思いつくまま

No.005 (2001年10月分)
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目次 
●日本人は大部分サラリーマン?:No. 168● 2001.10.26
●ただ淡々と:No. 167● 2001.10.25
●儚い心の閃き:No. 166● 2001.10.24
●夢であることを望む:No. 165● 2001.10.23
●「普通」である幸せ:No. 164● 2001.10.21
●床に臥す:No. 163● 2001.10.20
●復帰:No. 162● 2001.10.19
●退化:No. 161● 2001.10.13
●修行不足:No. 160● 2001.10.12
●初心忘するべからず:No. 159● 2001.10.11
●忙しさ:No. 158● 2001.10.9
●自然淘汰:No. 157● 2001.10.8
●物足りなさ:No. 156 ● 2001.10.6
●障害者:No. 155 ● 2001.10.5
●月:No. 154 ● 2001.10.3
●てるてる坊主:No. 153 ● 2001.10.2
●精一杯:No. 152 ● 2001.10.1


●日本人は大部分サラリーマン?:No. 168● 2001.10.26

昨日、丹沢に観察会の下見に行った。
出かけは曇っていたが、
丹沢に入ると、晴れてきた。
秋の日和で、風もなく快適であった。
まさに、紅葉狩日和であった。
平日もあって、
行楽に訪れている人は少なかった。
こんな時こそ、行楽に来ればいいのに。
出合ったのは、
数組の熟年者と、
地元の幼稚園の遠足の子供たちであった。

日本人は土曜、日曜にしか動けな人が
多いということなのか。
つまり、日本人はサラリーマンが大多数ということなのか。

観察会は、車椅子や目の見えない人にも
地形や岩石などが、「見てもらえる」ようなものを
心がけている。
さて、うまくいくだろうか。
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●ただ淡々と:No. 167● 2001.10.25

ここ数日は、暖かい。
でも、体調が良くないせいか、
明け方、寝汗をかく。
朝も、すがすがしくおきれない。
今は、ひたすら、熟睡すること。
睡眠時間を多く取ることに、
努力をしている。
体調を回復することが、
最優先である。

守りの状態である。
こんな時でも前を向いて歩みたいのだが、
じっとがまん。
我慢あるのみです。
今の欲求不満を、
体力回復のときには、発散したい。
でも、こんな時でも、前を向いていかなければならない。
気持ちだけは、前向きに。
決して、落ち込むことなく、
泣きを入れず。
ただ淡々と、歩むのみである。
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●儚い心の閃き:No. 166● 2001.10.24

心に留めておきたいことがある。
でも、その場で、メモしないと、
それは心に留まらない。
心の閃きは移ろいやすく、
消えやすい。
朝、自宅から駅までの道のりに
いろいろ思うことが、ある。
でも、それは消えていく。

たいして重要でないのことなのだろうか。
だから消えていくことなのか。
でも、その時は非常に大切なことを思いついてる。
でも、頭が別のところでしばらく働いていると、
その思いは消えていく。

なんと、移ろいやすく
壊れやすいものなのか。
そんなに、心の中の出来事は、
儚いものなのか。
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●夢であることを望む:No. 165● 2001.10.23

今日は咳がとまらない。
次から次へ、病気になるものだ。

昨日は東京へ出た。
出版プロデューサにあい、
その後、編集員会に出席した。
帰りはいつものごとく、
夜の10時半頃になる。
疲れて、いつもの時間に
朝、起きられなかった。

日曜日夜には、熱海で花火があったのだが
体調がすぐれないので諦めた。

今、科学研究費の申請書を書いている。
これによって、自分の研究のありようを、
1年に一度整理することができる。
その評価も、出るのであるから、
これを真剣にやるかどうか、
大きな違いである。

頭は風邪でボーとしているのか、
今後の研究への夢でボーとしているのか
わからないが、
夢であることを望む。
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●「普通」である幸せ:No. 164● 2001.10.21

今日は、昨日よりましであったが、
まだ本調子ではない。
でも、頭が働くからいい。
体力が伴わないだけである。

人間の欲とは、
尽きないものである。
体調の一番ひどい時は、生きている幸せ、
少しでもよくなってくると、痛みがない幸せ、
峠を過ぎると、自由に考えられる幸せ、
回復しだすと、自由に動ける幸せ、
を、順次味わっていく。
そして、最後には、健康の幸せ
を早く味わい、
もっとよくならないのだけども、
ミスをすると、今までの病気のせいにする。

早く、「普通」なりたいものだ。
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●床に臥す:No. 163● 2001.10.20

小出家では、9月下旬から10月中旬まで、
病気や怪我によって床に臥すことが多かった。
そのため、家内独りでは、手が回らず、
私にも家事や育児の時間が必要となった。
そのため多忙であった。
記録のために以下にまとめておこう。

家内
 おたふく風邪:9月25日より1週間
 風邪:10月5日より2日間

長男
 首痛(外科):9月27日
 風邪:10月1日より2日間
 車の窓に指をはさむ(外科):10月3日
 おたふく風邪:10月9日より1週間
 水イボ除去:10月20日

次男
 風邪:10月7日より2日間
 水イボ除去:10月15日、16日、20日


 風邪:10月15日より4日間

まあ、大変である。
まだ、おたふく風邪の恐怖が残っている。
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●復帰:No. 162● 2001.10.19

昨日まで、病気療養中であった。
激しい頭痛を伴うもので、
最初の2日間は、発熱と頭痛で
身動きもできなかった。

14日(日曜日)東京であったシンポジウムで
午前中の講演をしている頃はそうでもなかったのだが、
午後の座長をしていた時からだんだん調子が悪くなってきた。
シンポジウム終了後、
JR京浜東北線で東京駅へついた頃は、
もうへろへろになっていた。
ところが、新幹線の発車まで30分近く待たされ、
小田原駅では、
10分ほどの待ち合わせのはずが、
JR東海道が人身事故で
1時間近くホームで待たされた。

自宅についたときには、
息も絶え絶えであった。
それっきり、4日間寝込んでしまった。

そして、やっと今日復帰した。
博物館には、1週間ぶりとなる。
まず、やることは、メールを書くこと。
こらが大変である。
いかに私は、ぎりぎりで生きているのかという気がした。
もう少し、仕事を整理して、時間配分を考えなければいけない。
教訓としよう。
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●退化:No. 161● 2001.10.13

自宅のコンピュータが故障。
Windows98SEであるが、
補修したが、
アドレス帳が読み取れない。
ExploerがSP2にできない。

シンプルに、テキストとメールだけの
使用にしたいのだができない。
困ったものだ。
道具なのだが、見えない部分が壊れると、処理できない。
それと、修理するという、根気がなくなってきた。

車でもそうだ、
直そうという気力がない。
道具といいながら、
いろいろな道具を使いしすぎているせいか、
直すということに、精力を使う気がしない。

これは、明らかに、精神に退化している。
自分で自分の身の回りのことができないということである。
自分の現状維持すら、自力でできない。
その必要性がわかっているのに、
それを維持する気力がない。
悲しいことである。
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●修行不足:No. 160● 2001.10.12

昨日は、家内が病気で、
自宅にいた。
ところが、自宅のコンピュータが不調で、
昨日は作業できなかった。
少しあせっている。

14日にシンポジュウムがあるのだが、
その発表の準備ができるかどうか、
ぎりぎりである。
今日可能な限りして、だめなら、明日休日出勤である。

前にも書いたが、
なぜ、忙しいのだろう。
今月から来月にかけては、
別のことをやる予定であったのが、
すべて流れている。

思うこと、希望すること、
そこに、向かって努力すること、
でも、さまざまな理由によって、それが、実現しないこと。
挫折。
これが、人生なのだ。
結構経験を重ねてくると、
自分がどの程度の努力をすれば、
それが達成できるかわかってきた。
でも、それが、100%に近い努力なのか、
余力を持ったの努力なのかは、
さまざまである。
さらに、その目標は、
さまざまな飛び込みの仕事がない上でのことである。

つまり、まだまだ、人間として
修行が足りないということである。
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●初心忘するべからず:No. 159● 2001.10.11

メールマガジンの発行が、はじめて遅れた。
家内が急病になって、
昨日は、急に、早退して帰宅した。
育児と家事で、昨日は忙しく、
メールマガジンが頭から抜け落ちていた。
寝る前に気付いたが、ときすでに遅し。
このような時の為に、
数日前には、発行する習慣をつけていたのに。
初心忘するべからず、である。
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●忙しさ:No. 158● 2001.10.9

10月になれば、
少しは楽になるかな、と思っていたら、大間違い。
家庭で病気が流行っているせいもあるが、
可能な限り、補っているつもりである。
いつも、時間に追われている。
脅迫概念として時間があるのだろうか。

では、なぜ、自分はこんなに忙しいのだろうか、
と考えれば、自分で仕事を増やしているせいかもしれない。
知り合いに聞いても非常に忙しいという。
もしかすると、その知り合いたちも、
同世代だから、忙しい時期なのかもしれない。
中年と呼ばれる世代は、仕事が一番多くなるのかもしれない。

でも、日本中の労働者は、
忙しいと、全て思っているのかもしれない。
もしかすると、これは、
現在という時代がつくりだした現象かもしれない。
急速なテンポで変化する社会が、
忙しさの原因かもしれない。

知恵や文化、技術の進歩は、
社会や時代、環境、人間関係の変化に対して、
即時対応可能になってきた。
だから、その対応に我々は振り回されているのかもしれない。
ちょっと前は、情報も少なく、
例えば、台風が来たといっては、右往左往し、
景気がいいという、大盤振る舞いし、
流行り物というと、大部分の日本人はそれを持ち、
流行歌は、皆が口ずさんだ。
その場その場の対応で、効率も悪く、
被害も多く、
影響も長く続いたろう。
でも、かつては、それも、世の常として諦めていた。
今は、誰の責任だ、誰が悪い、誰のせい、と追及できるくらいの
時代になった。

我々は、本当に豊かになったのだろうか。
我々は、本当に強く生きていつのだろうか。
我々は、本当に幸せなのだろうか。
忙しいことは、いいことなのだろうか、悪いことなのだろうか。
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●自然淘汰:No. 157● 2001.10.8

通勤途中のミカン畑。
黄色いミカンが目立つようになってきた。
でも、よく見ると、木の下には、
多くのミカンが落ちている。
青いミカンだけでなく、黄色いミカンも混じっている。
これは、強いミカンだけが残っていく、
という自然淘汰の表れかなと思った。
栽培種だから、人為的かもしれないが、
強者生存の原理があるような気がする。

人間をみていくと、
かつては、死んでいた乳幼児、子供たち、大人でも、
今や医療の発達によって、生き延びている。
今まで、このような現象は、
自然に反すること、と考えてきた。
その理由は、自然淘汰の洗礼を受けず、
弱い遺伝子も混じってくる、ということだった。

でも、もしかすると、
自分たちの遺伝子を守りたいという戦略
という視点で考えれば、
多くの種は、そのような意志をもっているようにみえる。
人間も、自分たちの特性である、知性を使って、
弱い遺伝子も残そうとしているのである。

弱い遺伝子では、ないかもしれない。
人類全体の知性を高める個体が
その中に含まれているかもしれない。
あるいは、ある病気や環境に強い個体が
含まれているかもしれない。
つまり、遺伝子の多様性を増やせることは、
その種によって、有利に働くかもしれない。

でも、すべては、未来にしか、その結果はわからない。
個々人がいくらこちらが正しいと思っても、
物事はそちらに進まない。
でも、それが、本当に間違っているのだろうか。
時代や社会、政治、世論、成り行きなど、
わけのわからない意思決定機構がある。
でも、もしかすると、このようなわけのわからないことが、
今の人類の繁栄をもたらしているのかもしれない。
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●物足りなさ:No. 156 ● 2001.10.6

今日は、トッパンの印刷博物館にいってきた。
それは、「印刷博物誌」という本に興味を持ったからだ。

トッパンが自信を持って出版した本だけに
百科全書派的内容であった。
それを企画展として、自由に見えれるようにしている。

この本は、
リファレンス用として役に立つ。
しかし、読む本ではないような気がする。
それと、印刷のすごさを味あわすような内容でもなかった。
5万円程度で販売されるそうである。
どうも、なにか物足りなさを感じた。

それに、会話した館長らしき人の対応。
ごく普通だった。
親切だし、
かといって、私に優遇をしてくれたわけでない。
でも、よくある普通の対応である。
腹立たしくなるほどのこともない。
でも、何か違和感があった。

博物館も面白いのだが、
何か、足りないような気がした。
展示場には、人が何人かいて、サービスもそこそこしている。
でも、何か満足感がない。
なぜだろう。
期待していたものとは違ったからなのだろうか。
わからない。

非常にもどかしい気がする。
物足りなさに加えて、
物足りなさの理由がわからないもどかしさ。
なんなんだろうか。
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●障害者:No. 155 ● 2001.10.5

昨日、視覚障害者の方と話をして、
自宅までうかがった。
結局、3時間も話し込んでいた。

そのとき感じたことは、
自立についてである。

自立するというこは、
大変なことである。
食うために、経済的基盤がないといけない。
その自立を支えてくれる周りの環境も必要である。

でも、なにより自立できる精神的強靭さが必要である。
それが、実は大変である。
障害者自身もそうであるが、
障害者の家族も、障害者から自立しなければならない。
あるいは、親離れ、子離れということである。

障害者の自立は大変である。
でも、自立をされている障害者は
健常者と同じことをしているのであろうが
その背景の苦労を考えると、頭の下がる思いがする。

そんな人から、きっと学ぶことがあるだろう。
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●月:No. 154 ● 2001.10.3

秋は月である。
熱くもなく、寒くもなく、
落ち着いて、月が見れる。
うちの窓からも、満月が見えた。

天体は、非常に公平である。
見る人間の生まれや、性格、経歴などに関わりなく、
誰でも見ることができる。
満月も、見たいと思えば、
天気さえよければ、誰でも見れる。

だが、暗い夜道は危ないと、
至るところに街灯がつけられている。
その街灯も、下を向ければいいのに、
空にも向けて光を放っているものも多い。
必要ないのに、いくつも部屋の明かりをつける。

それに、なんといても外より楽しいものが、
人工の灯りももとにはある。
テレビ、ゲーム、本、飲み屋、映画、レストラン。

空にも楽しいものがあるのに、
なかなか見ることはない。
子供らは、月が非常に明るいこと、
そして、毎日その形が変わることに、
興味をもつ。
こんな素朴な楽しみを、
いつから忘れ去ったのであろうか。
これから、しばらく月を見ていこう。
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●てるてる坊主:No. 153 ● 2001.10.2

昨日は、十五夜。
残念ながら、雨でまったくだめだった。
てるてる坊主を、2個作ったが効果がない。
今日は長男の運動会。
私は休みなので、出席することになる。
雨だと、翌日で、親が出席することができないので、
長男は休みとなる。

でも、結構盛大で、困ってしまう。
働く親のために預かっている施設なのに、
親を休ませてまで、主席させる。
それなら、土曜日や日曜日に開催すれば、
まだ、主席しやすいのに、と思ってします。

でも、これは、親の勝手。
保育園は、せめて、こんなときくらい、
子供と一緒に思い出を作りなさいということなのだろう。
それに、もしかすると、これは、子供のためにというより、
親のためなのかもしれない。
子供と一緒になって、一所懸命参加する。
そのような時間を共有することが大切なのだ。

てるてる坊主も同じことだ。
子供と共に、同じことを願って、
楽しんでつくる。
その行為自体だ大切なのだ。
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●精一杯:No. 152 ● 2001.10.1

10月になった。
今日から、非常勤講師として授業が始まる。
月曜日休みも終りである。
そして、非常勤講師もこの学期で終わるつもりである。

それは、もともとこの非常勤講師を
金儲けのつもりではじめたのでなく、
自分の教育に関するさまざまな試みを
行ってみたかったからである。
そして、5年たった。
思いついた試みをだいたいおこなった。
そして、講義の内容も自分では
陳腐化して、だんだんルーチンワーク化してきた。
つまり、自分でこの講義に新鮮さを感じなくなってきた。
こんなときは潮時である。

こんな状態で授業を続けると、
学生たちに失礼である。
多分、学生たちは、
すぐにそんな熱意のない教師を見抜くはずである。
だから、今年度で止めようかと考えている。

人間引き時が肝心である。
代わりの人も考えている。
あとは、今期の授業を精一杯やるだけである。
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