類のためになるように考えねばと思って、
苦心している。

趣味が昂じて、崇高なる目的と化したかに見えるが、
でも、根っこは、知的好奇心。
つまり、好きでやっていることである。
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●出がらし頭:No. 188● 2001.12.6

ふと、今日は「思いつくまま」を書いてないなと思って、
書こうとすると、なかなか書きたいことが出てこない。
朝、机に座った時に書けば、
それなりに、書きたいことが出てくる。
あるいは朝、通勤中にいろいろ考えていることがあるので、
書けるのだろう。
午後、頭を一杯使った後は、
出がらしになっているのだろうか。
出がらし頭で、グチグチ書くのは無駄だから、
もう終わり。
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●老人力:No. 187● 2001.12.4

今朝は、6時までぐっすり寝れた。
いつもは、不眠症気味で、
夜中に目が覚めて、
本を読んだりすることがあるのだが、
昨日はなかった。
従って、今朝は、久しぶりに爽快な気分である。

今読んでいる本が面白い。
まだ、読んでいる途中であるが、
赤瀬川原平著「老人力」(ISBN4-480-03671-7 C0196)
が面白い。

この本では、老人力について書いてある。
私にも、近頃よく起こるのだが、
若い頃にはしなかったミスや、
記憶が引き出せない事態 など
老化や、ボケといいたくなるような出来事が
たびたび起こる。
今まで、年のせいだから、と諦めていたのだが、
この本のおかげで、前向きに、
それをエネルギーやプラスとみなす
という考え方があることを知った。

同病相憐れむということではなく、
マイナスとしか考えられないことを、
プラスやパワーとして考える
姿勢に安心した。
私も見習いたいものだ。
誰もがマイナスと考えることを、
冗談からスタートしたと著者はいっているが、
プラスと考えるという姿勢、
その姿勢は大いに学びたい。

だが、私に、老人力を
どのように、どの程度
発揮できるかが問題である。
そのためには、若さのパワーがいるかもしれない。
でも、若さのパワーに頼るのは、真の老人力ではない。
さてさて、どうしたものか。
こんな悩みも老人力かもしれない。
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●朝焼け:No. 186● 2001.12.2

今は夕方。
しかし、ふと、朝の景色を思い出した。

早朝、6時30分頃、通勤中の電車の窓から見た朝焼け。
異常なほどに赤く、
荘厳なほど赤く、
朝日が昇っても、朝焼けは赤く、
何かを訴えているような赤さであった。

ただそれだけ。
赤だけが鮮烈に心に残っている。
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●逆差別:No. 185● 2001.12.2

今日も早起き、早朝出勤した。

ハンディのある人、
貧しい人、
運動会でいつもびりになる人、
カラオケで歌うと笑われる人、 などなど。
つまり、平均的な人と違う点を持つ人は、
肩身の狭い思いをする。
そんな人が、他人から面と向かって
その気にしている点を指摘されると、
それは、セクシャルハラスメント、
あるいは単に差別になる。
それは、程度の問題や気持ちに係る部分かもしれないが、
心を痛めてしまう。

では、高貴な人を、
必要以上に奉ること。
これは、逆差別ではないか。
祭りのように騒ぐのいい。
これは個人の自由である。
しかし、マスメディアが、極度に反応して、
それも横並びに似たような内容を報道するというのは、
逆差別の押し売りのような気がして、
不快感を覚える。

他人に親切にすること、
他人を思いやること、
他人の喜びを共に喜ぶこと、
これは良いことである。
でも、それは、誰に対してもおこなうべきで
特定の人に対して、
それも、世間全部が過度に行うこと。
それでは、あまりにも良識がないような気がするのは、
私だけだろうか。
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●時間と健康:No. 184● 2001.12.1

12月になった。
また、気ぜわしい季節である。

忙しさに負けないために、
健康的に、時間を確保すること。
今の自分にとっては、早起きをすること。
今日は5時前に起きて、
博物館に入れる一番早い時間、7時に、来ること。
今日は7時に来た。
いつもより30分早いだけだが、
少しでも忙しさに勝っている気がする。

昨日、人間ドックの結果が出た。
毎年のように、
コレステロールと尿酸値が危険信号。
その回避方法は、食事改善と運動をすること。
わかっている。
だから、これも少し頑張ろう。
自分の健康も自分の時間も
自分で守り、作るしかないのだから。
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