思いつくまま

No.002 (2001年7月分)
目次へ


目次
●祭り:No. 70● 2001.7.31
●ゆったりとした気分:No. 69● 2001.7.30
●花火その1:No. 68● 2001.7.29
●花火事始:No. 67● 2001.7.28
●新しい科学教育:No. 66● 2001.7.27
●十国峠:No. 65● 2001.7.22
●時差ぼけ:No. 64● 2001.7.21
●どこかへ行きたい:No. 63● 2001.7.20
●帰国:No. 62● 2001.7.19
●不在です:No. 36● 2001.7.5
●7月は夜景:No. 35● 2001.7.5
●汗と心:No. 34● 2001.7.4
●垣間見る心:No. 33● 2001.7.3
●「それはさておき」:No. 32● 2001.7.3
●ふとした狭間:No. 31● 2001.7.2
●6月は?:No. 30● 2001.7.1

●祭り:No. 70● 2001.7.31

今日で、7月も終わり。
慌しかったけれど、
実り多き月である。

世間は、祭り真っ盛りで、
各地で花火大会が催されている。
小出家も花火に参加する予定である。
かつては、遠くまで行ったが、
子供連れだと、遠出が億劫になる。

でも、祭りとというのは、
なぜか、心騒ぐの私だけなのでしょうか。
でも、祭りが盛り上がるのは、
皆心騒ぐからなのであろう。
でも、田舎の過疎地では、
祭りも年々、衰えていると聞く。

今、地方から都会に行った人は、
祭りやお盆で、里帰りなしないのだろうか。
日本で移動するぐらいなら、
海外旅行の方が安上がりとばかりに、
海外に行く。
当然、私のその一人だが、
日本は日本のよさがある。
でも、小出家では、
時期はずれの夏休みを採ることにしている。
今年は、どこにしようかと考え中である。

New

・ 「わが町、湯河原」No.19追加
目次へ


●ゆったりとした気分:No. 69● 2001.7.30

昨日と打って変わって、
今日は暑い日である。
でも、心はゆっとりしている。
それは、家族がいなくて、
のんびりできる久しぶりの休日。

いつもの月曜日は
大学の講義で出かける日であるが、
今は先週の試験後、
大学は夏休み。
私も休みである。

博物館は月曜日休みなのに、
いつもは出ているので、
得をしたような気分。
それに、なんといっても
子供たちが保育園に出かけていていない。
静かである。

本当は、今日は、
午前中自治会の会議、
午後は、保健所に行かなくてはならない。
でも、ゆったりとした気分。
目次へ


●花火その1:No. 68● 2001.7.29

昨夜、予定通り近所の
花火大会に行ってきた。
テレビでは、隅田川の花火大会が放映されている。
他にも大きな花火が目白押しである。
しかし、我が家は近所の花火大会。
家が山の上にあるので、
子連れだと大変なので、
タクシーで往復する。

昨日は涼しかったので、
見やすかった。
長男は0歳から1歳にかけては
よく花火に連れて行ったのだが
次男ができて、
去年は近くで見れなかった。
だから、予告の音だけの花火の
大きな音に驚き、怖がっていた。

実際に、花火が始まると、
「きれいだね」といって、
耳をふさぎながら、見ていてた。
次男は、スターマインを見ると、
光っているうちは、見とれているのだが、
終わると、音の大きさが怖くなって、
しがみついている。

昨夜は、手筒花火がやられた。
長男は、「きれだね」を連発。
「熱くないの」の聞く。
「我慢しているんだよ」と応える。
でも、自宅でする花火と比べれば、
きれいだ。
これから、小出家も花火シーズンである。
目次へ


●花火事始:No. 67● 2001.7.28

朝から、曇り。
台風の影響か、今日は、涼しい。
疲れたの今日は、代休をとった。

久々に、「わが町、湯河原」を追加した。
今日は、近くで花火がある。
さて、見に行けるかどうか。
次男は、花火がはじめてである。
長男だって、近くでは見たことがない。
花火の音は、子供にとっては、
大きすぎて、恐怖の対象となることが多い。
できるだけ、
心の準備をして、見せなければ、
花火恐怖症になてしまうかもしれない。
そうなったら、これから、花火を見に行きにくくなる。
さて、小出家の花火の季節は始まるのか。

New

・ 「わが町、湯河原」No.18追加
目次へ


●新しい科学教育:No. 66● 2001.7.27

24日から26日まで、
四国にいってきた。
暑かったけれど、
四万十川の上流や
緑の多い渓谷を歩いた。
汗を一杯かいた。
カナダに続いて、
四国でも、いい汗をかいた。

カナダと違って、
四国では、
20名の小学生が一緒だった。
そこが違う。
愛媛県東宇和郡城川町には
もう、10年くらいかよっている。
地質館や教育委員会とは、
顔馴染みになった。

去年から、
神奈川県の博物館の
子供たち4名も参加しだした。

新しい科学教育を目指して
現在、研究中。
「新しい・・・・」は、
言い古された言葉。
でも、目指すのは、
やはり「新しい科学教育」。

New

・ Ob氏のホームページ更新
目次へ


●十国峠:No. 65● 2001.7.22

昨日は、家族で十国峠に行ってきた。
十国峠は、伊豆半島の付け根にあるところで、
箱根の少し南にあたる。
ケールブカーがあり、
頂上まで100メートルくらいを登る。
非常に遠望の利く、地である。

由緒書きによると、
10個の国と、5個の島が
見えたそうである。
昨日は、幸運にも、
非常に遠望かきいた。
真鶴半島は当然だが、
初島、大島、房総半島、伊豆大室山、天城山、
駿河湾から西の南アルプスまで見えた。

こんなに遠望がきくのは、
冬場くらいで、
夏、それも、7月の蒸し暑い日に
こんなによく見えるとは驚きである。

さすがに、標高770メートルともなる、
日差しはきつくても、
涼しい風がふいて心地よかった。
当然、降りてから自宅での暑さには耐えかねた。
クーラーをつけてたことは、いうまでもない。
目次へ


●時差ぼけ:No. 64● 2001.7.21

時差ぼけである。
そのため連日、睡眠不足である。
昨日は、
夜8時過ぎに眠くなり、
夜中、2時過ぎの目がさめ、
朝まで、本を読んでいた。

4時過ぎには、
ヒグラシかなにかの、セミが鳴き出した。
そして、4時半には新聞配達のバイクの音。
今は、5時過ぎ。
次男が、起きて騒いでいる。
今日も暑そうである。
今日と明日は、
家族サービス。
近所の川や森に行こう。
目次へ


●どこかへ行きたい:No. 63● 2001.7.20

海外旅行から帰ってくると
いつも、思うことがある。
「次は、○○へ行きたいな」
ということ。

懲りないというか、
贅沢というか、
でも、思ってしまう。
海外旅行だけでなく、
国内旅行でも、
同じ気持ちになる。

出かけている時は、
早く帰りたいなとか、
和食が食いたいとか、
もっとゆっくり寝ていたいなとか、
いろいろ里心がつくことがあるのに
でも、また、出かけたくなる。

日本人、農耕民族だから、
移動に対して、
それほど、恋焦がれることもないようだが、
でも、やはり一度動くと、
また動きたいなという気になる。

欧米の人は、
狩猟民族的な傾向のある人が
多いと思っていたが、
彼らだけでなく、
日本人だって同じである。
最近の海外旅行ブームみれば、
決して、欧米人に見劣りはしない。

もしかすると、
移動するということは、
人類の本性かもしれない。
人類は、もともとアフリカで誕生し、
世界各地に移動して、広がっていた。
グレートジャーニと呼ばれるもので、
氷河期には、ベーリング海を渡り、
南米大陸の南端まで
達したのである。

New

・ Ob氏のホームページ更新
・ 「地球のささやき」のMM発行、HP更新
・ 「Dialog」のMM発行
・ 「Metamorphic」へLetter追加
目次へ


●帰国:No. 62● 2001.7.19

無事、カナダから帰ってきました。
溜まっていたメールを3時間がかりで、
半分読みました。
そのなかで、ユニバーサルデザインについて
Mu氏からメールがありました。
そこで、そのホームページ
http://ud-kumamoto.rkk.ne.jp/index_main.asp
をみて、こんなメールを書きました。

はじめまして。
博物館に勤務している学芸員です。
Mu氏からメールを頂き、コメントいたします。
まだ、HPの全体像を確認していないのですが、
ユニバーサルデザインは非常に重要な考え方だと思います。
それは、単に障害者だけに対するサービスを意味するのではなく、
より多くの人が便利になればいいということです。
そのような考えで私たちは、
博物館情報を
「いつでも、どこでも、だれでも、いくらでも」
をキャッチコピーにして活動しています。

それと、このコーナーに書かれたコメントはどうなるのでしょうか。
一部は公開されているようですが、
その他のコメントはどうなっているのでしょうか。
このコーナーの存在の意味がよくわかりません。
100万人のメッセージを集めてどうするのですか。
数が重要ですか。
それとも、声を聞くことですか。
その声を皆に聞いていもらうことですか。

何もしないよりは、何かをした方がいい。
でも、そのやり方はより効果的であるべきです。
それこそ、ユニバーサルデザインに通じるものです。
このコーナーの趣旨はユニバーサルですか?

New

・ カナダ旅行のページを作成
目次へ


No. 62からNo. 37 は「思いつくまま」カナダ編です。

●不在です:No. 36● 2001.7.5

今は時間がありません。
要件だけです。
明日(7月6日)から18日まで、
カナダに行ってきます。
ですから、このページの更新もできません。
でも、カナダでも
「思いつくまま」に書いています。
帰ってきたら、報告します。
でも、メールは送って頂いて結構です。
帰ってきてから、
大変だと思いますが、
読み、そして、返事は出します。
よろしく。

New

・ 「Road to Dcotor」の公開
・ 「KoideHomePage」の更新
・ 「Metamorphic」改訂


●7月は夜景:No. 35● 2001.7.5

ここ2晩続けて、長男と夜景を見に行ってる。
わが町は、山と海の接する町なので、
山に上がれば、きれいな夜景が見えるはずだ。
しかし、きれいに見えるポイントは
なかなか見るつからない。

花火が好きなので、
花火が良く見えるところも見つけておきたい。

車のヘッドライトを頼りに、
暗い道を走りながら、ふと考えた。
昨日は満月に近かった。
月のすぐ横には、火星が見えた。
いくら満月とはいえ、
車のヘッドライト見ていると、
星すらも見えない。
夜景とは、結局、
人の住む明かりを見ることである。
人の営みを眺めに行くのではないか。
6月のホタルと、7月の夜景は似て否なるもの。

さて、長男はこの違いに気付くのだろうか。
触れる熱くないホタルの明かり。
触れないが、触るときっと熱く、その下で人が暮らす明かり。
目次へ


●汗と心:No. 34● 2001.7.4

暑いときは、汗をかく。
今も、体中汗をかいている。
体を、少し動かせば汗が出る。
すがすがしいと感じるときと、
疲れたと感じるときがある。
同じような環境で、
同じような肉体労働したときでも
このような差が出る。

心の持ち様なのか。
それとも、体調なのか。
わからないけれど、
確かに違いを感じるときがある。

今は、疲れた感じ。
単に、暑いだけなのだろうか。
私のように、ちょっと感じる差を
大きく取り上げるとは、
妄想なのだろうか。

妄想と現実の中で、
心は、揺れ動く。
そんな心の動きに、
肉体も揺れ動く。
人間とは、非常に厄介なものだ。
でもこんな心の働きが、
芸術や思索を生むのである。

肉体を重んじて、
本能のままに生きるも良し。
心を重んじて、
悩みながら生きるの良し。
願わくば、
肉体の声を聞きながら、
心を重んじていきたい。
夢か理想か、
幻想が妄想か。
プロセスと結果がすべてを語る。
目次へ


●垣間見る心:No. 33● 2001.7.3

心が問題である。
変わること、それはいいこと、それとも悪いこと。
それは内容による。
自分自身の本質にかかわることでも、
変わることある。
それも、善き哉。

でも、絶対変わってはいけないこと、
そんなこともあるだろう。
今、私の中で、
今までの自分と、これからの自分が、
大きく変わろうとしている。

多分、見かけは何も変わらない。
でも、ある一つの生と死をきっかけに、
変わることもある。
その生と死は予期できたものであった。

心は、それをしばらく受け入れなかった。
それは心には、
予期できず、突然襲ったもの。
その心の破れを修復するのに、
長い時間を要した。

自分では意図しなかったのだけれども、
今ようやく、すべてのことが、
その生と死が受け入れられた。
そんな生は、今一つから二つに。
でも、死は補えない。
でも、心はいつか繕える。
そして、さらに大きな心へ変われる。

そんな、大きな心を目指して。

突然、これを、読まれた方。
多分、なんのことかわからないかもしれない。
でも、すべてをわかることなんて、ありえない。
心は、いつも、ほんの一部だけが、
垣間見えるだけ。
それも、心のむつかしか。
その心も持ち主だって、少ししか見えないのだから。

New

・ 文教大学レポートホームページに掲載
・ 「地球のからくり」5_10発行・作成
・ 「地球のからくり」5_9発行・作成
・ 「地球のからくり」3_10発行・作成
・ 「Dialog」20発行
・ Metamorphicの改訂
目次へ


●「それはさておき」:No. 32● 2001.7.3

非常勤講師をしている大学の授業で、
レポートを希望者だけが提出するように、
ということを1学期で、3回やっている。
それは、自主性と、
自分自身で、生きるために必要なこと設計をしてほしい
という意図をこめている。

でも、ただ、点数が欲しいという人が多い中、
こちらの意図察知して、
望ましいことを書く人もいる。

しかし、自分が学生のころ、
論述試験だと、
よく、「それはさておき」
として、自分の知っていることだけを、
書き連ねるという、技を何度か使った。

また、統計学の先生は、応援団顧問だったので、
大学の応援歌や寮歌を試験用紙のうらに、
知っているだけ、多数かいたら、
単位どころか、「良」をもらったことがある。

自分のことではなく、
現在の学生は何としてでも、
少しでも、点数を稼ごうとちう貪欲さが少ない。
おな時間をかけるなら、
少しでも多くの文章を書けばいいのだが、
それもほどほどに、
できれば少しですまそう、
と考えているようである。

しかし、そんな中から、
一人だけ、こんな書き出しで始まるレポートがあった。
なおレポートのタイトルは、
「あなたにとっての宇宙史上の重大事件ベスト5」
である。

「私はこのレポ-トを書くにあたって、
宇宙での事件…?と、
とても頭を悩ませましたが、
先生は講義の中で、
実は私達地球人も宇宙人である、
とおっしゃっていたので、
それは‘今私達を取り巻くこの空間も宇宙の一部である’
ということになると思うので、
社会や私達の身近で起きている出来事も
「宇宙での事件」になりうるのではないかと考えました。」

私が、昔使った手です。
懐かしかったです。
それに、その内容は充分考えて書かれてましたので、
高得点を与えました。
目次へ


●ふとした狭間:No. 31● 2001.7.2

ふとした時間が、空くことがある。
狭間(はざま)の時間だ。
空いた時間を、どうのよう使うかは状況によってさまざまである。
そんな、狭間の時間が、好きだ。
例えば、15分あれば原稿用紙1、2枚の文章が書ける。

この文章も、そんな狭間の時間に書いている。
非常勤講師をしている大学の講師控え室で、
15分ほど空いた時間に、書いている。

書きたいと思うことが一つでもあれば、
それを核にして、言葉が出てくる。
今回は「狭間の時間」である。

そんな狭間の時間を有効に使いたいと、
常々思っている。
最近、特に心理的変化が激しい。
もしかすると、私は今、大きく変貌しているかもしれない。
こんな変化は近年感じたことがない。
気力が充実している。
そんな時々刻々の変化を
書き留めておきたい。

これは、自身の変化の記録という意味ではなく、
公開の場や他人との相互作用で起こっている、
インターネットというメディアだからおこている変貌である。
だから、インターネットの公開の場でその変貌を記録することが、
さらなる変貌を引き起こすかも知れない。
これは、私自身を用いた人体実験である。

実は、半分位入力している途中から、
メモしたこととは外れたことを書き出した。
まあ、こんな変化がデジタル時代の
心理学的症例とならないかと考えているわけである。

さて、狭間の時間。
その記録の方法は、
ノート、ペン(私の場合は、水性ボウルペン)が最適。
実は、ノートとペンが究極の
モバイル・ギアではないかと、常々考えていた。
補給は、日本中、いや世界中のどこでもできるし、
電源や明かりも不要。
そして、目にもやさしい。

しかし、最大の欠点は、
デジタル化するとき、
再度同じ入力が必要というロスである。
推敲しながらの入力と考えてもいいのだが、
文章が、興に任せて、
今回のように別のところについつい流れていくことである。
だから、可能な限り、
NECのMabileGear(白黒)を
長期出かけるときは持っていく。

狭間の時間。
そんな時、けっこう集中力がでる。
短いがゆえに、
終わりが近いがゆえに、
がんばれる。
そんな時間が終わる時、
「残念」という気持ちが出たとき、
それは、充実してた時を過ごせた証し。
「やっと終わった」と思ったとき、
それは、無為な時間を使った証し。

さて、この狭間の時間は、
その中間というところ。
なぜなら、思っていたことが、
十分書ききれなかったから。
目次へ


●6月は?:No. 30● 2001.7.1

今年最後のつもりで、
昨夜、ホタルを見に行った。

ホタルは数匹。
人は10人以上。
今年最後のホタルを楽しんだ。
そして、私の6月は終わった。

6月は、ホタルと「思いつくまま」の月だった。

7月。
この「思いつくまま」をはじめて、
早、一月。
思いつくまま、始めて、
思いつくまま、書いてきた。
時々、誰かが覗いている。
まだ、誰から反応しない。
でも、確実に誰かが覗いている。

インターネットのホームページは、
誰かに覗かれることを前提に書いている。
多くの人は、反応を期待して発信している。
しかし、このページだけは、
反応を期待しないで、発信している。

反応が欲しければ、
検索ページに登録すればいい。
でも、それはしない。

ここにきた人は、そのルートは限られている。
たまたまたどり着いた人は、いないはず。
別の発信者から、たどってきた人。
つまり、相互リンクをしている、数名のホームページから。
私の知り合い。
メールマガジンの読者。
大学で、私の授業をとっている人。
テクノリサーチのホームページからきた人。
これらの中の誰かが、覗いている。
でも、誰も反応しない。

反応は期待しない。
何らの言葉、何らかの記述が、
いつか、どこかで、誰かの琴線に触れること、
それを、期待しているだけ。
受信をしない、発信だけのメッセージ。

この「思いつくまま」は、日記や独り言ではない。
ただ、他人を意識して発信。
ただ、見返りや、反応を期待しない発信。
日記や独り言は、他人と相容れない。
他人を拒絶する。

しかし、ここに書かれた文章は、
私に他人に向けたメッセージ。
反応を期待しない、メッセージ。
インターネットには、
独り言、日記は一杯ある。
反応を期待した情報発信もある。
私もやっている。
でも、反応を期待しない、発信があってもいいのではないか。
今までもインターネットでは、あまり試みられてないこと。
うまく言えないけれど、
それが、この「思いつくまま」の私なりの掲載論理。

New

・ MetamorphicのLetter Case 2と3を更新
目次へ


目次へ