思いつくまま

No.001 (2001年6月分)
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目次
●Sa君への手紙:No. 29● 2001.6.30
●サボテンの落ち花:No. 28● 2001.6.30
●6月最後のホタル:No. 27● 2001.6.30
●微熱の中で:No. 26● 2001.6.27
●年齢と創造:No. 25● 2001.6.27
●豊かさについて:No. 24● 2001.6.26
●緑:No. 23● 2001.6.26
●ドナーカード:No. 22● 2001.6.21
●最後のホタル:No. 21● 2001.6.21
●夢を大切に:No. 20● 2001.6.20
●夢の教育社会:No. 19● 2001.6.20
●心:No. 18● 2001.6.20
●ホタルと心:No. 17● 2001.6.19
●二十歳の悩める少女へ:No. 16● 2001.6.19
●人のために:No. 15● 2001.6.16
●家族でホタルを見た:No. 14● 2001.6.16
●自然なホタル:No. 13● 2001.6.15
●ナチュラリスト:No. 12● 2001.6.14
●ボランティア:No. 11● 2001.6.13
●ビワから季節へ:No. 10● 2001.6.12
●ビワから技術へ:No. 9● 2001.6.12
●動物園ホタル:No. 8● 2001.6.11
●心の中:No. 7● 2001.6.10
●ホタルと想像力:No. 6● 2001.6.10
●人間の信頼:No. 5● 2001.6.8
●Mail Counter:No. 4● 2001.6.7
●おととい、きのう、きょう:No. 3● 2001.6.6
●日々続行、これ量を生む:No. 2● 2001.6.3
●はじめに:No. 1● 2001.6.2

●Sa君への手紙:No. 29● 2001.6.30

Sa様
この度は、誠にご愁傷様です。
謹んでお悔やみ申し上げます。

多分、いろいろな人から励ましのメールが行っていると思います。
意気を落とさず頑張ってください。

私は、お悔やみに変えて、
自分の経験を話しましょう。

私の父は、3年前の5月に亡くなりました。
1周忌、3周忌が立て続けにあったような気がします。
でもそれも1年前。
実家は京都の田舎なので、
田舎風の昔ながらのやり方で、葬式をしました。
初七日まで、毎日人がきて何らかの行事がありました。
毎晩、喪主として立ち会わなければいけません。

それに、Sa君と同じように、仕事が気になってしました。
当時、横浜国立大学で非常勤の授業を
受け持っていたので、
たった1講のために
京都-横浜間を新幹線で日帰りをしました。
当然、博物館には顔を出しませんでした。
でもこんな忙しさも葬式につきもののようで、
気を紛らわすという効用もあったようです。

自分は非常に理性的で、
感情に負けない理性を持っていると思っていました。
それまで、涙が出なかったのですが、
しかし、父の棺を閉める時、
焼却炉の前で最後の別れの時、
突然自分でもわからないほど、
涙が出てとまらなくなりました。

そのとき、心の隅に追いやられていた理性が、
最後の最後に思ったことです。
「やっぱり自分にも、どうしようもない感情があったのだ」
ということです。
それがもしかすると、
理性に偏りすぎた私の生き方に対して、
最後に父が教えてくれたことかもしれません。

それはあまりに大きな教えでした。
私は、すべてを合理性や理性によって考えることが
正しいと考えていました。
そして、自分は今までそうしてきたし、
他人も頑張ったり望んだりしたら
そうなれるものだと考えていました。
でも、そんな自分のような人間にも
おさえ切れない感情があること、
そして当然他人にも同じような感情があることを
身をもって知ったです。

自分にも他人にも感情を認めることにより、
今まで簡単に解決できると考えていたことに、
解決不可能な部分があることが、
身につまされて教えられたのです。
理屈では済まない部分を認知するということです。
その土俵でも、
ものごとを考えなければならないということです。
私の興味はそちらに急速に向かっていきました。
その内容は、Sa君もご存知の最近の私の世界です。
でも、これは、
「いくらやっても解決できない」
ということが、私の答です。
感情の世界は認めて、
やはり合理性の世界を目指すことです。
全面解決は求めない。
少しでも多くの人の役に立てばと
考えるようになりました。
あと1、2年で、
父に宿題も終わりにしようと考えています。
大変、長い時間のかかる宿題でした。
でも、自分の世界を大きく広げる結果となりました。
父に感謝します。

以上、私の経験と、その後の私の考え方の変化でした。
参考になれば幸いです。

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・ memoの7月分の作成
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●サボテンの落ち花:No. 28● 2001.6.30

駅に向かう道すがら、
サボテンの花がたくさん落ちていた。
去年もそういえば落ちていた。

今年は、咲いているのを気付かず、
落ちた花で気付いた。
雨の日はこの道だが、
雨でない日は別の道を歩く。
だから余計に気付かなかったのかもしれない。

花は盛りを見るものか。
盛りだけが美しさのすべてか。
花は美しさを見せるために咲いているのか。
それは、人の思い込み。
それは、ひとがつくった花。

野に咲く花は誰のために咲くのではない。
自分自身にために咲く。
人のために咲く野の花はない。

私は、歩く時足元をたくさん見て歩いているのだ。
意識しないと、上は見上げない。
自分の足元がおぼつかないのか。
自分に自信がないのか。
周りを見る余裕がないのか。

「死ぬ時まで前向きでいたい」など、
実現しそうもない。
サボテンの落ち花は、
そんな自分の至らなさを教えてくれた。
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●6月最後のホタル:No. 27● 2001.6.30

一昨日は風邪で休み。
昨日は仕事が忙しく、書けなかった。
今日も忙しいが、朝一番で書く。

昨夜は、今年最後で、ダメでもいいと思い、
長男と再度ホタルを見に行った。
すると、人が結構いた。
そして、ホタルも少しだがいた。
その姿は、全盛期を見ているせいか、
儚く、寂しげで、か弱げに見えた。

でも、今年最後かもしれないホタルを長男と共に楽しんだ。
たくさんいても、ホタル。
1匹でもホタル。
儚く、寂しげで、か弱げでもホタル。
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●微熱の中で:No. 26● 2001.6.27

風邪をひいたらしい。
昨日、長男が風邪で寝込んでいた。
その風邪と同じもののようである。
熱っぽい。
くしゃみが止まらない。

熱っぽい頭で考えた。

人の生き方を見て、
感動を受ける人、
こう生きれればな、と思うような人、
自分も頑張らねば、と思わせる人、
に時々、出会う。

その人の生き方が、
偉人や伝記になるような人しか、
今までは見えてこなかった。
でも、今や、インターネットを通じて
さまざまな生き方を、垣間見ることができる。
それも、すべて自己申告の人生である。

そんな中には、私にとっては、
どうでもいい人、
決して、成りたくない人
もいる。

私が見て、いい人生と悪い人生、
その差は何なのだろうか。
例えば、客観的に私の生き方をみて、
うらやましい人生だろうか。
あるいは、他人が感動するような生き方だろうか。
と、考えると、
極、ありふれた人生で
うらやましいとは思えないなと考えてしまう。

ありふれた人生が、いけないのではない。
自分自身の人生に、魅力を感じないのがいけない。
自分自身の人生に、自信をもてないのがいけない。
そんな人生は楽しいのか。
そんな人生は生きるに値するのか。

成るようにしか成らないかもしれないが、
生きてて楽しい人生。
それを目指そう。
そうすれば、
頑張る意味、
精一杯生きる意味が
はっきりする。

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●年齢と創造:No. 25● 2001.6.27

おじさん、中年、中堅、
呼び方は違うけれど、
それなりの齢を重ねた人に
使われる呼び名である。
私もそうである。

そんな年齢になって、考えた。

若い時の研究は、
体力や腕力、そして少しの知力などを
1次的データを出し、
そこから、成果を導いた。
データを出すことが主力であった。

現在も当然データを出している。
しかし、大半の時間は、
仕事、頼まれ仕事など、
今までの仕事にプラスアルファしたものである。
データの2次利用が主な手法となっている。

そんな忙しい人間が出す1次データは、
目的が非常に鮮明で、
結果がほとんどわかるようなものが多く、
即、論文と成るものである。
データが足りない時は、
共同研究と称して、
若い人たちのエネルギーを利用する。

ふと考える。
私はいま、成長しているのだろうか。
それとも、停滞しているのだろうか。
論文の数や業績で見れば、
一目瞭然であろう。
今の方が、過去より多い。

しかしである。
本当に私は、自然の神秘に近づいているのだろうか。
それとも、少しずつ離れているいるのだろうか。
もしかすると、私は、
今とんでもない道に迷い込んでいるのではないだろうか。

確かに、今やっている仕事は、
非常に重要で、社会的意義も大きい。

しかしである。
私は、この道を本当にずっと進むべきなのだろうか。
それとも、はやく別の道を探すべきなのだろうか。
中年と呼ばれる年齢は、後戻りできない年齢でもある。
いまが最後のチャンスかもしれない。
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●豊かさについて:No. 24● 2001.6.26

豊かさとはなんだろうかと考えた。

もちろんお金を持っていることも、
もちろん豊かさの一つの定義であろう。
でも、今の日本人は、お金持ちである。
では、日本人は豊かだろうか。

私は、かなり貧困であると思う。
それは、本田勝一ではないが、
貧困なる精神の持ち主が多いのである。
金はなくても豊な人は一杯いる。
いや、金銭的に恵まれてない方が、
もしかすると精神は豊かなのかも知れれない。

もし、今の所得が半分、いや10分の1になったら、
今までの生活はできない。
一生懸命、休まず、遊ばず、働こうと考える。
今までの2倍働いた結果、
収入が2倍になった。
それでも今の収入の、5分の1である。
一生懸命働かない人は、
10分の1のままである。

それでも、生活できない。
切り詰めるしかない。
何を切り詰めるか。
生きることに不要なものを切り詰める。
友好費、嗜好品などは真っ先に切り詰めるであろう。

では、生きるのに四苦八苦しながらも、
多分、人間は、そこに楽しいこと、
面白いこと、うれしいこと、
など生活に潤いを与えるものを見出すであろう。
そして、そんなとき、周りはどうなっているであろうか。

最大限に無駄が省かれた社会。
多分、半自給自足の社会が、
登場しているのではないかと、
私は、想像する。

そんな社会は、
金銭的には、恵まれない人が大半であろう。
今日食うに困る人が隣にいれば、
助けるであろう。
なぜなら、明日はわが身であろうから。

そんな中から、心豊かな人、
心豊かな家族、
心豊かな人間関係、
心豊かな社会が、
生まれれるのではないか。

ちょっとした、夢物語であった。

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●緑:No. 23● 2001.6.26

長らく、間が開いた。
それは、23日から24日に、
富士山に調査に行ったからだ。
富士山といっても、頂上に行ったわけではない。
富士山の裾野を、調査しながら回った。

23日(土曜日)に本栖湖湖畔のペンションに泊まった。
翌朝、朝食まで次官があったので、
付近を散歩した。

梅雨で、夜雨が少し降ったあとだったようだ。
道や草木は濡れていた。
ペンションの周りは、植林された林である。
あまり手入れされずにいるようである。
木がかなり密集して生えている。
だいぶ間伐がされずにいたようだ。

そんな植林のなかにも、
植林されずに元のままの雑木林が残っているところもあった。
そのようなところもまったく手入れされてないようである。
しかし、放置された林の部分は、
周りの手入れされてない植林地帯より、
明るく、植生の豊に感じた。

それは、まさに、滴り落ちるような豊な緑であった。
絞れば、緑の雫が落ちるような瑞々しさが合った。
放置された林は、
日がうっすらと差し込み、
下草、低木、中木、高木、つたなど
多様な植物が、でたらめなようだが、
なんとなく棲み分けているような場であった。
生命の息吹を感じさせる。

多分、ここも人間がかつて、木を切り、
雑木林として使ってたのかもしれない。
少なくとも富士の原生林とはまったく違っている。

しかし、人手をいれているときはいい。
それは、大地や生き物を利用するつもりで、
使われているのだから。
手入れされた植林地帯には違和感を余り感じない。
でも、放置された植林地帯は、醜い。
もともとそこに生えてくるような植物で構成されている雑木林は、
放置されても生き生きとしてる。

なぜだかわわからない。
でも、人間も生命だから、
そこで感じる心地よさと、醜さは、
心が、自然と共鳴するか否かではないか。
心が、何かを知らせてくれているような気がする。
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●ドナーカード:No. 22● 2001.6.21

先日、保険所に行った時、
ドナーカードをもらってきました。
ご存知のように、ドナーカードは、
自分の臓器を提供するか、しないかの
意思表示のカードです。

以前から、私は、
お墓なんか無駄だと考えていました。
ですから、肉体も、死ねばいらない。
有効利用して欲しいと考えています。

現状で、一番有効な利用法は、
ドナーカードで、
脳死後でも、心臓停止後でも
すべての臓器を提供すること、
と考えています。

できれば、どこかの医学部で、
残った部分を検体し、
若き医学者に利用してもらいたい。

最後の最後に残ったものは、
土に埋めて、微生物の餌とするか、
海で、魚の餌にすればいい。

このような内容は、
ひとによっては、かなり抵抗があるようなので、
薦めない。
しかし、家族には、できるだけ了承してもらいたい。

墓なんか要らない。
誰かの心の一部、
可能であれば、自分の残した業績が、
後世の人の役に立てば、大いなる喜びである。

ドライだという人もいるかもしれない。
でも、この世からは、あっさりと消えた方が、
スマートなんじゃないですが。
死後の世界なんか、なさそうだし。

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・ 文教大学第9講講義録の公開
・ 文教大学第10講講義録の公開
・ 「砂の自然史」のSand Club会員証作成
・ 「砂の自然史」での助成金申請
・ 「自然史教育のユニバーサル化を目指して」の講演要旨発送
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●最後のホタル:No. 21● 2001.6.21

きのう、家族でホタルを見に行った。
これが最後のホタルになるだろう。

というのは、昨日見たときは、
一時と比べれば
半分もいなかったのだが、
結構見れた。
なのに、昨夜は、ほとんど飛んでなっかた。
子供も、「死んじゃった」といっていた。

ここ数日続いた雨のせいと、
ホタル自身の寿命だったのかもしれない。

昨日も少なかったが、
2匹のホタルが近くに飛んできたので、
子供にゆっくりと持たすこができた。
そして、「さようなら」と、逃がすことができた。

今年の6月は、ホタルの月だった。
9、10、15、16、17、20、21日と
7日間もホタルを見に行った。

そして、ホタルの乱舞も見ることができた。
そして、ホタルに触れることできた。
そして、ホタルが儚いものだということも知った。
それも、自然のままのホタルを。
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●夢を大切に:No. 20● 2001.6.20

ある人からのメールに
「旅行も、読書も、若いうちの方がいいですね。
やっぱり、
若いうちになんでも経験しておくのがよい
ということでしょうか。」
というフレーズがあった。

そうだと思う。
どんなに忙しくても、
どんなに経済的に苦しくても、
若い時にしかできない、
感じられないことがある。

読書もそうた。
旅行や実物に触れるなどの実体験もそうだ。

だから、「その内」ではなく、
「今」を大切にすべきなのかもしれない。
やりたいことはすぐにやる。
見たことはすぐに見る。
行きたいところへはすぐに行く。
読みたいものはすぐに読む。

それは、少々の犠牲を払っても、
あるいは多大なる犠牲を払っても、
もしかすると自分の人生にとって良いことかもしれない。

じつは、これもすごく当たり前のことのはずだ。
子供たちはまさにそうだ。
自制心や我慢を子供に、
躾として教える。
しかし、そのような自制心を持つ大人になった自分見ると、
あまりにも抑制された、
歪んだ自分が見える。

もっと、心に素直になって良いのではないか。
もっと心の声を聞くべきではないか。
そして、その心の声を実現するために、
理性を最大限に活用すれば良いのではないか。

メールでは、
「民間企業のサラリーマンをしていると、
なかなか休みがとれなくて
旅行にいけないのが悲しいところです」
とあった。

大変かもしれまないが、
自分にとって「今」という時間は、
本当に「今」しかない。
だから、社会や会社にとって「今」は、
多数の社員が共有している。
あるいは「過去」や「未来」で、
代用できるのではないか。
不良社員と呼ばれても、
がんばって、自分をなくさないようにしたほうがいい。

極当たり前のことだが、
これがなかなかできないことでもある。
だから、がんばろう。

「私も、だんだん旅に出たくなってきました」
そう、これがKjさんの本当の「今」の心の声ではないのですか?
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●夢の教育社会:No. 19● 2001.6.20

理科離れが問題にされて、久しい。
現状は、ますます悪化しているように見える。

そんな現状をみて、これではいけないと、
と考えて、新しい自然史教育、新しい自然史体系などを
構築したいとと研究や活動を続けている。

現在、日本は、
世界でも有数の教育をしている国ではないだろうか。
それでも、世界の一流国として、伍していくには、
まだまだ教育を充実しなくてはいけない。
確かにそうであろう。

でも、それは、教育を目指すものに対してであって、
一般国民に本当に大学の教育は必要だろうか。
あるいは義務教育だけでは、日本国民として、
不十分な教育なのだろうか。

ここからは、夢の教育の話。

昔で言えば、
読み書きそろばんができれば、
充分、教育が足りたのである。
それで、社会生活が営めたのである。
当然、現在風の読み書きそろばんにしなければいけないだろうが、
義務教育だけで、充分ではないだろうか。

もし、会社や組織、特別な階層で必要な人材があれば、
その会社や組織で、教育やればいい。
例えば、中卒(16歳)の青年を、
3年間、社員教育する。
そうすれば、彼は、充分「使い物になる」社員となるだろう。

3年間は見習いだから、
アルバイトのような賃金しかもらえない。
その代わり、やめるのは自由である。
当然、会社や組織はやめる人数やリスクをみこす。

もし、青年が、その会社が自分にあわいと思い、
別の職種に行きたければ、自由に行けばいい。
そして、必要ならば、
専門学校でその分野の資格をとれば、
社員教育を1年ですませ、正社員になれる。

というような、
一種の徒弟制のように教育すれば
いいのではないだろうか。
教育する側からも、受ける側からも、
無駄な、教育がなくなる。
そして、青年は自分の夢の実現を
より早くに向かうことができる。

そうなれば、高校や大学は、
本当にそれを望む人のみがいくことになる。
そのためには、強烈は受験という淘汰を
潜り抜けなければいけない。
そのかわり、研究者への英才教育を早くから受けられる。
つまり、階層を細分化して、
早くからその階層にふさわしい英才教育を施すことである。

そうなれば、社会は、分業化された、
専門家や職人が主要な階層となる。
若ければ、何度もやり直しができるし、
手に職を持てばツブシがきく。

だれでも、あまねく同等の教育をする必要はあるのだろうか。
組織や会社が求める人材は、
その組織や社会が教育すればいいのではないか。
自分の進路や希望があれば、
それに最短コースでいけるようにすればいいのでないか。

そうなれば、いいのだが。
夢の話であった。
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●心:No. 18● 2001.6.20

人の好意に応えるには、どうすればいいか。

金銭ではなく、心で与えられる行為には。
こちらの心に反応して心で応えてくれたものには。
そして与えた以上に帰ってきた心には。
そんな、心に応えるには、どうすればいいか。

もちろん、金銭ではあがなえない。
すると、同じくらいの、心でしか応えられない。
もし、心をくれた人が、
好意を授けてくれた人にだけではなく、
別の人にもその心を分けていたのなら、
こちらも心で応えるしかない。

心には、心でしか応えられない。
こんな当たり前のことを忘れている、
自分がいる。
こんな当たり前のころに気付いて驚いている、
自分がいる。
そして、かつての日本には、当たり前にあったことに気付く、
自分がいる。

世の中がそんなに豊でなくても、
庶民の中に当たり前あったもの。
そして、今は少なくなったもの。

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・ Ob氏のページを更新
・ 地学教育学会で発表する講演要旨の公開
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●ホタルと心:No. 17● 2001.6.19

ここしばらく、休みがないので、
少々、体が疲れている。
夜も、子供とホタルを見に行っているせいもある。
ちょっと行って、帰ってくるだけでも、
30分や1時間くらいかかってしまう。
でも、また、見たくなってしまう。
すると、新たな発見もある。

日曜日の夜。
長男と二人でホタルを見に行った。
連続3日目である。
その前に、2日ほど、別のところへの見に行っている。
いつもと、同じ場所だが、
車がたくさん止まっているところで、
その夜は、見ることにした。

すると、どうだろう。
非常にたくさんのホタルが、飛び交っていた。
一番最初、その場所を見て、ホタルがいなかったので、
少し下流で見ていたのだが、
すごい数のホタルがいた。

次から次に人は来る。
そして、来る人と来る人、
感嘆の声をあげている。

非常に面白かった。
そして、きれいだった。
疲れているが、
子供にせがまれれば。
今夜も行くかもしれない。

体が疲れても、
心が疲れなければいい。
日常には、余りにも、心を使うことが多すぎる。

しかし、インターネットを通じて、
軽いのだが、いろいろな人との接触ができて、
面白くなってきた。

もしかすると、私が探していたものが、
ここにはあるのかもしれない。
見つからなくてもいい。
でも、心を疲れさせない、何かがありそうだ。
それは、非常にささやかな手ごたえで、
もしかすると、手からこぼれ落ちるかもしれない。

今しか、拾えないのかもしれない。
今しか、流れてないかもしれない。
そんなはかない期待も、ここにはある。

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・ Ob氏のページを更新
・ 「地球のささやき」ホームページ更新
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●二十歳の悩める少女へ:No. 16● 2001.6.19


昨日は、ある学会誌の編集委員会で東京にでた。
毎月、1回はそのために東京に上京する。
大学での非常勤講師の仕事(茅ケ崎)が、
午前の2限で終わるので、
それから、東京に出るので、
東京駅に2時頃着く。

いつものパターとしては、
なにせ月一度の上京でなので、
一番手近な八重洲ブックセンターで本の物色である。
新刊書、科学の専門書、
そして、現在興味を持っている分野のコーナーを一回りして、
喫茶店でコーヒーというぐわいである。
八重洲ブックセンターでは、本の宅配サービスもやっているので、
重い思いをしなっくてすむ。
1万5000円以上買うと、
無料配送に、喫茶店の飲み物サービス券も付く。
そんなこんなで夕方まで過ごす。

しかし、昨日は、
ある大学の女子学生、KSさんとあった。
去年の秋にも会っている。
KSさん、現在、2年生、二十歳。
地質学を目指す学生である。

四方山話をするが、
1:9で、私がしゃべっている。
私が興味をもっていることばかりをしゃべる。
それでも、面白いらしい。

その後、恩師のがAS氏も合流した。
じつは、今回の会談は、
KSさんの進路相談も含まれていたらしい。

私も思ったことをそのまま言う。
予定している進路を変更をした方がよいというのが、
私の答え。

大いに彼女の悩ましただろう。
でも、思うことをそのままいいった。
そのほうが、長い目で見たときいいと思うからである。

AS氏も別の人に問い合わせたら、
婉曲にそういわれたといった。

この文書、彼女も読むかもしれないので、
いい足りなかったことを言いおう。

いろいろな人相談すれば、
それぞれの立場で、
自分が正しいともうことを伝えてくれる。
つまり、いろいろな情報を
仕入れることになる。

でも、決めるのは、自分自身である。
そして、得をするもの、損をするもの自分自身である。
誰の責任ではなく、
自分の責任できめてることが、一番大切である。

たった一度の人生。
その人生の岐路に立っているとき、
右も左も自分の好きなほうに進める。
こんな選択は、一生の内何度もないであろう。
楽しめないかもしれないが、
後悔のないように望む。

失敗してもいいじゃなか。
紆余曲折があってもいいではないか。
人と違ってもいいではないか。
いや、人と違った方がいいではないか。
自分らしいことの方がいいではいか。
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●人のために:No. 15● 2001.6.16


視覚障害者のOb氏のホームページの作成を
ボランティアとして手伝っている。

それで、そして気付いたことがある。

html形式のホームページは、
<>というタグが、多用されている。
特に、見栄えの良いページは、
本文のテキストより、
タグの部分のほうが多いくらいである。

視覚障害者は、
テキストを音声読み上げソフトで
ホームページを読む。
そのため、タグは邪魔となる。
Ob氏のホームページも、
できるだけ、タグのないようなホームページにした。

鈴木氏とのホームページは、
健常者用のページと、
視覚障害者のためのテキスト中心のページの
2つを用意している。

Ob氏のページを作って気付いた。
今や、ホームページを作るソフトが良くなったため、
やたら、凝ったページが多い。
そんな中、Ob氏のホームページは、
シンプルで、飽きのこないページかもしれない。

いいページとは、
できるだけ、メインテナンスがしっかりしており
個性があり、
情報をしっかりと発信している
ものであろう。

そんなページを目指したい。

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・ トップページにアクセスカウンタの設置
・ Ob氏のホームページの変更
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●家族でホタルを見た:No. 14● 2001.6.16


予想通り、家族でホタルを見に行った。
やはり、小雨のぱらつく中を
昨日の同じ川に行った。

近くに何台か車が通っていたり、
徐行する車もあったので、
地元の人はここのことを良く知っているようだ。

なにせ、車の窓から
ホタルを観賞することができるのである。
見ない手はないだろう。

小出家は、雨にもめげず、
通り過ぎる車にもめげず、
ホタルを見ていた。
近くに飛んできたホタルがいたので
つかんだら、手の中にはいった。
子供は怖いもの見たさで見ていた。
すぐに逃げて、子供のズボンにとまっていたが、
川に飛んでいった。

子供は興味津々で、
熱くないのか、
ズボンは焦げてないのか気にしていた。
いつも、家庭では、
火や電灯は熱いから気をつけろといっていた。
だから、ホタルも熱いのかと思ったのだろう。

やはり、ホタルは、
人気のない、暗いところで、見るものだ。
それでこそ、あの淡い光の明るさがわかる。

明るく見えた光から想像するより
手にしたホタルは、小さかった。
手にしたホタルは、
熱くはなかったけれど、
家族には暖かかった。
昔、見たホタル
それとも、手にしたホタルは違った。
百聞は一見にしかず、であった。

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・ 文教大学講義録作成
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●自然なホタル:No. 13● 2001.6.15

昨夜、長男と夕食後、ホタル探しに行った。
小雨が降っている中、車で出かけた。
先日、飼育され、放されたホタルを見たのだが、
長男が、あれが「自然」なホタルだと思って
大人になるのは、かわいそうな気がした。
そこで、自然なホタル探しとなったのである。

幸い、わが町には、天然のホタルがいると聞いていた。
心当たりの川沿いを探した。
すると、集落と集落の間の川沿いに、
大量のホタルが飛び交っているを見つけた。

川の横は、昼間は交通量の多い道路が通っているし、
すぐ上流には、温泉街がある。
水もそれほどきれいでないかもしれない。
でも、自然のホタルはいたのである。

雨がぱらついていたが、幻想的な景観をみた。
公園のホタルは狭いところで、
大勢の人と一緒にみたので、
ホタルも矮小化されて見えた。
でも、昨夜のホタルは、
長男も私も、大いに満足であった。

車で戻る途中、
木がトンネルのように覆っているところがあり、
その木々の間を、ホタルが数匹飛び交っていた。
思わず車をとめて、見入ってしまった。

今回のホタル見学は満足であった。
長男は、飼育か天然かの違いより、
誰も見に来ていないところ、
真っ暗なところで、
私と二人っきりで見たことが、
印象に強かったようである。

今日は、家内との次男を引き連れて、
見に行かなければならないかもしれない。

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・ O氏のホームページを作成
・ 「地球のささやき」ホームページのリンクを更新
・ 「地球のささやき」メールマガジン作成
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●ナチュラリスト:No. 12● 2001.6.14

ナチュラリストと呼ばれる人がいる。
自称や肩書きとしてる人もいる。
そのうちの何人かは、「自然」とともに暮らしている。
でも、何人かは、都会に住んでいるナチュラリストもいる。
休日や気の向いた時に、「自然」に出かける、ナチュラリスト。

都会で「自然」を愛好するナチュラリストとは、
どういう人だろうか。
都合のいいときにだけ、「自然」にでかけ
自分は、マンションの一室で、
文明や技術の恩恵の下に、
金で快適さを買って生活している人たち。
傍観者としての立場から、
自然を語るナチュラリストとは、
ありうる存在形態なのだろうか。

スポーツをせず、見る観客をスポーツマンとはいわない。
アマチュアのスポーツマンがいるように、
アマチュアのナチュラリストはいてもいい。
でも、アマチュアは批評家にはなれるが、
プロとはいえない。

では、プロのナチュラリストとは、
もしかして、言葉は悪いけれど
「自然を食い物にしている人たち」だろうか。
そうだと思う。
それは、悪い意味ではない。

農業、林業、漁業従事者は、
プロのナチュラリストでないだろうか。
何百年も続いている職業的ナチュラリストではないだろうか。
彼らは、業種に関する「自然」および、
気象、気候など、非常に多くの知恵を蓄えている。
このようなプロのナチュラリストを前にして、
都会のアマチュアのナチュラリストなにを言うべきか。

私には、彼らの声はむなしく聞こえる。
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●ボランティア:No. 11● 2001.6.13

視覚障害者のO氏とは、
メールマガジンが取り持つ縁で付き合った。
O氏は、インターネットにも挑戦され、
サポートする人がいるので、
ホームページを開設されている。

そのO氏が、
ホームページ作成を手伝っている人と連絡とれず、
ホームページの更新ができなと悩んでおられた。

そこで、とりあえず、私が、
ボランティアとして手伝うことになった。
ページの作成から、サイトの管理まですることになる。
凝ったページはできないが、
シンプルに、小原さん自身が読みやすい
ホームページにしようと考えている。

とりあえず、私がすることにしているが、
現在、お手伝いのボランティアを探し中である。

メールマガジンの発行でもわかることだが、
継続的に、ボランティアをするのは、
楽しいことばかりではないし、疲れることもある。
でも、人のためと、人から頼られ、感謝されるという
極、ありふれたことに、
努力する快感がそこにはある。

かつて、隣近所や田舎あるいは下町の付き合いでは、
このようなことは当たり前だったかもしれない。
でも、いまや、当たり前のことをするには
多大な努力を要する時代になったのかもしれない。

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・ O氏のホームページ作成の手伝いをすることになる
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●ビワから季節へ:No. 10● 2001.6.12

ビワの話題をもう一つ。
ボランティアの人が、
家になったというビワを持ってきてくださった。
ありがたく頂戴する。
夢中で、10個近く食べてしまった。

スーパーものではないので、
甘味は、不揃いだったが、
初夏の季節感とともに、初夏の味覚も訪れた。

ホタルといい、ビワといい、
最近は季節を感じさせるものものが続いた。
やはり、自然物で、季節を感じるのは、
なんとなく、いい。
なんとなく、ほっとするものがある。

朝は、商品となった野菜や果物から
季節を感じなくなってきたと書いた。
でも、味わえる季節感がたまらない。

デジタル化の波について
昼に議論していたので、
自然物の話は、いい。
やはり、人も生き物で、
自然物の一部である。
であるから、自然物に時々、
浸る必要があるかもしれない。

湯河原に越して来るまで、
ミカンの花は知らなかった。
ミカンの花は、白く、それほど匂いもしない。
通勤道は、ミカン畑を山道を歩いてくる。
だから、ミカンで季節を感じる。
今は、甘夏がいい。
普通のミカンは、まだ、緑の小さい実でしかない。
でも、秋に向けて、もうミカンは準備をしている。

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・ メールマガジン「地球のささやき」No.42発送
・ メールマガジン「Dialog」No.17発送
・ 文教大学レポート優秀作品のページ
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●ビワから技術へ:No. 9● 2001.6.12

けさ、通勤中、足元にビワのみがたくさん落ちていた。
それが、1ヶ所でなく、2ヶ所もあった。
ビワから、

ビワの木をそのとき見上げた。
ああ、ビワってこんな木だったんだ、と思った。
子供の頃見た記憶があった。
そういえば、子供頃は、一部の野菜や果物を除いて、
たいていの食物は、自給自足に近かった。
実家が農業を営んでいたせいもあるだろう。
時代も、そんな時代だった。

その頃は、野菜や果物は、自分の家で作っていたので、
どこで、いつごろ、どうのようにできるかを知っていた。
今や、野菜や果物は、スーパーで買うもので、
どこで、いる、どのようにできるかを知らないものが多い。

実家で作ってなかった
パイナップルやバナナがなっているところを見たとき、
驚きとともに、感動した。
それは、大半のものを知っているのに、
一部のものだけが知らなかったせいかもしれない。

今や、知らないもものだらけである。
収穫時期だって、年中、なんでもあるような気がする。
かろうじで、安くなる時が、
収穫時期の最盛期と知る程度である。

これからは、これが当たり前かも知れない。
人口が増えると、資本主義が進み、
分業や職業の専門化などが著しくなり、
すべての分野で、ますます知らないことが多くなってくるであろう。

工業の世界はすでにそうなっている。
鉄の原料の鉄鉱石の産地を見た人が何人いるであろうか。
セメントの原料の石灰岩は。
ガソリンの原料の原油は。
原子力ものとのウラン鉱は。
アルミニウムの原料のボーキサイトは。

知らないことが、普通かもしれない。
学校で教えられることにも、限界がある。
知らないことを責めるわけではない。
知らないことが当たり前である。

それを、科学技術では受け入れやすく、
植物では、受け入れ難いのはなぜだろう。
でも、動物では、そのプロセスは生々しくて
見たくない人も多いだろう。
単なる感傷かもしれないない。
でも、じっくり考えてみるべきことかもしれない。
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●動物園ホタル:No. 8● 2001.6.11

きのう、念願のホタルを見に行った。
1つの駐車場は満車であったが、
もう一つの方が空いていたので、そちらにとめることができた。
長男は、喜んでいた。

10から20匹ほどのホタルが飛び交っていた。
しかし、その場所は、
柵で区切られ、進入禁止で、
まるで動物園の動物を見るように
人が隔離されて、ホタルを見た。

動く電球でもホタルだといわれれば、
ホタルに見えたかもしれない。
私は、本当にホタルを見たのだろうか。
そこを飛んでいたホタルは、
嘘ではないにしても、
飼育されたホタルが飛び交っていた。

動物園の動物と、どこが違うのだろうか。
私は、久々にホタルを見たという楽しさと、
ホタルという名のイルミネーションを見せられたような寂しさとを、
あわせて感じた。

何年前になるだろうか。
愛媛県東宇和郡城川町の知人の家の周りで
数匹のホタルを見たときの感動には、
今回の感動は、遠く及ばない。

城川町は田舎である。
そのときは、ホタルが見れるとは思ってもいなかった。
知人すれば、そのころ川の周辺ホタルの飛んでいるは当たり前で
もっとたくさん見れるところもあるはずた。
だかた、あえてホタルが見れるとは言わなかったのだろう。
予期してなかったから、感動も大きかった。

今回のホタルと城川町のホタル、
どちらも同じゲンジボタルだと思うが、
数の少ない城川町の方が感動的であった。
それは、予期してなかったことも差し引いても、
やはり城川町のほうが、
「いいホタル」と思う。

いうまでもなく、それは、
自然か、人工かの違いあるためであろう。
さりげなく見せれば感動したかもしれない。
でも、動物園として見せられると、興ざめもする。

ふと考えた。
長男にとっては、これがホタルのだ。
長男だけでないかもしれない。
これからの多くの子供にとっては、
動物園ホタルが、普通のホタルなのかもしれない。

消え行くものと求めてはいけないなかもしれない。
今、与えられた場、精一杯であればいい。
ないより、あったほうがいいかもしれない。
でも、偽りであるより、真のままでないほうがいいのかもしれない。

でも、長男は、こんなホタルを楽しんだ。
私も、半分くらい楽しんだ。

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●心の中:No. 7● 2001.6.10

図書館で、ホタルの本を借りてきた。
長男に読んでやった。
本当、ホタルのことがわかったのだろうか。
ある程度、わかているようである。

わかるということは、実は、心の中の作用である。
だから、「本当にわかった」かどうかは、本人にしかわからない。

その「本当にわかったこと」が「本当」かどうかは、
第三者が判定するか、試験するか、応用するか、なんらかの検証するか、
などして調べるしかない。

つまり、「本当にわかった」こと知るには、
心の中を調べることになる。
そんなことが、許されるのだろうか。

間違って覚えてはいけないのだろうか。
覚えなければ、生死や、他人に迷惑がかかるなど
著しい問題を引き起こさないなぎり、不要かもしれない。

でも、今の世の中には、テスト、成績表、入試、資格など
あまりにも多くの場面で、
「本当にわかった」かどうかを調べられる。
本人が希望していればまだしも、
義務教育と称して、日本人はすべて調べられている。

他人の心の中を覗く権利は、いつから生まれたのだろう。
考えると、怖くなってきたのでやめる。

今日の夜は、子供とホタルを見に行こう。
もし見れて、子供が喜べば、親も喜べばいい。
親ばかでいいのだ。
心の中を覗く権利は、親にもないはずだ。

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・ 「地球のささやき」メールマガジン次号作成
・ 「Dialog」のメールマガジン次号作成
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●ホタルと想像力:No. 6● 2001.6.10

きのうの夜、子供たちと一緒に、車でホタルを見に行った。
小雨だったが、行った。

実は、出かける前、ホタルというのは、
小さな虫で、お知りがピカピカ光り、面白いよと
説明していたのである。
長男は、多分、想像膨らませ、
自分のホタルを、頭の中に描いていたのだろう。

わが町では、6月1日から17日まで、ホタル祭りであった。
その公園では、ホタルを養殖し、放していた。
観光用なので、大勢の人が来るはずであった。
まして、祭りの期間の土曜日である。

予想どうり、人が一杯であった。
駐車場の入り口には、車が何台も待っていて、渋滞していた。
駐車場が一杯ではいれそうもない。
私たちの順番がくるのはホタルが瞬くなりそうなほど、混んでいた。

あきらめて帰ろうとしたが、長男がどうしても見たいという。
かわいそうなので、
近くでいるといわれていた
別の川のほうにいってみたが、
そちらも残念ながら見ることができなかった。

人にとって、想像力とは、
好奇心を引き起こす重要な原動力である。
見れないとなると見たいもの。
でも見るとつまらないないもの。
見ても、予想どおり感動的なもの。
予想以上に感動的なもの。
まさに、百聞は一見にしかず、である。

私は、
深海底や火星表面、月面が、見れないとなると見たいもの。
原作を読んだ後の映像作品が、見るとつまらないもの。
雄大な地球の景観が、予想どおり感動的なもの。
花火が、予想以上に感動的なもの
である。

さて、小出家は、しばらくホタルの日々が続きそうである。
今日は、長男と、図書館で、
ホタルの本とビデオを探してみることになっている。
そして、人が少なそうな平日を選んで出かけることになりそうである。

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・ 自宅でも、このホームページの転送ができるように設定
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●人間の信頼:No. 5● 2001.6.8

今朝、横断歩道を渡っていると、車が突っ込んできます。
止まるだろうな、と思って、横断歩道を歩いているのに
スピードを落としません。
そのまま、私の通った後ろを、
けっこうなスピードで走り抜けていきました。

そのとき、ふと感じたことは、
約束事、ルール、規則、決まりごと
などについてです。

横断歩道を人が渡っているときは、車は、止まってくれるものだ。
交通規則にしたがって、みんな通行しています。
このような規則、ルールは、
そのそれに参加している人が、
全員守るという前提のもとに、機能しています。

もし、その一人でも、一つでも信頼関係が成り立たないと、
その規則、ルールは意味をなしません。

小はゲームから、大は法律、外交や戦争まで、
何らかの取り決めがあります。
戦争だって、降服の白旗、
喧嘩だって、負けを認めるという
というような取り決めがあります。

何の取り決めもないようなものまでも、
やはり、「人間としての」あるいは「常識」という
取り決めがあるように思います。

つまり、人間をどこかで信頼しているわけです。
喧嘩をしていたって、信頼しているわけです。

やっぱり、人間て良いものなんですかね。
車に轢かれそうになって、
人間が信頼できるところに考えが至りました。

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・ 文教大学「宇宙の科学」の第7講の講義ノート
・ 「地球のささやき」小修正
・ 「地球のささや」HPの4_8分更新
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●Mail Counter:No. 4● 2001.6.7

日常生活にまみれていると、
つい、「現実的」なことばかり考えてしまいます。
今朝も、通勤中はさまざまなことを考えていたのですが、
今(夕方)には消えてしまいました。

今日、溜まったメールを読んでいたら
いつしか「地球のからくり」の交換したメールが、
100通になっていました。
別に100通だから、どうこうすることもないのですが、
区切りを感じます。

区切りを感じると人はどうするか
多分、今までもことを振り返ります。
そう、わたしも振り返りました。

2月14日にスタートしたメールマガジンです。
初めてのことには、不安が付きまといます。
でも、始めなければ、新しいことは生まれません。
そして、始めてから、考えてもいいこともあるはずです。

実は、このメールマガジンを始めたきっかけは
ある人にいわれた一言でした。
「学芸員は、ボランティアしませんね」
愕然としました。
日ごろ、博物館のボランティアの人と、
「私は学芸員でござい」と偉そうに会話しています。

でも、私にはボランティア経験がありませんでした。
まず、自分もボランティアを始めよう。
そうすれば、ボランティアの大変さ、面白さ、意味も見えてくるかもしれない。

では、私にできるボランティアをとは、ふと考えました。
自分の得意とするところを、
不特定多数の人のために公開しよう
と考えました。
それが、始まりでした。

私は、書くことは苦ではありません。
でも、続けていると、大変なこともあります。
ふと、忘れていて、慌てることもあります。

しかし、続けてこれたのは、
「地球のからくり」を読んでいる人がいる
という反応があるからです。

ですから、「地球のからくり」トップページに
Mail Counterをつけました。
メールをやり取りした数が、私の励みとなっているからです。
そして、メール交換の中から新しい話題も生まれました。

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・ 「地球のからくり」Mail Counterの設置
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●おととい、きのう、きょう:No. 3● 2001.6.6

おととい、ミネラルショウと学会で東京に
ミネラルショウでは、
購入予定の資料を見て、業者さんと打ち合わせをした。
学会では、
学会発表と、お世話になった方々、先輩、知人と
挨拶や打ち合わせをした。
大先輩から、暖かいお叱りも受けた。
来週、18日に再度、東京で会うことにした。

きのうは、住んでいる地域の自治会の集まりがあった。
役場の人と、業者が来て、打ち合わせをする。
パソコンの再フォーマットをする。

今日は、出勤日だが、
薫蒸(くんじょう)直後なので、 休む。
午前中、
保健所、警察署、書店を回り、帰宅する。
帰宅後、パソコンの調整をする。

などなど、書いていると、日々生活していることがよくわかる。
しかし、本当に書きたいのは、
私の情報公開が、誰かの心にとまるかどうかである。
情報発信というより、
一方通行の手紙、

きのうも、きょうも、雨である。
雨が降らなければ、ホタルを見にいきたいと考えている。
町が観光用に、
養殖した源氏ホタルを放しているそうである。

去年も行きたかったのだが、
次男が生まれてばたばたしていたし
帰宅直後のビールが美味いので、
いけなかった。
今年こそはと、考えている。

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・ おととい、電車の中でエッセイを2本
・ きのう、パソコンの再フォーマット
・ きょう、自宅でも、ホームページ更新ができるように調整
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●日々続行、これ量を生む:No. 2● 2001.6.3

毎日、少しでも続けること、
大変だけど、それが力となり、実績と成る。

メールマガジン「Dialog」の原稿は、
メール交換んも記録を公開しているので、
それほど作成には時間がかからない。

このホームページを作るのは、
10回のメールがたまったら、1ページなので、
一月に一回くらいの更新となる。

実は、2か月分ほど貯めていた。
誰に怒られるわけではないが、
ふと、後ろめたい気持ちになる。
今日、まとめて公開した。

メールマガジン「Dialog」の作成が、簡単なので、
それでは、私自身、物足りなく感じて
Monologとして
そのメールに関するよもやま話を付け足していた。

そのうち、Monologをページとして公開するために
ページだけは用意していた。
今日、それを作成した。

明日から、学会である。
博物館は燻蒸(くんじょう)で
4日、5日と休館。
私は、6日まで休み。
せっかく書き始めたのだが、
数日、休刊します。
まあ、もともと毎日書くと決めたわけではないので、
いいでしょう。

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・ Earth's Eassyのtopページのデザイン変更
・ DialogのMail 006の追加
・ DialogのMail 006テキストバージョンの追加
・ DialogのMail 007の追加
・ DialogのMail 007テキストバージョンの追加
・ DialogのMonologl 001の追加
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●はじめに:No. 1● 2001.6.2

ほんの数行で言いから、発信。
そして、自分が変化したことを、発信。

伝わるかどうかは、二の次。
語ることが、目的。
自分自身のメモ。

でも、発信することが、目的。

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・ メールマガジン「地球のささやき」No.42発送
・ 「地球のささやき」No.42ホームページへ
・ メールマガジン「Dialog」No.16発送
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