思いつくまま

No.004 (2001年9月分)
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目次 
●季節の移り変わり:No. 151 ● 2001.9.29
●心も使いよう:No. 150 ● 2001.9.28
●生き物として対等な付き合い:No. 149 ● 2001.9.25
●心の道の終わり:No. 148 ● 2001.9.24
●思い残すこと:No.147 ● 2001.9.23
●数は力か弱点か:No.146 ● 2001.9.22
●恩師の気力:No.145 ● 2001.9.22
●金沢にて:No.144 ● 2001.9.22
●彼岸花:No. 143● 2001.9.20
●ゼロ:No. 142● 2001.9.19
●次から次と:No. 117● 2001.9.12
●台風です:No. 116● 2001.9.11
●頑張ってますか:No. 115● 2001.9.10
●心とは不可解なもの:No. 114● 2001.9.7
●「情報化」について:No. 113● 2001.9.6
●高度の認知作用:No. 112● 2001.9.5
●反論:No. 111● 2001.9.4
●はじめての「はじめて」:No. 110● 2001.9.3
●9月から:No. 109● 2001.9.1


●季節の移り変わり:No. 151 ● 2001.9.29

涼しい。もうすぐ10月である。
夏の疲れを吐き出しているような気がする。
そして、秋に向かっている。

通勤途中のミカン園。
急にミカンが色付き、
今まで緑であった林が、
黄色いスポットが目立つようになってきた。
ミカンにはいろんな種類があるので、
次々の黄色になるきがあるので、
見逃しがちだが、
ふと気付きとすごい勢いで、
申し合わせたように一斉に色が変化する。
不思議である。

そういえば、家の前の石壁のツタも
知らないうちに色づき始めている。
日々の生活に追われているうちに、
季節は訪れ、そして去っていく。
月日は「百代の過客にして」である。
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●心も使いよう:No. 150 ● 2001.9.28

小出家は、今、取り込み中である。
家内がおたふく風邪、
長男が、首の筋を違え動けない。

私が、次男の送り迎えをしている。
もちろん、遅刻、早退をするわけである。
車検の銀行の振込みもできないありさまである。

よく、弱り目に祟り目というが、
まさにそのとおりである。
でも、これも、考え方しだい。
もっと不幸な状態も想定できたはず。
全員、おたふく風邪で倒れることだってありえたはず。
と考えれば、今が一番の弱り目でない。
考え方次第。

幸福とは、絶対的な評価ができるのではなく、
相対的なものである。
だから、どんな逆境であっても、幸福でありうるし、
どんなに、裕福であっても、不幸なこともある。

心しだい。
心とは使いようによって、非常に有効である。
使い方も間違うと、こんな不便なものはない。
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●生き物として対等な付き合い:No. 149 ● 2001.9.25

今日は、自宅の庭の草むしりをした。
春にやって以来だから、
半年振りくらいである。
日本とは、植物には非常に適した環境らしく
すぐに、生えてくるし、
ほっておくとジャングルのようになる。

感心したことがある。
つる草である。
ほんの細いルツが、
金網を登っていく。
それだけならかわいいものだが、
そのツルが、だんだん太くなって、
やがては、木のように丈夫になり、
金網も曲げてしまうのである。
実は、このような仕組みを人間も使っている。
空中にロープなどを渡すとき、
最初は細いものから、
少しずつ太いものへ、
そして最終的には目的の太さにしていく。
人間は、その知恵をもしかしたら、
植物から学んだのかもしれない。

私は、草むしりをするときは、
今現在きれいに咲いている花も、
枯れている植物、若芽も
区別なく、全て抜いてします。
それが、生き物に対する私の礼儀のつもりである。
つまり、現在の姿に対しての評価は、人間のエゴである。
また、生き物は変化するものであるから、
どの時点で評価しても不公平であろう。
だから、完全な人間のエゴに徹して、
人間にあるいは私に対して、
不要なものはすべて、抜く。
それが、生き物として、
対等な付き合い方のような気がする。
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●心の道の終わり:No. 148 ● 2001.9.24

9月中・下旬は、出かけていたので落ちつかなかった。
でも、実りも多かった。

さまざまな人にあって、
「心」を感じることができた。
これも、そろそろ卒業しないと、
なかなか次のステップにいけない。

わたしは、心の問題は一番重要であり、
それなりの決着をみなければいけないと考えている。
でも、終わり方も投げて終わることもできない。

どう収拾をつけるか、
これも、大切なことである。
これも、勉強であろう。

「心」の道とは、終わりのない迷路なのだろうか。
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●思い残すこと:No.147 ● 2001.9.23
快晴である。
肌寒いが、すがすがしい朝である。
金沢は、古都である。
泊まったホテルは、繁華街にある。
昨夜は、土曜日で、賑やかであった。
観光に来たわけではないので、
すぐ近くの兼六園にも、とうとう行かなかった。
そのうち、金沢にまた来たときに、訪れたい。

こんな思い残すことが、あったほうが、
また来たいと思うことができる。
何事も前向きに考えることである。
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●数は力か弱点か:No.146 ● 2001.9.22
5000人が加入している学会にきている。
昨日の懇親会で、恩師と話していると、
学会長も来て、話し始めた。

恩師が、「5000人も今はいるのか」という。
私が「多すぎるのではないですか、
3つか、4つに分けたほうがいいのでは」という。
会長が、「多くてもいい。数は力である」という。
私は「数は、弱点でもある」といいたかったが、やめた。

確かに、数は力である。
しかし、数が力になるのは、
一致団結して、外に向かっているときである。
組織が、有効機能しているときだけである。

残念ながら、一時よりはましになったが、
この学会は、まだまだ、不正常な組織である。
2年前まで、評議員として学会運営し参画していたが、
あまりの不正常に、1期の任期で止めた、という経緯がある。

数が増えると、それぞれの意思や思惑が渦巻き始める。
さてさて、数とは御しにくいものである。
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●恩師の気力:No.145 ● 2001.9.22
急に涼しくなってきた。
初冠雪のニュースも流れている。
秋が、深まってきた。

電話では話していたが、
久しぶりに恩師に会った。
恩師は、最近病気がちで、
気力も低化している。
昨年、手術し、今年の10月にも手術する予定だそうだ。
そして、7月にアルゼンチンに行って、
肺炎になり、8月はずっと寝こんでいたそうである。
そして、生きることに積極的でない。

恩師は、弟子が少なく、
私と後輩の2人くらいしかいない。
だから、その後輩と恩師をなんとかしたい、
と相談している。

英語文献の日本語への翻訳が
いいのではないかと考えているのだが、
奨めているのだが、どうも乗り気にならないようだ。
でも、なにか目的を持って生きて欲しいのだが、
今日は、1日その相談をするつもりである。
うまくいくかどうか。
あきらめずに説得しよう。
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●金沢にて:No.144 ● 2001.9.22
金沢にいる。
昨日から、金沢に来ている。
昨夜は学会の懇親会があり、
懐かしい、多くの人とあった。
学部と博士過程時代の恩師にあった。
今日は、朝一番の発表である。
それが終われば、金沢在住の修士過程時代の恩師と、
ゆっくりと話し合う予定である。

学会に来ると、
近くの観光地や地質名所を見るということを、
かつてはよくやっていた。
今回もすぐ近くに兼六園がある。
しかし、出かける気にならない。
これも、忙しさのせいだろうか。
それとも、老化?
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●彼岸花:No. 143● 2001.9.20

さて、大変。
1週間、留守にすると、溜まっている。
午前中、一杯かかって、返事を書く。
一部の重要なメールは、来週書くことにする。

午後は、明日から出かける学会の準備をする。
1週間いないうちに、わが町にも
秋は来ていた。

彼岸花が咲いていた。
通勤途中の道端と
駅の構内。

彼岸花で想い出すのは、
実家の、家を建替える前の庭で子供の時見たもの。
大学に入って帰省して大和路で独り歩いて見たもの。
鳥取の田舎の研究所にいたとき近くのあぜで見たのも。

記憶とは変なもの。
もっと一杯見ているはずなのに、
思い出せるのは少ない。

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・ 「地球のささやき」ホームページ更新
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●ゼロ:No. 142● 2001.9.19

遅い夏休みをとった。
今回は、群馬県東部の火山地帯に行った。
白根山(草津温泉)2泊、
榛名山(榛名湖温泉、伊香保温泉の近く)1泊、
浅間山(鹿沢温泉)3泊
の6泊7日の夏休み。
軽井沢まで新幹線で往復。
移動はレンタカー。
総移動距離、約400km。

世間では、7日間の夏休みは、
長いのだろうか、
それとも短いのだろうか。
まあ、世間はどうでもいい。
このような休みが、
自分自身や、家族のためになれば、
他人がとやかく言うべきものではない。

では、私の夏休みは、
どうだったのか。
プラスマイナスでいえば、ゼロか。
でも、多くのプラスとマイナスの合わさったゼロである。
このゼロは大きいゼロである。

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・ 「思いつくまま」2001年夏休み編のページを作成
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●次から次と:No. 117● 2001.9.12

台風が去った。。
通勤路の道すがら、
ミカンがたくさん落ちていた。
黄色いミカンがたくさん落ちて、
緑のミカンだけが、枝に残っていた。
我が家の、雨漏りは止まった。

台風の余波が覚めやらぬ今日、
朝起きると、アメリカのテロのニュースが飛び込んできた。
メールでも、関係している人とニュースが流れてくる。
日本からアメリカ向けのツアーがすべて中止。
私も、まかりか違っていたら、
アメリカへ行ってたかもしれない。

私は、明日(13日)から19日まで、
夏休みをとる。
だから、この「思いつくまま」も
しばらく休み。
旅先で書けるかどうか。

夏休みを海外も考えたが、
大変なので、日本にした。
群馬の山奥。
浅間、白根、榛名にいく。
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●台風です:No. 116● 2001.9.11

昨日は、箱根にいたが、台風で下山してきた。
そして、今朝は、台風の暴風圏にはいった。
ぼろ屋の自宅は、前回の台風に次いで、
雨漏り。今度は、前回より広くなって、
バケツが2つになった。

今朝、博物館に来ようとしたら、
電車、バスがストップ、1号線も通行止め。
駅で同僚にあったのと、
お互いに昼の弁当も買ったし、
それに、タクシーに聞くと、行けるというので、
同僚と同乗して博物館に向かう。
予想通り、裏道も、途中で渋滞したので、
そこから歩いた。
15分ほどで着いた。

いい経験だったという歳ではないが、
以前は、台風と異常事態があると
そわそわというか、わくわくというか
じっとしていられないような気分であった。
しかし、最近はじっとしていたい気分である。

もしや、心の老化が始まっているのでは。
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●頑張ってますか:No. 115● 2001.9.10

9月8日(土曜日)〜9日(日曜日)は
静岡県加茂郡東伊豆町の熱川温泉で
研修会をおこなった。

総勢25名の参加でおこなった。
家族連れもいたので、
研修会は12名の出席者であった。

我々の科学教育に関する今後の展望に向けて
「ネクスト・ステップ」というテーマでの
集会であった。

この会議の重要性を何人かは認識し、
ある人は、その重要性を認識しない、
これは、どんな重要な会議でも同じことであろう。
主催者は、重要である考える。
でも、一参加者になると、
その重要性は希薄になる。
しかし、発表するとなると
普通はその趣旨について考え
重要性を認識するものであるが
そうでない人も、主催者泣かせの人たちである。

どんなことでも、
そのイベントに対する
思い入れは、人それぞれだし、
参加して得られる成果も、人それぞれである。

でも、頑張った人には、
多分それなりの成果は得られたであろう。
そう信じないと、こんなことはやってられない。

みなさん、なにかについて頑張ってますか。
わたしは、あれも、これも、それも、頑張ってますよ。
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●心とは不可解なもの:No. 114● 2001.9.7

心の話しである。

人間は、一般的に幸福の象徴というと、
金持ち、一流大学、一流会社、
よき伴侶、よき家族
などが、すぐに思いつく。

逆に、一般に不幸の象徴として、
貧乏、退学、無職、失業、病気、
離婚、死別
など、の言葉が思い浮かぶ。

しかし、心という尺度で見たとき、
このような「幸福」な状態が、
本当に、マイナス面だけなのか、疑問である。
経験や人生という視点で見た場合、
人間の心にとってはプラスになるかもしれない。
まさに、
「ぼろは着てても心は錦」
ということも、ある。

それに、幸福や不幸の状態も
心+心=2心
心-心=0心
という単純な結果ではなく、
2心ではなく0や3に、0心では-1や1に、
変化する可能性がある。

要は、心の持ち様。
心は、どんな不幸な状態でも、プラスのことがある。
心は、どんな幸せな状態でも、マイナスのことがある。

げに、心とは不可解なものである。
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●「情報化」について:No. 113● 2001.9.6

「情報化」について考えている。
ある学会のシンポジウムのテーマに使われている。
「情報化」とはなにか。
日本語が、おかしいのではないか。
理解に苦しむ日本語である。
しかし、よく見かける言葉ではある。

つまり、IT時代にマッチした、
あるいは、コンピュータやインターネットを利用した
とか、いう意味として捉えればいいようである。

しかし、一個人か理解しようが、しまいが、
「情報化」が起こっている。
流通、マスメディア、商業、社会など
すべての階層、レベルで
「情報化」がおこっている。
だから、どんなにアナログ的な生活を送っていても、
「情報化」からは逃れることはできない。

そんな、世の中となっている。
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●高度の認知作用:No. 112● 2001.9.5

我々が運営している
インターネットのデータベースの
質問用の掲示板がある。
先日、そこに質問があった。
小学校3年生からで。
地球が丸いことと、その理由についてである。

そこで、ふと、考えた。
3歳半のうちの長男は、
以前、テレビでみた丸くて青いものを
地球と教えたら、
それ以降、
地球というのものを識別できるようになった。
しかし、それは、カブトムシとクワガタムシを
見分けるようなもので、
図鑑やテレビで見たものを
識別しているに過ぎないと思う。
青くて丸いものを、
単に知識として、地球と呼んでいるのではないだろうか。

地球がとてつもなく大きいこと、
地球の上に住んでいること、
地球は円ではなく球であること、
人間は、地球の中心に向かって立っていること、
地球の裏側の人が、逆さま向いていること
など、彼は理解しているのだろうか。

彼は、地図を見ていたら、一緒にみているし、
ここに家だあるというと、覚える。
スケールの違う地図でも同じように覚える。
でも、そのスケールというものを、
彼は理解しているのだろうか。

今述べたようなことは、
非常に高度の認知作用によるものだという気がする。
でも、もしかすると、我々の認知も単なる知識で、
本当に認知しきっているのだろうか。
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●反論:No. 111● 2001.9.4

Club Geoという地学クラブがある。
これは、私たちが実験的科学教育の一環
としておこなっている組織で、
小学生5年生から大学4年生まで、
5名がメンバーとなっている。

連絡はメーリングリストを用いて
おこなっている。
メンバーの一人と、
今論争中である。
固有名詞の他言語への変換という問題である。

たとえば、国名をどのような言葉で
呼ぶのがいいのだろうかということである。
日本は、
NipponなのかJapanなのか
ということから、他の言語へは
どのように表現するのがいいのかということである。

この議論で、中学3年生が必死に私に反論している。
かれは、非常に精神的に繰るし思いをしながら、
議論しているはずである。
背伸びも多分しているであろう。
でも、彼の精一杯の反論に対して、
こちらも教育的配慮をしながら、
しっかりと議論していこうと考えている。
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●はじめての「はじめて」:No. 110● 2001.9.3

現在、新たなメールマガジンの発行のために
四苦八苦している。

メーリングリストの管理者だけが発信できる機能を使って、
発行しようというものである。
この機能を使えば、
メーリングリスト登録者の同士のアドレスは
見ることができず、個人情報が流出しない。
そのためには、その使い方を私が理解する必要がある。

何事も、「はじめて」は大変である。
コンピュータやインターネットの世界では
特に「はじめて」の類が多い。
でも、「はじめて」は一度しかない。
コンピュータの場合は、
一度行ったことは、
コンピュータが覚えていてくれるので、
2度目以降が楽である。

でも、久しぶりに、
「はじめて」をしようとすると、
ゼロの状態から、はじめるようなもので、
苦労する。

まあ、はじめての「はじめて」と比べれば、
二度目の「はじめて」のほうが楽ではある。

今月中ごろには、
このはじめての「はじめて」での
メールマガジンの発行をする予定である。
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●9月から:No. 109● 2001.9.1

9月になった。
ちょっと模様替え。

考えてみれば、
2000年の9月くらいから、
私の心にかかわる
アウト・プットとインタラクションが始まった。
この1年間、私にとっては、
さまざなま情報発信の試みをこなった。
そして、その発信から
あるいは新しい人間関係から
さらなる相互作用が生まれた。

アウト・プット
・メールマガジンコミニ亭での「地球のささやき」連載
・「地球のささやき」ホームページの公開
・まぐまぐでのメールマガジン「地球のささやき」発行
・「Dialog」のホームページ公開
・まぐまぐで「Dialog」のメールマガジン発行
・www.ykoide.comの取得とホームページ(100M)の公開
・「Metamorphic」のホームページ公開
・「思いつくまま」の公開

インタラクション
・コミニ亭
・「地球のささやき」の読者とのメール交換
・メールカウンターの発想
・「Dialog」の基となるメール交換
・「Metamorphic」の基となるメール交換
・EPACSの掲示板

などがすぐに思いついた。
今後、さらなる発展をする予定である。
ただし、時間に限りがあるので、
続けるものは続け、
新たなものも始める予定。
「地球のささやき」の特別号で、
新たなエッセイのテーマを模索中。
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